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皆さんこんにちは、広報にもまるまるの誤り、Kayakoです。
Kanaです。この番組は、普段は企業の広報PRとして働く荒沢女子2人が、
広報のことや、広報じゃないことや、広報じゃないことについておしゃべりするポッドキャストです。
はい、前回からの続きです。
えー、なんか、ちょっと話それるんですけど、猛烈にフラッシュバックしたのは、
さっきも言いましたけど、70歳で祖母が亡くなって、祖母はそれからプラス20年生きたわけなんですけど、
要は、祖父が亡くなって10年後、80歳の祖母は遺書を書いたんですね。
で、私はそれを知らなかったというか、死ぬまで知らなかったんですけど、
半行ぐらいで、私は医者だったんですけど、医者にもなり、家族にも恵まれ、
2人の子供は立派に育ち、孫もできて、本当に幸せな人生でした。
なので、私は、もし病気になって意識がなくなったりとか、動けなくなった時に、
延命治療は一切望みませんっていう遺書を書いてたんですよ。
で、実際そうなったんですよ。
要は何て言うんですかね、自分で呼吸ができないみたいなことになって、
そうなると何をするかっていうと、喉にチューブを入れて、ここからここ、
みたいなことをするんですよね。
呼吸を受け付けるんですよね。
いわゆる延命治療なんですよね。
でも、私はそれはしたくないって書いてた時の苦しみ、
なんていうかもうね、私も表現できない感情でしたね。
おばあちゃんがいなくなっちゃうかもしれない。
でも、おばあちゃんはそんなに呼吸器をつけてまでいきたいとは思ってないみたいな。
だから、どういう風に終わりたいかみたいな話になるんですけど、これは。
でも、10年目のおばあちゃんはそう思ってたかもしれないけど、
今のおばあちゃんの気持ちは分からないだって意識がないんだからみたいなことに。
そうですよね、知る余地もないですよね。
それが昨日書いた手紙とかなりだし、10年前ですからね。
10年前にそう思って衣装を書いたおばあちゃんはすごいと思ったし、
でも10年後にこうなった時に、やっぱり結局迷うみたいなこともあるよなって思って。
いや、そうだよな。
そうだよなって認知症に一度なってしまったらもうね、衣装が書けないから。
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でね、残された方としては、対応する方としては意思が確認しようがないから、
そこで自分たちが決断下すみたいなことは、とてもできないじゃないですか。
結局誰の意思なの?みたいな話ですよね。
そうそう、そうなんですよ。
どうとも取りようがあるから、意思を尊重したとも取れるし、
そこは分からないのに、もうそれで決めつけてやってしまったみたいなことになるから。
関係者全員が同じ認識で合意してたらいいですけど、
そうじゃない時にすごい苦しいことになりますよね。
だからね、いわゆる私の叔父が母の兄ですけど、
うちの母で最終件が割れて、本当にどうするべきなのかみたいな。
割れたんだ。
でも話し合いをして、一緒だったおばあちゃんが最後苦しんで死ぬ人たちをいっぱい見てきて、
だからこそ自分は与えられた命を全うする形で寿命を終えたいみたいなことを願ってたわけだから、
それを尊重しましょうっていう決断を結局は合意してしたんですけど、
なんか苦しいわ、これって思ってましたね。
ちょっとまた別の話で。
いいですよね。
要はもうその日を自分たちが決めたわけですよね、最後の日を。
それ背負えない。
それ背負えないわ。
そういう時がね、来るかもしれない。
本当そう、私一人っ子だから一人で決めるんだなって思うんですよ。
そういう時。
決めやすいけど、ある意味その意見の衝突とかないかもしれないけど、
そういう意味で兄弟意見が割れたかもしれないけど、
一緒に納得いくまで話し合えるみたいなプロセスがあったことは、いいのかなって思うんですよ。
確かに。
私娘一人っ子で、別に自分も一人っ子でスーパーハッピーだったんで、
いいかなって思ってたんですけど、こういう時、本当に老後の話の時に、
例えばうちの夫だったら、今自分が海外にいて、ご両親に何かあった時にいても、
すぐ近くに妹ちゃんがいるので、そんなに不安に思わないけど、
私はたった一人の子供で、今遠く離れたところに両親がいて、
何かあった時にどうしようって思うし、何なら言われるってことですよね。
どうするのって実感の誤りじゃないですけど、言われるから。
こういう時に、子供が何人もいると安心って親視点ではなくて、
あくまで子供側からの視点で、別に私が将来浪水した時に、
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子供がみんなそれぞれ海外にいてね。
5人産んで5人とも海外にいて誰もいないみたいになっても、別にそれは良くて、
子供側が5人いるよねとか、2人いるよねって思ってることがいいんですよ。
自分一人の責任なのにどうのこうのっていうよりは、
助け合おうと思える相手がいる。
相談できるし、もしかしたら何かしなきゃいけないっていう時に
助け合ったりとかね、できるから、それがやっぱり全部自分に来ること。
今、親からどうするのとか、私たちだって若くないのにとか言うのが、
もしもう一人いたらもう一人にも言われたかもしれないけれども、
全部100%バズーカこっち来るから、避けきれないみたいなことになるんですよね。
そうなんですよ。
私もそういう意味では思ってます。
自分はこうならないように気をつけなければなるなって思ってます。
このバズーカを子供に討つっていうことを、どうするんだ私たちみたいなのを、
そこの常識をずっと外していかないと子育てする上で、
別にこの子は私たちの老後を見るために生まれてきたわけじゃないから、
そこは自分たちで何とかしようみたいなのを思うけど、
いざね、いざ自分が老成したらもうわかんないから。
それは。
それこそね、包み込むような優しいおばあちゃんが、
自分が不満ばっかり言うようになるなんて思っていなかったでしょうしね。
本当にそう。遊びに行くたびに私の好物しか作らなかったあのばあちゃんが、
人生についてずっと不満を、本当にヒストリーを語るんですよね。
うちのばあちゃんなんて被爆者なんで、原爆がなかったらみたいな話とかになるわけですよ。
でも今思ったら、そりゃそうだろうと思いますよ。
原爆にあって家族を失うとかいう経験誰がしとんねん、地球でみたいな。
何人しとんねんって話やけど、それを過去の子弟子とかって孫に諌められるの、
いやすぎやろって思うんですけど。
そういうこと言うようになっちゃうし、自分が思ってない反応が返ってくるようになっちゃうんですよね。
そうなんですよ。
きっとね。これは防ぎようがあるのかって話なんですよ。
全然違う話をすると、高齢者って幸福感が高いみたいな話を知ってます?
マジ?今までの話と相反するような結果あるじゃないですか。
高齢者になると自動的に脳が幸福を感じやすい脳になっていく。
今ちょっと調べたんですけど、老年的超越という心理学理論があるらしく、
親しい人の死など論理的に解決できないことを経験することで、高齢者は物質的豊かさに対する関心が減少し、
社会的な地位や役割にこだわらなくなります。
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その結果ありのままを受け入れ、今現在を楽しめるようになるのですって書いてあったんですけど、
こういうこともあるみたいです。
でもそれは、今ですら感じてません?
10代、20代より幸せなんですよ。
本当に恋人が居る居ない、結婚するしないとか、家がどうのこうの、仕事がどうのこうのみたいな、
年収がどうのこうのみたいなことを周りがギャーギャー騒いでるときから、
今ほんと、ほんと、よそはよそみたいな感じになった。
10代頃ね、よそはよそ、うちはうちって確かめられてたのが、
自分でそう思ってましたよね。
なんでなんとかちゃんと、かんとかなのにとかいうことに振り回されてた頃から、
本当にどうでもいいってなってきたときのこの幸福度。
だからこれがどんどん研ぎ澄まされていくんでしょうね。老人になると。
だから老後の対策問題で言うと、脳活性化するっていうことと、
ありのままの自分とか、今を受け入れて楽しむみたいなことも大事なのかも。
幸福になるために。
確かにね、だから意外と希望ある。
だから私たちはやっぱりこのポッドキャストを大事にしていくべきですよね。
確かにね、これが本当に老後になったときに、また老後の誤りみたいな感じで、
何十年か前のエピソード40なんとかで、老後の誤りとか言ってたよね。
うちらみたいなことを言っていくっていうね。
この番組のプロセス自体がそういうことじゃないですか。
確かにね、老後に向かっていくからね。
べきろに縛られてることに謝ってたよねって気づきながら、
その謝ってた自分を受け入れて生きていこうっていう姿勢になっていくような
トークばかりしているから、私たち。
いつもそこに帰結するからね。
そうそう。だからそれを言い続けていくことも、
実は老後の対策になってるんじゃない?みたいなことを思うんですよね。
確かにね。これは言い続けるしかないですもんね、本当に。
そうそう。私たちはますます幸せになっているし、
私たちはますます今を楽しめるようになっているっていう、
そういう実感と共に生きていることを自覚するための番組なんですよ、これは。
毎朝皆さん鏡の前で3回言いましょう。
私たちはますます幸せになっている。
そういうやつありそう。
なんかちょっとやばい自己啓発みたいに聞こえてきましたけど。
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しかしこれは大事なことですね。
やっぱりなりたいババア像もちゃんとありますから、私は。
ナツキマリになりたいなと思って、今断固としてタバコアンチですけれども、
バーさんになったからにはもう何も気にせずにパイプを始めるって決めてますから。
楽しめるのかな。
パイプを吹かすババアになりたい。
キャホキャホとなりながら、パイプを吹かして髪をピンクとかに。
で、もうなんかマリメッコみたいなとか。
で、孫とか親戚とか近所の子供とか全部引きずれてカラオケの大部屋行くみたいなババアになりたいと思ってるんで。
カラオケの大部屋行くおばあちゃんはなんかロールモデルがいるんですか?
それはかやこさん?
ロールモデルじゃないんですけど、実際ね、さっきまで私が話していた母ちゃんは母方のばあちゃんですよ。ずっと笑いでてたのはね。
で、一方父方のばあちゃんですけど、父方のばあちゃんって子供4人産んで、父方だけで孫が11人かな?いるんですよ。
でも非孫に至ってはもう今何人いるかわかんないですよね。うちの娘世代ですよね。
娘世代ですよね。
で、要は親戚で集まりますってなった時に、もうめちゃくちゃなんですよ。人多くなって。
餅つきしますとか、毎年味噌をね、ばあちゃんとかで作ってて、味噌をみんなでつきますとかなった時に、もうその辺子供が走り回るし、なんかもうおっさんはなんかしようし、
ばあちゃんこれどうする?みたいな声とか、どこが飛び交うみたいな感じで。
で、ばあちゃんが亡くなって、じいちゃんも亡くなって、結構親戚付けをしっかりするタイプの、兄弟の絆が深い感じの家族なんで、
じいちゃんの17回期とかまでやったんですよ。17って普通そんなやらんよみたいな。
親戚全員集まって、でっかいとこ借りて、ご飯食べるみたいなので、どんどん増えていきますよね。
それこそ、で、私だって大きくなって、夫と娘が増えていって、もうね、ほんとなんか大宴会ですよ。17回期とか。
もうね、おごそかとか無理なんですよ。子供が泣くし、もう何これーとか、母さんトイレとか言ったりするじゃん。お坊さんがなんかやめあげてても。
親戚同士もね、もう遠慮がないんですよ。私のいとこがうちの父さんとかに、おっちゃん太ったんちゃーんみたいな、何時やるんねーとか言ってるんですよ。
とか、もう額がないからとか言ってる。そういうこととか言い合うような感じですごい心地いいんですよ。
もうそこにはね、マウンティングとか、なんかどう残るとか一切なくて、ただの親戚なんですよ。で、これマジいいってずっと思ってて。
ここに、ばあちゃんじいちゃんを中心とするピラミッドじゃないですか。その空間がね。
もう、なんかもうそこに、ピラミッドの頂点として君臨したいと思って。ばばあとして。
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なるほどね。
じゃあ、何で私が輝けるかって言ったらカラオケから。
なるほどね。頂点に君臨するための道具というかツールというかね。
そうそう。ばあちゃんそこそこ歌うまいみたいな感じになって、あとは本当私の何か預かり知らない流行りの曲とかも適当に歌ってもらって酒飲んでるみたいな。
ばあちゃんまたミユキ歌ってるよみたいな。
そうそうそう。もうこのミユキまたこの歌かよとかね。ばあちゃん何々歌ってとか新しいやつがあったら知るかみたいな。
そう言ったり、それ何々とか未来のyoutube的なやつ一緒に見て一緒に孫と練習するなどしたいね。
なるほどね。
繋いでくれるツールとしてカラオケがね。50年後もカラオケというものがあればいいんじゃないかと思ってます私は。
すごいなあ。なんかあれなんですね。人との繋がりみたいなものの中にどう位置づけるかっていうことを考えてるんですね。
そうですね。コンテンツを享受したいっていうこととまた違いましたね。
そうですね。私の理想はこの前アートの誤りで話したと思うんですけど、私の理想は篠田東郷さんですね。
篠田東郷さん。
篠田東郷さん。
103歳まで生きてわかったことを書き107歳まで生きた人ね。
書道の方ですよね。
そうそう。書画を極めた日本の書道の枠を超えた新しいアートを生み出した人ですけど、本当に最後の最後まで元気に生きてましたし、表現し続けていたし、文章も書いていて。
仕事とか趣味とか超越してアートに生き、それで最後までそれを貫くみたいなの超かっこいいなと思ってて、一番いいなって思ってますね。
かっこいいなあ、確かに。
早く死にたいとか思ってないんで、私超長生きしたいんで、健康に超長生きしたい。
いいですね。
あ、いいね。私ね、今まで言語化したことなかったけど、別に俺40で死んだらいいからさみたいなこと言う人すごい嫌なんですよ。
わかる。
なんかすごい嫌で、別に俺早く死ねばいいと思ってるから、なんで嫌なのかな。
なんか多分ね、今思ったけど、老人が楽しくないみたいな決めつけにムカついたんだと思う。
そうかもしれない。
私の場合。なんか40で死んで別にいいからその先はみたいな。え、なんでその先生きてる人がそんな価値がないってあなたに切り捨てられなきゃいけないのみたいな気持ちだったと思う。今考えてみたら。
なんか価値あるのにみたいな、全然。
長く短く生きたいとか、今を楽しみたいみたいなこととか言うけど、全然長く生きて楽しさの総量を増やした方がいいんじゃないって思ってる。
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長く生きれるし、別に今楽しいし、なんか無駄に長生きしようとか思ってないとか言って。
無駄ってなんでお前が決めるわけ?みたいな感じで、めっちゃ腹立つみたいな。
別に自分はそこに該当しないけど、代表したかのような気持ちになり、なんでお前に無駄と言われないといけないの。
仮にね、たとえ認知症になったりとか、健康を返せるようなことがあったとしたとしても、生きることが尊いみたいなことを、それが無駄みたいな表現はしたくないですよね。
もう本当に本当にしたくない。本当に様々な何かにかける発言ですよ。
本当に。
だからそれはすごい共感。私も長く生きたい。
私爆発の武士とか嫌いなんで。
トート武士の音するから。
吉田松陰とか。
あのテロリズムみたいな生き方はもちろんたくさんの人に良い影響は残したかもしれないけど、やっぱ生きないと思って。
やっぱ物抜き姫もね、生きろですから。コピーはね。生きるんですよ。
戦前戦後みたいな話で言うと、徳富曽宝さんっていう日本記ってのジャーナリストみたいな人がいるんですけど、若い頃は現代にモノモースみたいな論調の新聞とか作ってたんですよね。
なんですけど、戦争中に国に迎合するみたいな記事書きまくって、その後めっちゃ叩かれたりするんですよ。
で、それって戦争で尊く自分の思いを貫いて死んだ人からすると、ちょっと生き方としてどうなの?みたいなことを仮に思う人もいるかもしれないんですけど、
その人の記念館に行った時に、本当に死ぬ最後の1年みたいな時に、自宅の書斎で本を読むのを楽しんでいたりとか、歴史書をまとめてたんですよね。徳富曽宝さんが老後の楽しみみたいなことで。
最終的にいろいろあったんだけど、老後に戦争とかいろいろ乗り越えて、自分の好きな本を毎日読みながら、好きな執筆活動をしてたんですよ。
で、やっぱりそういう未来あるからな、みたいな。
起こり得るんだな、これがと。
そう、だから結局こういうふうな着地をするっていうこともあり得るんだから、やっぱり長く生きないとわかんないよね、みたいなことを思ったんですよね。
確かにね、可能性の道はいくらでもあるから、今見えてるとこだけがあり得る未来だけじゃないですからね。
長く生きないとそんなことわかんない。
で、時代がどうかわかんないし。
ほんとそう、ほんとそう。
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価格反応だからね、環境とね、周囲と自分のね。
で、私は死ぬ直前まで何かを創作しながら、何かを摂取していきたい、みたいなことを思ってますね。
いいですね、確かに。
だって我々もね、この音声配信するなんて、もう数年前ですら思ってなかったわけですから。
思ってなかったですね。
自分たちが。
わかんないですよね、また数年後もしかしたらメタバースで、なんかメタバーサーとして、なんかしてるかもしれないし。
してるかもしれないですね。
そうでしょ、そうでしょ。
だからね、ほんと思ってもいなかった世界線にね、ちょっと何かの出会いとかだけで行ったりするからね。
意外とだから老後、不安めっちゃあるけど、希望っていう意味ではやっぱ未知っていうことこそが不安であり希望なのかなって思いますね。予想できないっていうのが。
今ね、私がマークしてるおばあちゃんが。
マークしてるおばあちゃんがいるの。
最近。
誰ですか、マークしてるおばあちゃん。
いやだからね、オラオラひとりでイグモって、本の感想を読書メーターにも書いたんですけど、
名前が若竹知沙子さんっていう人で、この人は55歳で小説講座に通い始めて、8年かけてデビュー作がオラひとりでイグモを執筆し、その作品が芥川翔取で、
その作品そのまま数年後に、去年の話ですけど、ドイツの文学賞リベラトゥール賞っていうのを取るんですよ。
この後ドイツの文学賞は、ドイツでアジアやアフリカの女性作家の作品に送られる賞なんですけど、日本の作品が選ばれるのは初めてだったんですね。
アジアとアフリカで女性って限られてても関わらず、日本初めて。
だから55歳から小説を練習し始め、書くことをね。そっから8年かけて書いた作品が芥川翔ってすごいじゃないですか。
マジでヤバタニエン。すごい。
これだって思って。
やっぱさ、若くないしとか、もっと若かったらこれ始めたけどなーとか、あるあるじゃないですか、我々の世代に。
もうちょっと若ければこういうチャレンジもしたけど、とか若い人はいいよねとか。
もう全部何さんですか、若竹さん?
若竹さんね。
全部うるせーって感じですね。
55から8年かけて書いたんじゃららーみたいな感じですね。
すごい。
語彙語物でしょ。
小説自体がね、また老人文学なんですよ。
老人文学とか言うジャンル。
ジャンルあるのか知らないけど、内政思考が強そうな桃子さんっていうおばあちゃんがずっと自分語りしてるっていう本なんです。
だから、ほとんど何も起きてないんですよ。表面的には。
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ほとんど何も起きてないの?
ほとんど何も起きてない。
例えば、一日中雨が降っている中、家にいたとか、ちょっと寂しいから病院に来たとか、
時々行く、今は亡くなってしまった元旦那さんの墓参りに行ったとか、
一言で言うとそういう出来事。
それが一編みたいな感じで、その時にその桃子おばあちゃん何考えてたかみたいなことがブワーって書いてあるんですよ。
しかも桃子おばあちゃんは昔東北に住んでたんだけど、東京に上京してきたんですよね。ある時にね。
子供二人で来たんですけど、二人の子供を育ててる間とかも完全に標準語で生きてるんですよ。
にもかかわらず、老後になって子供とかみんないなくなっちゃってから、内政を始めた時におばあちゃんの頭に浮かんでくる言葉は全部東北弁なんですよ。
それが自分の中を巡っていくみたいな体験みたいなことがすごく尊いっていうか、そもそもオラオラで一人生きるってアクセント分からないですけど、
私は私らしく一人で生きていくっていう方言ですね。
なんていうかね、この桃子おばあちゃんが、これはこれで一つのロールモデルだなって思ったんですよね。
自分にとって結婚で何だったのかとか、旦那さんを失うってことは何だったのかとか、子育てって何だったんだろうみたいなこととか、でもやっぱり孫は救えないよなみたいなことを言ってるだけなんですよ。
言ってるだけなんですけど、これ例えばですよ。一つの場所だけ読むと、読んでいいですか?
読んでください。
時間が経てば寂しさなどというものは打ち紙を剥がすように少しずつ解消するはずなのだ。日にちが楽なのだもの。いつかは静まる。
そう思ってごまかしごまかしやってきて何とか克服できたと思った。端からぶり返す痛み。
これは一生もんの痛みであるほどよ。逃げられねえれば。みたいな感じで、寂しい気持ちって時間が経てばなくなるってこともわかってるんだけど、時間が経ってなくなった後にまたぶり返すこともわかっていて、
これってずっと自分は寂しさと向き合い続けなくちゃいけないんだなみたいなことを言ってるんですけど、そういう寂しさ哲学みたいなのがめちゃくちゃ詰まってて、結局人は孤独なんだなみたいな。
でも孤独であることって同時に幸福なことでもあるというか、自由でもあるみたいなことが書いてあるんですよね。だからある種老人哲学みたいなことなんですけど、これって。
最初、東北弁で書いてあるから読みづらいことこの上なかったんですけど、だんだんハマってくるとこの言葉が胸に迫って仕方ないみたいな。
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生々しさがあるかも。
そうそう。これをしかも55歳から勉強して7年で書いたデビュー作なのって思ったら、8年かけて書いたデビュー作なのって思ったらすごいことだなと思って。
すごいことだな。人生に残したって感じしますね。まだ元気でしょうけど。
そうなんですよ。こういうことしたい。私は。
いいじゃないですか。何ならもっと晩年でもいいですよね。老人の気持ち書いてるけど、正直55歳だと8年で63歳で、まだ老人にもはや現代だとあんまりカテゴリーされないと思う。まだ若いと思うんで。
これが70、80でもっとどうなっていくのかみたいなことをリアルに書いたものって確かに文学のみ広いからいっぱいあるとは思うけど。
だから篠原とこさんはそれですね。103歳になってわかったことっていう本を書いてるから。
そうですよね。
103歳文学として。
103歳文学すごいな。
もうそれだけで尊いみたいな感じがありましたよね。
そういうジャンル増えていくのかもしれないですね。老人文学がこれから老人増えて、若い間どう成長するかとか、どう花咲かせるかみたいなことが主流だった文学から、その花をいかに味わっていくかみたいなとか、枯れた後もしなやかに生きるかみたいなことが増えるのかもしれない。
そういう世界を大事に生きたいみたいなのは、日々その気持ちは高まっていますね。
かやこさんの親戚に囲まれてカラオケをしたいみたいなことを、私は一回も思いついてなかったから、逆にそっかって思った。
お互いそっかって。
でも親戚に囲まれてカラオケは毎日できないから、またアナザー理想のばあちゃん像としては、西野魔女が死んだのばあちゃんみたいにありたい。
西野魔女が死んだのばあちゃん。
うまくいってなくて、小学校に行かないってなって、ばあちゃんのところにしばらくおいでって言って、いちご摘んだりとかするわけですよね。
遊んだりとかして、生活とばあちゃんの人としての余裕というか、存在のデカさみたいな、温かさ。
何かを指図してくることもなく、そばにいるという感じがね。
あれもやっぱ、ビッグバザーって感じがする。
西野魔女が死んだ、私小学校の頃読んだ本の中で一番好きだった本ぐらい好きでした。
それ私もあるかもな。
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最後、号泣。
最後は号泣ですね。これ言ったらおしまいなんだよね。
読んでもらう。めちゃくちゃ読みやすいですね、本で。多分数時間で読めるんじゃないですか。
そう、めちゃくちゃ読みやすい。
薄いからね。
映画もあるけど、本で読んでほしいですよね。
そうですね、映画もいいんだけど、風想の自分の中の想像のばあちゃんはそれぞれ違ってて、それがまたいいと思うんですよ。
確かにね。
映画のばあちゃんもいいんだけど、とあなたが描く文章から想像するばあちゃんは私のばあちゃんと違うんだけど、それがそれでものすごく尊いばあちゃんだと思う。
そうなんですよね。だから文字の情報しかないから、わりとあの本を読んで思い描くばあちゃんの姿って多分みんな全然違うんですよね。
そう、そうなの。
だから西野魔女が死んだの場合については、その方がいいんじゃないかなって思いますよね。
ああいうばあちゃんもいいなあ、田舎に住んで、好きなものとこだわったものに囲まれてひままに暮らすみたいな。
でもなあ、田舎に住めないからなあ。
そうなんですよね、虫とかダメだしなあ。あんな毎日植物に詰めたりとか。
植物に詰めたりとか。
ムーミンママとかにも憧れるんですけど。
ああ、ムーミンママね。ムーミンママいいっすね。
丁寧にシナモンロールとか焼いてるから。
そう、キノコ見てどれがどっきのこかわかるとか。
ああ、魔女だなあ。
ああいう魔女的生活はね、めちゃくちゃ憧れるんですけどね。
意外とね、やってみたらなるかもよ。
私も時間できてクッキー焼いたり、この間夏め煮込んでシロップ作りましたから。
ただね、小さい頃クッキー焼いてた話とか聞いたから、なんか地続き感を感じるんですよね。
違うんだよなあって、別に今急になったわけじゃないじゃんみたいなこと?
そうそう、クッキーを焼きたい人生だったっていう回やっちゃったから。
確かになあ。確かにクッキーは別に継続的に焼いてるから。年に1回以上はケーキ焼くからね、私もね。1回だけど。
そうですね。
というか、全然関係ないんですけど、老後の謝りをお便りいただいたんでやろうってなった時に、
なんかどっかでお金の話になるかなと思ったんですよ。老後の不安的な意味で。
なんか一切ならなかったのが我々っぽかったなって思ってます。
確かに。
2000万円問題みたいな話とかなるかなと思ったけど。
言わなかったじゃないですか、その話。
言わなかった。私は別にそこに関しては何も思ってないんですよ。
老後の金問題は、私の中の結論はどういう心持ちでいるかっていうと、考えても仕方ないだと思ってるんですよ。もはや。
今後の金がどれだけ必要かも分からないんですよ、言ったら。そこは不安にしかならないって思ってるんです。
安心できることない。
33:00
それは別に老後の謝りっていうか、老後の心配ではないんですよね。
常に心配?
2年先も3年先も同じように不安だから。
そこに限らないんだ、2000万円問題は。
あと芸術活動してたいっていう話をしたじゃないですか、その背景には自分の作品でお金をもらってたいみたいな浅はかな気持ちもあります。
どこが浅はかなんですか?めっちゃいいじゃないですか。
私だってラジオ番組持ちたいってどっかで言ったし、
佐奈さんは自分のコンテンツで整形を立てたいって。
めっちゃいいじゃないですか。そんなのもどんどん言った方がいいと思ってるんですけど。
こういうことをしてたい。
お金の不安はもちろん常にあるけど、だからこそ会社で働いてお金をもらうっていうことの割合を減らしていかないといけないとは思ってますよね、今から。
そうなんですか?
そうですね。いきなりその初画活動とかできないから。
だから55歳になって小説勤務室に通い始めた若竹さんは一つのロールモデルだなって思うんですよ。
その不安はあるけれども、いつまでも会社員でいられないっていうのは、やっぱり自分の力で整形立てていくっていう路線に行きたい。
70歳になって採用してもらえるかとかで、そこに不安を感じていきたくないじゃないですか。
確かにね。本で年金はもらえないしね。
どうせ生きていくのに十分な年金なんてもらえないじゃないですか。
ってなった時に私で貯金とかできるタイプじゃないし、持続的な収入欲しいな。
しかも投資とかマンション買うとかそういうこともできなさそうだしとかすごい考えていった結果、創作活動しかないんじゃないかとも思う。
かなさん私だってもう最悪その時に世界がどうなってるかわかんないけど、もうちょっと物価が安い国に引っ越して移住するみたいなのもありだなと思ってたけど、かなさん移住あんまりできなそうだから。
ストレス過ごそう。
ストレスすごいでしょうね。
だからそれを思い描いたらすごい早くから移住の練習とかしなきゃいけないから。
だってアメリカ来るのに1年かかるからね。
そういえばいつだっけアメリカ行きますよ来年とか言ったのいつでしたっけ確認しとこう。
もう1年経ってますって言えますよね。
1年経ちましたけどみたいな。
有限実行はどこへみたいな。
うわうわうわもうだってあれ結構序盤だからもう5月とかぐらいじゃないですか。
でもそうなったら会社辞めなきゃいけないから。
会社辞めなくていいから。
辞めなくて休み取ればいいから。
まずそこから考えていかないといけないとなると結構な長期計画ですよね。
いけなくないんでまずもうthink out of boxなんだっけそれで言ってください。
ちょっと辞めなくて大丈夫なんでちょっと休んでもらったら大丈夫。
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恐ろしい話やな誰も消しかけてませんよ退職は。
そうだからそっかーみたいな仕事を辞めなきゃいけないとなると結構ハードじゃないよなみたいな。
なんでなんでなんで。
でも1年あればまあみたいなこととかを考えたりなどしていました。
何を言ってるんだこの人私は何も言ってませんそんなことはやめてください恐ろしい話ですよ。
まあだからって何も関連しなかったけど。
だから移住はそう簡単にはできないとなると。
そうでしょうねやっぱコンテンツだな。
しかも自力で生きてのいちごとか摘んで生きていける気もあんまりしないから。
ジャム煮詰めてパン焼いてみたいなこともそれを楽しめる人生歩める未来あんまり見えてないから。
人生どうなるかわからないですよ。
あのポッドキャスト始めていることだってわからなかったし。
でもね根幹みたいな感じだからなんかポッドキャスト始める結構枝葉の話っぽいから。
やっぱかなさんこそが最新テクノロジーについていてその時のコンテンツを今も今のコンテンツ味をやっているように
それに合わせたものをまた自分でクリエイトしていくっていう。
だから私はそんな感じでかやこさんはカラオケババアになると。
もうずっとこの調子っていう話です。
そうですねずっとこの調子っていう話。
今もカラオケババアではあるから別に。
近所の子供とか連れていかないだけでこのままっていう感じですかね。
それで言ったらお互いにそういうことですよね。
確かにあなたなら今のままでありのままで生きていくという話。
結局ありのままで生きていくという話になりますよね。
それが幸せだし。
そうですね。
だから小美良さんのお二人の老後の不安や希望を謝らないための対策等でいくと多分私たちはずっと謝っていくと。
このまま。
謝るたびに鏡に向かって3回私たちはありのままで幸せって呟くでしたっけ。
ますます幸せになってる。
そうそうますます幸せになってるっていうのをやり続ける。
このままでいくということですね。
でも冒頭とか中でもいっぱい話したみたいに新しい体験をするとかいろいろありましたよね。
そうです。
やっていきたい。
そして楽しんでいきたいですね。
老後とか分けずにずっとこの延長線上で楽しんで生きていくという。
ただそれだけの話なのではっていうことですよね。
そうですね。
あとはもうB健康ですね。
B健康。
B健康。
健康でいたい。
確かに。
BはBEね。美しいだけ。
Bヘルシーで。
ヒップボクシングなどを始められた方もおられるので私も何か健康になるために何かしたいなと思っているということはここに伝えたいと思います。
いろいろな手段がありますから。
はい。
っていう感じでいいですかね。
皆さんこんなんでよかったんでしょうか。すいません。でもトピックのご提供ありがとうございました。
39:03
もらわなかったら扱わなかったであろうことに話すことができてとてもとてもありがたかったです。
面白い機会でよかったなと。こういうこともっとやっていきたいなと思いますので。
いつもご質問ご感想と扱ってほしいトピックはくださいって言ってるじゃないですか。
でもご相談とかでも全然いいですよね。
こういうことについてどう思いますか。このトピックっていうふうに指定してくれなくても私は今こういうことで悩んでるんだけどあなたたちはどうしますかとかどう思いますかとかいうことを
こいつらに相談してもいいかと思う既得な方がいらっしゃったらぜひぜひ。
そうですね。
それをフックに話を反らしまくり1時間喋れますよ多分。
そうなんですよ。それを慣用に受け入れてくださる方。
あれ私の相談どこに行ったのかなみたいな感じで最後ブーメランのように帰ってくるのみで終わるみたいなことがありえるということを聞いてくださっている方はいつも分かっていると思うんですけど。
可能性があります。ぜひぜひそれでもよかったらお悩みも募集しております。
はい。引き続きですね。ご質問ご感想はハッシュタグあやまリスナーあやまはひらがなリスナーはカタカナにてお待ちしております。
お便りフォームもあります。概要欄にリンクを貼っているのでご質問ご感想お悩み話してほしいトピックなどなど何でも送ってください。お待ちしております。
それではまた次回お会いしましょう。
ありがとうございました。
See you later.