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2024-10-20 21:30

第212回「編集者とインタビュアー。それぞれ大切にしていることは?」映像音声クリエイター:中江公大さん(中編2)

▶️ 2024年10月マンスリーゲスト

『映像音声クリエイター』中江公大さん

▶️ 今回の内容(目次)

オープニングトーク

インタビュアーとして大切にしていること

編集者として大切にしていること

インタビュアーとしての立ち位置

インタビューしたい相手

ニュージーランドでの体験

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

✅ 中江公大(なかえ・きみひろ)さん

プロフィール

鹿児島出身、横浜在住。12年勤めた大手製造会社を退職後、31歳でニュージーランドにワーキングホリデーへ。会社員時代は転勤族だったこともあり、生涯引っ越し回数は20回以上。帰国後は、幼少期から「人の話を聞くことが好き」ということを活かして、現在は『INTERVIEW | YOHEI HAYAKAWA』『石田衣良 大人の放課後ラジオ』など長時間のインタビュー/ラジオ番組の撮影・編集・運営を担当。移動の多い人生で出会った国内外で活躍する人の魅力や話を、多くの人に伝えられるよう「心に聴く」をテーマに映像・音声クリエイターとして活動。インタビュー番組『TANPOPO KOBO』も配信中。

➡️ 中江公大ホームページ


サマリー

第212回のCozy Spaceでは、映像音声クリエイターの中江公大さんがインタビューと編集における重要な考え方について語っています。彼はインタビューの際、相手の人生にプラスとなることを重視し、編集ではリスナーの視点を大切にしています。また、中江公大さんは編集者としての役割やインタビュアーとしてのアプローチについて言及しており、特にニュージーランドでのワーキングホリデーの経験が自身の成長に与えた影響を詳しく説明しています。

00:11
こんにちは。番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
伊藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何かということをテーマに、
あなたらしくいられる、ちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、
ついつい夢中になってしまうことや、個性を生かして自由に生きること、
そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
伊藤由美子のCozy Space第212回。
2024年10月のゲストは、映像音声クリエイターの中江公大さんです。
中江公大さんのインタビューは、第210回から第213回までの4回に分けてお届けします。
3回目のインタビューは、映像音声編集者、そしてインタビュアーとして大切にしていることについてお話をしていただいています。
では早速、中江公大さんのお話をお聞きください。
インタビュー時の重視点
そういったことで、インタビューにもすごく興味を持ってやっていらっしゃるということですね。
それを、自分がインタビューする時と、私の番組もそうですけど、
インタビューされたものを編集する立場っていう、編集者の立場ってまたちょっと違うと思うんですけど、
それぞれ、伊藤由美さんがインタビュアーとして、あと音声クリエイター、映像クリエイターとしてものを編集する側になるときに、それぞれ大事にしているところってどこなんですか?
まず自分がインタビューするときは、割合で言うと目の前の人のプラスになるようにっていうのが6割くらいかな。
6割くらい、はい。
で、残りの3割くらいがリスナーさんとか視聴者さんとかのためになるのが3割くらい。
あと1割くらいは自分のためというか、っていうのがインタビューするときに思うこと。
6対3対1。
みたいな感じですね。
そのインタビューした人のためにっていうのは具体的に言ったらどういったことですかね?
多分リスナーさん、インタビューされてない方も多いと思うので、分からないかなと思ったんですけど。
一言で言うと、その人の人生のプラスになってもらいたいというか、気づきが起きるとすごくいいなって思ってて。
他にヨガ講師とかもやってたんですけど、自分がヨガするときもそうだし、誰かにヨガを提供するときもそうなんですけど、やっぱりそのヨガって自分の感覚とかに気づくことが大事なんですよね。
ちょっと頭がもやもやしてるなとか、ポース取りながらちょっと腕が意外と痛いなとか、腰回りがちょっと違和感あるなとか、内面のこととか体のこととか、気づきが起きるっていうのがヨガの面白いところって思ってるんですけど。
インタビューもそんな感じで、これまでその方があんまり意識していなかったこと。
それこそ、今日ゆみ子さんが僕に言ってくださった、キミさん喋るのうまいじゃないですか、みたいなことを相手の方が気づきになってくれるといいかなって思ってます。
編集者としての視点
そういうことですよね、具体的に言うと。編集者としての大切にしてるところでは。
ここはゆみ子さん前に言いづらいんですけど、編集のときは視聴者、リスナーさんの目線が多分7割ぐらい結構高めなんですよ。
いや、高くてありがたいです。
お仕事の話をすると、僕のクライアントさんってゆみ子さんなわけですよ。
そうですね。
ゆみ子さんから編集の費用っていう形でお金もいただいてるので、だからゆみ子さんが私はこうしてもらいたいみたいなボーターとか、もちろんそれは答えるんですけど、お金を出す人が一番偉いというか、それが大切だと思いつつも、
でも結局最後聞くのはリスナーさんだよね、視聴者さんだなって思うので、やっぱり僕はちょっとそっちの方が強くって、本当にこれはゆみ子さんが言ってくださると思うんですけど、
人によっては、いや僕私がお金出すんだから、僕のために私のために編集してよっていう方も多分世の中にいると思うんですよね。
まあそうでしょうね。
だから僕はちょっと視聴者リスナーさんにフォーカスしすぎかもしれないですけど、やっぱり7割ぐらいは人が聞きやすいとか、なんかこの話から何かこう得てもらいたいとか、そういう目線ですね。
さっきの割合でいくと2割ぐらいはお客さんというか、ゆみ子さんの番組だったらゆみ子さん、やっぱり残り1割ぐらいが自分のためみたいな、なんかそんな感じで。
そうですか。でも私今の7対2対1ってことですよね、こっちの編集者として。
でも私としての個人的な考えからすると、やっぱりリスナーあっての番組だと思うので、やっぱりそこが聞きやすくしていただきたいのと、
どうしても自分がこうインタビューしてると、インタビューしてる内容がわからないっていうわけじゃないんだけど、客観的に見れなくなっちゃうので、
だから、やっぱりきみさんっていう別の人に編集してもらってるのがすごく大事だと思ってるんですよ。
やっぱりリスナー目線で言っていただきたいっていうところで、私は思ってるので、本当に7対2対1っておっしゃいましたけど、
本当にそのぐらいリスナーさんが聞きやすいとか、そういったところをメインにしていただければ、私自身はそれで助かってます。
ありがとうございました。
どうしても、自分で私も最初はこの番組編集してたときに、この話こんなにいるかな、私の前振りの話とか、すごい困って、本当に最初のこの10分ぐらいカットしたときあったんですよ。
ユミコさんが自分の喋ってる。
自分の、もちろん相手の方はいらっしゃるんですけど、いろんなその人との出会いとか、そういうところもちょっと興奮気味で喋っちゃったりとかするときあるんですよ。楽しくて。
悩ましいですよね。
嬉しくて、一緒にお話しできるのが。
気持ちはすごく良くあります。
で、これいる?私のこの喋りと思ってバッサリカットしたやつもあるんですけど、それをやっぱりそこって分かんないじゃないですか。
それもケースバイケースなんですよね。
ケースバイケースなので、これ正直正しい間違ってる世界じゃないじゃないですか。
ないですね。
何一つないので、聞いた人によってもその意見は分かれると思うんですよ。どう編集しようか、どうインタビューしようか。
だけど、そこでやっぱりキミさんみたいなね、一つ客観的に見て、冷静に判断して編集してくれる人がいるっていうのは、やっぱりリスナーさん目線で編集していただくのが一番、あなたと私は個人的に思っているので。
ありがとうございます。
でもさっきゆめ子さんがおっしゃっていた、私が喋りすぎている箇所とか、そこもさっき僕が言ったケースバイケースっていうのは、
例えばそのゲストの方と話をするテーマにもよるでしょうし、
例えばゲストの方の生い立ちを喋ってる、さっき言うと僕が14歳で一回リサーチしてみたいな話をしたときに、ゆめ子さんが自分のエピソードを申し出してくれると多分それは余計だと思うんですよ。
例えばですね、例えば。
でもそれが僕のエピソードトークが終わって、あとゆめ子さんが僕のためになるような、
例えばゆめ子さんが過去にインタビューした〇〇さんっていう人がいて、その人はこういうことがあって、君さんと近い境遇かもねとか、
なんかそのゲストのためになるようなエピソードとかあったら、なんかそれは価値があるじゃないですか。
僕にとってもそうだし、ゲストさんにとっても。だから良いも悪いもその時その時だし、本当にそれ抜きにして、声にエネルギーってやっぱり乗ると思うので、
ゆめ子さんがめちゃくちゃ楽しそうだったら、仮に内容なかったとしても、それは多分僕使うんですよ。
内容なかったっけ。あ、まあ内容ない時あるかな。
なんか内容の奥との濃さが割と薄いのも。
いや、わかりますわかります。
なんかすごい楽しげに喋ってるなとか。で、その楽しげなことがあるから、その次に繋がってくるとかもあったりとかするので。
そうですよね。そこは悩ましいとこですけどね。こっち喋ってるほうは。
だから都度都度判断しています。
そうですね。エネルギー乗ってる時はこのまま活かしましたとかっておっしゃっていただけるんですけど、
ただやっぱりこうやってインタビュー番組やっててなんですが、人って全部の話は完全に覚えきれないんですよね。
何が覚えてるかって部分的に自分が響いたところと、なんか楽しそうだったなとか、これ聞いてなんか良かったなっていう印象しか残らないって言っちゃいけないんですけど、
印象だと思うんですよ。だから今、きみさんがおっしゃったエネルギーが乗ってるかどうかの言葉っていうのが、
本当に大切だと思って、やっぱり嘘をつくべきではないっていうことに対して。
そこはやっぱりね、私がインタビューする時、ラジオをやる時には本当に思ったことを伝えるっていうのを本当にベースにしてるので、
それをたぶんきみさんが感じ取っていただいて、それを編集に活かしていただいてるんだったっていう、今解釈しました。
そうですね。だから僕自身がゆみ子さんの番組を担当させていただいてるのも、途中からゆみ子さんの番組に関わらせてもらってて、
だから初期の頃、何回くらいですかね。
たぶん1年くらいは、でも私1年ちょっとはやってたと思うので、1年半近くかな、自分でやってました。
当然それも僕、ゆみ子さんの紹介から全部聞いてたので。
そうですよね。ありがとうございます。
だからゆみ子さんがどんな方とインタビューしてるだとか、ゆみ子さんの癖というか特徴というか、分かってたので、
おそらくゆみ子さん的にも、ゆみ子さんの番組に聞かれるリスナーさんとかにも、この編集だったらOKではなみたいなことは思いながら。
そうなんですね。私の癖が分かって。
でもほら、理芸だからみんな癖があるじゃないですか。特徴というか。
大丈夫ですよ。わざと言っただけですから。
でもそれぞれの個性があるので、インタビューはあって、自分が出過ぎてもいけないし、だからといって自分の番組だから、全く自分がないのも意味がないしっていう、結構難しいところをやってるなって私は。
ちょっとね、やっぱり4年近くなりますけど、ここで思ってるんですけど、きみさん的にはそのあたりインタビュー、自分の番組だとインタビュアーとしての立ち位置っていうのはどんなポジションで思ってます?
そうですね。僕自身がインタビューしたものを発信する媒体っていうのは、今のところフォトキャストがメインなんですよね。音声。
だから自分の番組だから自由にできるっていうのもあるんですけど、結構長めにも流せるじゃないですか。フォトキャスト音声だと。
だから60分とかで出してもいいし、4分割にして出すとかも選べるし、違うっていうのは、例えばスポーツインタビュアーとか、本当にビジネスでやってる方達っていうのは絶対その人の言葉を引き出さないといけないというか。
本とか雑誌とかメディアとかに出して、ちゃんとお金いただいて、しっかり大谷翔平さんにインタビューするんだったら絶対大谷さんが思ってることを引き出さないといけないじゃないですか。
その時はインタビュアーの中への情報なんかゼロでいいじゃないですか。
ゼロでいいですよね。
ゼロじゃないとダメじゃないですか。
でも僕はそこの目的ではやっていないというか、だから僕自身がその人のファンとか興味があるとか、自分の興味性から来てるから、ファンと言うと大げさですけど、でも自分が相手のこと好きっていう気持ちでは言ってます。
そうですよね。そういう方にオファーしてインタビューさせてくださいって、そこも私も全く同じなので、興味のある人を紹介していきたいっていうところなんですけど。
クリエイターとしての役割
キミさんの番組だとクリエイターやアーティストの方の声を、キミズトラベルインタビューっていう番組名でやってらっしゃると思うんですけど、このクリエイターとアーティストって括りにしてるのっていうのはどういったところにあるんですか。
このあなたの創造性をより豊かにするってヒントを届けるっていうことで、ブログとかに書いてらっしゃったんですが。
やっぱりそれを言われると恥ずかしいですね。
そうですか。とてもいいなと思ったんですけど、絞り込んでるわけじゃないですか。クリエイターアーティスト。そのクリエイターアーティストって、今絞り込んでるとはいえ結構広めでも言えるところ、どこまでがアーティストでどこまでがクリエイターなんだっていう、そこのポジション的な話ありますよね。
ありますね。そこは本当にゆみ子さんがおっしゃってる通りで、僕自身も半分ちょっとずるい書き方してて、ずるい書き方っていうのは本当にゆみ子さんがおっしゃる通りで、ある意味世の中の全員がクリエイターであるアーティストなんですよ。全員。漏れなく。
例えば僕が今お仕事やってますけど、それを仕事一切やってなくて、専業シェフやっていたとして、でもそれでも僕はクリエイターであるアーティストなわけですよ。例えば料理を作るとか、家事をやるとか、何か普段やってる、絶対やってるじゃないですか、何かを。だからある意味全部。でも全部だと、やっぱりそれでも広すぎるから、その中でも自分が好きなことをやっている人たちって、
内面から出る輝きっていうとちょっとあれですけど、楽しそうというか、そういう人たちに対して話を聞かせてもらってるっていう、それこそゆみ子さんにも出てもらってるんですけど、自分も好きだし、その人たちがやってる活動を見て楽しそうだなっていう人たちに話を聞くようにしています。
それもやっぱりそういった感覚的なものですよね。楽しそうだなっていう。
感覚ですね。本当に感覚ですね。もちろん偶然もあって、例えば第1回目のゲスト、宮城武夫さんっていう方。その方、鹿児島にいらっしゃる方なんですけど、ペタルアートっていう花びらで作るアート作品を作ってて、その方の個展が、僕が鹿児島に滞在していたときに、鹿児島の商業施設の中で個展が開催されていて、
それをたまたま見て、たぶん僕が30歳に、それこそニュージーランドに行く直前くらいですかね。
そうなんですか。
たまたま、本当にたまたま。やっぱり20代から30代って切り替わるタイミングというか、より大人感というか。大人の男って何するんだろうと思ったら、個展でも見るからみたいな。そこはちょっと安易な発想だった。
安易な発想だったけど。遊ぶの?
アートとか商業もったらちょっとかっこいい大人になるんじゃないかなと思って、見に行ったんですよ。
大人の女性からすると可愛いと思っちゃいますね。はい、どうぞ。
そしたら宮城太郎さんのペタルアートの個展が開催されていて、花びらのアート作品が大きな作品から小さな作品までずらーって並んでて、見てたときにずっと一人おじさまがいらっしゃって、
僕が見てるときにその方が話しかけて、え?って思ってみたら、作者というか宮城太郎さん本人。
個展ってそもそも行ったことなかったから、個展に作者の人がいるっていうイメージがなかったんですよ。
そういうことですね。
今だと普通と言えば普通かもしれないですけど、当時はそのイメージは全くなくて驚いて、展示会行ったのでちょっとフラッと聞いてみたんですって言って。
そしたらその宮城太郎さんが、もともと鹿児島にある会社でそこで働いてて、若いときにアーティストを志してはいたものの、それが実現できず、でも何歳ぐらいだったかな。
奥さんもお子さんもいる状態で、やっぱりちょっと1年復帰してアートで勉強するって言って、それこそ30歳ぐらいのタイミングかな。
で、鹿児島から東京に、もう宮城さんは多分今は80歳ぐらいかな。
だからもう50年ぐらい前に鹿児島から東京に行って、奥さんも子供もいて、でも俺はちょっとアートの勉強したいからって言って。
やっぱ家族からいろいろ言われたんですって。奥さんも子供もいるのに、なんで今さらみたいな。
なんか安定な職位についててよみたいな感じかな。
そうですね。でもやっぱりその宮城さんは自分でやりたいことって思ったからそれをやったんだと。
でもやっぱりアートの専門学校を卒業して、そこで作品とかもちゃんと評価されていたんですけど、でもやっぱり鹿児島に妻子がいるから鹿児島に戻ってきて、
アーティストではなくてやっぱりその鹿児島の会社に勤めて働いたんですけど、50代前半かな、宮城さんが。
それまでも仕事をしながら作品を作りためてて、50代前半ぐらいのタイミングで会社辞めて、それまで作りためた作品を出して個展開催して、
最初の個展でもう全部の作品が売り切れちゃったっていうぐらい大繁盛して、
でもその後はペタルアーティストとして、花びらの作品を作るアーティストとして、アーティストとしての活動を始めてっていう。
なんかそんな面白い生き方してる人いるんだみたいな。宮城さんかっこいいなと思って。
みたいなそういうちょっと偶然の出会いとかもあって、いろんな方の話を聞かせてもらって。
ニュージーランドでの経験
そうなんですね。今の最後のちょっと楽しそうに聞かせてもらってるっておっしゃってますけど。
そういったインタビュアーとしての活進もしつつ、編集者としての仕事もしつつ、先ほどからちょっと出てると思うんですけど、
2017年、32歳の時からニュージーランドにワーキングホーリーで1年行かれたと思うんですが、
そこでのいろんな人との出会いとか、いろんな影響を受けるかなと思うんですけど、1年もいると。
秀美さんの中で会社員を辞め、ニュージーランドに飛び、1年過ごし日本に帰ってきたっていう、
その中での自分の変化っていうのはどういうところにあったと思います?
1個は人生で最初で最後の年齢的にワーキングホーリーだったので、絶対失敗したくないと思ってたんですよ。
秀美さんでいう失敗って何です?
改めて言われるとちょっと考えますけど、何もつかめないことが失敗かもしれないですね。
そうなんですね。その何もつかめないっていうことは嫌だと思ってたわけですけど、結果的に何かつかんだっていう印象で帰ってきてます?
そうですね。最初は本当に予防線いっぱい張りまくって、ワーキングホーリーとかも本当にいろんなやり方があって、
もう自分でビザ取ったりとか、会社席も全部自由なわけですよ。
誰に何か言われるわけでもないですし、でもやっぱり世の中には便利なサービスがあって、
ワーキングホーリーに行きたい人向けのエージェントとかそういうサービスが旅行代理店みたいなそういうのがあって、
ビザの人とか、僕は語学学校にも行ってるんですけど、その語学学校の圧戦というか、そういうのをやってるところもあって、
僕最初本当に何もわかんないところからスタートだったので、やっぱり手続きでうまくいかないっていうのも嫌だったし、
僕はエージェントを使ったんですよね。そのエージェントが語学学校と働き先も圧戦してくれるところだったんですよ。
お金がそんなにあったわけではなかったので、現地で働きながら滞在するつもりだったんですよね。
働きながら語学学校も行きながら滞在するという。
でみてみると、語学学校に行ってるときは、語学学校にホームステージながら行ってる状態で、
それは何ヶ月ぐらいだったんですか、語学学校は。
約2ヶ月、8週間だったので、2ヶ月弱ぐらいな感じですね。
その後は働き先も圧戦してくれる感じだったので、そこの働き先っていうのがマウントクック、ニュージーランドで一番高い山がマウントクックっていうのがあって、
マウントクックのおひざ元というか、そこにマウントクックビレッジっていうマウントクック村っていうのがあって、いわゆる観光地なんですよ。
そこのカフェ&バーで働ける。
僕、コーヒー好きだったから、ニュージーランドで1個やりたい仕事として、ニュージーランドってカフェ文化なんですよね。
だから、バリスタやりたいなって思って。
バリスタね。
バリスタの仕事がどうしようもしたくって。
で、エージェントにお願いすると、バリスタで仕事を案内してくれるっていうのがあったので。
それで、まず最初にニュージーランド北島と南島があって、北島にあるニュージーランド最大の湖、タウポコっていうのがあるんですよ。
そうなんですね。タウポコ。
レークタウポっていう。そこのタウポっていう街の中にある、ニュージーランドの中でも日本人はそんなに多くない地域なんですよね。
でも、せっかく海外行くんだったら、ニュージーランドでいうと、オークランドっていうのが最大の都市なんですよ。
北島の北側にあって、一番人口も多くって。
あと南島だとクライスト・チャーシュとかっていうのが大きな街なんですけど、大きな街は絶対日本人いるじゃないですか。
そうですね。きっとね。観光客も多いですしね。
だから、やっぱその大きな街は嫌だなって思って、小さめの街、日本人がいなそうな街っていうのを狙って、で、タウポっていう街の語学学校があって、そこに8週間滞在してっていう。
次回の予告と感謝
日本人がいないところがいいっていう、いると嫌だっていうのなんかあるんですよ。日本語を伝わらないようにしようとしたと。
もっとそうですね。やっぱり海外行く以上は。
中池ミイロさんにご登場していただきました。
次回は中池ミイロさんにとっての居心地の良い場についてお話していただきます。
番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は、Podcast音声アプリのフォローボタンをポチッと押していただくと、新しく配信されたものがスムーズに聞けますので、番組登録をよろしくお願いします。
この番組は音楽事務所ロイスタープロダクションの提供でお送りしました。
それでは次回もお楽しみに。伊藤芽子でした。
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