00:10
35歳、右に行くか、左に行くか
10代で出会って、今年35歳になる、まきとないちゃんが、ただただお互いの近況を話す、素敵なポッドキャスト番組です。
だらだらシリーズ
イエーイ
なんか、あの
どういう話をしようか、みたいなことを話してて
でも結構さ、オフレコで話さなきゃいけないこともあるからさ、ノスラエルの話がね、そんなに多いわけじゃないし
難しいんですよ、なんかもうめっちゃ、コミュニタ社内の会社の話とかね、本当はしたいんだけど、めっちゃ面白いのいろいろあるんだけど、ちょっとね
リアリティがね、ありすぎるっていうかね
しかも昨日結構話したしね、その話は
だからなんか、こういいネタないかなぁと思いながら、これがあるのではないかというないちゃん提案で
あのこの間さ、まきもあったと思うけど、私たちってまた不思議な関係性があって
私が大学1年生の時からずっと家庭教授をやってたんだよね
私がまあその博士課程まで行ったってこともあって、奇跡の10歳から18歳まで見られる1人の子っていう
そんなことないじゃん、普通は。なんだけどそういう子がいて、もう本当になんていうの、家族ぐるみで仲がいいっていうかさ
向こうのご家族はもちろん全員知ってるし、家族の状況とかも知ってるし、お母さんも知ってるし
妹みたいな感じなわけ。私が留学する時には絶対遊びに来たりとかしてて
私が初の勤務地が東京じゃないところだった時も来たりとかしてて
ほんと妹みたいな感じだよね。一人っ子だしね。彼女には幼稚園の時から仲良い幼なじみの女の子がいて
私が家庭教師に入った後、その子が
Aちゃんとしようよ。Aちゃんがすごく家庭教師に向いててね
だからそのAちゃんがその幼なじみのBちゃんに対しても
家庭教師やってみたら?みたいな圧戦があったと。
だから塾とかよりも家庭教師の方がいいんじゃない?
それでBちゃんに家庭教師誰か知りませんか?って言われた時に私はマキを紹介したんだよね
だからAちゃんの家庭教師は私がやり、Bちゃんの家庭教師はマキがやるっていう
AちゃんとBちゃんは幼なじみ、マキとナイちゃんは親友っていう
そういう関係で、不思議な関係でお互いね
家庭教師自体はマキは大学をともに終わったんだけれども
03:01
でもやっぱり家族ぐるみで仲が良くてね
ずっと続いてて、家庭教師の時もそうだし
家庭教師終わってからも、例えば遊びのお家に行ったりとか
私が子供生まれて子供店に行ったりとか
ずっと続いてるっていう関係で
なぜなら家庭教師もさ、この前もBちゃんと会って色々話してたんだけど
確かに家庭教師はやってるけど
勉強を教えてる時間よりかその後の
ただただお菓子とかを食べながら喋ってる時間
しかもBちゃんとBちゃんのママとか
家族とか他のと私が
なんなら夕食とかまで一緒に食べて
めっちゃお金もらいながらすごい食べさせてもらってたみたいな
そういうイメージだから
あれは良かったんだろうかみたいな
成り立つのかな家庭教師って思う感じもあるんだけど
でもなんかBちゃんはすごい家庭教師の時のことも
勉強教えてもらったみたいな記憶もちゃんとあったから
良かったと思って
喋ってた記憶だけじゃなかった
私なんてAちゃんの家庭教師してる間に2回留学
2回留学行ってるかな
1回か中国に1年間留学に行ってて
いなかった時代とかあって
その時は私の後輩がいたのよ
同じ大学で高校も同じって子がいて
その子に1年間だけバトンをパスして
その子はめちゃくちゃ優秀で
すごいしっかりしてる子なのよね
結局海外の大学院にその後行ってみたいな
超優秀な子だったので
Aちゃんいわく私なりないちゃんなりその子なり
超優秀と思ってるわけよね
だからなんか世界が違う感じが毎回していました
みたいなことを時々言ったりするけど
でもその一方で私が
私の悪い癖も知ってるからさ
Aちゃんは
私本当に遅刻魔なのよ
本当に遅刻魔でオンタイムで行動できないタイプなの
だから私は自分は社会適合してないって毎回思うんだけど
9時に来てくださいで9時に行けない人間なのよ
9時15分とか
いやなんか9時に行かなきゃいけないの分かってるんだけど
その悪い癖は全然分かってくれてて
だから毎回なんか
その子はすごい軍隊みたいにちゃんと早く来る子なの
5分前に行動するみたいな
だから私は毎回
06:00
なんか本当にちゃんとしてて偉いなって思うわけよ
その子に対して
なんかやっぱりその
8年とか見てると
成長もすごい分かるっていうか
最初あったの小学校とか
そうそう
それが小学生だよね
でも最初に会った時の記憶とかもめちゃくちゃあってさ
2つ結びしてて
それがなんかもう弾けるような2つ結びっていうの
ほうきみたいに弾けてる2つ結びをしてて
本当に可愛らしい女の子で
元気いっぱいみたいな感じだったんだけど
最初は勉強とかも
できないわけじゃないんだけど
ケアリスミスがすごく多かったの
私すごいその気持ちが分かって
例えば0と6を見間違えたりだとか
そういう書く上手さ下手さで
結構できる問題できない問題が変わってきちゃったりとかで
あと筆算みたいな縦でやってくるやつあるじゃん
あれが揃わないとかね
本当そういう基礎的なところをちゃんとすれば
ちゃんと答えは出てくるけど
そこが上手くできない
あと上手く円が描けないとかさ
本当そういうところだと思うんだよ
小学生のやることって
それを上手くできるように訓練してあげれば
徐々にできるようになっていったりとかして
でも一番大事なのは本人の認識だからさ
私忘れもしないのが
Aちゃんはものすごくライブとかいろんなのが好きだったのね
ちっちゃい時から
お父さんお母さんもライブとかによく行ってたようなご家庭で
年柄アイドルをすごく好きになって
そのライブとかに行ってたんだけど
6年生の受験間近の時に
すごい好きなアイドルのライブがあったわけよ
私は別に行ってくればって
別に1,2時間の話なんだし
それでリフレッシュするんだったんで
いいじゃんって言ってたんだけど
私は行かないとかって
どうしたの?ってなったら
今まであんなに好きだったのに
どうしたの?ってなったら
今は行っちゃいけないと思う
本当に欲しがりません勝つまではみたいな感じで
その時にすっごい大人になったなと思って
自生できるというか
感動しちゃって
大人の私ができないのに
子供の子ができてるみたいな
なんかすごいなと思ってさ
わかるわかる
ちょっと成長を感じる
私自身が小中高と
そんなに超優等生って感じでもなかったわけよ
だからAちゃん見るたびに
なんか頑張ってんなみたいな
単純に思っちゃうっていうか
別にそれが実際の成績の点数とかに
反映されてなかったとしても
態度がしっかりしてたから
そしたらいずれ成績良くなくても
来週の点数取れたりとかして
要は成績としてはそんなに悪くなかったりするじゃない
だから別に頑張ってたらいいんじゃないみたいな感じ
09:03
部活もすごいバリバリ頑張ってたし
偉いわって思いながら日々見てたわけよ
でもやっぱり年齢を重ねてきても
10歳の彼女の記憶がこびりついてて
しかもBちゃんもそのぐらいの時期に
何回か会ったりしてたから
毎回会うわけじゃなかったけども
家にいたりとか
Bちゃんのこともちっちゃい時から覚えてるっていうか
弟さんとかもね
めっちゃ覚えてて
この間ふとしたタイミングで
家庭消し辞めてからもさっきみたいに
家族ぐるみで行ったりとか
私が東京じゃない所に勤務してた時に
2人で行ったりとかもしたから
なんとなく近況は知ってたりとかして
なんか久しぶりに会おうみたいになって
それで会ったわけよ
そしたら今年27歳になるっていうわけ
怖くない?
10歳に知り合った子が27歳になるんだよ
それは自分も老けますわって思ったけど
だって自分が彼女に会った時の年齢を彼女は言うに超えて
18歳の時に知り合ってるから私が
だからもうびっくりしちゃって
なんかその27歳なりの悩みっていうかさ
例えば結婚とかどうなるんだろうとかね
漠然としたそういう悩みとか
した方がいいってわけじゃないけど
なんかしようと思ってるのって聞いても
いやあんまりリアリティがないみたいな話とかをしたりとかしてね
でも恋愛はしたいって思ったりとかあったりとかも
だからそういうのを聞いて
なんか懐かしい気持ちになったっていうか
私もそんな時代あったっけかみたいな
27歳ってことは今から8年前かな?
そうだね
何してた?27歳
まず何年?
2014
14年?
13、14じゃん
あ、そうか
社会人私だったら
22で社会人1年目だっけ?
22、23で社会人1年目
22、23、24、25、26、27
5年目ぐらいじゃない?
5年目、6年目か
そしたら2016とかじゃない?
16か
15、6でしょ?
その頃は私はあれだな
今と同じ東京で働いてて
場所が東京
でも結婚はしてて
ちょうどあれだよ
12:01
夫と一緒に住み始めるみたいな
妊娠をし始めるみたいな時
だから私すっごい明確にそれを覚えてるんだよ
私だってアメリカにいたから
アメリカに行くか行かないかぐらいの時かな
27だったら
28は確実に向こうにいて
28、29は向こうだったから
その時私電話もらってるから
そうだっけ?
確かは
27だったらまだ妊娠もしてないな
だってアメリカに休みに来てたじゃん
あ、そっか
カルフォルニア?
あれか、あれが27か
あの後よ、たぶん
そうだね、あの後
そうだそうだそうだ
あのぐらいの時代よ
あの時に悩んでたことを
きっと彼女たちも
同じように悩んでるのかなと思ったりして
しかもさ、聞いてびっくりしたのがさ
今話題のワードとして
Z世代とかあるじゃん
私と彼女たち同じ世代に
含まれるっていうことが
この間判明して
だからきっと悩み事も同じだろうって
仮定で
まあまあ
いつの時代でもある程度
変わらないところとかもあるしね
それによってみたいところもあるしね
何を悩んで
それこそあれだよね
やっぱり27歳は
まあ私28歳で多分妊娠して
29歳で出産する
ギリギリ29歳で出産するんだよね
だから
このほんと直前で
仕事ももう一通りやりまして
でなんかまあまあ
慣れましたと思う仕事会社には
で
こっから
あのプライベートを
いかにやりたいことを実現するか
それこそ
子供を産むかというところ
もう結婚はしてたからその時で
子供をだからもう30万人は
一人欲しいと思ってたからね
目標があったから
私の人生プランにあったから
それをもう実現したい
みたいな感じで
多分その時はまだ一緒に住んでなかったんじゃないのかな
と思うんだけど
夫がその遠距離で
えっていうか
夫はその時どこにいたんだろう
もう帰ってきたかな
海外にいたけど帰ってきて
でも遠距離で
関西に行って
でなんかその
交渉に交渉を重ねて呼んでくる
そうそうそうそう
でなんとかうまく一緒に
進めるように
なるっていう
運だけどその先にはね
でも多分その時点ではまだはっきり決まってなかった
だからその辺が
交渉して
まずこっちに来てと東京に来てと
夫に関しては
そうしないと
15:00
あれだよ
私がさ生理不順とかも色々あったし
なんかそんなこう
たまに離れて遠距離でとはいえ
定期的に
月一とかで
なるべく会おうとはしてて
私が出張を兼ねて向こうに行ったりとかさ
でもさ
そのタイミングでなんか子作りを
してもうまくいかないじゃんか
私自身の
状況とかの
そうだし
でやっぱりそういうのもあるから
不安だから一緒に住み始めて
落ち着いて
子作りじゃないけれども
ちゃんとやりたいと思って
だからまずこっちに来てみたいな
その辺でもそれがいつ来るのかな
とか
結構イライラしてたよね
焦ってるっていうか
まあそうだね
私だけでコントロールできない
思い通りにいかないのが
イライラみたいな
私でできることだったらさ
それに向けて頑張るけど
それに
及ばないようなことだったから
彼が
どのタイミングでこっちに来れるか
対応できるか
そういうので
悶々というか
してたっていう感じ
それが一番悩みじゃないかな
なるほどね
そっか
全然ステージが違うね
え?
まあそりゃそうだよね
色々
そっかそっか
まだ結婚もしてないんだもんね
そうそうそうそう
そうなんだよね
私なんかもうほんとさ
その時とか
あの
あの
課生でもなかったし
学生だったからまだ
だからまあ
それは片目の狭い思いをしてたよね
日本ではそうだった
それが結構つらかったかな
なんかこの間
それこそ
大学院の時の友達とも話したんだけど
博士課程って
前半の1年くらいは
ほんとにその
研究の悩みが多いわけよ
方向性が定まらない
でも1年目2年目
3年目くらいになっていくと
もうだいたいフィックスしてきて
あとの
3年とかそれ以降
まあ家庭で
博士課程の中で論文取ろうとしたら
論文書こうとしたら
まあ7年目くらいまでは書かなきゃいけないんだよね
7年目が結構一つのキーっていうか
私の大学の場合は
そうだったんだけど
だから最初の3年は
研究のことで悩み
あとの4年はもはや
社会的プレッシャーに悩み始めるわけよ
私的にはそこを
今後どうにかしたいなって思いつつも
なんか例えば
稼げないとか
将来ビジョンが見えない
とか
18:00
プライベートに時間を割けないとかね
だけれども
教員から頼まれ
仕事が多くなって年次が上がって
専門性もついてるから
無償でボランタリーだったり
そういうのおかしいじゃん
って私は思うんだけど
大学院生の友達だけで
いたときは
今までの学生のりだけど
社会人になった友達と会うと
ものすごく
自分が情けなくなる
って思う
マキとか洋子ちゃんとか
私のこと知ってる人だったらいいんだけど
そうじゃない人もいるから
そのときに博士課程が何だよ
って知らないわけよ
そうすると博士課程っていうか
学生でしょってなって
見下してくる発言を
ものすごいされるわけよね
それを
感じてたから
ほんと卑屈になってたし
すごい繊細になってた
傷つきやすい
一言一言に
それこそさ
結婚ブームも一回波が来るじゃん
27くらいのときに
26、27くらいのときに
久しぶりに会った
高校の同級生とか
そんな仲良くなかった感じの子とかに
今何してるのって言われるわけよ
その一言がすごい傷ついたり
何してるって具体的に言えない
自分とか
大きく見せることもできない
素材がないからできないみたいな
そんなことないけどね
やっぱりこの部屋で勉強してるよ
専門性
中にはやっぱり小賢い人もいるから
論破してこようとするやつがいるわけよ
おかつくね
でもそれってさ
私からするとはいはいって感じ
っていうか
専門的に私やってるから
勝てる勝てないの話じゃなくて
いろんな考え方がそこにはあって
そういう考え方も一つあるけれども
私は
それはされてるから
トレースする必要性は私にはない
私のできること
新規制とかをやって
やってるけれどもまたそれも土壌だから
主張できるほどのものではない
みたいな
そこで苦しさがあるというか
単純にそうやって
意見として言える
っていうのはある意味
安易であって
それを言うことすらも
巻かれるわけよ知ってる身からするとね
でもそれを知らないと
言わずにだけで簡単に言えるじゃない
それですごい傷ついたりとかして
大したことない
多分
今から思うと大したことないのかもしれないけれども
その時は
立場が完全に上下っていう感じに
見られていたし
だから向こうはそういうふうにふっかけてきた
っていうのもあったから
すごく屈辱的な気持ちを何回も何回も
味わったわけよ
すごい辛くて
かつ大学の中での
いろいろな関係とか
難しいなって思ったり
21:00
だから絶対外に行きたい
って思った時期だったんだよね
そこら辺が
で
なんていうの
交換留学制度がないかとか
周りに留学した人がほとんどいなかったから
その博士の時代にね
行くんだったら
自分の地域に行く人が多くて
でも私はそこには行きたくなかったわけよ
じゃなくて
もう少し客観的に
その地域を見たいと思っていたから
絶対に欧米圏っていうか
英語で何かできるところ
アメリカのどこでもいいし
オーストラリアとかニュージーランドとか
イギリスとか
どこでもいいと思っていたわけよね
何かチャンスがないかみたいな
でサファリしてた時に見つかったのが
私が実際に行った
留学制度で
向こうの大学が公募をしていて
そこにアプライをしたっていう
本当だったら多分
学校の制度で行くのが
留学のシステムだったりするんだけども
それが
なかなかフィットしなかったから
そういう留学制度って大体学部制のために
立ち上げられたりとかしてるから
専門的な知識を持ってる段階で
専門性の高いところに行くっていうのが
あんまり馴染まなくて
それって私が使ったみたいな
交換留学制度みたいな
そうそうそうそう
それだったらいけるかなって思ったんだけど
それも学部制度のためのやつだから
それで
それをたまたま見つけて
それを見つけるときが
締め切り数週間前みたいな
やばいこれ出さなきゃみたいな
神のお告げがあって
申請をして
っていう作業をしてるときぐらい
が
27で
でもそれを作業して申請出すじゃん
したら書類選考がまずあるからさ
その段階で忘れるわけよ
その忘れて
面接に漕ぎつけるまでの間に
大失恋をしてるからさ
そこだったか
なるほど
私からすると失恋がなかったのに
もうアメリカに行こうって
思ってた私ってすげーなと思うんだけど
確かにね
だからアプライした段階では
別にラブラブだったってことだよね
そうそうそうそう
でもなんかもう
別になんか
遠距離でもいいかぐらいだったから
私からすると遠距離じゃないけど
遠距離はやだみたいな
考えが冒頭になかったから
そこで平気だったってのもあるけど
でも結果
大失恋をして
本当に2日後3日ぐらいに
面接見てくださいってメールが来たから
あ、そうだったっけ
ジャンプアップしたような感じ
一回沈んだからより高く飛べるみたいな
あの頃かい
ナイちゃんが失恋したタイミングは
すっごい覚えてるような電話がかかってきた
ちょうどしかも私も
友達と京都旅行に
行ってる時だったんだよね
周りの新幹線でめっちゃ電波が悪くて
私がもうだめだ
みたいな感じ
24:00
でもなんか
ね
面白かったよね
ナイちゃんもう自己解決した上で
電話してきてさ
解決してるじゃんみたいな
自分でもこういう方向性で
行きますみたいな
報告の電話みたいなさ
あの時
浮気をされたんだよね
簡単に言うとね
本当にその浮気が起こるその当日まで
向こうから電話かかって
ねえねえねえねえみたいな感じで
すごいラブラブだったの
でもなんか夜中から連絡が取れなくなって
なんかザワザワっとしたわけ
女の感ってすごいよね
なんか元々
バイト先で
仲良くしてる方がいるって
なんとなく分かっていて
でなんかピーンと来たのよ
すごいね
そこからもうすごいぎこちないっていうか
向こうの連絡が
あれなんかおかしいみたいな
それで次会った時に問い詰めたら
向こうが大泣きして
それはおかしいな
どうしようみたいな感じだったから
でもどうしようっていうか
仲良くしかないからねみたいな
私からするとね
でも私はすごいショックだったんだよ
一度信用した相手をバサッて
切られることが経験がなかったから
すっごいショックで
どうしようどうしようみたいな
初めてなんかご飯が手につかないみたいな
ご飯が食べられないみたいな感じになって
だけど
なんかその時に
あの小学金か
なんかの面接があったのよ
すごい大事な
博士形の学生だって誰でもが大事だって思う
小学金の面接だったわけよ
それを彼も分かってるはずだな
同じ同業だったから
だけどその日の
数日前にこの話をするって
正気ですか
って感じなのね
私が彼だったら
それが終わるまで待つっていうか
それをしなかったっていうことに対する
イライラも逆に出てきて
その時に
なんか私が持ってる
私が持ってる選択肢って
三つだなと思って
三つっていうかその関係性の中で
一つは私と付き合い続ける
でもう一つは
向こうと付き合う
向こうがね
浮気相手の人と付き合う
で三つ目が両方とも付き合わないってことじゃん
彼の選択がある
選択が
そしたら私と付き合うっていう選択って
三分の一なんだと思ったわけよ
彼が持ってる選択肢の中で
えって思って
私香水確率30%だったら
傘持っていかないなって思ったの
で
そんなに信用してない30%の確率に
自分の
今後の選択を投げていいのって思ったわけよ
その時に
いいなって思って
私の選択
私が分かれるっていう選択があれば
別にこの30%を
ただ待つ人にならない
って思って
27:00
だから私から面接の
帰り道に電話して別れてください
って言って別れたんだよね
面接終わった後にやったんだ
もうこれは無理だと思ったの
全然やばかったわけよ
もう
頭も回ってない
みたいな感じで
でも
それに落ちたから
オファーが来たってのもあったから
ジャンプアップですよ
そこのでも落ちたから
向こうのアプライに通った
そこは別に因果関係ない
たまたまだけど
別に
もう一つの方受かってたのは万々歳だったんだけど
そうそう
でもそれがあったら
少しこれもあるしなって気持ちが
あったかもしれないけど
その留学のオファーの
面接のオファーが来た時には
もうこれしかない
っていう気持ちがより強くなる
仕事も準備してって
想定問答みたいなのを作って
これ言われたら
こう答えるみたいな
を凄い準備して
いけたから
受かったのかなっていう
ポジティブに解釈すると
ところか
遠い昔のことのようだな
本当に
でもそれが7年8年ぐらい前
ぐらいか
だから
でも本当に
その27歳の時が
転換点だったから
やっぱりあそこで
留学に行けて
私の人生大きく変わったし
そうだね
しかもその
年円バリューが年円バリューだったから
大学の
本当に社会の見る目って
簡単だなっていうか
本当にブランド意識を
強いねってやってること変わんないので
こっちは
肩書きが変わっただけで
まあ違う
親もしっかりね
親は多分安心したってのもあると思うから
別にそれ悪くは言わないけれども
社会の見方が変わる
本当に
それをさあ経験してるから
社会ってなんか不義だなというか
なんか
ねえ
軽薄だなと思いながらね
だからもうそういう気持ちも強いから
その時っていうか
その前後で
態度が変わらなかった人とかは
大事にしようって思うし
一気に連絡が増えた人とかは
絶対に嫌だって思うし
そういう一つの基準ができたっていうことも
まあ良かったのかな
って思ったりするけど
でもやっぱり最初の就職地とか
その留学に行ってた
ってことがやっぱ一番大きかったし
そっかそっか
良かったね
本当その履歴書だと一行なんだけど
多分それがもうシャイニングの一行だったから
そう
だからそういう風に
書類上とかで見ても
その一行があるかないかで
多分同じことやってても
30:01
見られ方が変わるから
だからまあ
それをうまくこっちは利用しなきゃいけないけど
でも一方で
それでしか見てこない人たちは
ちゃんとブロックしなきゃいけないから
そこの判断基準とかはね
しなきゃいけないけど
全然せよ27歳は激動の
そっか
私その時ないちゃん
がそんなに
さっき言ってたみたいに
みじめな気持ちになるとかさ
そこまでさ
そんなに
なってると思ってなかった
気がするんだけど
サポートできてたかな
いやいや
なんだろう
だから別に
普通通りにやってたよね
マキと会ってるときは何も感じなかったから
そうだよね
しかもその悩みも
共有できるわけじゃないじゃん
やっぱり大学院の子たちとかで会うと
社会の鬱憤みたいな
のが吐き出す場みたいになってたから
そこで言ってたのかな
あんまり人に言わなかったかもね
嫌な気持ちになるみたいなのはね
時々
でも確かにチラチラは
聞いてた気もするけど
そうそう
まあ確かに振り返ってみて
あの時ってすごい
こう
自分が皮肉になってたなとかさ
いくつになってたなとかって
こう
ある意味振り返りの中でさ
傷
そう整理することとかもあるからね
あるあるある
でもなんか私の中で
あれが結構
今まで
普通に大学まで行って
修士ぐらいまで
出た時ぐらいまでには
感じなかった感情だったから
なんかまあ
良くも悪くも家庭環境もすごく良かったし
恵まれた環境で育って
いわゆるこうなんていうの優秀路線
みたいなのを辿ってきていて
失敗したことないよね
別にチヤホヤされたわけではないけど
別に学校内でものすごい優秀だった
ってわけでもなかったから
だけどなんとなく
まあなんていうの
比較するといいみたいなところに
ずっといて
そんななんかこう馬鹿にされるみたいな
馬鹿にしてないのかもしれないけど
でもなんかこう
マウンティングされてる感じが
すごいして
それを実感として感じたのは
やっぱり博士になってから
だからやっぱりどこかで
社会の中でその博士課程の
学生っていうのが評価されてない
っていうのもあるだろうし
勉強してるわけじゃないんだけども
それその努力はしてるはずなのに
なんかまあ学生みたいな
大学生の延長みたいな感じで
捉えられていることが
なんとなくね
そうじゃないの
もうセミプロだから
博士課程の学生になって
研究者の卵って言った方が正しいのに
なぜか日本だと学部制の延長で
捉えられていて
33:01
そこに対する違和感とかがあったり
とかね
あったね
社会と戦ってたわ
戦ってたか
でもなんかもう
留学した後はふっきりだけどね
ちゃんとそれをプロとして
扱ってくれる環境に
2年くらいいたから
その感情で来てたし
やっぱその海外では
アメリカとかでは全然違ったわけ
博士課程に対する
違うよね
博士課程はもう
教員側だから
だから
向こうの学生は
給料もらえてるし
そうなんだ
ティーチングアシスタントみたいな
のに入って
もうなんていうの
授業のサポートを完全にする人たち
だからなんか
日本だと1コマ授業取った大学で
1コマ行くだけじゃん
でもアメリカって
1コマ取ったら
週に2コマあるわけ
でも1コマが60分とか
45分とか結構短いんだよね
で、その2コマの間に
午後18時くらいから
集まる会があって
そこでリーディングアサイメントを
読解していくみたいな
会が設けられるの
それはなんていうの
一般的に大講義の話ね
またその研究会っぽい
授業はそれはそれで別にあるんだけど
大講義を履修する
1コマ履修するってなったら
3日間潰れるの
その2日の
先生の講義と
その間のサブゼミみたいな
感じは持たれて
サブゼミを全部リードするのが
博士課程の学生
だから本当に
100人とか取ったら
5人ぐらいの博士課程の学生が
それぞれのチームを作って
そこでその学生を見る
ナイちゃんもそういうことしたの?
私はしない
私は学生としていってないから
研究員としてそこに雇用されて
あるだけだから
でも向こうでもしナイちゃんが
博士課程をするのはそういうことをしている?
そうそう
その過程で博士課程の学生も
専門性に必要な
リーディングアサイメントを
知るし
どうやってティーチングをしていくかって
練習みたいな
そうそう
先生の
サポーターみたいな感じで
一種のプロとしての
役割をしているんだけど
日本だとそれが全然ないから
生活のままならない
もらえる奨学金も
あるけど
国が出してくれる
税金とか控えて月16万ぐらいしかもらえない
それで生活できなくて
非常金とかやる人もいるんだけど
その奨学金をもらうと
36:01
非常金やることに対する
制限がかかるわけよね
結局マックスで稼げるわけが少ないわけよ
とか
そういう問題もあったりとかして
それはなんていうの
仕事してないのにお金もらうなんて
言われればそれはそれまでなんだけど
働けとか言われたら
それはそれまでなんだけど
でもそういう知識の積み重ね
みたいなことで
日本という国が豊かになっているというのは事実だから
そこに対するお金が
払えなくなってくれば来るほど
日本の豊かさということは
減退していくというのは
目に見えてわかるというか
本当谷底の時代を
経験しているから
今はもう少し支援とかも増えているはずなんだけど
うちの時は本当に何もなくて
事業料を払わなきゃいけないけど
まともな指導は
そんなの受けないみたいな
ただ国技には使われて
先生方も
アルバイト代
安い日当だけを出てみたいな
だからもう気分としては
売れない芸人と同じスタンス
やりたいことはあるけど
やることでお金はもらえないみたいな
それは誰も行きたくなくなるよね
っていうね
なんでそんな欧米みたいな感じで
行けないんだろうね
資金がないからだと思う
欧米の大学って
大学ってすごく
恵まれた人たちに
行くところになっているから
もちろん海外からもいっぱい来るし
その分学費がものすごい高いわけよ
私立大学で一年間
200万とか300万とか
プラス寮生活のお金とか
かなり取られるんだよね
で
その分を研究費回したりしてるけど
日本って私立大学の
高いところでも年間100万ぐらいじゃん
それである程度の
クオリティの
教育制度が整っているっていうことが
珍しい
学費をもっと上げなきゃいけない
でもそうするとさ
みんなが
教育を受けるっていう
権利があるはずなのに
結局裕福な人しか教育を受けられないじゃん
っていう風に批判をもらうじゃん
だから今の学費を上げること
っていうのはすごく難しい
っていう
27歳でした
だからなんか
私はさ
牧みたいにちゃんと
大道路線っていうか
いわゆる
いわゆる人の
家庭を持つまでの
プロセスみたいなのを
歩んでいる人たちが
結構周りにたくさんいたから
だからなんか
そういう人たちを見ながら
なんか羨ましいなと思いつつも
でもどこかリアリティがなくて
昨日話したけどさ
だから30までに結婚しなきゃ
みたいな社会的プレッシャーってあるじゃん
それはほぼなかった
私の中で
もうしょうがないこれは無理だ
だって30までに稼げる算段が
ついてないから
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何も経済的な効果を生み出してないやつに
なんか
誰かと
結婚してその人に経済的に
助けてもらおうなんて
そんな無理やでみたいな
って思ってたからね
どこかでね
別にいいけど
その時に関係がフィックスされちゃうじゃん
確かにね
それで初期設定みたいなのされちゃうと
なかなかその後
抜け出せないでしょ
扶養する人される人
みたいなね
それが嫌だったから
そこにあんまり現実的な
意味はなくて
それで
アメリカから帰ってきても
本当にひもじん生活してたからさ
それこそ
そうだよもう
大学からも席を抜いてたから
単位取得大学
ってのをしてて
そうすると大学の設備が使えなくなるわけよ
だから図書館使えない
デスク使えない
みたいな
ドラスティックに変えられるのにお金を払っていないというだけで
しょうがないんだけどね
で
うちの先生が
それに免許をかけて
例えば研究員の席を
くれたり全然してくれなかったから
帰った瞬間何もないわけよ
やばってなって
論文書く場所もないから
だから私はもう
家の近くのスターバックスに
朝10時に行くじゃん
お昼13時ぐらい
お昼食べた後に行くじゃん
そっから18時ぐらいまでいるわけよ
お腹空くじゃん
花丸うどんに行って
かきうどん180円を食べ
さすがに同じスターバックスに戻るのは忍びないから
他の建物のスターバックスまで歩いて行って
ワンモアコーヒー
レシートを見せて
それでコーヒーを
ベットして
それで閉店までいるっていうのを
ほぼ1年間繰り返したから
それ2日の時だっけ
帰ってきた時はそういう感じだったか
それでもう
私は1年でかき上げるっていう
決意のもと帰ってきたから
それからほんと1年で
かき上げて学位取って
その翌年の4月からはもう
就職し、うまくね
生きて就職したからよかったけど
怒涛よ
本当
そうそう
頑張ったよないんちゃん
その中でもさ一番の贅沢ださ
なんか1月に
それこそAちゃんからよ
誕生日おめでとうございます
みたいな感じで
スターバックスのカードみたいな
LINEで送られてくるじゃん
あれをもらったの
うわーと思って
それでそのいつも行ってたところでは
コーヒーしか頼んでなかったのよ
その1月の時だけ
自分の誕生日の時だけ
フラペチーノみたいな
それぐらいは頼めるでしょ
普段から
でももう稼いでないから
42:01
怖いよ
その時は無収入ってこと?
無収入無収入
でもまあなんていうの
非常勤でいくつか働けてはいたから
月それなりに
10万ぐらいじゃないかな
そっか
は稼いでて
かつアメリカの大学に
いた時にはお給料もらってたから
そのたくわえ
だけどドルだったからさ
崩したくないなと思って
お金のまま持っていたり
今爆上がりするんだけど
とかだったから
なんか本当に
自利品の生活だよね
本当にその意味では
首都圏に実家があるから
恵まれてはいたと思う
大変だもん
そこは家族に甘えても良かったんじゃないの
まあ良かったのかもしれないけど
そんな別に毎日
花はるう丼食べなくてもさ
だからお昼ご飯とか
家で食べてたから
そういう面では甘えてたよね
甘えてたとは思うよ
家代もかからないし
そうそうそうそう
思うけど
でもなんかやっぱり15歳ぐらいからさ
ずっと留学とか
外に行く生活が長かったから
自立しなきゃみたいな
気持ちはすごい人一倍強い
だと思うんだよね
それで早く家を出たいみたいな
強かったね
ほんとこの1年勝負
でも11月ぐらいは
ちょっと無理かもって思ったけどね
ちょっとかき上げられないかもみたいな
無理無理無理って思いながら
でもなんか
今から思うとね
結構楽しかったもん
楽しかったな
なんか辛いんだけど
やることは決まってるから
他やらなくてもいいし
なんか楽しかったんだよね
それはそれで
ってのはすごい覚えてるかな
なんかそうそうそう
思うんだけど最近
ね、なんか振り返ってみると
あの時楽しかったとか
あの時こういう気持ちになってたなとか
あの時すごい足足狭かったなとかって
気づくのって
ほんと後だよね
なんかその瞬間の
気持ちとまたこう
振り返ってもう少し客観的に
冷静に見たとき
の気持ちって
また変わるなーって思って
そういう意味で
振り返りって大事だよね
大事大事
いい機会だと
今なんかこう
闇の中にいるようなさ
私多分そうだったから
闇の中にいるような感じだけど
その目の前で得られそうなチャンスみたいな
のは確実に拾ってくっていうか
拾ってた先に
多分展開があるから
だからなんか
ね
大きく夢見ることも大事だけど
じゃなくて地道にさ
目の前の一個一個を
やって
45:01
だから今なんとなくあの時代
良かったのかもって今思える
将来になってるっていうかさ
っていう感じはするよね
すごいなんか
日曜の教会みたいな話になった
面白いじゃんでもそういうの
できそうじゃないいくつか
27歳じゃん今日は
27歳の時何してた
中学生の時
何を考えてたってちょっと
振り返ってみるみたいな
これシリーズか
中学生とか興味あるか
知らないからさ
中学生とか
確かにね大学で出会ってるからね
それ以前知らないから
いろいろ
お互いをさらによく知れるかも
そうねそうね
じゃあそんな感じで
交互期待で
日曜のミサシリーズ
やっていきますか
今日はこの辺で
感想だったらコメントがありましたら
ぜひ35右左
gmail.comまでお送りください
35は数字の35
右左は
ロンマ字は右左です
同じく35右左でインタグラムもやっていて
そこに今回何か
関連する写真を載せておこうと思いますので
ぜひ覗くに来てください
それでは今週はこの辺で
また来週ありがとうございました