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2024-02-05 27:40

#544 妻を家政婦として見ていないか?

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夫婦関係に悩む男性はこう言う。

「妻を一人の人間として見ていなかったのかもしれない」


夫婦関係に悩む女性はこう言う。

「私はまるで透明人間のよう」


あなたは自分の妻を家政婦として見ていないだろうか?


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サマリー

夫婦関係学ラジオでは、妻を家政婦として見ているかどうかについて話しています。育った家庭環境や社会規範の影響から、男性が妻の家事や育児に疑問を持たず当然のことと思ってしまうケースがあることや、産後の役割分担の結果、女性の方が赤ちゃんの面倒を見やすくなることについても説明しています。産休や育休を取るたびに、評価がゼロに戻り、経済的援助者としての役割を果たすのに時間がかかりすぎると感じたり、家事と育児と仕事の頑張りすぎでパニック障害や鬱になる女性も多く、夫婦関係では自分たちにラベルを張り、夫が経済的援助者、妻が情緒的援助者という役割分担をしてしまうことがあります。夫婦の対話について話し合い、自分たち2人だけの夫婦像を作るための答えを見つけることが重要です。

妻との関係の悩み
妻との関係に悩む男性はこういう。妻を一人の人間として見ていなかったのかもしれない。
夫との関係に悩む女性はこういう。私はまるで透明人間のよう。家事育児、ギャリア、性の問題、夫婦になることで生まれる様々な葛藤をどうすれば僕らは乗り越えられるのか。
アツの夫婦関係学ラジオではそのためのヒントをお送りします。今回は、妻を家政婦として見ていないかということについてお話をします。
この放送がいいなと思っていただけたら、いいねやフォロー、SNSやリアルでのシェアをお願いいたします。
この話はですね、いきなり言われても、何?どういうこと?って思うかもしれないんですけど、
夫婦関係に悩んでいる男性の話を聞いているとよく出てくる話が、
すごい話を深掘りして聞いていくと、実は妻のことを家政婦のように見ていたっていう話が結構出てくるんですね。
家政婦って言うと、お前そんなことやってたのかよ、そんなふうに見せたのかよ、みたいに思っちゃうかもしれないんですけど、
意外に自分の本音を深く掘っていくと、そういうふうに妻のことを軽く見ていたというケースが結構あったりするんですね。
なぜこれが起こるのか、どうすればいいのかということについて話をしていこうと思います。
最初にどういうことなのかという状況について説明をすると、妻を家政婦として見ているという状況はどういうことかというと、
男性が外で働いて、つまり経済的役割を得るということですね。
男が働くと。女が中で働く。家の中で働く。家事や育児を担当する。
つまり男性が経済的役割を担っていて、女性が情緒的役割を担っている。
こういうふうに経済と情緒でパッカーンと切りに分けている状態のときに、男性は自分の妻のことを家政婦のように見ているケースがある。
つまり家政婦として見ているというのは、もうちょっと細かく言うと、
妻が家のことを、家事や育児を全て妻がやることに何の疑問も抱かないという状態ですね。
え、なんでそんな文句言うの?当たり前じゃん。君の仕事じゃん。君の担当でしょ。なんで文句言うの?
そこに何か感情があるわけっていうふうに思っちゃうわけですよ。
家事や育児を妻がやることに対して、ちょっと疲れたなとか、嫌になっちゃうなとか、ちょっと夫になってほしいなとか、
不安としたそういった気持ちが、その行動に対して付随しているって認識してないんですよね。
何の感情も伴わない作業でしょ。皿を洗ったりとか、洗濯したりとか、風呂を洗ったりとか、
子供をお風呂に入れたりとか、食べさせたりとか、そういった行動っていうのは、別に何かそんな大変とかつらいとか嫌だとか、
何かそんな感情は別に伴うわけないじゃん。だって仕事なんでしょ。
家政婦だったら別にそれも文句言わずにやるじゃんっていうふうな認識に頭の中になっちゃってるっていうことが意外とあるんですよ。
男性はね、いやいや俺はそんなことないよ、そんなこと思ってるわけないじゃんって思うかもしれないんだけど、意外にあったりするんですよ。
これ何でなのかっていうのを細かく話していきますね。
育った家庭環境と社会規範の影響
大きく分けると2つの理由によってこういった事象が発生しやすくなるんですね。
1つは育った家庭環境の影響と社会規範からの影響。
育った家庭環境からの影響は、よく家族社会学とかで言われるのが、原家族っていう呼び方をするんですね。
源の家族とか、原因の源の家族とかっていうふうに書いたりするんだけど、どういうことかっていうと、
簡単に言うと、自分が生まれて育った家族のことを原家族って言うんですね。
人はその原家族からの影響を強く受ける生き物なんですよ。
例えば、よく引き合いに出されるのが、自分の家が株徴生傾向が高くて、自分の父親とかおじいちゃんとかは育児は家事をしていなかった。
自分のお母さんとかおばあちゃんは家の中でそれらを全て担当していたと。
だから自分が結婚した時に家事をしなかったりとか、子供が生まれた後に育児をしなかったりとかっていうのは別に何の疑問も抱かない。
だってそういうふうに学習してきたからって。
そういうふうに多種の行動を観察して、模倣して、モデリングして自分の中に取り込んでしまった結果、それが当然のことだと思ってしまうという現象が起こるんです。
これは良いも悪いもなくて、そういうふうにできているんですよね、人間っていうのは。
これが育った家庭環境からの影響。
もう一個は社会規範で、これはですね、以前ご出演いただいたイラストレーター古井さんの回でも出てきましたよね。
古井さんご自身は、自分の両親は夫婦が協力し合って家庭を作っていた。
だけど自分は専業主婦となった時に家庭のことをやらなきゃって、家事育児自分がやらなきゃって思ってしまった。
それは社会からの無言のプレッシャーというか規範というか、そういったものを感じ取っていたっていうことをお話しされていました。
一方で古井さんのお父さん達也さんは、自分が育った原家族が過不調性傾向が高かったので、特に疑問を抱かなかった。
そういった家族環境に対してですね。
こういったように知らず知らずのうちに、良い悪いとかじゃなくて、知らず知らずのうちに自分が育った家庭環境とか社会規範から影響をどうしても受けちゃうんですよ。
その影響を自分たち夫婦の在り方に盛り込んでいきやすくなっちゃうんですよね。
これは僕もあるんですよ。
僕の家の場合はちょっと特殊で、僕の母は一人っ子だったんですね。
一人っ子だったので、その母のとこに僕の父が無婚入りしてきたんですよ。
嫁入りじゃなくて、無婚として入ってきて苗字を書いて、私の家に来たわけですね。
私の家っていうか、僕の祖父母の子供として養子というか無婚入りという形で入ってきたっていう、
珍しいと思うんですけど、無婚入りしてきた父親だったんですよ。
なので権力が全然なくて、パワーが全然なかったわけですよ、家の中で。
一番パワーがあったのが僕のおばあちゃん、その次はおじいちゃん。
その下に僕の母と父っていう、たぶん同列だったと思うんですけど、
っていう感じがあったんですよね。
なので僕はたぶんそういった家庭環境の影響を受けてたと思うんですよね。
なので過不調性傾向とか僕は引きつかなかったんだけど、
女性に対する意見を聞かなきゃっていう、脅迫観念みたいなものを植え付けられたのは、
産後の新しい役割分担
たぶん祖母の影響が強かったんじゃないかなって思うんですよね。
僕の話はいいんですけど、そういうふうにいろんな夫婦像への影響を、
自分が育った家庭環境から受けるわけですよ。
これを聞いているあなたの家族のこともよく思い出してもらいたいんですけど、
自分が育った家庭、どんな感じでした?
自分の両親、もしくは祖父母と一緒に暮らしていたら祖父母の夫婦像とか、
一番分かりやすいのは自分の両親だと思うんですよね。
自分のお母さんとお父さんがどういったコミュニケーションを普段とっていたのか、
自分の中の役割はどういうふうに分かれていたのか、
もしくは分かれていなくてどういうふうに混ざり合っていたのか、
よく思い出してもらいたいんですね。
おそらくそういった夫婦像の影響を自分たちの夫婦像にも盛り込んでいる部分が
ちょっとあるんじゃないかなと思うんですよ。
というのが一つ目ですね。
一つ目に関しては、産後の新しい役割分担の結果、
仕方なく男が経済的役割、女性が情事的役割に分かれてしまったというケースもあったりします。
これは最近よく聞くんですよね。
子どもが小学生に入ったあたりで、仕事を辞めざるを得なくなったり、
キャリアダウンせざるを得なくなった女性の話を結構聞くんですね。
リアルな友人とかから。
どういうことかというと、子どもが生まれる前は、
夫婦が同じイーブンな立場でコミュニケーションを取っていた。
夫婦って、今更女性が家に入って専業主婦やるとか、
そんな時代じゃないから、一緒に稼いでいこうぜ、一緒に働いていこうよというスタンスが今多いと思うんだけど、
子どもが生まれた後に結構関係性が変わりやすくて、
子どもが生まれましたと、赤ちゃんのイベントは誰が見るんですか?
もちろん2人で見ますよと。男性と女性、夫と妻が同時に見てきますよと。
だけど、女性は出産時にオキストシンが爆発的に分泌するんですね。
子宮口が開く時にバーンと分泌されるんで、
あと授乳する時とか、子どもを抱っこする時とか、
そういった子どもと赤ちゃんの関わる度にオキストシンが分泌されて、
子どものことをもっと面倒見たい、大事にしたいって本能的に思うようになるんですよ。
そういう風にプログラミングされてるわけですね。
だけど男性は、子どもが生まれたからというと何も変わらないんですよ。
別に自分の子宮口が開くわけじゃないんで、
オキストシンは肉体的に分泌するような仕組みになってないんですよ。
子どもの面倒を見て、授乳をしてあげて、
寝かしつけをして、抱っこをして、泣きやませてっていうそのケアをやらないと、
女性と同じぐらいのオキストシンは分泌されないんですね。
なので、スタート時点で判例があるわけですよ。
女性の方がオキストシンが分泌されやすくなっているから、
赤ちゃんの面倒を見たい男性よりも思いやすくなっている。
そして男性も妻が見た方がいいのかもしれないと思ってくる。
これがちょっとずつ後から往復を引いていくんですよ。
子どもが生まれて産休を取るじゃないですか。
仕事休みました。
休休を取りました。1年間取りました。
2、3年働きましたと。
産休休休を取ったタイミングで評価が下がるんですよ、大体の会社って。
会社のときは違うと思うんだけど、僕が知っている範囲の会社だと、
産休休休を取ると評価が2段階ぐらい下に下がるんですよ。
そうなると出世の道が遠くなるんですよね。
今まで積み上げてきた評価が一旦下に戻されちゃうわけですよ。
もう1回積み直さなきゃいけないんですよ。
川辺で石を積んでいて、子どもが生まれたら全部石がグルグルと崩れちゃって、
また1から石を積み上げていかなきゃいけないという状況になるわけですね。
これが子ども1人だけだったらいいんですよ。
僕、都会で子どもが1人しかいない人が多いのはこのせいだと思うんですけど、
子どもが1人だけだったらその後また積んでいけば出世の道は開かれていくけど、
子どもが2人生まれたら、もう1人生まれたら、また評価が下がるんですよ。
役割分担の理由
1人目が生まれて仕事を復帰して、2,3年かけてちょっとずつ評価を貯めていった。
だけどそこでまた妊娠した。
じゃあ産休を取ります。育休を取ります。また評価がゼロに戻るんですよ。
また下に下がるわけですね。
そうなるとまたそこから積み上げていかなきゃならないわけですよ。
この期間、4,5年、5,6年ぐらいあるわけですよね。
その間に自分より若い子とか自分の部下だった子たちが出世していくわけですよ。
それを見ていると、ちょっと時間がかかりすぎるなと、
経済的援助者として私が妻が役割を演じるにはちょっと時間がかかりすぎるし、
慣れないかもしれないって思うようになるわけですね。
もしくは、僕の知り合いでも何人かいますけど、家事と育児と仕事と、
頑張りすぎてパニック障害になったとか鬱になったりするっていう女性がいるわけですよ。
そうなると戦線離脱せざるを得ないですよね。
経済戦線から離脱せざるを得なくなるわけですよ。
旅活など産休休休の影響で評価が下がるから出世も遠のいていく。
だったら夫に頑張って働いてもらって、
夫が出世していっぱい稼いできた方がいいんじゃないかなっていう考え方にも
なりやすくなってくるわけですよね。
これが産後の新しい役割分担なんですよ。
結局元の拡張性的な考え方になってはいるんだけど、
最初のスタートは違うんですよ。
最初は2人で一緒に頑張っていこうぜっていうスタンスだったんだけど、
子どもが生まれて産休休休で出世が遠のいて、
夫がたくさん稼いだ方が周りがいいかもしれない。
仕方なくそういった道を選ばざるを得ないってことは結構起こってるんですよ。
30代40代30代後半とかになってくると、
そういう話は結構増えてくるんですよね。
こういった2つの理由によって、
男は経済的役割を演じ女が情緒的役割を演じる家庭内において、
といった役割分担が生まれやすくなってくるんですね。
それによって、いつの間にか夫婦は、
自分たちの役割にラベリングをするんですよ。
さっき僕が言ったみたいに、
夫が経済的援助者、
妻が情緒的援助者っていうふうに、
ラベリングを自分たちにするんですね。
無意識に行われていくんですけど。
このラベリング何かというと、
ラベリング理論というラベリングセオリーというのがありまして、
ノースウェスタン大学社会科学部教授のハワード・ベッカーという方ですね。
ハワード・ベッカーという方が結構古い本なんですけど、
アウトサイダーという本に書かれていて、
これ犯罪者の話なんだけど、
犯罪行為というのは、犯罪行為者じゃなくて、
主意がそういうふうにラベリングすることによって生まれる
というふうに本の中で書いたんですね。
ちょっとわかりづらいと思うので、例を言うと、
例えば犯罪というのは、知能姿勢とか、育った環境とか、
人種とか、それによって規定されるわけじゃないんだと、
今まではそういうふうに言われてきたと。
環境を変えればいいというふうに言われてきた。
だけどそうじゃないんだと。
黒人に犯罪者が多い、黒人は犯罪をしやすい、
そういったラベリングをすることによって、
被捕される黒人が増えている。
ということは、そういうふうにラベリングを張ることが、
逸脱者を生むんだ、犯罪者を生むんだ、というふうに主張したんですね。
最近のブラックマターライブスでしたっけ、
数年前の活動がありましたよね。
黒人の人種差別がすごい燃え上がった時期がありましたけど、
それに対する反発もすごい燃え上がりましたよね。
あれがまさにこれだと思うんですよ。
ラベリングした結果、黒人の逮捕者が増えてしまったというのが、
アメリカで話したけど、あるんじゃないかなと思っていて、
ラベリングセオリーが入っているんじゃないかなと思っています。
現地にいるわけじゃないから詳しいのは分からないけど、
これが夫婦関係においても行われているという話なんですね。
ラベルを張られた人は、そのラベルのもとに
アイデンティティと行動パターンを形成していくと言われているんですね。
つまり男性が自分に対して経済的援助者、
ラベリング理論と思いやすさ理論
俺は稼いでくる人間、俺は外で働く人間というふうに
自分にラベルを張ることによって、
ますますそういった行動を増長させていくわけですよ。
逆に家の中のことをやらなくなるという現象も起こりやすくなってくる。
なぜなら、俺は経済的援助者だからだと。
俺は上司的役割を演じているわけじゃないんだと、
自分にラベルを張っているからですね。
女性の場合も同じで、
自分に対して上司的援助者というラベルを張っていることによって、
家の中のことを自分はやらなければいけないと、
これは私のタスクなんだというふうに思い込みやすくなって
自分を追い込みやすくなってくるわけですね。
こうやって男性は、ひどい言い方をすると
ATMというラベルを自分に張る、他者も張る、妻も張る。
女性は家政婦というラベルを自分に張る。
夫も妻に対して家政婦というラベルを張る。
ATM、家政婦、この2つのラベルを夫婦がお互いに張っているということなんですよ。
2人が同時に張っているという状況ですね。
このようにして、いつの間にか男性は、
妻のことを家政婦として無理をなっていくわけです。
じゃあどうすればいいのかということですよね。
それは分かったと。じゃあどうすればいいかというと、
まず気が付くことが大事で、
夫婦関係につまずいてしまったならば、
まず自分は妻のことをどう定義しているのか
というのを考えることが大事なんですね。
自分は妻のことをとても大好きだと、大事だと思っているんだと。
俺はそう思っているんだ、本当に思っているんだって思うかもしれない。
確かにその気持ちはあるんだと思うんだけど、
心のどこかで妻のことを過論じていたいとか、
家政婦として見ていたいとか、
そういった感情がどこかにあるんじゃないかなと思うんですよ。
妻との関係につまずいてしまったという方たちの中には。
もちろんない方もいらっしゃると思うんだけど、
そういうケースもあると思うんですね。
なので自分の心の中に深く深く降りていって、
自分は一体妻のことをどう定義しているんだろうか
って自分に問い直す必要があると思うんですね。
これってすごい恥ずかしいし、情けなさも感じると思うんですよ。
そんなわけない。俺がそんなことを思っているわけがないと。
そういうふうにカッコつけてしまうこともあると思うんですね。
カッコつけて自分の本音を出せないということもあると思う。
誰かと話をしても出てこなかったりすると思うんですよ。
どうしても恥ずかしさ、情けなさからどうしてもカッコつけたくなっちゃうから。
だから何か紙に書き出してみたいとか、
自分がストレスを感じていない状況で自分で自分に語りかけるとか、
散歩をしながら考えてみるとか、
延々と自然の中を歩きながら考えてみるとか、
紙に書き出してみるとかすると、
自分の本音、自分が妻をどう定義付けしているのか、
ということが見えてくるんじゃないかなと思います。
次は、なぜ自分は妻をそのように定義付けしているのか、
例えば妻のことをなぜ家政婦として定義付けしているのか、
ということを考えるということなんですね。
これは541話、思いやすさ理論の中で話をした、
燃料に通じる話でもあります。
夫婦関係の思いやすさというのは、
3つのポイントによって変わってくるという話でしたね。
燃料と熱と酸素ですね。
この燃料というのが自分が形作っているものなんですね。
家庭環境、過去の恋愛体験からの学びとか、そういったものですね。
そういったものから影響を受けて、
自分は妻をこのように定義付けしているのかもしれないと考えるということですね。
それは冒頭に、最初の方にもう一回お話をした、
子どもが生まれて、妻が主な育児の担い手となった。
自分の家族ももしかしたらそうだったと。
それによって自分は経済的演じ者としての役割を演じることを
自分で選択したのかもしれない、無意識のうちに。
というふうに自分を形作っている燃料、
自分が妻のことをこのように定義付けしている理由は何なのか、
自分の心と向き合う
ということを考えるんですね。
それがわかったら、次にどうしたいのかということを決めるわけです。
自分たちはどうなりたいのか。
妻のことを家政婦として見続ける人生を生きていきたいのか。
それによって妻から恨まれ続ける人生を生きていきたいのか。
いや、そうじゃないと。
自分たちは思いやりを与え合えるような関係になりたい。
自分たちは思いやりを受け止め合えるような関係になりたい。
自分たちは愛し愛される関係になりたいんだ、例えば。
そういうふうに自分はどうしたいのかということを考えて書き示すんですね。
次にそれを妻に伝える。
すごい恥ずかしいと思うし、情けないと思うし、
ついカッコつけたくなっちゃうと思うんだけど、
カッコ悪い自分をさらけ出すんですよ。
じゃないと本音は出てこないから。
自分はこういうふうに考えた。
多分こうだったからだと。
でも自分はこういうふうにしたいと思っていると。
泣いてもいいんですよ。
話すときに泣いちゃう人もいると思います。
僕はね、もうちょっちゅう泣いてますよ。
妻に対して本音を言うときに、妻に対して、
なんだこれ、今度たぶんボイシーオリジナルで話すと思いますけど、
自分の素直な気持ち、妻の言葉に対して僕がどう感じたかということを
妻に伝えるときは、すごい怖いんですよ。
もうなんか裸にさせられて、
いつでも日本刀で斬りつけられるみたいな感じになって、
怖くて怖くてしょうがないんですよ。
泣いちゃうんですよ、いつも。
泣いちゃうんで、妻の手を握って、
夫婦の対話について
抱きしめながら自分の素直な本音を伝えたりするんだけど、
素直に言うときもあるけど、大体はほとんど見えないな。
泣きそうになるか泣いちゃうかしちゃうんですよね。
それぐらい怖いんですよ。
自分の素直な思いを人に伝えるっていうのは。
そうやって伝えることができたら、そこで初めてやっと
2人で話し合いができるんですよ、対話ができるんですよ。
いきなり対話に行こう、いきなり話し合いに行こうってすると、
難しくなっちゃうんですね。
こうやって順番を踏んでいって、話し合いする、対話をするとなると、
自分たち夫婦はどういうふうにしたいのか、
そのためにはどうすればいいんだろうということが、
2人が同じ立場、同じ地平線に立って話すことができて、
自分たち2人にとっての、自分たちだけの夫婦像を作るための
話し合いができるようになると思うんですよ。
自分たち2人だけの、自分の親とか社会規範とか、
そういったものから遠く離れた場所、自分たち2人にとって、
この2人のためだけの家庭像、夫婦像を作る、
そのための答えを2人が見つけやすくなるんじゃないかなって思っています。
ということで、今回の話はまたニュースレッダーに書いて
お送りをしますので、ぜひニュースレッダーにご登録いただけると嬉しいです。
これ無料で配信をしています。
情報整理とアフタートーク
今は時間がなかなか取れなくてできないんだけど、
ニュースレッダー、高読者専用の特典的なものを作ろうと思っています。
過去に放送したポッドキャストとか、ノートの記事とかを
ジャンル別に分けて見やすくしたサイトというか、
ノーションというのを使うと整理しやすいって聞いたので、
ノーションというのを使って、全然僕よく分かってないんですけど、
IT音痴なんでよく分かってないんですけど、
それを使って情報整理したものを作ろうと思っています。
これが見れるようにしたいなと思っています。
メールアドと紐付けられるっぽいので、
ご登録いただいた方のメールアドを紐付けて、
その方たちが見れるようにしたいなって思っています。
ぜひこちらでご登録いただけると嬉しいです。
あとお悩み相談、すいません、たくさんいただいています。
Googleフォームでもいただいているのもたくさんあるんですけど、
こちらのご回答はVoicyオリジナル放送の方で
話をしていこうかなって思ったりもしています。
そちらか、もしくはこの間みたいに木曜日に番外編的な感じで配信するか、
どっちかにしようかなと思っていますが、
たぶんVoicyオリジナルの方でお悩み回答を求めていくかなと思うので、
そちらの方も聞いていただけると嬉しいです。
そっちはVoicyオリジナル放送は火曜日から金曜日、
平日の火曜日から金曜日の朝6時15分ぐらいから配信をしています。
これ収録しているのが本当に直前で、
5時45分から6時ぐらいの間で収録して、
そのままポチッと配信ボタンを押しているんですよね。
なので6時15分まで配信できるようになっていて、
朝ごはんを作りながら話をしているので、
パンを切る音とかスクランブルエッグを作る音とか、
全部ダダ漏れなんですけど、
そこしか配信をする時間がなくて、
でもなんとかVoicyはその時僕が思ったこととか、
いただいたお便りの回答とか、
こういうふうに悩むのか、こういうふうにしたらどうだろうみたいな、
レスポンスを早くしたアドバイスとかができるので、
続けていきたいなと思っています。
あと、アフタートークをポッドキャストの終わりで、
こうやっていつもやっていたんだけど、
時間差が生まれてしまう時があるので、
ポッドキャストの収録が配信の2週間前だったりすると、
結構古かったりとかで、僕の進捗状況が古かったりとかしちゃうから、
アフタートーク的な話とかもVoicyオリジナルで、
していきたいなと思ったりもしています。
なので、よろしかったらVoicyのほうも聞いていただけると嬉しいです。
ということで、今回も最後までありがとうございました。
また次回お会いしましょう。さようなら。
27:40

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