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2024-09-19 32:27

#102 仕事と生業、豊かさ、教育の公平性

仕事と生業の話をしていたら終着点見失って、豊かさ、教育の公平性など細かいテーマでいくつかのトピックスを話しました。

サマリー

今回は、仕事と生業の関連性について語り、社会人としての経験を基に、なりわいと仕事の見出し方について考察を深めています。また、豊かさと幸福の違いや教育の公平性についても触れ、それぞれのテーマの重要性を探っています。このエピソードでは、教育における公平性やそれに伴う問題点についての議論が交わされています。特に、学生や教師の態度が学習環境に与える影響や学校経営の課題について考察されており、少子化時代における教育のブランド化の重要性が強調されています。また、教育におけるフィードバックの重要性や期待が裏切られた場合の心理についても議論がなされています。特に専門学校におけるデザイン教育の現状とその効果について深く掘り下げています。

仕事となりわいの考察
こんにちは、シロクロの伊藤です。Podcast 102回目。今回は、仕事となりわいというテーマで話していきたいと思います。
今日は、2024年の9月の中旬ですね。よろしくお願いします。
まだ、Podcastの最適な録音ツールが見つからないので、BGMを入れられないんですけど、近日中には解決したいと思います。
ということで、仕事となりわいという、よく聞くような話ですけど、そこに話していきたいと思います。
定義的には、昔の農家さんで言ってたような話らしいんですけど、米を作ったりとか野菜を作ったりとか、お金をもらうための作業のことを、なりわいと呼んでいて、
農家で言うなら畑になってないところを耕すとか、未来のためにやることを仕事と呼んでいるそうです。
これでも、流行らしたのはおそらくレディ・フランキーさんで、90年代とか2000年代初頭とかでコラムを書かれていて、そこで見たことがあって、
当時めっちゃみんなこの話をしてた気がするんですけど、そこを今改めて見たときにどう思うか。
これ10代後半とか20歳ぐらいのときに知ったんですけど、全然ピンときてなくて、当然多分学生だったという噂があるので。
今、もう社会人20何年経験してきて思うところという話ですよね。
大半の人、社会人になってから数年というのは、なりわいと仕事、今目の前の仕事と将来のためにというところが結構リンクしていて、
やることなすことすべてが初めての経験だったり、自分の力になる身になるような行為が非常に多いと思っていて、
なので、働き始めの頃、20代前半、中盤ぐらいは両方同時にやれている。仕事もやれているし、なりわいもやれているという非常に理想の状態。
それが30代とかに入ってくると、いわゆるある程度慣れてきちゃって、なりわいというところに仕事を見出せないというか、
未来のためにしながら行為になっていない。ただ単に目の前のことを行っている状態。
なりわいだけをずっとやっている状態になってくる。
そうすると、未来のために畑を耕すことができていないので、それまでの20代で培ったものでしか戦えなくなってくる。
デザイナーとかで言えば、ずっとデザイン頑張ってきたけど、引き出しも多くなってきたけど、
それ以上の積み重ねが30代以降でできなくなっていて、今までの経験とセンスでやっていくしかないという状態。
そう置き換えると非常に危険な状態というか、プラスアルファの知識をやっていない、勉強していないというのはなかなかリスキーな状態であると。
多分この辺も結局、こういう定義の話とか感覚とか何も分からない人でも多分意識的に勉強しなければいいなというので、
その辺のバランスが取れていっているのかなと思います。
で、これが仕事もそうだけど、僕で言えば小さい会社をやっているので、会社の話と個人の話と家庭の話かなと思っていて、
会社が一番分かりやすいからあれでいくと、目の前の仕事、案件、依頼された案件相談が来たものだけをやっていくっていうのが、
昔はなりわい仕事両立できていたけど、今はなりわいでしかなっていない。
っていうのは多分会社として非常に危険なことで、新しいことをやることが正義ではないと思うんだけど、
現状維持だけやっている会社っていうのは多分衰退していくだろうし、
だからよりもう一歩101%、102%で取り組んでようやく現状維持。
現状維持だけやっていると衰退していくので、もう一歩やっていくほかないので、
なので会社っていうのは色々サービス立ち上げたり、あれやったりこれをやらなくなったりとか、色々模索しながらやっているんだと思います。
そうしないと要は潰れてしまうので。
個人においていくと、どうなんだろう、あんまり友達いないから分からないけど、
そうでもなくて、要は目の前の仕事だけをやっていても成立するというか、
何かしらその自分個人のインプットを増やさなかったりとかアウトプットしなくても、
そんなに成立してしまうっていうところ。
将来のため、未来のために畑を耕していない、仕事をしていない、でも成立しちゃう。
今までの財産で。
あれちょっと待って、どうしようかな。あんまり楽しくない話になってきたね。
楽しくないというか、そりゃ分かってるよねっていう話なので。
この落ち着く先は何ですかこれ。
ちょっと待って。
これでも別に話すほどのあれでもないですね。
せめて5分やねこれ。
今なんかちょっと伸ばし伸ばしで、カルピス薄めたみたいに話してるけど。
これどうしようかな。せっかくここまで話したしな。
ここから別の話題入れて混ぜるか取り直すか。
どうしようかな。あとあれだね。
豊かさについての考察
豊かさ。めちゃくちゃいきなり違う話をするけど。
豊かさっていうところも非常にちょっと気になっていて。
これ混ぜることない。
多分あんまり着地点としては何も面白くない話なんだけど。
豊かさって何っていうところと、豊かさと幸福さは比例しないよねっていう話と、
豊かさっていうのはすげーめんどくさいよねっていう話なんだけど。
面白いかどうか分かんないんだけど、ちょっとやってみますよ。
豊かさっていうのは精神的なものだったり、もしくは経済的なものだったりとか、
とにかく豊かな状態であるっていう感覚は分かるかなと思うんですけど。
それと幸福の度合いって多分ちょっと違うと思っていて、
あまり物質的にも精神的にも豊かではないけれども、
幸せっちゃ幸せっていう状態もあるだろうし、
その逆、非常に心も豊かで経済的にも満たされていて、
でも幸せかどうかで言うとそんなに幸せじゃないとは多分成立するんですね。
というところで、豊かさと幸せっていうのはちょっと違うよねっていう話が一つ。
もう一個気になっているのは、
豊かさっていうのは手間暇かかることなのかどうかっていうところ。
例えば、そこそこ楽しいことって手間暇かかることが非常に多い気がしていて、
例えばキャンプとかバーベキューとかっていうのは準備が必要で、
当日楽しんで、そのあと後片付けっていう非常に手間暇がかかると。
それを該注するバーベキューもあるけども、とにかく手間暇かかる。
だから楽しいのかっていうところが関与しているのかどうかっていう話。
振り返ると結構当てはまるというか、
なかなか楽しいなっていうことは非常に手間暇かかって、
後片付けすぎてめんどくさいとかがどうしても発生する。
例えばもっと小さい話で、コーヒーが飲みたいって言ったときに、
お店でコーヒー買うのか缶コーヒーでいいのかっていうのと、
家で豆からひくのかっていうところで、
多分手間暇は全然違うし、当然クオリティも違うんだけど、
その手間暇に比例するほどのそれがあるかっていうと、
なかなか会議的ではあるしっていう話をしようと思ってたんだけど、
いざ話してみると、さっきの話と一緒で、
もうこれ以上広がらないね。困ったね。
あれですね、ちょっと前流行ったユレルのPVとデンガリオか、
あれが非常に好きで、曲もいいんだけど、MVがめっちゃよくて、
ただ彼が朝起きて顔笑ってご飯作ってお茶飲んでレコードかけてっていうのを
延々とやってるだけのMVなんだけど、
その様子が非常に豊かな感じがしていて、いいなっていう。
でも結構ヒップホップのPV多いけどね、朝起きてっていうのは。
誰だっけ、ファンピーとかジェブラとかのPVもいくつか同じようなのがあるけど。
ほら、困ったね。
今日なんか色々ちょっとずつ気になってたけど、
一本で話すほどじゃないテーマっていうのを取り上げる?
あれも話そう。
教育の公平性
じゃあ、教育の公平性について。
これ話したっけ?話したような気もするけど。
まあいいや。
大半のことは公平であるべきだと思うんだけど、
なおのこと教育に関しても公平であるべきだなと思っていて。
今、今年から非常勤講師はやってないんですけど、
なんとか教育委員会っていうのをやっていて、
そこでも意見として言ったから、同じ話をするだけなんですけど、
小学校、高校、専門学校、大学、どのケースにおいても、
教育は公平であるったほうがいいよね。
先生が生徒に対して公平であるべきだと思っていて、
平等である人は絶対ないなと思っていて。
やる気がある学生に対して熱量を返したほうがいいんじゃないの?
そのほうが公平。
要はエコ費益していいんじゃないのっていう話ですね。
やったこと言うと。
学生からすると、そんなにこの授業を熱心に聞きたいわけではないよっていうところに、
人に対して同じ熱量を先生が生徒に投げかけてもあんまり響かないし、
誰にとってもいい点がないと思うんですね。
だからそういうそんなに熱心じゃない、
一応聞くっちゃ聞くけどぐらいの子に対して、
そんなに熱量をぶつける必要はなくて、
熱心に聞いていたり、質問してきたりする子に対して、
100返してっていうスタンスのほうがその子も嬉しいだろうし、
教育における公平性の課題
そうじゃない子は、
たんたんとって言ったら変ですけど、
のほうがいいと思うんですね。
多分ここまではまあまあ、
あ、でもまあ、
平等であるべきみたいな法律あったっけ?
法律というか、
法律じゃないや。
考え方、スタンスが。
無理だよね、平等っていうのは。
で、プラスここからは、
ちょっと先生批判になるから、
あれなんだけど、
その問題児、問題児っていうのは、
授業をサボったり、授業中よく寝てたり、
なんか不適された態度をとってたり、
ちょっと下に構えたような子っていうのは、
多分どの学校にもいるじゃないですか。
一人、クラスに一人くらい、二人とか。
で、そういう子でも、
なんかすごいやる気があるなら、
全然いいと思うんだけど、
なんかそういう問題児、
特にやる気もなくて、
ふらふらしているような子を、
先生って構いがちで、
そういう問題児を気にしてる俺、
私っていうところによってる先生、
非常に多くないですかっていう話で、
それは多分誰にとっても良くなくて、
その子にとっても、
なんか全然やる気ないけど、
先生とか構ってくれるし、
まあいいかこのままのスタンスで、
と思うし、
横で真面目にやってる子は、
なんで私には声かけてくれないの?
私はこんだけ真面目にやってるのに、
ってなるので、
全然公平じゃないですね。
なんか問題児にも声かけてる俺っていうのが、
すごい見えるので、
それは良くないよって思って、
僕は多分、
ここ2年ぐらいそれ絶対やんなくて、
川本の1年間だけ25、26の時に、
非常勤やった時は、
僕もそれに全然気づかずに、
そこに酔っ払ってしまって、
問題児に声かけ続けて、
そうすると、
なつくじゃないけど、
よくコミュニケーションとってくれるし、
酔っちゃうわけですよ。
問題児に気にかけてる俺って。
それすげえ、
気づくとすげえダセーことやってるなって思って、
なので、
問題児はほっとけばいいんですよ。
ほいって。
不適されたり、授業に来なかったり、
授業中にいるのは本人の問題なんで、
無視すればいいだけの話。
そういう子に声かける暇があるなら、
黙々と真面目にやってる子に、
課題への真剣な取り組み
どうかいって声かけるべきだと思うんですね。
で、なんだっけ。
そういう意味でいくと、
去年かこととしか特定しないけど、
授業中ちょこちょこ寝てる子がいて、
うーんと思ってたんだけど、
課題になると、
めっちゃくちゃ丁寧にやっていて、
特にデザインの課題って、
多分デザイナーなら分かると思うけど、
いくらでも手を抜けられるというか、
簡単にちゃちゃちゃっと、
それっぽい絵作り、
ちょっとセンスがある子なら、
手のひまかけずにサッサッサッと、
それっぽい絵を作ることはできると思うんですね。
でもその子なんかすごい、
クオリティ運なんじゃなくて、
こんな手間暇かける作業をしてやってるんだと思って、
それをなんか、
すごいいいなと思ったんで、
それは伝えたんですけど、
いくらでも手を抜ける課題でも、
真面目に取り組むんだ、
授業中ちょいちょい寝るシーンはあるけども、
別にデザイン自体が嫌いではないというか、
課題自体を真面目に取り組むっていうのは、
成立するんだと思って、
逆にこう、
授業中真面目に聞いてて、
すごい真面目な雰囲気なんだけど、
課題、さっきの話、
手を抜いてるというか、
そそそっと置きに来てる、
自分の引き出しだけで、
さささって完成させました、
っていうのがあったりして、
真面目さと、真面目じゃない、
真面目さと真剣さ、
っていうのがまたちょっと違うよねっていうところ。
そういうのと結構、
先生方って多分見てすぐ分かるので、
クオリティとは別に、
真剣にやってる、手を抜いてるっていうのは、
すぐ出ちゃうので、
多分どの業界でもそうだと思うんだけど、
別にデザインに限らずだけど。
なので、真面目にというか、
難しいな。
学生側からすると、
そこの授業、そこの科目を、
どんどん吸収したいんであれば、
積極的に取り組む姿勢を見せておけば、
きちんとした先生があったら、
十分なフィードバックを返してくれるはずで。
だから先生方側に言いたいのは、
真面目な子はほっときゃいいじゃんっていう話だし、
学校運営側からすると別の話だろうけどね。
そんなんして退学されたら、
お金にならないので。
どうなんだろうね。
退職をやめたほうが、
そのほうが就職率とかが変わってくるだろうし、
もうちょっと悩ましいところですよね、そこはね。
そういう意味で学校経営、
もちろん最初にバカみたいなお金がないと、
学校とか作れないんだけど、
非常に、特にこんだけ少子化で、
子どもがどんどん減っていくっていう状態で、
そういう専門学校なり大学なり、
高校もそうだろうけど、
本当にブランディング、
うちの学校はこうですよっていうのを明確にしていかないと、
どんどん人が来なくなる。
単純に学力だけでかければいい。
それももちろんベースにあるんだろうけど、
専門性なのか特色なのか、
結構若い子が綺麗なだけで、
すごい大きなアドバンテージになるとかいう話を聞くし、
あと地理的にかゆいやすいっていうのもでかいらしいしね。
そこらへん、さすがにね、
学校経営できるお金はないので、
なかなか難しいけど、
非常に面白い分野ではあるよねっていうところです。
デザイン職と未来の課題
あとなんだっけ。
なので、これでもどうだろう。
前回の今後のデザイン職についてっていうところで、
今後デザイン職どうなっていくから、
どうして学んでいくべきかっていうところの話をしたと思うんですけど、
自分が今の頭の中で、
仮に高1、高2、高3だったらどうするかっていうところで言うと、
非常に身も蓋もない話をするけど、
デザイン職を希望してないよねっていう。
たぶんやりがいもそもそも減るだろうし、
そっか、ごめん。
今日ひどいな。
ちょっと前にツイットしたんだけど、
AIのせいで作り込みのスキルみたいなもので評価されづらくなったよねっていう話があって、
昔、僕が22から3年間勤めたKANOTOのデザイン事務所があるんですけど、
そこがシャワー通りのクラブのプライヤーを毎月受けていて、
いつも社長がイラスト描いたりCGで描いたりして作ってたんですけど、
すげえかっこよかったんですけどね。
要はカレンダーがある反対は単純にイラストみたいな感じで、
そっちのグラフィックを毎月作っていて、
でも今だったらAIでそれっぽいグラフィックってバンバン生成できるから、
それで十分成立するけれども、
当時もちろんせいぜい素材はあるけども、
そういった作り込み、もしくは単純にフォトショップでグラデーションを引いてきれいなグラフィックを描いたりとかっていうのが、
評価の対象にならない。
そのセンスとは別の技能的なものっていうのが、
もうAIのせいでこれめっちゃ綺麗、これどうやって作ったんっていう話題にならない、評価にならないっていうのは、
そこを経験してきた自分にとってはちょっと寂しいというか、
別に自分はそこを強くしたかったわけじゃないからいいんだけどっていう側面もあり、
どこまで今後デザイン業種が未来があるかっていうと、
なかなかねっていうところでそもそも選ばないっていう結論に。
だから自分の子供とか若い子たちがデザイナーになりたいって言ったら止めはしないけど、
現状の説明はしなきゃいけないっていうかな。
あとそこで言うと、
まあいいか、これはいいか。
まあいいや、ここまでいろんな話をするならもう一個入れておくと。
人に怒ってはいけないっていうのは昔の回で取ったんですけど、
怒る、注意するっていうところを話していくと、
昔僕が高校生の頃か、高校のときに部活で卓琵やってて、
そのとき、うちの高校は附属高校だったから、
大学の卓琵部ともたまに合同練習でさせてもらってたんだけど、
教育におけるフィードバックの重要性
そのときの大学の先輩が大学の後輩、スクラム練習中にすげえ怒ってて、
で、こえーなと思ってたんだけど、
その大学の先輩が、もう名前忘れたけど、
怒られてるうちが話そうって言ってて、
話せば全然ないんだけど今から思い返すと、
怒られているっていうのは結局その子に期待している、目をかけているからこそ、
言うべきところ、怒ってはいけないけどね、
注意したり指摘したり、もっとこうしようぜっていう話、
それっていうのはどの現場、別にスポーツじゃなくても、
勉強においても、どこにおいてもそうだけど、
この人はこれはできないよねっていうことに対しては、
さほどあまり注意をしないというか、
ここまでできるだろうっていうので対して、
怒るじゃないけど注意するというか、
だからスポーツとかにおいてすげえ怒られるっていうのは、
本人的にはよろしくないけど、
要はその分めちゃくちゃ伸びしろがあるっていうところだと思うので、
デザインのフィードバックとかもそうだよね。
めちゃくちゃ気になるところがいっぱいある状態とクオリティだって、
ちょっとあんま関係なくて、
クオリティめっちゃ高いけど気になる点めっちゃあるっていう状態と、
クオリティも低いけどこれ以上手の施しようがない、
フィードバックしようがない状態っていうのがあるじゃないですか。
で、多分それがさっき途中で話していた、
どれだけ真剣にやってるかに関わってきていて、
真剣に引き出しの中のサササってやっちゃうと、
クオリティそんなに高くないけど、
じゃあこれ以上どうすりゃいいねんっていう状態に非常になりやすい。
だからめちゃくちゃ真剣に取り組んでいれば、
クオリティ高い状態でも低い状態でも、
手直し、フィードバック非常にしたくなる状態になっているので、
だから特に専門学校のデザイン学校の子とかが、
先生からのフィードバックが少ないとか、
それで本人がめっちゃやり気出してやってるのに、
フィードバックが少ないってなると、
多分それはそういうところに関与している。
多分僕が昔、これ何分まで取れていいんだっけ。
まあいいか。
いや、どうしようかな。
あんま名前出すのははばかれるので、
各タイポグラフィ系のスクールとか、
そういったところに通ってたことがあって、
こっちとしてはすげえ課題に取り組んで、
よしどうですかこれってなったときに、
すげえフィードバックが少なくて、
スカスカでまあまあいいんじゃないみたいに言われて、
あれはショックだったな。
誰か覚えてるけど。
しかも今の話でいくとそのとき僕、
めちゃくちゃ真剣にやって、
当然自信はあったけど、
そういうのが2、3回続くと、
あれ?真面目にやってて、
でも真面目にやってないって思われてた可能性が、
そんなことある?あるか。
だからフィードバックが少ないっていうのは、
本当にいい意味でないときと、
もう本当に全然これ以上よくならんけど、
フィードバックしようがないという状態があるなと思うので、
いい意味でフィードバックがないよっていうときは、
教える側っていうのはそれも伝えた方がいいよね。
本当にポジティブな意味でフィードバックはないです。
そうじゃないときは、
もうちょっとそこらへん曖昧にして、
濁らして、まあねみたいな感じで済ますとか。
じゃないとフィードバックが少ないことに対して、
これでいいのか悪いのかっていうのが、
受け手としてちょっとヒントこないときがあるので、
それは伝える側、フィードバック出す側がきちんとやると、
非常に良いんじゃないですかね。
専門学校の現状
これあれですね。
昔の録音ツールだと30分前に教えてくれるんだけど、
今別のやつ使ってるから、
いつの間にか30分過ぎてたけど。
なのでこれがもし、
なんかテーマ入れ込み過ぎたので、
すごい散漫になってしまった。
タイトルなんてつけたらいいんだ。
まあいいですよ。
なので、そういう感じでね。
教える側、教える側も学びだしね。
教える側、教わる側、
頑張っていけたらいいんじゃないかなと思います。
そんな感じで終わろうと思います。
以上です。ありがとうございました。
また次回。さようなら。
32:27

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