2024-07-17 11:31

拒絶に対して

起こった現象をどう捉えるかで世界が変わります。

現実はあなたが作り出している世界です。

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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで今回は、拒絶に対して、というテーマで話をしていきます。
はい、拒絶ですね。
人から拒まれたり、拒否されたり、嫌われたり、こうしたことに対しての考え方、人間関係、そういったところですかね。
こうした拒絶を受けたことがないということは、なかなかない。
ないというか、仮にあなたが拒絶を受けたことがないのであれば、そもそもコミュニケーションに関してどうこうしようと思うようなことはないかと思います。
ですので、一度くらいは、そうした拒絶を受けたことがあるというようなことを仮定してですけれども。
拒絶をされると辛いですよね。苦しいですよね。
時には腹立たしくなるかもしれませんね。悲しいかもしれません。
これらはなぜこうしたことを思うのか。こうしたことを思っているのは誰なのか。
仮にこのように感じてしまうことがあるのであれば、それに対してどう対応すればいいのか。
そんなようなところで。
何か拒絶をされたという場合に、まず第一に思ってほしいのは、外的要因で自分のことを評価しない。
まずこれを思うということ。
この拒絶をするという行為、それ自体が自分以外の誰かが必要なわけです。
他の誰かにそうした対応をされたからこそ、自分の中に拒絶されたなという、そうした感覚が生まれるわけです。
こうした時には外的な要因で自分のことを評価しないという。
まずそう思うことで、拒絶に対する心構えというものができます。
どういうことかというと、拒絶をされたとするならば、他の誰かからこう言われたから自分は拒絶されたんだなというように、
自分の評価を他の誰かから言われたことで落とさないでくださいということなんです。
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よく自己評価だとか自己肯定だとか、そうしたことを聞くとは思うんですけれども、
これらの物事が低くていいことってないですよね。
自分の評価が低ければ自分で自分をダメな奴だと思って、
そう思えば思うほど、あなたの思うダメという方向に引っ張られていくようになるものなんですよ。
思ったことが言葉に出て、それが行動に移って習慣となって人生となっていくので、
そういうことなので、自分で自分の評価、こうしたことを低くしていいことなんて一つもないんです。
自己肯定感、言いますけれども、それも同じことですね。
これらの自己肯定、自己評価、自己何たらというような色々ありますけれども、
単純に考えてみてください。
自己ということはどういうように書きますか、漢字で言うと。
自分という字に己という字ですよね。
であれば、単純に考えて、読んで字のお得なわけです。
己で自分を肯定すればいい。己で自分の評価を高く見積もればいい。
誰かに何かを言われたから、拒絶をされたから、
そうした外的なことで、自分が思ったこと以外のことで、
自分自身のことを肯定したり評価したりしなければいいんですよ。
それを他人の評価、自分以外の誰かの評価で変わるのであれば、
それは他者肯定感とか、他者評価基準とか、そういうことになるわけですよね。
単純にシンプルに考えるとするならば。
こうした拒絶をされたという場合には、
そのことが精神の中に深く刺さってくることもあるかと思うんですけれども、
それは自分で決めたことではなくて、
他の誰かが自分のことに対して勝手に評価をしてきたものなんですよ。
望んではいない。
望んで自分のことを拒絶してくれなんていうような人は、あんまりいないと思うんですよね。
ただそうは言っても、他の人から何か言われたら傷つくのが人間でしょうと、
拒絶をされたら落ち込むのが人間でしょうと、そういうこともあるかと思います。
であればその怒ったことに対して、その怒った現象ですね、拒絶をされたという現象に対して、
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古くはね、さかのぼればもしかしたらいじめだとか、
大罰、虐待、そうしたもろもろね、
過去の自分にくさびがつながっているというようなこともあるかと思うんですけれども、
そうしたどこかの誰かに何かに対して、他者からの拒絶を受けた場合に、
そうなるだろうという場合であれば、
それはこのようにして解決へと向かっていけばいいと思います。
これはですね、声に出していいことへと返還をするというようなことをやるわけです。
拒絶をされたという場合には何かしらの行動だとか、そうした態度だとか、
誰かから受けるわけですよね。
その怒った現象を、何か不のもの、あなたの思う悪いという感覚のもの、
そうしたものを受けた場合に、これをいいことへ返還をするんです。
声に出すということでね。
怒った現象に関しては、
あなたのフィルターを通って拒絶をされたというネガティブな方向へと返還をなされているわけですよ。
ただ、これは理性を使って言葉に出すわけです。
いいことだと言葉に出すわけです。
誰かに悪いことを言われたとして拒絶を受けたとなれば、
そうしたことを受けたということは、今後この人とは関わらないというタイミングなんだなと返還したりだとか、
誰かから暴力を受けたりだとか、そうした意味での拒絶を受けたときには、
このように今私がされたということは、今後同じようなことを人にはしてはいけないというような学びの時期なんだなとか、
いずれの現象においても、何か物事というのは表裏があるわけです。
拒絶というものを理と唱えるならば、裏と捉えるならば、その真逆、表となる現象も必ずあるわけです。
それを声に出していいことへと、裏から表へと返還をする。
こうしたことをするとですね、拒絶をされたということですら何か意味があるという、そのように自分で解釈ができるわけです。
そうなると評価がどうだとか、自己肯定感がどうだとか、そのようなことは思う必要もなくなってくるんですね。
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なぜなら、自分に対して肯定をしたり高い評価を持つというのは、当然のことになってくるからです。
なぜなら、声に出していいことを言っているから。
自分で自分のこと、拒絶にされた、真逆のこと、そうしたことに対して、いいことへと返還をして言った場合には、
ネガティブなことに悪いことになりようがないんですよ。
それはいいことを声に出して言っているんですから、それは必然的にそうなりますよね。
つまり何が言いたいのかというとですね、拒絶。
あなたが拒絶をされたということを感じるという場合に対して、まず外的要因で自分のことを評価しないんだということを思うと。
それは自己肯定感だとか、自己評価だとか、そうしたことがありますけれども、
自己というのは、四手字のごとくですね。
自ら、己で決めることですから、
人に拒絶をされたからといって、あなたがあなたの評価を変える必要は全くないわけです。
そうは言ってもそう思ってしまうんだという。
拒絶をされたということに対して、そのままストレートに受け止めてしまうんだという。
そうした優しい心の持ち主であるあなたは、これを声に出して、
いいことに返還をするという。
起こった現象をいいことへと返還をして、吸収し直すということをすると、
拒絶というものに対しての耐性ができる。
拒絶を拒絶だと思わなくなる。
そのように変化をしていきますというようなことですね。
過去に何か非常に重たいことがあったとしても、
未来のあなたを作っているのは、過去のあなたではなく、今のあなたです。
はい、ということで今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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