ここのつ島の日の意義
五感でつながる開運ラジオ。始まり始まり。
このラジオは、聞くだけで運が開けていく。
今、そこにあるものに気づいていく。
人生の可能性を開くコミュニティ、Vision Quest主催のココノ。
そして、その仲間たちが気づきや学びをシェアするラジオです。
はい。
ということで、今日は
ここのつ島の日の話。
ここのつ島の日。シェアハウスここのつ島の日。
はい。
これは、いつから始まりましたかね。
2003年前。2021年6月。
6月ね。ここのつ島の日やから。
ここのつ島の日って何かってことを言わないと、みんなわからないんじゃない。
ずしでやってるシェアハウス。
俺らが運営しているシェアハウスができた日が。
できた日は11月なんだけど、
ここのつ島は910だから9月の10日が勝手にここのつ島の日って決めたんだけど、
決めて9月10日に集まれたらいいねぐらいな感じで。
っていうのを3年前に思いついた。
集まった仲間たち
そうそうそうそう。
だからここのつ島が立ったのは9年前。
2015年。
やからね。
けど。
21月。
だから、何だろうね。いろんな人が来てくれてね。
で、それぞれの人生のタイミングでここのつ島出て、また新しい人が来て。
繰り返しの中で、もうカレコレ全員の人数を勘定すると、
50人ぐらい。
50人ぐらいになりますと。
でその50人、いまいるよりね、島民って呼んでますけども。
住人さん、島民が10人います。
で、今まで住めた人が40人ぐらいいるわけですよね。
長い短いとかいろんな形があるけどね。
その人たち全員集合を言うて。
全員集合したら大変なことになる。
全員集合したらね、全員は実際に行っても合わないので。
あれなんですけど、今回は25人ぐらい来てくれたのかな。
すごいね。半分。
そうそう。
それってすごいことだわ。
現島民がいるから10人ね。
あ、でも島民が全員来たわけじゃなかったか。
いろんなので、そうよ。お休みした人もいたよね。
体調不良とかもいたし。
40人ぐらいのうち、10、11、8人ぐらい来てくれてる。
すごいね。
すごいことだと思うよ。
本当になんか、やっぱりさ、ここの人すごく、
家族と拡大家族として暮らし合うみたいな。
それってやっぱりこう、やっぱり濃いコミュニケーションっていうか、
濃い繋がりがあるっていうのだけど、
隣にやっぱり短期間いた人もいるし、
今ね、遠くに住んでるミキティみたいにカナダに住んでる人だっているし、
いろんな人がいる中で来てくれたっていうのはやっぱり大きなことだったと思うよね。
安心感と濃い繋がり
そこでその濃い繋がりでっていうのも、
濃いって一体何なのと。
だってずっと一緒にいるわけでもないわけよね。
毎日毎日ご飯食べてるわけでもないしね。
それぞれの生活とかそれぞれの仕事があったりして、
ほぼ重なることはなかったりする中で、
月1回一緒に30分掃除して一緒にご飯作って食べて、
まとまらない話を聞くっていう。
月1回のその場が地道に積み重なってのを、
濃いって表現してるのは。
どういうことなんですか?
どういうことなんですかって言われたらあれなんだけど、
今聞いてて思ったのは、
見えるところと見えないところがあるじゃない?
暮らしの中って。
見えるところっていうのはだから一緒に掃除をするとか、
あと暮らしの情報を共有する。
ごみ、最近こうですとか、
ここちょっと変えませんかとか、
そういうところの情報もありながら、
見えないところっていうのは、
その人が本当は何を考えてるのってことって見えないじゃない?
言わないとね。
言わないと。
その人自身も出してみないと、
自分の中に何があったか分かってなかったりとかっていうのもあるけど、
まとまらない話でって今言ったような、
自分の心の中に今何があるのかなっていうことを、
自分でも探るような感じで、
でも聞いてくれるみんながいるし、
そういう場と時間があるから、
話す自分に、
自分でスポットライト当てる時間がある。
みんなも当ててくれている。
何か言え、何か歌えとかってことじゃない、
何があるのっていう感じで、
そのままで優しく待っててくれている、
みたいな時に出てくるものが、
見えないものの現れで、
その見えないものが、
そんなことがあったんだっていうのがあると、
セットで深くなる感じがするよね。
だから最近そんなふうに忙しそうにしてたのかとか、
つながることもあるし、つながらないこともあるけど、
そういうところがあったんだね。
全然わからなかったけどっていう時に、
すごく聞いてる方も嬉しくなったり、
聞いてもらった方も嬉しくなったり、
多分あの時間を共有してたっていうのがあるから、
みんなね、初めましてで集まった人たちも、
すごい和やかに話をしてたし、
言ってみたら今年が何、4回目になるから、
ここのその日はね。
そうそう、ここのその日が4回目になるから、
去年もお会いしましたよね、
ぐらいな関わりがある人たちもいるわけだけど、
何かそれがつながっていく中で、
なんとなく言ってみたら、
まとまらない話も含めて、
去年も、だからおととしお会いしましたよね、
みたいなところのセットであっている関係が、
1年に1回ずつでもつながっていくと、
他仕事だったり、何かだったり出会うのと違う、
関係性が生まれている感じがあるよね。
やっぱり安心感があるっていう風に言う人もいるんだけど、
いいこと言わなあかんとか、
そういうのもないし、
何か話した時に、そうなんやねっていう、
時間を区切りながらシェアしていくんだけど、
ツッコミがおいでるわけでもなく、
大切なものとして聞いてくれてる感じがあるっていうのが、
すごく安心するみたいな話もあるよね。
そうね。
でも、返す返す振り返って、
ここだけで4年目になります。
2021年にやりました。
ここの通って東津市のお家に、
4年前だから、もっと全員集合って声をかけたとしても、
ちょっと数わかんないけど、50人じゃなかったわけで、
どうだろう、40人ぐらいだったってこと?
30何人ぐらいだったってこと?
全体数としては、声かけたわけだけど、
よくぞ開こうと思ったねっていうのは、
私ちょっとね、その時の自分に拍手を送りたい感じがある。
2021年からね。
2021年ですよ、コロナの真っ最中。
真っ最中も真っ最中だし、
世の中的には集まるっていうのはあきませんと。
2020年よりはまだちょっと判断はいろいろだったと思うけど、
密はあかんよね。
でもあの時、うちテレビがないじゃない?
だからテレビをつけないから、
あんまり世の中的な大騒ぎしていることに、
振り回されてなかったっていう、
いいのか悪いのかわかんないけどね、
っていうのはあったと思っててさ。
でもなんか、あの時、
とにかくみんなで集まらなきゃダメだって私思ったんだよね。
ずっとなんとなくここの都道の日って、
9月10日ここの都道の日って言いながら、
特別みんなで何かすることはなく、
勝手に自分で言ってるだけで、
そろそろ集まることをしなければならないみたいなのもあったし、
リアルで集まることを絶対求めてる私もみたいなのがあって、
あの時9月の10日じゃなかったと思うんだけど、
11日とか12日とかすごい近くの週末にしたような気がするんだけど、
で、集まるって決めて、
お知らせして、
こんな情勢だからもちろん自己判断で、
こっちは換気を気をつけたりとか、
空気清浄機とか、
いろいろやることはやれるけど、
それでもやっぱり自己判断で来てねっていうことを言いながら、
やることを決めたんだよね。
ちょうど私今から思い出すと、
あの時って母がまだ家にいて、
ホームに入ってなくって、
その時まだ母も元気だったから、
テレビをずっとつけてて、
介護で母のところに行ったら、
たまたまつけてた、
そういう番組、
ワイドショーが、
今どんなにか大変かっていうのを流してて、
初めてそれ見て、
世の中すごいことになってるみたいな、
こんな状態でこんなことして、
よかったのかなって、
自分自身煽られたっていうか、
ここのつ島の日の集い
青ざめた感じはしたんだけど、
それで起こることが起こったらそれはそれとして、
本当にちょっと今はやっぱり、
いろんな意味でやめておきたい人は、
それを尊重しつつって思ったんだけど、
あの時のこの、
でもあの時やってなかったら、
ここのその日ってそんなに始まってなかったと思うんだよね。
なんとなく。
だから、あの時初めて、
よかったねって。
そりゃな。
本当に初めてほんまによかった。
始めた自分偉いって言ってあげたいってさっき言ったけど、
なんでそこまでそう思ったの?
いやいやいや、だから、
やってなかったら、
で、だから21年やったでしょ?
もちろん22年もやりますよと。
23年もやって、24年もやって、
なんか今年だかと、
最初の時は17人だったかな?
私たちも含めて参加したのが17人で、
今年が25人?
ぐらい?
なんとなくこう、
そのね、1年に1回だけどっていうのが積み上がって、
すでに今4年経って、
何かしらが始まってるなっていうものをさ、
家族ができて赤ちゃんハイハイしてたりとかね、
1人目のお子さんだけ連れてきてくれてた人が、
ママのお腹に入ってた子が出てくるとか、
そういう積み重ねが始まってることを見ると、
歴史が始まってるっていうか続いてる感じがあるのは、
やっぱあの時決めたからだよねって思った感じじゃない?
そうね。
いやそうなんだから、8年前9年前に、
初期の頃に入ってくれた住人さんも今回ね、
来てくれてたし、
お連れでっていう人もいたし、
で今住んでてっていう人たちと話しながらね、
その親戚の募りはむさにこんな感じやなっていうね、
のがやっぱり繰り広げられてて、
すごい場所やなってなんかちょっと思ったよね。
自分たちが作ってきましたというより、
いやもうそれはあんまりないね。
もちろん何かやってるけどさ。
けど、
なんかそういう流れで、
ここにたどり着いたというか、
それぞれのね、それぞれの人生の流れの中で、
何やろね、引き寄せられてるのかなこれ。
ここの須藤には神様がいるっていうのは、
何かいつぐらいからか思うようになったけど、
こないだはちょっとみんなには言ったけど、
ここの須藤には神様がいるから、
ここの須藤の神様が、
何か良きように連れてってくれてるんだ、
みたいなことを言ってるし、言ってたけど、
でもそれって何か自分ではないところの何か遠いものが、
作用してくれてるみたいに、
響いちゃったかなって思ったんだけど、
それとはちょっと違って、
みんなの中にある何かの願いだったり何かが、
集まったものがここの神様なんじゃないのかなって思っていて、
だからここの神様はここの神様として存在してるんだけど、
それはみんなの何かをただただ代弁してくれているというか、
体現してくれているというか、
何か集まったものの集合体のような気はしているなっていうのは、
だから神様がいるからその存在が何かやってくれてるんですね、
ありがたいありがたいありがたいありがたや、
みたいなことじゃない、
もっと自分たちに近いところにあるものが、
何かを表してくれてるんだよねっていうのは、
すごい最近は思うようになってるけどね。
自分たちの外にあるんじゃなくて、
自分たちのその中にあるっていうかね、
その感じは結構大事かもしれないね。
全然違うよね、どっちにするか。
やっぱりそれは内側にあるものだよねっていうのは、
なんか思うけどね。
なんかそういう自分たちの、
集まったね、その日に集まった人たちの中にある何かが、
ここに現れてるなっていう感じはしたね、確かにすごく。
そういう意味でみんなで作ってきたねっていうことになるのかもしれない。
一人一人の存在がね。
そう、だから次にまた新しい住人さんが入ってくるけど、
その人も何らかの関わりがきっとあるんだよね。
どういう導きなのか。
長い短い関係なく何かが一緒に作ってるからね、これ。
短くてもインパクトある人たくさんいるからね。
神様の存在と気持ち
全員やっぱりインパクトあるよね。
何か住人さんが今すぐそこに入ってきましたという時に、
新山ものとしてきました的にさ、
何がちやけど。
狂って決めた瞬間からもう一緒に作ってる何かがあるもんね、そこに。
作用するからね。
それってでも本当にさっきの、前回の祈りの人、送る人みたいに、
本人は自覚してないけど、周りにはすごい見えてるものとかってあるね。
それをだから、新しい住人さん、今いる住人さんでいうと、
今いる住人さんもかつては新しい住人さんであったことを、
かつての自分を思い出し、今の自分を照らし合わせ、
あったかい気持ちで迎え入れる、嬉しいなって思うみたいな、
みんなもそれぞれいろんな体験するんだねっていう、
体験はみんな違うんだけど、でも感じるものはきっと同じなんだねっていう、
つながっていく喜びと、きっとあるから、
受け入れる方は、温和化した笑顔になるみたいな。
やっぱりその感情、起こってる出来事だけじゃなくて、
気持ちの部分を丁寧に感じ取ろうとするような、
やっぱりベースがあるから、培われてきたなんか、
大生きなんやろうなっていう気がするね。
それはね、コツコツ積み上げてきたことかもね。
みんなでね。
ということで、そろそろ時間が…
急にということで。
20分過ぎたから急にということで言ってくる。
言ってくるね。
無計画なれど計画的っていうところでしょうか。
だから、感じるっていうことがベースにあるっていうコツじゃない?
すっごいまとめに入ってるけど。
そういうことだと思います。
そういうことが開運につながるんだね。
開くためには、感じることをベースにすることが大事だなって。
本当に思う。
感じたことが開かれて、また続いていくものになるんだね。
まとめましたね。
もうまとめなきゃって気持ちで今ちょっと言いました。
ということで、今回も聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございます。
引き続きお願いします。
じゃあね。
バイバイ。