皆様こんにちは、スピリチュアルラジオです。 今日は、私が覚醒を通じて変わったことについて、ちょっと話してみようかなと思います。
スピリチュアルと一言で言っても、スピリチュアルの定義は人それぞれで、また、目覚める、覚醒といっても、そこにもレベルのようなものがいろいろあるんですけれども、
私は、覚醒体験をして、自分が体験する出来事を、どのレベルで見るのかということを日常で選択しています。
ドロドロの人間レベルでの見るから、スコーンと抜けた宇宙意識のレベルでの見るを行ったり来たりしています。
こんな私の見る体験を踏まえながらお話できたらと思います。 私自身のスピリチュアルの定義としましては、
以前、第33回で、私が考えるスピリチュアルの定義というところでお話ししていたかと思うんですが、
私にとっては、生きているすべての人がスピリチュアルな存在で、私たちはみんなつながっていて一つであるということです。
一つであるのになぜそれぞれ違った体験をしているのかというと、それは大きな木に例えられるかなと思います。
私たちはそれぞれ大きな木の葉っぱであり、枝でつながっています。
見方によっては一つ一つの葉っぱとして認識されますが、見方によっては一つの大きな木として認識されますし、また枝などとまとまった形で一つとして認識されることもありますね。
一つの大きな木がそれぞれ違った体験経験をしています。
そして一つの大きな木の葉っぱですね。一つの大きな木の葉っぱそれぞれが違った体験や経験をしていますね。
そして葉っぱのそれぞれは他の葉っぱの体験を別々のものとして認識しているかと思います。
私たちもそれぞれ別々の体験、経験をしていますが、私たち一人一人のユニークな経験を通じてどのような呼び方をしてもいいんですが、
宇宙、神様、存在の源、大いなる存在、そのような存在はそれぞれの葉っぱの体験を通じて様々な体験をしています。
この経験は地球の存在だけのものではなく、宇宙に存在する地球以外の星での経験もすべて含まれます。
ですがまあこの話をするとぶっ飛びすぎてしまいますので置いておきたいと思います。
私にとってのスピリチュアルの究極は覚醒で悟りと言ってもいいかもしれませんが、
自分自身がその大いなる存在、存在の根源であったり宇宙、神様と同一なんだと腹落ちして知る体験だと認識しています。
すべてが愛の存在であること、自分と他人という括りが究極にはないこと、すべての繋がりを感じること、
感じるだけではなく、それがわかるということ、善悪がないこと、そして死というものがないということがはっきりとわかる。
すべての体験がそのままありなんだということをはっきりと知る、ということが悟りであり覚醒です。
そして同時に私たち一人一人の根本は愛の存在なんだと知ることも悟りであり、覚醒の大きな体験の一つだなと思います。
ちょっと同じようなことを2回言いましたね。
相手がどんなに憎ったらしい存在だったとしても、その人も根本は愛の存在であることを知っていると、
いつかあなたとその相手との関係をあなたの中で手放す助けになりますので、どうぞ忘れないでいてください。
このような覚醒体験を通じ、その後もさらなる気候のトレーニングを通じて、自分自身の認識が変わったことの一つに、
死ぬということに対する認識がはっきり変わったかなと思います。
私は子供の頃から目に見えない世界との興味やつながりがありましたので、死後の世界があること、魂の旅が続いていくことは漠然とわかってはおりましたが、
私たちは一つであるという言葉を頭ではわかっていても、それまでは腹落ちしてわかっていなかったので、
覚醒前と覚醒後の死に対する自分の認識の感覚が変わったことを実感しています。
今私がどんな感じで死について見ているのかというと、それ自体は美しいものだと感じています。
魂にとっては肉体を持って様々な経験をするということは喜びであります。
それと同じように肉体を離れることも喜びであり、そして美しい新しい旅立ちなんですね。
ただ誤解をしてほしくないことがありまして、このラジオを聞いている人たちは魂の真理を知りたいとか、
霊的な自分に目覚めていく準備ができた人たちしかいないかなと思うので、心配は必要ないかなとは思うものの、
実際にはこのような話をどこで発言するのかということを、誰に対して発言するのかということを気をつける必要はあります。
どうしてかというと、まだ準備ができていない人にこのような話をすると、
では人を傷つけてその命を奪っていいのかとか、自ら肉体を離れることを選択してもいいのかなど極端な解釈をする人たちがいるんですね。
なので気をつけないといけないかなと思っています。
究極を言ってしまえばどちらもダメということはありません。
だけれども、霊的に成長した魂が人を傷つけることはありませんし、そうしたいとも思いません。
霊的に成長すると、人を傷つけることは自分を傷つけることとイコールであることを知っていますし、反対もまた同じですね。
自分の現実は自分で作り出していることもわかるので、人を傷つけるという行為をしてしまった場合、その周波数は自分に必ず戻ってくるということがわかります。
なんともね、このような感覚を言葉で言語化していくことは難しいですね。
スピリチュアルに目覚めると、結構こうした考え方に対して、何というか矛盾をはらんでいるような感覚がたくさん生まれてきますというか、
もう全てが矛盾でできていて、大きくもあり小さくもありとか、そういった相反するものが一緒に同時に存在しているんですね。
大きな括りでの話をすれば、私たちは自分が宇宙そのものであることを思い出すゲームをしている途中なんです。
私たちの根本は愛なんだということを様々な経験を通じて思い出していくということをやっているんですね。
それには一つの人生だけでは難しくて、いくつもの人生を重ねることを選択する魂もありますし、
地球での人生は一回きりという魂もあります。時には悪役を選択する人生もあるかと思います。
話を聞いてバカバカしいと思う人がいるかもしれませんが、もしそうだったら、物の見方がガラッと変わるのではないでしょうか。
もし私が間違っていたとしても、このアイデアをあなたが持つことが、あなたの人生を有益なものにしてくれるのであれば、そこに価値があるのかなと思います。
スピリチュアルに目覚めると、自分の人生に責任を持つようになりますので、周りに対して起こることも少なくなりますし、物事がよく見えるようになります。
まさに俯瞰して物事を見ることができるようになるんですね。
ではどうしたらスピリチュアルに目覚めることができるのかなという問題も出てくるかなと思うんですが、
瞑想をやったり、マインドフルネスを心がけたり、ヨガをやったり、ヒーリングを受けたり、自己啓発系の本を読んだりと、いろいろなことをあげることができます。
なんですけれども、私がやっている古式マスターヨガ機構はとてもいいですよ。
最後の最後に営業をかけてくるんかーい、というツッコミをいただきそうではありますが、
皆さんが思い悩んでしまう原因は単純に気が足りないということと、気脈が詰まってうまくエネルギーが循環できていないことがほぼほぼ100%です。
なので頭だけであれこれ思い悩んでしまうんですね。
思考を使いすぎると直感が働きにくくなりますし、魂である自分自身とのつながりも感じにくくなります。
特別な呼吸法と意識の使い方を学び、気脈の詰まりをとって、チャクラを使える状態にして、しっかりと気を満たし練っていく。
悟り覚醒が目的ではなくても、深い呼吸と意識を用いて気を練って回していくことは、
単純に、純粋に健康に良いですし、ベルビーングがバッチリ整っていきます。