割とそういうのを無視して自分たちが話したいことを話しているのがすごくいいなというか、
普通に会話しているのがすごくいいなと思いました。
そうだね、だからコンテンツを語るときって過不足なく伝えたいとか、
あとネタバレしちゃいけないとか、あとはちょっと人が気になるような感想を言ってやりたいみたいな、
そういうコンテンツっていうものに対してのリスペクトっていうのももちろんあるんだけれども、
やっぱりそういう話し方にはどうしてもなるっていう中でっていうことだよね。
そうですね、本形って割とバッサリ2つに分けられると思って、
ずっとコンテンツの話を詰めて話をするのと、2時間とかの長尺でほぼ編集なしで出すパターンって割とあると思ってて、
もう1個本形の特徴として基本的に音質があんまり良くないというか、
機械的なパターンもあると思うんですけど、やっぱり理系じゃない人が多いからだと思うんですけど、
全体的に音質があんまり良くない番組が多いなと思うんですけど、
編集をあんまりしていない感じがすごい多いなと思うんですけど、
この番組はものすごく聞きやすい感じというか。
そうだね、実際音質はすごくいいですね。
なんか第2回からマイク買ってて、第1回はカフェか何かで撮ってて、
ガヤガヤって言ってるんですけど、もう第2回でマイク買いましたって。
早い、展開早いと思って。
なるほど、なるほど。
なんかお二人がすごい真面目なのがものすごく出てるというか、
届けるのであれば、ポッドキャストになればそこに真摯に向け合う姿勢みたいなのがあって、
それがお二人の語り口調にも出てるなというふうにはすごく思いますね。
確かに、いわゆる二人の会話という意味で言うと雑談系と言えるんだろうけれども、
なんかその真面目さって今高菜くんが表現したように、
この番組を表現しているという意味で言うと、
やっぱりすごく意識的にやられてるなというのは僕も感じますね。
僕らがこの番組で語りながら常々言ってるのは、
ポッドキャストっていうのは意味を適切に伝えるっていうのに向いてるメディアというよりは、
語ってる人に関心を持ったり愛着を持ったりするっていうメディアだなって思うっていう点からいくと、
この番組はまさにこのお二人の人柄とか、
二人の会話っていうものに対しての愛着っていうのがすごく湧きやすいなと思うから、
とてもポッドキャストらしいなと思いましたね。
やっぱりゴールある気じゃないというか、
二人で並走して走っていく感じがやっぱり聞き心地がいいですよね。
本もよく読み終わった後に自分がどう変わるのかみたいなものが功能だとすると、
まさにそれが現れてるっていうか、
今の自分がどう感じてるのかとか、
二人で会話をしながらそれが本のテーマからずれたとしても、
本によって変わった自分というか、
気づいた自分というのが二人で話しているからこそ、
すごく人間的っていうか、
コンテンツとかの方に引っ張られてないのはそういうことかなとも感じますね。
じゃあ今回のトピックですよね。
文章を読むとき景色が思い浮かぶ、認知の仕方はひとそれぞれ。
このエピソードに関してはどのようなお話、進み方になったんですかね。
佐藤さんが知り合いの人に文章を頭で読み上げて、
文章を読むときに頭の中で読み上げて音声で認識してるっていう方の話を聞いたときに、
聞いたっていう話をして、
そしたら椿さんもそういう方に会ったことがあるっていう話をされて、
そこから話が展開されていくんですけど、
頭の中で音声で撮るか、映像とかで撮るかっていう話をされていて、
最初の方で結構キーワードによるなと思ったのが、
椿さんが小説を読むときに、
描写でこういう赤い屋根がある家で日日が入ってみたいな描写があると思うんですけど、
そういうのが頭で映像画で思い浮かべられないっていう話をされていて、
で、情報を文章化してると。
だから地図を読むときも立体的に頭の中にイメージするんじゃなくて、
ここを右曲がってから、
あともう2つ先で左っていうふうに文章で認識してるっていう話をされていて、
概念的に構築されてるっていう話をされていました。
なんか同じようなテーマだと、
ゆる言語学ラジオでのビジュアル進化会とかみたいなので、
同じような読書体験とかの中でも、
人が認知、頭の中でどのようにそれを認知してるのかって意外と違うよねって話題。
最近いろんなコンテンツを見るようになっている中でいくと、
まさにこれもそういう話だよね。
そうですね。ゆる言語学ラジオでは、
割と現代の学校教育でビジュアル進化フリーだよねみたいな、
ビジュアル進化のっていう本から持ってきてるんですけど、
言語趣向者によって社会が作られてるから、
そもそもそういう社会になっちゃってるよねっていう。
それはなんか、よしあしの問題ではないっていうのがすごいあって、
お二人ともゆる言語学だけあって、
お二人ともその言語界に特化してるけど、
それは別に優劣ではないっていう話をされてました。
してたよね。
なんかその辺ってさ、今日紹介する他の番組にも通停するなと思うんだけども、
今のマーケットや今の文明が求められてる認知の仕方や行動原理みたいなものからちょっとずれた人っていうのが、
どうしても社会階層とか社会の中で不利とされるようなポジションになりやすいよねっていうのは、
最近いろんなコンテンツでも言われ始めてるなってまさにそれだと思ってて、
今回はそういうやだみみたいな話ではないんだけども、
かなりいろんな話題に飛びながらいろんな例が上がってて面白いなと思ったんだけど、
そこで概要欄にも書かれてるんですけど、紹介した本ということで、高田博美さんの奇跡のフォント、
教科書を読めない子供を知って、UDデジタル教科書体開発秘話、時事通信出版局っていうものも種本になってたんだけども、
これも結構驚きのことを言ってたよね。
ユニバーサルデザインのフォントを作った人の話で、子供とは限りないですけど払いが、
ひらがなとかの払いがすごく怖く感じたりとか、あと心っていう感じが手書きってすごく人それぞれで、
またそれが印刷した時の字とまた違うからそれが認識できないっていう話とか、
なんとなくそういうような話は聞いたことがあるけど、
具体例を聞くと分からないけど分かるけど分からないみたいな感じになりますね。
この番組の中でもお二人が割と具体例を出し合っていて、
例えばオーディオブックがしゃらくさくて聞けないっていう話があって、
それは好みの問題かもしれないですけど、
でもラジオは好きなのになんでオーディオブックは聞けないんだろうみたいなこととか、
読む時には文章を五六行ブロックで捉えて単語単語で拾うっていう風に言われていて、
たぶんイメージはつくんですけど、僕はそういうのができないんですけど、
受験勉強とかそういうのを奨励されるじゃないですか。
英語にしても国語にしても音読するなみたいな、
3行ずつで単語を拾ってけみたいなことを絶対言われて育ってるんですけど子供たちは。
高橋くんはそれが苦手というか。
苦手で国語とか英語の問題解き終わったことが人生で一回もなくて、
ずっと心の中で音読してると終わらない分量にもともと設定されてるんで、
終わったことがないですね。
割とそういうのが嫌だなってずっと思ってて、
嫌だなっていうかすごい寂しいなってずっと思ってて。
だからその文章を理解するとかそれを読めるとか、
自分でどう感じるっていうものとはまた別のテスト用の読み方みたいなものに
ちゃんとアジャストできた人はちゃんとそこでいい点取れるし、
アジャストできない子っていうのはそこでできないという認定がされるとか含めて。
そうですね。
そういうことかもしれないよね。
どうしても劣ってるっていうふうに思ってしまうので。
その中でもまたさつさん、椿さんが自宅がごっちになってるんですけど、
映像が苦手っていう話はおそらく椿さんがされていて。
されてましたね。
テレビもあんまり見ないと。
好きなアニメがあるんだけども、
そのアニメの音声コンテンツが聞けないっていう話がされてて、
これがちょっと面白いなと思って。
映像は見れなくて、結構俳優の区別とかは割とつきにくいから、
結構シンゴジラも何をやってるのかよくわかんないまま終わっちゃったっていう話をされてるんですけど、
でもアニメが好きなのはアニメだと背景情報が、
不要な背景情報が排除されてるから、
その情報が圧縮されてて見やすいんじゃないかみたいなと言われて。
なるほどなというか、自分はこの考えに近いというか、
共感に近いような感じで聞いてましたね。
そういうエンタメとかなんか特に好き嫌いっていうところで、
普通に仕分けられちゃって終わりになりがちなんだけども、
実はもう認知の段階で好きとか嫌い以前の問題として、
それを送り手の届けたい情報通りにこっちが受け取れるかどうかっていう意味でも、
人によってかなりグラデーションがあるんだよっていうのは、
今のビジュアルの話聞いてもそういう感じるよね。
そうですね。なんかゲルケン語学ラジオでは、
なんかその自分たちは言語化できるから、
自分たちのことを頭がいいって言い方しなかったみたいですけど、
社会的にいい位置につけてるけど、
でも逆を考えたら、もしビジュアル進化がこの世を牛耳ってたら、
自分たちは飲み会の最中にいきなりわけのわからないものを見せられて、
なんか勝手によくわからない絵を見せられて、
そこから感想を言えって言われてるようなもんです。
感想を絵で描けって言われてるような問題で発症されてて、
確かになるほどなというか。
自分の見えてる世界っていうのが、
やっぱり自分が情報処理した中であくまでそれを世界だと思ってるだけの話だと思うんで、
そこの相互みたいなのってやっぱり一回、
言葉にしないといけないあれですけど、
一回整理しないとなかなか考えられないことがあるなというふうに思いますね。
なので特に今回のお二人が自分がどういうタイプだっていうものを語りながら、
そしてこういう種本とかを出しながら、
例を持っていろんなパターンを言ってもらう中で、
聞き手である僕らっていうのは、
じゃあ自分はどっちなんだろうとか、
そういえば今回この話題には出てないけど、
自分もこういうところで同じようなギャップ感じたことあるなみたいなものが、
みんな出るんじゃないかなっていうのはすごい感じたよね。
西黒さんはどういうタイプですか?
僕はやっぱり結構まんべんなく大丈夫な方で得してる方なんだと思う。
ただ、できなかったことも意識できたから、
そこをできる人のやり方とか視点とかに合わせて自分もそっちになろうっていう、
結構強制して作った部分が多いので、
取っ掛かりのところでは自分と見えてるものが違うなとか、
ちょっと苦手だなって感じるものっていう点でいうと、
多分体験としては同じことはしてるんだと。
しゃべれるときに話の構成とかを、
どの方向に持ってこうみたいな頭の中でイメージしながら、
すごいしゃべられてるなってすごく思うんですけど。
そうだね、それは単純に僕がデザイナーを始めたときに、
デザイナーってことは、最初は書籍とか漫画の方から入ったから、
それは編集者っていう人と社長っていう人とっていう、
僕のクライアントはそういう人だなっていうことが分かったので、
じゃあ編集者っていうのは何やってるのかを、
ちゃんと知らなきゃいけないなと思ったから、
編集みたいなものを後から自分で学んだり、実践したりして、
自分も実際編集長っていうものを出版社でやってみたりとか、
っていうことによって編集的なのっていうのを、
元々はビジュアル進化的なっていうか、
クリエイター的な人間なんだけども、
自分が仕事をする上で、
クライアントの性質を知らなければいけないと思って、
その人をロールプレイしてみた結果、
そういう編集的な感覚を持って、
その技術を使って出版でできることは何かと思ったときに、
インタビュアーとかライターっていうものもやらなければいけない。
なぜならデザイナーだからみたいな感じで、
出版社の方でライターとかインタビュアーとかやっていくと、
話の仕方もそういう話し方を技術として自分で取り入れるみたいな、
後からつけた筋肉だよね。
言語思考も視覚思考も完全に異分できるものではないと思うので、
今の道黒さんは結構割とピボット的なというか、
軸にしつつセライドしていったってことだと思う。
自分の特性っていうものを理解した上で、
自分が補わなければいけないものに関しては、
筋肉としてつけていったって感じなので、
ただその手前にある気づきとか、
自分がどの立ち位置にいるのかっていうのを感じたその瞬間っていうのは、
まさに今回この話しているような、
こういう違和感とか違いみたいなものっていうのは、
一つ一つ自分では感じながらそこに筋肉つけたって感じなので、
元は一緒だと思う。
人の脳ミスの話聞くの面白いですね。
本当にみんなに喋ってほしいなって思っちゃう。
多分自分が受け手としてだけの存在だったら、
自分が受けられない情報っていうのはスルーしていいと思うんだけども、
僕はやっぱり送り手として生きなければいけない存在だったから、
送り手ってことはやっぱり知らない、できない、筋肉がないだと通用しないので、
そこに筋肉をつけていったっていう感じ。
基本的にほとんどの人間はやっぱり受け手で死んでいくと思うんで、
確かにあんまり考える機会がないっていうのも、
言われてみればそうかもしれないですね。
受け手だとしてもこういうコンテンツを聞くことによって、
自分がそのまま与えられたものを摂取しているだけだと気づけないものって、
まさにこういう他の人のお話、他の人の気づきを聞くことによって分かるっていう意味で言うと、
これなんかすごくね、自分だけだと体験できない気づきっていうのを他者から聞くことができる。
しかも生身の経験として言ってもらえたりすると、
すごく自分にないものが取り入れられたなって感じがすごいするよね。
改めて今自分でちょっと話してみて、お二人の言語化力すごいなっていうか、
あんまり自分の話ってどうしてもちょっとブロックかかっちゃうというか、
うまく説明できないというか、自分の中の暗号みたいなのあるじゃないですか。
自分の脳みそだけで通じてる通貨みたいなのがあって、
うまく取り出せないところをものすごく分かりやすく説明されてるなと思って。
かなり内容の濃い話なので、結構いいなと思いましたね。
あと忘れちゃったんですけど、お二人の親父を話している回、
経歴を話している回もあって、私が最初の方だと思うんですけど、
結構経歴もお二人とも独特というか、
それぞれずっと本だけ読んでいる感じでもなくて、
何かを自分の軸から、その本から情報接触しているという感じが、
反映されているのかなというふうに思いました。
この紹介欄のところには、生物学者の椿と書店員の佐藤という書かれ方をしているんですけれども、
この単語だけだと足りない、すごく奥行きのある経歴だったりもするんですよね。
その辺も含めて、とても素晴らしい番組なので、ぜひ皆さんも追っかけて聞いてみてください。
改めて、今回最初に紹介したのは、本の虫のすすめです。
ぜひ聞いてみてください。
2つ目いきますよ。
続いては、生存放送からセッション3、生存ひとりがたり、2024年8月配信会です。
こちらは、ランツケイエンドウと土屋浜地による生きていると感じるもやもやや悩み、
最近思ったこと、あとちょっと楽しかったことをぼんやり話している番組ということなんですけれども、
こちらはどんな番組なんでしょう。
そうですね、番組自体はまだ5回しか放送されていないのであまり分からないんですけど、
基本的にお二人で話をされるという手らしいです。
こちらのフランツケイエンドウさん、これはローマ字で全部綴っているんですけれども、
こちらはどのような方なんですか。
多分ドラえもんの人って言ったらわかるかなと思うんですけど、そういう人です。
ドラえもんの人。
そうですね、マット系の動画とか作っていて、結構音楽もつけたりしていて、
最近DJみたいなのやっていて、割とこういう系の人のしゃべりって面白いなというか、
ばばばばさんとかごぶんめさとらさんとか、メダタクシーとか納刀とか出られたりすると思うんですけど。
そうですね、キキカイカイのお二人がTBSでやっている納刀という番組にも出演されているという。
あとメダタクシーというYouTube番組があって、結構お笑い芸人さんとか、
こういうクリエイターみたいな方が二人セットでタクシーに乗っているという音声コンテンツなんですけど、
それも結構面白いなと思っていて。
この絶妙な雰囲気というか、2分したら夜っぽい感じ。
程よいザラつきというか、音声的にちょうどいいなって。
前回、前に紹介したボイスメモの黒崎聡さんとかみたいな、
なんかやっぱりクリエイターならではの思考の、ちょっとダウナー的な感じなんだけれども、
やっぱり人筋ならでははいかないみたいな感じがすごくブンブン出る。
グランチっぽい匂いはするけど、結構エッチが立っているというか、
その編集とかでちょっと遊んでみる感じというか、始まりから終わりまでずっとふざけている感じとかもすごくいいと思います。
今っぽいって言いかけてちょっとやめたんですけど。
で、あと土屋浜地さんという方が相方としてということなんですけれども、
今回のこのセッション3、生存一人語りというのはどのような感じで進むんですか?
これは一人回。
土屋浜地さんが不在で、フランス系遠藤さんのみの一人回ということですよね。
理由としては大人の事情。大人の事情で面白かったことはないんですけどねっていう、
そういうテンションから始めていって、割と引きこもれるというか、
割と文章文章で区切っていく感じではあるんですけど、
お仕事としてクリエイター的な仕事以外には肉体労働を普段されていて、
それで熱中症が出たという話があって、熱中症が出たんだけどもそれは熱中症はないことになっていて、
当然のごとく30人いるはずが3人しか集まらない現場に自分も借り出されていて、
それも暗くも明るくもない絶妙なテンションでおしゃべりされていて、
後半になってくるとデスクワークって頭使ってるの?みたいな話になって、
それが多分そこからスパンと話が変わるというか、後半はお便り1回なんですけど、
あと最近の映画とか音楽っていうのは作り込まれすぎてて疲れてしまうと、
自分がやってるこの音声コンテンツっていうのは、
この番組は夜のサービスエリアの味薄い茶地醤油ラーメンみたいな話をされていて、
割とちょくちょくパンチラインが出てきて、ものすごく聞きやすいというか、
多分この回以外でもあんまり長いとみんな聞かないでしょみたいな話もされていて、
そういうテンション感みたいなのもものすごくいいなって思いますね。
ちょっと皮肉めいたように撮ろうと思えば聞こえるんだけど、
もうちょっとメタな視点でちゃんと語られてるなっていうところが僕はいいなと思っていて、
例えば今回の頭脳労働と肉体労働の優劣について話してる。
実際自分はどこか当たって自分でも言ってるんですけども、
そういう肉体労働をしてるんだけども、
なんか世の中ではデスクワークしてる人から優劣でいう劣の方で見られてるんじゃないみたいなニュアンスで語ってるんだけども、
おそらくそこには実感や感情みたいなものが伴っている意見なんだろうけども、
やっぱりちょっとメタの視点も加わりながら話してるから、
ある意味だけど軽く聞こえる。
まあそうだよねって思ったりとか、あいつは敵だみたいな感情に人をさせるんじゃなくて、
ボソボソってそういうことを言ってるから、まあそうだよねみたいな。
そのぐらいで済む感じっていうかね。
言葉の切れ味は鋭いんですけど、
例えばTwitterのインフルエンサーみたいな人でQ&Aを募集して、
その悩みにバサッと切り込みますみたいな人の言葉とかって、
ものすごく強いというか、結構アクセルがすごい出てるなって思うんですけど、
遠藤さんの場合は俯瞰しすぎず、ちょうどいい距離感で、
でも責任は持ってないよみたいなこのスタンスが軽やかでいいなというか。
僕的にもちょっとあんまり好きじゃないタイプは、
連帯を呼びかけたり共感を呼びかけるような話し方みたいなタイプって、
やっぱ僕は乗れないタイプなので、
この遠藤さんみたいな感じで、別に彼って彼の体験としてぼやいてるんだけども、
別にリクさんに対して共感や連帯を呼びかけてないニュアンスとしてね。
だから今高谷くんが言ったカラオヤかっていう感じが受け取れる。
僕はどっちの当事者だろうが、この遠藤さんの話っていうのは聞けるみたいな。
そういうところがすごくいいなと思う。
ワードが結構皮肉っぽいワードを使う割にテンションが沈んでないというか、
ハイテンションというわけでもない。
そうなんだよね。だからちょっと口元がほころんでるぐらいの話し方してるなっていうような気持ちっていう感じなんだよね。
腹立って拳を握りしめてそういう話をしてるっていうのは絶対してなさそうみたいな。
そこがいい。
浅井亮さんとかにちょっと近いなと思ったんですけど。
浅井さんはもうちょっと連帯とか共感よりもプロフェッショナルにコントロールする。
人の感情の揺れ動きをコントロールするっていう力を持って話すので。
だからそこはちょっと逆に言うと僕は構えちゃいながら聞くんだけど、
どっちなんだ?どの作意があるんだ?
浅井亮の作意はどこにあるのかっていう聞き方するんだけども、
この遠藤さんの場合はそのぐらいの視点と切り口で話してるんだけども、
別に彼は僕らをどう誘導しようという意思がないっていう安心感があるから、
その話のまんま聞ける。
確かにその安心感はありますね。
全然違う島から喋ってる感じがする。
力は一緒なんだけれども、他人をコントロールしたり誘導しようとする意思があるかどうかとか、
その辺の違いがちょっと違うっていう意味で、
僕はこのフランス系の遠藤さんのこの生存放送に関しては、
今の高田くんの言った良さを僕もそう感じてる。
軽やかっていう意味で聞いてる。
この番組も一応継続するっていうふうにおっしゃってるんですけど、
まだちょっとわからないんですけど。
そういうフランス系遠藤さんがポテキャスト始めたんだ、ついにと思って、
なんか期待してるこっちの気持ちっていうのもはぐれてる感じというか、
主導権を他者に委ねないタイプは僕好きなんですよね。
結局ファンの声がないと僕ら前に進めません。
だから応援しろよみたいな、
発信者側と推しの連帯性みたいなものって山ほど外の世界にはあるじゃないですか。
そういうのがないコンテンツ。
せっかくポテキャストやってるのにまたそっちの力持ち込むのっていうがっかり感あるじゃん。
遠藤さんはもうないっていうか、辞める時は自分で勝手に辞めるし。
更新も自分適当にするし、みたいな感じがあるけれども、
きっと彼はこの表現をするにあたってもいろんなことを考えていて、
今日何を伝えているのか、どういう意味を持って自分は話しているのかということに関してはものすごく意識できてあろうなと。
更新頻度も見たんですけど、よく分からなくて。
6日後とか、6日後、6日後、何日後みたいな。
結構、曜日でも何でもないようにペースで出してて、いいなと思いました。
そうだね。
遠藤さんの今の社会との距離感とかたちいちって、ちょっと高菜君に似てるなって感じたんだけど、
そういう意味での共感ってある?遠藤さんのこの反応に対して。
共感だったとは思っていなくて、1たす1が2ぐらいのことをずっと言ってるなというか、
僕はそれは当然だと思っているので、そうだよねというか。
今の社会は3って言ってるかもしれないけど、僕はずっと2だと思ってますよっていうね。
さっきの本の虫の方では、言語優位。
言語の読解が得意な人の方が社会的に得意をしているみたいなニュアンスの内容みたいなものもちょっと含まれてたりとか、
今回のこのフランス系遠藤さんの生存一人語りでは、頭脳労働の人の方が肉体労働の人よりも社会的な恩恵を受けやすいみたいなこともある。
限界に含まれてる。対応してるじゃない。
だからさっきの今のマーケットにアジャストしてる人としてない人っていう、
ただそこの価値っていうのは違わないはずなのに、なぜ価値がそこで違うのかっていうギャップって、
マーケットにフィットしてない人ほどそこは損した体験によって体験が多いじゃない。
だからそこら辺の、じゃあそういう社会で自分はどう生きるのかっていうのがオリジナリティを求められている時代だなって思う中で、
この遠藤さんのスタンスとか高中の生き方とかって近いなと思ってる。
確かにそういう時にポジティブポジティブとか言われると決定思っちゃうので。
そういうことじゃねえよなっていうね。
この後話す番組の方もそういうニュアンスあって、
うまく今の社会にアジャストして成功しないまでも食らいつくみたいなことを強制される。
そこから降りるじゃないけども、違う道で生きる人たちっていろいろ出てきてるんだと思うんだよね。
特にこのボットキャストの世界ではそういう人がだんだん寄ってきてるなっていう実感がある。
高田くんしかりだし。
新章ビジネス章読んでうまくハックしてウェイみたいな発想なんかもう遠の昔に降りてるし、
降りてるというよりは全然そこは自分の道じゃないっていうのが分かってる人たちみたいな。
なんか無理くりなよく言われる社会的なことを言うと、
バブルがもともと8月だった時代に生まれてるから別にゴールがないっていうか、
別にモテたいとも思わないし、別にペラーレが欲しいなんて一度も思ったことないし、
なんで生きてるんだろうってなった時に、どこに寄っていくかみたいな話だと思ってて、
ブランツケントさんなんか別にどこにも寄ってないような感じがするし。
自己肯定感みたいなことすら別に、人の言うそういう枠なんて自分に持ってこなくても大丈夫。
人はそこで落ち込んだりするんじゃなくて、そこをポジティブにいこうよみたいな無理矢理のハックをどんどん言うけれども、
そもそもそういうことじゃねえんじゃねえみたいな。
そういうのを勝ち取った強さを持った人っていうのがこういうタイプの人かなと思う。
僕はたぶん毎日落ち込んでるんで落ち込んでる時刻がないんですけど。
だからよく言うけど、ずっと鬱でいられる人ってずっと鬱が一定だから、そこで大丈夫っていう人もいたりするしね。
表現者なんてそういうこと頻繁に起きるから。
ネガティブケイパビリティじゃないですけど、そういうのでずっとやってるとたまに見失ってしまう時があるので、
そういう時にこういうラジオを聴いて、あと3日くらいは生きれるなと思ってます。
だから人と比べて苦しむみたいなところからどう離脱していくのかみたいな、
そういう生き方をしている人たちのいろんな生き方、いろんな語り方がある中でいくと、
そういうものが観測され出してるなと思う中でいくと、本当に生存放送なんかはそういう感じっていうか。
さっき最初に言った、別にこれをやるのもやらないのも進むも進まない、僕の遠藤さんが決めてるっていう、
だから自分の人生におけるオーナーシップを持ってる人っていう強さを感じますね。
それはいわゆる社会で成功してる人が果たして自分の人生のオーナーシップを持ってるのかって言った時に、
必ずしもそうじゃない人もいたりするのを見るにつけ、やっぱりこういう立場の人が自分でオーナーシップを持って、
生きてる、発言している、表現しているみたいなものっていうのはすごく強いなと思うんですね。
これで思い出したのがポッドキャストじゃないんですけど、
Apple TVのドラマでセベランスっていうドラマがあって、
これは人格を分離して会社用の人格と普段の人格が分かれてるっていう設定になってて、
会社に入ったら自分がどういう人間なのか全く忘れちゃうんですよ。
訳の分かんない魚みたいなのが出てきて、それをブロックで埋めるっていう全く意味のない仕事をずっとパソコンで8時間くらいやって、
玄関出たらまた外の人格になって、また次の日になったら中の人格になってっていうかなり風刺的なんですけど、
それをちょっと思い出して、やっぱりそういうテーマってみんな考えるような時になってるかなというか、
特にゴールが明確じゃないし、でも課題はどんどん増えていくしみたいな時に、
別のベクトルっていうのを探していくっていうのは、やっぱり割と共通して見られるのかなと思っていて。
そうですね。
なのでこの番組もまだ本当エピソード数が少ないので、果たしてこれはどういう番組なのかっていうのは難しいんだけども、
だからこそやっぱり遠藤さんや濱地さんっていう人格みたいなものを僕らは勝手に想像するしかない。
ってなると今みたいな感想になるかなと。
あと最後の方で夢は叶えたら終わりですか?夢の続きはあるんですか?っていう聞いたことあるようなないようなよくわからない質問が来て、
それに対してハッピーエンドで区切ってるだけ?
ハッピーエンド終わりが別にハッピーエンドで区切ってるだけだよみたいな、意外とちゃんと言うんだみたいな。
そうね。だからちゃんと哲学的な回みたいなものをポロッと言ったりとか全然する人みたいなね。
結構聞いててもおすすめのポッドキャストとか特にないなというか、ポッドキャストっていう感覚であんまり聞いてないなっていうのもあって、
ある中からからとか、トマス・ピンチョン、岡田博史とか、トレーラーパックボーイズとか、
傍若ホースマンとかおすすめです。アトランタとか。そんな感じです。
じゃあこのコンテンツの他のエピソードのおすすめっていうにはちょっと数が少ないんだけれども、
なんかこれは引き続き更新される限りは僕も聞きたいなと思ってるし、高田くんはそんな感じ?
そんな感じです。
じゃあちょっとぜひ今の間にちょっと引っかかる人がいたら、ぜひこの生存放送。
今最終話がお知らせになってるので。いろいろ不穏な。
10月ぐらいにライブがあってそのライブのお知らせっていう話。
普通に告知会なの?
それで忙しかったっていう。
ちょっと楽しみだよね。なんかこういうスタイルで生きてる人のお話はいっぱい聞きたいな僕。
まだ浜内さんの話があんまりされてないので、どういう人なのかまだよくわからない。
Xアカウントとか僕もちょっとバーッと追っては見てはいるんだけれども、
なんかまだ浜内さんがどんな方なのかはまだ前方が見えてこない。
そういう意味でも面白いよね。
期待してます。
じゃあ今回2日を2公明に紹介したのは生存放送です。
ぜひ聞いてみてください。
じゃあラストいきますよ。
じゃあ最後に紹介するのは、漫画のラジオからVol.95
半崎あさみさんその2
半年で16ページからのスタートです。
こちらは日本放送アナウンサーで様々なカルチャーを追求し、
漫画大賞の発起人にも名を連ねる吉田ひさのりによる漫画に特化したポッドキャスト番組ということなんですけれども、
こちらはどんな番組なんでしょう。
番組自体は、そもそもアナウンサーの吉田さんが漫画大賞という賞を主催されていて、
主にそれを取った人とか、その他吉田さんのアンテナにはまった人を自分で呼んでお話をするというポッドキャスト。
割と長く続いていて、今も更新されていて、非常に多彩なゲストが呼ばれていて非常に面白いです。
そうですね。だから本とかを含めてですけど、漫画家さんがインタビューを受けるコンテンツとしては結構最強になりつつありますね。
だから登場した漫画家の数も膨大ですし、
あとバラエティもね、すごくベテランやレジェンドから、新しいルーキーからいろんな方が出ていて、
すごいですね。アーカイブとしてものすごい価値があるなというのを感じます。
僕もともとインタビュー系のラジオで漫画家さんゲストの方が結構好きで、
なんか面白い。さっきのビジュアル進化じゃないですけど、結構なんか面白いじゃないですか。
そうだね。アトルクとかにもね、出る方多いですね。
なんかこう球の投げ方というか、とかその気づきみたいなのも結構鋭い角度でえぐってきて、すごく面白いなと思うんですけど、
で、今回のゲストがその半崎さんなんですけど、あの無能の鷹という。
無能の鷹。
そうですね。多分そのイラストを見たら多分結構見たことがある人が多分多いと思うんですけど、
鷹っぽい感じのすごい有能な女性が実はただの無能みたいな、そういう漫画なんですけど、
いやなんか正直そんなこの漫画のことは気にしてなかったというか、
割とこうドラえもんみたいな感じで結構背景として見てしまってたんですけど、
なんかこんな人が描いてるんだというか、すごく意外でしたね。
で、実際漫画自体はこの主人公の女性が、いわゆる仕事上は全くできないことばかりなんだけれども、
常に堂々としていて、明らかにというよりは堂々とその社会、会社の中で過ごしているっていう、
その様がいろんな角度から見れる。コメディ的にも見れるし、風刺的にも見れるみたいな、
なんかそういうすごく珍しいユニークな漫画作品。
それを描いてる半崎さんはどんな人なんでしょう?っていうところが今のポイントで。
そうですね。全部でエピソードが1,2,3,4あるんですけど、結構吉田さんの毎回のインタビューとかで、
割とテクニカルな面とか、どういう方針でやってるのかとか、漫画の話とかされるんですけど、
今回はおいたちだけで、漫画家になるまでの時点で1,2まで来てて、半分まだ漫画家になってないという、
なかなか経歴が面白い。
途中でさ、自ら今漫画家だって自分が言うのはまだ躊躇してる、とすら言ってるんだよね。
例えば、美容室とかで仕事聞かれた時とかってどうしてます?って言った時もはぐらかしてる、みたいなことを言ったりとか。
フリーランスですって。
フリーランスですっていうことによって、それ以上は踏み込んでこないから、それで普通にしてますみたいな。
だから漫画の主人公とこの半崎さんは別物とはいえ、何か価値観のところでは何か一致する部分があるなって感じたのは、
まさにさっきのフランス系遠藤さんの話にしてもそうなんだけども、
なんかその良しとしてることに関して、別に自分はこうだから、実際この半崎さんも働きたくないから漫画家をやってるっていう、堂々と言っている。
じゃあその働きたくないっていう感情って何なの?っていう部分が恐らくこの漫画の作品にも表れてるんだろうなっていうのはすごい感じるし、
実際このインタビューにおいて吉田さんとの距離感の詰め方とか、一線の引き方とかっていうのもすごく全体的に筋が通ってるなっていう。
吉田さん僕もすごく仲がいいというか人なので、いろんな彼のインタビュースタイルとかも聞いてきてるんだけども、
吉田さん自体もインタビュアーとしてはかなり癖のあるというか独特な聞き方する人なんだけども、
ただもう本当膨大な人と会って膨大なインタビューを繰り返してる人なので、いろんな引き出し持ってるんですよ。
その中でもこの半崎さんとの会話においては、吉田さんがどんどんインタビュアーらしくないぐらい踏み込んでいくんだけども、
半崎さんっていうのはもうつかみどころがずっとないまんま経歴。経歴を話していて、質疑応答はちゃんとしてるんだけども、
吉田さんが進めたいところまでなかなか来てくれないみたいな感じ。
自分のことをキャッチフレーズで表現するみたいなことはほとんどしない?
そうですね。まさに社会から見てとか人と比べられた時の自分みたいな言葉を用意してないっていうところがずっと出てるなと思ってて。
だから強いなっていうか、普通不安になっちゃって人に会わせたりとか、世間体を持った答え方とかしちゃうもんなんだけども。
私はこういう人間なんですよみたいな。
そうそうそう。そこも別に強情にやってるわけじゃなくて、自然に。
自然にやってるからこそ吉田さんってもうなかなかそこの引き出しを言葉で引っ張ろうとしても、
出てきてるんだけれども段取り的には気象点決が30分内でギュッと収まる方にはいかないみたいな。
そこはスリリングで、インタビューとしても面白いですねこれ。
そうですね。半竹さん結構言語表現以外の情報力がすごく多いなと思って、
結構言葉使いというか、開始とかもあ、そうですかとか、あ、はいとかすごいあが多いというか、
なんかすごいこの、でも結構この、僕もそうなんですけど、結構この脳みその回転がすごい見える感じがして、
そこがすごく僕は好きだなと思いました。思考のテンポみたいなのがそのまんま出てる感じがして、
それが多分さっき内倉さんが言ってた距離感みたいなのに多分つながってて、
なんか全然この内田さんのテンションに引き寄せられない。自分の周りでずっとやっている感じがして、
ほとんど人と喋らないみたいなことをおっしゃってたりとかしたり、
中学生の頃から自分は稼げる力ないのではと不安心してたみたいな、
自分の中では自分のこと不安症だと思っているっていう話とか。
だからその話すのは苦手だからこういうインタビューとかもやったことがほぼないにも関わらず出てくるんだけども、
そこで卑屈になったり怖がったり怯えたりみたいな姿は一切見せてないっていう、そこなんだよね。
なんか吉田さんの言ってる進行するお話に対しても、自分を断れるものだけを簡潔に言って、
それ以外のところを付け加えたりしないっていうか、普通もっと合わせちゃう。
あーはい、じゃ終わらなくて、あーはいだと失礼だからもっとこういう形で相手のが望むようなことを言おうっていうに合わせて、
で出ちゃうんだけど、半崎さんほぼ出ないっていうね。
なんか普通コンプレックスとかってそういうところからによったりとか、
なんか弱さとか押されてる、押してるみたいな感じるんだけども、半崎さんほんとビクともしてないみたいな。
言われてみたらめちゃくちゃそれというか、何となくなんかすごい独特な間合いだなっていうふうに思ってたんですけど、
確かにあまり中身が全然にじみ出てこないというか、
確かにこの結構情報、僕もちょっとメモをしたんですけど、メモもほぼ情報しか書いてないというかその一問一答じゃないですけど、
なんかそうなんですよねというか、その就活の時に知ってる企業ばっかり70社受けましたみたいな。
なんか元々じゃあ帰宅部でした。テニスサークル入りました、大学に入ってすぐ辞めました。
で知ってる企業ばっかり70社受けた人は全部落ちました。
でその後、就活の時にグラフィックデザインをやってる人がいて、自分もやってみようかなと思って、
夜間のデザイン学校にその後通いました。
みたいな、なんかこの接続詞がないというか。
そうなんだよね。
なんか無理やりこうナラティブに落とし込まないみたいなのが、多分僕はすごい多分惹かれたポイントなんだろうなと思っていて、
やっぱりその文章とかで自分から自発的に何かを発信しようと思うと、やっぱりどうしても自分の方向性とかこういうふうに見られたいみたいなものがあって、
このナラティブとして何かが多分加わると思うんですけど、
なんかこう中身をさらけ出さないのに、半田さんはなんかこう独特のニュアンスみたいなのがすごい伝わってくるというか。
僕、僕の経歴柄、ものすごい数の漫画家さんといろいろものを作ったりとか関わってきた人間なので、
漫画家さんのなんか全体的な特徴みたいな言い方は乱暴だからしないんだけど、
でもやっぱり漫画家になって第一線でできている人にやっぱり共通する力ってあると思っていて、
それはまさにこの半田さんにも現れているなと思っているのがまさにその部分で、
今言ったようにコミュニケーションをけづくろいするために加えちゃう言葉とか、
相手の感情に寄り添うことによって円滑に回すみたいなその余分な肉みたいなものって、
やっぱり漫画家さんやっぱり一人でストーリーを作り上げる力がある人って、
そういうことを安易にやらないんですよね。
ってことは何かっていうと、やっぱり漫画ってそのコマに書かなかった部分っていうものに対してすごく意識を持っているから、
あれができているんですよ、漫画って。
そういうのも考えると、やっぱり会話においても言わないっていうことにもちゃんと意味を持っているし、
安易に引き寄せられないっていうのも、やっぱり他者の相手のナラティブに合わせようとするんじゃなくて、
自分の思考しているナラティブっていうものからは絶対ずらさないっていうのも、
だからやっぱり言うことを選んでいる言葉のなんか削り取り方がやっぱりみんなソリッドなんだよね、漫画家さんって。
普通のカジュアルな会話しててもそうっていう。
無駄なお笑い的なボケとツッコミみたいなテンポのある会話ってほぼ起きなくって、
なんかこう居合切りのような、ただの会話、飲み会の会話なのに、
なんか一個一個がズバっていう。
ズバっていう手前で取った、削ぎ落としたものっていうものをお互い感じ合うみたいな。
やっぱりそういう会話できる人が漫画家さんって多いので、
やっぱり半崎さんのこの独特なテンポ、ほんと漫画家だなと思いながら、
僕は近いからこそ感じるっていうかね。
そういう人にも大量にインタビューしている吉田さんであっても、
やっぱりこの半崎さんっていう個性に対して、この独特さに食らいつくまでがすごく時間かかるっていうかも。
僕はすごくスリリングっていうかね、楽しく聞けましたね。
漫画家になるまでに結構いろいろあってみたいな、小説書いたけどやっぱり漫画ってみたいな話で。
やっぱりでも結構わりと気になったのが、結構表してるなと思ったのが、
一番楽しい作業なんですかって言われて、点入れって答えてたのがなんかっぽいなっていうか。
そうなんだよね。だから努力苦労みたいなものもなんか別に大きなものとして捉えてないし、
漫画を描くか描かない、プロになったらならないみたいなものもなんか大きく捉えてないし。
とはいえそこを別に油断してる人ではなくて、十分そこの価値っていうものやそこのシビアさってものも知ってる。