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真の愛なる皆様、アロハです。愛です。今日は5月の11日木曜日午後3時ぐらいとなっております。
バンクーバーはね、今週晴れマーク、ずっと晴れマークで、多分30度近くになる夏日な1週間なんじゃないかなと思います。
衣替えをそろそろせねばという感じですね。日本はどうなんだろう。
というわけで、日本にね、里帰りして、カナダに戻ってきて、すっかり1ヶ月あっという間に経ってしまいましてですね。
すっかり私もカナダモードに戻っちゃったなぁという感じです。
でもなんかすごいね、感じるのは、いつものルーティンなんですけど、日々ね、同じルーティンなんですけど、
でもやっぱり日本に行く前の自分と日本にね、日本から帰ってきた後の自分って、同じように見えて全然違ってるなっていうふうに思うんですよね。
それはやっぱり日本でね、出会った人たちとね、新しいご縁だったりとか、いろんな人たちとね、語って泣いて笑ってハグしてね、
そういうね、なんかエネルギーの交流っていうものをね、すごいいっぱい濃縮してね、してきたので、
なんかね、新しい、同じように見えて新しい自分だなっていうふうに感じております。
別にね、わざわざというか、日本まで行かなくてもね、私たちは常にね、新しいものと出会って感じて、
それを取り込んでね、毎日つぶつぶ細胞を生まれ変わらせているんですけど、
まあ、わかりやすくね、旅なんかするとね、わかりやすく、そういうふうに自分の変化みたいなものを感じるなというふうに思っておる。
さあ、今日この頃でございます。
はい、というわけで、まあちょっとね、日本の思い出がね、風化しないように、ちょっとお話ししておきたいなというエピソードがね、いくつかあって、
そのうち一つがですね、岩村で開催したリトリートですね。
これはまあ、私が所属している企業皮膚未熟のね、いねみさんと私で企画した1泊2日のね、リトリートだったんですけど、
まあ、あいちゃん、日本来るんだったらちょっと岩村でリトリートやろうよ、みたいな。
え、リトリートってやったことないけど、うん、やりましょう、みたいなね、2つ返事でですね、一緒に村長と企画して。
で、ありがたいことにですね、満員御礼で、本当に素敵なね、2日間、奇跡のね、ような2日間を、はい、過ごすことができました。
で、これにリトリートって何かっていうことの前に、まあ、企業皮膚未熟ってね、いねみさんが村長さんで、まあ、今、世界中に200人近くね、お仲間が、
村人たちがね、いるんですけど、もともとね、その皮膚未熟の本社っていうのが、あの品川のね、ザ・シディーですよね。
東京の、東京のね、ど真ん中、品川のね、タワマンの30何階だったかちょっと忘れちゃったけど、
めちゃめちゃね、ビューのいいね、タワマンのね、一室がね、あの皮膚未熟のサロンだったんですよね。
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なんだけど、まあ、ある時期のね、ある時代の最先端だったわけなんですけど、2021年、2年前だったかな、そのタワマンのね、サロンを手放して、
そして、岐阜県のね、江名市の岩村という城下町の、地区270年の古民家とね、ご縁があって、そっちにね、皮膚未熟の本社をね、移転したという経緯がありまして、
まあ、この岩村とのね、いねみさんとのご縁っていうのも、またいろいろ面白いエピソードがあるんですけど、
まあ、品川からね、岩村というね、城下町っていう、まあ、ものすごいね、大きな変化だったんですけど、
これもまたね、いねみさんの嗅覚っていうか、そういうね、270年のね、古民家っていうもの、しばらく誰も住んでなかったんじゃないかなっていうのを、
もう本当にね、いろんな人たちのね、助けを借りて、みんなでリノベーションして、で、今はね、みんなが、あの舞台とかもあってね、いろんな講座とか公演とか舞、舞とかね、
音楽とかね、そういうステージがあったりとか、いろいろ囲んでご飯をね、食べれたりとか、で、また宿泊したりね、イベントしたり、
まあ、みんながね、集まれる場所っていうのがね、岩村にあるわけなんですよね。で、そこで、まあ、あの、まあ、ちょくちょくね、イベント、単発イベントみたいなものはね、
あったわけなんですけども、やっぱり今回ね、そのリトリートをしたいっていう思いがね、いねみさんにあって、それで私に声がかかったわけなんですよね。
で、リトリートっていうのがね、やっぱり、あの、まあ、なんだろう、いねみ村長の中でブームというか、で、私もそれに乗っかったのは、やっぱりね、あの、私たちって、まあ、今も私、ふっかり通常モードでっていうふうにね、
お伝えしましたけど、やっぱり私たちって日々過ごしていると、まあ、母ちゃんですとか、コピーライターですとか、まあ、皮膚未熟の候補をやってますとか、いろんなね、役割があったり、
肩書き役割があったりとか、で、そういう自分でね、あの、自分のペロソナで、いつものペロソナで、あの、生きていたりとか、で、まあ、場所的にもね、まあ、なんだろう、私はお家で働いているから、
まあ、お家で、お家にこもるか、カフェ行くか、子供のね、学校とか、デイケアね、送り迎えするか、で、ちょっとね、お友達とご飯行くかぐらいな感じでね、そんなにこう、自分の領域とかってね、自分の領域とか、いつもの自分の領域、いつもの自分の肩書きっていうところから、あんまりはみ出たりとかしないわけなんですよね。
だから、母ちゃんの私、コピーライターの私、何々の私っていうふうな、そんな自分を当たり前に生きているわけなんですよね。で、それがこう、ずーっとね、あの、なんだろう、まあ、それによってね、あの、生活が安定するっていうことももちろんあるんですけども、でもそのね、安定ばかりをね、ずーっと続けていると、やっぱりこうね、何か息苦しくなったりとか、何かね、あの、なんだろう、あの、私たちって、まあ、生命ってね、あの、しんらばんしょうなんで、
しんらばんしょうなんでもそうですけど、私たちもね、変化、命、命そのものが変化しているわけなので、常にね、同じものをね、常に同じ地図上ね、生きていると、まあ、だんだんね、ちょっとほころびてくる部分があったりとか、雨漏りしてきたりとか、いろいろ出てくるわけなんですよね。
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でもまあ、それにね、ちょっと気づかないふりしたりとか、まあ、とりあえず、まあ、あそこ貼っとこうみたいなセロテープで、こっちにせめておこうみたいな感じでね、やって、あの、通常状態っていう、通常のね、モードっていうのを、なんとかね、持続しようとするんですけれども、でもやっぱりね、あの、コーリングっていうか、何かが違うぞとか、なんか新しい風が必要だぞっていうね、窓を開けないとちょっとね、大変なことになるぞみたいなね、何かそういう呼び声みたいなものがね、ノックがね、聞こえる、聞こえてくるわけなんですよね。
で、それ何かって言うと、やっぱりね、私の大好きな、あの、アヤコピーのね、あの、混沌と秩序と混沌の間からっていうね、ニュースレターにもあるように、その秩序を、あの、持続可能的に、あの、なんだろう、秩序を持続可能にしていくためにも、やっぱり一さじの混沌、混沌とのバランスっていうのもすごい大事なんですよね。
で、その混沌って何かって言うと、やっぱりその自分、あの、なんだろう、母ちゃんとしての私とか、いつもの私、いつもの私の肩書とか、場所とか、あの、スケジュールみたいなところをちょっとね、なんていうのかな、こう脱いでみるっていうか、うん、そこ、そこから離れてみる、離れてみる。
で、いつも着ている、その、なんだろうな、肩書みたいなものを、あの、取り外して、で、ぽんぽんの自分になった時に、何、本当に何を感じるか、みたいなことを感じてみるっていう、まあ、そういうね、ちょっと丸裸な自分になるっていうことで、何を感じるかって言うと、うーん、それはちょっとね、まあ、カオス、それがちょっとカオスだったりするので、あの、なかなかね、取り入れにくかったりするんですけど、まあ、そういう意味で、あの、リトリートっていうのは、まあ、そのね、
リトリートって、まあ、退避するとか、まあ、戦争とかでもね、使う要望らしいんですけどもね、まあ、そういう意味もあるんですけど、ちょっとそこから離れるとか、あの、そう、離れるとかね、言う意味、退避するっていう意味もあるし、まあ、もう少し、まあ、もう一つ言うと、リトリートっていうことで、自分、扱い直すというかね、もう一度扱い直す、で、自分をどういうふうにね、トリートするか、扱うかっていうことを、もう一度ね、考え直してみるっていうのは、まあ、そういう意味でもあるんですけども、まあ、そういう意味でもあるんですけども、まあ、そういう意味でもあるんですけども、まあ、そういう意味でもあるんですけども、まあ、そういう意味でもあるんですけど
考え直すために、その、いつもいる時空間っていうものからちょっと離れてみるっていうね、慌ただしくね、ルーティン化された生活とか、なんかね、会社とか家庭における役割のね、囚われからちょっと離れてみるっていう、それがリトリートなんですよね。
なので、まあそういう意味でね、いつも、いつもね、場所からちょっと離れて、毎日のね、ルーティンを少し離れて、で、のんびりね、心身をそのままの、まるはだかの自分みたいなね、本の自分みたいなものになることを許すことで、もう一度自分をね、大切な存在として扱ってあげるっていう、それがまあリトリートの意味なんじゃないかなというふうに感じています。
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で、その、日文村のね、リトリート、結構ね、リトリート、山前でですね、で、3月は、えーと、熱海でね、リトリートを開催して、で、4月は、えーと、ヨガとね、瞑想を真ん中に置いて、ハワイのリトリート、で、これらもね、奇跡の連続だったということでね、すごい色んなエピソードを聞いてるんですけど、で、まあ同じく4月の先月にね、あの、その、私と井上さんで主催した岩村の、えー、生きがい、街歩き、リトリート、これ、アースデイだったんでしょうね。
4月の22日の、まあちょっと1週間前だったんですけど、アースデイにね、カコつけて、カコつけてというか、まあ乗っかって、まあ乗っかってというか、アースデイ岩村、生きがい、街歩き、リトリートということで開催しました。
で、10名ぐらいだったかな、本当に満員御礼でね、あの、全国から集まってくださって、で、もう一つはね、前回のエピソードでもお話ししましたけど、ニューヨークからね、里帰り中だった、あの、
シンガーのね、歌う主婦、コーチのね、あの、ひとみさんも参加してくださって、うん、本当にね、これがまた、これはこれでまた静かなね、奇跡の連続の2日間だったなあっていうふうに、はい、感じております。
で、岩村ってね、やっぱりね、あの、何だろう、まあそりゃ、ひふみの、ひふみ村のね、その本社がね、あるだけあってですね、まあ、ねみさんがご縁するだけあって、すごい魅力的な街なんですよね、街そのものがそもそも魅力的っていうのは、やっぱりその、まあちょっとね、街を出ればね、本当に懐かしい里山のね、風景がね、広がってたりとか、で、江戸時代からね、守られてきたその城下町の風情がね、
あったりとか、うん、で、えっと、あと中世ぐらい、織田信長のおばさんが女助手だったっていうね、あの、お城がね、あの、丘の上にね、お城の跡なんですけどね、丘の上にあって、そこがまたちょっとね、まあちょっとしたパワースポットみたいになってたりとか、うん、で、そういう街なんですよね、で、もう100年、200年ね、あの、このお店やった家具屋さんとかね、時計屋さんやってますとかね、いやあ、昔はね、こんな道路ほすくされてなくてね、馬車がね、
撮ってたよね、みたいな、おじいちゃんのおばあちゃん、店先にいるね、おじいちゃんおばあちゃんの話聞けたりとかして、そういう昔からね、本当にそこで生まれ育った方たちが、あの、住んでたり、で、そこの魅力にね、あの、ちょっと魅了されて、今村の魅力に魅了されて、で、移住してきた、コロナ後にね、コロナ後とかに結構移住された方がね、多くって、で、カフェやったりね、バーやったり、いろんなね、面白い、えっと、そう、B&Bというかね、
お宿をやったりっていう、そういう本当古き良きとね、新しきっていうのが、すごい融合した町なんですよね。で、みんなそれぞれにね、あの、この場所を愛してるっていうか、そういうね、愛がね、すごい伝わってくる、そんな、はい、岩村です。はい、でね、だからそれを岩村に、だから、私も去年、あ、そう、去年はね、リトリートじゃなくて、あの谷崎てとらさんとね、京都の
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報道陣のね、リュウゲンさんをお呼びして、あの、アースデイ、ホロス地球、え、宇宙塾、あ、違う、ホロスね、アースデイのホロス地球塾っていうね、講演会をね、お願いしたんですけど、まあ、その時はね、リトリートと名付けなかったんですけど、うん、でもね、その、まあ、ただね、その岩村を、あの、訪れるだけでも、もちろんとってもとってもね、あの、素敵な時間を過ごせると思うんですけど、これをね、あの、まあ、今回思ったのは、そのリトリートというふうに名付けることで、またね、違った、
違ったものが生まれてくるなというふうに思ったんですよね。めちゃくちゃ思ったんです。それは何かっていうと、リトリートっていう看板を立てることで、それがあの単なる観光とかね、ツアーじゃなくなるんですよね。
で、それがなんで大事かっていうと、やっぱりそれを、あの、なんだろうな、参加者さん自身が、私はこのリトリートに参加するっていうふうに、参加者さん、参加者さん自身がこう、
コミットするっていうかね、宣言するっていうか。で、リトリートっていうと、やっぱりその、なんだろうな、ちょっとした生まれ変わりっていうかね、この、このリトリート、この2日間の後には、私は新しい自分になっているっていう、そういう宣言をね、もう参加しますっていうことイコール決め、参加を決めるイコール、自分はこの2日間で新しい自分に生まれ変わるっていう、そういう宣言をね、
もうしているわけなんですよね。だから、あの、普通の、普通に訪れるとか、その観光ツアーで訪れるのと、全然全く違うエネルギーというかね、魔法が働いちゃうんですよね。そうなんですよ。そう、まあそれがね、リトリートのすごいところであるし、まあもちろんね、そのリトリートの内容っていうのも、マイネミー村長のね、ならではのね、ちょっとまあ、あんまりネタバレになっちゃうんで、ちょっと秘密にしておきますけど。
まあ、なるほどなということで、あの、なんだろう、チェックインからね、チェックアウトまでね、本当になんというのかな、うーん、まあ儀式ですよね、セレモニーみたいなものがね、ちょっと合間にね、あったりして、そこであの、変わるわけなんですよね。
なんかちょっとシャーマンチックなんですけど、そこでその、違う時空間に違う自分のモードを変化させるっていう、まあちょっとしたね、セレモニーがありまして、それでまあスイッチオンする。で、今からこの2日間はリトリート。で、チェックインすると、そうすると、まあ自分自身にもね、あの、参加者さん1人1人ね、私っていうものの、なんだろうな、あの、
見える世界がね、違ってくるんですよね。そこでこう、スイッチオン、リトリートスイッチオンになると、いつもの自分のモードからリトリートモードになるので、なんかこうね、アクティベートされるというか、アクティベートってあってたらあってるっけ、いつもの自分で見ている風景と、あのリトリートモードで見ている風景と違うんですよね。
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だから、あの、例えば同じお花、同じね、風景を見ていたとしても、そこでキャッチする情報とか、感じるものの深さとかね、広さとかっていうのがね、全く違うものになってくるっていう、そういう魔法がね、かかっちゃうんですよね。あれほんと不思議なんだけどね。
なんかよくあるじゃないですか、よくあるじゃないですかって、私の人生の中ではよくあるんですけど、あのヒプノセラピーとかね、何かしらのヒーリングとかでさ、なんか、なんだろう、瞑想するときにこうチーンって、あの、チベットのね、あのリン、リンをね、鳴らしたりとか、あとヒプノとかでね、この3つ数えたら、あなたは、あの、深い意識の世界に行きます、みたいな感じで、こう合図がね、あるじゃないですか。
で、それで、あの自分の意識のモードが変わるわけなんですよね。それと同じことが、この2日間にわたって、あの、行われていたなーっていう、そういう魔法をかけちゃうっていうね、ビトリートって、そういうね、なんかね、エネルギーがあるなーというふうに感じました。
うーん、そう。で、その魔法っていうものと、魔法の力、その儀式、セレモニーの力で、全く自分の意識を違うモードにするっていうこと、プラス、やっぱりその集まった人たちとのご縁ですよね。まあ、何で集まったとしても、それご縁は発生するんですけど、やっぱりさっき言ったみたいにね、私はこのリトリートに参加する、イコール、この2日間で、ちょっとだけ生まれ変わる、もしくはね、生まると生まれ変わるっていうふうに宣言した人たち、
しかもその、岩村、生きがい、街歩き、アースデイっていうそのキーワードにね、ピンと来た方たちが、まあわざわざね、その、お待ち、参加、参加費ね、払って、あの、集まってきてるわけなんですよね。だから、なんていうのかな、その、コミット力が違うっていうかね、同じ同志たちなんですよね。
なので、まあ何かしらね、あの、前世でね、すごいご縁があったんだろうなっていうのは想像つくんですけど、まあ、とにかくね、何だろうな、勝手にね、あの、奇跡が起きてたっていうか、何だろう、いろんなね、シンクロがあったりとか、本当に今、あの、何だろうな、こう向き合っていることがすごいね、あの、似てたり、で、勇気づけ合ったりとか。
で、本当にね、小中高とね、子供たち、娘さんたちもね、参加してくださったんですけど、その彼女たちとね、絆とか変化っていうのもすごいね、何だろうな、必然というかね、起こるべきして起こったし、出会うべきして出会ったなっていう、そんなね、エピソードが本当にたくさんありました。
で、子供たちのね、何だろう、表情とかもね、まあ、最初ね、まあ、思春期のね、お子さんとかもいらっしゃったので、結構ね、緊張するじゃないですか。人見知りというか大人ばっかりだし。最初はね、マスクをね、あの、ずっとつけたままでね、あの、何だろう、ちょっとね、引っ込み事案だったね、あの、女の子も、何だろう、最後の方はね、マスク外して、可愛い笑顔でね、ちゃんとね、まあ、最後ワールドシフトを宣言してね、チェックアウトしたんですけど、
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本当にね、あの、はっきりとした彼女自身の言葉で、宣言してくれて、感じたことをシェアしてくれて、で、それを見たお母さんが、えーって、こんな、こんな子見たことないみたいな、こんな子の子見たことないみたいな感じで、本当にね、びっくりされて、ちょっと涙されたりとかね、そういう親子の絆なんかもね、あったりして、
うーん、なんかね、至るところでね、いろんなことが起きてたなというふうに思うわけです。はい、たぶん私が見てないところでもね、いろいろ起きてたんだろうなと思います。本当にね、私、私自身もね、主催だったけど、本当に何だろうな、今自分が、その時自分がね、あの、抱え抱えていたテーマっていうのがガツンときて、で、本当にね、こう、涙とともにね、カタロシシスがあったりとか、で、それを受け止めてくれるね、本当必然的に受け止めてくれる誰かがね、
そこにそばにいたりとか、うん、本当に本当に深くて優しい2日間だったなっていうふうに感じております。いやー、やっぱりリトリートすごいです。はい、うーん、でね、うん、で、なんかこう、思ったのは、やっぱりリトリートと名付けることの、あの、
凄さというかね、そこでなんか力が働く、その場の、その場所の力も、すごい岩村っていうその場所の力も働くし、その2日間っていう時間もね、ものすごく濃密なものになるし、そして私たちの意識のモードも変換されるし、そしてその仲間、出会った人たちの、そこで出会った人たちのね、絆っていうのもものすごい深いものになる。
うん、ので、やっぱりね、あの、名付けていきたい、リトリートと名付けていきたいっていう、そういうね、はい、気持ちがあります。なんだろう、1人1研究所ならぬ1人1リトリートだなというふうに思います。
ので、のでっていうわけじゃないんですけど、で、そんなわけでね、今月の最終、最終日曜日かな、と、6月のね、来週の週末に、また岩村でね、新たなリトリート開催されますので、ぜひ皆さんご興味のある方は、まあ、日文村人さんはもちろんですけど、あの、日文じゃない方もね、ウェルカムなので、ぜひ遊びに来てほしいなと思います。
で、5月のね、本月28日、日曜日、まあ、これ、ワンデイリトリートですね。で、日文村ではね、おなじみの、サノスケ師匠というね、落語の師匠をね、お迎えして、まあ、日本のね、歴史とか伝統芸能に触れる、まあ、これ日帰りのリトリートなので、お気軽にお越しくださいという、ワンデイリトリート。
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そして、6月の3日から4日の土日ですね。これは岩村の森人というね、ドキュメンタリー映画を中心に、ネイチャーリトリートということで、1泊2日で開催されます。で、この森人という映画はですね、ほんとちょっと全国でね、あの、話題沸騰中というか、まあ、コピーがね、ナウシカのような人にあったっていうコピーなんですけど、あの、あ、と、忘れちゃったな、名前ほど忘れちゃった。
日踏みのね、日踏みのお仲間である、寛太子さんね、お兄様がですね、自然再生というね、あの、ことで、自然をね、山とか森をね、再生している土とかで、山とか森を再生していらっしゃるということで、まあ、全国飛び回っていらっしゃるんですよね。
で、彼の活動を追ったドキュメンタリー映画なんですよね。で、これがね、めちゃくちゃいいらしくて、私もちょっと見てみたいんですけど、なかなかね、オンラインの上映会はまだなくて。で、まあ、この映画会、映画上映会付きのリトリートになります。はい、あの、自然に触れてね、まあ、本当に岩村もね、自然豊かな場所ですし、自然と対話する、そんな1泊2日のリトリートになっております。
はい、というわけでね、リトリートすごいよっていう話だったんですけど、まあ、ぜひぜひね、皆さんね、まあ、岩村のリトリート興味ある方は、私までね、ちょっと気軽にお声掛けくださると嬉しいですし、詳細、詳細欄にですね、リトリートのサイトのリンクも貼っておきますので、ぜひね、皆さん遊びに来ていただければ嬉しいです。はい、というわけで、まあ、20分も喋っちゃったんで、そろそろこの辺で、はい。
また明日ということで、今日も引き続き皆さん良い1日をお過ごしください。
じゃあねー、バイバイ。