1. 100円で買い取った怪談話
  2. #21 廃村八丁【京都の怪談】
2021-07-21 25:48

#21 廃村八丁【京都の怪談】

先週から始まった夏の特別企画 "プロの怪談作家の方から買い取った怪談"2週目にお話いただくのは、逢魔プロジェクト主宰、雲谷斎さん
著書に『実話怪談 逢魔が時物語』『恐怖投稿』等があり、中でも『怖すぎる実話怪談』シリーズは2021年の現時点で9冊目が刊行された人気シリーズです。そんな雲谷斎さんが語ってくださるのは、ご自身が実際に体験したお話です。
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この番組では、私が行っている怪談売買所で買い取った、世にも奇妙な体験をされた方のお話をお届けします。
夏の特別企画、怪談作家から100円で買い取った怪談話。
第2弾にご登場いただくのは、大間プロジェクト主催、うんこくさいさんです。
大間プロジェクトとは、怪談ライブや京都の怪しい伝承地巡りなどの怪談イベントの開催、
怪談メールマガジンの発行など、怪談に関わる様々な活動を精力的に行っている団体です。
その中心人物が、うんこくさいさんです。
名前からして怪しいのですが、その実像はアウトドア派の好人物。
夜間にはテニスや釣りなどを楽しみながらも、日々怪談を集め、語り、書くという毎日を送られています。
著書に実話怪談、大間がどき物語、恐怖投稿などがあり、中でも怖すぎる実話怪談シリーズは、
2021年の現時点で9冊目が刊行された人気シリーズです。
そんなうんこくさいさんが語ってくださるのは、ご自身が実際に体験したお話です。
うんこくさいは山深い所ですからね、非常に登山者に人気があるコースがいくつもあって、
うんこくさいももともとは山をやっていましたのでね、一人でよくその辺りを登っていたわけなんですけれども、
その中で一番人気があるコースというのは、卑怯と言われているようなところですけれども、
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奥の方に八丁廃村というエリアがあったんですよ。
これは八丁山というね、1000メートルにもみだな山なんですけれども、結構山深いところ。
そこの頂上のところに村があったんですね。
おそらく時代としては大正から昭和にかけての頃だったと思うんですけれども、
小さな文教所も作られているほど、その村の人たちは50人、100人ぐらいいたんでしょうかね。
おそらく山仕事の墨焼きであったり木こりをしたりして生計をしていたと思うんですけれども、
ある年に大雪が降りましてね、もう下界とは行き来できなくなってしまったんですね。
そうするともう死活問題です。
ガッシャーが出たり病人が出たりして、もうこれはダメだということで、
もう村人たちは村を捨てて里へ降りたんですね。
で、そこは廃村になってしまった。
ということで廃村八丁という名前になって、今も残っているというところなんですけれどもね。
ここが登山コースの中でなぜ人気があるかというと、ほとんどもう建物はなくなってしまってたんですけれども、
一つだけ土蔵が残っていたんですね。
で、その土蔵というのも単にノスタロジックだけで残っていたということが人気あったのではなくて、
その土蔵には絵が描かれていたんです。
土蔵の内部の白壁に、なぜか銀座の絵が描かれていたんですね。
昔の銀座ですから柳並木があって路面電車が走っていて、当時のモダンボーイ、モダンガールと言われる人たちがそこを活歩していた。
そういったような懐かしい絵が描かれていたんですね。
で、それを目当てにその廃村八丁を目指して山を登っていく、そういう人たちがいっぱいいたんですね。
うんこ臭いもその話というのは本で読んだりネットで見たりして知っていたので、ここはぜひ一度行ってみたいなと思っていて。
で、どうせ行くならゆっくりそこでキャンプしようと思ってたんですよね。
で、ある日一人でテントを担いで一泊するつもりでね、登っていきました。
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京都市内から2時間ぐらいバスを乗って、あるバス停からずっと山の方へ登っていくんですけれども、
丹野峠というところまでは、そうですね2時間から3時間ぐらいの直灯なんですよ。
もうかなり厳しい急な坂を登っていかなければいけない。
で、やっと2時間半ぐらいかけて丹野峠のところまで着く。
で、そこからは深い山並みの向こうから通して里がずっと広がっているのが見えるという非常に景色のいい場所なんですけれどもね。
で、そこから廃村八丁の広場の方へ行くには渓流沿いの道をほぼ1時間ぐらいゆるいアップダウンを繰り返しながら歩いていくというコースなんですね。
その日その広場に着いたのは3時ぐらいやったと思うんですけれどもね。
同じようにあの場所を目指して登ってきた人たちがその広場で休憩をしていました。
でももう時間がない時間ですから、もう運国祭がそこへ着くと同時にその人たちは里の方へ降りていったんですね。
残されたのは自分一人。まあいいかと。静かでいいかもしれないなということでその広場にテントを張りました。
すぐ近くにはあの土蔵がまだ建っていました。
時間がね結構遅くなっていたので、あたりが少し薄暗くなってきたので、
もうその土蔵の中の絵を確かめるのは明日の朝でいいかと思ってすぐに夕食の準備にかかったんですね。
簡単にラーメンを作ったりおにぎりを食べたりして夕食を終え、
外はもうすぐ日が暮れたら山の中ですら真っ暗になってしまうんですね。何にも見えない。
もう仕方ないのでテントの中に入ってランタンをつけて、ランタンのロウソクの淡い光の中で
ちびちびとウイスキーを飲んだり、本を読んだりして過ごしてたんですけどね。
やっぱり9時過ぎると日頃の疲れとか山登ってきた疲労で眠くなってしまうんですよ。
もう寝よっかということで墓所の方に入って目を閉じたんですね。
何時くらいかちょっと覚えてないんですけれども、しばらくするとパタパタという風が出てきて、
その風と同時にパラパラパラパラ雨が降ってきたんですよ。
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うわ雨やなこれ参ったなあ。
そう思ったのもその持ってきたテントというのはちょっと古いテントでしてね。
雨漏りがするテントやったんですね。
うわこれ雨なんて降るはずがなかったけどなあ参ったなあと思ったんですけど。もう仕方ない。
我慢してしばらくはそのまま寝てたんですけれども、だんだん雨足が強くなっていくんですね。
パラパラパラパラという風に降ってきて、これやばいなと思って懐中電灯で上の方を照らしてみると、
ちょうど濡れ目のところからね雫がパタパタパタパタと染みて落ちてきてるんです。
うわこれはやばいと。
白くねそれがね落ちてじゅくじゅくになってきてるんですよね。
これはちょっとこれは寝てる場合じゃないなあ。どないしようかなあと。
テントの中で傘さすわけいかんへんしね。
困ったなあと思った時にふっと思ったのがすぐそばに土蔵があったわということなんですよ。
まあ一晩ぐらいねテントでなくても土蔵でも十分雨をしのぐことができればそれでいいので。
懐中電灯とシュラフ滝を持ってたーと土蔵に走ったんですね。
で土蔵の中に入ると下はあの土やったんですよ床はね。
で大丈夫かなと思って懐中電灯で照らしたんですけれども床はあの土が乾いてましてね。
あの全然濡れてなくて雨も持ってないような感じだったので。
これはラッキーとここで寝ることができるなと思ってシュラフをそのまま敷いたんですね。
で土蔵の雰囲気を確かめたのに懐中電灯であちこち照らしてみたら
土蔵の一番奥の端っこにははしごのような階段があってその階段の上には中二階のような床がずーっと広がっているような感じなんですね。
ですんでシュラフを開いて眠っている上は天井があるんですけどその天井がイコール中二階の床になっているという。
そういうような構図をやったんですよ。
あーそういう構図になっているのかと思ってそのままシュラフに入って懐中電灯を消してすぐに寝る完成に入ったんですね。
どのぐらい時間が経ったのか全然覚えてないんですけれども
寝ているとふっとなんか目が覚めてしまったんですね。
えーなんやろなーと思って真っ暗い中で目を開けるんですけれども当然何も見えない。
なんかこう嫌な気配というかそういったものが漂ってるんですよね。
なんやねんこれ土蔵の中やからなーそういう気配があるのかもしれんけどなー気にせんとこと思ってそのまままた目を閉じたんですね。
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でまたうつらうつらとしたその瞬間に妙な音が聞こえたんですよ。
頭の方からギシッ床が軋むような音がしたんですね。
その音というのは仰向けで寝ている上道天井のあたりつまり中2階の床がある方から聞こえてくるんですね。
最初は気のせいかなと思った。
もう一度寝ようとしたその瞬間またギシッと間違いなく音がしたんですよ。
何かが死んでいるのか2階に動物でもいるのかそんな感じが最初はしてたんですけれどもその音はそういう自然の音じゃなかったんですね。
何か石を持ったような音の立て方がするギシッギシッギシッ真っ暗な床の上を誰かがあるいは何かが歩いているような音なんですね。
ギシッミシッそれは真上の床の上をぐるぐると歩いているような感じがする。
えーちょっと待ってくれこの土蔵が入っているのは俺一人や。
なんでそんな音がすんねん。
そう思って自問自答しても答えなど出るわけがない。
ギシッギシッという音はだんだんとはしご壇の方に移動していったんですね。
あーちょっと待って待って何か知らんけど上の音立てるやつはしごのある方へ行ったんちゃうかそういう風に思ったんですけど。
恐ろしくて懐中電灯で照らすことなんてできるわけないですよね。
さっきまで床を歩く死んだような足音が聞こえていたんですけどそれはやがて腐ったようなはしごを降りてくる音に変わったんですね。
15:03
ギートンギシッミシミシッギートンミシッギートン
だんだん一歩ずつゆっくりと降りてくる。
やがてその何かは土の床に降り立ったような気配がしました。
ズサッズサッズズズッズサッ
わけのわからない何かは寝ている自分の方に向かってゆっくりと引きずるように足音を立てながらやってくるんですね。
私はもう恐ろしくてジッパーを首のところまで上げて目をぎゅっと閉じて息を殺してそこにいている気配を消すように努力したんですね。
真っ暗闇の中でそいつが自分のすぐ顔の上にいてじーっと上から見下ろしているというのが何となくわかるんですよ。
手に持っている懐中電灯を照らせばその正体がわかるんですけども絶対そんなことできるわけがないんですよね。
じーっと汗ばむ手を握りしめて目はぎゅっと閉じたまま息を殺して自分がここにいることを悟られないようにすることが精いっぱいなんですね。
間違いなくその何かは上から自分をじーっと見下ろしている濃厚な気配がそれを告げているんですよ。
どうしようこのままじーっとしていることなんてどうでもできない。
そうしているのは仕方ない。
もう自問自答ですよね。どうしたらいいかわからない。
わーっと叫んで逃げ出したいけどもそんなことできるわけがない。
いやーな汗が背中を流れるのがわかる。
小刻みに体が震えているんですね。
どうしようかなと思って俊々しながら我慢している。
どのくらい時間が経ったんでしょうね。
それが1時間だったのか2時間だったのかさっぱりわからなかったんですけれども。
ふっと閉じた瞼の奥に朝の光が土蔵の中に隙間から差したのが感じられたんですね。
18:18
はっひょっとして朝が来たんかそう思った。
もしかして俺助かったかもしれんな。
そう思った瞬間今の今まで濃厚にしていたそこにあった気配がスーッと消えていったんですよ。
それでも目を開けることは恐ろしいのでそのままじーっと目を閉じて明るくなるのを待ったんですね。
チュンチュンチュンという小鳥の声が土蔵の外から聞こえてきました。
うっすらと目を開けるともうすでに土蔵の中は薄明かりが差していたんですね。
はーよかった助かった。
そう思って目を開けて階段の方そして天井つまり床の方を見上げたりしたんですけども何かがいたような気配は全くない。
よし助かったそう思って飛び起きてシュラフをたたんでその土蔵を逃げるように飛び出したんですね。
まだ朝が早かったんですけれども朝飯を食うようなそういう余裕もなくすぐにテントをたたんでリュックに詰めて山を逃げるようにして下山しました。
もしあの時あの暗闇の中で懐中電灯をつけていたら私は一体ね何を見たんでしょうね。
それ以来あの廃村八丁には足を踏み入れていません。
廃墟というのはそれだけで魅力的なものです。
人工物が自然に侵食されその圧倒的な力によって徐々に破壊されてやがて消えていく。
その過程を見ることができるのです。
それは人工と天然自然が織りなす美です。
その空間の中に身を置くと時の流れとそれに比して人間という存在がどれほどちっぽけなものかを思い知らされることも少なくありません。
今回のお話の舞台である廃村八丁あるいは八丁廃村と呼ばれるこの山中の集落の跡は山を趣味とする関西人たちの間では都に有名です。
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それは雲さんのお話の中にもあった朽ちた土蔵とその白壁に描かれた華やかな都会の風景。
そしてその2つの不釣り合いなコントラストが見るものに恐襲や脊梁感を抱かせるからなのかもしれません。
さてその土蔵で一泊することになった雲さんは真の闇の中恐ろしい体験をすることになります。
土蔵の2階から降りてきたのは一体何者だったのか。八丁が廃村となったのは昭和16年1941年のこと。
八丁さんの厳しい自然環境に住人たちは次々と離村していきついには誰もいなくなったそうです。
最後の住人に離村を決意させた大きな要因は昭和8年から翌年にかけての大雪であるとされています。
3メートルを越す積雪に交通を遮断され病人を医者に見せることもできず、それが元で亡くなった者の葬儀を3日間も出すことができなかったのだそうです。
その時の遺族のそして亡くなった本人の悔しさはいかばかりだったでしょうか。
過酷な環境に暮らす者たちにとってそのような出来事はつきものだとはいえ、それでも悲しみとやり場のない生きどおりに苛まれたであろうことは想像に堅くありません。
そのような逆まく激しい感情は念となってその土地や建物に残ると言われることがあります。
完全な廃村になった後、八丁さんに建つ家屋は自然に朽ち果てていきました。
そして最後に残ったのが白壁の土蔵だったのです。
運さんがそこで出会った者は無念のうちに八丁さんで亡くなった誰かだったのか、それともそこで暮らしたかつての住人たちの思いが人の形となって現れ出た者だったのか、はっきりしたことは分かりません。
いずれにしても、この体験談はかつてそのような過酷な環境下で何代にも渡って住み続けてきた人たちがそこにいたことを私たちに教えてくれます。
現在、九段の土蔵は完全に倒壊し、その名残もほとんど見つけることができないと聞きます。
しかし、建物はなくなってもそこで起きた出来事がなかったことにはなりません。
運さんは自身の恐怖体験を階段として書き、語られています。
運さんがその階段を語るとき、それを聞く者は恐ろしい体験そのものだけでなく、その背景として八丁さんでの人々の暮らしにも思いを馳せることでしょう。
建物が跡形もなく消え、集落跡が完全に木々に埋もれてしまっても、彼が語る階段は人から人へと伝播していきます。
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それに伴って八丁さんで暮らした人たちの悲しい歴史も多くの人々に伝わっていくのです。
階段は時を越え、時代を越えて情報を人から人へとつないでいく、そんな役割があります。
運国祭さんの前に現れたこの世ならざる者は、八丁さんという過酷な環境で歯を食いしばって生きてきた自分たちの存在を多くの人に知ってほしい、忘れてほしくないという思いから現れたのかもしれません。
彼らのその思いは、それが階段という形を取ることで永遠となったのです。
最後に、その土蔵の白壁の絵が、いつ、誰によって、なぜ描かれたのかは、長年謎とされてきましたが、現在ではそのすべてが判明しています。
しかし、その謎が謎でなくなったとしても、廃村八丁の魅力が消えることはありません。
インターネットで調べれば、詳細が書かれたサイトがすぐに見つかるはずです。
興味がある方は調べてみてはいかがでしょうか。
番組では皆さんの階段をオンラインで買い取りしています。
詳細は概要欄のリンクよりお待ちしています。
次回の放送では、戸上重明さんの階段をお送りします。
それではまた次回お会いしましょう。
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