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みもれ真夜中の読書会、おしゃべりな図書室へようこそ。
こんばんは、KODANSHAウェブマガジンみもれ編集部のバタやんこと川端です。
おしゃべりな図書室では、水曜日の夜にホッとできて明日が楽しみになる、をテーマに、皆様からのお便りをもとに、おすすめの本や漫画、紙フレーズをご紹介します。
さて、第63夜となりました。今夜のお便りご紹介します。
ペンネーム、たぬきうどんさんからいただきました。
バタやんさん、こんばんは。
こんばんはいつも楽しく聞いています。
最近、コロナやオリンピックに対する政府の対応や、勤め先、娘の学校の対応などに、何でと思うことが多く、気づくと腹立たしい気持ちでいっぱいいっぱいになってしまいます。
バタやんさんは、お声からすると穏やかそうですが、理不尽なことに行き通りを感じたり、身勝手な他人に腹を立てたりすることはありますか。
そういう時にはどのように気分転換をされていますか。
といただきました。
ありがとうございます。
このすごくわかりますね。
なんでなんでと思うことが多いですよね。
特にこのオリンピックのこととかも、どうしてそうなったみたいなね。
どうして決まったんって思いますよね。
いろんな我慢を強いられているからか、余計に他者に対して厳しくなっているのも、私自身も感じますね。
最近、近所で若い子が部屋に、若くないかもしれないけど、部屋に集まって飲んでいるのか、声がベランダから聞こえてきて、うさいなぁと思ったりして。
前はあまり気にしたことがなかったから、自分が家にいるっていうのもありますし、私だっていろいろ我慢してるのに、みたいな気持ちがどっかにあるのかなぁと思ったりしました。
今夜の勝手に貸し出しカードは、内田達郎さんの邪悪なものの沈め方にしました。
この文庫の後ろの紹介文には、こちらの本をこのように紹介されています。
邪悪なものと対峙した時、私たちの常識的判断や生活者としての論理は無効になってしまう。
そんなどうしていいかわからない状況下で、どう適切に振る舞うか。
とあるんですけど、まさに今みたいな状況を書いているのかと思いきや、こちら2010年に単行本として刊行された本なので、
10年前、10年ちょっと前ですもんね、予言のような書であります。
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さてどんな本かご紹介していきます。
邪悪なものの沈め方とタイトルにありますが、邪悪なものとは一体何でしょう。
先ほど本の紹介でご説明したように、邪悪なものとは、それと関わる時に私たちの常識的な判断とか、生活者としての倫理が無効になるというふうに説明されているんですけど、
どうしていいかわからないってことですよね、折り合うのか戦うのかスルーするのか、いろいろ対応することはあるけれども、
こういう場合にはこうした方がいいというガイドラインがないものだというふうに説明されています。
その邪悪なものとの遭遇は、何もしないでいるとさらに悪くなっていくっていうことであり、
邪悪なものとの遭遇とはどうしていいかわからないけど何かしないと大変なことになるような状況というふうに説明されています。
まさにコロナウイルスとそれに伴って露呈した、いろんなどうしていいかわからないけど退治しないといけない状況。
それぞれが邪悪なものなのかもしれないですね。
内田達郎さん流の邪悪なものとの退治法、対処法、考え方がいろいろと書いてある本なんですが、結構哲学的だったり宗教の話が入ってきたり、
難しい、何度読んでもちょっと理解し、難しい部分もあるんですけど、結論がこの本で最初に書いてあって、
結論から言ってしまうと、私自身の見つけた答えはディセンシー、礼儀正しさと身体感度の高さとオープンマインドということでしたとあります。
ディセンシー、礼儀正しさと身体感度の高さとオープンマインド。 大事なことなので繰り返して言ってみただけです。
さあどういうことかもうちょっと掘り下げていきたいとおもいます。 この本のモラルハザードについて書かれた章で、NHKの元記者によるインサイダーの事件の話が出てきます。
記者の人っていうのは、ある会社が倒産するとか合併するとかを一般の人たちより少し早く知ることができますよね。
それを利用して株を売り返して数十万円の利益を得ていたことが発覚したという事件なんですけど、
金額があまり大きくないからか大した大事件とは扱われていませんでしたが、
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確かに私もメディアに所属しているので、企業情報だったりブランドの投配業を少し早く知ることはできたりしますね。
でもそこで小さく儲けて人生を棒に振るようなリスクは犯さないというか、
インサイダーを疑われるくらいだったら株をやらないっていう周りの人も多い気がします。
そういった手を出そうとすればできる、ちょっとした不正、ちょっとしたってこともないけど、
そして利益が得られることが分かっているけど、手出ししないことって世の中にたくさんあると思うんですよ。皆さんの身近にも。
例えばこの本の中では、高速が渋滞している時の6型倉庫も似たようなことだって書いてあって、
みんながやりたい気持ちはあるけど、禁止されてるからやらないっていうのもありますし、
みんながみんな6型倉庫をしちゃったら、6型が渋滞しちゃうわけじゃないですか。
先ほどの株の例で言えば、その情報を先に知り得た人がみんなそういう行動を取ったら、みんなが儲かるんじゃなくて、儲からないわけで。
そういったことに対してこの本には、こう書かれていました。
自分のような人間がこの世に存在しないことから利益を得ている人は、いずれ自分のような人間がこの世から一人もいなくなることを願うようになる。
みんなが6型倉庫をした渋滞者っていうようなことだと思うんですけど、
それは世の中が自分のような人間ばかりであっても、愉快に暮らしていけるような人間になるということに尽くされる。
それが自分に祝福を送るということである、というふうにこの本に書いてあったんです。
人がやっているずるとか、私は我慢しているのに、私はこんなに頑張っているのに、あの人の方が得してずるい、ひどい、ムカつくみたいなことって結構あるっちゃあるんですけど、
そういうふうに自分のような人間ばかりであっても、愉快に暮らしていける人で自分自身がいるということと、
それが自分に祝福を送るということだっていうのは、なかなか素敵な言い回しだなぁと思いました。
さて、今日はこの内田達郎さんの邪悪なもののおさめ、沈め方から、文庫では解説が名越康文さんなんですけれども、
その名越さんのお言葉を紙フレーズとしてご紹介したいと思います。
どれだけその主張が正しくても、一つの法則に当てはめ、強要しようとすることは邪悪です。
この正しさに相手を染めてやろうと思った時に、たとえ普段その人が良い人であっても、邪悪なものが起動する、とあります。
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結構厳しい言い方だなぁと思ったんですけれども、言ってることは正しくても、正しくない人を非難しているうちに、
自分が邪悪なものの側になってしまうっていうことは結構あると思うんですよ。
私自身も思うところはあるかなぁ。
それを名越さんは、正義の人が権利を主張するとき、しばし怒りとセットになっていきます。
とにかく危険が悪いんですね。周りのせい、社会のせい、国家のせいにして不満を抱えています。
と語っていて、臨床の場では、怒りすぎると、
怒りを原動力にしていたら、自分自身が破壊されてしまうということを繰り返し伝えています、というお話が書かれています。
自分の方が合っているのに、なんでこっちが折れなきゃいけないのか、という気もしますけれども、
怒りだけを原動力にしていると視野が狭くなってしまうということも書かれていて、
名越さんは、機嫌良くいること、明るいニュートラルさという表現をされていますが、
明るいニュートラルさでいることが視野を広げるという意味でしょうか。
内田さんが最初におっしゃっていた、礼儀正しさとオープンマインドにつながるのかなと思いました。
狸うどんさんのご質問の答えに、今日ちょっとなったかどうかわからないですけれども、
狸うどんさんみたいな人がいっぱいいた方が、世の中が幸せ、周りの人が幸せって思えた方が、
人生の祝福、ご自身への祝福だし、自分自身を大切にするということなのかなと思いました。
正しさと怒りがセットになって苦しくなることは誰でもあると思うんですけど、
内田さんと名越さんが言うところ、明るいニュートラルに心のギアをちょっと戻すと、
少し視野が広がって、また違う見方もできたりするのかなというふうに思いました。
今日はお便りありがとうございました。最後までお付き合いいただきありがとうございます。
さて、そろそろお時間になってしまいました。
真夜中の読書会、おしゃべりな図書室は、こんな感じで皆さんからのお便りをもとにしながら、
いろいろなテーマでお話ししたり、本を紹介したりしています。
MIMOREのサイトからお便り募集しているので、ぜひご投稿ください。
また来週水曜日の夜にお会いしましょう。おやすみなさい。おやすみー。