自己認識の形成プロセスとその曖昧さ
ざんていラジオぅ。 ぺん銀です。
ゆみねこです。 今日は、自認ゼロの話をしましょう。
自認ゼロ。はい。
自認ってなんだっけ?自己認識のことか。 うんうんうん。
人は他人から注意された時とか、
何々な人だよねとか言われた時とか、それを自認する場合がほとんどなんだと思うんだよね。
あ、私ってそうなんだみたいな? そう。
そうやって、自分の情報を整理してるような気がするんだけど、
でもこれってよくよく考えると、実はそれ大雑把すぎるやり方で、
その人から見たら、私はそうっていうのが本当の事実じゃないですか。
そうですね。
あとはその人の性格と比べて、私はこうっていうことじゃないですか。
うんうんうん。
それぞれにあるはずなんよ。
あーうん。
でもそれを全部管理するのは、ちょっと脳の容量が足りないので、
私は何々ですってことにしたんじゃないの?と思って。
うんうんうんうん。
したんじゃないの?っていうか、する癖がついてるんじゃないの?人類は。
そうかもしれない。
っていう話なんだけど、どうかな?
自分発生じゃなくて、外から来た自分の評価みたいなのとかも含めて、
私ってこういう人間みたいなのを決めてるみたいな?
そういうことだね。総合でみたいな。
自己認識の危うさと相対性
でもその考え方は本当に危なくて、絶対違うじゃん。
真面目な人から見たら不真面目だし、クソ不真面目な人から見たら真面目じゃないですか、俺は。
確かに。
間違いなく。
そうね。
何を言ってるんだって話ですよ、だから。
自己評価、自己認識っていうのは。
うんうんうん。
おかしい話ですよ、みたいな。
うん、そうだね。
歌うまいねっていうのも、その人からしたら、その人と私の関係では私は歌がうまいっていうことになるので。
だから優しいねって言われたら、あれと比べてって返してしまうやつよ。
3人の人から優しいですねって言われたとしても、優しいの種類度合いとかも人によって多分違うから。
違うね。違うし、たった3だしね。
たった3だし、でもその自己評価を私の優しさ3アップとか、その自己評価を変えちゃうっていうのは危険だねっていう感じだね。
そうだね。あくまでも3人の人から優しいと言われた人だけの話なんですよ。
うんうんうん。
いう感じでいいかな。
「自認ゼロ」と承認欲求
そう、だから自分自身、というか自認は、
やめよ。
ゼロがいいねっていう。
そうそうそう。
無駄なことはやめたほうがいいんじゃないかな。
マイナスのこと言われてもね。
マイナスもね。プラスもね。
やっぱり自己、なんだっけ。
自己評価?
承認欲求か。
あー承認欲求。
こういうのが混ざってくるんだと思うんだよね。
そうだね。
そんな優しいって言われたみたいな。
あとは仕事できるって言われたみたいな。
そういうのをいちいち、
うんうんうん。
自己承認欲求で考えてるんだろうね。
他個承認欲求なのにね、本当は。
そうだね。
自己認識と他者認識の放棄
でもこれさ、いちいちだから、
自己承認やめるとして、自己認識やめるとしても、
他個認識を始めるってわけでもないよね、と思って。
だって大変じゃん。
大変、大変よ。
じゃあもう両方やめよってことでいいかな。
やるなら、脳に余裕があるなら、
やるなら他個評価をエクセル化して、
脳に叩き込むとかなら、余裕があれば。
やるならね。
でも自己はやったら無駄だから、やめた方がいいんじゃないの?
そうだね。
こんな感じでいいっすかね、今回は。
はい。
はい。
はい。
まとめと今後の予告
じゃあ今回は、自認ゼロってことで。
はい。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
あ、そういえばキュウリの歌ってさ、
俺まだ満足いく歌唱してなかったの、覚えてる?
覚えてるよ。
中途半端で出してもう終わってるんだよね。
今度キュウリ正式バージョン出しますので、よろしくお願いします。
はい、わかりました。よろしくお願いします。
では。
では。