あのー、ちょっとすごい直近のことで言うと、
昨日ね、あのね、ポッドキャストの公開収録イベントに行ったんですよ。
お、いいですね。何のポッドキャストだったんですか?
あのー、イメージキャストです。
あの有名な。
あのオールチャンネルにお勧めしていただいて、私は知ったんですけど、イメージキャストの。
なんかね、公開収録イベントを1年前にやったって言ってたかな?
多分1年ぶりとからしく、東京でやってたんですけど、
あのー、2回分の収録を目の前でしてまして、
生であずまさんとてっとうさんが反してるのを見ました。
あー、いいな、いいですね。
面白かった。
いやー、生で見たら全然また違うかも。
うーん、そうだね、確かに。
全然顔知らなかったから。
そうだよね。
うーん、そうそう。
で、2回分なんで、前半が2人のお話で、
後半は働き者ラジオの工藤文子さんが加わって、3人で話してて、
もうめっちゃ面白かった。
いいですね。どんなお話だったんでしょうか?
あ、まだこれ言わない方がいいか。
詳しくは実際に聞いてもらえればいいかと思うんですけど、
面白かったポイントで言うと、工藤文子さんが話した後半のところは、
工藤さんってAIと社会に詳しいという研究者の方なんですけど、
あんまりAIと社会の話、いつもそんなにしてないという話があって、
ちょっと今日は聞きたいと思いますっていう感じの導入で、
結構AIの話をしてました。
イメージキャストも結構、いつもAIの話してる。
そうそうそうそう。
盛り上がりそう。
盛り上がりました。かなりね、批評的な内容でしたね、でも。
へー、そうなんだ。
つまりそのAIをどういう風に活かすかとか、何かを発掘するかみたいな話ではなく、
AIの疑わしさとか、その背後にある者たちの思惑とか、
AIがどういう風にこれから立ち回っていくのかとか、
法律のこと、それから中世の時代の人間の人権というものを踏まえた、
これからのAIの存在感みたいな話とか、
非常に知的好奇心をくすぐるような内容で、なかなかすごかったな。
それでいて、あの方たちのお話って結構身近な感じもするし、いいんですよね。
場所がパン屋さんだったんですけど、
パン屋さん。
パン屋さん、江東区にあるパン屋さんでやっていて、
パン屋さんが結構ね、広いパン屋さんで、カフェスペースがあるとこなんですよ、奥の方に。
手前がショーケースとかね、パンが棚に入っていっぱい置いてあるとこで、
奥に入るとソファーとかテーブルのスペースがあって、
あそこの部分で収録していると。
だからパン屋の営業をやりながら、
営業ね。
営業をやりながら全然、いらっしゃいませとか言って、
そこでイメージキャストって言ってた。
あ、緊張しそう。
ね、緊張してたよ、すごい。
そうだよね、いつも家でやってること。
家でやってるのにね。
いや、ちょっと聞くの楽しみだな。
ぜひ。私の笑い声が入ってるかもしれない。
いいね、その生な感じが。
生な感じが。
臨場感がありそう。
お楽しみとしてガチャガチャが回せるっていうのを持ってきてて、
ガチャガチャを回すとカプセルが出てきて、
中にグッズのピンバッチとかプクプクシールみたいなの入ってたりして、
お楽しみだ。
お楽しみでした。
あとステッカーがめちゃめちゃ配られてて、面白かったね。
大番振る舞い。
大番振る舞いでした。
いや、いいですね。
そういうイベント。
イベント。さすがの人気でした。
楽しみです。
これが直近で昨日あったことで、もうちょっと前の話なんですけど、
行ったとこがあって、
これはですね、兵庫県神戸市にあります海外移住と文化の交流センターっていうとこに行ってきました。
これはね、何かっていうと、
建物を見てもらうと、写真とかで見てもらうとすごいね、結構立派な建物なんですけど、
もうこれ立ってね、98年経ってるんですよ。
すごい歴史があって。
歴史があって。
だから1928年に開設された建物で、
施設当時は国立移民収容所という名前だったんですよ。
この移民っていうのが何かっていうと、
今その日本ってある程度、海外から来る移民の人を受け入れる立場である国なんじゃないかと思うんですけど、
そうですね。
実はこの移民っていうのはですね、日本から出て海外に行く日本人を指してるんですよ。
日本人っていうのが、あえてすごい言うことでもないかもしれないけど、
昔はどんどんで稼ぎのために海外に行く移民の立場だったっていう話があって、
これは最初は1800年代の後半とかからなんですけど、
結構どんどん日本の人口が増えて、海外が働き手を欲しがって、
どんどん仕事したいというニーズもあって、結構外国に行ってるんですよね。
そうだよね。
これは最初はカナダとアメリカだったんですけど、1880年代とかかな。
そうなんだ。
そうなんですよ。北米だったしね、最初。
どんどん行ったら、アメリカに日本人が増えすぎた時期があって、
それでアメリカが、これはやばいかもって言って、
日本人来るのもうやめてくださいって言って、止めちゃうんですよ。
で、止められてしまって、南米とハワイですね。
が、次の移民の入場先になるわけです。
南米とかハワイのイメージが強いです。
そうですね、でもその前に一個あるんですよ。
北米の方があったらしい。
なんかね、面白いですよね。
で、主にハワイと南米、ラテンアメリカに日本人が渡航を始めて、
これでもまだ最初始まった時、本当に1890年代ぐらいかな。
うん、ですよね。
最初、ハワイに官役移民って言って、
国同士が条約を結んで、働き手に行ってもらって契約労働するみたいな、
なんかそういう感じだったんだけど、
途中で第一次世界大戦になったら、
そうすると、日本の国としての思惑が、
働き手を外に出すんじゃなくて、植民地を広げるって方向になるわけですよね。
それで満州とか、韓国、台湾、ミクロネシア、大平洋の国々に人を送って、
規制自治的に植民地的なことにしていくっていう流れになって、
その後、戦争が起こって、みんな大寮に戻ってくると。
ただ南米はやっぱり遠すぎて戻れなかった人もいたみたいな、
そういうような流れで、
で、神戸の今、三宮の海外移住と文化の交流センターっていうのは、
1928年に開催されていて、海外に行ける港っていうのがその頃日本には限られてるわけじゃないですか。
神戸がやっぱり一番海外に人を送っていた港だったわけ。
だから必ずしも関西地域の最寄りの人が来てたわけじゃなくて、
例えば沖縄の人はみんな神戸から行ってるんですって。
そうなんだ。
九州とか沖縄から神戸にまず来るとは。
沖縄からもすごい行ってるイメージが。
沖縄ね、たぶん2番目に行ってるんですよね。日本から海外に行く。
Dが沖縄なんですけど、じゃあ移住者が一番多い県ってどこだと思いますか。
多い県。福島とか多いって聞いたことある?違うか。
たぶんその話は満州なのではないかと思いますが、福島もまあまあ多い。確かに。
どこなんでしょうか。
正解は広島県。
広島県なんだ。そうなんだ。あんまりイメージなかった。
そんなイメージないですよね。
沖縄が8万9千人、広島は実に10万人超えてます。
めっちゃ行ってる。
ダウンとストップなんですよ。
広島山口あたりがめっちゃ多いんですけど、
私これ聞いた話なんですけど、山口県の巣大大島っていう大きな離島があって、
そこに日本ハワイ移民資料館っていう資料館があって、そこに行ったことがあるんですけど、
広島山口からハワイにめちゃめちゃ行ってたという話があって、
その時に知った資料では、広島山口って浄土新州が盛んなんですけど、
昔って基本的に子たくさんじゃないですか、家族を作る時に。
ただこれはちょっと育てられないっていう人数生まれちゃうと、
みんなで貧しくなっちゃうので、今ではちょっと考えられない話ですけど、
例えば赤ん坊も浴びいたりしてたわけですよ。
ほんと増えすぎるっていうような時にね。
なんですけど、宗教的な土壌で忠実とか間引きがあんまりちょっと良くないよっていう、
そういう教えが根付いていたと。
それで、とにかく子供がめっちゃ多かったらしいんですよね。
10人ぐらい夫婦から子供が生まれて、やたら人が多くて、
でもあんま働くところがなく、わりと外に出る雰囲気だったらしいんですよ。
出稼ぎとか。
出稼ぎとか、そうそうそうそう。
それで、なんかめっちゃ言ってたみたいなことが書いてありましたね。
ああ、そうなんだ。
そうなんですよ。
ちょうど神宗自体は、まあありふれた宗教ですけど、
わりと信仰の度合いが強いと言われてます。
倫理観があるところだったんです。
倫理観っていうよりかは、倫理観ではないんだろうね、別に。
そうか。
命を大切にするために殺してなかったわけじゃなくて、
その教えを守るためだと思うんですよね。
結局みんなで死んだら意味がないからね、本当は。
熊本も多いんだね。
熊本も多くないですか。熊本3位なんですよ。
この辺はなんかあれですかね、もしかしたらキリスト教とかが関係しているかもね。
どうなんでしょうかね。
同じカトリックというのがあるかもしれない。
結構偏りがあるな。
かなり偏りありますよね、これね。
全然行ってないとこは行ってない。
行ってないですね。
そうなんですよ。
というようなことで、
日本から海外に行ってた人たちのいろんな資料を展示してあるとこなんですけど、
なんか興味深かったですね。
展示の内容として、もともと国立の機関で途中で神戸市に建物が譲られて、
今は神戸市の持ち物なのかな、なんですけど、
やっぱり日本が海外に移民を送っていたっていう事実って、
そんなに都合良いものじゃないじゃないですか、国として。
そうだよね。
あんまり良くないんですよ、多分。
建前としての展示の仕方がかなり配慮があるというか、
しかもなんていうんですか、南米に送られた人なんか、
ちょっと本当にひどい環境のところに騙されて生かされたみたいな人も多いわけですよね、
ハワイとかもそうですけど。
もちろんね、日本でもそんなに良い暮らしをしてなかった人たちが行ってるわけではあるんですが、
本当にインフラが整備されていないようなところに行って、
でも市から開墾して、コーヒーの木を植えて、コーヒーを収穫するとは。
コーヒーはとにかく金のなる木で、数年したらものすごい財産を得て、
また日本に、ふるさとに戻ってこれるって言われて出されてるんですよ。
っていうことで、国の機敏的な部分がかなりあったと。
ブラジルに関しても、ワンシューとかもそうですけど。
これを展示するっていうのは結構その難しい部分があって、
例えば、みんな厳しい環境に驚きましたが、
日本人として真面目に働き、ブラジルでは良い評判が立ちましたよとか書いてあるわけ。
で、ああそうなんですかと思って見るんですけど、
なんかちょっとね、展示が進んでいくと、ちょっと時代が深まったところのことを書いてあって、
これはね、戦時中の話なんですけど、
戦前にブラジルに移民として移住した日本人がいるじゃないですか。
で、その人たちが戦争をもうそのままブラジルで過ごすと。
で、結構やっぱり情報統制もされてて、
ほとんどニュースとか入ってこないような環境で、
でもなんか日本が戦ってらしいということだけ伝わってくると。
で、ある程度的確的なところがあって、
もうなんか全然外に出れなかったり、行動も制限されたりする環境でブラジルにいると。
でね、1945年に戦争終わるじゃないですか。
で、その時にブラジルに移民として行った日本人の中に、勝ち組と負け組っていうのが生まれてくるんですよ。
あー、それ聞いたことあるな。
ありますか、この話。あ、そうなんだ。違うとこで見た。
あのね、その女ジルバっていう漫画で出てきたの。
そう、私は読んだことなかったので知らなかったんですけど、
その話ではどんな風に書いてありました?
いや、ちょっと言葉の記憶しか今思い出せない。
じゃあちょっと私が説明しますけど、
勝ち組負け組っていうのは、勝ち組が豊かになれた人で負け組が貧乏になったみたいな、
という意味じゃないんですよね。
それはわかりますよね。
これ勝ち組っていうのは、なんと戦後も日本が小戦国だと思い込んでる人たちのことなんですよ。
あ、そうだ。
思い出した?
うんうんうん。はいはい、そのシーン出てきたわ。
出てきました。
で、負け組っていうのが、その敗戦国っていう情報を受け止めて理解した人たち。
で、終戦後にこの派閥の分断がすごい激しくなって、
なんかすごい殺し合いとかに発展したらしいんですよ。
奇襲をしたりとかね。
その、日本が勝ってるっていうデマがすごいはびこっていて、
そっちの方が多数派だったらしいんですね。
でも戦後10年以上ずっと日本は勝ったっていう風に思い込んでいたと。
その、なかなかやっぱり日本に遠いしね、帰れなかったんだけど、
まあ戦後にね、終戦後に帰国事業みたいなのがあって、
あの移民の人たちを一回日本に返してあげようみたいな。
ので一旦帰国したみたいな時も、
もうさ、戦後の復興が日本で早かったわけじゃないですか。
いろんなことがあって。
で、日本がものすごい活気があって、
しかもその天皇も生きてるし、
全然敗戦したっていうのをまだ帰ってきても全く信じられなかったと。
で、日本ではある程度その玉音放送とかがあったから、
みんなああまあそうかってなったけど、
それがなかったから全然理解できなかったんだって。
で、そのことが最終的に本当だと分かった時に、
やっぱりその日本人としてのアイデンティティが急速にその喪失を強めて、
まあ集団自決みたいなことも起こったらしい。勝読みの中に。
すごい話だな。
すごい話ですよね。
でね、なんかこれがすごいおもろいなと思って写真を撮ってたんですよ。
で、そしたらなんかさ、急におじさんに話しかけて、
あなた興味あるの?みたいなこと言われて、
あの施設の人だったんですけど、このセンターの。
なんかね、やたら気さくな感じの人で、
海外移住と文化の交流センターのスタッフさんのおじさんだったんですけど、
で、なんかどうして今日ここに来たの?みたいなことを聞かれたりして、
いろいろ話をしたんですけど、
なんかこうさっき言ったように、
この移住ミュージアムっていう医療館の部分って、
多分に言いづらさが伴っていると。
なんでこう移民を出したのかとか、
その人たちが何の仕事に就いていたみたいな話とか、
どんな扱いを受けたみたいなことは、
割と巧妙になんとなくマスクされてるとか、
あえて書いてないみたいな感じがあって、
どういう人だったかとか、
なんかそれは結構そのおじさんがいろいろ補足をしてくれて、口頭で。
この勝ち組負け組の話とかも、
いやもうこんなことはあんま書いてないけど、
ほんまにヤクザみたいな人も行ってるからね、とか言ってて。
もうなんかね、ガラ悪いのもいっぱいおるんですわ、みたいなこと言ってて。
で、こういうのも起こるんですね、みたいな話をしてて。
奇策だな。
奇策だった。
全然書いてないけど、
実はその日本っていうのは、この書いてあること以外に、
かなりね、ロシアに移民を送ってると。
で、なんか結構ね、5万人くらいは行ったらしいんですよ、戦前に。
あ、そうなんだ。
そう、結構な数行ってるんですよね。
で、たぶんその曲と、シベリアとかの開発っていうか、
開墾なんだと思うんですけど、目的は。
でも、結構あんまり書かれてないこととして、
ロシアに行った人はめちゃめちゃ女性が多いと。
しかもなんかね、長崎の女性が多い。
あの、若い女性が多くて、
結局なんかその、いわゆるカラエキさんと言って、
体を売るために行っていたという話があって、
でもこれはなんかあんまり、
こういうとこには絶対書かれないんだけど、
そういうこともありますよ、みたいな話とかをしてくれました。
あ、すごい。
調べたらね、確かにね、論文書いてる人はいました。
なんか統計を調べてね。
それがなんか本当に、その人たちがその目的で行ってたのか、
もしくは、なんかそういうつもりなく行って、
結局はその仕事しかあってがわれなかったのか、
っていう研究をしてる人とかは結構、
ちょこっといたりすることが、後で調べてわかった。
あー、そうなんだ。
そう。やたらね、話しかけてくるスタッフの人がいて、
気さくて面白かったです。
いろいろ教えてくれたんで。
いろいろ教えてくれましたね。
他の人にもすごい話しかけてて、
なんかさ、ちょっと派手な服を着てる人に、
日系の方ですか?って話しかけてて、
日系ブラジル人の人が結構見に来てくれるから、
話しかけて話し込んだりするらしくて、
ちょっと面白かったです。
あー、そうなんだ。
で、こういうね、修行所っていうのは横浜とかにもあったんですけど、
結局、負の遺産的な部分があるので、
なかなか残らないんですよ。
神戸も一旦、阪神大審査に会ってますから、
その時にそれをね、木に壊されようとしたんですって、一回。
もう、神戸市が。
でもそれを知った、
あの、サンパウロの日系人の会の方々が、
ぜひ残してほしいって言って、
神戸市に弾丸して残ることになったらしい。
なるほど。
だから日本で唯一、その移民修行所だった建物が、
そのまま残ってるのがここなんですって。
で、建物自体は残ってないけど、
これと似たような施設で、横浜にJICAがやってる施設もありまして。
海外移住資料館かな。
そうですね。
で、私が神戸市のスタッフのおじさんに話しかけられた時に、
いや、いつも東京にいてって言ったら、横浜にもあるよって言われて、
まだね、行ったことないので、
ここはなかなか充実してそうなんですけど、
ただ、またちょっとね、たぶん感じが違うと思うので、
いずれ行ってみたいなと思ってます。
確かになんかいろいろ資料ありそう。
そうなんですよ。
私が最初にこの日本から出る移民について興味を持ったのって、
2つの観点があって、
なんか1つは何回かお話ししてる、
友人の原田裕樹さんっていう人が、
広島山口のルーツがある方で、
結構このハワイに渡った移民についてのリサーチをして、
作品を作ってるアーティストの人なんですけど、
これで気になったのが1つで、
もう1つの観点は、私の祖祖父がやっぱり満州に行ってたんですよね。
祖祖父というか、祖祖父とか祖祖父母の家族とか、
たぶん最初の頃に本当に満州に行って、
2世代ぐらいはもう満州で暮らしてたような人たちだったんでしょう。
結局戦後引き上げてくるんですけど、
引き上げてきた時ってみんなもう日本の家ってないじゃないですか。
それで国が用意した引き上げ車住宅っていうのに住んでたと。
私この引き上げ車住宅って日本にほとんど残ってなくて、
最後に残ってたのが今度壊されるみたいなニュースが数年前にあって、
やっぱり移民の歴史って負の遺産なので、
でもそこにずっと住んでた人たちもいて、
立ちの木を迫られて立ちのいたんですけど、
実は私祖祖父母の家って結構ちっちゃい時に行ってたんですよ。
2人とも長生きだったんで、
そこが後で最近それが引き上げ車住宅だったってことが分かって、
そのまま住んでたから。
確かに今思い返してみると、
非常にこじんまりとした変わった家だったんですよね。
普通の民家じゃなかったんだよ。
長屋的な感じなんだけど。
他にも一緒に引き上げてた人が、
例えば同じような形の家があるとか。
そうそう、エリアに同じ人たちが同じような家に住んでるっていう感じだった。
今だんだん思い出してきましたけど。
兵庫県の姫路にあったんですけどね。
昔は満州の引き上げ車住宅がたくさんあったエリアがあったそうです。
今調べたらそうだったことが分かった。
そっか。
そうなんですよ。
もうそこはないんですよね。
もうそこはないですね。
というか日本中にもう残ってない。
最後は大阪の貝塚市っていうところにあったんですけど、
それもなくなってしまった。
そんな歴史があったんだ。
そうなんですよ。
だから自分と関係なくもないというか、
大いに関係あるというか。
神戸か横浜にぜひ行ってみたい。
これはあんまり不の遺産なので、
日本人として見たくない部分だから絶対見た方がいいっていう部分であるなと思いました。
そうですね。
海外移住と文化の交流センターってインタビュー映像が結構いっぱいあって、
それがなかなかおもろいんですけど、資料の中にあるんですけど、
いろんな人が何人くらいかな、
20人とか30人近く2分から10分くらいのクリップがいっぱいあるような、
そういうモニターがあってそれで見れるんですけど、
実際に日系人で今この近くで暮らしてますという人とか、
ブラジルですごい活躍してますという人とか、
そういう役職がついたみたいな偉くなっている人もいるし、
今まさに3歳とかで10代20代の人とかいたりとか、
私がすごい興味持ったのはなんか主婦の人で、専業主婦の人で、
めちゃめちゃ顔日本人なんですけど、2歳かな、
めっちゃポルトガル語しかほぼしゃべれないんだけど、
急に家族の都合で日本にまた戻ってくるようになって、
PTAとかめっちゃ最悪でしたみたいなことを言ってて、
本当に嫌だったって言ってて、
なんかリアルだなと思って、
それはそうでしょうね。
最悪だろうなと思って、
見た目で絶対日本人だと思われちゃうかなとか言ってて、
いやー苦労だな。
苦労だな、本当笑い事じゃないですね、やっぱり。
あとさ、全然日系人でもなんでもない人が1人インタビューの中にいて、
これめっちゃ面白かったんですけど、
肩書きがね、アイディンってなってて俳句を読む人なんですけど、
神戸在住で、子供の時から神戸港の近くで、
ずっと神戸港から出て出港してね、
サンパウロに行く船を行くたびに眺めてたっていう人がインタビューに答えてて、
行くたびにね、俳句書いてたら結構それが溜まってきて、
自分は全然行ってないんだけど、
インタビューに取り上げられることになってて、
面白かった。
当時のことを知ってる。
そうですね。
一応ね、1970年代くらいまで行ってたのよ、船で。
1971年が最後の船での移民で、
それ以降は行くとしてももう飛行機になってしまったって。
めっちゃ最近だな。
いや、意外とめっちゃ最近ですよね。
ね。
移民の人たちは、すごく暑い中旅立つんだけど、
きちっとね、よそいきの服を着てますねとか、
ハンカチを振るんだけど、
ハンカチが手元から離れていって、
ひらひら飛んでますねみたいな、
情緒的なものがあったりとか、
いろいろね、読んでるのも面白かったです。
見てた人もいるんだなっていうのを思いましたね。