楽天ファンなのでこういう記事を、震災の時とかずいぶん前ですけど、
ファンの立場からこういうところに書いてくださいとか書いたりとか、そういうのも結構来ますね。
あら、そうでしたか。結構僕は気軽な形でお願いした。
いやいやいや、そういう仕事だってみんな気楽な気持ちでこっちに来てるんですから同じですよ。
でも僕ギャランティーでお支払いできないけど。
いやいや全然そんな、全然全然何にも気にしてないですよ。
本当ですか。
いやいや全然ありがとうございます。呼んでいただいて。
いやありがとうございます。
ということでね、先ほどちょっとちらっと言いましたけど野村克也さんつながりで東宝楽天のファンになったという経緯をですね、
以前463という番組でご拝聴させていただいたんですけれども。
あー言ってますか。
もしよろしければ同じ話で構いませんので、この番組でも一口いただけたら嬉しいかなというふうに思いますけれども。
あのですね、私も今年50になるおじさんですので、野球ファンになったきっかけってもう長すぎてですね、
おじさんの長い話になるので、頑張ってザボさんにカットしていただくということで喋りますけども。
でもね、僕も今年の誕生日で48になります。
同じぐらいですよね。
同世代ですね。
まあだから昔の話すると長くなっちゃう年になりましてね。
そうですね、お互いザボだね。
本当にそれこそ、だから野球ファンになったのが92年なんですよ。
そのきっかけも、僕もともと中学高校生ぐらいの時から文章を書く仕事とか、この編集の仕事とかをずっとしたいというふうに思って文芸部とかに入っていて。
そこで村上春樹がわりと好きで、エッセイとかも読んでたんですよね。
村上春樹っていうのは、皆さんご存知の通りヤクルトファンでしてね。
そうなんだ、知らなかった。
ヤクルトのファンクラブの名誉会員第1号が今でも村上春樹なんですよね。
出川鉄道じゃなかったんでしたっけ。
第2号が出川鉄道で、第1号が村上春樹だったと思います。
そうでしたっけ。
とにかく村上春樹がエッセイの中で、編集者との打ち合わせを空いてた誰もいない神宮球場でやってたみたいな、そういうのとかをよく書いてたんですよ。
土橋の話とかも書いてたりするし。
ヤクルトが弱かった頃のヤクルトスワローズのことをエッセイで書いてて。
当時あそこら辺に村上さんの喫茶店があったんだと思うんですね。経営してた。
まだ賞を取る前とか取った前後あたりですよね。
そういう話を見てたものだから、あんまり野球とかスポーツ全体に興味がなかったんですけれども、
なんとなく神宮球場というものに大学に入った後に通ってみようと思い始めて、
それで神宮に自転車でしょっちゅう通うようになったのが92年なんですよ。
当時本当に何の情報もないものですから、一人で自転車で来て何の情報もなく、
ただ神宮球場の外野席というものに座って、みんなの喧騒を見てるみたいな感じだったんですよね。
とにかく92年のヤクルトスワローズというのは、今になって思うと、
野球の50年の中で一番面白かったと言われている年じゃないですか。
はい、それはわかります。
日本シリーズでもヤクルト対西武の92年、93年は今でも名勝部ということになってますし、
狸と狸の爆破試合なんですよね。
森監督ですよ。
こっちは野村監督で、そんなこと何も知らないで見てたんですけど、
そこで野球のあまりの面白さというか、ただ体を張るスポーツだと思ってたんですけど、
ご存知の通り頭脳戦じゃないですか。
どの選手をどういうふうに起用すると何が起きるか、ここで台打は誰だ、
特にセリーグの場合は台打を何枚も何枚も送った後に、
どういうふうに守備固めをしていくのかみたいな系統とかそういうのがあって、
すごくややこしく選手を本当に将棋のコマのようにパチパチさせていって、
当時92年、93年というのは本当に延長戦が多くて、
今みたいに12回打ち切りじゃなくて14回とか平気でやってたものですから、
延長の14回の裏に、なんでこの台打の切り札が1枚残ってるんだみたいなのが、
もう本当にその野球を知らないでいったものだから手品のように見えて、
それで野球にハマっていってしまったんですよね。
起用部分でということですか?
そうですね。今考えてみると、実際起用した選手が答えたりとか、
なんでここで古田に回ってくるんだ、9回2アウト満塁でみたいな、
そういうのも手品みたいに見えて、今だと分かりますよ。
そこで台打送って台装送って1アウト2アウトって数えていくと、
そこで与判に届くなっていうのが分かりますけど、
当時はそこまで読めてなかったものですから、
本当に手品のように古田がホームランを逆転して終わったりするわけですよ。
それがまあ面白くなっちゃってですね。
だからそんなこんなで、あと新木復活とかも生で見ちゃったものですから。
新木大輔。はいはいはい。
一手一手のチーム運用っていう部分で言うと、野村さんだからこそっていう印象も何となくありますよね。
そうなんですよ。もうおっしゃる通りで。
それでずっと見てたんですけど、野村さんが99年に辞めちゃうんですよね。
そうですね。原さんなんかはやっぱり、僕は原さんは終わり以外は大体名称だったと思ってるんですけども。
ありがとうございます。
まあそうですよね。やっぱり難しいというか、やっぱり口出せなくなっちゃってたのが一番大変でしたね。原さんの晩年というか。
晩年というか去年はですね。
そうですね。
なんか言いなりになっちゃうというかね。
そうですね。お山の大将とか宇宙に浮いちゃったというかね。そういった裸の王様みたいな部分もあったかもしれない。
まあ原さんとしてはもっとちゃんと言ってほしかったとは思うんですよ。
そうですね。
でもただ原さんがこういうふうに言うというのに反論するだけの勇気がなくなっちゃうというかね。になっちゃうとやっぱりあんな感じにオタオタしちゃうというかになっちゃいましたよね。
原さんが一番良かったなって言った監督時代っていうのはやっぱりサポートに伊原さんがいたりだとか。
そうですね。
あるいは野村さんの教え子の橋上さんがいたりだとか。
橋上時代もありましたね。強かったですね。
あの辺が美しかったかなというふうに思いましたけどもね。
まあ昔話は置いといて、開幕のお話なんかできたらいいかなというふうに思いますけども。
僕も今現在楽天を勉強中ということもありまして、いろいろ書き出してみてはいるんですけども。
セリーグになくてパリーグになるのがDHなんですけども。
まずDHは、朝村選手はサードということもあって、外国人のフランコ選手か島内選手かみたいな形になるんでしょうかね。
そうですね。島内の守備力の衰えをちょっと目の当たりにしたので、もしかしたら島内がずっとDHなのかなっていう感じもちょっとしますね。
フランコは?
フランコは割とファーストもサードもできて、ファーストなら大丈夫かなっていう感じですかね。
フランコは右としてはフランコを使って、左が必要な時には鈴木大地なり、模擬なりをファーストに置くっていうような構想なんだと思います。
そうなんですよね。模擬英五郎さんがよくファーストを守っているというデータが入っていたりしますけれども。
右内で言うとあとはマスター安倍さんとそれから伊藤幸男さんくらいがいるのかな。
そうですね。本当にそこら辺は今江さんが本当にやっぱりボビーバレンタイン流な感じなんでしょうね。
そこら辺が。多分、レフトに使ったり、ライトに使ったり、セカンドに使ったり、伊藤幸男はサードに使って浅村休ませるなりとかね。
いろんなふうに活用するようなピースとして2人はいる感じでしょうね。
ボビーバレンタインも猫の目出せんって言ってほとんど固定されてなかったじゃないですか。
そうです。
そういうことをやりたがっているんだろうなっていう感じはしますね。
なるほど。
あんまりポリバレントな選手を多めにしているっていうのが、もともと石井さんの方針としてそうなので、それが維持されている感じですかね、楽天の場合は。