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2024-07-28 12:56

エロじゃん!と女性キャラをからかう小学生の魅力#5

30代男性B型はエロじゃんとからかわれたことをいまだに覚えている LISTENで開く
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テレビゲームで女性キャラを選んだときに、
エロじゃんってからかう小学生いたじゃないですか。
ていうか、僕らも多分そうだったんですけど、
これは男の人に限った話で、
マリオカートでピーチを選んだりとか、
ストリートファイターでチュンリーを選んだり、
そういう女性キャラを選んだことに対して、
エロじゃんって小学生が言ってたじゃないですか。
これいいなと思ってて。
エロいじゃんとかね。
誰誰エロいとか、
そういう指定の仕方じゃなくて、
エロじゃんっていう新たな概念を発見したかのような口調で、
言うあれですよ。
これ、なかなか不思議だなと思ってて。
中学生に上がる頃には、
そういうからかい方って多分しないんですよね。
この文言自体が使われなくなる。
あったとしてもエロいっていう形容詞で、
誰かを非難したりとかからかったりとか、
そういう形になると思うんですけど、
小学3年生ぐらいですか。
その時だけ使われる表現として、
エロじゃんっていう魔法の言葉があるんですけど、
これ言い換えてしまえば、喜びじゃんとか、
あの怒りじゃんみたいな、
人間が持つ原始的な心の動きを、
そのまま発見したみたいな。
今初めて発見したって時の、
異質な呼び方なんですよね。
石やりでマンモスを倒して、
倒れたマンモスの上に倒した人がね、
上がって両腕を掲げたみたいな。
その時に誰かが喜びじゃんって、
あの言うような、
本当に初めて発見したかのような、
そんな言い方だと思ってるんですけど、
このエロじゃんについて考えを進めていった結果、
日本語表現がもっと豊かになるかもしれないなって思ったんで、
今日はそのことについてお話ししたいんですけど、
そもそもエロスっていう言葉は、
ビリシャ神話のエロースっていう神様が元になってて、
プラトンが作り出した哲学用語らしいんですよね。
達成と欠如との中間にあって、
神前美を追い求めていく衝動力とか、
なんかすげー難しい言い方されてて、
よくわかんないんですけど、
プラトンじゃなくて、
バタイユっていう哲学者も、
エロティシズムについて研究していて、
それによると、
性に対する禁断とか禁止、
禁忌みたいなのを一時的に破ることが、
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エロティシズムだっていう風に話してるんですね。
バタイユの主張の中に、
人間と動物の違いが禁止にあるっていう話があるんですよ。
自然の中でそのまま暮らしていくのを禁止して、
自然に手を加えて労働することによって
人間性を出していくとか、
ありのまま生命活動を終えることを禁止して、
それに対する拒否感とか、
死なないように抗う感じ。
これはもう動物にはないよね、みたいな。
それともう一つ、
労働と死と性に対する禁止もあるっていう話があって、
動物にとっての生活動は禁止とかそういうのはないけども、
人間は誰かに思いを伝えたりとか、
そういう性に関することが絡むと、
それに対して恥みたいな感情が生まれて、
それも生活動に対する禁止が、
恥っていう感情を生み出してるっていう、
ものなんですよね。
だから、
自然に手を加えて、
本当の本当は違うんですけど、
僕がざっくり勉強した結果はそういう話があって、
この禁止されたことを
一時的に審判しちゃう。
一時的にその禁止を破ってしまうことが、
さらに人間ぽさみたいなのを出してるよっていう話があって、
労働で言えば、
生産的じゃないことをするっていう。
何か木を切って、
何か作り出して暮らしを豊かにするとか、
そういうのじゃなくて、
ただ、木を切って何の意味もないものを作ったりとか、
そういう遊び、
生産性のないものを作るっていう、
これは遊びっていう形で人間性を増している。
死に対する抵抗みたいなのを破るっていうのは、
生贄みたいな、
そういう宗教的な儀式に人間の死を取り入れたりとか、
人柱を立ててとか、
ああいうことをするっていうのは、
より人間性が増す行動に繋がっているよっていう。
で、性に対しては、
性の禁止を破るっていうのが、
エロティシズムっていう雰囲気っていうか、
衝動っていうか、そういうのを生んでいるよ。
禁止を破るっていうのがエロティシズムだっていう風に、
馬太夫は考えていたわけですね。
なんで今日話すエロジャンのエロっていうのは、
性においての禁断を一時的に
審判するっていうことをエロって
置きたいと思うんですけど、
だから小学生の言うエロジャンっていうのは、
性において禁断を一時的に審判してるじゃんって
言ってるってことなんですよ。
これに対して中学生とかが言う
エロいっていう言葉って、
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私自身がエロを感じているっていう、
少し恥ずかしい表明になっちゃっているのかなって思うんですよ。
他の表現と被せて考えると、
グロいとかチルいとかエモいみたいに、
その判断が個人の価値基準に
大きく依存している表現なのかなっていう。
こういう言葉の仲間が
エロいなのかなって思ったんですよね。
このボールペングロいとか、
今日の天気チルいとか、
このポッドキャストエモいみたいな風に、
何とでも言えるっていうか、
わりとどんな言葉でも繋がっちゃう、
自分の感情にかなり大きく依存している言葉なんで。
これが高いとか安いみたいな、
他の尺度でも測ることができる表現だと、
今日の天気安いとか、
このボールペン低いみたいに、
意味の通らない文章が増えるなと思うんですよ。
だからこういう風に考えると、
エロいっていう表現は私個人がエロいと思いますって、
そういう表明になっちゃってるよって思ったんですよね。
だからここで話を戻して、
小学生目線で考えると、
女性キャラを選んだ人に対して、
それエロいねって表現を使ってしまうと、
それを指摘した本人が、
エロティシズムを感じているっていうことを、
強調した言い方になっちゃうっていう。
これ小学生にとってとんでもなく恥ずかしいことになっちゃうんじゃないのかなって。
これに対してエロじゃんって、
あくまで名刺形に留めて表現すると、
決められたルールを破っているっていうね。
エロっていうのは、禁断を一時的に審判するっていうことなんで、
あなたが選んだキャラクターは、
決められたルールを破っているよっていうのを、
客観的に指摘しているみたいな。
そういう形で他人をからかうことができるんじゃないのか。
これからかう方からしたら大きなメリットで、
エロいって指摘してしまうと、
それはもうお前もエロじゃんみたいな。
うるさいって言う方がうるさい状態になっちゃう。
そのカウンターパンチを食らいかねないじゃないですか。
これをエロじゃんにすることによって、
指摘した側の性に対する拒否感とか不安とか、
あとその興味みたいなものをね、
だいぶこう、蜘蛛隠れさせたまま、
人間社会のルール、性への禁断を破っているんだよっていう、
強調して言うことができるんで、
かなり遠距離的に表現できて、
からかいやすい言葉になっているなって思ったんですよね。
だからこの技を大人の僕らも実は使うことが多分できて、
このケーキエモいみたいな、
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そういう表現とかね、今するじゃないですか。
でもこの表現ってちょっと子供っぽいっていうか、
個人的感情に重きを置いた表現になっちゃってるなって思ってたんで、
本当にこのケーキがエモいって思ったときに、
そういう僕の個人的な感情じゃなくて、
このケーキには確実に何かがあるって、
それを表現したいとき、
普通のケーキと確実に違うんだっていうことを客観的に表現したいときは、
このケーキエモがあるって言えば、
エモっていう表現がね、
まあ伝わりにくいんであれば、
エモーショナルがあるとか、
そういうふうに表現したら、
あ、このケーキエモがあるんだって。
ただこの人が勝手にエモいって言ってるだけじゃなくて、
確実にそこにエモが、
エモがあるんだって、
伝わりやすいのかな。
だからここまでグロいとかエモいとかチルいみたいな、
外来語が形容詞化したものを取り上げたんですけど、
やばいかわいいとかね、
その辺の外来語とか関係なく、
個人的な感情に大きく依存する身近な形容詞も応用できて、
このケーキやばいっていうより、
やばみがあるっていうふうに表現した方が、
いろいろ自分の伝えたいことをね、
正確に伝えることができるのかなって、
そう思った次第ですね。
そんな感じで伝えたいことを、
的確に表現するには、
小学生のエロジャンをフォーカスするといいよっていう話だったんですけど、
ここから余談で、
小さい頃ゲームのキャラクターを選ぶっていう行為って、
一種自己投影じゃないですか。
自分のキャラクターに名前を付けるときも、
ユウタとか、本当に自分の名前をそのまま付ける小学生が多い中、
だんだん大人になればなるほど、
自分の好きなものの名前を付けたりとか、
マンジとか、かっこいい中二病チックな名前になってね、
自分からかけ離れた名前を付けていくのがあるなと思って、
だからだんだん大人になればなるほど、
自分からゲームキャラクターっていうのが離れてって、
客観的に好みのキャラクターを選ぶ傾向があるんじゃないのかなって思ってるんですけど、
小学生がエロジャンって、
そういうキャラクターを厳しく断罪するのって、
男にもかかわらず自己投影対象を女にしているっていう、
そういう違うよっていうタブを犯しているっていうのも意識があって、
エロジャンって声高らかに言うのかなって思ったんですよ。
だからこれって昔の考え方で、
今生まれた時から多様性がどうっていう、
そういう価値観が広まっている中育ってると思うんで、
もしかしたら令和の小学生って、
エロジャンってもう言わないのかとか思ったりしました。
これ僕も子供いるんで、小学生になった時に、
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エロジャンって言ってるかどうかを、
友達と家で遊んでいるところをじっと見て、
たぶん今だったらボイチャでネットゲームとかすると思うんですけど、
エロジャンって言ってるかなって、
もうつぶさに観察したいなっていう。
ぜひお子さんいる方はエロジャンについてちょっと注目していただければな、
まあまあそういう話でした。
また最初から最後に何言ってるかわからない話になったんですけど、
今日はこんな感じで終わろうかなと思います。
またこんなくだらない話をしていくんで、ぜひよろしくお願いします。
それではご視聴ありがとうございました。
葉山でした。
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