1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.262「バリキャリ助産師、..
2021-04-15 40:08

Vol.262「バリキャリ助産師、人生開拓記」

助産師でフェミニンケアセラピストの田谷きみこさんのインタビュー第1回目です。 

長年大学病院で看護師として働いてきたきみこさんが、心身のバランスを崩してから、どのような過程を経て新しい世界に踏み出していったのか?
また、独身貴族からいきなり結婚をしてライフスタイルが激変していった中で、きみこさんが抱えていた課題や葛藤を、赤裸々にお話いただいています。 

オープニングでは、「美人」という概念に対する日米仏での考え方の違いをお話しています。 

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https://bit.ly/2OK69n5


00:14
こんにちは、木です。今日もパリで学んだブレない自分の作り方の時間がやってまいりました。
さゆみさん、今日もどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
先ほどね、さゆみさんからあるYouTubeを見せていただいて、彼女はアメリカと日本のミックスの人で、日本語でYouTubeをやってるんですけど、めちゃめちゃ関西弁でね。
すごい面白いよね。
で、その彼女がたまたま話してた話題っていうのが、美人の基準だ、みたいなところだったんですよね。
で、日本とアメリカの違いみたいなことを、彼女の中でね、分析をしてくれて話してたんですけど、それが結構面白かったのでね。
ちょっとシェアをしたいなと思って今話してるんですけど、見てる視点がやっぱりポイントが違うなっていうところがまず、そのパーツの部分もそうだったし。
目とかね、体つきとか。
鼻はアメリカの人は低くしたいって言ってましたよね。
だって削るんですよ。骨削ったりとか。
例えば高すぎる鼻とかって美しくないんですって。鼻って私は高ければ高いほうがいいんだろうなと思ったの。
私ももっと鼻高くしたいとか思ったの。
だけど逆にアメリカに行くと鼻はね、ちっちゃい方がいいんだよって。
そこの顔の中で突出しすぎてたり、目立ちすぎると美しくないからって言って、削るんだって思ってましたもんね。
だから大きすぎてもダメだし、高すぎてもダメだし、目立っちゃダメみたいな。
やっぱり顔の真ん中にあるから、余計目立って見えるんでしょうね。
人が主張しすぎると他のチャームポイントを与えちゃうんで、せっかく目が綺麗でも鼻が大きいから削るっていう。
びっくりでしょ。
私もフランス来るまで本当その発想はなくて、フランス来てからうちの夫がね、すっごい鼻気にしてるんですよ。
そうなんですか。
だから本人鼻子気にしてるとは言わないんですよ。
でも人を見るときにこの人の鼻、この人の鼻って鼻ばっかり指摘するの。
だから私は全然気にしてなかった。なんでこんな鼻気にするんだろうと思ったら、鼻を気にしだすとだんだん私も鼻が気になってくる。
やっぱり高すぎるのも、あるいはちょっと和し鼻みたいなのも。
時々外国人だと和し鼻みたいな人もいますよね。
前から見ると気づかないけど横から見ると結構角度が出ちゃってるのとかあるから。
それってやっぱり彼らにとっては、日本人だとまず目じゃないですか。
その一重だったり二重だったりとかっていうのは。
03:00
一重か二重っていうのが日本人にはね、すごく重要なポイントなんですよね。
だけどアメリカ人はそんなの気にもせず。
一重とか二重っていう言葉もないって彼女は言ってましたよね。
私の目一重なの?二重なの?教えてって彼女に言ってくるって言ってましたもんね。
でも一重っていうのがまずいないからですよね。
多分アジア系の人だといっぱいいると思うんですけど、
でもそれはただ切れ長の目みたいなアーモンダイとかそんな感じで表現するだけであって、
別に一重、二重とか誰も気にしてないっていうところが面白いなって思いましたよね。
あとね、その体型の話で日本の人はデコルテを出すことをすっごい嫌がるのに、
あとすごく胸をね、それを出すとエロいとか言われるとかね。
だけどその代わりミニスカートは普通に履くみたいなね、足を出すのは別に平気。
でもアメリカはデコルテはバーンって胸もバーンって出すけど逆に下半身は出さないっていう。
ミニを履く方がちょっとセクシーに見えるっていう。
その辺のパーツは確かに面白いなと思いましたね。
どこをセクシーと思うか。
全然違いますけど。
お尻とかそういうのって結構アメリカ人の人はそこら辺を意識するかなと思いましたね。
すごくみんなお尻をぷっくりさせてるじゃないですか。
そういうお尻をアメリカ人ってみんな求めていますよね。
だから日本人の平均的な平べったいヒップっていうのはちょっと魅力がアメリカ人にとってはないのかなっていう。
細い胴体とかもダメみたいですね。
だから彼女も言ってましたけど細いだけって全然魅力的なわけではないし
あんまり痩せたい痩せたいっていうその意味が
ところ変われば全然違うんだよみたいなことは言ってましたよね。
ふくらはぎも筋肉があるように見せる。
ふくらはぎのメイクとか筋肉があるように影をつけるメイクとかあるって言ってましたもんね。
私もね結構聞いたことあったんですよフランスで。
フランスでもそうなんだよね。
やっぱり筋、ふくらはぎの筋が綺麗に見える方がちょっとやっぱりハイヒルハ入った時にかっこいいから
シェードの方をわざと入れて影を入れて
そうすると筋が出るようにするっていうのを聞いたことがありました。
でも逆に死者もわしの人とか逆にいいんじゃないですかね。
いいと思います。
だからところ変われば自分が欠点と思っているところも
すごい長所という捉え方ができるんですよね。
06:02
だから彼女もそのままでいいの。
あなたの欠点と思っているところを逆にもっと活かしてって。
そう思いましたね。
だから日本の中で良しとされているものって
その中で良しとされているだけであって
本当にその人の魅力って
もっと出してもいいかもしれないし
世界に出たら全然違うかもしれないし
私そういえば思い出した。
渡辺直美さんとかは
結構ありのままでバーンと魅力を出しているじゃないですか。
やっぱり彼女はそういう意味では
ニューヨーク行っちゃいましたね。
タイムスだっけ。どっか表紙に載っちゃったり。
IMGモデルエージェンシー。トップモデルたちの所属する
IMGと契約して行くって言ってて。
すごくないですか。これって。
彼女はお笑い会っていうか
コミカルなところで女優をやっていきたい
みたいなところもあるから
進出する時に
あの体型とかだったら
普通日本だったら太ってるっていう風に言われる感じじゃないですか。
それを自分の個性として彼女は転換して
アメリカだろうが世界に出ていこうっていうのは
私そういう意味では勇気づけられると思うし
ああいう人がどんどん増えたらいいなとは思うんですよね。
こだわらない方がいい。
細いのが全然魅力的じゃないんだよって
例えばアメリカに行ったら全然魅力的じゃないし
多分フランスも単に細い人って言って終わっちゃうかなっていう
そうですね。多分フランスもちょっとどっちかというと
アメリカ寄りなところがあるのかな。
例えばオフィスとかですごくデコルテが
多少見えるぐらいって全然普通じゃないですか。
だってテレビの人が
電気お姉さんとかニュースキャスターも
みんなデコルテを出してますからね。
足も出してるし
さらにアメリカ寄り出してるかもしれない。
大統領夫人がミニスカート60代で着こなしてるぐらいだからね。
やっぱり彼女は私ミニが好きっていうよりも
その線がやっぱり自分の個性としてあるっていうのは分かってるからであって
やっぱりパンツよりもスカート履いてた方が綺麗に見えるっていうのはあるのかなと思うので
そういう個性はやっぱり生かした方がいいから
自分の長所と思えるようなところ?
人それぞれ違うから
そういう意味では
自分の一般的な良さではなくて
自分の本来の身体っていうかその性格とか見た目も含めて
個性を見直してみるっていうのもいいですね。
と思うんですよね。
そうするとあんまり周りがこうだからとか気にしないで
いいんじゃないかなっていう気はします。
09:02
それでは本編スタートです。
はい本編です。
今回は序山市でフェミニンケアセラピストの
田谷紀美子さんにインタビューさせていただいています。
彼女はですね現役の序山市さんであり
実際ナースだった方なんですよね。
27年のキャリアをお持ちです。
もともと看護師からスタートして
大学病院の小児科で長年勤務されている中で
実際に彼女自身が自立神経がちょっとおかしくなってしまって
新しい世界に移り変わったということです。
その中でもうこう紆余曲折というんですかね。
波乱万丈な人生というんですかね。
いろんなことを経験された中40代の後半で
今のご主人と出会って結婚するんですが
またそこから彼女がうまくいかないっていうのを
経験されているという今回は前半をぜひ聞いてください。
きっと私もあるあるっていうところがあるんじゃないでしょうか。
ぜひ楽しんでいただければと思います。
こんにちは、あきです。
今日も素敵なゲストの方に来ていただいています。
徐山市でフェミニンケアセラピストの田谷紀美子さんです。
紀美子さん今日はどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
紀美子さんは今関西地区でご活動されていらっしゃるということなんですけれども
徐山市でフェミニンケアセラピストということで
まず徐山市はね、どなたでも大体わかると思うんですが
フェミニンケアセラピストって具体的にどういうお仕事なんですか。
フェミニンケアっていうのは女性の大事なところですね。
デリケートゾーンのケアのことなんですよ。
背院とか、肘とか、肛門周りですね。
そちらのケアのことなんですけど
肘の取説っていう本を監修された徐山市で心球試算でもあられる
辰野由里子先生に指示して骨盤底のケアですね。
全部のデリケートゾーンのケアをどういうふうにしたらいいのか。
今高年期でお悩みの方とか、あと妊活とか婚活とかね
そういうことでもお悩みの方たくさんいらっしゃって
婦人科に行くほどでもないけど一人で悩んでて
これ誰に相談したらいいんだろうみたいな人のために
カウンセリングをしたりとか骨盤底のケアをしたりとかしている。
なるほど。そのフェミニンケアのセラピストとしてはどれぐらいやってらっしゃるんですか。
資格を取ったのは今年の1月なので3ヶ月目に入ったところです。
12:05
結構その間お勉強とかされてたりとかしてたんですか、その前は。
そうですね。去年から講座を受け始めて東京まで通って
直接施術の方法とかも学んで資格を取って
ベース助産師の知識はあったので
それプラスそのデリケートゾーン中心の解剖学的なところとか
あと定用医学だけではなくて東洋医学ですね
アイルベーダーとかインドの伝統医学とか
そういうものを使うのと
あとアロマセラピーとかの知識も融合して
統合的によりの女性を見ていくというアプローチでやっています。
その辺の話は後半でまたたっぷりお伺いしたいんですけれども
もともとは助産師さんだったということでよろしいですか。
助産師とあと看護師としても働いていました。
相当長い経験ですよね。
今年で27年目でまだ現役で働きながら活動しています。
もともときみこさんは看護師さんとか助産師さんになりたいと思っていたのか
ちょっと成り行き的にそっちの道を選ばれたのか
その辺はどうなんですか。
それがちょっと面白い話なんですけど
高校時代に進路を決めるじゃないですか。
私の友人がお母さんが看護師さんで
看護師になるってずっと前から決めてる子がいて
私は進路を決める時に何か手に職をつけたいと思ったんですね。
ただのOLになりたくないというか
ちょうど母が認知症の介護をしているようなお仕事をしていて
何の資格もないからすごい安い給料で働かされていたというか
働いていたんですね。
それを見ていてやっぱり何かしら資格は取っていた方がいいなと思って
その友達に誘われたから看護師さんってお給料も良さそうだし
モテそうだし私もやってみようかなと思って受けたのがきっかけで
私が推薦で受かってその友達は全部落ちちゃったんですよ。
受けたところが。
彼女がOLになって私は看護師になった。
お母様の後に続いて自分も看護師になろうってもともと考えてた
友達の方がOLになっちゃったんだ。
そうなんですよ。
面白い。
何かお導きとしか覚えないんですけどね。
そのお友達がいなかったら看護師さんとかそういう道は
あまり考えもしなかったという感じだったんですかね。
そうですね。分かんなかったかもしれない。
でもまあ母の影響もあったからもしかしたら看護師さんっていいよって
お給料もいいしねみたいなのをずっと聞かされてたし
15:02
手にそこをつけなさいよみたいな感じで母から言われていたから
もしかしたら受けたかもしれないですけど
きっかけがあった。
そうですね。
きみこさんはもともと九州の方ですよね。
ずっと大学も九州の。
そうですね。九州大学で14年働いて
だいたい最初に採続されたのがNICUという
超未熟児とか先天的に病気を持っているお子さんとか赤ちゃんとかの
集中的にするような保育機がパーッと並んでいるようなところだったんですね。
1年目にそこに配属されて、私女三子になりたかったのに
資格まで取ったのに看護師はいよみたいな感じになってしまって
えーって思って。
でも赤ちゃんを産んだお母さんとかご家族と接することはあるから
おっぱいの指導とかそういうのはできたんですけどね。
そこから小児人生が始まってしまって
NICUが7年、小児科に1年、小児外科に3年
またNICUで働いて
ずっとそっちの方面ですよね。
小児のスペシャリストみたいになってしまって。
なるほど。でも女三子さんの資格も持ったっていうことは
そっちの方に興味がもともと学生時代とかからあったってことなんですか?
九州大学の医療技術団体っていうところに看護学科が3年
女三学取りたかったらあと1年行くっていうプログラムがあって
一旦働き出してから勉強するのって私無理だなと思って
取れるならもう4年行って女三子の資格まで取ってしまおうっていう感じで取りました。
でも女三子のそういう配属にはならずずっと
九州大学ではほとんど三婦人科配属っていうのがなかったから
でもやっぱり女三子として資格も取ったし
1回働いてみたいなと思って思い切って辞めて
14年働いた九州大学を辞めて
一般の婦人科さんに働いて
婦人科のクリニックでも外来とかやってたりしたんですけど
そこのきっかけもずっと小児科だったから
そこにいる限りは確かに女三子の仕事はなかなかできないっていうのは分かってらっしゃったと思うんですけど
ここで思い切ったっていうのは何かきっかけがあったんですか?
何回か部署配属の希望みたいなのは出してたんですけど通らなかったんですよね
14年経った時に副市長とかもやっていたので
心と体が結構病むような感じですごい忙しくて
朝6時半に出勤してもう夜中に帰るとか
18:00
泊まって帰るとかいう生活がずっと続いて
私このままじゃ幸せになれないって思ったんですね
1回赤ちゃんが亡くなった時に
ちょっとその内容は割愛するんですけど
赤ちゃんの死をきっかけに
私このままじゃいけないと思ったんですよ
事務的になっちゃってるのが気がついて
だからこれはやばいなと思って思い切って
違う道もあるし
やっぱり胃の中の蛙というか
長年大学病院にいるとなかなか外に出る機会ってないし
でも外の世界にはいろんな働き方をしている看護師さんがいるっていうのも分かったし
そういう意味ではすごく勉強になりました
やっぱり大学病院の福祉署まで行きたっていうのは
相当高いからなのか地域的に仕事が増えてなのか
看護師さんって相当きついとは聞いてるんですが
あくまでも相当いい意見で
やっぱり心がおかしくなるくらいまで
追い詰められたりするもんなんですか
普通に勤務をしているわけですけど
私が1年目の時とかまでは
3交代制勤務とか普通だったんですよ
日勤、巡夜、深夜みたいな感じで
1日を8時間ずつ分けてシフトを組んでたんですけど
そうすると夜中に帰らないといけないじゃないですか
結構事故とかもあったりとかしてそれで
大体今では2交代制って
朝から夕方までか
あと夕方から次の日の朝までか
っていうシフトになってるんですね
そういう生活をずっとやってると
本当に自立神経が乱れるんですよね
昼間働いたり夜働いたり
しかも夜勤明けでかかりとか
後輩の指導とか
なんとか委員会とか
だから夜勤のまま出て行ったり
夜勤で一旦帰ってまた夕方5時ぐらいから
話し合いに出て行ったり
本当に看護師さんって
見てるだけの仕事じゃないことも
いっぱいしてるんですね
あと看護研究とか
あとは学会発表とか
だからそういうのがどんどんどんどん
積み重なってくると
いっぱいいっぱいになってくるんですよね
頭もだし
体が疲れると心も病んでくるし
心ですごいストレス受けると
ベース体疲れてるから
病んでいくというか
だから結構看護師さんとか
助産師さんもそうだと思うんですけど
心の病気を抱えて
やめていく方とかも
いらっしゃいます
素人目線で思っている以上にハードだっていうのが
よくわかります
21:01
私もやってみて
看護師さんってこんなことまでしてたんやなって
思いますけど
看護計画とかね
患者さんが入院してきたら
いろんな書類も書かないといけないし
一人の患者さんに対して
この人が入院してから退院するまでに
どういう問題があって
健康上の問題だけではなくて
家族関係の問題だったり
そういう
あとは
退院する前だったら
地域への連携だったりとか
そういうものも
考えていかないといけないという
いろんなことをやってるかな
と思います
本当に病院の中で見る姿は
ほんの一部の
ということですよね
だから全部業務が終わった途中で
記録なんかする暇がないから
終わってから
記録をしたりとかして
結構遅くまで残ったりとかね
その時の状態って
辞める直前とかっていうのは
相当
清子さんも今とは違ってた?
全然違いました
もうすごく何とかするべきとか
何とかしなければならない
とか
ガチガチ人間だった
もうね
銃箱の隅を突いて
一回教えたよね
みたいな感じで
めっちゃ怖かったと思うんですけど
本当にね
そんな感じの人間になっちゃってた
怖かったと思う
清子さんとはまた違って
だんだん
いい感じになっていったみたいな感じなんですね
そうですそうです
このままじゃやばいなって
自分で思い切って
でもやっぱりすごい怖かったんだけど
今更何が自分にできるんだろうって
そこそこいいお給料も
いただいてたし
これ辞めたらもう給料が
3分の1とかぐらいに
下がるのはもう目に見えていたけど
お金を取るか
幸せを取るかというか
の選択だなと思って
自分の可能性に賭けてみようと思って
思い切って辞めたんです
それは
看護師として働いて
何年の時でおっしゃいましたか
14年目ですかね
14年目で新しい世界に入っていこうと
お辞めになって
どうされたんですか
一般の産婦人科に働いて
そこがちょうど
婦人科のクリニックとかも
されていたので
女の子とかも見ながら
お産も見ながら
女産師としても
スタートしたってことだったんですか
でもね
やっぱり14年間も
学んだ時から14年も経ってるんで
だいぶ知識も
なくなってて
そこから私から勉強してみたいな
感じでしたけど
でもしていくうちに
やっぱり私赤ちゃんが好きかも
24:01
っていうのに気がついて
戻ってきた
だからちっちゃい赤ちゃんとかも
すごい好きなんだな
っていうのが自分が思って
だいたい1年目の時に
配属された部署の影響って
すごく看護師とかには
当たらない
産婦人科の
勉強もさせていただいて
自分でもう一回
やっぱり赤ちゃん
ちっちゃい赤ちゃんみたいなと思って
そこで関西に引っ越したのかな
NICUをもう一度
やりたいと思って
京都に住んでみたかったんですね
そういうことだったの
憧れがあって
これをタイミングだと思って
この一生は
1回しかないし
思い切って出てみようと思って
チャレンジしたというか
それはクリニックで働いてから
どれくらい経ってから京都に
連れられたんですか
2年くらいそちらで
経験された後に
思い切って場所も変え
仕事も変えるということになりますよね
また
新しいスタートがまた始まったわけですね
その都道だから
人間関係も変わるし
住む場所も違うし
でもやっぱり自分の周りを変えたら
自分自身が変わるかもしれない
という期待もあったと思うんですけど
実際やってみたら
あれって
自分自身が変わらないと
何も変わらないなっていうのに
気がついてくるというか
なるほど環境が変わっても
っていうところですね
自分自身の心を整えたりとか
考え方とかを
捉え方
物事の捉え方とかを変えていかないと
いけないんだなっていうのが
よく分かって
1回そこをやめて
ちょっと心と体のバランスって
もうちょっと学んでみたいな
と思って
ヨガにその時ハマってたんで
思い切ってやめて
バリ島に1ヶ月間
滞在して
ヨガのインストラクターの資格を
取ったっていう
キミコさんって結構バッと決めたら
バッと集中的に
思い切ってね
この一生は1回しかないから
やってみようみたいな感じ
じゃあ京都から今度1回バリに
移って
ヨガのインストラクターまで
戻られたんですよね
今度日本にまた
その後は次
どういうステップになったんですか
どういうステップにしようかって
でもやっぱり蹴っ取り早くと言ったら
いけないですけど
きちんと稼げるし資格もあるのは
やっぱり看護師、調算士の資格なので
やっぱりそれを生かして
働こうと思って
またNICUの世界に戻って
今度京都ですかまた
大阪の病院でしたね
NICUでは結構有名な病院で
例えばその1ヶ月間
1回海外に出たことで
27:01
なんかキミコさんの中で
働き方とか
自分のおっしゃってた幸せみたいなところで
何か変化ありましたか
そうですね
そこでいろいろ体も整えて
あと瞑想とかも始めたから
いろんなことが
起こっても
自分自身を調整できるようになりました
自分の軸がしっかりして
ちょっともちろん揺れるんですけど
戻ってくるスピードが
早くなったというか
独身で一人暮らしだったから
それできたんですけどね
逆にそのチャンスを
生かしたってことですよね
今思えば
じゃあ戻られて
大阪で働いて
その後どんな感じで
あれって
私このまま同じことを繰り返してないと思ったんですよ
結構仕事も
やっぱりまたすごい忙しいところになっちゃって
夜勤千住って言って夜勤しかしないような仕事をしてたから
ますます体がおかしくなってきて
最終的に年齢的な問題もあったけど
不正脈とか起こしだしたんですね
自律神経の乱れで
いよいよやばいなと思った時に
自分の人生はどうやったら変えられるんだろうと思って
88日間で人生を変革するっていう
セミナーに行ったんですね
それは動画を配信していただいて
それを見て
毎日ワークをするような
東京で1回ビッグサイトで集まるみたいなのがあって
そこで出会ったのが旦那さんだったんです
でもその時っていうのは
夜勤千住でずっとやってらっしゃるタイミングで
勉強されてたってことだったんですね
看護師・助産師ってシフトに縛られるんですよね
毎月毎月働き方も違うし
2、3ヶ月先の勤務規模とかを聞かれるんだけど
そんなんわからんしっていう感じで
そういうスケジュールに縛られる人生は嫌だって思い出して
嫌だったら自分で何かしないといけないよねって
そこらへんから自立の道を模索し始めたというか
私にはまだ何かできるはずだみたいなのがあって
でも何をしたらいいのかもわかんないし
結構ジレンマな感じだったけど
女の幸せも手に入れたいし
自立もしたいしみたいな感じで
88日間のやつを受けて
最初に旦那さんと出会った時は
奥様を亡くされて1年半ぐらい経ってたのかな
ちょっと暗かったし
お子さん2人もいたし
30:02
こんな人に好かれたら大変だなって思ったんですよ
ちょっとめんどくさいよねって思って
でも結局そういうことになってしまったんですけど
なるほどね
人生何が起こるかわからない
わからない
じゃあ結局出会ってからどれくらいで結婚されたんですか
お付き合いしだしてからは1年ぐらいですかね
じゃあこの1年の間にガラッと
きみこさんの生活がまた変わりましたよね
男性とちゃんと付き合えてなかったというか
仕事はもうすごいできるんだけど
バリキャリと言われるようになって
でもうまく男性とのお付き合いができない
負けたくないじゃないですけど
戦っちゃってたんだ
戦っちゃったりとか
甘えられない方
自分でそこそこ何でもできちゃうから
頑張れちゃうし
自分でも稼げてるし
海外旅行も行きたかったら行けてるし
買いたいもの買えてるし
みたいな感じだったし
本当は甘えればいいんだけど
甘え方とかも全然わかんなかったし
だからあんまり男性とのうまくお付き合いの仕方とかも
すごい下手だったんですよね
そういう人いっぱいいると思うんですけどね
と思いますね
働きっぷりを見てたら
こっちの方に目が向く時間もないって感じの生活だったじゃないですか
目が向かないわけじゃないんですよ
常に結婚したいとかパートナー欲しいとか
いうのはあるんだけど
出会いがないみたいな
自分もそういうところにも行かないみたいな
行ったところでこの人は私の対象じゃないみたいな
最初そういう甘えられないとか
言い方変だけど男二人いるみたいな感じじゃないですか
その中でキミコさんは変わっていったってことですよね
結婚するってまだお付き合いをしてる時かな
その時にタイのチェンマイに旅行に行って
ヨガの先生たちと
チネーザンマッサージって言って腸内解毒マッサージっていうのを受けたんですよ
内臓にはいろんな怒りとか悲しみとか
イライラとか
そういうものが全部溜め込んであって
腸をほぐすことで
その古い感情がデトックスされる
っていうセラピーなんですけど
その最後の日に
すごいゴッドハンドのおばあちゃんだったんですけど
窒の中に指を入れて
窒から内臓をマッサージするっていう
カルザイっていうのがあって
男性は抗がんとかをするんですね
あと肛門の中にも指を入れて
内側からマッサージするっていうのも受けたんです
33:03
それを受けてから旦那さんに出会ったんだ
先に受けてたんですね
で、窒を触ってもらってから
女性性を楽しめるようになったんですよ
別になんか言っちゃったとかそういうのじゃないんですよ
全然感じたとかそういうのでもないんだけど
なんか自分の中のブロックが
腸内解毒マッサージとかも受けたのもあって
すごいいろんなものが外れていった
その後に旦那さんと出会って結婚した
なるほどね
旦那さんと出会ったときは
女性性的なものは
ちょっとずつ
スカートとかも履けなかったんですよ
いつもパンツルックで
どっちかというとかっこいい系の格好をしてたんですけど
スカートもたまには履けるようになったりとか
赤とかピンクとかも嫌いだったし
リボンとかも嫌いだったし
女性が好みそうなものっていうよりも
かっこいいものが好きだった
どっちかというと男性が好むような
ちょっと北欧家具の
アンティーク家具だけど
結構シャープな感じのものとかも好きだったし
でもなんかだんだん
その旦那さんと出会って
もう一度恋をするっていうのを
思い出したんですよね
こんな感じだったみたいな
夢見心地になって
お子さん二人いて
最初は大変だなと思ってたし
私の父も知らない女が生んだ子供を
お前は育てられるんかって言われて
確かにそう言われたらそうやなって思ったけど
でもなんとかなるかなって
確かにそこのプロの部分がね
浮かれてるから
46、47で結婚できる事態が
周りもおめでとうムードだし
私も結婚したいと思ってたのが
これでかなう的な
感じで結婚をして
そしたら甘かったんですよ
本当に二人きりの生活というよりは
いきなりお子さん二人いらっしゃるから
四人家族になって
ずっと一人で独身を謳歌されてた
キミコさんにとっていれば
家の中にいろんな人がいるというだけでも
お子さんがいる生活って
病院とはまた違いますもんね
勤務で仕事で出会うのと
生活するって全然違うから
何ならお風呂も一緒に入ってきたりとか
するわけじゃないですか
おっぱい触ってきたりとかされるし
自分が産んだ子ならまだあれだけど
知らない子が触ってくるみたいな感じです
36:03
違和感が半端ないです
お子さんはちなみにおいくつだったんですか
結婚した時
年長さんで
上が小1くらいでした
5歳とか6歳とか
最初から懐いてくれたのもあって
ママを亡くしたけど
ママってお星さまになったんだよね
みたいな感じの子で
影がないんですよ
悲しみの影みたいな
私的には
あの二人だからうまくいってる
っていう感じが今はあります
そうやって慣れていったんですね
新しい生活にもまたチャレンジですよね
いきなり独身貴族から4人家族になって
家事も4倍になって
住むところも変わって
職場も変わって
友達は周り全部いなくなって
一人になるスペースなんかなくて
全然心がホッとする
時間がないんですよ
夜勤せんじはずっと続けてたので
続けながらやったんです
だからもう本当に鬱っぽくなっちゃったんですよね
薬飲んだりとか診療内科行くとか
そういうのではないけど
結婚するんじゃなかったって
下の公園で泣いているみたいな
そういう状態だったんですか
最後にお知らせです
願望を実現する稼ぐノート術セミナー
を5月も実施することにいたしました
3月から私もスタートして
収入が実際に1.5倍になった人
6月の売上目標が
3月中に達成できた人
もちろんそういう数とか
収入以外の部分でも
願望が達成している方
というのが続々
現れています
結局早くやった方が
早く達成するんだなっていうことを
改めて実感しています
5月は11日火曜日
21日金曜日
31日月曜日の
3回コースです
時間は日本時間の
11時から22時30分
もちろん欠席になってしまっても
録画をお渡しすることが
できますのでアーカイブで
見ていただければ大丈夫です
もし養成講座の方を
受けることになって
私の方の講座よりも
養成講座の方が早いという場合には
別の形でご提案できる
と思いますので
遠慮なくお問い合わせいただけたら
39:01
と思います
皆様のノート術を使っての
願望実現ができることを
応援していますので
ぜひ興味のある方は参加してください
ありがとうございました
この番組は毎週金曜日
を目途にお届けしています
確実にお届けするための
方法として
iTunesやPodcastのアプリの
購読ボタンを押せば
自動的に配信されますので
ぜひ購読するのボタンを
押してください
また皆様からの質問や
感想をお待ちしています
オフィシャルサイトは
パリプロジェクトで検索していただき
お問い合わせから質問や
感想をぜひ送ってください
オフィシャルサイトから
LINEアットやメールレターで
有益な情報をお届けしているので
こちらもぜひ
登録してくださいね
また次回もパリで学んだ
ぶれない自分の作り方を
お楽しみに
秋でした
40:08

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