「これが私!」という自分を表現しよう
人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう? おはようございます。こんにちは、橋本ゆみです。
今回のテーマは、これが私という自分を出していこう、ということで、ゆるっと覚醒マインドでお届けします。
前回、ちょっと瞑想会での話もあったので、せっかくだから多少シェアできること。
だいぶ時間過ぎてますけどね。シェアできるというか、ポイント、今意識するといいよというポイントの部分をシェアしていきますと、タイトルの通り、これが私であるというのを自分を出していかれることをお勧めします。
これ自分を出すっていうと、人はだらしがない自分、ちょっとわかりやすくそういう表現にしますね。
だらしがない自分も自分なので、むしろそれが自分らしさ、素の自分であるというところで、そこを出そうとしたり、そこを出すのはだらしがないから躊躇するということがまあ起きます。
だけど、あえて今、だらしがない自分という表現にあえてしました。
じゃあ逆は何か、だらしがない自分の逆は何かって言ったら、シュッとした自分とか、キラキラした自分とか、すっきりした自分とか、かっこいい自分とか、そういうことになると思うんです。
瞑想会ではときめく自分、自分が客観的に自分を見てときめく状態、それがこれが私という自分である、それを出してくださいね、そういうことを言ったんですね。
素直に自分を出す、素の自分を出すというのは、人によってはだらしがない自分を出す、これも自分をある種出すなので、勘違いを起こしそうだなということで、こんな表現をしていますね。
自己主張と客観的な視点
言いたいことを何でも言う自分、切磋なく言ったらこれはだらしがないというか、あまりにも自分勝手になってしまう。
人のことを考えなさすぎるっていうのは、自由な自分でありそのままの自分であるということに何ら間違いはないけれど、それって旗から見て素敵な自分ですかって言われたときに、それが素敵な自分であるとは言えないんじゃないかなと。
楽な自分とは言えるかもしれないね。ここなんですよ。武士は食わねどたかようじみたいなところですね。それがかっこいいと思っている人はそれをやったほうがいいよってことです。
それかっこ悪い。逆に武士は食わねどたかようじかっこ悪い。お腹すきました。八兵衛みたい。うっかり八兵衛みたいに。お腹すきませんかって言って、団子を食いたいって言っているほうが幼稚っぽいかもしれないけど、
自分はご飯を食べたい、団子を食べたいよと言っていることが周りにとって不快でない状態、あるいはそれが素直でいいねという環境であればいいし、逆にそれを、
例えば御陰境のときはいいけど、御徒功門に対してそれを言っちゃうと不敬にあたるわけですよね。だからやっぱり時と場による。それをかみせずに、いやこれが私ですから。私はこれでいいんです。
こういう自己主張、こういうのはちょっと考えたらいいよっていう感じですね。ダメとは言わない。それはどう自分が見られたいか見せたいか、あるいは年齢とかもあるし立場とかもある。
ここが、客観的に見たらどうかのポイントですね。客観的に見てどうかです。自分が思っている自分と人から見た自分ってだいぶ違う帰りが起きます。
どっちがいい悪いじゃない。やっぱり決めるのは自分でいいです。自分がそうでありたいならそれでよしです。人がどう言おうとね。
なのでというかね、瞑想会の感想でちょっと吹いたんだけど、SNSで私のSNSですね。見たり聞いたり。松田Fとかポッドキャストかな。聞いたりする限りユミさんは雲の上の人だと感じてました。
雲の上の人ってどういうことだろうと私は吹いてしまって。私死んだのかなと思って。フッて吹いちゃったんだけど。雲の上には乗れないなみたいな。でも1000人になって乗ってみたいなと思うけど、それはまた別の話であって。
雲の上の人ってどういうことだろうと思って。でもSNSで見たり聞いたりするっていう時はどうしてもその表面上でしか見えないし、表面上で見えたものをその人がどう捉えるか次第なので、こっちは何にもされるがままです。思われるがままですよ。それでいいんですけど。
他者からの見え方と自己認識のズレ
お話できてよかったって話だったんですよ。気軽に。別に講座であっても瞑想会であってもなんであっても気軽なんですけどね。私は気軽なんだけど、参加する人によっては気軽じゃないことももちろんありますよ。それはなんとなくわかるよね。
それはなんとなくわかるっていうのは、周りの人の意気込みみたいなのが自分とずれてると気負ってしまうってことが人は起こります。私がどんなにそこを気負う必要はないよと。
大人の寺小屋みたいな感じなので、いろんな人がいて当然だし、いろんな段階いろんなレベルの人がいて、それが逆にお互いの学びになる場を作ってるからね。
あまり参加したことない人と馴染みがないから緊張するのもわかります。参加できてよかったというお話で。
面白かったね。思ってた通り、透明感あり、気品のある男前の方でしたって。おぶけさんみたいな感じですかね。ちょんまげ言ってたんだろうな。さかやきそってちょんまげ言ってたんじゃないかなと思いますよ。
その感想が面白かった。なんでその話したかって言ったら、やっぱり自分のイメージとか、さっき言っていた自分が思っている自分と客観的に見た自分。
全てを客観的になんて見られないんだけど、常に自分がどう見られてるかっていう、やっぱり意識をしてるかしてないかっていうところで、そういう人ってちょっと近寄りがたいっていうのかな。
中に私、誰に言われたんだっけな。講座をやっている人に言われたんですけど、先生生徒じゃなくて講座仲間。同じような職業をしてる。そして私より年上のお姉さんなんですね。
お姉さん、お姉さんだからお姉さんから見た妹分の私みたいな感じでお話ししてくださったんですけど、なんかね、ゆみちゃんは子は表だからさ。子は表だけど、全然メールでやりとりするとめっちゃ親しみやすいよねみたいな。
お客さんに対して親しみやすいメールは送ってないから、そこは真逆な気がするんだけど、子は表だっていう。子は表って、養子が子は表なんじゃなくて、走ってる雰囲気なんでしょうね。
だからあの、瞑想会参加された方がね、男前って言われるように、なぜか男前田のクラッカーなんですよね。毎回、毎回というか昔からね。
だから男子より女子から好かれるっていうのを言うと、みんなああって言う。なんでだよって思うことはあるけど、笑ってしまうよね。
まあまあまあ、別に宝塚の人みたいに美しいわけではないけれど、なんかあるんでしょうね。男前のところ。
面白かった話だっけね。
信頼と自己客観視の重要性
これが私っていう自分を出していかれると皆さんいいので、これが自分、私っていうのをちょっとだけそのまんまの自分っていうことだけではなく、客観的に見た自分、自分がその自分を好きな自分を出すといいですね。
だらしないという表現を使ったけど、だらしない自分という表現を使ったけど、どこかで甘えている自分、これがそういう自分が好きであればいいんですが、
そういう自分を嫌だと思いながらも甘える自分っていうのを出すと、これねノンバーバル、非言語、他者には非常な違和感で伝わるので、信頼できないんですよね。
どこか、どんなにいい人でもどこか心配が残る、信頼がおけないっていう、人としての信頼はあるかもしれないけど、やっぱりどこかこいつ大丈夫かなっていうのが拭えない。
このズレっていうのが本当に自分じゃ気づきにくい。自分を客観的に見ないとそこが気づけないんですね。私はやっぱりそこに気づくのが遅かった。今でもあるかもしれない。
しかしその視点を持っているか持っていないかで、いつだって視点があれば変えられるんですから、変わっていけるんですから。やっぱりその視点を持っているって安心材料なんですよね。
これが私っていう純粋ピュアな自分だけど、ある種子供のピュアさな自分だけど、私たちはもうこれ聞いてる方大人の人が多いと思うので、大人が大人という衣を着ながら子供の純粋さを持つっていうのは、
ただのバカな人になるわけじゃないんですよ。子供の純粋さを持っているけど大人としてのたしなみもあるっていう、そこの絶妙なバランスっていうのが非常にその人を輝かせるものになるんじゃないかな。
それがあえて言うなら品格とかそういうところにつながってくるのかなとも個人的には感じます。だから簡単に言うと繰り返しですが、客観的に自分を見てその自分に自分はときめけるかどうかですね。
その自分が素敵かどうかです。本当にそれを意識されるとめちゃくちゃいいよっていう話からね、いろんな話を瞑想会ではしています。具体的にもっとこうするといいよとかここに注意してねとか。
大人の純粋さと品格
そしてその瞑想、それはトランスという状態に入り、私は現在臨床催眠をやってますので、ほぼワークですね。その人の内側の本当にこれが私、感覚的にこれだってつかめるようにその引き出しを、鍵を開ける、それがね瞑想会の醍醐味ですから。
それが開いていったというところで、いろんな方が前世代の過去のちっちゃい頃の忘れてた体験とか、あと勘違いしてた、怖い体験だと思ってたけどすごくいい体験も隠れてたんですとか、そういう気づきがたくさん起きた会で、今回も楽しかったなという話でございます。
なかなかここ最近の話っていうのは、ここ最近って言っても今年の話ですかね。去年の終わりから今年にかけての話っていうのは、本当にこれまでとは少しずつ変えていく、思考、考え方を変えていく流れをお話ししています。
具体的に本当に変えて成長して、現実の世界に反映させていくという取り組みはもうこれは講座でしかできないので、なぜならもっと深いこととか、あとお手伝い、そして実際どうやって取り組んでいくのかっていうサポートをするのが講座の醍醐味なのでね。
そちらの方でやっていきますので。
制限解放ワークショップの案内
今、新しい講座がまた始まるお知らせはちょっと今後すぐじゃないんですけど、今後ありますが、手っ取り早いのが制限解放ワークショップですね。
これは本当に初めて参加される人はなんだかちょっと清水の舞台って思うかもしれませんが、過去そのように清水の舞台で参加しましたっていう人がこれは毎年出たいというぐらいですね。
まあやっぱり実感されるわけです。
そしてなかなかその欲しい体験を日々の中では実感できないことがわかるわけなんですね。
ちょっと抽象的な表現にはなりますが、これはぜひご参加されると本当に自然に無理なく変わっていく土台できます。
参加するだけで変わっていく場を作っています。
ぜひぜひご検討ください。
制限解放ワークショップは弊社のホームページから詳細が見られますので、
ホームページはspog-ad.comですね。
spog-ad.com
アシスタントディレクターの意味ではありません。
ホームページ概要欄にもどこかにリンク貼ってますので、ホームページリンク貼ってたと思うのでそちらをご参照ください。
メルマが撮っていただきますとお知らせ随時届きますので、メルマが撮っていただいてLINEとか登録いただきますと良いんじゃないかなと思います。
今日もご視聴いただきありがとうございました。それではまたお会いいたしましょう。