小説『本心』の背景
絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組はモザースリートのカフカが、日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
好きなスポーツドリンクはボディメンテです。さて今回はですね、平野圭一郎さんが書かれた
本心という小説についてお話をしていきたいなと思っております。 まあこの小説実はブック沼ラジオで岡さんに紹介していただきまして
面白そうだなぁと思って購入して僕も読みました。 でこの小説は何を描いているかというと近未来のSF小説なんですけれども
人間理解について書かれている小説だなと個人的には思いました。 そこで今回は僕なりに人間の本心とは何なのか
それをマズロの五段階欲求と絡めて自分なりに考察をしていきたいなと思っております。 さてでは平野圭一郎さんが書かれた小説本心
簡単にあらすじをご紹介していきたいと思います。 舞台は2040年代の日本になっています。
なのでまぁ少し先の日本といったイメージで持たれてください。 なので少し科学技術が発展をしています。
その中で自由主と呼ばれている自殺を合法化するようなものが認められています。 そんな中最愛の母が自由主を求めていることがわかるんですね。
でその本心を探る前に母は自己死をしてしまいます。 主人公は母の真意を知るために最新技術を使って母のAIを作成します。
そのAIと対話を重ねながら母の友人とか関係者に会って母の知らなかった 一面をだんだん知っていくんですね。
そこで母の本心を探っていくそんな作品になっています。 その他主人公の友人だったり
恋人になりそうな人と出会ったりする中で彼自身の本心にもだんだん気づいていく そんな作品になっているんですよね。
マズロの5段階欲求
とまぁあらすじはここまでにして 平野圭一郎さんといえば文人主義が有名ですよね。
文人主義というのは まあ本当の自分というのは一貫した自己、一つの自己ではなくて他者によって見せる顔
そのすべてが本当の自分なのだという考え方なんですが 今回の話で言うなら亡くなったお母さんが主人公に見せていた顔
それも母にとっては本当の自分だし主人公が知らなかった母の人間関係で見せる顔 というのも母の本当の顔
なんだというのが文人主義的な考え方ですよね でそれを描きたかった作品なのかなぁと個人的には思ったんですが
読み進めているうちにいやそうではないなっていうふうになんか気づかされたんですよね まあここでは
母がなぜ自由主を選んでしまったのか まあ正確に言うと自由主を選んだ状態で自己主張してしまったのか
ということはまあ 言及せずにいきたいと思っているんですが
では何が母の本心だったのかというのは 結局その対人関係によるものももちろんそうですし
その人が置かれた環境によるものが大きいんじゃないのかな まあそれを描きたい作品だったのかなっていうふうにも僕は思ったんですよね
でそれは従来の文人主義をアップデートするような形で まあこの作品では描かれているんだろうなっていうふうに僕自身は感じとり
ました でその環境をうまく言い表すとしたらということで
マズロの5段階欲求を絡めてお話していきたいなと思っています まあご存知の方は多いと思いますがマズロの5段階欲求というのは
人間の欲求というのは5つの段階に分かれてそのピラミッド構造になっていると で定時の欲求が満たされると
工事の欲求はまとめられるようになっていきます 一番下から生理的欲求これは食欲とか睡眠欲など生存のための基本的な欲求と言われています
続いて安全の欲求ですね まあこれは言わずもがな健康とか経済的な安定ですね
そして社会的欲求家族友人関係などに所属をしたい仲間を得たいという欲求ですね そして承認欲求他者から認められたいという欲求です
そして最後に実装自己実現欲求ですね 自分の価値観人生観に基づいて自分が満足できるような自分になりたいという欲求ですね
実はもう一つ上の欲求があるというふうに言われていたりするんですが今回は一旦 5段階欲求として考えていきたいと思います
本心との向き合い
なぜ人の置かれた環境がこの5段階欲求で言い表せるのかというと それぞれ自分がどの段階にいるかによって自分の欲求は異なるということですよね
でその自分の置かれた環境に応じた欲求 つまり本心が人それぞれによって異なるっていうことなんですよね
例えば本心という小説の中である人物がテロを起こします でそれはなぜ起こすかっていうと貧富の差に絶望した人物が
テロを起こしてしまうんですね つまり経済的安定安全の欲求が満たされていないということに
憤慨した人間がテロを起こしてしまう で主人公は
そのテロを起こした彼と少し前まで全く同じ状況に置かれていたんですね まあだからこそテロを起こした犯人にめちゃくちゃ共感をしてしまう場面があったんです
だからテロを起こした犯人のこの安全の欲求を満たしたいという 欲求に対してはまあ本心それもまた本心なんだろうなーっていうふうに
この作品では描かれているんです まああとは
男女の恋愛関係 まあその嫉妬心として社会的欲求が描かれていますね
つまり恋がたきに対して嫉妬してしまう感情 まあその
その人をどうにか落とし入れてやりたいという欲求みたいなものが 芽生えてくるそれもまた本心という描き方をされているんですよね
まあこのように どの欲求が満たされているのか
そしてどの段階に自分がいるのかによって欲求は異なるし その人によっての本心も違ってくる
平野圭一郎さんの文人主義が素晴らしいなと思うのが 従来の考え方だと人間って自己同一性
つまり 一貫した自己を保ちたいという欲求があったと思うんですよね
でも彼はそうではなくて まあいろんな醜い欲求を持つ自分さえも本当の自分なのだ
それをまず認めることが大事なんだっていうふうな考え方をしたんです でそれがまあ小説として描かれているのはこの本心なんですけれども
僕自身は 僕自身の人間に対する理解というのもその通りなんですよね
一貫した自己なんて存在しないし一貫しているように見えている人も実はそうではない っていうのが僕に対する人間の理解なんですよね
だから今回その文人主義がアップデートされたような形で描かれていて いや本当にすごい小説だなというふうに感じました
でここから先は僕の考察なんですけれども まあさっきまでの僕の考察なんですが
結局人間は醜い自分の本心と向き合わざるを得ない場面というのはやってくると思うんです でもその時に何が大事かっていうと
行動するか否かなんですよねその欲求に基づいてその本心に基づいて行動するか否か だから主人公の友人がテレを起こしてしまった
でも主人公はテレを起こしたいという気持ちはよく理解できた その差はやっぱり行動するか否かなんですよね
見にくい嫉妬心を抱えてその嫉妬心をもとに相手を攻撃するか否か それを抱えて何か別の行動に消化させるか否か
だから まあ一貫した事故なんてなくてもいいし見にくい欲求なんて抱えてもいいから
相手の尊厳を落とすとか落とし入れるような行動しないということが大事なのかな っていうことを改めて考えたりしました
最後にこの小説の中で出てくる 母のかつての知り合いの方
との主人公との会話をご紹介していきたいと思います まあその知り合いの方というのが小説家の方なんですね
でその小説家の方がこんな風に言います 僕はあなたのお母さんとの関係を通じて小説家として自分は優しくなるべきだと
本心から思ったんです僕の作風の変化についてはいろんな人がいろんな理屈をつけました けど一番大きかったのはそれです
今あなたに初めて言うことです と言ったんですよね
つまり何が言いたいかっていうと この小説家の方は
お母さんとの関係を通じて いろんな本心がある中で優しくなるべきというふうに思って行動を変えたんですよね
だからまあ醜い本心もあったでしょう まあ嫉妬心もあったでしょうでも
その中で優しくなるべきだ その上で行動するべきだっていう風に彼は
考えを改めたっていうことなんですよね だから
優しくなって行動をしよう いろんな本心があるけれども優しくなって行動しよう
っていうことが大事なのかもしれないなぁってちょっと思いました 何を当たり前のことを言ってるんだっていうことかもしれませんが
僕自身その本心との向き合い方っていうのは本当にその通りだなっていうふうに 思わされた作品でした
というわけで今回は以上になります最後までお聞きくださりありがとうございました ではまた