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2022-04-16 20:34

#03 鑑賞の誤り【後編】/ ハイコンテクスト VS ローコンテクスト

意見を言えなくなるこじらせ/愚痴よりも「お焚き上げ」/ハイコンテクストvsローコンテクスト/文字量で見る日米カルチャーギャップ

<今回の内容>
・自分の意見を言えなくなるこじらせ
・優等生っぽい感想を言うという生存戦略
・「お焚き上げ」という自分のご機嫌の取り方
・愚痴を言っても自己嫌悪するだけなのはなぜか?
・ハイコンテクストvsローコンテクスト
・アメリカ人には邪推しない不思議
・文字量で見る日米カルチャーギャップ
・壮大に話を戻してドラマの鑑賞の奥深さの話

00:03
コウホーにも〇〇の誤り、Kayakoです。
Kanaです。この番組は、普段は企業のコウホーをPRとして働く荒沢女子2人が、
コウホーのことや、コウホーじゃないことや、コウホーじゃないことについておしゃべりするポッドキャストです。
はい、前回からの続きです。
今回は何の誤りなのかな?鑑賞?
鑑賞の誤りかもしれないですね。
全然違う話していいですか?
どうぞ。
全然違うっていうか、この話で思い出したんですけど、
コウホーをしてると、あんまり企業を背負っちゃってるから、
ものづくりをしている何百人の人に迷惑をかけるかもしれないとか、
言い訳かもしれないけど思ってしまって、
Facebookとかもたくさんの関係する人とつながってるから、
私個人の問題じゃないっていう感じがすごくしてて、
しかもいつも誰かの気持ちになって、
なんて回答するかとか、回答案ばっか作ってるんで、
そこにあるのは、理想的な回答であって、
私の回答ではないんですよね。
そっちが先にできちゃうんですね。
これって結構しくじりというか、こじらせというか、
根深い問題で、
ただ私それずっと小さい頃からやってきたなっていうのに、
最近気づいたんですよね。
ちっちゃい頃から。
小学校の頃とか、
いい子だねって褒められたいみたいな気持ちが多分あって、
運動会とかあるじゃないですか、
スポーツの誤りになっちゃうかもしれないけど、
全然好きじゃなかったんですよ、運動会。
正直、特競争とかやったって1位取れることもないし、
瞬間的にテンション上がりますよ。
優勝ですとか言われたら嬉しいかもしれないけど、
根本的に応援団とかもそんなに興味がないし、
みんなでそのために準備をするとかいうのも、
暑いしめんどくさくし、
勝ったからってそんなとても心動かされてたかって言ったら、
対してなんですよ。
だけど、イベント終わると必ず感想文書かされるんですよ。
日本だけなのか世界中なのかわかんないですけど、
そこで私はどう書いたら優等生っぽいかなって思って、
賢い子供だな。
自分が書くべきことを考えて書いてたんですよね。
すごいな、その時から。
それで成績が良かったりすると、こうすべきなんだって思って、
結構大人になっていってしまって、
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EDCA回してますね。
自分なりの生存戦略になっちゃってたんですよ。
だから話すというか、自分の意見を言うとかっていうのを、
生の意見を言うみたいなことが詰まってるというか、
詰まりすぎて言葉にできなくなってるというか。
有意識自体じゃないですか。
この誤りを始めようっていうことになって、
何話すみたいなことをかやこさんと話してる中で、
そういう自分にも気づいてきたっていうか。
なんか正解というか、一番求められてる答えを言いそうになるみたいな。
どっちかっていうと、求められてない答えを言おうというか、
求められてない答えを言おうというか、
自分が何を考えてるか話そうって思った時に、
自分が言いたいことを言いたいのに、
言うべきことは何かを考えちゃってるというか、
その思考の癖みたいなのが結構たまってるなっていう。
これは根深いけど、結構それ同じ思いの人多いんじゃないですか。
どうなんですかね。
従業所でそれを求められてくる教育であり社会じゃないですか。
逆に言うと、私ものすごい自分の意見ばっかり言う人なんですけど、
そういう家庭だったんですよね。
親も自分の意見ばっかり言ってたし、
自分がどう思うかみたいなことを言うことをすごく良しとされてきたので、
ありとあらゆるところで自分の意見を言い続けると、
必ず誰かから嫌な顔されるし、
なんかこいつすごい言ってくるなみたいな空気になるし、
良しとされてこないですよ、私がやってきたことは。
そのファンさんが抱えているジレンマなのが、
程度の代償はあれ、みんな結構思っててすぐ言うべきことを探しちゃうみたいなのってあると思いますけどね。
友達関係の会話で会っても、
この人はこう言って欲しいんじゃないかなみたいなのとか。
それがね、優しさから来るんだったらいいと思うんですよ。
相手に合わせてとかだったら。
でも、バル目立ちしたくないからとか、
よく見られたいからとかになってきちゃうと、
生きるの辛くなっていきそうだから、
そろそろいい塩梅を見つけたいなっていう。
確かに。生きるの息苦しくなりそうですね。
そうなんですよね。
かやこさんって仕事をして、人とたくさん話した後って疲れる?疲れます?
物理的には疲れてるんですけど、精神的に疲れることは稀ですね。
でも言えない時あるので、言えない時がすごいです、疲れが。
言えなかった後は、そうじゃない人に死ぬほど言うんです。
さっき何々アップがあって、こうやって言われて、
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でも立場上言い返さなくてファーみたいなことを。
その後はもう3人4人くらいに同じような話をおたきあげですよ。
なるほどね。
ある種、ちょっと踏みにじられた自分の精神をおたきあげして、
それは大変だったねみたいなこと。
私は本当はこう言いたかったって本人に言えないことを人に言って、
おたきあげして、ファーって言って終わります。
それは素晴らしいですね。そうありたいなって思う。
ぜひやってほしい。
私よく一時期人に言ってたけど、自分の機嫌とるのうまいんですよ。
誰か自分のありのままのコミュニケーションが取れない環境にあって、
すごく心が不健全になったと思ったら、
どうやったら自分が機嫌が良くなるかっていうのでおたきあげする。
それが意外と難しいですよね。
誰に、自分の中で習慣ができてるからできるけど、
それこそ多くの人、普通に生きてたら、
やっぱりどうしても本音を言ってはいけない場所みたいなのは増えていってしまう。
私はそういうものだと思っていたんですよね。
もう切り替えて自分を作って、
作ってって言うほど作れてないんですけど、
ただ自分の中ですごい頑張ってる状態で、
終わって帰ってきて、とてつもなく疲れるっていうことを、
結構繰り返して生きてて、
これダメだなっていうのをちょっと30歳過ぎたぐらいに悟り、
まず自分がそんなに、
よく見られようとして作るっていうのを控えめにしようっていうのと、
自分のプライベートの部分のポンコツレベルをもうちょっと増しにしていこうっていうので、
プライベートポンコツなんですね。
ギャップを埋めるのに、っていうのは一つのテーマ。
まだ2022年のテーマが。
これはこの5年ぐらいのテーマですね。
長期プロジェクトですね。
自分がプライベートでポンコツなのは諦めてたけど、
でも別に自分の心配次第ではそれを変えるんじゃないかみたいなことに最近気づいて、
ちょっとポンコツどもを変えていきながら、
あと自分の意見を全部閉じて、
対外的な部分で装いすぎるのもやめていこうみたいな。
いいですね。
世の中の人って愚痴で解消する人も多いじゃないですか。
どうしても本音が言えないっていうことを。
でもかあさんが言ってるのは、
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じゃあ愚痴が言えないとか言うわけでも、
愚痴が言いたいとか言うわけでもなく、
そもそもその発生する根源をちょっと改善していきたいって話じゃないですか。
それはとてもいいと思いますっていう感想。
だからこれ次回に続く話だけど、
たぶん愚痴って言っても全然すっきりしないんですよね。
わかるわかる。
だからさっき言ってたおたきあげも、たぶん愚痴じゃないじゃないですか。
自分はこう言いたかったっていう話。
そうなんです。相手が悪いとかじゃなくて、
機会がなかった私の思いを吐き出す。
だから言えなかった部分を今ドッと喋ってますっていう話で、
何々さんがいいとか悪いとか、
いいはいいんですけど、悪いっていうことはそんなに、
自分のご機嫌とあんまり関係ないと思うし、
言ったところですごい愚痴ってる自分にまたへこむっていう。
そうそう。
それにある程度良識のある人とか、できた人に囲まれていくと、
例えば相手が悪いみたいな愚痴を言ったところで、
ほんとあいつ最悪だよねみたいな反応にならないじゃないですか、おそらく。
だからたぶん愚痴を言ったときってものすごく、
すっきりするような反応が返ってくるわけじゃないです。おそらくね。
そうなるとより自己嫌悪に陥るじゃないですか。
確かに確かに。
周りの人もそんなに賛同してくれるようなことでもなく、
自分としてもやや後ろめたい気持ちがありながら発散した結果、
いい反応ももらえないみたいなことになるから、
何か愚痴ではない前向きなおたきあげをしたいですね。
ときあげ割れながらいいワードしたな。
確かにそれをおたきあげって呼んだことはなかったから、
確かにいいワーディングだ。
こうしてまた柔軟に語彙が増えていく。
より柔らかい人間になれるのではという。
そうですね、それはしていきたいですね。
だから私はよく考えたらきっと世間の人は周りとかに
ちゃんと気を使って言うべきこと言わないべきこととかを
シチュエーションとかに応じて変えてきたのを
常々自分が何を言いたいかとかしたいかとかを
わがままに貫き通してきた結果、そうじゃない場面が
だから発生率が少ないんですよね。
だから逐一おたきあげできるんですよね。
きっと世間で我慢している人ってそんなこといちいち
たきあげてたら煙がもくもくすぎて息すべんわみたいなことになるわけです。
だからたきあげて済むぐらいの量にしとけよってことですね。
そうなんですよ。それぐらいの方がいいじゃないですか。
全員言いたいこと言い合ったら健全。
そうだったの?みたいなことになる可能性あるから。
そうそう、その無理している負の感情が
良くない方向にこじれると多分
もっと良くない現象が起きちゃうから。
12:04
最近気づいたのが
このコミュニケーションの取り方のタイプによって
ただ会話していて感じることが全然違うんですよ。
同じ言葉をやりとりしているんだけれども
例えば私と花音さんがしゃべっていて
2人とも自分がしゃべった言葉を相手がどう感じるかとか
相手が発したこの言葉ってこういう背景、思いが詰まった
この言葉なんじゃないかっていうのを感じ取るし
感じ取りたいと思うタイプじゃないですか。
そこをセンスしながらある種解釈しながら
会話を構築しているんですよ。
でもこれが片方が全くそこを相手がどう思って
発した言葉なのかっていうことは全く感知せず
その言葉だけを取る。
自分もそこに思いとか全く詰めず
本当に言いたいことを言う。
要はハイテキストとローテキストみたいな感じで会話すると
このハイテキスト側がすごく深読みして深読みして深読みして
聞かれるんですよ、めちゃくちゃ。
こういう仕事もしたほうがいいんじゃないとか
あなたもうちょっとこういう仕事もやったほうがいいと思う
って言われたら、ローテキストの場合
本当にその仕事をやったほうがいいと思って
提案なんですよ。
ただの提案。
やったほうがいいと私が思っている話その人は。
でもハイテキストでそれを取ると
私ができてないって言いたいんだとか
もっとやってほしいって要望があるのに
それはあなたが分かってないから今言ってます
みたいなことなのかもしれないとかをどんどん
裏を読むっていうね。
裏を読んで、だから私察せてないんだとか
私思った通りの仕事量とかスピードでできてないんだとか
勝手に責められてやっていくっていうことが
実際起きて、もっとそこを
この人がどういうコミュニケーションスタイルで
どういう思いを込めて言ってるのかみたいなところまで
聞いていくと、その実何も考えてないってことが
明らかになって、この悩んでいた時間みたいな
ことが起きてこないな。
最近の出来事ね。
すごい悩んでて。
いやこの無駄だったなみたいな。
自分の中のある種才能なんですよね。
相手がどう考えてるかっていうのを察したり
自分の言葉の影響とかを察したりって
かなさんも同じ才能あると思うんですけど
それを間違った方向に使ってしまうと
聞きづらくなって
言葉をどう捉えるかとか背景を捉えるかっていうことの
もう一個違うレイヤーで
コミュニケーションスタイルが何なのかっていうことを
考えないと、なんか変なドツボにはまるっていうことが
あるなって思いました。
確かにね。
でも相手がローテキストだって分かっていても
ローテキスト側の人間は
やっぱり傷つくっていう
だから無駄に話さないようにする以外に
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防御する手段はあるんだろうかと思うけど
それもまた話せば長くなるから
ちょっとこの話進みすぎちゃったし
私がハイテキストとローテキストだけど
ハイコンテクストと言い間違いやったって今気づきました。
確かに確かに。
ハイコンテクストとローコンテクスト。
ハイコンテクストとローコンテクストね。
ただの高い文字と低い文字だけ。
コンテクストだけ。文威の話。
それはでもアメリカにいてもよく思いますね。
こっちはローコンテクスト。
アメリカ人だったら思わないんですよ逆に。
殺送とか。発動しないんですよ。
本当に思ってること言ってるんだろうなって
自動的に脳が切り替えるんで
なんか全然邪推しない自分がいるんですよ。
ああ本当そうなんだぐらいの
やっぱ日本人同士なのか日本語同士なのか
そこに何か背景があると思うんですね。
イギリスだと同じ英語でも裏のあること言いません?
そうそうそう多分イギリス人としゃべったら違うと思う。きっと。
そうですよね。
英語でも。
アメリカっていうところ
アメリカに住んでいる人のアメリカの英語
っていうところがポイントなのかもなっていう。
そうなんか
友達が外親って働いていて
でギャップを感じることの一つが
パワーポイントの資料とか
で日本だと図があってテキストがあって
シンプルなんだけど
アメリカだと事例一つ紹介するにも
めちゃくちゃテキストが多いと。
確かに。
あとなんだろうな契約書とかで
いろいろ書いてあるその
両者で守るべきことみたいなのの内容も
めちゃくちゃ訴訟に関する規定とかが
すごくあったりするっていうのもあるけど
とにかくテキストの量が多いと。
で日本語はそんなに多くないっていう。
確かに。
なんだろうなそれはどこから来るかっていうと
英語圏特にアメリカとかだと
多様な民族の人というか
多様な価値観の人たちがそれこそいるから
ちゃんと言葉を尽くして
説明しないと伝わらないっていう
その認識がすごくあるけど
一方で日本人は文脈で察しろよ的な
そういう風潮がすごくあって
だから文字量が減る
ただその分裏にいろんな意味があって
わかんない人からすると
衝撃を受けるみたいな
国際的にやりとりとかすると
日本のテキストが甘くて
変な誤解が生じたりとか
いろいろなことで不利になったりするみたいな
面白い
18:00
話、それはその友達の話を聞きながら
こういう感じで喋って
一旦たどり着いた結論だったんですけど
そういう傾向が逆にあるから
本音を話す話さないみたいなこと一つとっても
文化とかハイコンテクストローコンテクストみたいな
そういうことと結構関わってくることなんだろうな
さっきの、また壮大に話戻すけど
正しく理解する話
配慮するっていう話とかも
多分日本はそんなに配慮して生きてないから
確かにね
そこがちょっと鼻についちゃったりもするし
それを気にしてあんまりコンテンツを
今は風潮が変わってきてるかもしれないけど
日本ではそういうコンテンツの作り方をしてなかったりするから
確かにまだ始まったばっかりですよね
そういう視点で作るっていうことが
だから余計に思うのかもしれないですね
だからドラマっていうコンテンツにおいても
きちんとそれを私たちは配慮していますっていうのを
伝えていかないと
軽んじてるんじゃないかって思われちゃうみたいなことを
もしかしたらすごい気にして作ってるのかもしれなくて
そう考えると深い話だな
目が深いな
種類が多いから気をつけるべき話が
それはありますよね
気軽に持ち出した
And Just Like Thatの話でしたが
いろんなところにつながって面白かった
こんなに話が脱線して壮大に
壮大に戻ってきて
今いい感じだからこの辺で締めようかなって思いました
そうですね
これちょうどいい感じで話せてきたかなと思うので
今日はまたこの辺で終わりにして
次回こんな感じでどんどん脱線しながら
深く長く緩く話していきたいなと思います
はい皆さんガンガン謝っていきましょう
ではまだ見ぬ謝りすなの皆さん
今日はこれにて失礼します
ありがとうございました
ありがとうございます
はい
20:34

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