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2022-08-22 1:21:33

epi7 happyhikers豊嶋さんの「自由に生きるために僕がしていること」。

3日間のお盆休みでさえ、ドキドキする石川です。みなさん、たとえば一年のうちで半年間休みになったら何をしますか?宝くじに当たったら、というくらい現実的じゃない話ですよね。今回のゲストは九州を中心としたハイカーコミュニティ「happyhikers」の発起人、豊嶋さん。僕も立ち上げから関わっている仲間なんですが、彼のライフスタイルはこの現実的じゃないと思っていた生き方なんです。1月から5月までは北海道でバックカントリー、夏は宮崎でサーフィン。北アルプス、南アルプスへハイク、クライミングで屋久島と、宝くじに当たらなくても〝自由〟を手に入れることができています。じゃあ、どうやって?という話です。


聴き手 : 7trails / @7trailsfun

Ishikawa hiromi / @rolleinar


ゲスト : 

豊嶋秀樹さん / @hidekichi.kngk

大阪市出身。大阪を拠点にクリエイティブ活動を展開するgrafの設立メンバーの一人。2009年よりgm projectsのメンバーとして主にアートの分野でキュレーション、空間構成、ワークショップなど幅広いアプローチで活動する。九州を中心としたハイカーコミュニティ「HAPPY HIKERS」の運営や、アウトドアブランド「山と道」のイベント企画なども行う。


Happy Hikers / @happy.hikers.kyusyu

http://happyhikers.info


収録 : 2022年8月19日


#ハイク #バックカントリースキー #サーフィン #クラインミング #ランニング #アート #happyhikers #happyhikerskyushu #オクラガハマスポンジ組合 #テレ合宿 #羊蹄山  #ウルトラライトハイキング #山と道 #7trailsfun


このPodcastは、九州のランニングメディア「7trails(セブントレイルズ)」のメンバーが、日頃のランニングにまつわる、ローカルな話を配信しています。


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00:20
7trailsラジオ練、今日は僕がハッピーハイカーズという九州のハイカーコミュニティの運営に関わっているんですが、その仲間であり、ホッキ人の豊嶋秀樹さんを迎えてお送りいたします。
豊嶋さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
豊嶋さんと出会ったのは、2015年の僕が北アルプスを歩いた写真展をやっている時に来てくれて、そこからの付き合いなんてもう7年になるんですね。
その間にたくさん話も聞いているので、いくつか豊嶋さんのワードを書き出して、今ちょっと目の前に一緒に見ています。
素晴らしいマップがありますね。
豊嶋さんの話をしたしたら、たぶん1話だけでは収まらないと思うので、定期的に出てもらいたいなと思っているんですけど、今日も何を話すかというところで、豊嶋さんを構成するマップを作っています。
これ自分でもやったことないから新鮮です。
そうそう。たくさん話題はあるんだけど、たくさん話題がいろいろ繋がっているんだよね。
その話題が繋がっているから、どことどこが繋がっているのかというのを書き出すのも面白いかなと思ったので、このマップにはまず豊嶋さんがインスタでいろいろなハッシュタグをつけていて、
そのハッシュタグが、これは何の意味かと思うようなハッシュタグもいくつかあるので、そこが書かれていたりします。
例えばね、テレ合宿とか、オクラガハマスポンジ組合とか、そのタグが書かれていたりとか、
食べ物と習慣というところで言えば、ミジスがすごく好きだったりとか、ベジタリアンだったりとか、ベランダで再演をしていたりとか、そういうことが食べ物習慣のところに書かれていて、
全部言うとたくさんあるんだけど、食べ物習慣、ハイク、地域ネタ、日本全国飛び回っているので地域ネタ、団地に住んでいたりとか、
糸島に自分のサーフ小屋を作っていたりとか、そういうようなことをやっている暮らしのことだったりとか、
僕と一緒にやっているハッピーハイカーズというハイクのコミュニティ、これにまつわることというのもたくさんあったりとか、
あとは習慣ルーティンという、割とルーティン化しているようなことが聞いたりしていたので、そういうようなネタだったりとか、
あとはその他というところの8つの構成するもの、リストがあります。
03:00
ここから今まで豊島さんがハイクをやってきたことだったりとか、今やっていることだったりとかいうのをちょっと関連づけて話していきましょうか。
よろしくお願いします。
どこからでも来てください。
石川さんがさっきおっしゃったように、ここにいくつかのキーワードが並んでいるんですけど、
自分目線でいうと、本当にどれも等しく興味を持って、日々やっていることという感じなので、聞いてください、どの話がいいか。
簡単でいいので、豊島さんを知らない人というのはあまりラジオを聞いている人って少ないと思うんですよ。
ランニングも割とハイカーの人だとかが多かったりとか、僕がやっているのはトレールランニングなので、トレーラン系ってハイカーも多いんですよね。
ハッピーハイカーズのバーで出会ったとか、僕らがやっているコミュニティでやっているいろんなイベントとかで出会って、ラン仲間が増えたとか、ハイク仲間が増えたっていう人って周りにすごくいて、
そういう意味で言えばハッピーハイカーズの発起人ということで、豊島さん知らない人いらないけど、それでも今何で今に至るのかっていうのを紹介できればなと思うので、ちょっとその辺を。
ハッピーハイカーズの話ですね。
そうですね。ハッピーハイカーズもそうやし、豊島さんなんで山やったのっていう簡単なところからでいいです。
山はですね、全然別に三角部出身ですとか、昔からそういう趣味があったとかそういうことではなくて、僕自身はずっとある種の山とは皆さん逆と思うような、
芸術大学とかに行ったりして、もうアート命みたいな、割と文系バリバリのアートオタクみたいな感じだったんですけど、
結婚して、その当時もう15年以上前、17、18年前かな、東京の中野に住んでたんですけど、ある時僕の妻がですね、
今日はお弁当でも作って外で食べようよっていう提案をしてくれて、
じゃあそうしようということで中野駅、中央線の中野駅で電車回ってて、今日は玉川浄水とか行ったらいいんじゃないのということで行ってたんですけど、
中央線なんで高尾行きっていう電車が来ますよね。
今高尾って言ったら割とトレーラン会で大変なところですよね。
まだ世界遺産とかになる前の話なんですけど、じゃあ高尾さんってドラえもんで出てくる高尾さんじゃないかと思って、
これ乗って山に行けるのかなって言って、じゃあ行ってみようみたいな話があって。
今高尾さん行ったんですよ。
で、その時全然山登りをしに行こうっていうことは全く思ってなくて、お弁当を食べるナイスロケーションはどこだぐらいな感じだったんですけど、
06:00
行ってみたら高尾さんの入り口に明治の森高尾国定公園って書いてあったんですよ。
あれとかって思って、僕実は大阪の美濃市ってところ出身なんですけど、
バリバリ関西弁もあるもんね。
そうなんですよ。そこが同じく明治の森美濃国定公園っていう場所なんですよね。
で、そこに高尾さんの入り口に書いてある看板の明治の森ってなんだってよくよく読んでみると、
東海自然歩道っていうのの起点終点なんですよね。
その高尾と美濃っていうのが。
そこ500キロぐらいの登山道っていうか、自然歩道でつながっているっていうことが書かれてて、
それは最初に日本の自然に親しむための国定公園つなぐ長距離トレイルを作ろうみたいなことで始まったみたいなのが書いてあって、
その時に山にわーって引かれたというよりかは、
歩いて東京から大阪まで歩いていく道があるんだっていうことに結構グッときて。
それも普通の道じゃないよね。
昔の街道とかで言えば東海道っていうのでつながってはいたと思うんですけども、
そこは今1号線みたいな国道になってたり旧街道がちょっと残ってたりするぐらいなんですけど、
山の道をずっとひたすら歩いてって、
普通だと新幹線とか飛行機で帰るようなところに歩いていく手段があるのかっていうことの、
歩くっていう行為の無限大の可能性みたいなのがその時にわーってきて、
その日は1日普通にお弁当食べに高尾山に上がって降りてきたんですけど、
ちょうど秋口だったんで落ち葉とかがいっぱいあってガサガサガサガサ言いながら、
その山の土の道を歩くっていう感じが、
そういや子供のとき美濃の山でも同じようなことして遊んでたなっていうのもふと思い出して、
その時に東海自然歩道とかガサガサ行った感じに割と感化されて、
中央線で中野駅に向かうのに中野駅で降りず新宿まで行き、
アウトドアショップに行き、トレッキングブーツを買いぐらいな感じで、
そこから始まった。
かなり影響されたんだな、1日で。
その日から始まっちゃって、それ秋だったんだけど、
とりあえず自分で行ける関東なんで、
割と八ヶ岳とか行きやすい近くの山とかいろいろあったんで、
そういうところで一人で行けそうなのを、
大和渓谷とかさ、ああいう本を見まくって、
周りで山登りしてるやつなんかいないから、
手当たり次第見てみたりして、
こんなとこ行って大丈夫かな?
今からすれば何年前になるんですか?
17、18年前?
まだそんなにブームじゃない?
山があるちょい前ぐらいじゃないですか?
なるほど。
それで見たりとかして、
自分で行けるところをちょいちょいちょいちょい試しながら、
09:01
ビクビクしながら行くみたいなので、
テントとか買ったりして、
くも鳥山っていう東京の最高峰とか行って、
一人で天白して、
一人でできた!ハイタッチ!みたいな。
俺できた!みたいな。
そんなところから入ってったのが自分の山だったんですよね。
僕も最初仕事で薬師前行って、
もうそこから帰ってきてすぐに本当に同じようにね、
モンベルに行きました。
全身モンベル、テントもモンベル。
モンベルで15万円くらいでフル装備買って、
また薬師前にカムバックみたいなことをして、
まあ同じようなもんですね。
僕の場合薬師前よりもっとそこらへんみたいなところだったけど、
けどね、その後またちょっと時間があったりして、
八ヶ岳にね、友達と初めて八ヶ岳に行こうってことになり、
八ヶ岳はやっぱり高尾さんとかさ、
レベルが違う感じもして、
そこにバーって行ったときにね、
ゴンゲン岳っていう山に行ったんですけど最初。
そこに行ったときに、その山頂に立ったときに、
八ヶ岳って長野川から登ってって山頂に立つと、
こいつの山梨川がバーンっていきなり見えて、
山の裏側の世界とか、
ゴンゲン岳って一番南端にあるんで、
270度くらいの世界の地、
下界が見渡せるんですけど、
それを見たときに、
世界ってこんな風になってるんだって感動が来て、
飛行機とかではね、もちろんそういう景色何度も見てるけど、
自分でゆっくりゆっくり登ってって、
ある本当最後の数メートルポーンって上がった瞬間に、
全然向こう側の世界がドカーンって開けてきて、
一つのこういう感じでパースペクティブバーンって変えられるみたいな体験が、
そのときすごく自分の中に入ってきて、
それはね、さっき僕はそれまでアートばっかりやってた、
アートオタクみたいなやつだったって言いましたけど、
アートも僕にとってはそういう存在であって、
やっぱり一枚の絵とか、
一枚の現代アートとかちょっとよく分からないものとか、
それの背景とか、
作られたコンセプトとか、
意識のこととか理論のこととか、
勉強しながらそういう作品と出会ったときに、
バーンって自分の価値観変えられるような、
そういうものもやっぱすごくあって、
そういうところが僕はアートが大好きだったところだったんで、
なんか山はね、もっと強引に標高とか、
地形とかでパースペクティブ変えていく仕掛けがいっぱいあると思うんですけど、
だからいきなりアウトドアの人になったっていうよりかは、
山に行ったらアートと同じ刺激がここにもあったみたいな、
そういう感じの衝撃で山に惹かれていきましたね。
仕事がね、
豊島さんアート系の展覧会作ったりとか、
12:02
キュリーションやったりとか、
そういうのだから、
そこの延長に自然にあったっていうことですか?
自分も予期せなかったですけど、
山に行ったらバーンって自分に入ってくるものがあって、
なんか俳句系って割と文化系じゃないですか?
最近のUL俳句の世界は文系俳句が多いと思いますね。
三角部とかじゃないよね。
割と本持ってちょっと行くみたいな、
眼鏡かけてる人みたいな人も多いもんね。
そこが俳句、山との関わり。
山との始まりで、
でもなんかね、アートもずっと大好きで関わってて、
今もちろん関わってるんですけど、
一方で山、自分にとっても、
世間の人にとっても結構駆け離れたようなものと思われ、
ガチなものだと思うんですけど、
その二つにどんどん惹かれていく自分がいて、
それはちょっと考えたことなんですよ。
このアートがこんだけ僕好きで、
なんで山にこんなに急に惹かれ始めたんだろう?
さっきの衝撃はあるんですよ。
どっか繋がってるところがあるんじゃないかっていうのを、
ちょっと真剣に考え始めて、
そうやっていくと、さっきのように、
僕にとってはそういう世界のパースペクトを変えてくれる、
そういう装置みたいなのがアートであり、
山でありってあるんだけど、
探っていくとね、歴史探っていったらね、
なるほどって思うことがあって。
深くなってきたね、だんだん。
深くなりますよ。
これは僕のことではなくて、
リサーチによって分かったことなんだけど、
山登りって、UNハイキングとか以前に、
山岳っていうものが日本に入ってきたので、
やっぱり明治維新以降の、
日本の近代化の歴史の中で入ってきた。
それって、皆さん見られた人も多いかもしれないですけど、
鶴木岳ってやったでしょ?
あったあった。
あれって言ったら、
一般の資産家の息子たちの初めて趣味の、
登山家っていう人たちと、
陸軍が、
陸軍がね、名誉に賭けてね、
空白を埋めようっていうので、
そのピークの取り合いをしてた、
ドラマだったと思うんですけど、
まさにあの時代っていうのが、
なんかいろんなエリートの資産家とか、
エリートのご子息たちが、
ヨーロッパに医学を学びに行ったり、
最新の西洋の文化、文明、知識、
そういうのを絵に留学してたと思うんですけど、
その時期に、
同じように山岳技術っていうのをやっぱり向こうで学んで、
帰ってきてたんですね。
その当時はやっぱり、
南極、北極、それからエベレスト、
これ三極って呼んでたらしいんですけど、
ここを国力を挙げて、
イギリスとかフランスとか、
列強がその頂点極めるぞ、
俺らが取ったるぞ、みたいな、
15:01
ということで争ってた時代だったんですよね。
何でやろう、それは。
それがやっぱり科学技術の最先端。
今で言ったら宇宙とかで、
月にステーション作ってあるぞとか、
多分そんなに近いと思うんですけど、
そんな感じで世界の果てみたいなところを、
自分たちの場所として、
それだけの力があるぞというのを講じるためにね。
難しいことを早くやるっていう。
国力を挙げてね、やってて争ってた時期なんですけど、
なので割とその登山技術っていうのも、
エベレストの上なんて人間が生存できない場所なんで、
そこに行けるための科学技術だったので、
最先端の技術として、
そういう意味でアルピニズムっていうのが
一緒に入ってきたと思うんですけど、
そういう山岳の歴史がありますけど、
日本に授与された。
アートもやっぱり全く一緒で、
日本に芸術っていう言葉はなかった。
工芸とか、そういうものしかなかった日本が、
ある博覧会に、
日本も近代国家として出品しなさい、
芸術を。
芸術って何?みたいな時に、
その時はもちろんアートって書かれてたんだけど、
じゃあアートってなんだ?っていうのの
訳語として芸術って言葉が当てられて、
初めて日本で芸術ってものを意識して、
その時は多分日本のあるものを持ってたと思うんですけど、
そこから絵画っていうものを向こうで勉強して、
油絵で日本でも風景が浮かねばならないとか、
そんな中で、
そうやって聞くと似てるね。
そう、同じ歴史があると思うんですよ。
やっぱり日本の近代化とか、
列強の一員となるための文化的なものを、
そこに追いつかないといけないみたいなところで、
国が輸入したものだったと思うんですね、最初。
なるほどね。
それがだんだん、
ちょっといろんな歴史の後の流れがあるんですけれども、
意識的にもそれぐらいの感覚になろうよっていうところも多いよね。
単なる技術力っていうんじゃなくて、
国民的な文化的なところまでね。
そうですね。
だから我々はそういうこともたしなめる文化的な民族なんですよっていうところは、
国としてはそこをやっていかないといけなかったので、
そういうのを導入していったっていうかね。
そういう、だから話が長くなっちゃいましたけど、
ハイキングとか登山とかっていうものと、
アートはあらがちルーツ一緒じゃんみたいな。
そこだけの共通点があったと。
あったっていうのがそういう、ちょっとこじつけですけど、
自分的には負に落ちたと思うのはちょっとありましたね。
でもそこからその時は、
割と体つきもやわやわでしょ?
僕がランニングに入った時はやわやわだったように。
今はね、割とリュウリュウとした筋肉でさ、
一日何十キロでも歩けるぞみたいな体になってるわけじゃない?
でもそういうのはやっぱり意識も変わってくるというか、
18:01
体も変わってくる。
そうですね。で、山登りが始まったり、
なんかその頃ね、
自分のことでいろいろ生活習慣とかね、
変わっていった時期もリンクしてたと思います。
30代半ばで。
今でいえば相当な変化だよね。
毎日ちゃんと仕事をしないといけないところからね。
今は割と自由に過ごしてるじゃないですか。
そうですね。大阪で仲間たちと会社作ったりして、
勤めてた時代もあったんですけど、そこを辞めて、
仲間たちと会社作ったりして、
いわゆるクリエイターみたいな感じの仕事でね、
昼夜問わずずっと働くみたいな生活してて。
夜遅くご飯食べてね。
もうね、徹夜すれば何でも朝にはできてるぞみたいな、
そんな気持ちでやってた時期もあったんだけど、
なんか、その時からずっと
暮らしとかライフスタイルっていうのは
凶暴しつついろんなクリエイティブやってたんだけど、
仕事はしてたけど、自分らの実際の暮らしとか
ライフスタイルって全然なくないかみたいなのは
どっかで思ってて、
山登りがきっかけになったのか、
年がそういう時期だったのか、
何なのかわからないですけど、いろんなことがリンクしだして、
グラフっていう当時仲間でやってた会社からも
自分は抜けることにして、一回抜けて、
人生リセットっていうと大げさですけど、
割とそんな転換期になりましたね。
30代半ばが。
それは福岡来る何年前?
もう同じくらい?
6年、7年前じゃないですか。
35歳くらいの時なんで、そのビッグバンが。
でもよくそこに転換できるっていうのも、
30幾歳だったらまだ一番バリバリやってたと思うんですよね。
仕事はやってはいたんですけど、
それまでって頼んでもらえるやつは全部やりますみたいなのか、
あんなこともやりたい、こんなこともやりたいみたいな感じで
とにかくやって、すごく大きなプロジェクトとか、
有名な人たちとやるやつとか。
普通だったら、クリエイター目指して、
クリエイティブな仕事ができだして、
一番ある意味評価されてるわけじゃないですか。
ある種、成功を味わってる時期。
忙しいかもしれないけど、成功を味わってる時期じゃないですか。
そこからそれを手放すっていうのがすごいなって。
俺もそのくらいの時っていうのは一番忙しくて。
でもそこを手放すっていうのはあんまりなかったから、
何も出会ってなかったっていうのはあるけど、
それはすごいなっていうのは思うな。
まあね、何なんですかね。
21:00
でもね、意識的にやったっていうよりかは、
結果でしかなかったなって今も思いますけど、
その時何かを変えないといけないとか、
そういう風に別に思ったわけじゃなくて、
なんか急に山に目覚めちゃった、山にいっぱい行きたい。
山の時間を作りたかった。
毎日働いてたらいけないじゃんみたいな。
晴れてる日にいけないだろうみたいな。
そういうのもあったり、
なんかそういうのがどんどんどんどん連鎖的に始まって、
で、そういうタバコ吸うのをやめたりとか。
それが普通に。
その時もね、ジョギングが始まったんですよ。
ジョギングね。
山、なんかこうね、
その時僕も今より15キロくらい体重があったし、
なんかちょっと健康のために走ってみよう。
で、走ってみるなら、
もうタバコなんか吸ってられないってなって。
タバコをやめて走るってなった。
それがセットでまた相乗効果があったりとか。
で、なんか走行するうちに、
なんか急にベジタリアンになったりとか。
なんかそういうね、
自分のやってることと、
自分の食習慣とか生活習慣みたいなのも
どんどんどんどん連鎖としか言いようがないんですけど、
そんな感じでドミノがバタバタバタ倒れるみたいに、
生活がバタバタっていうのが変わってた感じはある。
豊島さんといえばさ、
ハッピーハイカーズをやって、
九州でそういうハイクコミュニティ立ち上げて、
イベント今までやってきたじゃないですか。
その中で僕らが思うのは、
ULっていうのを教えてくれた人っていう感じですよ。
そこまでULってなかったと思うんだよね。
福岡、僕の周りにULっていうの。
一部の感度の高い人たちっていうのは
そういうのを割とやってたとは思うんやけど、
全然なくて、
ギャザリングの最初のテーマがULだったじゃないですか。
そこの意識っていうのを持ち込んだ人っていう感覚なんやけど、
今聞いてる流れもどんどんUL化してるような、
そういう自分がやってきたことっていうのは
結局何かそういうのにシンクロしてるんかなっていう気は。
そういう自分の中の変革みたいなもので、
自分が気づいたことっていうことだと思うし、
あとULハイキングっていう考え方自体は、
僕も別にずっとさっき言った高尾さんからの登山、
いわゆる従来型の登山の方法でずっとやってたんですけど、
まだ東京にいるときに、
友達と二人で南アルプスを全山重走しようみたいになって、
しかも11月とかで山越えて全部やってませんみたいな。
なので10日間くらいの食料持っていかないと、
20キロくらいになるじゃないですか。
30キロくらいになる。
30キロくらいになるか。
静岡駅に集合したけど、
一人でザック持ち上げられないみたいな。
もう三角部並みやね、30キロくらい。
いわゆるそんな感じでまず膝に乗っけて回すみたいな。
そんな感じで80リッターのザックが本気で満タンみたいな。
24:03
80リッターとか入れたらしょえない。
そんなくらいだったんですよ。
本当に歩き始めてすぐ5分くらいで
これ無理かもって思うくらいに重くて。
でもなんだかんだあってゆっくりゆっくりだったんですけど、
結局一番下のチャウス岳、テカリ岳は行かなかったんですけど、
チャウス岳から入って北岳までっていうのを
間にすごい雨で2日くらい停滞入ったんですけど、
それも含めて10日間で重曹しきれたっていう経験があったんですよね。
それは普通のムセつきの話なんですけど、
でもすごい自分たちも、本当に僕とかも素人が勝手に我流で
初めて山ん中10日間も何の補給もなく行けたっていうことは。
アルファー前でも10日間って結構な量になるよね。
結構大変ですね。
知らない時に持っていくものって言ったら大体想像つくけど結構な重さだよね。
その時はね、ちょっと話しておりますけどね、生米持って行ったんですよ。
もうそれで嫌になるね。
なんでかっていうとね、行動食を10日分無理だって話になったんですよ。
だから生米をとにかくいっぱい持って行って、
毎晩自分たちの夜飯と一緒に次の日の行動食の米を食べて、
おにぎり作ってそれで歩き続けようっていう戦略に。
何キロ持って行った?
何キロ持って行ったかな?結構な量ですよね。
5キロずつとか。
ぐらいね、なるよね。
そんな感じで行けてよかったんですけど、
でももうこれ以上重いっていうのがもう絶対無理だって思ったし、
ってことはこれ以上長いの行こうと思ってももっと重くなるから無理だし、
今回すごい楽しかったけど、思い出にはなったけど、
これまたやるって言われたらもういいですっていう感じなんで、
なんかもっと自分がこれより深く登山とかに入っていくには、
なんかちょっと違うこと考えないと無理だなって思ったんです、
それ行った時に。
その当時にちょうどなんかこう雑誌とかでチラッと
ULハイキングとかいう言葉が出始めてた時と重なってたんで、
なんか何だろうと思って自分をパラパラ雑誌で
立ち読みしてみたりとかしてた時期に、
大和道の夏目くんと、その時夏目くん俺前から知ってたんだけど、
久しぶりに再会したっていうのがそのタイミングで。
それは南アルプス?
それは南アルプス降りて、東京だったらトークショーがあったんですよ、
僕が出るような。
それに夏目くんが遊びに来てて、
トークショーの中で僕が最近山登りしてるんですってことを言ったもんだから、
トーク終わった後に夏目くんが来て、
富島さんお久しぶりですって言って、
僕最近山道具作ってるんですよみたいな話になって、
え、もしかしてそれってULっていうやつ?
そうです、そうです。
教えてほしいってなって、
それで一緒にね、2人でね、
小淵岳というか奥地寺部の方に行った時にね、
行ってそこで初めて夏目くんに俺は手ほどきを受けたんですよ。
27:02
そこからULが?
そこからULが始まって、
自分でもいろいろね、本読んだりとか方法論学んでいくうちに、
ULの方法論に結構ガンってまだショックが来て、
これは面白いわっていう風になって、
その考えをさっきのアートの話も同じなんですけど、
横に展開していっていくのは得意なタイプなんで、
自分の生活にULっぽいことを当てはめていったらこういう風になるよねみたいなのもあって、
それが実は福岡へ引っ越してくる大きなきっかけにもなったんですよね。
福岡?
それまで東京に住んでて、いろんな仕事一生懸命ガツガツやってて、
でも東京は家賃も高いし、車の駐車場も高いし、日々の生活も高いし、
いわゆる経費がすごいんですよね。生活していく。
経費がね、もう右から左に2、30万出ますもんね。
そうやってた時に、僕みたいなその時グラフやめてたんで、
フリーランスのクリエイターみたいな人が毎月毎月自分の生活するための経費をペイしていくために、
30万とか40万が必要で、それを毎月アートとかみたいなかなりみずものな仕事の収益を得続けるっていうのは、
まあまあ大変なんですよね。
今はいいけどね、その当時の一瞬の1、2年とかね。
すごい大事なんですか。
それはやっぱり将来的にはどこかですね。
そうなっていった時に、仕事結局あちこちの美術館に行ったりしないといけないし、
東京でやってる仕事っていうのもないから、別にどこでもいいなっていう風になって、
それで山登りしたいから山梨に住むとか、いやいや、
北海道もスキーも始めてたんで北海道に行くとか、そんなことも言いつつ、
うちの妻に、どっか住みたいとこあんのって聞いたら、
いや北急出身の人間は福岡に憧れるっちゃね、みたいな話になって、
福岡行ったことないけどまあいいけどって言って、来ることになったんですよ。
方向がすごい軽やか。
でもどこでもいいと思ったんですよ、僕。
結局そこからどっか行かないといけないから。
ただ一つ、やっぱり移動が伴うので、空港とか新幹線の駅とか、
30:02
そういうとこからあまりにも離れてるとこはちょっと大変になりすぎるから、
福岡全然近いし一番いいんじゃないの?ぐらいな感じもあったんですよね。
で、来てみたら。
それ何年ですか?
僕が聞いたのは2015年。
まさにそれぐらいと思うんですよ。
引っ越しすぐか引っ越すぎり前ぐらいかです。
2015年だったかな、その前の年か。
豊島さん知ってます?って、僕はケゴのアルバスに言われたんですよ。
知らないけど、山とか登ってる方なんで、石川さんなら知ってると思いました。
とか言われて、そういう人いるんねと思ったら、
僕の写真店にね、豊島さん来てくれて、
と思って声かけたぐらいだから、本当もうそこ1年ぐらい。
そのぐらいですね、タイミングがね。
で、福岡来てみたら、それからまでの東京のいろいろ諸々の家賃だろ何だろから考えたら、
ありえない値段で、
豊島さんマップの中の暮らしのことに団地っていうのが入ってます。
団地ね。今ね、石川さんの事務所からギリギリ歩いてこれるぐらいのところに。
歩いてこれるね。
なんか団地に住んでるんですけど、
それも福岡引っ越そうか、じゃあどっか住むとこ探そうよ。
いとしまとかいいらしいぞ、見に行ったけど全然賃貸物件とかないねみたいな話で、
また福岡にね、その時車でぐるぐる回りながら戻ってきて、
1個ぐらい不動産屋見て帰らないとなって。
まだ物件探してるんですか?
探してたんですよ。
で、けごにのとこ行って、
カクカクしかじかなんで、何かしないでもいいんですけど、
なんか賃貸物件ありますかねみたいな話をしてたら、
いろんなファイルを見せてくれて、
ファイルを見てるうちに、
見てるうちにまた福岡来ても賃貸でずっと家賃払い続けるのかというのは、
どっかで思ってたけど、とりあえず仕方ないなと。
安いとしてもね。
そうそう、思ってたら、
なんとかマンション350万とか、
なんとか団地128万円みたいな、
なんかよくわからんのが書いてあるファイルがあって、
これ何だろうと思いながら見て、
すみません、これって何ですか?って言ったら、
すみません、ちょっと売買のやつ混じってましたねって言われて、
ちょっと待ってください、これ頭金ですか?って言ったら、
いよいよ、もう古いですけどね、そんな値段ですよって言われたら、
え、128万とかで売ってんの?家みたいな話。
田舎でありますよ。
東京とか、ありえないじゃないですか。
ありえない。
田舎っつっても、
外観の高速の、超えたらそんな値段で出始めてたから、
200万とかね。
100万台も本当はあったんですよね。
で、えーってなって、ちょっと待ってください、
もしじゃあ僕とかもフリーランスなんで、
ローンとかなかなか組みにくいんですけど、
現金をかき集めてきて200万払いますって言ったら、
33:00
売ってくれるってことですか?って聞いたら、
もちろんですよって言って、
こんなファイルいくらでもありますよってガサーって言ってくれて、
そうなんだ。
で、その中の見た中で、
いろいろな面で、ここいいんじゃないっていう話になったのが、
今住んでるとこで、
ランチ。
ランチで、そこを見て、
なんかこう、全部自分たちで、
その時の仕事してた仲間とかにも、
ちょっと手伝いに来てよみたいな感じで、
2週間福岡来てもらって、
で、ばーってセルフリノベーションして、
で、まあ今は快適に住んでますけどね。
買えるんだと思った、僕の団地が。
あれなんか賃貸かと思ってた。
そうなんですよ。
ねえ、買えてるし、
今外、外観めちゃめちゃ綺麗じゃないですか。
あそこの建物がでしょ。
僕らがね、見に行った時はそうでもなかったんですよ。
で、引っ越す団になったらピカピカなってて、
何が起こったのかなと思ったら、
ちょうどそのタイミングで、
団地全体の塗装をやりかえたり、
手すりとかも全部綺麗に塗りかえたり。
綺麗、綺麗。
そこであの、なんか屋上の防水もやりかえたとかなって、
めっちゃラッキーなタイミングで。
いやあ、なんか団地いいなって、
僕も今マンションやけど、
結構供液費が高いじゃないですか。
エレベーターがあるから。
ああ、そうですね。
エレベーターなんて団地っていいんじゃないかな。
そういえば昔、
四国保にいた時団地住んでたけど、
まあそれは賃貸じゃないんだけど、
家賃8,000円やったんですよ。
それ安いですね。
8,000円やったら顔よりいいんじゃないかなと思って。
8,000円やったらいいですね。
まあ単行の住宅のそのままの権利で行った人が8,000円だったんやけど、
それでも普通に入っても2万円ぐらいだから、
でも案外団地っていいなって最近思った。
団地もね、しかも団地好きな人たちも多いですからね。
団地ブームもあるし。
なるほどね。
その時はね、今気に入って住んでるんですけど、
その時はそのうち糸島に住みたいって気持ちめっちゃあったんで、
とりあえず自分らの趣味っていうよりかは、
そのうち売る前提で、
とりあえず小綺麗な感じにリフォームしようとか思ってやったんですけどね。
暮らしのことの団地と繋がりましたね。
ULからかなり遠くのマップからの団地まで。
対角線通りましたね。
割と行きました。
でもね、団地にそれを購入して、
本当にそれまでフリーランスで生きてて、
持ち家をね、ある人になれるなんて思ってなかったんですよ。
東京にいた時に。
そんなのもう絶対無理だと思ったから。
そっちに来たら急に家賃っていうものが発生しないっていうことになったら、
その時まで東京にいた家賃って17、8万円だったんですよ。
まあね、かかりますね。
で、それ年間にするとさ、
200何十万でしょ。
それをさ、売上げでさ、利益で取ろうと思ったら、
経費購入で倍とかだったら、
年間400万ぐらいの仕事を取ってこないと、
家賃も払えないっていうことになるんですか。
で、福岡に来て団地手に入れた時に、
36:01
400万分年間仕事しなくていいって。
めちゃくちゃこれは良いぞってなったんよね。
どんな時間だろう。
結構な時間になるよね。
そう、結構ですよ。
400万の時間とかになったら、
いたしたら2、3ヶ月って言わないよね。
全然言わないですよね。
フリーランスだったら半年かもしれない。
半年分ぐらいの仕事をしなくていいどうぞみたいな感じに、
福岡に来てなっちゃって。
それで減るわけじゃないからね。
それで同じっていうことだからね。
むしろいいですよ。
自分たちの空間なんでね。
だからそんなことが福岡に来て始まって、
そこでもう本当にね、いろんなスイッチがね、
今まではこうね、ちょっと準備段階だったスイッチが、
バチバチバチバチバチって入って始まりましたね。
そこでね、僕は豊島さんからは何回も聞いてたことなんやけど、
いろんなものがこうね、優先順位って僕らあるじゃない。
あるんですよ。
仕事がある時はちょっとランニング控えてくたびれるから仕事しようとか、
いついつは仕事があるだろうからこういうことはやらないとか、
いろんな優先順位の中で高いところに仕事ってあって、
そこからが全部ピラミッドのように下の定義になっていったりするんだけど、
それによってはこれやるやらないっていうのはものすごくあるんだけど、
結構ね、豊島さんと話しすると、
いろんなことが全部割と並列化してることをね、聞いてるんだけど、
その話をね、僕はうまく説明できないので、
豊島さんから聞きたい。
そうですね。
これがね、僕のここらへんはへりくつでしかないっていうか、
とこもあるし、これがいつまで続くのかって言われたら分かりませんって話しかないんですけど、
今のところ自分の中の気持ちとしてあるので言えば、
これは福岡に来てできたことであるっていうのはすごく大きな、
さっきも言ったように経済的な意味合いで。
やっぱり東京にいた時っていうのは、
年間400万家賃のためだけに稼がないといけない、
そのためにはとにかく仕事優先してやっていかないと、
もう住むとこなくなるぞっていう恐怖があるんですけど、
福岡に来てそういう団地とか買いました。
その400万円、稼がなくてもいいよってなったってことは、
結局仕事っていうよりかは、
お金を得ることっていうことを生活の中の最優先事項にしなくても良くなった。
もちろん2位か3位か4位にはつけてはくるんだけど、
一番上じゃなくてもいいよねっていうのはやっぱりなったなと思っていて、
とにかく今、うち子供もいないんで、
そういう養育費とか子供を育てていくお金っていうのが
かからないっていうのは大きいと思うんですけど、
夫婦2人で暮らしてて普通に自炊生活だし、
いわゆる贅沢な暮らしっていうのはしてない方だとは思うんですけど、
39:01
なので自分たちの生活費ってかなり知れてるなと思ってて、
で、もちろんそこに自分たち、僕とかもね、スキーをするお金とか、
新しいサーフボードを買うお金とか、
それをもちろんオプションでかかってはくるんだけど、
ベーシックな生活をするっていう意味では、
実はね、うちの家計は妻と僕が10万円ずつはお家に入れるっていう方式を取ってるんですよ。
だから20万で回ってて、しかもそのうち5万は貯金できてるんですよ。
どういうことかっていうと15万なんですよ、うちの家計費。
2人で。それで電気代とかもちろん高熱費、
で、家賃はないけど修繕積立金っていうのが共同住宅にはあるんで、
それが5000円くらいかな。
で、駐車場も5000円なんですよ、あそこ。5000円で。
で、食べるのも2人とも料理もするし、
しかも基本ベジタリアンライフなんで安いんですよね。
安いとこで買えばね。
福岡は本当にね、食が安いんで、
その辺に居屋屋さんもいっぱいあるから、
そういうとこで買ってきたりしてても安いし、
って感じで本当にオプションでの遊び代とか飲み代とかそういうのは全部別にはしているけれども、
ベーシックな生活費っていうのが、
何かあった時用の観光相談費とかも含めた貯金も含めて、
2人で20万円で成り立ってるって、
まあまあ学生レベルと思うんですよ、やっぱ。
それは安いですよ。
だから実質最低限その1人75,000円っていう。
俺もそれで生きていけるんやったらかなり解放される。
でこれにはね、実は来て結構いろんなものを一回整理しようっていうのはやりました。
その何かこういう無駄な、
もうこれってもうちょっとこう例えばインターネットの経費とかもっと抑えるんじゃないのとか、
何かこれこれこういうのに変えたらこうなるんじゃないかとか、
無駄なサブスクみたいなのやめてもいいんじゃないかとか。
あるね。
そういうのも含めて、
まあ断捨離じゃないですけど、
一回こういわゆる経営者的なことで言うと、
まあランニングにかかるお金をいかに固定経費どんだけ圧縮できるのっていうのをやってみたんですよ。
生活にかかる固定経費みたいなのを圧縮して、
あと変動費はまあいいじゃないですか。
いっぱいちょっと儲かったから、お小遣いあるからじゃあこういうの外食しようよっていうのは変動費でいいわけで。
完全な固定費、ランニングコスト。
そう、ランニングコストは下げれば下げるほど、
結局その言った仕事、お金を売ることっていうのを第一優先しなくていいっていうのが一つのマストな条件になってくるから、
それは一番、逆にそれを一番優先事項にした方がいいんじゃないか。
だからお金を得るんじゃなくて、
まあ言ったらお金をなるべく使わないっていうのをまず最優先することで、
結局何が得られるかって言ったらお金の代わりに膨大な時間が手に入るっていうのがやっぱりあって。
最近ね、時間っていうのはすごい思いますね。
42:04
50過ぎて、あとどれだけ元気に動けるんだと思うと、時間って結構意識しだした。
そうですよね。
自由になる時っていつなんて思うと、結局30代から40代50代って自分が自由にしない限りは自由にならない。
そうですね。これもね、意図的にあった部分と結果的にそうなったねっていう部分と僕の場合は両方あるんですけど、
でもその辺が連鎖してぐるぐるぐるぐる回っていくんだなっていう仕組みはちょっと手に入れた感っていうのはやっぱ多分あって、
いろんなURとかそういうのも全部、アートと山とかいろいろがぐるぐる回って、
ベジタリアンとか福岡っていう都市とかが連鎖していくんですけど、
最近だからそんな感じで、アクティビティーの話ちょっとだけぐらいすると、
ハイキングももちろん行くんですけど、スキーだったりサーフィンっていう。
スキーはね、もう冬の間結構な期間、北海道ね。
半分行ってますね、今。1から5までは行ってますからね。
1から5まで行ってます。
5までスキーができる。
山まで行けるんですよね。ゲレンデはもう4月で終わっちゃう。
1月から5月までの豊島さんのインスタの投稿はほぼほぼ予定山やもんね。
そうですね。そんな感じでやってるんですけど。
そこがハッシュタグのテレ合宿という。
テレ合宿だったりね。
で、サーフィンが僕のハッシュタグのオクラガ浜スポンジ組合っていう。
オクラガ浜スポンジ組合。
サーフィンのハッシュタグなんですかね。
サーフィンした時のハッシュタグ。
そうです。宮崎の仲間たちと会ってる時間について。
これ組合があるわけじゃない。
じゃないですね。
スポンジオル組合があるわけじゃない。
そういうことではないんですけど。
スポンジボードって言われるサーフボード。
柔らかい安全なサーフボードがあるんですけど。
それを最初僕、それでやり始めたとこがあるんで。
その時の仲間がいて。
それも変わったの?
それはみんなスポンジ組合は名ばかりでね。
普通のサーフボードに今なって。
普通のサーファーになってるんですけど。
そういうサーフィンとかスキーとかっていうのが。
僕ね、ちょっとだけランニングもした時期もあったし。
ちょっとだけね。
僕が走ってるのはトレーナーさんがランニングしてたから走ってるようなところはあるよ。
ランニングしてたりとか。
クライミング結構ね。
そうね。クライミングもこのマットワークにあるけどね。
やってた時期もあったんですけど。
意外とね、ランニングとかクライミングって
自分の時間の都合をつく中でやりやすいタイプの物事だなと思ってて。
ランもなんとなく1日の中で
僕の場合ジョギングレベルなんで
朝走ろうかなとか夕方走ろうかなとか
自分のルーティーンに
どんな生活をしてたとしてもある程度組み込みやすいみたいなところがあって
今日雨降ってるからちょっとやめとこうかぐらいはできるかもしれないですけど
日々淡々とランニングするってそれなりにやりやすいなと思ってたんですよ。
45:04
やりやすい道場ね。
いろんな道にいろんな所に出張行っても
ホテルの周り走るとかもできたし
クライミングもクライミングでね
クライミングジムっていうのが結構あるから
天気とか時間にあんま左右されずに
トレーニングもできたりしたよね。
ドラリングっていう感じかな。
土日になったらクライミングする仲間たちと一緒に
外の岩にちょっと登りに行こう
あっち登りに行こうみたいなのができてたんですけど
それも全然楽しかったんですけど
スキーとかサーフィンって
僕バックカウントリースキーって山を滑るタイプのやつをやってるんで
そうそうね。
基本的にそういうところの近くに住んでて
なおかつ自分の都合で波は立たないし
自分の都合で雪も降らないんで
自然に合わせていくしかないみたいなところが結構あって
確かにそこにいないとできないもんね。
そうなんですよ。だから
北海道のパウダースノーを陽底山でバーって滑ろうと思ったら
最高なドラリングもね。
最高なんですけど
それはやっぱり雪が降った時には
朝一で滑れるっていう生活してないと無理っていうのが
ポジショニングが
そのポジショニングがめちゃ大事で
東京とかにいて
明日降りそうだから朝一行くぞって
絶対にそれも無理な話なんで
それがすごいね。
だからやっぱりその麓に住まないとなかなか難しかったり
麓に住んでても朝から仕事があったら無理なんで
降った日の次の朝には行けるぞっていうように
できるっていう
いつでもスタンバイっていうか
毎日スタンバイしてるわけじゃないですね。
そんな感じであって
サーフィンはね僕まだそこまでできてないんですけど
九州っていろんなサーフポイントがあるんで
宮崎にも行っちゃってたりとか
あと秋から冬にかけては福岡も
スキーはインスタでも見てるんやけど
結局どこかにお泊まりしてるわけでしょ?
あれはね
イソウロしてるわけでしょ?
友達がやってるカフェの2階ロフトみたいなところがあるんですけど
そこにイソウロしてるんですよ
1月から5月までイソウロするわけでしょ
サーフィンはどうやってそこに張り付いてるの?
サーフィンはもう夏なんでね
駐車場でも全然寝れるし
あとはいつも言ってる奥良浜スポンジ組合の仲間がいるんで
地元のヒューガーの
そこに泊めてもらったりとか
暑すぎて夏とか無理
車中泊無理です
外でもね
暑すぎる時とか泊めてもらったりとか
サーフィン期間っていうのはどのくらい宮崎にいるんですか?
宮崎はね1回行ったら3日くらいはいるかなっていう
それはもうそのくらいの単位なんで
やっぱり波だんだんなくなってきたりとかもするから
帰ってきたりして
行ったり来たりするんですよ
夏の間はちょこちょこ行くんですか?
宮崎に毎週行ってるタイミングもあれば
もう2週間に1回になってたり
あと秋からはね福岡も結構波が良くなってくるんですよ
48:00
日本海もする?
日本海が良くなってくるんで
それで糸島ベースに
それはもう毎日通うみたいな感じで行けるんですけど
だから本当に
だいたい6月とか7月から12月まではサーフィン
九州でやってて
1月から5月くらいまでを北海道でスキーをしてるって感じなんですけど
何が言いたかったかというと
ライフスタイルをそっちに持ってかないと
できないタイプのアウトドアアクティビティだなって
結果そういうのにすごい自分は惹かれてるっていうのも分かってきて
だからね
それはねそういうライフスタイルを持てるようになったから
そういうことができるようになったっていうのは
どっちが始まりかはちょっと分かんないですけど
どんどんそっちに
だからそういうライフスタイルを持てるようになったから
どんどんそっちにハマっていったっていうことだと思うんですけど
だからスキーするにも
全国どこに行ってもある程度の仕事が
居場所があまり関係なかったりとか
時間が関係なかったりとか
自由にできるとか
なおかつそういう経済的に
あんまり負担がないようなライフスタイルを送ってるとか
しておけば
そういう冬の間ずっと北海道にいて
スキー毎日できるよみたいなのができるようになってきて
よりその世界にディープにハマっていった
さっきのラーニングコストが安くできたから
そういう風に自由に時間ができるっていう
けどやっぱりそれなりにも
収入は稼がないといけないじゃないですか
その収入というか
全然ないじゃん
全然ないですよ
生活費の10万円は入れないといけない
入れないといけないでしょ
自分が飲んだり食ったりするのと
移動するのに含めると
やっぱり15から20くらいは
やっぱり稼いでいかないといけないじゃないですか
でもそれができるような仕事の仕方をしてるってことですよね
普段からある程度1ってものすごく左右するけど
そういう意味で言うとね
いまだにね休みの日はないですよ僕
毎日なんかやってるんですよ
そうなの?
だからね雪山でテントで泊まってて
外防風節で停滞してても
意外と携帯つながるから
お世話になっておりますってメールを
送ったりもするんですよ
そうなんだ
そう
でナミから上がってきて
駐車場にバーってきて
ウェットスーツ着たまま
ズームでミーティングしたりもするんですよ
もうオンオフじゃないよね
そうオンオフがなくて
だからいわゆる長期休暇なんてもないし
土日も関係ないし
まあ言えば365日
5分でも仕事してる日はしてたりもする
それはじゃあ
メールでも仕事ができる?
もう最近多いですよね
自分の体がそこになくても
なくてもいいやつはそういうやり方できるように
結構ね今オンラインとかさ
コロナの副産物で
ズームミーティングとかっていうのが
もう一般化されたんで
なおさらそういう風にやりやすくなってきたんですけど
51:00
それはやっぱりかなりクリエイティブな仕事じゃないですか
クリエイティブだからできるんじゃないですか
まあそういうとこはありますよね
自分が言うアイディアで相手が納得してくれて
お金がくれるってことだから
企画の仕事がね今一番多い仕事になってるんで
美術館の仕事も制作仕事っていうよりかは
キュレーションと呼ばれるような企画の仕事だったり
今ね大和道のブランドの仕事もしてますけど
あれも基本的には大和道の中の
1プロジェクトの企画をやってる仕事なので
企画業
そういう自分の興味のある仕事が固まるっていうのも
すごい羨ましいなっていう
結果論でしかないですけどね
制作仕事をやろうと思ったら
できるライフスタイルでさえもうなくなってきたっていうのもあるんですよね
そうやけどそういうライフスタイルを見てると
こういうことができるんじゃないかなって
発注側が思うようにいいように回ってるなって思う
それはそうなんでしょうね
そこまでの人だったらこういうことできるんじゃないかなっていう
一つのやっぱりこう
自分の打ち出しとして
相手に伝わってるって思うんだよね
普通はやっぱり僕は
そういう仕事が来たらラッキーなのになって思いながら
違う仕事をしている
アウトドアとかランニングの仕事とかの
そういう仕事をしたいなと思いながら
普通の企業仕事をしてたり実際の仕事をしてるじゃないですか
まあギリギリな感じで耐えられる
固定費の安いライフスタイルがやっぱり一番支えになってて
その上にここからちょっと話を次の展開にすると
今仕事の話って
話が変わるんですね
いや変わらないですからね
繋がってるんですけど
仕事をしますっていうことと
遊びみたいなのでちょっとオンオフみたいな話が出ましたけど
スキーで滑るのと
いわゆる美術家の企画仕事をする
実際に座って僕がパソコンとか叩きながら
その仕事をしている時間と
陽底山の斜面を登って滑っている時間と
それから家に帰ってご飯を作っている時間と
これは全部僕の中では
一日の中のやることっていうリストの中の
その話なんよね
でしかないって思ってるところが
これ結構まあまあ本気でそう思ってるところがあって
なので
to doリストって一枚しか僕なくて
その中に
陽底山は毎日なんで書かないんですけど
to doには
でも誰々と行くとか技で書いたりしますけど
とどこそこで今日は
どこそこスーパーで買い物しようと思ってるから
スーパーで買い物って書いてあるとか
その中に
例えばどこそこ美術館の企画書まとめるとか
なんかそういうのが
一日の中にバババババって書いてあって
54:01
それをその日にやるだけっていう
まあさ一緒にすれば一緒になっちゃうんだけどさ
to doリストもさ
自分の場合to doリスト盛り込みすぎなのか
書いた分の半分しか評価ができないっていうことがあるんだけど
その中でも
企画書を先に仕上げないとこれできないよなっていうのはない?
一応ね
全部その日にやるようにはしてるんですよ
すごいそれがすごい
というかそんだけしか入れてないっていうのもあるんですけど
だからもう仕事とか
欲張らない
だから仕事はね僕
冬の間はね
最大2,3時間しかもうやれないと思ってるんですよ
一日の中で
自分がデスクに
っていうか机に座って
じゃあその時間は絶対確保する?
その時間は確保してます
だから山
一日中スキーしてるわけじゃないんで
朝一バーって上がって
割と早い時間起きてるもんね
3時間ぐらいハイクアップして
滑るなんて本当に15分か20分でピャー降りてくるんで
降りてきて帰ってきて
1分ぐらい帰ってきて
ちょうどお昼ぐらいなんで
お昼ご飯作って食べて一休みして
やっぱ2時間ぐらい仕事グッとやってます
なるほど
それは
やらない日もあるけど
やる日っていう風に書いてある日は
企画書
頭の中にはあるんで
2時間ぐらいで
考えるのはね
考えるのはスキーのハイクアップ
スキーしてる時の何か考えるかもしれない
スキーでハイクアップしてる時間中にも
考えてたりもすることだから
それを形に出すのは
2時間またできるかなとかいう
働くのがあれば
その時間に書いて出して
見てOKっぽかったら
それを相手に送って
次のスーパーに行くね
スーパー行こうみたいな
すごいね
前に
そういう話聞いた時に
現地入りしなくちゃいけないような仕事を
そこでしかできないような仕事も
うまく詰め込むっていう話
言ってたじゃないですか
わざわざ行くんじゃなくて
いろんな工程の中で
行けるようにスケジューリングするって
そういうのも上手よね
そうですね
企画業って段取り半分みたいなところ
結構あるんで
だから自分の段取りも
意識はしてますね
だから
サーフィンとか行くのも
宮崎行くのも結構大分経由で
遠いんで
しかも俺車もジムニーとかだから
高速道路で行くのも結構
車的に負担も大きいから
下道で行くんですけど
その途中で
いろんな古墳見に行ったり
遺跡見に行ったりとかね
見てると
だんだん吸収が自分の中に入ってくるし
ペアヘッカーズの
ドルイハイキングっていうのを
パイセンとかと行く時の
ネタにも収集にもなるし
結構ね
ついでとかよくやりますね
そういう組み立て方がやっぱり
上手いなって思った
ギャザリングの時もそうやけど
ギャザリングも
57:00
最初のギャザリングでも
わりとゲストもすごく呼んで
ショップも呼んで
九州としてはすごいイベントやったじゃないですか
運営する僕らの方では
そんなにめちゃめちゃ
スタッフがいるわけじゃないのに
うまく動いて
そんな事故もなく
大きなアクシデントもなく
できたのも相当ちゃんとね
段取ってたよね
バッテリーシマーカーもね
すごいなと
それはね
チームがあったからここにすでに
そういうのもありますね
ハッピーハイカーズとか例に出すと
本当分かりやすいと思うんですけど
ギャザリングやりたくて
ハッピーハイカーズやりましょうって
声かけたわけじゃないんですよ
やっぱり
自分が九州に来て
山月に来たけど
ハッピーハイカーズとか例に出すと
本当分かりやすいと思うんですけど
ギャザリングやりたくて
ハッピーハイカーズやりましょうって
声かけたわけじゃないんですよ
やっぱり
自分が九州に来て
山月に来たけど
パッと見たら
九州良さそうな山いっぱいあるなと思って
行ってみたら
山登ってる人いっぱいいる
だけど
みんなつながってないっていうのも
なんとなく知ってきて
福岡に当時
そういう人たちが集まるような
ショップだったり
なんか場っていうのもないんだなって
気づいた時に
なんかせっかく自分
新参者としてこっちに来たから
せっかくなら
いろんな九州の人と知り合いたいけど
自分が知り合いになるだけじゃなくって
みんなが知り合い同士になれるような
場作ったら面白いなって思って
鹿原さんにも声かけさせてもらったりしたんだけど
そしたら
アートディレクターでありデザイナーでありとか
仲間のうっちーとかが
ウェブ作れる人だったりとか
そういう人たちがバババって揃った時に
じゃあウェブマガジンできるよねーとか
なんかこれイベントできるよねーってなってて
いたメンバーでできることがなんだって考えたら
できることをやったっていう話
それもねなんかよく言うよね
オールメンバーでできることをやるっていうのをね
だからゴールを設定して
必要な素材とか人材とか
なんかお金とかを集めるんじゃなくって
ここに居合わせた人で何できるのってとこから
それやろっかみたいなんでやっていくっていうのが
それが上手やし
俺はあんまりそういうのなかったんですよ
割と頼まれ仕事でやるじゃないですか
だからゴール地点が分かってて
それに対して予算がこれぐらいだったら
その中でできることっていうのをやるんやけど
あくまでやっぱりゴールと予算があってっていうところが
1:00:02
これハッピーハイカツ予算ないじゃないですか
ないですね
バーでTシャツ売って
ビビったらお金を稼ぎつつ
あとは参加費が綺麗にペイできるようにやるから
普通のイベントだったら
これね四五百万ぐらいかけてやるようなイベントを
何十万とかかけてたりするじゃないですか
それでできるっていう設計がすごいんやけど
だから僕はやっぱりある程度の予算じゃないと
こういう人に頼めないし
こういう動きできないなっていうところから考えるんやけど
そこがすごいよね
この人数でできることっていうのをうまくね
その時その時で考えるっていうのがさ
そうですね
なんかこう
本当その人ありきっていうか
そこから始まってできることをやってるうちは
自分たちの身の丈越えないなっていう感覚もあるんですよ
やっぱりゴール設定してそこに人当てていったり
予算当てていったり
その能力当てていったりすると
ゴールに達成できないのは
あいつの能力が足りないからだみたいな話に
どうしても落ちていって
なんか達成できたらそれでいいんだけど
やっぱり達成いつもできるとは限らないじゃないですか
なんかいまいち
この期間でここまで成長するはずなものがしないとか
ゴールになかなかたどり着けない
その時になんかこれが問題じゃないかって
やっぱり問題を潰そうとするんだけど
そこの中で予算が足りない
メンバーがダメだ
能力が足りない
そこでチェンジとかチェンジしていくってなると
もう自分たちのやりたいこととか
自分たちの仕事に対する情熱より
ゴールが一番大事なものになっちゃうから
その時点で別物に多分変わっていくと思うんですよ
それはありがち
それはもう今の自分のライフスタイルにおいても同じで
何か自分のゴール設定して
そこに自分の人生近づけていくっていうよりかは
福岡に来たらこんなことになってたとか
安いランチが手に入った
海があるからじゃあサーフィンしようとか
ハイク仲間がいるからじゃあギャザリングやろうとか
っていうことで委ねていくと
そのカジーさがやっぱりできない
だから若者が多分相談に来るんやと思う
僕はどうして生きていったらいいでしょうかってね
難しいやっぱり
それはね
経済を一番上に持ってこないっていうのが
多分テクニカルな上では一番僕は最優先
それはやっぱり分かりやすくは大きいよね
そこに圧迫されて追い立てられないっていうのはね
それはやっぱり漠然とした恐怖感にもつながってくるし
焦りにもつながってくるし
仲間の間でのいろんな疑心暗鬼も生まれたりする
最大の原因と思うんですよ
これ全然お金儲け関係ないよって
一緒にジョギング教しようよって言ってる中で
急に不穏な感じになったりしないじゃないですか
確かに
ただのみんなのジョギング仲間だと
1:03:01
楽しかったらいいじゃんみたいな
その中で別に本気で走る人もいれば
それはいいし
選手もいれば
別にダイエットっていう人もいてもいいみたいな
ジョギングっていうレベルの受け皿で
それぞれの楽しみ方しようっていう方が
会社作ってそこのアクティビティとして
毎日みんなジョギングしようよっていうのだと
ジョギングドルマだろお前
なるよね
なるなる
何やってんだってなるよね
そうそうそう
確かに
だから同じジョギングなのはずなのに
全然違うものになっちゃうっていう
それはね本当分かりやすいわ
だからね自分の中のね
さっきの暮らしの話にちょっと戻すと
一日の中のやること
to doリストっていうのがあるけど
だからね経済を軸に考えたら
三つに分かれると思ってて
一つはお金を売ることができるもの
収入になるもの
もう一つは
収入にならないもの
お金がもらえないもの
もう一つはお金を払うもの
支出を伴うものっていう
もうこの三つにしか分からないなと思ってるんですよ
一日の行動って
いわゆるお仕事って言われるようなものがあって
今日これを出せば振り込まれるとか
ありがとうございました
お金をいただけるものは
お金を売るものにカウントできるでしょ
例えば僕は山に登って
予定山登って滑って降りてくるだけだと
もらえもしないし払いもしないじゃないですか
そうねプラマイゼルね
でも夕方に車に乗って
ガソリン入れて車に乗って
ゲレンでナイター滑りに行こうって
リフト券買って滑ったら
払うでしょガソリン代とリフト代
これ払うものなんですよね
だから同じスキーでも
予定山登って滑って降りてくるだけは
プラマイゼル
でもゲレンで行ってナイター滑ってくると
マイナスいくら
でその行く前に
僕はじゃあスキーのついての原稿を書いて
それを雑誌に送って
例えば何か拍車を頂いたとすれば
お金を売るもの
同じスキーでも三つになり得るっていうか
それの収入と質のバランスが成り立ってたら
やっていけるよって話だと思います
そこに仕事であるからどうのとか
実はあんまり関係ないと思っていて
だから仕事がなくてもお金使わなければ
その日はオッケーでしょ
確かに
仕事いくらしてても
それを上回る以上に使ってたらダメじゃないですか
だからその経済を
結局経済の話でしかないなと思ってそこは
日々の経済っていうのが回るような
トゥー・ドゥ・リスト上でね
そこに一つの経済指標があって
プラス5、マイナス3、プラマイゼロ、マイナス2、プラス1っていうのがあって
これが最終的にその日にプラマイゼロでいれば
セーフなんですよね
どうしたらお金使わね済むんやろね
1:06:01
だからニセコとかみたいな高いゲレンデの
ゲレンデのリフト券を買うんじゃなくて
シーズン券12万5000円するんですよ
それを買うのをやめて
毎日陽底山に登って滑ってりゃ
ただなんですよね
しかも体力もつくし
しかも最高のパウダーはそっちにあるし
でも1本しか滑れない
それに
それやっぱりリフトがないから
1日1回行くのが体力の限界?
時間的にもそうですよね
登り返す人はいるけど
上から下までやっぱり行かない
ここをちょこちょこ登り返す人もあるけど
でもまあそれでもいいやみたいなね
いやね俺もあの
今日は聞く時間ないと思うんやけど
セカンドキャリアをどうやって
これからやっていこうかなって
割と最近考えるんですよ
同じような仕事の仕方をするんじゃなくて
もうちょっとなんか
せっかく走れるようになったし
なんか
体を動かして仕事になればいいなとか
いうこととかをちょいちょい考えて
豊島さんのインスタとかを見ると
半分でもいいけど
こういう風な時間をとって
もうちょっと自由に過ごしたいな
それで食べていけたらいいな
とか思うんやけど
なかなかそのイメージがね
まだつかないんですよ
っていうのはやっぱり
そこまで軽くなれてないかな
経済もそうなんだけど
だからまあ
節約ですよ節約
節約ですよね
そこよね固定費やね
一個仕事しても
たまたま誰かから頼まれた仕事があって
それやりました
それで10万円になりました
それでじゃあ新しいスキータ買おうかな
っていうのがいいと思ってる
俺の中ではね
でもこの安い固定費しかなくて
毎月家に10万円ずつ入れてる中から
新しいスキータ買うとかもないです
でも新しいスキータ買いたいから
何かの仕事します
っていうのもないんです
仕事をさせてもらうことがあって
たまたまエクストラのお金入ったから
それでじゃあ新しいスキータ買おうかな
っていう話です
自分の欲しいものを
抑えられるっていうのがすごいね
これあったらいいねっていうのが
抑えられるのね
俺履いてない靴が何個もあるんや
開けてない靴が
そういうようになるべく
道具物のスポーツをやってるんで
道具どんどん欲しいと思い始めたら
もうキリないんですけど
でも
最初の何年間かね
わーってわかんないから
いろいろ試したくなって
いろんな板持ってたいとか思う時も
あるんだけど
ちょっとそれって過ぎ去るし
落ち着いてくるし
じゃあそういうのを新しいものを
そういや言ってたね
富島さんこれがあったら何ができる
っていうよりも今あるもので
何ができるかっていうのを考える方が楽しい
1:09:01
そうですね
だから僕らとかやったら
このザックがあったらこのテントがあったら
っていうのを思い描いて
わりとワクワクしたりするんだけど
そこが今思ってるのがこのテントしかない
って思えば
別にそのテントでもいいわけで
いいわけですね
じゃあいくとこ変えればいいじゃん
みたいな話だったりするわけで
そうですね
スキーの板とかでも
サーフボードとかでも
何がベストかって
あんまり自分では探してなくて
友達が
勧めてくれたから
とりあえずそれ買っておきますとか
それをずっとやってたら
違う友達がお前そろそろ
これに乗り換えた方がいいんじゃないかって
自分のオールを格安で譲ってあげるよって
言ってくれてそのタイミングで
スポンジから普通の板に
変わって
そんな感じなんですよ
たまたまそんなことを言ってたら
こんな安いのオークションで出るよ
って言われて本当だみたいな
買ったりすることもあるけど
基本的には
あまり研究とか
追い求めたりしだすとどんどん欲しくなるから
なんかもう
来るのを待ってるみたいな
そういうとこはありますよね
欲しがらないよね
欲しがってたけど欲しがれない感じの
収入になってるから
そこは割と簡単に外せますね
ないから
欲しくなると思うんですけど
お金をあんまり持ってない状況を
作るともう無理じゃないですか
だから
もう受け入れてる
受け入れてますね
いやほとんどの人はやっぱり
そこがね
物を買うじゃないですか
全部そうですよ
ジムにも僕友達のお下がりなので
上にでかいルーフボックス
積んでますけど
あれも違う友達のお下がりで
それを乗っけてみたら
これ放浪生活できるやんって話になって
放浪生活始まったんです
ジムニーで
日本全国行ってるわけやん
日本のレッドウォーク
10往復ぐらいはしてますね
このマップの中にまだ
聞けてないことたくさんあるんやけど
東北とか
根太松とかいろいろあるんやけど
いろいろなネタはね
今後なんかジャンジャン出てきてもらって
やってもらえばいいなと思うんやけど
でも本当にね
ここに書かれてるワード全部
自分から取りに行ったって
変な言い方ですけど
ほぼないですよ
全部自然にやりだした
巡り合ったとか
なんか
そういうものが多いですね
っていうかほぼ全部そうですね
そうか
ダンチも別に
ダンチ探して福岡に来たわけじゃないし
なんかこういうのも
地名も全部
行きたいとこじゃないし
それは
たまたま仕事で行ってっていう
縁とか
1:12:00
誰々が行くから一緒に行ったら
そこでなんとなく始まっちゃったとか
ねえ
薬師間とかもあるよね
薬師間ももともとね
そんなに行ってたところじゃなかったけど
ゴルダリングで結構行ってたよね
山と道の撮影があったりとかね
そういうので行ったりとか
そしたら偽子のスキー仲間が薬師間に移住しててとか
そうなんだ
繋がるね
知り合い自体が
日本全国に多いよね
そうですね
どこ行っても
僕ね放浪してるんじゃないんですよ
友達3人で歩いてるだけなんですよ
ミーティングをして回ってるだけ
放浪って思ってる人おるやん
全然してないです
放浪とかめんどくさくてできないです
でも本当どこかに行ってるよね
あれはね
なるべく北に行くなら
なるべく一筆書きで行きたいと思ってて
その間に寄ってった方が
ちいちそこに行き帰りするか
いいかと思って
うねうねうね
ここならこの知り合いいるなっていうのを
基本的には
打ち合わせをする旅なんですけど
その間に
スキーできる山に寄ってったりとか
スキー仲間とゴルディスキーしたりとか
しているだけで
基本的には南下をし始めたら
ジムニーは北には戻りません
っていうルールがあって
だからこの前も
南下し始めて
宮城に来たぐらいで
名古屋の仕事があったんですよね
車で名古屋までも間に合わない
そこまで一気に降りたくないから
花巻の空港に車を
ジムニーに置いて
放浪している
全てのギアを積んだ車を
ジムニーの駐車場に置いて
飛行機で名古屋に行って
名古屋で美術館の仕事を一週間やって
また花巻空港に戻って
そこからまた続きが始まる
降りてくるのにどのくらいの期間をかけて降りてくるの?
大体1ヶ月から1ヶ月半ですね
それも普通で言えば
ちょっとした旅やね
でも全然ね
新しいところに
実は何かのきっかけ
ちょっとずつ新しいところが増えている
はいるんですけど
知り合いとか
仕事の仲間とかに
ちょっと会って
せっかくだからちょっと打ち合わせしようよみたいな
1ヶ月半くらいかけて
冬の1月から
5月までの
北海道に向けて
1ヶ月半かけて今度は
北上していくの?
北上はね、なるべく早く行くようにしてる
旅行しながらも行ってるんですけど
もう
年明けてから動くようにしてるんで
早く行って早くスキーした方がいい
そっかそっか
行きはね、ビャーって行って
帰りは何かして
何かしてきてバーってとにかく
何人とも打ち合わせしたものを
九州に帰ってきて
そしてまとめて
実施していくっていう
パターン
大体ここ何年かはそういうのが
1:15:00
ルーティン化してる?
動き的にはそうですね
半年北海道半年九州
あとコロナもあって
海外に出にくいっていうのも
状況もそれに加わってますけど
それまでは
毎年11月か12月は
どっか外国行ってましたね
あ、そうね
ここにも書いてるけど南インドね
そうそうインド行ってたり台湾行ってたり
インドだって毎年2ヶ月ぐらい行ってました?
1ヶ月とか長かった時で6週間ですかね
それもクライミング?
クライミングメインで
あとなんかカレーの
カレー教室
カレーの話も一話できるね
ネタ的にはね
カレー南インドとかね
食生活っていうか
食文化の話で
そうそう
今回こうやって出てきてくれたのっていうのは
ハッピーハイカーズのこと
ちょっとなんかどうなってんのって
わりとよく聞かれる
まだ言えることっていうのは
大したことはないと思うんだけど
僕のランニングの
ランニングの周り
友達の中でも
いろんなランチームとかあったりとか
ハイクしてるコミュニティとか
いくつかあったりとかして
ハッピーハイカーズバーで知り合ったっていうのがすごく多くて
すごい機能
なんか機能してましたよね
僕も結構中野にランナーの人とか
ハッピーハイカーズバーで知り合ったんですよ
ギャザリングに来てくれてとか
ハッピーハイカーズバーっていうのは
しっかりこう
ハブとしてのね
役割果たしてたなと思って
あれいつするんですかって
わりとよく聞かれる
ギャザリングもものすごくよく聞かれる
ここら辺は
俺は分からないよって
僕もね
友達の中だから俺には分かんないんだよね
ってずっと言ってて
どうするのか聞いてくださいよ
全然ね
コロナの話だけです
コロナのね
みんなが
相当密だし
周りに関しては
ギャザリングも
ホッケインの
広倉社長と
教祭みたいなもんだったんで
温泉
山荘さんがやろうよって
言ってくれた時には
やりたいなと思ってますけど
なかなか状況が上がったり下がったりする中で
ギャザリングに関して
やってる期間結構僕らも長いんで
半年くらいかけてやってるんで
その半年くらい
仕込んで仕込んで
コロナで中止っていうのは
ちょっと体力的にも厳しいな
とか思うから
そういうのが関係なくなって
商売じゃないからね
普通に準備できるようにやれたら
いいのかなって思ってたりするんですけど
バーに関しても
やれるようになったらいつでもやったらいいわ
って思ってるんですけど
なんかもう微妙な感じがひたすら続いてるから
なんかその常に
オッケーにはならないよね
1:18:00
リスクがゼロっていうことは
あまりに感染対策して
人数制限してやりましょうって
いうのも
僕の中でそこまでしてやらなくてもいいかな
って気持ちもあったり
でもそれでもやろうよって感じならば
やるのもいいんですけど
なんか
あれで結構知り合ったっていう人が
あれが会ってくれると
色々また知り合いも増えて楽しんだけどな
っていうのは結構言われてて
あとは言ってもね
やっぱりこういうコロナの時期だから
そんなリスクかけてやって
本当に何かあってもなぁっていうのもあるし
そうですね
そこ最優先じゃなくてもいいな
って思ってますね
その代わり
ウェブはもうシュクシュクと
毎月毎月
実はほぼ誰も呼んでないだろうと思うけど
だけど
ウェブの呼んでくれる人たちがいて
あれ
ああいう形も
僕は楽しいと思う
覚えてるところがあるんで
周りからすれば
なくなってないっていう安心感はあるみたいな
アピールハイカーズのウェブが更新されると
まだなくなってないんだ
いつかまたなんか
ギャザリングがやったりとか
バーやったりとか
そういうのがあるんだなっていう
自分が結婚した
式場がなくなるみたいな
あるのは嫌だっていう
感覚に近いのかなと思うけど
なくなってないって安心感あります
全然ね
無理やり活発化する必要がない
っていうのも多分どっかであって
なので
それぞれに山
行ってるっていうのが
あってのギャザリング
とかでもあるから
別にそれがまた
違う形になってもそれはそれでいいかもしれないし
こういう状態があまりに長く続くなら
違うこういうことをやろうよ
でももしかしたらいいかもしれないし
そういうのもまた
ふと入るかもしれない
同じ形態で
じゃなくても
みんながそれで
知り合えるようなものがあればいいな
とは思うし
なるほど
今日この後はハッピーハイカーズの
メンバーのもう一人と
3人で久しぶりに飲むということになってるので
またそういうものがふと入るかもしれない
話の中でね
その時はまた
違う情報をお届けできるんじゃないかな
と思います
聞きたいことは山々あるんだけど
またおいおい
登場してもらって
前編というか
前編というか第1話
コラム第1話みたいなものですからね
じゃあ
そろそろ飲みに行きましょうか
じゃあこれ乾杯でね
一応閉めることになってるので
飲んでたけど大丈夫
飲みつつ最後は乾杯で
閉めるということで
これからも
俳句文化を
盛り上げてもらいたいと思います
よろしくお願いします
乾杯
01:21:33

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