1. 絶望カフカの何者かになりたいラジオ
  2. #77 彩色の精神と脱色の精神
2024-06-18 10:52

#77 彩色の精神と脱色の精神

気流の鳴る音/真木悠介
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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望はアキレス腱痛です。 さて今回はですね
彩色の精神と脱色の精神というお話をしていきたいとおもいます。
社会学者の牧雄介さんが書かれた 気流の鳴る音という本があります。
こちら1977年に書かれた本なんですけれども すごくいいなぁと思う本なんですよね。
牧さんの思考というか、なんていうんですかね思想がオムニバスのような形で書かれています。
その中に彩色の精神と脱色の精神という章があるんですよね。
彩色と脱色とは何かというと、彩色というのは彩る色。
脱色というのは抜ける色ですよね。 こうやって僕らの精神というのは
彩られたり抜け落ちたりする。 そんな風に言っている。
まあそんなお話を していきたいとおもいます。
ではこのどういう時に彩られて、どういう時に抜け落ちるのか、僕らの精神は。
というのを 牧さんはですね
さらしな日記に書かれている お話の中を引用してこんな風に言ってるんですよね。
まあある女性が猫を大切に飼っていると その中その女性が
とある夢を見ます。それが 猫が喋り出すという夢でした。
その猫は身分の高い ダイナゴンと呼ばれる職員の方の
まあ娘なのだということを言っているわけです。 そして
夢は覚める。 でその女性にとってその夢っていうのが
とてもこの猫との一つの思い出になった 出来事だったんですね。
実際には猫がそんな くらいの高いダイナゴンの娘なんてことはありえないんだけれども
女性にとってはそれが日常を彩る一つのピースだった っていう風に言ってるんですよね。
彩られる精神の一つのピースだったと。 対して
フロイト。フロイトは夢を分析する という手法で
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一躍有名な心理学者になってますから この日常の現実が夢の延長として語られるわけです。
つまりフロイト的に言えばその猫が急に喋り出したということはあなたの精神は今 このような状態になっていますとか
何か身分の高い人に憧れがあるのではないでしょうかとか そういうふうに分析をする
それはマキさんが言うには 精神が抜け落ちてしまう脱色の精神に近づいているのだと言ってるんですよね
もっとわかりやすく言うなら脱色の精神というのはいつも冷静で理性的で 分析的で
周りの人が面白がっているけれども自分は そんな面白くはないといった調子で
世界を脱色する人 そして
彩色の精神っていうのは 何でも好奇心旺盛であっていろんなことを面白がって
人間や思想に興味深いという気持ちを持って 周りの人が何でもないと思っていることに
いろんな意味を見出す たとえつまらないものだったとしてもそこから
何か意味を見出すというのが 彩色の精神を持った人
とマキさんは言っているわけです まあとても平たく言うなら
正しさを求めるのが脱色の精神で面白さを求めるのが彩色の精神と言い換えてもいいかもしれません
皆さんは 脱色の精神をお持ちでしょうかそれとも彩色の精神をお持ちでしょうか
これは人によって0-100だったりその時によって0-100だったりするわけではなくて すごくグラデーションのように
移り変わっていく ものだと僕は思っています
その上で今あなたの精神は色が抜け落ちてないでしょうか とはいえこの脱色の精神
というのも決して悪いものではないんだということをマキさんは言ってるんですよね 例えばこんな風に言ってます
冷静で律的な脱色の精神は近代の科学と産業を生み出してきた 例えばフロイトは我々の心の奥深くに近代科学のメスを入れようと試みた
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パイオニアである そして科学と産業の勝利的前進とともに
この脱色の精神は世界中の人々の心を捉え その生きる世界を脱色していった
と言っているんですよね 確かに
脱色には力があるでもその脱色の精神によって僕らの精神は 色がなくなっていってしまう
なんかそれはある種パラドックスのようなものなのかもしれません 自分自身はどうかと言うとですね
アスリートだった時 うまくいかないことに対してじゃあ自分にとっての正しさは何なんだろう
っていうことをずっと考えていました 正しさばっかりを考えていた だから
競技力を伸ばすというところ の正しさに目を向けるがあまり本来
その 走るっていうことだったり一生懸命に何かを打ち込むことへの面白さっていうのを
なんとなく忘れてしまっているような感覚っていうのがあったんですよね 面白がるってことを忘れていた
だから精神が抜け落ちてしまっていた なんかそんな感覚っていうのは非常にあるなって思ってます
じゃあ今はどうかと言うとですねアスリートを引退して 今どうかと言うとですね
まあ相変わらず正しさばっかりを求めているなっていう感覚は僕の中にあります それはなんか僕自身の気質というか
あの傾向なのかもしれない けれどやっぱり仕事で
成果を出す 何か役に立つ人間になる
そのためにはどうしたらいいのか 自分にとっての正しい
努力って何だろうってことを考えて 資格試験にチャレンジしてみたり
仕事で何かこう成果を出すために全身全霊で頑張ってみたり まあ求められることはしっかり全部やってみようっていう形でいったり
何かこう ちょっと妄心というか
そこを一歩の道にめがけて正しさばっかりを求めてしまうような部分っていうのはあります ただ一方でですねまあこれアスリート時代からもそうかもしれないんですけど
いろんな音声配信をしてみたり本読んだり まあ本読んで読書会をしたり
何か興味関心の幅を広げていろんなことを面白がっている中で 彩りの精神みたいなものを育てるっていう機会
経験そういう時間っていうのも 同時多発的に自分の中では起きてきている
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むしろそういう時間を積極的に取ろうとしているっていう部分もあるんですよね
だから僕は知らず知らずのうちにその脱色の精神に行きがち だから彩りの精神
彩色の精神を思い出すためにいろんなことをやっている いろんなことに首を突っ込んでいるのかもしれない
なんかそんな風に思ったりしました そうやってバランスを取りながら生きている
ただ やっぱりなんか僕の価値観としてですねやっぱりその脱色しないと
どこか突き抜けられないみたいなところってのは 非常に強く思ってんだなあっていうふうには思っているんですよね
何なんですかねこれはなんか僕の深い根っこの部分に何かがあるような気がしてますが そこまでの自己分析はできておりません
皆さんは現時点で脱色の精神がどのぐらいありますでしょうか あるいは今彩色の精神をお持ちでしょうか
あるいはその精神を育むような時間をお持ちでしょうか もしよかったら考える
機会になってくれれば嬉しいです まあ僕はこれからもあの極端になりすぎないように
生きていきたいなと思っています というわけで今回は以上になります最後までお聞き下さりありがとうございますではまた
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