00:09
ある船のパーツを交換していって、すべてのパーツを交換したときに、
その船は元の船と同じと言えるのか、とか、
体のパーツを交換していったとき、一体どの時点までを自分自身と言えるのか、みたいな、
テセウスの船とかって言うらしいですけど、
そういう感じの話って、なんか、
いいっすよね。
これ、あの、某オタクの掲示板で、たまに話題が上がる、
オタクの男性がなぜ自分を着飾らないのか、っていう話題に近いものを感じていて、
ここでいうオタクっていうのは、古き良きオタクの方々を指すんですけど、
あの、彼らの意見の一つとして、
外見を変えただけで、なびくような女性はこちらからお断りだ、みたいな。
だから、外見を変える必要なんかない、っていうね。
外見を変えない理由として、それを挙げてるんですけど、
これは、この方が、外見そのものを自分自身に含んでいないっていうか、
他の外見を気にしている男性とかを、
中身のない、実体のないところを気にかけてるっていうか、
逆に、女性がそういう実体のない部分を評価しているみたいな、
そういうところに価値を感じている女性を、
下げ棲むような、というか、そういう女性に魅力を感じないっていうね、
論法なんですけど、
まあ、そこにね、外見を自分に含まないっていうのに至る経緯は、なんかまた、
何かこう、考えるところあるんですけど、
なんか、こういう哲学パズルみたいなのって、
なんか、面白いなと思ってて、ただ、うんうんうなって考えるの。
別に、何か答えが出るわけでもないんですけど、
おじさんの僕らなんて、あの、結局ほっといたら、今の教育がどうとか、
今の政治がどうとか、そういうことを話し、
話したいがちなんで、
別に、なんか、それでアクションを起こすんだったらいいんですけど、
特にアクションを起こすわけでもなく、ただ話すだけで満足しちゃうんで、
だったらね、そういうちょっとマイナス方向の話題じゃなくて、
少し、なんか、ちょっと楽しい方向のお話、今の哲学パズル的な、
哲学パズルって言うとちょっと大げさなんで、
なんか、そういう、考え、
ゲームみたいな、
そういう話をしたいなって思ってて、
ただ、リアルで急に、テセウスの船がとか言い出したら、なんかちょっとね、
なんか、趣味は哲学パズルでとかやりだしたら、少しこう、あー、やってんなーみたいな、
こいつ大きく出たなーってなっちゃうじゃないですか。
でも、こう、今こうして聞いてくださってる、ポッドキャストっていうのを選んで聞いてくださっている方々は、
多分、
勝手なイメージですけど、うんうん唸って考えるのとか、好きそうな方が多いのかなと思うんで、
03:05
ちょっと今日はそういう、答えが出ないけど、考えると楽しいテーマについて、
考えませんか?っていう、考えようっていう回ですね。
で、僕がなんでこんな急にね、こんなことを話したいって言い出したかっていうのを少しだけ話すんですけど、
最近、哲学者が息子との会話の中に潜む、哲学的な考えを紐解いていくみたいな、
子供の純粋な疑問とかには哲学がちょっと含まれてて、
それを本物の哲学者をなりわいにしている人が、
あー、こういう意見はこうだねとか、こういう考え方をするのは、昔の哲学者もこういう考えをしたよっていう、
ちゃんと哲学で紐解いていくみたいな本を最近読んだんですけど、
だから僕も、その本を手にした時に、息子になんかこう、将来、哲学的なっていうか、
一言ではなかなか言い表せられないこととか、もし聞かれたらどうしようと思って、
空が青いのはなんで?とかは、なんかググれば出そうですけど、
そういう哲学的なことってちょっと難しいじゃないですか、なかなか。
人はなぜ生きるの?って聞かれたらどうしようっていうね、
いらぬ心配を立てて本を買ってそれを読んだんですけど、
なんか面白くてそれが、読みやすくて面白くて、
軽い気持ちで読んだんですけど、
神の存在とか、宇宙はどうやってできたかとか、
あと、権利がなんなのかっていうね、権利ってそもそも何?とか、
あとジェンダーの話とかにも切り込んでたりとかして、
かなり幅広く哲学の入門書として、僕にとって最適だったんですよね。
これが面白くて、その中にさっき言ったテセウスの船とかも出てきて、
こういうのを考えるの面白いなっていう衝動に駆られて今、こう話してるんですけど、
本の中で特に面白かったエピソードで、
権利とは何かっていう話で、
確かに子供が、本の中で哲学者の息子が、2人息子がいるんですけど、
そのお兄ちゃんと弟が喧嘩して、弟がお兄ちゃんにおもちゃを取られちゃったっていうところから始まるんですよ。
そしたら弟が、僕には何の権利もない、おもちゃを持つ権利がないって言うんですけど、
お父さんは、いや、権利ならあるはずだよって。
弟くんには、その弟くんのおもちゃを持つ権利がある。
でも権利なんてものは弟くんは反論するんですよね。
取ろうと思えば取れるじゃないかと。
お兄ちゃんが取ろうと思えば、そのおもちゃ取れるんだから権利なんてないのと一緒だって言うんですよ。
確かに言われてみると、権利って何?みたいな。
読んでたら分かんなくなってきちゃって。
その後、お父さんがいろいろあって、
法律、法治社会において、権利を侵害した場合は悪いことになって、
06:07
権利を守った場合は良いことになるって言うんですか。
そういう区切りがつくよね。
お兄ちゃんが弟が持っている権利を侵害しておもちゃを取ったんだったら、
お兄ちゃんがやったのは悪いことだし、
もし弟くんが権利を持ってなくて、
そのおもちゃは教養のものでお兄ちゃんがそれを取って遊んだんだとしたら、
それはお兄ちゃんは悪いことしてない。
権利っていうのは、法律社会で、
良いことと悪いことを分けるボーダーなんだよみたいな教え方をするんですよ。
そうなんだと思って。
4歳とか6歳の子に対して教えてるんですけど、
32歳の僕もそうなんだと思って。
考えたことなかったなってびっくりしたんですよね。
そういう話がいろいろ出てきて、
子供に神様はいないとかね、
神様がいるかいないかどう思うか聞くとか、
やっぱりそういうのって日本にはないじゃないですか、あんまり。
そういう神様の考え方とかも話さなきゃいけないんだとか、
そういうことが書いてあって、
今日特に考えたいのが、
哲学的ゾンビの話なんですけど、
これもネット上でたまに議題に上がるっていうか、
哲学的ゾンビっていう響きが面白くて、
結構話題に上がることが多いんで、
目にした方も多いのかと思うんですけど。
哲学的ゾンビって、
主観的体験がない人間みたいな。
僕もね、入門書一冊読んだだけなんでよくわかんないんですけど、
僕らって何かを見たり、
聞いたりとかしたときに、
すごいなって感動したりとか、
喜びっていうのがうちから上がってきて笑ったりとか、
そういうことするじゃないですか。
でも、哲学的ゾンビっていうのは、
仮にその存在がいたとしたら、
それは物理的に脳みそからの電気信号で、
たまたまそれが表出しているだけで、
喜んでいる顔をするとかも、
夜景を見てきれいだなと思って、
その表情をするっていうのは、
ただの反射みたいな。
何かの外部の刺激に対して脳が、
電気信号をただ送って、
それが出ているだけですよっていうのが、
哲学的ゾンビ。
アンドロイドみたいな感じですよね。
哲学的ゾンビは、
何かを体験したときには綺麗だなって思う、
主観的な体験がない。
赤色を見て、
この赤色がいい色だなとか、
そういうのも感じない。
ただ、普通の人間と一緒で、
外部の刺激に対して、
笑ったりとか、何か言葉を発したりとか、
できるっていうのが、哲学的ゾンビらしいんですよ。
これも僕、存在自体は知ってたんですけど、
なんか、調べたら少し、
話が独り歩きしてる部分があって、
もともと、哲学的ゾンビを、
09:02
その、提唱した人っていうのが、
当時、
物理的なものを、
どんどんどんどん追求してったら、
全てが解明できるじゃないですけど、
そういう意識っていうものも、
分かっていくんじゃないかっていう流れがあったときに、
主観的な体験を客観的に観測することができないんだから、
物理的に脳の電気信号が出て、
こういう表情をするとかっていうのが分かっても、
結局それって、
最終的には、でも結局、
主観的体験はよく分かんないんですよねっていうところに行き着くから、
自分以外全員哲学的ゾンビっていうこともあり得るってことでしょって、
なんかそういう文脈で出てくるらしくて、
でもそんな哲学的ゾンビなんてあり得ないんだから、
物理的に追求してって、
人間の意識が解明できるっていうのは、
もともと間違ってるよっていう、
そういう話らしいんですよ。
そういう思考実験みたいな話の時に出てくる、
哲学的ゾンビっていうのが、
ネット上で一人歩きして、
もし自分以外がそういうアンドロイドみたいな、
感動する気持ちとか感情とかそういうのを、
心の中に持ってない、
心のない人たちかもしれないよっていう、
そういうお話で触れ回ってるっていうか、
ただ一人歩きしてるっぽいんですけど、
でももしね、ただ今日は面白そうなんで、
哲学的ゾンビ、
自分以外が哲学的ゾンビだったらどうかなとかね、
これ証明する方法あんのかなとか、
なんかライトな感じで考えたいんですけど、
もうとっくのとおりね、
哲学者の方々がそういうのは話し合って、
多分大体結論出てるんですけど、
実際哲学的ゾンビを目の前にした時に、
なんて質問すれば、
その人が哲学的ゾンビっぽいのかどうか、
見極められるのかなとかね、
もし自分がいつも会ってる仲のいい友達が、
哲学的ゾンビだったらどうなんだろうとか、
君は哲学的ゾンビなの?とかね、
君には感情がないの?って聞いても、
感情があろうがなかろうが、
感情あるよって答えるように、
プログラミングされている人かもしれないとか、
その人の主観的体験をどうやって、
僕らが確かめるのかとか証明するのかって、
なんか一時期、
馬鹿なんで、
そんなの偉い人が、頭いい人が多分もう、
語り尽くしたんでしょうけど、
考えたりとかしてたんですよね。
その哲学的ゾンビがどうとかは、
正直答えが出ないっていうか、
なかなか話が進展しないところではあるんですけど、
意識って何なのかとか、
考えだしたらまた難しいですよね。
心がどこにあるのかとか、
本の中にあったんですけど、
どうすかね、脳なのか体なのかみたいな。
またテセウスの船に戻ってくるんですけど、
脳以外の部分をね、
12:01
体を交換したときに、
一体それは自分と言えるのかとか、
そういう話面白いですよね。
本の中で、哲学者の言葉が紹介されてて、
その中に、
哲学は私たちが望むように、
多くの疑問には答えてくれないかもしれない。
だが少なくとも世界に対する、
関心を高めるような問いを発する力があり、
ありふれた日々の生活の中には、
不思議と驚きが潜んでいることを教えてくれる、
っていう言葉があったりとか。
あとその、
著者が子供に神様がいるかいないか、
みたいな話になったとき、
それを結論を急ぐんじゃなくて、
もし神様がいるんだったらどうかとか、
神様がいないんだったらどうかを考えたほうがいいとかね。
神様がいるんだったら、
聖書の通じつもが合わないところは何でなのかとか、
神様がいないとしたら、
何でこんなに多くの人がキリスト教を信じているのかとか、
そういう話展開していったほうがいい、
っていう話をしてて。
だから哲学的ゾンビがいるとしたら、
一体僕たちはどうしたらいいのかとか、
哲学的ゾンビ的になっているのかとかね。
もしそういうところも科学で証明されたら、
それは僕らは心がないってことになるのかとか、
そういう全然僕ね、額がないんで、
あまりこういうことを偉そうに言うの自体が、
だるい人なのかもしれないんですけど。
せっかくこうしてポッドキャストで繋がっている方々がいるんで、
もしそういう哲学とかあったら皆さん教えてください。
別のポッドキャストで、
なぜ女性は脱毛をするのかみたいな話をする。
脳みそ垂れ流しラジオっていうポッドキャストの中で、
その話があったんですけど、
確かにこれも面白い哲学だなって思ってて、
脱毛、毛を異物として認識しているのかとか、
毛が衛生的に悪いことを暗示しているのかとか、
その脳みそ垂れ流しラジオの中では、
赤ちゃんみたいなね、生まれたては毛が生えてないから、
その状態に若さを追求した結果、毛を脱毛するんじゃないかとか、
あー面白い話題と思って。
今日はなんかちょっとまとまりのない話になっちゃったんですけど、
なんかそういうみんなでウンウン鳴って話せるようなこととかあったら、
ちょっと探してまた話したいと思うんで、
今日はこんなところで、また皆さんもテセウスの船や、
哲学的ゾンビについてちょっと思いを馳せてもらえたらななんて思います。
今日も一人会だったんですけど、
別にダブルくんと仲悪くなったりとかしてないんで、
ちょっとね、子どもの子育てとパチプロの生活のリズムが合わなすぎて、
全然予定が合わなくて。
ぼちぼちまた撮っていくんで、
皆さんも思うところあればぜひ感想などよろしくお願いします。
15:03
ではありがとうございました。