めまい症と解説配信
イラストレーターの原あいみです。絵本や書籍、キャラクターを作ったり、難しいことを分かりやすく、漫画やイラストで伝えるお仕事をしています。
一昨日ですが、ボイシーパーソナリティの春木義勝先生が、私の少し前の配信で、めまいが起こったっていう話に触れてくださいまして、
ご自身の体験と、あとめまい症に対しての解説の配信をしてくださったんですよね。
とっても役に立ちました。朝布団から飛び起きてはいけないよっていう、なんともお優しいタイトルなんですけどね、これ皆さんぜひ聞いてみてください。
それを受けてですね、スタイフの配信者でもある、そしてヨガインストラクターのうさぎさんも、起き上がり方についての注意点の配信をしてくださいました。
ありがとうございます。もうね、春木先生とうさぎさんの言う通りに、私、優等生なので言われた通りに、ゆっくり起き上がっています。
あれ以来、めまいは起きてません。ご心配おかけしました。ありがとうございます。
私、どこかでこれもお話しできたらなぁと思ってるんですけど、過去に肝音性難聴っていうのをやったことがあるんですよね。
で、うち母もね、難聴2回くらい、突発性難聴っていうのだったかな。2回くらいやったことがあって、まあちょっと体質的にも似てるところがあるので、本当耳って怖いなっていうふうに改めて思いました。
あ、なんでめまいの話で耳になるのかっていうのはですね、私が起きためまいの症状が、耳の中にあるね、磁石っていう部分が剥がれたりすることで起こるっていうようなものなのかなっていう話をね、
春木先生がちゃんと解説してくださっているので、ぜひ春木先生の放送を聞いてみてください。
はい、ということで、今日の本題はですね、母の49日が終わりましたというお話をしていきたいと思います。
この週末は、3月の初旬にね、他界しました。母の私の実母です。の49日法要がありまして、それをやってきました。
私は実家が名古屋なんですけれども、49日の法要はですね、うちの父の実家、岐阜なんですけれども、そちらの方でやりました。
というのも、お墓が岐阜にありまして、母はそこに入るということで、そちらの方でやってきたんですね。
父の実家というのがですね、まごめ塾って聞いたことありますか?
妻子まごめってセットで結構有名なんですけど、中銭堂の43番目の宿場になります。
そのまごめっていうところがですね、うちの父の実家なんです。
子供の頃はね、正月とお盆によくおばあちゃん家に行っていたんですけど、とっても趣のある日本家屋なんですね。
いろりがあって、昔この辺りはですね、みんな貝庫を買って洋産業をやっていたみたいなんですけど、そんなね、結構歴史的に価値のある建物らしいんですよね。
まごめ塾の石畳の街道があるんですけど、そこにね、本当に面している一つの建物なので、観光客の人が何かの資料館と間違えてね、結構入ってきちゃうんですよ。
鍵とかないんでね、ガラッと開けれちゃうふすま堂みたいなところなので、みんなね、ドヤドヤと入ってきちゃうみたいな、そんな建物です。
年に数回遊びに行くには、本当に景色も素晴らしいですし、とってもいい場所なんです。
なんですけど、そこでね、暮らすっていうのはやっぱりすごく大変なことだと思うので、
母は父がね、父と結婚した時に戻るっていう選択もあったみたいなんですけど、それは絶対に嫌だって言っていたらしいんです。
道中に父に聞いたんですけど。
父は下界をしていましたので、盆暮れ、正月とかもすごく忙しくて、母一人で私と兄、子供二人を連れて先に帰省するとか、まあそういうことが多かったみたいなんですよね。
自分のことに置き換えるとね、自分一人で子供二人連れて、夫いないのに偽実家に帰るってね、めっちゃ大変だっただろうなって思います。
そんなところにね、うちの父が先に死んじゃってたら、父のお墓に一緒に入るっていう気持ちになると思うんですけど、
爺ちゃん、婆ちゃんのね、墓にね、母だけ先に入るって、お母さん大丈夫かな、嫌がってないかな、寂しくないかな、みたいなね、話もちょっとチチとしながら行きました。
で、まあ父も、もしね、生前元気な時から、そういうお墓の計画の話をしっかりお母さんとしていれば、もしかしたら嫌がったかもしれないなというふうには、ちょっとそこは気になってはいるけれども、
まあとはいえ、その実家のね、周りの父の兄弟、私から見たらおばさんとかは、みんな、もちろんこっちにお墓が来るんだよねっていうような、もうそんな空気だったらしく、
なんかもうちょっと流れ上ね、全く変えて、新しくこっちに近くにお墓を作りますみたいな、そういうムードではなかったそうで、
まあもうちょっとそういう流れになっちゃったな、みたいなふうに言っていました。
で、東京から行くとですね、合計4時間くらいかかるんですよね。
だからなかなかちょこちょこと帰れる距離ではないなと、そのね、お墓参りできる距離ではないなっていうのはあるんですけど、
まあでも本当にとてもとても素敵な場所なので、これを機にね、お母さんのお墓参りっていうのを後日に、何度か遊びに行けるといいかなというふうに思いました。
遺産相続とお墓の話
で、今回49日のこの場を使って一番やらなきゃいけなかったことが、
母の遺産相続とか残っている銀行口座のお金とか、そういうのを、ちょっと暗証番号がわからなくなってしまっていて、
何度お母さんに思い出してって言っても、結局わからなくて引き出せなかったんですよね。
だからそれを全部凍結してしまって、相続人に振り分けるみたいな書類を作らなくてはいけませんでした。
その書類を取り寄せるとかそういう段取りは、葬儀の後に私が実家に帰った時に、それは私の担当ということで、
父と一緒に私がほぼやったんですけど、それを届いていたので、そこに私の実印を持っていて、戸籍と印鑑証明を出して添付して、
自分で直筆でサインをして実印を押してくるっていう、それが結構今回やらなきゃいけないことでした。
私は生前造余的な感じで、結婚した時と自分たちのお家を買う時にちょっとサポートを両親がしてくれたので、
あなたはそれが生前造余だから、私たちが死んでも放棄するんだよって昔からそう言われてきていたので、
その書類に全部、はい、僕はいりませんって言ってね、実印ボーンって押してきました。私は何にもいりませんと、そういうサインを押してきました。
で、えっとね、なんか実印を押すことってね、あまりないじゃないですか。なんかちょっと気持ちがね、ピリッとした気分で押してきたんですけど、
名前書く場所間違えちゃって、二重線してね、実印で定生印まで押してくるっていうなんともカッコ悪い押し方になりましたが、
そんな感じで全部そういうのもひっくるめでやってきました。
うちは兄弟二人だけですし、そんな莫大な遺産があるとかいうそういう家ではないので、全然揉めてないんです。
これで結構揉めれるっていう話をよく聞くんでね、すごい良かったなというふうには思っています。
というのも、私も夫も元気で今働いてくれてますし、私もそれなりにね、一生懸命働いてるんで、ちゃんと自分も収入もあるし、
お金がね、すっごい莫大なお金だったら、やっぱりちょっとくらい欲しいわみたいなふうに欲が出ちゃうかもしれないんですけど、別にそういう感じでもないし、
なので気持ちよくね、実家の近くにいて、父母のことやってくれてるのは本当に兄なので、私は本当に何も東北に東京に来てしまって何もできてないので、
本当に気持ちよく入りましーんってボーンってできるっていう、この心の持ちように、こういう状態に慣れていることに良かったなというふうに改めて感じました。
お墓にね、脳骨をしてきたんですけど、お墓に骨をぽさって入れてくると、なんかお母さんお墓に入っちゃったなっていうのがね、すごい実感しましたね。
で、ちょっとね、込み合ってくるといけないからって言って骨相棒はもう避けておいて、布の袋にお骨を入れ替えて、その巾着袋みたいなのをお墓の下にぽさって入れるっていう感じの作業をしてきたんですけど、
なんかお母さんお墓に入っちゃったなーっていう感じがしましたね。ちょっと寂しいんですけど、まあでもこうそういう作業をすることでね、何でしょう、地面に帰るっていうか、もうなんか地球に帰るんだなーっていう感じがしましたね。
みんな地球に帰るんだなーっていう気がすごいしました。
帰り道、夫と、うち我々はお墓どうするんだろうねっていう話をしながら帰ったんですけど、でもね、私が普通に考えたら、夫のご両親のお墓に一緒に入るのかな?
まあでもそれもね、なかなかお墓参りもいけないし、全然なんかうちの近くのロッカー型のお墓とかでいいよねって夫も言っていて、私もあんまりこだわりもないですし、なんならね、お骨巻く?三骨って言うんですか?巻く感じにしてもらって、もう空とか大地とか全体に帰ったよーって言って、どこでお参りしてもお墓参りになるみたいな、
そういうね、簡単なやつがいいよねって言いながら夫と話しました。
まあこういうことを元気なうちに、いろいろと意見交換っていうんですか、なんか話しておくっていうのはいいのかなというふうに思います。
はい、ということで今日は母の死19日が終わって、お墓のこといろいろ夫と話しましたっていうお話をしてみました。
イラストレーターの原海でした。また話します。