働いているケースもあるし、パートタイムのケースもあるし、専業主婦のケースもあったりするんですけど、徐々に徐々に小さな不満がたまっていくっていう場合がやっぱり多い。
で、それの解消手段としてクリエイティビティを使っているっていう話をたまに聞いたんですよ。それは歌歌うことだったり楽器演奏だったりとか、いろんなパターンはあるんですけど、イラストだったりとかいろんなパターンがあるんですけど、それによってその人たちが生きやすさを手に入れているように僕には見えたんですよ。話を聞いていて。女性からも聞いたし、男性からも聞いたし。
これは一体何なんだろうなと思って、実際にクリエイティブな活動をされている皆さんのお話の中からそのヒントを得られればなと思って、それが女性にとっての生きやすさであり、僕ら男性にとっては妻を理解する新たな視点になるんじゃないかなと思ったんですよね。
なんでお話をお聞きしていきたいなって思ってて、漫画賞を受賞された宮河真さんからお話をお聞きしていきたいんですけど、いいですか。
はい、よろしくお願いします。
そもそもなんでこういったシーンというかイラストとかそういったことを始めようと思われたんですか。
私は娘が生まれて、娘のかわいいとか、わーこんなことしたっていうのをSNSで記録的に発信をしていっていたんですね。それでいろんな人から見てもらえるようになって、そこで自己肯定感も固まってきたなっていうのは感じてますね。
あとはその創作する時にやっぱり時間がかかるので、最初アナログでペンで書いてたんで、その時にちょっと娘が泣いたとか、娘が寝てる時に書くとか、なった時に夫が娘の方に今書いてるんだったらいいよみたいな感じで言ってくれるのは私のケアとしてすごいありがたいなっていうので、
泣き頭にされてないっていうのを企画できた、いい機会だったのかなとは思ってますね。
なるほど。いつ頃からやられてたんですか?
娘が生まれて、半年くらいからSNSでやるようになって、なので今はもう6年以上。
長いですね。
そうですね。
お子さん小さな時って結構大変じゃなかったですか?半年だとすごい手がかかると思うんですけど。
もう本当に寝てる時に書いて、本当にその時は何かが起きたとかじゃなくて、本当に寝てる姿が可愛いと思って、こんな寝相だったとか、そういうのを書き込めるだけで心が満たされましたね。
それは満たされるっていうのは、目の前の子供は単純に見てるだけで可愛いと思うじゃないですか。見てるだけで可愛いと思うのをなぜ形として残そうと思われたんですか?
絵っていう手段はやっぱり自分が絵を昔から描いてたっていうのはありますね。
何でしょうね、私がもし歌を歌ってる人だったら、こういう可愛いみたいな歌を歌ったら発散できたのかなというか。
今の感覚では、その可愛いをうまく形にできた嬉しいみたいなのが楽しかったですね。クリエイティブ行為としては。
楽しいっていう喜びみたいなのが大きかったってことは続けていくにあたっては。
そうですね、楽しい。こういう可愛いを私の絵で表現できた嬉しいとか、そんな感覚ですかね。
それによってどういった変化とかはありました?
想像しにくいと思うんですけど、それがなかった人生とあった人生だと何が違うと思います?
何も残せてないんで結構虚しさがありそうです。
可愛いがどんどん、写真には残ってるけど自分の中で何も消化されてない。
物を作って、ご飯を作って美味しいのができたとかそういうのじゃなくて、
あっただけの事象として終わっていく。
どんどん過ぎ去っていく日々って感じで虚しいでしょうね。私は何もやってなかったら。
形としてそこにイラストとか漫画っていう形として残すことで刻まれていくような感覚があるってことなんですかね。
その可愛いと思ったその時の気持ちを結晶化するみたいなそういう感じですかね。
そうです。結晶化して私が研磨して、土台を作ったリングにはめて、
売り物として綺麗に整えれたみたいなのが見られないですね。
あとは子供とかが喧嘩しててもこれはネタにしようと思って見てます。
何でもネタになりますね。
こんなくだらない喧嘩をしてるのはネタにしてしまおうと思って。
喧嘩もちょっとまあまあまあみたいな感じの目線で見ることはできる。
普段の生活がちょっと楽になりそうですね。
そうですね。
今回の第1章、10章のテーマ、レスになりたい妻っていうことで、だいぶ子供が可愛いっていうテーマとはちょっと違うじゃないですか。
違います。
自分の中のつらい思いとかもあるし、可愛い楽しいだけじゃないと思うんですけど、何でこれを書こうと思われたんですか。
多分私は可愛いとかそういうのを作るだけじゃなくて、他のみんなのためになってほしいっていうステージに来てると思って。
私と夫が話し合ってきたことを世の中に出すことで、
もし私と同じ思いをしてる人たちがちょっとでもこういう夫婦がいるんだとかで安心できる人とか、こういうふうな話し合いをしてるんだとかしたらいいんだみたいな感じの、
ちょっとでも未来が明るくなるような話を読んでほしいっていう気持ちが生まれたというか、みんなにこの話を知ってほしいっていう感じになったんですね。
変化してきたんですね。
多分そうですね。作るんじゃなくてもみんなのためのものを作りたいみたいな。
作って満足から1個何か変わりましたね、多分。
それは誰かの人生に手を振れるというか、誰かの人生を変えていくようなきっかけというか。
誰かの人生がこれで良くなってくれると嬉しいなっていう気持ちを書いてます、本当に。
サンゴこれ読めたらまた気持ち違ったと思う、私は。
男性もそうだと思う。
少なかったですよね、多分。私の子は今小3なので、18年前にセックスレスの話っていうのはかなりセンシティブで、ちょっとなかったですね。
今も多くはないけどね。
なんかやっぱりちょっとひどい旦那ディスみたいなので終わっちゃったりとか。
確かに。
心の柔らかいところがあんまり描かれてないものが多いかなって思います。
そうですよね。エンタメとして面白く書こうとしたら、どうしても敵対関係を作ったりしますしね。
僕も男性に読んでほしいなってすごい思って。
触れられたくない妻が触れられたくないっていう背景にはこういう思いがあるんだとかこういった事情があるんだっていうのはなかなか言ってくれないケースが多いと思うんですよ。
女性、妻自身が。で分かんないままなんでなんだよみたいな風になったりとかそういう人も多いので。
そうですね。男性にこそ読んでほしいなと思う。
でもそうか宮河さんにはそういった編成があったんですね。
自分の中のその楽しい子供が可愛い残したい、描きたい、研磨して形として刻んでいきたいという思いから。
誰かのためになったら嬉しいなっていう感覚へと回っていった。
そうですね。
なるほど。他の皆さんはいかがですか?
古井さんと河村さん的にはそのご自身のクリエイティビティのその変遷というかどういったものだったのかと教えていただいてもいいですか?
どうでしょう?
私、何から喋ろうかなと思って。
いっぱいやってるから。
いろいろある。
そうね。
私だけじゃなくて宮河ちゃんも古井ちゃんもみんなそうだと思うんですけど、
やっぱり産後一回全部自分の意思とかやりたいこととか表現したいものっていう次元じゃなくなる。
まず生きる、生かす、回すみたいなのだけが脳内を閉める時期が多分絶対あって、
そこにさらに仕事産後復帰とかしてくると、
自己表現とか自己効力感とかそういったものに触れる、そういったとこまでいかない。
自分の欲望がそこまで考えれないし、余裕もないし、とにかく命を守らねばっていうアドレナリンバンバンみたいな時期が絶対あって、
その中で私は3人目の産後に絵をまた描き出した時期があって、
それまで大学も美術の大学に行くぐらい美術に触れてた人生で、
会社は美術関係ないメーカーに就職したんですけど、
就職してからだんだん絵描かなくなって、妊娠・出産・結婚・妊娠・出産ってまた忙しくなってて、
絵は描けるけど、わざわざ毎日スケッチブック開くみたいなことはしてない日々を送ってて、
10年ぐらいやっぱりちょっと離れてたんですね、絵の世界から。
で、出産・妊娠・出産・妊娠・出産・妊娠・出産って3回やった、立て続けなんですけど、
中学科の間が詰まってるので。
で、まさしく虚無みたいな3年4年ぐらいを過ごした後に、コロナの時期が来て2020年ぐらい。
で、それまで保育園とか預けたり、仕事に行ったりしてて、
ちょっと得られた自分の、俗に言うさっき会ってたんですけど、男性が社会で自己表現を、
何か得てるっていうような、ちょっとあった時短だけど仕事してたみたいなのも全部なくなって、
保育園の、産女の保育園の入園が2ヶ月遅れたりしたんですね、パルに入れなくなって。
で、もう虚無延長みたいになって、白目向いてたんです。
で、どんどんなんか私のツイッターのツイートも鬱っぽくなってきてたから、
で、私の友達が気にして、ピンポンってマスクつけて、ピンポンって玄関口で帰るからって言って、顔見せろって言って、
何?って言ったら、スケッチブックと色鉛筆と水彩の道具を100均で買って、
こんなんしかごめん、買えなかったんだけど、絵描いてって言って私に渡してきたんです、玄関で。
で、私のiPadに鬼滅の刃を全巻ダウンロードして帰ってったんですよ。
流行ってたもんね。
そう、流行ってた当時ね、2020年くらい。
なんで鬼滅の刃あったんですか?
鬼滅を読んで、とりあえず馬にはまって、鬼滅の私の推しを書いてっていう、彼女の欲求ももちろんあって、私の推しを書いてほしいって、
あなた絵描けるの、私知ってんだからっていう気持ちで、絵描いてって言われて、全部読んで絵描けって言われたらわかってほしいって言って、
最初の10巻くらい見せてくれて、その後案の定全巻買って、キーボードでブワーって続き渡して、
全部読み切った、書くねって言って絵描いたんですよ。
子供とか、コロナとか、そういうのじゃない話をキャッキャキャッキャできるのがすごい楽しくて、
やっぱり絵描くのいいなってなって、そこからまた違うゲームのコンテンツとか、ダウンロードして始めたりとかしたんですね。
で、もともと漫画、マニュメント好きなタイプなので、最新のゲームのキャラのこれがいいとか、この人の声優さんはこれでとか、へーとか言って、
中学生ぐらいに戻ったような気持ちで、友達とキャッキャキャッキャして、
じゃあその後ファンアート書こうよとか、お絵かきチャットしようよとか、絵を同時で描いて、
同じ画面に友達とオンラインで遠くから同じ画面で絵描くみたいなアプリもあるんですけど、昔からあるんですけどね。
20年ぶりぐらいとかに友達とイラストを描くっていう行動をして、すごい生き返って、
子供の軸、家庭の軸じゃない私に、久しぶりに気がついた。
そんなとこにしゃがんでたの、私みたいな。
なんか私を見つけたんですよ、そこに。
いたんですね。
ごめんごめん、ほっといたみたいな気持ちになって、すごい心が喜んでるのも分かったし、
転がるように、それまでとりあえず古いiPadとか持ってたんですけど、
全部買い替えて、絵を描けるiPadにして、Apple Pencilを買って、
全部それ友達に聞いて、みんなこれがいいよ、これがいいよ、買うならこれがいいよって言って、
みんな教えてもらって環境整えて、描ける状態にして、
iPadだったら寝かしつけ中の布団の中でも絵が描けるって言って、
マジで?って言って、すごくない?レイはすごくない?みたいになって、
考えらんない。
それもやっぱり紙開いて絵の具出してとかって、場所も時間もあるし、
子供泣いて起きたら、じゃあその絵の具どうすんだ?みたいになるんで、
ツールが進化したのもすごい味方になってくれて、
みんなそうだと思うんですけど、こんなに簡単に絵が描ける、
大きいデータとか、重たい画像のデータも処理できるし、
うわーって言って、またオタクやってると思って、
すっごい嬉しくなって、それで生き生きして、
で、またイラストのコミュニティとかにオンラインで入ったりして、
そこでの繋がりなんですね、古里さんも三岡さんも。
で、こうやって絵を描く私が作った友達、
誰々ちゃんのママじゃなくて、絵を描いてる鴨ちゃんで、
そこに立っていられる幸せみたいなのが、
すごいさらに嬉しくて、みんな描いてるし、
私も描こうみたいになって、どんどん描く創作欲も湧いてくるし、
私両足で、私が立ってるっていう感覚がすごい気持ちがいい。
そうだったはずなんですよ、結婚して子供生まれて、
私が立って、私が仕事して、私が映画見て、私がヨガしてとかって、
私が主語で動いてたのに、いつの間にか主語が子供とか夫とか家族、家庭になっちゃってて、
その主導権を取り戻したような感じ。
マジンガーZの主導権を持った、ちゃんとコックピットに私が座ったみたいな。
私がここハンドル握らなきゃダメじゃん、みたいなのに、もう一回気づいた。
それのきっかけとか、その道具とかとして、
絵っていうフィールドだったら、私しか立て立てないから、
娘がその絵のフィールドに入ってこないわけだから、
その絵のフィールドは私がやる、私が描きたくて描く、描きたくないから今日は描かない。
今日は映画で勉強して絵のことをするとか、
今日はこの絵を描く、この企画に参加するとかって、
全部自分主語になったから、そういうことかなと思ってます。
さっきおっしゃってた、イラストを描いている三宅真ですっていう、
自分がないないちゃんのママじゃないっておっしゃったじゃないですか。
保育園とかにいると、相手を名前で呼ばないことが多い。
知らないことも多いし。
そもそも名前も知らないし。
子供が生まれて仕事がなかったりとか、
働いてなかったりとかすると、そこだけが社会になっていくのかなって思ったんですよ。
ちょっと距離感のある、その距離感がいいっていうケースもあると思うんだけど、
それだけになってしまうと、自分がどこにいるんだろうっていう。
私はここにいたんだっていう。
これが私なんだっていうのを気づかせてくれたのがイラストであり、
そのコミュニティであったりとかしたってことなんですね。
なるほど。そっかそっか。
皆さん3人ともそうですもんね。そこに入られたんですもんね。
そうですね。
そのコミュニティはやっぱり、そのお子さんがいらっしゃる女性の方が多いんですか?
全員が全員じゃないですけどね。
はい、います。女性がだけなんですけども。
いろんな方がいる。
いろんな方がいますけど、結婚、出産してっていう、
女性たちの中で口コミで広まるみたいなところもあって、
あそこ居心地いいよとか同じ立場の人多いよって言って、
ママっていう立場の人が入ってくることが多いかなという印象ですね。
もちろん独自の方もいらっしゃるし、ちょっと年上の先輩たちもいるし、
様々なんですけど。
なるほど。
そのクリエイティビティによって結ばれたそのコミュニティの力っていうのも、
ちょっと後でお聞きしたいんですけど、
その前に古井さんにとってのクリエイティビティが自分の人生に与えた影響の変遷をお伺いしてもいいですか?
私はもうとにかくクリエイティブなことはしてこなかった人生で、
中学高校は美術部でしたけど、別にそれを生業にしたいとは思っていなかったので、
違う医療系に進みましたし、
本当に書くなんてことはしていない人生でした。
本当にずっと。
でも鴨さんも言ってたみたいに、
産後って自分のアイデンティティが本当に崩壊するんですよ。
急に今まで自分の中になかった母親という役割がすごい出てきて、
実際私は夫が転勤族なので、ついていくたびにキャリアも途絶える。
でなると、私が唯一しがんでいたアイデンティティが仕事だったのに、
これが失われて、本当に意味で空っぽにどんどんなっていくんですよね。
やっぱりケアって、子どものケアってもちろん喜びもあるんですけど、
復活しませんかね、ケアって。
なんか私は湧いてこなかったんですよね。
永遠にこう、ケアってこんなに削れる。
果てしないしね。
そう、果てしない。で削れるんだなと思って、
なんか普通にもうお手上げ状態だったんですよね。
人生お手上げみたいな。
こんなにつらい悲惨みたいな気持ちがあったときに、
たまたまそのときに見たゲームのイラストが素敵で、
今は私の時代と違ってデジタルでも絵が描けるって知って、
本当に何の気なしに描いてみたってだけなんですけど、
思ったより楽しくて、
上手く描けるから楽しいとかそういうのじゃなくて、
たぶん2人とも同じような感覚あるんじゃないかなと思うんですけど、
描いてるときだけ何も考えなくていいんですよね。
空っぽっていうか、
もう母親とか妻とか、
自分の年齢とか本当に関係なくない。
私はたぶん鴨ちゃんもミワちゃんとも年齢は上なんですけど、
でも正直2人と話してるときはあんまり年齢関係ないと感じちゃってるというか、
絵を描く仲間として、
同じ目線で話せるっていうのがすごく嬉しいし、
本当に役割から解放されるってことが私のクリエイティビティにとって、
クリエイティビティを選択したっていうんですかね、
やってるときの一番の解放としての喜びでしたね。
役割から解放される。
社会人でもない自分じゃないですか。
それで、そのときはお金を得るとかじゃないし、プレッシャーもない。
平等になるよね、絵の世界だと。
なる、人間になったんですよね。
すごい嬉しくて、
もう一つ良かったなと思ったのが、
私にとって絵を描くって、
さっきみわちゃんが言ってた消化するっていうのと近いのかなと思うんですけど、
違う言語を手に入れたような喜びがあったんですよ。
日本語をずっと話してるじゃないですか、
そうですね。やっぱり世界というのは、
世の中、社会と一回切れてしまう人が多いのか、女性は構造上。
その切れたものをどう取り戻すかっていう方法の一つとして
イラストとか放送配信もそうですし、
ツイッターでつぶやくでもいいと思うんですけど、
自分が主語になれる機会を自分が主語になれる機会を
自分が主語になれる機会を自分が主語になれる機会を
自分で作るっていうことをしないと
世の中から戻りづらい。
自分の言葉で、自分の手で作ったものによって
自分が自分に戻ってくるっていう感覚が
多分あると思うんですけど
何だろうな。
うまく言えないな。でもこれは何だろう。
私、今お話聞いてて思ったのが、すごい私は若い頃
仕事が自分だと思ってたんですよ。仕事こそ自分のアイデンティティになる。
だからしがみついてきたし、頑張ってきたんですけど
たかが出産で亡くなるとか、転勤で亡くなるとか
砂城だったんだなっていうのが気づいて
意外と仕事って救ってくれないんだな、人生を。
結構儚い。儚いですね。豊かにはしてくれるんですよ。
手に入るし満足感も高いけど、意外と
そんなもんなんだなっていう感覚はありましたね。
逆にさっき三浦ちゃんが言ってくれたみたいに
一人の人間としていられた時に接してくれる仲間がいるっていうのは
結構かけがえのないものというか、不思議な感じなんですよね。
自分、イラストを描くという共通点で知り合った人たちと
自分というものを知ってもらって、自己開示を伴う
こういう交流ができて、もしかしたら
人が亡くなって三浦ちゃんや鴨ちゃんと話ができなくなるかもしれない。
でもそれでも自信を持って生きていきそうな気がするんですよ。
二人に出会ったし楽しかったし、この思い出と一緒に生きていけるかもみたいな
そんな感覚はあって、でも仕事は私の人生の思い出にはあまりなってないんですよね。
苦しいというか、お金が欲しい、キャリアが欲しい、頑張りたい、
よく見られたいみたいな、全部偽物だったような
その違いって何なんでしょうね?
仕事によって得られたものと、個人活動によって得られたものの違い
どういった差異が、それを砂の城とコンクリート
もしくはウッドハウスという素敵な家と分けるものへと
なっていくんでしょうね。
私勝手に今思ったのが、仕事ってその箱の中に入って
いるんですよ。やり合ってね、みたいな感じで
学校とか、ママともも同じ年代に生んだ子たちだから
ママともさん仲良くなってね、みたいな感じだと
そこまで作り上げてきても、その箱から出ちゃうと何もないというか
絵っていう私たちがやってきたイラストは、自らそこに行ったんですよね。
勝ち取ったものというか、やっぱりそこに自ら
行ったものには、そこに行くまでにやっぱり
いろんなものを犠牲にしたり、生み出したり
思い出深い行動だったりもあるから
そのステージから降りないじゃないですか。
自分転勤したからとか、子供が生まれたからといって
そのステージからはもう自ら降りようと思わないといけない
限り降りないので、消えないよね。
だって私が作った、私にしか結びつかない作品だからね。
だからなのかなと、そのママともとかじゃなくて
クリエイティブな行動で満たされるのは
箱がないっていうのは伝わるよね。
いい表現かも。箱に出られたなと思ったりとか
本当に大事すぎて固執してたけど、案外蓋を開けたらすぐ出れるし
脆かったりするし、引きずり出されることもあるし
あっけなく終わっちゃったりもするから
箱の中で作った人間関係って結構脆かったりするけど
一個人で絵を小脇に抱えて握手をした友達とは
やっぱりそう簡単には切れない。この絵はずっと抱えていくしね。
この作品、絵とか表現とかは切っても切っても切り離せない。
私だから。それはずっと背負ってるから。
それを背負って直に握手した人っていうのはやっぱりかけがえがない。
私とその人がさっきの平等につながったっていう
信頼感がありますよね。
職場の人でも
自分の好きになって2人で出かけたりとか
そういう関係性を築いていった人は違う職場になって
今でも新しいイベント出たねとかいう話をしたり
本当に3年以上経ってから連絡して
あの頃と同じように会話が始まったりとかするんで
やっぱり違うのかな。
なんかすごい苦労を共にした人だったりとか
特別な絆があったっていうことですか?
そうですね。その人は本当に何でも興味があって
私も何でも興味がある人だったんで
本当に1日電車乗り放題で見知らぬ駅に降りてみようとか
ボードゲームカフェに興味があるから行ってみようとか
3ヶ月に1回ぐらいのペースで行ったりとか
そういうことをしてどんどん関係性は築き上げていったのかなと
私と彼女だけの関係性っていう大事なものは
なくならないのかなっていう
クリエイティブとはまた関係ないけど
会社とは関係なく1対1の繋ぎだったってことですかね?
いやすごい分かるなと思って
今の三浦花音さんの1対1の繋がりの話と
鎌目さんの作品に関わりと拍手をした人を忘れない
その人と私との繋がりだっていうのはすごい分かって
僕の話をする回じゃないんですけど
どうしても話したくて
作られた箱っていうのがすごく脆いものだなって感じてて
僕が初めて就職した会社は五福屋で
1年半後に潰れたんですよ
8月31日にファックスが届いて
明日の午前9時に倒産しますっていうファックスが届いて
店長は大変やって大変やでやって潰れるでや
で次の日お客さんからも電話がひたすらかかってきて
お前のとんねんみたいなうちの肝の肺を用品してや金返せみたいな
探しがあるみたいな
囲み販売とか悪いことをしてたお店があって栽培になって
印象悪くなって業績に落ちていって
会長がシンガポールに高飛びしたんですよ
その会社は明日で潰れますってサインして
飛行機に乗ってシンガポールに行っちゃって
その後に定職した会社で
僕は9ヶ月でクビになって
その次に就職したところでは長く続いて
また自分の意思で辞めて定職して
そこも多分1年たらずぐらいで
クビになるか給料3分の1になるかどっちがいいって言われて
その頃二子妊娠したんでちょっとダメだなと思って
辞めてまた定職した
それがあるんであんまり会社っていう組織を全然信用できなくて
その中で
東京に出てきてからいろいろと定職を重ねる中で出会った
取引先の人とすごい深いつながりができて
その人を経由して定職を最後していったんですよ
うちにおいでよって言ってくれて
僕があちこち点々としても声かけてくれて
その人と宮川さんがおっしゃったみたいな
その人たちのコネクトが存在して
同時に僕のポッドキャストも
僕の名前で発信してるじゃないですか
どっかの会社に雇われて喋ってるわけじゃないんで
僕が言いたいと思ったことをひたすら喋り続けてるだけなんで
それだけなのに皆さんこうやって集まってくれたじゃないですか
話したい夫婦関係っていうすごいニッチな話を
僕が深掘りしたいがために話してるだけのチャンネルで皆さんこうやって2回も来てくれて
それを思うとなんか不思議な気持ちになるんですよ
さっきお二人がおっしゃったこともよくわかって
一対一のつながりの強さみたいなものがあるんだなって思って
距離を超えて性別を超えて僕らはつながってるんだなって
思うんですよね
ちょっと僕の話になっちゃったんですけど
そんな気がするんですよ
だからわかるなと思って
皆さん自分の活動を続けていく中で
続けづらいなとか大変だなって時期ってあったりしたんですか
お子さんの育児でなかなか作業ができないとか
プレイテーブル活動の中での壁があったりとか
っていうのって何かあったりとかするもんなんですか
そうですね
ナチュラルに家族に合わせちゃってるんじゃないかなと思います
皆さん仕事時間を年収するのに
家族に合わせちゃって
出勤しろって言われたら厳しいと思うんですけど
在宅ワークなので
家族にフィットして働く方が成立しちゃってますね
在宅勤務
私が前働いてたところはすごい福利構成が良くて
二人目は出産してから復帰してほしいっていう話を
やっぱ往復に3時間かかったら一勤して
仕事働く時間もすごい少なくなって
出勤やめざるを得なくって
本当に3時間かけて行ったのに3時間働いて帰ってくるみたいな
もうこれ意味あんのかなみたいな感じになって
一本でどうにかやったり
その頃ブログを開設したんで
少しずつ関連者数も増えてきたりとかして
夫に言って夫はそれをやりたいならいいんじゃないっていうので
了承は得られてそういう部分では
夫の家族での理解を得てるのはありがたいなとは思います
でもちょっとこれは愚痴なんですけど
私たちが自然と家族に合わせて働いたりとか
趣味をやったりしているっていうことの
ありがたみみたいなのは夫はまだ分かってないだろうなっていうのは
ナチュラルに私たち努力に乗っかってきてるなっていうのは
思いますね
ヤッカイな趣味だったらどうします?
雪山でスキーをしなきゃ気が済まない人とかいるじゃないですか
カナダに行きたいとかっていう人いるし
家でただiPadで絵を描くだけで満足してくれる趣味を
持ってくれたとかに感謝してほしいというか
それはちょっと思いますね
ヤッカイ素振りがあるんですか?
分かってないだろうなっていう
もしこれがすごいお金が必要な趣味だったら
そういう人もいますよね
とにかくバッグ買いたいとか
新作の化粧品をひたすら足から揃えないと気が済まないとか
そういう風に思います
愛依さんが話を聞きましたが
夫婦関係がうまくいかなくなった女性が
そういった何らかの活動に
そこが掃き口というか逃げ道というかになりやすくなるケースも
あるにあると思うんですよ
開け口の逃げ先として 何かイラストをやるとか歌を歌うとか
何かものに没頭していく
没頭しすぎるがあまり 夫との距離がさらに深まってしまう