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詩吟の魅力を発信する、詩吟チャンネル
おはようございます、こんばんは。詩吟チャンネルのheyheyです。
このチャンネルは、詩吟歴20年以上の私、heyheyによる詩吟の吟じ方や魅力について、わかりやすくザックバラにお話ししていくチャンネルです。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
平日が始まって2日目
ようやく生活サイクルが戻ってきたなという
嬉しい感じがしております
昨日もちゃんとはギリ寝れたかな
6時間は寝れたなというところ
でし、ちゃんとYouTubeも再開できたし
あとはnoteっていう文章を書くサイトですね
文章を書いて公開する
noteって書いてnoteっていうところで
そこでも僕ちょくちょく
資金のコラムとか色々書いたりしてるんですけど
それも書くことができたしということで
ようやく動けたなというところです
本当にずっとグデンってなっててもダメですし
ずっと子供の世話だけしてるっていうのもダメですし
程よく動き回ってるぐらいがですね
ちょうどいいんだろうなとしみじみ思うところです
今日はですねそのnoteに書いた内容になるんですけれども
資金は一体いつ始まったのか
そしてどのように広まったのかですね
それを自分なりに調べて考えてみる
仮説を立てて考えてみるということを
昨日ですね始めました
自分もこれからオフラインで活動していく際にですね
資金についてもう少し調べたいなということもありますし
その調べたことをですね
ただ単にそのまま受け取るというよりは
これはこういうことだからこうだったんじゃないかとかですね
こういう時代背景があったからこうなったんじゃないかとか
そういう自分なりの考えも混ぜ込んでですね
考えるというのがようやく楽しくなってきた年頃でですね
遅い遅いと思うんですけど
ということで今日はその話をちょっとしてみたいかなと思ってます
まあ本当は資金がいつ始まったのか
そしてどういうところで広まったのかですね
だいたいまあ2回か3回とかに分けて話していこうと思っております
今日はですねまずまあ資金の始まりについて
そして資金が盛り上がったところが大きく分けると2回あるんですよね
2回なのか3回かな
江戸時代後期幕末
まあ後期と幕末はほぼ一緒かの頃と
あとは昭和初期ですね
昭和初期はまあ次回以降に置いておいて
今回はその幕末までの話をちょっとしたいかなと思っております
では資金はいつ始まったのか
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これはまあもちろん人によっていろいろあるんですけれども
古事記とか日本書記とかにですね
このまず漢詩の文化が伝わっていることが記されております
なのでまああのざっくりと
でも古事記日本書記
ざっくり言うと平安時代っていうところが
一番当たり障りのない答えになるのかなと思います
平安時代っていうのは西暦で言うと600年から
800年ちょっと確かそれぐらい
800年後半からぐらいだったと思うんですけれども
それぐらいの時期に剣闘士があったんですね
歴史の話です
剣闘士剣術師じゃなくて剣闘士ですね
東に行ってそこの文化とかいろいろ学んでくるという
施設がいたわけなんですけれども
その際に東の文化をいろいろと持ち帰ってきたわけです
そしてこの頃の東って言うとですね
あの西東とかと言われるんですけれども
あの四大詩人がまさにあのいた時代がこの東の時代なんですね
まあもうちょい年代幅は幅はあるんですけど
この600年700年ぐらいから800年ぐらいの間に
李博とか徒歩もか
で博虚位と大尉だったかな
四大詩人が在籍した頃です
つまりはもうのこの漢詩の文化がですね
ものすごく盛り上がった時代になるわけです
でそこからの文化を持ってきて
でその持ってくる人たちっていうのは
平安時代の貴族の方たちですから
あのこの漢文ですね漢字の漢文学
これをもっと真剣に仕事として読み解いて
どうやったら日本に取り込むことができるだろうか
ということをもう頑張っていた時期ですね
とてもエリートな人たちが仕事として
この漢文学を取り扱っているような
そんな時代だったわけです
なのでその頃にですね
この李博とかの漢詩が
漢文がですね
もう流れてこないわけがないんですよ
そしてまあ教養もあるわけですから
この漢文の漢詩の素晴らしさというものを
まあ多分ものすごく影響を受けるんでしょうね
そういう流れから
まあ日本にこの漢詩とか漢文とか
そういったものが根付いていって
ゆくゆくはですね
この平安時代のもう末期の頃に
菅原道真がですね
もう日本のトップとして
この漢文漢詩を作るトップとして
君臨したほどの
そういう形になっていくわけなんですけれども
ですのでまあそういうところも含めると
やはりあの平安時代に
まずあの漢文漢字漢詩の文化が
伝わったというところがあるかと思います
そしてまあのいい文化いい詩文があれば
それを口ずさんでいくうちに
今吟じたくなるよねっていうところが自然なので
まあそういった意味では
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そういった意味では
まあ詩吟もそこから始まった
という人もいるかなと思います
ただですね
このちゃんと声に出して読むというのが広まったと
明確に言われているのはですね
まあの江戸の江戸の末期の頃なんですね
確かあの割れ木って言うんでしたっけ
であれば文化とか文政とかそういう時代になります
1800年から1830年ぐらいの頃になるんですけれども
その頃はですね
各藩が私塾とか藩校とかそういった学校を開いて
そこで勉強を教えていた時代になります
でその頃の教え方っていうのはですね
やはりあの漢文がメインでそれを覚えて
声に出して読むという
ソドクというやり方があったんですね
さらにあのもっともっとエリートが集まるようなですね
あの詩吟でもよく出てくる広瀬丹荘ですね
桂林草雑英で有名な広瀬丹荘の
この桂林草という塾ですね
その中ではまさしくこの漢詩に
素朴な節調をつけて声に出して歌うという
こういうやり方でこの学習が進められていたというのが
まあ有名だったんですね
でここらへんの人たちはやはりエリートですから
各藩とかに持ち帰って
そういうやり方をきっと教えていくようになって
広がっていくわけです
ですのでまあこのちゃんと銀汁という形は
まあ明確に広まったと言われると
やはり江戸後期になってくるのかなと思います
漢字の文学としてはですね
この平安時代ですけれども
学習方法として広まったというのが有力ですね
そしてそしてまあこういうふうに
あの結構真っ当な形で広まっていたわけなんですけれども
そこから幕末にかけてですね
一つの盛り上がりを見せております
あのもうよく漢詩でいっぱい出てくるんですけれども
高杉晋作とか吉田松陰とかですね
坂本龍馬とかも結構あの皆さん
素敵な漢詩を残しているわけなんですけれども
まさにこういうことなんですよ
国を日本をなんとかせにゃあかんみたいな
そういう激しい激しい
中の気持ちとか感情ですね
漢詩にぶつけたんですよ
ただ感情というものは持っているだけでは
まあ残すことは難しいんですけれども
漢詩にすることで
一つの形として世の中に残すことができるんですね
しかもこの漢詩っていうのは面白いもので
とてもコンパクトに
たくさんの意味をギューッと凝縮することができる
だからまあ本当紙一枚ですね
ペラペラと書いてそれを胸元に保存したりすることができる
し声に出すことも読むこともできれば
歌うこともできる吟ずることもできるんですね
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こういうふうに何て言うかな情報の圧縮
まあなんて言うかの言い方あれですけど
sd カードを持ってるような感じですね
情報がギュッギュッとこの漢詩の中に収まっていると
一方でそれそのものが芸術にもなるんですよ
まあ本当に美しい絵がですね
収まっているだが
sd カードっていうのはちょっと一面でしか捉えてなくてですね
額縁に収まったような絵というよりは
むしろコンパクトな巻物なんでしょうかね
そんな感じでこの監視というものは
とても扱いが良いものだったんじゃないかな
というのはここは僕の勝手な想像です
そういうところがそういう監視の面白い特徴があって
この幕末の維新詩詩たちがですね
いろんな感情激動の時代を生き抜いた
これから何とかやっていくぞという
この感情の爆発を監視に残していって
それがもう一般の人たちにも広まっていって
後世にも残っていくと
だからあのこの時期のですね
監視結構たくさん残っているし
グッとくるものが多いなということになるわけです
なのでこの勉強の方法として
そして感情の爆発を保存する方法
人に伝達する手段として
こういった形で監視
そして詩吟といったものが
一つの広がりを見せていったのだろうというふうに
僕はもうストーリーとしてまとめております
いかがでしたでしょうか
何々何年に誰々が広めたとか
こうやって広まったとか
そういうふうに淡々と並べていってもですね
まあわからなくはないんですけど
僕は子供の頃にそういう話を聞いても
さっぱり頭の中に入ってこなかったんで
ようやくですね
なんかそれぞれの時代背景とか
監視の特徴とかということを考えてみて
ようやく自分の中では
腑に落ちたかなというところです
ここからですね
さらにまだまだ激動の時代が続いていって
明治大正昭和といって
詩吟が最大限に盛り上がっていくところが
まあこれから後半の方に移るわけですけれども
そこはまたこれからちょっと情報を整理してですね
バブルのバブルじゃないな
第一次世界大戦第二次世界大戦
あとベビーブームとか
なんかそこらへんとかが組み合わさって
また詩吟が良くも悪くも取り立たされていくんじゃないかな
という勝手な想像
勝手な仮説を思いながら調べて
またこちらで報告しようと思っております
いかがでしたでしょうか
今日の話はですね
ところどころは細かく
ネットで調べたところはあるんですけれども
基本的にあの財団のホームページのところと
ナチュラル詩吟教室っていうところの
ホームページはすごく綺麗にまとめてくださって
出典も書いてあったんで
そこから引用させていただいているところがあります
ナチュラル詩吟教室渋谷で詩吟やっていて
僕も一度ちょっとあの体験したことあるんですけど
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すごくいいところなんですね
ということで知り知りネット宣伝かな
やりながら終わらさせていただきます
では後半の方一つ吟じるんですけれども
まああの早速ですね
李博のこの唐の時代の美しい漢詩ですね
李博の三中門道を今日は吟じたいと思います
まだ喉の調子が前足が少し続いているんで
優しくて美しいやつをやろうと思います
ではまず詩文からですね
三中門道李博
世に等何の意あってか
壁山に棲むと笑う手応えず
心おのずから勘なり
桃花流水養禅として去る
別に天地の人間にあらざるあり
人は私にどういうつもりで
このような緑の山奥に住むのかと尋ねてくる
私は笑って答えない
他の人が何と思うと私の心はゆったりとのどかである
見たまえ美しい桃の花びらが清らかに流れる水に浮かんで
遥か遠くに流れ去って行くのを
このような様子を見るにつけて
俗世間から離れた別の天地があるということを
痛感するのである
通釈読んでもですね
面白いなと思うんですけど
やはりこれを桃花流水養禅として去る
この流れで知ることはですね
美しさ作品としての美しさと情報の圧縮量とかですね
そういうことを考えてしまうわけです
では今日はちょっと声量を落としてですね
優しく丁寧に優しくてお腹使うので
頑張って演じたいと思います
三中門道 李伯
四人と何の言い合ってか
碧山に住むと笑って
答えず心おのずかな
かなり薄い養禅として去る
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別に天地の人間にあらざるあり
いかがでしたでしょうか
今日は喉に優しく吟ずることができました
体調が悪い時ほどお腹使うの大事ですね
ということで今日はこんな感じにしたいと思います
えっと明日は限定公開アドバイス
初めての方ですね応募してくださって
初めての方限定公開アドバイスをしたいと思います
なので通常配信はあさってになりますね
ではでは今日ちょっといつもと違う感じの内容なったんですけれども
コメントいただければとっても嬉しいです
詩吟のミルクを発信する詩吟チャンネル
今日は以上ですどうもありがとうございました