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こんにちは、あきです。 今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日も私一人でお話をさせていただきます。 今
たくさんの人が YouTube を
YouTube だけではないんですけどね、インスタとか そういった
SNS系のものを見ることによって、今までテレビの中とか
雑誌とかでしか見ることがなかったような人たちの発信を見ることが
結構増えたんじゃないかなと思うんですね。 私自身はフランスに来てから
日本の そういった情報って
全然疎くなってたんですね、当たり前ですけどね。 だけれども、YouTube
などで勝手にいろいろ上がってきたりするじゃないですか。 関連動画とか
なんか どういうアルゴリズムかよくわかんないっていう時もあるんですけども
そういったものをね、たまたま見ることがあったんですね。 今まではタイトル見てても別にわざわざ見に行くってことはしなかったんですけれども
やっぱり何かの発火点になることって結構あるなぁと思いました。 それはですね
自分の昔好きだったことが このフランスにいる間にすっかり忘れていて
それが ちょっと
復活というかね懐かしいという意味でね 復活したなぁという出来事があったので
まあちょっと皆さんにシェアをしたいと思います 私ね
実はスポーツってあんまり ガンガンするっていうタイプではないんですけれども
まあ大人になってから特にね ホントヨガとかピラティスとかそういう系ばっかりやっていたので
いわゆるスポーツって全然何をやってただろうっていうぐらいの感じなんですね まあ時々
ゴルフやったりとかしてるぐらいのそういう感じでした いわゆるスポーツ系の人ではないんですね
で ただね
実は私ね結構野球が好きだったんですよ それは見るほうね
プロ野球をこう見てたんですよ で一時期ね
すごいハマってた時期があったんですね なぜハマってたかというと
私はもともと
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母親がね 野球のこと何もわかんない人にはちょっとね申し訳ないんですけども
私の母はなぜかずーっとヤクルトファンなんですね
私東京なんですけども で母の兄弟というかね結構野球に近い人だったのかな
そういう意味ではね 結構巨人だったんですよね
まあ東京あるあるじゃないですか
でそこから
うちの母はよく 野球を見ていた
父は全く興味がなかった だから母は
もうしょっちゅうテレビで見て スポーツニュースとかもよく見てた人なんですね
でその影響かなんかかわからないんですけど
ヤクルトのファンではなかったんですが ヤクルトの選手名は覚えちゃってたわけですよ
でそこから何が起こったかわからないんですけど 私は
なぜか西部ファンになったんですね なぜかというと
私はその東京なんですけども 西部は埼玉なのね
でその埼玉と東京のラインを結んでる線があるんですよ 電車の線がね西部線が
でそのラインだったんですよ うちがね
だから すごいんですよライオンズの広告が
であとは 優勝すると西部が大セールやるんですね
っていう恩恵を受けてたので地元で だからもう自然と西部ファンになってたんですね
でおまけに西部がめちゃめちゃ強い時なんですよ 私は
誰が好きだったかというと 工藤さんっていう人がね当初好きだったんですけども
今回何がびっくりしたかというと私が先週で知ってた人たち 西部も含めてヤクルトも含めて
巨人とかね当時私が知っていた人が みんな監督の世代になってたっていうことに結構
衝撃を受けましてね あの人何してんの?って言ったら監督やってるとか
結構驚いたんですね 私は工藤選手がすごい好きだったんだけど当時ね
私優勝した時のファンクラブじゃないなんていうのかな ファンサービス会
今でいう西部の応募書たちですよ 清原とかもいましたよ
分からない人は分かんないと思うんですけどね 秋山とかねいろんな本当に今監督をやってたらしいんですよ
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そういう選手とサインとかね握手もしてもらったりとかして
結構懐かしいね大学サボって行ってたなぁとか思ってたんですけども そういう人たちがね監督やってるって
結構衝撃ですよね でたまたまyoutubeでそういう大きいの会じゃないですけど
解説者とかやってるレベルの人とか
昔のねだから監督とか呼んで当時の選手時代から話とかインタビューしてるのを見るとね
やけに 全部選手名がわかってたりする自分にびっくりするんですよね
でそういうところでもねやっぱり なんか自分の好きだったもの当時
そこまで細かいルールとかわかってないんですけど でも
結構見てたなぁっていうのを思い出して 今私はフランスにいるとね
野球は見れないんですけれども ましてやフランスでは全然野球っていうのはね
興味ってか全然やってないんですね ただ昔ね阪神の吉田監督っていう人がいたんですね
その方がその後フランスに渡ってフランスの子供たちに 野球を教えていたと
そういう意味では ヨーロッパの中ではまだ野球は
フランスは 続いてるというか有名じゃないかなと思うんですけど
やっぱりフランスっていうかヨーロッパはねもう基本サッカーメインなので
そういう意味では 日本の野球の情報なんて全く入ってこないし
ましてやメジャーリーグの話も全然入ってこないし 本当に私の中では
パリに来てから20年ほぼ化石状態になっていたと それがYouTubeでさらに
復帰したという感じなんですね いろんなOBが
チャンネルすごい持ってるんですよね なんか芋づるし気にバンバン上がってくるんですけど
やっぱりね 聞き手として
上手い方とそうでない方がいるんですけど その方自体はキャラが立っててゲストで呼ばれると上手いんだけど
あなたホストになると話 難しいよねっていう
やっぱりホストって 違うんだなぁみたいな
そういうふうに感じました まあ私としてはね
時々ね 最近の選手は全くわからないのである意味
本当に昔のをちょっと楽しむっていうレベルなんですけども たまたまですね
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昨年
ヤクルトがね優勝したわけですよ うちの母が
リーグ優勝したからもう多分 今回が彼女の人生の中で最後の優勝
かもしれないと だから日本シリーズに
行きたいと 私が日本にいたら私と一緒に
連れててほしいと言われたんですけど私 その時点ではね
なんて言ったって ロックダウンでしたかねフランスね
もちろん行けないっていうことで 断ってたんですけどだからチケットをね
なんかね 取りたいとネットで取りたいんだけど取り方がわからないから
手伝ってほしいと言われて 必死に調べたんですよね
で日程を調べてどうやったら今はなんか コンビニのなんとかチケットとかなんかちょっと私もよくわかんないやり方を
やってでこれをやると ローソンだったかなローソンのアプリを何か入れると取れるとかなんか
そういう感じでね 取って
彼女は一人で日本シリーズ見に行きました 結局一人で行ったんですよね
で その日は負けちゃったんですよね
大手かかってたのでその日に優勝っていうのもありえたんですけども 結局次の日にね彼女が見に行った次の日に優勝して
日本一になったと これでねメイドの土産としてね持っていけると彼女は言ってました
まあそんな感じでね ちょっと去年ぐらいからまた野球に触れ始めつつ
もちろん今の選手も全くわからないし ましてや今の監督は私は選手時代には知ってたので
そういうところに歴史も感じもちろん写真で見てるだけで いわゆるねニュースとかそういう動画は全然見てないんですけれども
youtubeでね今いろんな昔の話 西部のね人たちの話とかそういうのを見たりして懐かしがって
やっぱり いろんなところにねアンテナを貼っておく
やっぱり時間がないかもしれないけれども なんか全く仕事と関係ない
ところで なんか楽しみを持っておくっていうのは
すごい大事だなと 改めて思って
まあそれによってね リフレッシュもしてるっていうのも事実なんで
私としてはちょっとね野球は 新しくどうせ見れないから
本当懐かしの動画を見て楽しんでるだけなんだと思うんですけども それ以外に関してはちょっと新しい
趣味をねちょっと興味を持つようなものを 探ってみたいなと思いました
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はいみなさんもぜひよかったら youtube からスタートしていくって私ありかなぁと思ってねちょっとしたきっかけになるかなぁと思います
はいそれでは本編スタートです 本編です
今回もカビアレイコさんのインタビュー第2回目です 後半はですね
実際に現在の活動のお話 それからマドレーヌについてのお話をたっぷり伺っています
ぜひぜひ聞いてください 今はそのさっきもおっしゃってたようにお菓子教室も主催されながら
プリンセスレイコーでしたね プリンセスレイコーっていうブランドを今
都内百貨店の新宿の伊勢丹だったんです 最初は恵比寿三越で常設でオープンしてたんですけど26年の幕を閉じたんですよね
恵比寿三越さんがそれで一緒に終わって その後は今新宿伊勢丹 日本橋三越 銀座三越さんなんかでプリンセスレイコーというブランドでも行列の
焼きたてマドレーヌのブランドを展開 マドレーヌがやっぱりメインなんですか?
メインですね この間はバレンタインだったのでオートクチュールのようなチョコレートということで
クチュールショコラとマドレーヌと両方今展開しています
マドレーヌ大使としてはブランドにもしてやってらっしゃるからね 本当ですね でも本当にやっぱりこうしてマドレーヌに出会えたこと
そしてコメルシーに行こうって思ったこと そしてそこでマドレーヌ大使になれたことも
もしブリストルで働いてなかったらなかったと思うんですよね なんかブリストルに働くことによってある意味はたくましく鍛えられたし
自分の足でコメルシーにも行ってみようって思ったし アクティブですよね そう考えるとそれで行こうと思ったっていうのがすごいんで
やっぱそのブリストルで鍛えられた何かがあったんですかね
やっぱりそこで鍛えられた なんか私ブリストルに入る時シェフに
こう言われたんですよね フランス語がネックになっていたのでシェフに聞いたんですよ
シェフ私フランス語がままならないから日本でもっと勉強して話せるようになってから入った方がいいって聞いたら
シェフが今君の目の前には自分で掴んだチャンスが2つある こちらに行ったら
楽かもしれないけど今と同じかそれ以下 でもこっちを取ったら大変かもしれないけどそれを乗り越えたらきっと素晴らしい世界が待っている
から今よりも素晴らしい世界がある だから君はここに来て体験を積んで君の人生がもっとステップアップしてくれたら
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嬉しいって言ってくださったんですよ 本当にあの言葉があったから私は今踏み込めてあの時踏み込めて
踏み込んだことによって素晴らしい体験をしてまた次にブリティシェーマシンに行けてっていうそういう体験をしているから
その自分で飛び込む勇気っていうのがやっぱりコメルシーに行って手紙を書くという行為を もしかしたらブリストルに入ったことで
鍛えられたのかなぁって思うので その前に旅行で来てここのお菓子だって思ったわけですよね
そこが出会いですよね そうですね
秋さんそうですね そこが出会いでした ここで働こうと思ったのはそれがきっかけなんですもんね
はいランチをいただいた一つのプレートがきっかけで それはちなみに何のお菓子だとか覚えてます?
なんかねガラスのすごい綺麗な器にメレンゲのようなふわふわっとしたものが乗って
なんかバラの花びらが散らされていて本当にエレガントな
クリエイティブな感じのお菓子ですよね そうなんですデザートだからこういうねがっつりしたフランとかパリプレストみたいな感じじゃなくって
一皿の中にエレガントアートで だから食後の後だからちょっと軽くもいただけるし
お口の中でシュワシュワシュワっと溶けるような
ほんと一瞬なんですよねデザートってもう私入った時もそうだったんですけど
グラスが溶けないようにスムークリームもできたて
チャリーブチャリーブって言ってみんなで本当に 戦争ですよねある意味ね
はいもう数分で一つのデザートを仕上げるんですよ
でもそのデザートを仕上げるまでのパーツっていうのは半日も一日もかけて作るんですけど
一瞬にして 最後の部分が
一番いい瞬間で口の中でとろけるような瞬間を出すから
それが運ばれてくるからほんとその瞬間がね
口の中と体でとろけるように
だからあのデザートはほんと感動的でした
今そういう感動がもしかしたら
れいこさんのお菓子作りとかにも影響を与えてるってことですよね
そうですね
でもあの時キッチンで働いた時の光景とかデザートとか
人の言葉とかはもう焼き付いてますね
そうなんですね
鮮明に今でも思い出します
そのブリストルでの経験を活かして
今東京でね東京と愛知の方でも両方展開されてるってことですよね
そうですね
で思うのはお菓子作り
お菓子ってすごく純粋なものだと思うんですよ
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マノレーヌって特にお材料がシンプル
卵、バター、小麦、お砂糖
シンプルですよね
だから気持ちがそこに入ると思うんですよ
だからその愛知の方だと海が見えて
すごい自分自身が浄化されてクリアになるんですよね
だからやっぱりお菓子もそのクリアな
純粋な気持ちで作りたいと思ってるので
そういう環境を求めて愛知で作って
作り手の状態が本当にお菓子に反映されるってことですか
本当に私は入ると思っていて
私2011年から震災の時にいつもお菓子作り
マドレーヌをなぜかクッキーじゃなくて送ってるんですよね
でもそのマドレーヌを見て笑顔になった
心が癒された手作りのお菓子からって言葉もたくさんもらったんですけど
コロナの時に本当は自分で作って販売する予定はなかったんですけども
もしかしたら震災の時にマドレーヌを食べて
笑顔になって元気になってくれた人たちが
手紙をくれた人たちがいたように
コロナで苦しんでいる人たちの環境の中で
このお菓子が人の心を癒してくれたり
笑顔になって救ってくれるかもしれないなって思って
販売を始めたんですよ
だからすぐネットで販売すると同時に完売して
でもマドレーヌ端子だからかなと思ったんですけども
2回3回繰り返し繰り返し販売すると同時に完売して
すごくリピートがほとんどだったんですよ
その時にやっぱりいただいた言葉っていうのが
本当に私のお菓子に対する思いが伝わったとか
その優しさが伝わったとか
心が癒されたっていう言葉をたくさんいただいたんです
味が美味しい以上にその気持ちの部分だったり
だからより私はそういうのって伝わるのかなって思っているので
そういう思いで作るのと
なのでアシスタントの人にも
お菓子を作る時はたとえ嫌なことがあったとしても
忘れ作りでだってね、いろいろありますもんね
忘れてお家で何かあったとしても
安いな気持ちでお菓子には罪がないから
向き合ってくださいねって言ってるんですけど
そんな思いで作っているので
愛知のあの場所っていうのは私にとっては欠かせない場所で
やっぱり自分が浄化される場所なので
愛知と東京はどうしても祭祀があるので
いらっしゃるってことですね
両方で今作っています
今後は何かしていきたいこととかあるんですか?
今後はですね
今一つ動いているのが
生まれ育った海の見えるがま氷と
コメルシーの友好関係を結んでくれたら
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嬉しいなっていう思いと
あと一つはですね
これはね難しいんですけども
いろんな人にフランスに来ると話して
フランスでと話してるんですけど
だんだんだんだんいろんなことが
状況が分かってきたんですけど
マドレーヌってコメルシーのお城で生まれて
マリー・レクチン・スカッヒが
ルイ15世にとつぐときに
専属の家職人と一緒に持っていったから
ベルサイユ宮殿で
やはりブルジャーの間でも広まったっていう
ストーリーがあるんですけども
ベルサイユ宮殿にさぞかし私は
マドレーヌがあるだろうと思ったら
マドレーヌないんですよね
で、サロン建てがあっても
マドレーヌは置かれてないし
お土産でも注目されてないから
私はベルサイユ宮殿で
もう一度マドレーヌを
日の目を浴びさせてあげたいと思うんですよ
そしたらマドレーヌさんも喜ぶだろうなと思うし
みんながマドレーヌって
ベルサイユ宮殿に訪かれてきたお菓子で
そういうちょっとねただの日常じゃなくて
そういう歴史も知ってもらえたら
嬉しいなって思うで
マドレーヌをベルサイユ宮殿で
お土産かサロン建てをねできれば
開きたいっていうのが一番の夢ですね
え、意外ですね
ありそうでないんですね
そうなんです
で、いろいろいろな人と話して
君は日本人だからって言われたりすることもあるんですけど
じゃあ私は別に自分のブランドじゃなくてもいいから
ブランドで生きてでもいいって言ったりもするんですけど
それが一番の夢ですね
そんなねフランス人もなかなかね頑固なんでね
気持ちが変わらないかもしれないけど
でもなんか一回決まったらいきそうな感じですね
あ、そうですか
まあその辺はね信頼関係とかいろいろあると思うんですけど
確かにフランス人って一回信頼を築くと
私がそのブリストルのシェフと働いたときもそうですし
今回のコメルシーの市長さんとも
もう絶対なる信用ってそこがすごい
ある意味守ってくれるしリスペクトしてくれるし
動いてくれますね
だから突然いきなりコメルシーから認められたように
突然なんか決まるかもしれないんで
そうなんですか
それを信じて
なんかぜひぜひ叶えてほしいなのか
マドレーヌ愛がすごく伝わってきて
そうですか
来年の夏はベルサイではないですけど
コメルシーで私のマドレーヌを
コメルシーのお城でちょっとするイベントがあるので
よかったらきさんもぜひ
ぜひぜひ興味あります
いらっしゃい
嬉しいです
これはね今回決まったんですけど
すっごいおめでとうございます
なんか今回ね市長さんにお会いしたときも
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もうベルサイキューデンのこと
前はねお話ししたことあるんですけど
さすがに難しいだろうなと思って
市長さんの方が覚えていらっしゃって
ベルサイの夢はまたあるんですかって言われて
いやいやもう
ベルサイコメルシーのお城でできるかな
みたいなこと言ったら
そしたら真剣に考えてくださってびっくりして
これだったらできるかな
だったらできるかなみたいなことで
まずはステップ1で
コメルシーのお城で
でもすごい楽しみですね来年もね
そうですね来年の7月
もう早速企画書を出さないといけないんですけども
じゃあよかったらまた来年出して
コメルシーでイベントをやった後にでもまた
よかったらインタビューさせていただいてもいいですか
もう喜んで勝手なことばっかりじゃなくて
いやいやどんでもないですごい楽しみです私も
本当ですかありがとうございます
この期にコメルシーを知った方たちも多分多いと思うんで
私も含めてですけど
嬉しいです
知っていただきたいなと思いました
でもコメルシーの人は
マドレーヌでコメルシーって言って
コメルシーのマドレーヌが本当のマドレーヌだって言うんですよね
基本元って感じですね
そうですね
でも一番はお母さんの作るマドレーヌだって言うんですよ
だからマドレーヌって
なんかやっぱりシンプルだけども
母の味を思い出したり
家庭で作ったお母さんの愛だったり
そういう大切なことを教えてくれる
素敵なお菓子なんじゃないかなって
シンプルだけに深そうですよね
そうですね
あとあれですよね
フランスの人はプルーストのマドレーヌ
テレポートルマドレーヌでプルーストって言って
いますよね
うちの夫の実家が
プルーストのマドレーヌのエリアから離れてないんですよ
何にもないところですよ
私そこに一度行ってみたいですよ
何にもないところですよ
プルーストがね
バカンスなんかで過ごしたっていう
田舎ですよね
1時間半から2時間弱ぐらいで行けるところ
今度機会があったらぜひご一緒させていただきたい
どうやって行くのか
車以外
まだ秋さんも行ったことないんですか
通ったところはあるんですけど
その場所ここなんだよっていうぐらいで
その場所は行ったことなくて
車以外でどうやって行くんだろうぐらい
たぶんそんな感じの田舎ですよね
電車で乗り継いで
いろいろあると思うんだけど
何にもないところっていうのは
とにかくあの辺は畑が多いところなので
シリアとか麦とか作ったり
逆に田舎町でも
プルーストで有名な町っていう感じで
私も認識したので
そのお家だったり美術館だったり
いろいろあるんですよね
プルーストで持ってるような町なので
そうですか
ほんとぜひ一度ね
ちょっと私もまた調べてみます
ありがとうございます
今日は本当にありがとうございました
一つ聞いていいですか
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秋さんにとって
そのプルーストのマドレーヌって何ですか
私がマドレーヌっていうと
確かにコメルシーっていうよりは
プルーストのイメージがあったのは
たぶんたまたま知ってただけなんですけども
どういうイメージ?
フランス人は子供の時に
おばあちゃんのお家の木の香りとか
いろんな表現されるんですよね
パパの作ってくれたクレームブルーレとか
だからやっぱ思い出とセットなんですよね
そうなんですよ
別にマドレーヌ食べて育ったわけじゃないから
思い出とセットになってないんです
マドレーヌじゃなくていいんですよ
私にとってってことですか
そうそう
なんかそういう思い出す思い出とか
大切な思い出みたいなの
私ね、あんまり母が別に
お菓子作りとかをする感じではなくて
でもお料理クースで習ってきて
すごい定期的に作ってくれたのが
フロランタンなんですよ
じゃあフロランタンですね
フロランタンは
だから私もすごい好きで
材料を見てカロリーがすごいのに
たぶんびっくりして
すごい量だなと思ってたんですけど
すごい実家でも定期的に作ってたし
結構東京にいた時は
もうレシピなくても作れたぐらい
結構作ってたんですよ
それはフロランタンですね
だけどフランスに来てから
作ってないことを思い出したので
じゃあこれをきっかけに
今話を聞いて
今日玲子さんとお会いして
私も別に息子たちに
マドレーヌを定期的に作ってたわけじゃないから
彼らは私のマドレーヌをそんな知らないわけだし
1回作ってみようかなって気になったのと
ありがとうございます
本当にレベルがあれなんですけども
それだけお母さんの
お母さんの作り手のマインドで
全然違うって話を聞いたので
私の作るまずマドレーヌを
1回ちょっと作ってみたいと思ったのと
素敵、玲子さん
フロランタンを思い出したので
フロランタンもちょっと1回ぐらい
調整してみようかなと思いました
そうですよ
そしたらきっとお子さんたちが大きくなって
フロランタン食べたいってきっと
かもしれないですね
必ず行ってきます
本当に美味しいと思うので
私もすごい好き
ナッツ系とかアーモンドとかもすごい好きなので
なんかちょっと
今日の私のありがたい
お話の中で浮かんだのが
マドレーヌとフロランタンっていうのが
できたので
ちょっと次回までにね
玲子さんに報告できるように
ちょっとまたやってみたいと思います
はい、素敵なお話をありがとうございました
こちらこそ
じゃあ来年
また来年
マドレーヌでイベントされたという時に
ぜひぜひお話を伺わしてください
はい、楽しみにしています
今日は素敵な
30:00
このペニスラの
空間のアフタネティを
いただきながら
こちらこそありがとうございました
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