1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.101「一瞬一瞬に勝負をか..
2018-03-01 35:32

Vol.101「一瞬一瞬に勝負をかける」

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オーストラリア在住、マッカイ清美さんの1回目インタビュー(1回目)。リポーターの仕事、オーディションや3週間で婚活するなど、集中して結果を出す一瞬にかけるエネルギーについてお話してくださっています。

オープニングでは、3月8日国際女性デーにて登壇する話をしています。

オフィシャルサイトは、http://projectsparis.com/


00:14
こんにちは、あきです。今日もパリで学んだ、「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
さゆみさん、今日もどうぞよろしくお願いいたします。
お願いいたします。
これは3月の頭の配信だと思うんですけれども、もしかしたら東京にいらっしゃる方は気づいていらっしゃるかもしれないんですが、
3月8日が実は国際女性デーだってご存知でした?
全然知りませんでした。
私も知りませんでした。
この国際女性デーっていうことで、去年から日本でもイベントをやっていて、女性の生き方を考えるっていうことで、
今年は東京だけではなくて、宮城、名古屋、大阪という感じで、地方でもやっているイベントなんですけども、
いろんな方が公演したりとかしてるんですが、その中でなぜかパリが入っていると。
日仏有効160周年記念っていうことで、パリ人から学ぶ幸せレシピっていうことで、
面白そうですね。
3月6日、7日、8日で渋谷の光江というところでイベントをします。
普通の東京でやる公演のイベントとは別に、パリ、ハッピーパリジェンヌっていうところでイベントをするんですけども、
そこになんと登壇させていただくことになりました。
すごい楽しみですね。
しかし、私はパリにいます。
いろんな方が登壇されるんですけども、
日本にいらっしゃる方、フランスに住んでるけども、日本にその時いらっしゃる方とか、
フランスとご縁があるんだけども、今日本に住んでらっしゃる方とか、いろいろいるんですが、
私はちょっとどうしてもその時、うかがうことができないので、
パリから中継をするっていう感じになりそうですね。
楽しみですね。
私は8日の18時30分から20時ということで、
タイトルはですね、パリ発自分を極めると人生は変わるっていうところで、
簡単なトークと質疑応答をさせていただくということで、
事前予約制になっているので、20名様までなんですけども、参加無料。
面白そう。
ということで、この配信の段階でどうなってるかちょっと分からないんですけれども、
もしお座席があるんであれば、お早めに予約をしていただけたらなと思います。
03:04
また来月以降どんな感じだったかお話できるかなと思いますので、
そちらの報告もこちらでさせていただきます。
それでは本編スタートです。
3月の頭ということで1回目のインタビューです。
インタビューはオーストラリア在住のマッカイキヨミさんです。
キヨミさんはですね、本当に昔から名前は存じ上げてやりとりもさせていただいたんですが、
一昨年初めてパリにいらっしゃったときにお会いして、
去年またいらっしゃったということでインタビューをさせていただきました。
オーストラリアの話とかもすごく新鮮なので、
その辺の話も伺ってますので、ぜひ聞いてください。
こんにちは、アキです。
今日も素敵なゲストを迎えしています。
セミナー講師のマッカイキヨミさんです。
キヨミさん今日はよろしくお願いいたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
キヨミさんはオーストラリアにお住まい。
今ちょうどパリに来ていらっしゃるんですけれども、
パリは今回何回目ですか?
今回3回目ですね。
季節は一緒ぐらい?
季節は春と秋々ですね。
秋々。
今回の3回目は過去2回と比べて新しい発見とかありますか?
すごく違いますね。
過去の2回は本当に観光客の目線だったので、
とにかく有名なところに行こうとか、
とにかく名所に行こうということで、
いっぱいいっぱいだったんです。
毎回大体2週間、3週間はいるんですけれども、
その間中、全国の観光名所とかもあったんですけれども、
今回はそういうところは過去2回行ったので、
ゆっくり落ち着いて何もしないよう作ったりとか、
本当にそれがもうちょっと観光客の方が行かないようなと、
すごく今回はところが惹かれてますね。
例えば観光客が行かないところってどういうところで過ごされる?
例えば昨日なんかは18区のちょっと危ない感じの路地に入って、
素敵なお店を見つけたりとか、
あとは有名なデパートがありますね、
皆さんがクリスマスのリクワッシュのデパートのところなんですけど、
その繁華街から1.5キロくらい離れたところに、
本当に新宿裏通りみたいなパッサージュっていうのがあるんですけど、
そういう観光客の方が行かないようなところに、
今回パリの魅力っていうのをすごく感じますね。
例えばその辺のちょっとマニアなパリの魅力ってどこですか?
リアルにそこに住む人のパリの様子っていうのがすごく分かりますね。
もちろん1日のうちに観光客が、
もちろん観光客の皆さんが行くような有名なところも行くんですよ。
それの対比がすごく面白いです。
観光客の様子を見て、なるほどなーって見て、
やっぱり有名なところすごい素敵だなーと思うじゃないですか。
その日の後半はそういったパリのディープな人たちが集まるところに身を置いてみる。
06:01
食事をしてみたりとか、そこでドリンクを楽しんだりということで、
その場の空気ですよね。
その場の空気を解散するということで、すごく喜びを感じますね、今回。
例えばヨーロッパから見ると、
オーストラリアって本当に地球の反対側みたいなイメージがあるんですけど、
オーストラリアから見て、ヨーロッパ、フランスでもいいんですけど、
どんなふうに見えるんですか?
私が住んでいるところはとにかく新しい街、国自体が新しいですよね。
ですから、歴史的には200年、300年くらいの歴史だと思います。
例えばヨーロッパ、うちの旦那さんヨーロッパ人ですけども、
ヨーロッパっていうのは日本と一緒で、すごく何千年後にわたって歴史がありますよね。
その歴史、この場所で何が起こったとか、この建築がどういういわれで作られたかっていうものを知って、
改めて何百年も越えてこの地に来られるということにものすごい深い感動を覚えます。
特に私、絵画とか建築がすごい好きなんです。
ですから、ヨーロッパの建築物、絵画、そういったものを見ると、
まるで自分が過去のその時代に、変で隣接っていうんじゃないですけども、
その時代にここにいたんじゃないかっていうような、そういった錯覚感みたいなとかですね。
そういうのもすごく楽しいですよね。
もう本当に、今回ヨーロッパの滞在が1ヶ月なんですけども、1ヶ月は全然足りないです。
だから移住していきたいと思って、本気で。
本気で。やっぱり移住計画、ヨーロッパでもね。近いですからね、どこに住んでもね。
そっか、近いうちに来るかもしれない。
来年くらいちょっと来るかもしれません。
そうなんですね。
で、清美さんはオーストラリアにどれくらいお住まいになるんですか?
オーストラリア、今回投資で17年なんですけど、
もう2000年に移住してきたんですけども、
その前にうちの娘を産むために1年くらいコードコースにいたりとか、
ちょこちょこ日本と引き寄せましたので、
トータルでいうと多分オーストラリアのご縁は20年近くになるのかな。
そうなんですね。
もともと私、過去に多分アブリジニっていうオーストラリアの原住民族だったような過去がきっとあるんじゃないかと思うくらい、
初めてオーストラリアに来てからのオーストラリアなじみ方っていうのがすごく自然だったんですよ。
そうなんですね。
日本よりもオーストラリアの方に自分のオリジナルを感じるようなすごく不思議な感覚があります。
面白い。
面白いですよね。
オーストラリアに行くまではどんなことをされていたんですか?
私ね、テレビ局に勤めてたんですよ。
なるほど。
それでテレビ局のアナウンサーさんって、当時私の就職する時代っていうのはバブル景気でしたから、
あの時だったんですね。
大学卒業したりとか学校卒業したりした後っていうのは、皆さん本当にいくつも内定が取れて、
本当に素敵な会社に入れたんです。
でも私そういったエリート露店から完全外れてましたので、
アウトローな感じでいたんですね。
だから正面から席のアナウンサーで入るっていうのは本当に何千分の一の確率なんですけども、
09:00
そこをやっぱりアウトローっていうのは、脇の道からうまく入って、
正面から王道に入ってくるようなことをして、
その抜け道っていうかですね、
そういう感じでちょろんとアナウンサーになっちゃったんですよ。
レポーターですね。テレビのコーナーですね。
ちなみに抜け道ってどういう感じですか?
もう人のやってないことをやるしかないですね。
つまり当時、曲穴さんっていうのはあまり外のレポーターとかしませんでしたし、
ちょっと怪我したりとか危ないことをしませんでしたから、
全部外部のアナウンサー事務所に委託というか、丸投げになるわけですね。
曲穴さんっていうのは基本的には曲のスタジオにいて、
はいじゃあ中継ですみたいな感じで外のレポーターを呼ぶと。
そうすると外のレポーターさんは体を張っていろんなことをするわけですよ。
その時に人のやってないことをやるというのは、
私学歴がすごく立派なわけでもないし、
うちの父が政治家とかそういうわけでも全くないので、
ここでも何もないんですよね。
ということは、自分のアイディアとか自分のチャレンジとか、
そういうものでポジションを勝ち取っていくしかないんですよ。
だから1個オーディションに行くと、
それこそ本当に1つの番組100人、200人くらい。
やっぱりオーディションがすごいんですね。
みなさんも立派な卒業、学校卒業されて、
もう外国の経験も長いという方ばかりの中で、
じゃあ何もない私がそこの中でやっていくにはどうするかって言ったら、
その人たちがやってないことをやるしかない。
それしかないですね。
それしか私の罪はないです。
そこを積極的にやっていく。
あとも、たとえば一番簡単なことで言えば、
オーディションの開場に一番無理するとか、
そういうことですよ。
一番最初に行くっていうことは自分の努力でできるわけじゃないですか。
自分のコントロールできるところは。
自分のコントロールできるところは最大限。
自分のコントロールできない過去の部分はしょうがないじゃないですか。
どんなに頑張ったって。
だからそこはしょうがないんですよ。
清美さんがそういうアナウンサーとかレポーターをやりたいと思ったきっかけは何だったんですか?
一番最初のきっかけは、
小学校の3年生くらいだったと思うんですけども、
バスの中で社会科研学に向かう、国会議事堂に向かう時だったと思うんですけども、
バスの中でバスのアナウンサーさんが、
将来みんな何になりたい?今日は国会議事堂に行くけど、
将来政治家になりたい人とかそういう感じのトークがあった時に、
NHKの近くを通ったんです。
私は将来テレビ局で働く人になります!って言った時に、
私当時見かけものすごいひまんじで、
すごいどんくさくて、
テレビで出て活躍するっていうところから、
すごい程遠い子供だったんですよ。
その時みんながブーイングって大変ですけど、
絶対無理だそんなのは!みたいな感じで。
そういう声が出ますよね。
無理だ無理だみたいなことを言われた時に、
私だけは、周りの100%みんながダメだ無理だと言われても、
私だけは、いや、私多分できると思う!っていう風に、
信じていた。
思ったんですね。
その思いだけで、それを証明するためには、
大人になったらやっぱりテレビに出る人になろう!
12:00
っていう風にその時に決めました。
そのブーイングで心が決まったんです。
なるほどね。ブーイングがなかったら、
スイッチが入らなかったかもしれないですね。
入らなかったかもしれないですね。
実際にその後、保育の保護さんとか、
色々な先生になろうと思ってますが、
そちらの道に済んだんですけども、
でも結局それは、仮の姿って言ったら、
自分が本当に望んでいるものではなかったっていうのに、
自分は気が付きましたから。
へぇー。
その熱量が、仕事をとってくる熱量につながったわけですね。
それしかないですよ、メルさん。
多分それだけです。
だって本当にオーディションなんて、
何秒とか何分の世界ですよね。
その後、例えば色んな仕事をしちゃってる仕事を
してきましたけども、
その一瞬で、どうやって相手に
もっとあなたの話を聞きたいと思わせるかっていうのは、
もう何秒間かの瞬間しかないです。
だからそれに常に、猫のネコパンチじゃないですけど、
一発芸というか、いかに相手に印象を残すか
ということには、やっぱり慣れてきたでしょうね。
長い間ね。
そのレポーターは、どれくらいやられたんですか?
トロータルで、
テレビで関係の仕事は8年ですね。
その前に前哨戦があって、
その前、当時私たちの頃は
展覧会、博覧会というのはものすごい盛んの時期だったんですよ。
ありますよね。
そこでモーターショーであったりとか、
ビジネスショーであったりとか、
ステージの上とかでナレーターコンパニオンという
事態がありまして、
それから、いわゆるイベントの司会者があって、
そこからリアナウンサーの方に入っていくという感じですね。
一つのチャンスは絶対見逃さない。
見逃せません。
それが、レポーター時代に自分が一番得た事ってどんな事ですか?
得た事ですか。
自分の好きな事を仕事にするのは、
こんなに素敵な事なんだ、という事に気が付きました。
だから何の保証もないですよね。
自分の体一本ですけれども、
その保証と取り換えに、
皆さん結構時間に工作されたりとか、
嫌な上司の言う事を聞かなきゃいけないと思うんですよ。
でも私はその場限り、
その一本の番組だったりとか、
一つのタイムだったりとか、
全てが勝負なので、
そういう勝負に賭けられる所かな。
本当に毎タイムごとに番組が変わりますから、
時にはスポーツレポーターの時も、
時には技工番組の時も、
分野が本当にバラバラだったんですか?
バラバラなんですよ。
なんですけど、その時はその分野の、
本当に自分がスペシャリストという思いでやりますから、
役者さんもそうだと思うんですけど、
メイクとか衣装を変えるごとに、
その役になりきるみたいな感じで。
歌舞伎役者さんなんかも。
そんな感じで、
いろんな役を映る事が出来たんですよ。
そこが本当に、
あの8年間の間は、
すごい本当に楽しかったです。
時代も良かったんですけどね。
私は本当にそう思います。
本当にラッキーな時代になってくれましたね。
その後、
お辞めになったんですか?
はい。
子供が大阪に入りました。
15:00
なるほど、なるほど。
そのうちで引退ですね。
テレビの世界はね。
で、戻ろうとは思わなかったんですか?
そうですね。
私、母親業っていうのも、
自分の人生の中では絶対欠かせないものなんですよ。
だからちゃんと食事作ったりとか、
子供をきちんと育てたいという気持ちがすごく多かったので、
テレビだとやっぱり、
無いことも不在も多いですよね。
仕事を選べばそうじゃないかもしれませんけど。
あとやっぱりどんどん新しいフレッシュな方がどんどん入ってくるから、
どんどん世代を変えたら絶対幸せなんですよ。
だからそれもありましたし、
私が母親になってできるアナウンスの仕事ってもあるのかと思ったんです。
それが2番目に見出したのは、やっぱり結婚式の司会とか、
コンベンションの司会とか、その司会業ですね。
なるほどね。
司会業っていうのはテレビとまた違って、
現場にいるお客さんはこのあのの呼吸なんですよ。
あー、なるほどね。
だからテレビは一方的に当時扱えるメディアですけども、
司会者というのは本当にその場の空気を読んで、
その時に何を話すかっていうすごい楽しい仕事なんですよ。
だからその司会の仕事もすごいラッキーな感じで、
いっそこにすり渡り込んじゃったんですよ。
なるほどね。それもちょっと一瞬のチャンスを使ったわけですね。
そうですね。それで本当に司会者自体も素晴らしいお客様とか、
会場に恵まれてですね。
もう本当に楽しい方ですね。
もう多分恐らく婚礼だけで400以上やっていただいていると思います。
まあそれも本当に一回一回が勝負の世界ですね。
全てそうです。
で、他に変わりがありませんから、
何ヶ月もかけてその日の結婚式を作り上げていくわけですから、
私だけの仕事ではないですね。
いろいろなコーディネーションもいろいろ考えていますから、
だからそれはテレビの仕事とは全く違った感じの快感がありますよ。
お客様と本当に最高の一日を作り上げていくという意味ですね。
それっていうのはオーストラリアに来るまで続いていたんですか?
はい。一度子供を産むためにオーストラリアに帰国したんです。
で、1年間はべったり母親しました。
もう本当に子供におっぱいをあげて、
その間もアルバイトで仕事をしていましたけども、
1年間は本当に母親業を楽しみましたね。
それで1歳のお誕生日、娘の1歳のお誕生日の時に
また日本に帰ってくる機会に恵まれて、
そこから日本での第二ステージというかね、
仕事の第二ステージがスタートしたんです。
で、本格的に移住されたのはどういう感じですか?
2000年です。
どういう感じだったんですか?
そうですね。結構がけっぷちですよ。
私、2000年にこちらに移住する前に
1回離婚してるんです。
1番最初にランナーさんと。
離婚して、その後何ヶ月か後にもう一回再婚とか復縁をして、
で、新規一転。
復縁したんですか?
同じ人と。
で、新規一転、場所を変えてオーストラリアに帰ろうということになって、
本格的に移住のための帰国をしたんですけど、
その3ヶ月間にまた離婚しました。
オーストラリアで。
だから2回してるんですよ、日本とオーストラリアバージョン。
お金もかかります。時間もかかります。
なかなか大変なんですけど、いいレッスン料ですよね。
18:00
で、それで戻ってきました。
それで一回また日本に戻られたんですか?
いや、もう1回2000年に戻ってきてからずっとオーストラリアに。
じゃあ、離婚されたまま、そのままオーストラリアでずっと。
はい。シングルマザー生活。
なるほどね。
日本に戻ろうとは思わなかったんですか?
子供を英語学校で育てたかったんですよ。
だから子供は当時も幼稚園の年少さんだったんですね。
日本の幼稚園も馴染んでて、英語教育も受けさせていて、
その時代だったらどっちでもやっていけるだろうと思いました。
時期的にはね。
時期的にはまだ頭の柔らかいから。
でもちょうど2000年に帰ってきた時に、
うちの娘が日本でいうところの年少さんが1年終わるぐらいの時だったんですね。
で、オーストラリアご存知かもしれませんけど、
プレスクールって小学校の1年前初版がありますから、
もし英語教育をスタートさせるんだったら今が多分ですよね、
という気持ちも私はあったんです。
それで、じゃあ今後どちらの環境で進めるかって決めた時に、
私は英語研だなってその時思ったんですね。
だから離婚して一人にはなりましたけども、
私も多少英語が話せるし、何とかなるんじゃないかということで、
オーストラリアに残ることを決めました。
子供のためというか、子供の教育が一番です。
なるほどね。
じゃあその中で清美さんはどうやって、
シングルマザーだし、お仕事も新しい環境でしていかなきゃいけないわけで、
どういう風にされてるんですか?
その時が仕事的には一番大変ですかね。
というのは、面接で履歴書を持って行った時に、
希望年収を書くなんていうのがあるんですよ。
それを思いっきり日本の時の年収を書いた。
そういう年収の人はここではいませんって。
もう完全にその時点でまず無理なんですね。
なるほどね。
それである程度自分がやってきたものを手放すということもすごく大事でしたし、
それからあとは自分がやったことのない分野で何かをするということで、
日系の会社から入ったんです。
でもそこの自分が新しい分野に入っていくというところで役に立ったのは、
結婚式の司会者だったのがすごく役に立って、
日系の海外ウェディングを扱う会社に就職することができたんです。
じゃあそういう意味では日本のやってたことが…
そうです。司会者だった時のキャリアが、
仕事がオーストラリアでも役に立ったということですね。
日本と全く同じものではないんですけども、
ウェディング関係ということで仕事を見つけることができた。
シングルマザーですから時間が限られてますし、
そうですよね。
皆さんにわがまま言わせてもらって、
みんな本当に助けてもらいながら、
みんなに子ども育ててもらいながら仕事をさせてもらって、
その時の何年間の時代というのは、
本当に自分の個人的にはしんどい時代だったんですけども、
本当にかけがえのない。
あの時にすごく人間が丸くなりました。
本当にみんなに助けてもらうことが、
こんなに本当に自分にありがたいということを本当に思いました。
今まで自分一人で生きてきましたから、
大概のことは苦しいことでもやってくれたんですけど、
21:00
子どもがいますでしょ。
だから子どもを中心となった時に、
みんなが可愛くて子どもを見てくれるとか、
そういうことが本当に人生に起きて影響しましたね。
で、それから、
数年間とおっしゃったけど、
お辞めになったんですか?
転勤先の、私ボードコース支店にいたんですけど、
転勤先のケンズ。
で、ちょっとその時の上司の…
あ、ケンズっていらっしゃったんですか?
そうなんです。その後ケンズ。
その時の上司の方とちょっと折り合いがつかずに、
すごい大好きな仕事だったんですけど、
そのウェディングの仕事を離れて、
で、しばらくどうしようかなと思ってたんですよ。
で、そのうちに自分の人生も何とかしなきゃいけないなと思いまして、
それで、インターネットコンカス。
で、もうこれはインターネットコンカスで、
私の最高のファンリーをまずは見つけて落ち着こうと思って、
で、インターネットコンカスにプロフィールを投票して、
全世界から素敵な旦那様の候補をオーディションさせていただいて、
オーディションさせていただいて…
まずは自分の人生を何とか一応セットルしててね、
それから考えようということで、
インターネットコンカスをしまして、
で、見事380倍の…
380倍!
飛び抜けた時ロンドンに住んでいた、とても素敵な…
その時ロンドンに住んでらっしゃったんですか?
彼が、はい。
で、ロンドンから応募がありまして、
応募っていうのもなんか高見下ですけど、
ロンドンからメールをいただいて、
何回かメールのやり取りをして、
それで、彼が今の旦那様です。
例えば、380人の中から1人決めるっていうのもあるし、
まあ、選ぶ立場とはいえ、
向こうも選んでるわけだから、
インターネットコンカスに際しての
清美さんの基準って何かありますか?
基準ですね。
まずは一つは、
彼がメールを送ってきたのが、
すごくも割の方だったんですよ。
すでにもう300通以上のメールとか来ていて、
それ期間どれくらいですか?
期間3週間。
3週間でそんなに来たの?
だってもう時間はないですから、シングルバージョンは。
380、そんなにすごいんですか?
世界の目を向けると。
だからね、清美さんね、
そのプロフィールの書き方なんですよ。
どうやったらこの人、
私のストーリーを読みたくなるかっていう、
その肝がね、あるわけですよ。
決め手が。
決め手があるんだ。
この人のプロフィールを見て、
この人にメールをしたいと思わせる書き方っていうのは、
ライティングですよね。
それはインタビューとか、
面接と一緒ですから。
テクニック的には。
やっぱり清美さんが、
一瞬で自分とまた仕事をしたいとか、
選ばれたいっていう、
そのオーディションに臨む姿が、
そのライティングにもバッチリ現れてたってことです。
だから私が最初的に選ばせてもらったんですけども、
最初、私を選ぶのは相手ですからね。
そうですよね。
最初この人と面接したいと思っていただくためには、
それ相手が興味を持つような書き方って絶対不可欠だと思うんですよ。
それを私はインタビューとか見せてやってきましたから、
24:00
それを今度自分の人生に置き換えて、
さて、これからの自分の後半の人生は、
もう1回目の結婚とか大変でしたからね。
子供もいますし、
ちゃんと落ち着いて幸せになりたいっていうことだけがやっぱり重要でしたから、
そうなってくると、もうちょっと真剣勝負ですよね。
そうですよね。
シンクルマザーですから、何年もダダダ付き合ってる理由がないわけですよ。
3週間の間で1回だけで一発勝負で決めようと思います。
その中からいいやつ選ぶって言うとダメなんですよ。
もう時間ないんだから、シンクルマザーは。
もう1回でポンってやっぱりベストの人と今後は仲良くしていきたいなと思うわけですね。
そこの覚悟じゃないかな、やっぱり。
じゃあ、その380人の中でイギリスに当時住んでた彼が、
その決め手は何だった?
一番地味だった。
本当に。だってメール送ってきたのも一番最後の方だし、
それで写真もアタッチされてないし、
全然どんな顔だか分からないです。
みんなもいろんな写真を、肉対比のいろんなのを送ってきましたけどね。
そうですよね。
僕はこんな外車乗ってますとか、私筋肉モリモリですとかいろんなの送ってきましたけど、
その彼は、うちの旦那さんになる人は全く写真もアタッチしてないんですよ。
で、文章もそんなにダラダラ書いてませんし、
ただ私がすごく彼の文章で心を惹かれたのは、すごく控えめなとこですよ。
それで、あなたのプロフィールを見て、とてもあなたとお話をしてみたいと思いましたけれども、
でももうあなたのプロフィールがオープンされて3週間も経っているから、
もしアイリアルな素敵な方があなたの人生に現れたのであれば、
僕はあなたの幸せを祈りますっていうふうに締めてきたんですよ。
これなかなかこういう控えめなこと書ける人はいないな。
私の幸せとあなたの娘さんの幸せを願いますって書いてある。
今まで私の幸せを願ってくれるっていうメールがあったけど、
あなたの娘さんの幸せを願うって人はいなかったなと思って、
この人なんかとても素敵な人だなってその時に文面から思ったんですよ。
これは女の直感、母の直感、これはもう動物的直感でしかないですよね。
じゃあその残りの380人の方は、もう一気に冷めるぐらいに。
もう全然そうですよね。
だって結婚する人一人しか必要ないですよね。
もちろんその380人の中でゴードコースに住んでた方、
メールボールに住んでた方がいらして、
その方とはちょっとメールやり取りとかしました。
お一人の方をお会いしたりとかしたんですけども、
本当に本線の今の旦那さんになる方とメールのやり取り始めてからは、
お一人の旦那さん一本、この人だけに集中しようというふうに決めました。
もちろんね、選んでもそこから結婚に行くかどうかまだ分からないじゃないですか。
その辺はきょうみさんの中でどういうふうに考えてるんですか?
それはもうプロフィールの中に、
私が集中して考えたいのは安定した家庭だって書いてありますから、
安定した家庭、嫌でもっとラバーフェイをしたいっていう人はもう無理なんですね。
27:04
その時点で。
私の子供もいます。シングルマザーです。
外国人で東洋人です。全部書いてありますから。
全部素直に書いてありますから。
まずその部分でそれが嫌な人はメール送ってこないですよね。
私フォーカスしてることはもちろんすごくロマンチックな恋愛ももちろんすごくしたいけども、
でも私はもう本当に幸せな家庭っていうのが一番の自分のプライオリティだってことを込めてありますから、
それにやっぱり同感しなしは無理ですよね。
ダラダラしちゃダメですよ。
すごい短期集中型ですね。
短距離走ですね。バーンとですね。
私動物占いで黒標なんですけど、バーンとですね。
狙いを定めたら。
狙いを定めて短期決戦です。それしかないです。
マラソンやってるとダラダラしますから。
なるほど。
当時彼はイギリスにいて、彼がオーストラリアに来てくれたんですか?
私は行きませんよ。本当に会いたかったら来てもらわないと。
私は行きませんよ。子供いますしね。実際に人いますしね。
そうですよ。それはやっぱり来て会いたいと思うぐらいの思いがある人じゃないとダメでしょう。
彼は初めてコンタクトとかどれぐらいで?
12月の末に初めてメールをもらって、会いに来たのが1月…2月です。
バレンタインデーの日。
だから12月から2ヶ月くらいメールをやりとりして、
バレンタインデーの日に初めてコンタクトをもらいました。
だから私たちの記念日ですよ。バレンタイン。絶対忘れないでしょ。
そうですね。忘れない。忘れない。
それから彼が移住してきたんですか?
もともとオーストラリアにA事件持ってたんですよ。
彼は医療関係者なので。
だから医療関係者で何回かオーストラリアに来た時に、
当時は完全に医療関係者というのがA事件を取れたので、
だから私もA事件持ってましたけど、
私が何も手を患わせることなく、
彼がもしオーストラリアに移住したかったら全然問題なかった状態。
お互いにね。
だからお互いに依存することなしで、
オーストラリアに住める状況にはお互いありました。
ただ彼も生まれる故郷がイギリスなので、
どうしようかなって思ってた時にも、
イギリスに帰ろうか、
それともまたオーストラリアで働こうか、
というような過渡期にあったみたいですね。
じゃあ彼の進路としても、
これからどうしようかって考えた時期だったんですね。
奇跡の独身男でしたしね。
今まで過去に結婚歴も子供もいませんし、
私みたいに戸籍帳でバッテンが2回ついてるとか、
そういうの全くないですし、
さらさらの真っ青な綺麗な独身の男性で、
とてもルクスモス的な方なので、
彼ぐらいだったら本当に若い方で、
全然たくさんガールフレンドを見つけられるだろうな、
と思ったんですけど、
ご縁が私のところに戻らせたというかですね。
じゃあそこから彼が移り住んできたのはいつ頃?
30:00
そのまま移り住んじゃいました。
ビザ的には全く問題がないので。
そっか。
でもそのまま当時仕事とかされたのも全部置いて、
医療関係だと世界中どこ行っても大体英語と話せたら大丈夫ですよね。
だから問題なくゴードコースの病院に就職も決まり、
最初はブリスベンで決まったんですけど、
私がゴードコースなので、
じゃあゴードコースにするねって言って、
ゴードコースの病院に就職も決まって、
問題なくすると。
じゃあそこは本当にスムーズに一旦ある意味で。
短期決戦ですからね。
マッカイキヨミさんのインタビュー1回目でした。
今回もですね、カフェで撮らせていただいたのでね。
はい。
非常にそばでうるさい音が。
たくさんいらっしゃるし周りに。
そうなんですよ。ガチャガチャね。
お皿も鳴るし。
有名なカフェだったんですけども、
そちらで撮らせていただいたので、
その辺の雰囲気も一緒に感じていただけたらなと思います。
キヨミさんはですね、やはり私が聞いて思ったのは、
チャンスを掴む、一瞬で掴もうとしにいくパワーが強いと思いましたね。
レポーターとかアナウンサーとしてのオーディションを何回も受けて、
その1回1回が勝負だっていうところっていうのが、
叩き上げっぽくて、実力で勝負してきたっていう感じがすごい伝わってきたんですよね。
どうしたら注目してもらえるかみたいなことをね、
ちゃんといつも考えてたみたいな。
そうですよね。
俳優さんとかのオーディションも一緒だと思うんですけど、
一瞬でパッと光るものを感じ取ってもらえないと、
即効とされる厳しい世界じゃないですか。
そうですね。
その厳しい世界の中でどうやって選ばれるかっていうのを
日々研究してきた結果がここにあるのかなっていう気がしましたね。
旦那様の380人の中から、あれも私すごいなと思ったんですよね。
期間もすごい短く、
3週間すごくないですか。
限定して選ばれてるっていうところがすごいなと思いました。
結果にコミットって、どっかのCMじゃないですけど、
本当に行くって決めたら、
そのためのやれることは全部やる人っていう感じの、
すごく行動力がある方だなっていう感じがしましたね。
そうですね。
婚活で悩んでる方は、
やっぱ彼女の音声を何回も聞いてほしいなと思いましたね、私。
迷ってる場合じゃないんですよ。
でもあの人はこうだから、ああだからとかって言って、
永遠何にも決めない人たくさんいますよね。
彼女はシングルマザーで時間がないから、
33:01
3週間で決める。
とにかく時間がないっておっしゃってましたよね。
そこを変な話、オーストラリアの人じゃなくて、
イギリスの人に決めるっていうところが、
またすごいチャレンジングじゃないですか、ある意味。
そこを決めて、その人とうまくいくかどうかもわからないけども、
その人だって決めて、結婚までこぎつけてしまうというパワー。
私はね、やっぱり別に婚活だけじゃないけども、
本当にやりたいと思った時の勝負をかけていくこの感じ。
これは本当に婚活に限らないなって私も思いましたね。
もうある意味ビジネスと同じ。
同じ。
婚活もビジネスも全部、自分の人生全てですよね。
だからそういう意味では、
そこに集中してそこに向ける行動を迷いなくやってるじゃないですか。
エネルギーすごく注いでますよね。
このパワーというかエネルギーを分散させないで、
一個にレーザービームのごとく集中するっていうのが、
彼女が結果を出してきた秘訣かなという気が私はしましたね。
次回はまた彼女の面白い話をたくさん聞いてますので、
ぜひ楽しみにしていてください。
ありがとうございました。
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また次回もパリで学んだブレない自分の作り方をお楽しみに。
あきでした。
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