1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
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2017-06-01 19:18

Vol.62「世界を見ないと損をするぞ」

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ポッドキャスト公開収録第1回目。今回は、アンケートでも「気になる存在」として君臨していたパートナー、さゆみさんのインタビュー。わたくしアキとのどんな風に出会ったのか?どうやってキャリアを積んでいったのか?結婚に対してはどう考えていたのか?
「世界を見ないと損をするぞ」とお祖父さまの言葉に従い、
大学卒業後、金融業界からファッション業界のPRマーケティングへ転身を計った、彼女の20代ー30代前半を語っていただきました。


00:15
こんにちは、あきです。今日もパリで学んだ、「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日もさゆみさん、どうぞよろしくお願いいたします。
お願いいたします。
みんな、
ありがとうございます。
あ、いいですよ。ありがとうございます。
今、面白い音が聞こえてきたと思うんですが、
今日は何をやっているかというと、
このポッドキャストの公開収録をやって、
みなさんが画面の向こうにいらっしゃるということをやっています。
ちょっと緊張…
すごい試みですね。
試みですね。どうですか、さゆみさん。
緊張しますよ、私も。
さすがのさゆみさんも緊張しますか。
ここはね、どこかというと、さゆみさんのお宅なんですよね。
そうです。
これローラーで、
見えるかしら。
ローラーで絵を描く。
ローラーの一本なんですよ。
絵を描くという佐藤さんの作品が、
さゆみ家には飾られている時にいらっしゃった時に、
イベントでね。
描いていただいた絵ですね。
今回は公開収録ということで、
みなさんに立ち会っていただき、
海外のオーストラリアの方から、
東京の方はもちろん、
岩手の方から四国の方まで。
嬉しいですね。
ありがたいことですよね。
今日はですね、
実はお知らせがあって、
私のやりたかった夢が、
1個叶ったって話をしたいんです。
どんな夢でしょう。
それはね、文章を、
自分でブログとかも書いてるじゃないですか。
それを、
ウェブとか雑誌で連載をするっていう。
メディアの上で、
コラボを書くっていうのが、
夢だったんですよ。
夢っていうか、ずっとやりたい、やりたい、やりたい、
と思ってたんだけれども、
なかなか縁がなくて、
今回叶った。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
それが、実は、
残念ながら今日じゃなくて、
もうこの放送の時には出てると思うんですけども、
近いうちに見られると思うんですけども、
もうちょっとで。
フランス女性のね、
フランス生活の話を書いてるんですが、
アンジーっていうウェブマガジンで、
アンジーリヒナジョリじゃなくて、
アンジーなんですけども、
あの、
ANGIEっていうところで検索すれば、
もうすぐ出てくるんですけども、
アンジーでもカタカナでも出てくるんですけども、
ここで、
フランス生活のところから、
美容とか恋愛の話を書いてほしい、
ということで、
書けることになったので。
よかったですね。
定期的にやりますので、
03:01
よかったらみなさんもそちらの方を
覗いていただきたいなと思います。
はい。
それではちょっと今日はね、
本編がすごく大事な本編なので、
はい。
本編の方、早速いきたいと思います。
はい。
それでは本編スタートです。
はい。それでは本編です。
今回はですね、
いつもインタビューをしてるじゃないですか。
はい。
定期的にね、いろんな方にお話を伺ってるわけなんですが、
はい。
さゆみさんへのね、
期待度が、
高いんです。
緊張しますよ。
さゆみさんの話を聞きたいっていう人が多いので、
せっかくこうやって公開で、
お話をしていただくっていうね、
顔も見せていらっしゃるし、
できたら、
さゆみさんの話を聞こうということで、
簡単なインタビューをさせていただきたいなと思います。
はい。
まずね、よく聞かれるのが、
私とさゆみさんの出会いについてなんですよね。
フランスで会ってるし、
フランスで仲良くなった、
フランスで仲良くなったお友達っていう感覚で、
フランスで仲良くなったお友達っていう感覚で、
皆さん思ってらっしゃるかもしれないんですが、
実は私たちの歴史は、
長いんです。
29年。
という、
すごい長い歴史なんです。
そうですね。
実はどういう繋がりかというと、
私が大学に入った時の、
1年上の先輩なんです、彼女は。
そうですね。
で、もともとは、
学科も違うし、学部も違うし、
あっちゃんが、
人間関係学科。
1年生の時はまだ、
まだ一般教育だったんですよね。
で、英文科に入ってたんですよね。
全然違うところだったんですけど、
全然違うところだったんですけど、
たまたま、
これもたまたまなんですけど、
私がお友達に誘われて、
文化祭の実行委員に、
入ろうと。
サークルの一環として、
入るから見に行こうと言った時に、
その文化祭の実行委員の中でも、
いろんな部署があったじゃないですか。
全野菜とか、
高野菜とか、
ラッフルとか、
トランピア関係とかね。
あったんですよ。
で、たまたま私は、
高野菜を選んで、
高野菜に行ったんですよ。
友達も行くって言うし、
私もその時あんまり、
自主性がなかったのか、
友達も行くならみたいな感じで、
行ったら、
さゆみさんが1年の先輩にいたと。
そこからの付き合いですもんね。
そうなんですよ。
で、はっきり言って、
同学年でも、
そんな仲良くない子もいたし、
私もそうでしたよ。
先輩もはっきり言って、
さゆみさん以外の、
1個上の先輩って誰も、
もう1つ上の先輩に、
もう1人ね。
行くと、もっと仲良くなる。
彼女は部長だったって言うのもあるしね。
06:01
その彼女もパリに行ったんですよね。
3人で同窓会したという、
すごい繋がりなんですけど、
そういう兼ね合いでやってきて、
そういう兼ね合いでやってきて、
もちろん大学卒業してからも、
最初の頃ちょっと一緒に遊んでもらったりとかも、
最初の頃ちょっと一緒に遊んでもらったりとかも、
してましたよね。
行った時もシンガポールに、
その後行ってしまったので、
その前は遊んでましたね。
彼女は、
これから話していただきますけども、
仕事もバリバリやるけど、
遊びもバッチリやるっていう感じの、
そうでしたね。
大学卒業から、
フランスに来るまでの間の、
実は私も空白の期間があってなかったからね。
空白の期間があってなかったからね。
その間をちょっと今日聞きたいなと思います。
その間をちょっと今日聞きたいなと思います。
大学を卒業してから、
どんな仕事をされていたんですか?
まずアメリカ系の、
金融の関係、
金融関係の会社に就職しました。
金融の関係、金融関係の会社に就職しました。
元々金融に行きたかったんですか?
私は金融か、
マスメディア。
マスメディアというか、
音楽関係の方に行きたかったんです。
金融とマスメディアって全然違いませんよ。
金融とマスメディアって全然違いませんよ。
とにかく私のおじいさんが、
とにかく日本から出ろという教育の人だったんですね。
とにかく日本から出ろという教育の人だったんですね。
世界を見ないと、
せかいを見ないと
損をするという教育があったので、
とにかく大学も、
まず大学選びのところから、
日本以外のところに目が向いている、
学校を選んだ方がいいということで、
学校を選んだ方がいいということで、
学校を選び、
就職の時も両親はすごいうるさかったですけれども
公務員でしたし
実家に帰ってこいっていうのをちょっと振り払い
置いた件なんですね
秋さんのお父様も置いたのか
そこもね
ご縁なんですよね
本当に不思議なご縁です
そういうこともあって
おじいさんが海外に出ろという人だったので
できれば日本の企業以外のところに就職したいなっていうのが
外資系
金融もとても興味あったんですけれども
その当時日本の金融業界はとても厳しくて
いろんなメガバンクとか証券会社の会社でも
総合職、一般職でも
自宅から通える人以外は雇わない
っていう時代だったんです
そうなると私は自宅からは通えないので
雇ってもらえないんです
面接にも行きましたけど
そういう理由で断られました
そうなると外資しかないんです
09:01
そういう理由で
海外資系の金融に最終的には決まりました
何をやってたんですか?金融系で
金融でそこは保険会社と投資会社が一緒になったところで
私はまず保険の方に入りまして
株主代表訴訟とか
そういったちょっと法律的なことも
勉強しなければいけなかったんですけど
アメリカの会社では
いろんな株主から業績が悪いっていうことで
訴えられる会社も多いんです
それを防ぐっていうための保険を
売ってる保険会社がたくさんありまして
投資会社もたくさんありまして
それの最初に日本に入ってきたばかりの商品だったので
それを日本で販売するっていうお仕事をしてました
そこにはどれくらいいらっしゃったんですか?
そこには4年いました
その4年間の後は?
その4年間の後は
私もすごく実はね
最初の就職の時からとても悩んでたんですけども
金融も興味ある
音楽も興味ある
ファッションも大好きだったんです
本当に選べないんですよ
幅が広すぎますよね
すごく好きな分野が多すぎて
どうしましょうと思ってたんですけれども
やっぱり金融のお仕事を4年間やって
嫌いではないけれども
すごく心からワクワクしてやれることかなと思う
ちょっとクエスチョンが頭によぎってきたんですね
本当に本当に自分が仕事と思わないでやれること
趣味の一環というか
本当に喜んでやれることっていうのを考えた時に
やっぱりファッション
それが4年の間にムクムクと出てきた?
もう出てきましたね
もともと多分あったと思うんですけども
だんだんやっぱりこの分野がとてもやりたいっていうのが
ムクムクムクムク伸びてきて
移らざるを得ないような状況になりましたね
その4年間の間に研修として
シンガポールに半年いたり
その半年後はずっとアメリカにいたり
香港にいたりオーストラリアにいたりと
いろいろと研修で何ヶ月かごとに
いろんな国を回っていくうちに
もうなんか好きなことすればいいのかなって
ちょっと思いました
そこからどうやってファッションに移ったんですか?
そこで私はたまたま
ジャパンタイムズの毎日毎日
仕事上のファイナンシャルタイムズとか
いろいろ読んでなきゃいけなかったんですけども
読んでたんです
旧人欄に目を通した時に
たまたま某フランス系のPR会社の広告が見に来たんですね
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ここはとても扱っている
聞いたことがあった会社だったので
扱っているブランドが面白い
大好きなブランドばっかりだったので
ここのPR広報の仕事をしたいなっていうのがすごくありまして
そこに職務経歴書とか送りました
そしてすぐに面接があり
たまたま社長さんが大学の先輩でした
大学の先輩でした
大学で語学研修で行ったところも同じで
とても共通点があったんですね
そこで行きとおぼうし
すぐにいらっしゃいということで
すぐに雇っていただけて
あっさり金曜のほうが?
あっさり辞めました
私その話を昔聞いた時に
覚えていることがあって
必ず今は当たり前なのか
ちょっと当時の話なのかわからないけれども
応募を送った時に
必ず切手付きの封筒を
返信用の封筒を必ず付けた
っていう話をしてくれたんですよ
私は当たり前だと思ったんだけど
どうやらそういうことする人が
さゆみさん以外いなかったらしい
そうなんですか?
っていう声で言ってたんですよ
社長さんがそういうことがちゃんとできる人だ
っていうところで
さゆみさんを高く買ったっていう話を聞いたんですよ
すっかり忘れてました
すごい一生残ってるんですよ
そこでやっぱり人と違うことができる
特にPRだから
っていうところは大きかったのかなと思って
広報というのはいろんな方と接しなければいけないですし
いろんなところに気を配らなければいけないので
多分そういうところは
彼女もとても見ていたのではないかな
というのは思いました
その後は?
そこにどれくらいいらっしゃったんですか?
そこ短かったんですよ
本当に1年もいなかったんですよ
だけどすごい凝縮した
お勉強をさせていただいて
その後に
またアメリカ系の勝者ですね
アメリカのとても有名なブランドで
コーチとかありますよね
ああいった会社を日本で紹介している
勝者
ブランドを全て統括している会社に
お声がかかったので
移りました
それが日本のオフィスだったんですか?
そうです
日本の視点に移りましたね
でもそこからずっとファッションの道
15:00
そうです
そこはスポーツブランドとか
ヘインズとか
そういったいろんなブランドを扱っていたので
アメリカのブランドですね
アメリカの主要なブランドを
いくつか持っていた勝者だったので
いろいろ勉強させていただきましたね
そこから
結構転職しているんですよね
そこからまた
私の友人でヘッドハンターがいたんですね
ヘッドハンターが
もし興味があったら
あるアメリカ系の
ちょっとファッションブランドというか
シューズのブランド
靴ですね
コンバースというブランドがあるんですけども
そちらが
マーケティングのスタッフを
募集しているということで
ちょっとお声がかかったので
またヘッドハンターに
仲介してもらって
そこに働くことになりました
どれくらいいらっしゃったんですか?
4年くらい
いたんですね
4年でまだ次があるんですよね
そうです
そこからまた同じ
ヘッドハンターの友人が
私がとてもファッションに興味があるのを知ってたので
もっとさゆみも
ファッションオリエンティックな会社があるよ
って言って紹介してくれたのが
カルバンクラインというニューヨークのブランドで
そちらにお話があったので
マーケティングのPR広告のスタッフとして
お声がかかったので
そこに行くことになりました
結構ちゃんとステップアップしてる感じ
自分ではどんな感じですか?
マーケティングPR広告っていう範囲を
私はとても好きな分野なので
そこに絞って
行きたい部分を
ファッションというところに絞って
一応考えて
マーケティングPRはずっと
ファッションに興味を持った頃から
そっちにやりたい?
それは就職の時もそう思ってたんです
本当は音楽関係に行きたかったんです
そこでもマーケティングプロモーションの部分に
行きたかったんですけど
そこは夢が叶わず
最終面接にちょっと行けなかったんですけども
常にそういう方向は向いています
結構バリバリの
キャリアウーマンって感じじゃないですか?
目指したらちょっと妄心ですよ
どっから結婚の話が出てくるのかな
っていうのがあると思うので
結婚は考えてませんでしたね
ずっと
ということで
それで今
その時点で今何歳ぐらいですか?
その時点で
前半ぐらい?
そうですね
33、34ぐらいまで
そこまで全然考えてなかったんですか?
少なくとも20代は全く考えてませんでした
もう結婚はどうでもいいかな
29歳ぐらいからちょっと考えようかな
18:00
っていうぐらいで
そこまではとにかく
まず自分のキャリアを
きちんと確立しようみたいな
そこばっかりしか見てませんでしたね
そこからの話を
次回お聞かせいただくということで
楽しみにしてます
ありがとうございました
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どうぞお楽しみに
さゆみさんありがとうございました
ありがとうございました
秋でした
19:18

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