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2024-10-25 20:46

vol.32 山奥で過ごした祈りの時間

鳥取県の山奥である修行に参加したここのさんとあきらさん。複数回参加している中で立場も変わっているのですが、立場が変わったことで感じたこととは?山奥で修行の時間を過ごす中で感じたこととは?目を閉じて、一緒に体験しているイメージで聴いてみてください。

サマリー

今回のエピソードでは、鳥取の山奥で行われるインディアンの祈りの儀式であるビジョンクエストについて語られています。参加者たちは自らのビジョンを求めて森に入る体験をし、サポーターとして参加することで新たな気づきや内面的な成長が得られる様子が描かれています。このエピソードを通じて、ネイティブアメリカンの祈りに関する体験が祈りとサポートの重要性を伝えており、サポートを受けることの循環が心の成長に繋がることが強調されています。

インディアンの祈りとビジョンクエスト
【五感でつながる開運ラジオ】
始まり、始まり。
このラジオは、聞くだけで運が開けていく。
今、そこにあるものに気づいていく。
人生の可能性を開くコミュニティ、 ビジョンクエスト主催のココノ。
あきら。
そして、その仲間たちが気づきや学びを シェアするラジオです。
はい。
ということで、今回のテーマは。
テーマは。
インディアンの修行。
インディアンの修行ね。
もう、かれこれ何年くらいあるかね、これ。
何年も何も、4年終えました。
で、今年が5年目です、っていうところでしょう。
インディアンの師匠との出会いから言うと、 もう、かれこれあれやね。
7年くらいかな。
え、そんなになるの?
そうかもしれないけど。
シャーマン講座から始まってるんですね。
そんなことがあって、シャーマン講座での出会いがあって、 スウェットロッジに入ったり。
スウェットロッジがどんなものかとかって話しだすと、 もうキリがないので、思いっきり飛ばしますが。
毎年9月の下旬くらいに、鳥取の山奥で。
この山奥は明かされていない山奥です。
みたいなね。
森にこもって、祈るという。
もうちょっと言うと、ビジョンクエストだから、 自分のビジョンを求めて、祈るみたいなね。
このビジョンクエストは、私たちが、
ビジョンクエスト主催のって言ってるビジョンクエストとはまた違うので、ややこしいんだけれども。
インディアンの祈りの。
セレモニーのね。
祈りの場の名前がビジョンクエスト。
英語で言うと、たまたま一緒でした。
インディアン語で言うと、ハンブレチアという。
これに2020年から4年連続して、私たちは祈る側として森に入っていました。
サポーターとしての体験
この祈る側としてって一体どんなことって。
たくさんのクエストが出てくると思うけど、ちょっと進めます。
このまま。
で、祈りを、祈るために森に入る人たちがいて。
それが私たち隠して毎年1年、毎年4年続けて入って。
今年は4回で満了というか終了というかワンサイクル終わるっていうのが終わって。
今年はサポーターとして森に来ましたっていう年だったんだよね。
私たちが祈る側、クエスターって呼んでるんだけど、クエスターとして森に入ったときにいろんな人に支えられてきた。
ありとあらゆる支えるお仕事は。
サポーターに支えられてきた。
今回サポーターとして森に行ったっていうのが今年の9月の体験だったんだよね。
私も秋田さんも行きました。
私は全部8日間の工程になるんだけど、スルーで行こうとすると。
私は8日間行ったけど、秋田さんは。
3日、3日半かな。
お仕事の都合とかでね、行ったっていう中で。
秋田さんも私も全然違う体験をしたと思うんだけれども。
秋田さんにとって、今年のハンブレッジやビジョンクエスト、森に入ってサポーターとして行った体験って、どんなものだったの?
それが5巻で繋がる海軍ラジオやからね。
どう繋がるのかっていう話もあるんだけど。
クエスターっていうね、お祈りをする自分自身にとってのビジョンって何?っていうようなテーマで祈る。
それを今回サポートする側でね、行ったんだけど。
だから自分自身のビジョンって何なんだろう?という問いよりは
自分のビジョンって何なんだろう?という問いを持って
山にそれぞれ入って、それぞれの場所で祈りをする人をサポートする側なので
自分の祈りではないんだけど
祈りをする人が10人くらい。
18人。
2階に分けたから。
18人いて、それぞれの祈り、それぞれの人の祈りが
自分の中にあるものとすごく重なるところがあって
全然一人一人違うんだけど
でも自分の中にあるのかないのかで言うとある。
そういうことを
彼らと一緒にいる、サポートしながら一緒にいることで
めちゃくちゃ自分の中にあるものに気づく時間だったんだよね。
みんなの祈りを感じる中で自分の中にある祈りにもつながっていくっていうこと?
自己認識と成長
そう、まとめるとそういうきれいな感じになってきて
祈る人たちって自分の中ですごい葛藤があったり迷いがあったりとか
でもそんな自分でここにいます
道を教えてくださいとか助けてくださいとか
感謝してますとか
応援していきますとか
応援していきますって約束するとかいろんな祈りがあるんだけど
それがやっぱり何やろうな
すごく純粋な思いとしてその場にみんながいるので
その在り方がめちゃくちゃ響くんだよね
サポートしている側にも
そういう思いが迷いとかいろんな思いが自分の中にもあるなっていうことに
すごい気づかせてもらったというか
クエスターって祈る側だった時はみんなありがとうなとか思いながら
自分の祈りにフォーカスしてたんだけど
自分の祈り自体がサポーターの人にそこまで影響してるってあんま思ってなかったんだよね
でも今回はサポートする側にもあることで
クエスターが自分の祈りを真剣にしてるってこと自体がこんなにも周りにインパクトしてる
それは仕事とか日常生活とかそうなんだけど
直接役に立ったとか役に立ってないとか
あるいは貢献したいとか貢献できてないとかね
役に立ってたり貢献できてたら嬉しいとか読破されたりとか
役に立たなかったり貢献できてなかったら
がっかりしたり残念だったりみたいになるんだけど
そういう目に見えて何か貢献してますとかじゃない次元で
自分のありのままにつながって
そこにいるってこと自体がこんなにインパクトするんや
それは結構手がかりで体験してる
本人たちは至ってそこにいるだけだから
全くそれが影響してるなんて思いも寄らないだろうね
寄らなかったよね私たちも
逆にこんな全然雑念がいっぱい出てきて
祈りに集中できてないなとか思って反省したりとか
気づいたら寝てしまってたとか
ちゃんとできてないみたいな風にとっさに思っちゃうっていうのは
このね日常の中で常にあることで森の中に入ったから急に人が変わるとか
というわけでもなく急に去っているわけでもなく
でもねそうそういう子あっち行ったりこっち行ったり
動作をしてるっていうこと自体もすごくある意味純粋だったりもするわけで
応援してる方にしてみたらそういうことどうでもよかったね
そうだから思うと
そういう動作をしてる姿でさえも
命の働きがそこにあるって
サポートする側になるとすごく感じ取れる
これは今の自分も動作をしてるわけですよ
けどそういう動作をしてる自分をそのまま
ある意味命というのは尊いものだということで
自分自身を感じ取るということに少し意識を向けさせてもらえた感じがするんだよね
人のことは結構尊いなとか素敵だなとか思いやすいんだけど
自分にそう思えるか言うと結構自分はちょっともう一つなんですとか
なっちゃうんやけど今もね
なっちゃってることも含めて実は尊い命がそこにある
っていうことを頭じゃなくて体で思わせてくれた
そんな体験やったね
これは相当かゆいんですよ
確かにね
いや相当開いた感じがするよ
何をしてても受け取れるっていう
その人が何どういう状態であっても
言ってみたらもう何か生きてること自体が実はさうおうさをしてるわけだけど
生きてること自体がもう祈りに満ちてるし
それを見ているだけで何かこっちが受け取るものがあるっていうことだよね
それをさ頭で理解するのとあるいはその
体で理解するのとかね
と体感として感じているのとかが下がるやん
その体で感じるっていう体験をできたらすごいインパクトがあって
体で感じたことっていうのはなかなか消えないからね不思議と
刻まれるからねこれ
頭で考えたこととかすぐに忘れるしなくなっていくけど
体験体感していくことってすごいすごい影響するね
ネイティブアメリカンの祈りの体験
我々も最初に言った7年前ぐらいに
そういうネイティブアメリカの祈りの場を作ってる人
ご縁があったんやけど
そんなことがあるからそれを学びに行きたいとか言って
言ったわけじゃないわけよね一番最初は
もちろん
なんか気になるなとシャーマンの講座が
何っていうのはなかなかわからないんだけど
なんか気になるな
これはもうちょっと行ったほうがいいなみたいな
言うたら頭で判断するんじゃなくて
体が先に反応してるんだよ
だから
感じる
だと思うねそれを
そうだね私がそこのに行こうかな行きたいなって思ったその
だから5年前については
なんかその私自身がこのビジョンクエストっていう名前を
ちょうど10年前になんか受け取って活動名にして
でそれがよもや
何ネイティブアメリカンのイニシエーションの名前だったなんて
全然思うことなく
でもなんかいろんなところから
情報が入って偉い名前つけちゃったなぁみたいな感じがありながら
なんか気になりながらもなんか自分であえて探して
あのわざわざ行くっていうのよりは何かしらのご縁やつながりをちょっと
寝て待てじゃないけど待ってよっていう風になったところで
秋田さんがねその出会いがあって
っていうタイミングでなんかああ今がそういう風な時になったのかなと思って
参加したっていうのが私のなんか気になるっていうよりはなんかああ今がその時なのかなって思って参加したっていうのが
2020年のことだったかなっていうのはあるあるけどね
その時もその自分から求めていくっていうよりは
何かそういう流れが来るんだろうなってどっかでいくつでそう思ったというよりはなんかそう感じ
あえて自分から探していくっていうのはなんか違うなっていう感じ
全然違うなって思ってたから
もう明確にわかるよねなんか全然違いますみたいなそれは違うみたいなのは
分かってた
その人がどんな人なのか全然わかんないけどそういう流れで
来るんだみたいな
あったけど
まあ私もサポーターとして参加しましたけど
私もサポーターとして参加しましたけど
もう
時間がちょっと気になってもうそろそろねそう
難しいなこれを言う
なんか
私の体験は
でも
そうね
その短い限られた時間で言えることとしてはその
両方体験するって大事だなっていうのは言えるかも
だから
祈る側として森に入ってたのですごい
一つの側面でしかなくって
今回何それこそなんかやっぱりサポートする側も体験してみたいな体験しないと
しなければならぬというか何かしたいなと思って参加したんだけどやっぱり
両方あって一つになっているっていうことはしみじみ感じたし
そうそう表と裏なのか陰と陽なのか光と闇なのかどっちが光でどっちが闇かわからないけど
その両方ある中で両方体験して全体像が
まあこれで全体が見れたとはちょっと言えないけれども少なくとも方片手落ちじゃない感じがするし
あのどんなにかサポートされていたのかっていうのはその子供を産んでみてわかる親の気持ちじゃないけど
いやほんと想像以上のことをありとあらゆる人にしてもらってって何か大事にされてたんだなっていう
それこそ大した祈りができたわけでもないのにとかいいのに入りますとかって言いながらめっちゃ雑念ばっかりだし眠たいなーとか
なんか退屈だなとか普通に思ってたし思う時間があったし
っていう私をそんなだったらダメだったねとかっていうことを一つなく
良い祈りをって見送ってくれてお帰りって受け止めてくれたっていうのはめっちゃ許されてる感じがあったし
親心というか
両方体験するって大事ねっていうのはしみじみ思ったかな
逆に言うとどれだけ片方の側面からしか世界を見てないのかっていう話に気づけるっていうことでもあるというかね
やっぱりそれが循環なんだと思うんだよねその受け取ったらやっぱり与えるっていうのがあるし
その呼吸のね、吐いて吸うとか全部がこう両方でセットっていう意味で言うと
受け取って与える与えると受け取るっていうのを両方体験していくっていうのはすごい大事だねっていうのは
どっちがいい悪いじゃなくどっちもがあって成り立ってるっていう感じがあるよね
さらになんか深まるよねなんか
学んだことを伝える側になるとかっていう時により一番学びになるみたいな感じで
より深いものになっていくっていうのがあるから
次もし万が一祈りの方で入るとしたらまた違う祈りになるのは間違いないよね
ということで
20分になりましたので
15分ぐらいで終わらせようっていつも思ってるのに何で5分延長するかっていうことで言うと
こういうものなんだね
ということで今日はこれぐらいに
いただいてありがとうございました
結構いろんな人が聞いてくれてるんだよね
嬉しいね
嬉しいね
本当にありがとうございます
ではでは
こっち収録夜なのでついおやすみなさいって言ってしまいますが
朝聞いてる人もいるんだよね
そうだね
じゃあバイバイで
はい
それじゃあね
じゃあねバイバイ
バイバイ
ぐっちぃ
20:46

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