陽水の快楽の紹介
LISTEN to books、この番組では本を取り上げます。これが10冊目になります。
書評をするわけでもなく、本の内容を詳しく紹介するわけでもありません。
LISTEN to the voice of booksというコンセプトで、その本が何を言いたかったのか、どんなことが言いたくてこの本を書いたのか、そういうことを伝えたくて始めた番組です。
今日は、陽水の快楽という本があるんですが、ご存知ですかね。
陽水の快楽、井上陽水論ですね。これ、哲学者の竹田青嗣さんという方が書いた本なんですね。
竹田青嗣さんは、この陽水の快楽で結構一躍有名になった部分がありますね。
ちょうど私がというか、竹田青嗣さんにはまったんです。私は実はね。
井上陽水にもはまってたんです。で、後から知ったのが、この竹田青嗣が陽水の快楽っていう本を書いてるっていうのは、後から知ったんですよね。
だから妙に繋がったなというのが、私の体験ですね。この陽水の快楽、井上陽水論。
こういうふうに哲学やってもいいんだというね。そういう新鮮さ。そして竹田青嗣ファンだったので、私一時期ね。
竹田青嗣の本はほとんど持ってて、ほとんど読んでて、たくさん線が引いてあるんですが。
竹田青嗣さんの話はまたいずれするとして、その竹田青嗣が陽水の快楽っていうのを1986年、
ちょうど私が大学4年生の時ですけど、私が読んだのは結構後ですね。陽水の快楽は。
それ以外の竹田さんの本をむしろ読んでいたと。
意味とエロスとかね。
それから現象学入門とか、まあいろいろ書いてあるんですが、私最初に読んだのは多分意味とエロス、1986年ですね。
この頃からちょっと竹田青嗣ファンになってのめり込んでいって。
そんな中で陽水の快楽、井上陽水論も読んだということです。
実はこの竹田青嗣さん他にもニューミュージックの美神って美しい神って書くんですけど、美しい神、美神たち、ラブソングに聞く美の夢っていうのを1989年に出してます。
それからこれは何年かな、はやりうた読本ということで、ポップミュージック論。
これは単著ではなくて、いろんな人が書いたものを集めたものなんですが、これ1990年ですかね、に出てますけれども。
そこで中島みゆきさんとか、松任谷由美さんとかね、それから桑田佳祐さんとかね、いろんなこうニューミュージックの歌い手たちの歌いぶりというか、曲調もそうなんですがやっぱり歌詞ですね。
曲調と歌詞にこだわって、それをちょっと哲学的に評論したという、そういう本なんですね。
この陽水の快楽の文庫本の方には井上陽水さんとの対談も実現してね、竹田青嗣さんとのね、それもなかなか面白いんですね。
私がこれ多分ちょっと今手元にどっか行っちゃってないんですけども、探したんですが、古本に売っちゃったのかな、売るはずないんだけどなと思いながら探したんですが見つからない。
手元にあったのがこのはやりうた読本。そこにも竹田青嗣さんが井上陽水論の中に掲載した一文がね、入ってるんですけれども、
まあ少しそれを手がかりに記憶をたどりながらお話してるんですけど、この対談の中で結構井上陽水はね、ある意味竹田青嗣にとっては天才だということなんですが、井上陽水はそういう自覚は全くなくて、
本人はね、もうとにかくいい加減な歌詞歌ってるだけですよなんてね、例えばその、部屋のドアは金属のメタルでって、金属のメタルって金属もメタルもメタルじゃねえかって、後から歌ってて思ったとかね、そんな話も対談では確か出てきたような気もするんですが、
井上陽水の個性と歌詞
ただやっぱり、特に1980年代のポップミュージック、桑田佳祐さんも出てきたんですけど、やっぱ衝撃的だったんですよね。それ以前からやっぱり陽水さんとかは存在してたんですけれども、やっぱ独特な個性、オリジナリティを持っているということで、まあ私陽水はやっぱり好きでよく聞くし、歌詞もね、やっぱ好きなんですよね、この謎めいた歌詞ね。
この竹田青嗣さんが言うので面白いのは、井上陽水の歌詞には失恋体験がほとんど出てこないと。でもちょっと失恋をほのめかすようなメタファーは出てくるんだけど、いわゆる露骨な失恋体験としては出てこないと。
例えば中島みゆきなんかは全く違って、もう失恋を歌い上げるわけだけども、それとは違うんだっていうね。そこで少しこう、男のロマンっていうものをね、語るわけですよね。
例えばこんな話ですね。ゼンマイ仕掛けのカブトムシ。君が笑うんですね。で、君の目が壊れた。なぜかそれがゼンマイ仕掛けのカブトムシみたいって。こんな歌詞普通出てこないですよね。
このでも、君が冷淡に笑ったということは、単なる失恋経験ではなくて、もっと過酷な体験なんだっていうんだよね。竹田青嗣はね。男のロマンティック世界にとって決定的な事件が起きているんだっていうね。そんなことを言うわけですよね。
あとは少し強調しているのはやっぱり、陽水の響きですよね。響きというものがすごく、やっぱり歌の中にはこうあるという。
あとその結構いろいろ語っててそれは面白いんですけれども、哲学あんまり好きじゃない方はね、もうとにかくそんなことを考えずに、難しいことを考えずに歌だけ聞いていたいっていう方の方が多いと思うんでね。
そんなのをわざわざ論じる、評論で論じることもないだろうと思うかもしれないんですが、やっぱり時代の中で、しかもこういう歌が出てくるという。
例えばサザンオールスターズ、桑田佳祐さんみたいなのが出てくる。これやっぱり歌詞も曲も、やっぱり革命的というかね、だったし衝撃的だったんですよね。
欲望をもうそのまんま、女性への憧れを、男性の性的な渇望を、女性の愛おしさとして歌い上げちゃうというね、素直にね。
これはね、それまでの音楽にはやっぱりなかったし、やっぱり時代的な産物。
その意味で桑田佳祐も天才なんですけれども、これに対して陽水も官能的なんですけど、井上陽水の歌っていうのは、歌詞も含めて官能的な部分があるんだけど、
この陽水の官能性には、あんまり性的なものとかセクシャルなもの、セックスとかあんまり出てこない。
あんまり出てこない。ちょっとだけ出てくるやつあるんですけど、あんまり出てこない。
だけれどもそこには何らかの独自のエロスがあるっていうね、そんな話。
さらに独自のロマン的な世界観があるという、そんな話をね、まあ書いてるわけです。
いろんなスタンダードとか、それから他にもいろんな人を、哲学的な人も持ち出しながら論じるわけですね。
こういうのが好きな人には是非。しかも井上陽水が好きだって人はね。
フロイトも出てくるね。哲学的にその、なんていうかな、桑田佳祐とか、松任谷由美とか中島みゆきとか、あるいは井上陽水とかの存在というのを、
時代とか哲学とか思想の中で評論してみるというね、そういうスタイルを出したんですよね。
これやっぱり面白かったです。私もそれなりに頭でっかちに学生時代送ってきたのでね。
しかも陽水のことを語るってのはとても難しいのに、なんとか頑張って語ろうとしているというね、いうところもとても良かったし、共感したというね。
竹田青嗣ファンとの繋がり
そんなことで、一つの井上陽水論としてね、こんな本もあるんですよって。知らない人も多いと思うのでね、ちょっと紹介しておく
ついでに竹田青嗣さんファンですよという。私はね、実はね、ほぼ全て読みましたね。もう竹田青嗣主義者ぐらいになってましたね。
とにかく線引きまくって読みまくって、読んだんです。竹田青嗣さんの本とか竹田青嗣についてはまたいずれね、どっかで語ろうかなと思ってますが、今日はこの井上陽水論、陽水の快楽、
そして合わせてこのニューミュージックの美神美しい神たちもちょっとリンク貼っておこうかな。
ついでにはやりうた読本もリンクを貼っておこうかなと思います。ニューミュージック論として書いたのはこれぐらいが代表的なものなんですけどね、結構好きな人はハマると思います。
そんなわけで、竹田青嗣、陽水の快楽の紹介でした。
ではまた。