1. よるののうか
  2. iPhoneを受け継いでいくこと
2025-08-31 38:22

iPhoneを受け継いでいくこと

「日川白鳳、まもなく。」夜、届いた知らせは悲しいものでした。

師の生き様に触れさせていただいて、思い起こすのは

就農したばかりのあの頃でした。

サマリー

エピソードでは、桃の収穫に関連する話から始まり、農業の厳しさや予言的な噂についての会話が展開されます。さらに、亡くなった桃の師匠との思い出や、農業における未来志向の重要性について深く考察され、最後には自身の農業経験に基づいたエピソードが語られています。このエピソードでは、農業における若者の現状や地域の問題について話されています。特に、和歌山の農業環境とギネス記録を取得した桃の栽培に関するストーリーが中心となっています。このエピソードでは、話者の父親との農業に関する会話や、ギネス記録を達成する挑戦について語られます。また、栽培技術や地域の農業の特徴についての議論が展開され、実際の体験を通じて得た知識の重要性が強調されます。このエピソードでは、iPhoneを受け継ぐことの重要性と、人に優しくすることの大切さについて語られています。また、農業や栽培に関する経験を共有し、他者への感謝の気持ちが強調されています。

桃の収穫と大災害の予言
今回のよるののうかは、エピソードトーク
この間は、僕は桃シーズンで大忙しで収録できず、やったんですけど
桃の収穫の時の話から始めるんですけど
ヒカワハクホーという和製の桃があるんですよ
はい、何月頃ですか?
あれ、6月末、いや4月頭くらいから収穫
7月頭?
できる品種で
撮ってたんですけども、パートさんに受けてもらってて
僕撮ってたんですけど
パートさんが
今日7月5日
らしいで
そうやけどって言ったら
今日大災害が起きるらしい
あった!
あったあった
予言?
何だっけな
たつ、たつ、たつき
違う、名前忘れた
あのー
私が見た
東日本とかも
未来かな、なんかそんな感じですよね
予想当てたとか言うね
7月5日に大災害になりますって言うんで
それ今日ですよって言ってきて
そんなこと噂になってるの?
Yahoo!のトップにも載ってますよ
中国人こういうのあったやつね
そうそうそうそう
らしいですね
僕桃忙しい時期だったから全然わからんかった
そんなこと考えられてない
考えられてない
でへんから
で、え、そうなん?って言いながら
え、今日これの大災害起きんのかい?って
まぁのんきに言いながら
僕その後またのんきに
ね、こんなんなって思ったら
まだ被災は取り切ってないで
って僕言ったんですよ
農家らしい言い回しでね
被災確保が取り切ってないから
ただ、うちの父親も
収穫合流してきたんですよ
ただそのパートさんがうちの父親に
社長、今日日本大災害が起きるらしいですよ
予言出てるらしいですって言ったら
父親が
まだ被災は取り切ってないけどな
同じこと言うてる?
同じこと言ったんですよ
父親はマジなトーンで言ったんで
まぁ冗談やと思うんですけど
まぁ農家らしいじゃないですか
狭い視野でもらってるような
わざとね、面白おかしく言ってて
そういうことがあったんですけど
亡くなった師匠の思い出
その日
晩にFacebookのメッセンジャーが
ピコーンって久々に届いてたんですよ
普段あんまつかないんですけど
そしたらリスナーさんが
この番組のね
大阪のリスナーさんが僕に対し
メッセージ来てくれて
何だろうと思ったら
いつも聞かせてもらってます
Mさん進行ございましたよね
以前桃の師匠とかいう話で
ポッドキャスト昔にされてたかと思うんです
僕昔桃の師匠の話って
めちゃくちゃ初期にやったことあるんですよ
なんかどっか聞きに行ったって
電話かけて聞きに行ったみたいな
もうほんまに初期です
伊藤さんとも話まだやってない時にやったんですけど
以前進行あるって話されてましたよね
先日お亡くなりになられました
59歳
若いな
若いじゃないですか
若いな59やったら今
信じられないんですよ
非常にお世話になった方で
Facebookその方の探しに見に行ったんですよ
その方の一番最後の投稿が
ひかわ博報まもなくって書いてたんですよ
その後体調が急変されて
がん科で亡くなられたというようなことらしいですけれども
マジかって
僕もすごいお世話になったからね
もう一回その時のお世話になった師匠の話しようかと思うんですけど
最後の投稿が
ひかわ博報まもなく
っていうんでひかわ博報の写真があったんですよ
まだ真っ青なひかわ博報
これから撮れるっていう
それは今年の投稿やったの?
今年の投稿
今年の6月の20日ぐらいの投稿
僕不謹慎なんかなんかわかんないけど
僕かっこいいなと思ったんですよ
どうも伊藤さんどうもです
最後の投稿伊藤さん
宮川和生まもなく
生涯終える
どう思う?
僕そこに関してはなんも思えへんわ
全然なんも思えへんわ
逆に無念やなって思うけどね
無念やけどなんていうかな
取り切って終わったで終わってるほうが良くない?
それはそうだけどさ
終わりましたっていうほうが僕はなんかええんちゃうかな
終わりました分かるよ
それも分かる
逆にこれ売りたかったやろうなっていうのが逆に思うんやけど
農業の厳しさと未来志向
かっこええんちゃうものは分からんけど
要はさ
年いったおじいちゃんとかがさ
これ誰とんのよって周りに揶揄されながら
みかんの木植えてたりとかするじゃないですか
誰とんのよって
80回ったおじいさんが
今の木植えて誰が収穫するんやと
誰収穫できんのよそれ取るときよ
とか言いながらヘヘヘヘ言いながら植えている感じ
あれみたいな話じゃないですかこれって
いかはくほうまもなくって
まあ無念も多かったかと思うんですけど
常に未来志向というかな
農業ってそうじゃないですか
何年先見据えてみたいな
何年先見据えたなり
次の季節なり
っていうことを考えて作業するじゃないですか
そのサイクルの中でなんか
生涯終えるっていうのは
僕の変な美徳かな
どう早めのファイヤーとかのほうがいい?
早めのファイヤー
いや別に
まあでもあれよな
今の理想やったらそうかもね
そうか
仕事ほど良い仕事で
誰かにやってもらうほうが理想かなって思う
それはそうか
僕そこ職人派じゃないからそこまで
ああそうか
僕はかっこいいと思った
その師匠らしいなとも思った
僕その人となりも分からないし
言われたってうーんっていう
感想しか出ないんだけど
昔したことがある
その師匠のお話を
この際振り返りながら
もう一度ね
昔させてもらったお話なんで
聞きましょう
させてもらおうかなと思います
伊藤さんにはしたことないんですよ話
したことないかもしれんけど
僕も一から聞いてるからね
多分聞いたことあることはあるけど
あるとは思うけど
覚えてるかどうかは分からんけど
今から9年前
僕今34年25歳
で農業始めました
でその年一番お金入らなかったんですよ
農業始めた年
一番最初の年が
桃の時期に長雨ずっと降って
別のポッドキャストでこの話してます
別の回でね
やってますね
桃が全然自分専家って
川中島博都が普段300杯くらい取れるものが
2杯しか取れなかったっていう
そういうとんでもない年あって
ほんまにお金にならなかったんですよ
で私も学校の先生って世界から帰ってきて
ホワイトカラーじゃないですか
そっからブルーカラーの世界に入ってきて
やっぱ違和感あったんですよ僕最初
伊藤さんそんな感覚は特にないか
全然ない
全然ない
ヌルッと入ったしね
アメリカ行って帰ってきてるから余計よね
そうか
ドロドロの服になって遊び物になってっていう仕事が
あんまりいいように思ってなかった
反抗してた
若いしね
それで金になってないしね
そこはでも金になってないっていうのは分かってたんで
自分で経験見てないって言ってたけど
払うしんどそう
うちの父親が
だいたい父親の言うことが全てになるじゃないですか
これまで30年間農具やってて最悪の年だったって
しょっちゅう言ってたんですよ
そんな言うてたらほんまに最悪じゃないですか
それの情報ばっかりだったから
ほんまに農業としてやっていくのが正しいのかなとか思ったり
する時期あったんですよ
帰ってきて
その時ね売り方もパッとしてないんですよ
グッズはね
近くのファーマーズマーケットにちょろちょろ持って行ったりして
割と安いね周りに貼っているようなところで
それにつられて安いななんと売れやんで
そういうのでこれ売り先ないでどうするのよみたいな感じのことをしょっちゅう言う感じね
しんどいじゃないですか
そういうような状況下でついた
これは何か高い作がいるなぁと思ってたんですよ
うちの隣の隣の地域ぐらいのところに
ツノカガヤキっていう品種があります
珍しい柑橘
その頃僕ねいろんな柑橘類変わった上で
多様な柑橘類楽しんでもらおうっていう戦略最初やった
ツノカガヤキっていうのを植えてるらしいよ
その農家さんのところで話聞きに行こうと思って
連絡つけて僕行ったんですよ一人で
そしたらうちの父親と同じぐらいの世代の人が
ツノカガヤキ植えてる150本ぐらい
まあまあ植えてるなと
変わった品種やから見させてくださいよっていう風に言って
僕農業始めたばっかりのもんでちょっと何もわからないんですけども
っていう感じで話聞いていてたんですけど
そこで僕その人から2時間説教を受けたんですよ
お前なんでついだんだと
うんね若いのによ
なんよんねわざわざこんな仕事でやるのよって言われて
もともと学校の先生やってたやろ
もったいないねって言われて
その人僕のちょっと年上ぐらいの人で
大学行かせて就職させたらしいんですよ
でまあわしはもう
なんせこの仕事から離さなあかんってずっと思ってたんやと
息子をね
なんとか社会に通用できるような子を育てなあかんと思って
なんとか大学まで入れて
で仕事ついてもらうように頑張ったんや
農業の現状
やっとここから抜け出せれたと思ったのによって言われて
農家のループで
その人ちょっと思い出強すぎるよね
それをね僕に当ててくるんですよ
同じ鉄を踏みさせたくないっていうのもあってね
いうんやろうと思うけどね
僕も若いからさ
そうなんかって思うんですよ
一番はっきり覚えてるわ
お前ここらも山道や山道って場所じゃないですか
お前どこ山道や日山道やより
こっちは東山道や日山道ったらよりしんどいわ
こいつ東山道でも若いやつおるか?
お前ぐらいの年のやつおるか?
おらんやろ?おらんねん
そうやって判断してんねん
若いやつあかんねん
もうあかんねんこの仕事
地域が証明してるんだよこれ
お前んとこ有田川?荒川川?
ちゃうやろか炭化使えへんねんここら辺で農家やってても
証明してないでしょって言われたんですよ
これきつかったんですよ
向こうも向こうで若者にっていうのはあるんやろうね
熱いしてやったことは分かる
余計なお世話やったらそういう事ないけど
僕ずーんとしてて
結局ツノのぞみかん見ることなく帰ってきたんですけど
ずーんとして帰ってきて
うちの父親に報告したらうちの父親だいぶ怒ってたけど
帰ってきてももうからもうからなんてしょっちゅう言ってるから
最悪の年や最悪の年やってずっと言ってるから
合ってるかどうか分からんし
一応国の策で何とかお金僕にも払ってくれてて
結局僕も100万ぐらいもらっただけで終わってんすよ
はいはいはい1年度ね
年終了
支出家で実家でいてるしご飯も出てくるから別にないからよ
それでも生きていけるけどさ
そやな
一応外で働きに行ってた感覚もあるからさ
一人暮らしやってた時の家賃とかもかからんとして
けどもやでみたいな感じで
けどこれでさ昇進とかもないやん
ないね
経営権変わったりとかあるかもしれないけど
これは危ないと思ってたんですよ僕
農業と家族のつながり
何か打開策探すのは無理ちゃうかと思ってて
自分のやる気の問題じゃなくてその家的なヤバさってことで
それはさ
だからなんか肥料とかもさ払いの
払いつもはすぐせな割りんやでっていう感じのことを教えられるのにさ
肥料の払いさ
ボンでもえすかってうちの父親が言ってたんですよ
その一言はっきり覚えててねこれは相当まずいんやなと思って
怖かったん時はやばいところ来てしまったなって思ってたんですよ
僕たまにあれでしょ和歌山県の商業課の教員やったんで
非常金の募集のとか見てたんですよ
僕当時付き合ってた彼女とかもいてたんで
農業とか大丈夫なんとか言われても
なんて返事できないですよねよく
その帰ってきた理由がなちゃんと家の見てとかやったらいいけどな
なんとなく帰ってきて家に仕事あるからみたいに帰ってきてるのがそもそもの悪いとこなんやろけど
帰ってきてくれって言われたんですよちょっとはね
これは恐ろしいなって思ってた時期で
直売所で桃も売ってるんですようち自宅横から直売所になってて
倉庫を改装したような簡単なところやけども
そこでお客さんとかも来て
桃買いに来てお客さん初めて来るような人で
ここ荒川の桃ですかとか純粋に聞いてくるんですよ
違うんですよって言ったら
荒川の桃じゃないんやってバーって返ってくるんですよ
これをね僕ちっちゃい頃からずっとやってるんですよ
さっきのおいやんの話もあってめっちゃしんどいですよこれ
若い頃は特にね
刺さるんですよ
分からんっていうのもあってね
そんな中で絶望で生きてた時期の冬
まだなんも分かってないの
その時にテレビ見てたんですよ
そしたら桃のギネス記録が出ましたっていう
TODOのが出たんですよ
なんやこのニュースと思って
そしたら大阪で出ましたって出てきたんですよ
それが僕の師匠となる人でMさんなんですけど
ギネス社の厳しい認定も超えてで
桃のTODOギネス記録っていうのが出せて嬉しいと
字幕では入ってなかったけど言葉では載ってたんですけど
和歌山や荒川のもんやなくてでの
ここの大阪で出したってことが何より感動
大阪のものの作物をしっかりとアピールできて
ええもんができるんやっていうことを伝えていきたい
負けてられへんからねみたいな感じの
文字では全然オブラートに包まれた感じだけど
字幕を突き抜けての言葉がダーって
ものすごい僕何か共感したんですよ
分かってもらえます?
言いたいことは分かるよ
この人は僕よりももっと大変な環境でやってるんじゃないか
大阪って言ったらよりちょっと違うじゃないですか
あわててFacebookで連絡つけて
すいませんお話聞かせていただけませんか?
っていうことでピャーンって行ったんですよ
2日後3日後くらいか
大阪の岸和田羽近っていうところで
ご自宅伺ってて
僕あの時情けないもんで
一人でパーって行ったから
手土産もなんもなし
若い頃やからねそれは分かれへんよね
ぶれもんじゃないですか
手土産なんもなしで
とにかく倉庫の方入って行って
いらっしゃってお話しさせてもらって
どこで何やってんのよっていう感じで言われて
和歌山市の山道っていう場所で
桃かきみかんとやっておりますっていうんで
どんだけやってんのよとか言われて
どんだけも分からないですよ
何ヘクタールとかもまだ分からない
情けないもんですよ
初めて
数ヶ月やからねまだ
半年は経ったかもしれないけど
分からんので
栽培のどの頃でって言って
栽培のコツのみたいな感じのことを
パーって言ってくれるんですけど
何にも分かんないですよ僕
分からないですかその頃って
まあでも分からんのじゃう
自分のこの面積とか言われても覚えてないよな
ワクベルなんて
まあそもそもそれで会いに行ってるのもすごいなと思うけど
まあなんか
勢いで行ってるんやろうけど
牧草屋とかありますよ
それはワクベル見てたら分かるよ
帰ってきても勢いあるなって思うけど
かもね
ちゃんとそのなんていう
この土台やから大丈夫やなっていう確信がないけど
もう帰ってこないやばいかなみたいな
そうやな
ポッドキャスターアワードの時の
終わりの飲み会とかの動きとかも考えたら
ポッドキャスターなんか分かりますよね
まあまあ話に揃えるけど
まあ分からんのですよ
僕その時のメモではっきり覚えてるんですけど
ヨーメンサンプでとか話されて
ヨーメンサンプって言葉が分からなくて
ひらがなでヨーメンサンプって書いてるんですよ
分からないじゃん
そのくらいこの葉っぱの
葉っぱの面にかけるっていう意味だけなんですけど
全く意味分からんかったよ
ヨーメンサンプなんですね
話分からんから
とにかくずれて
なぜギネス記録って
思われたんですか
そもそもしよ
クボタのフルーツセレクターっていう
桃の糖度測る機械があるんですよ
高い機械なんですけど
それを差別化商品でやらなあかんから
それじゃないと売れあんからと思って
導入して測っていって
栽培技術は青森のリンゴ農家さんが
ちょっと変わったことやってて
その人が講演してたんですって
大阪で
その講演終わった後に
みんな農業士官みたいなのに集まってたんやけど
そのMさんだけが残って
ちょっと詳しく聞かせてくれるかってなって
それを桃に取り入れたんです
そしたらバーンってとうとう出ることになって
フルーツセレクターに桃乗せていったら
25.5ってずっと出るんです
25.5度25.5度25.5度ずっと出るんです
壊れてるってなったんです
壊れてるってあればな
なんだこれってなって
久保太に連絡したんです
久保太がちゃんと見てくれたら
Mさんと
久保太の人がね
我々は桃の糖度っていうのは
20度ぐらいのものでの設定で十分かと考えておりまして
ある程度の余分を持たせるということで
25.5を限界の設定としておりましたと
Mさんの作られている桃が
25.5度よりも上の数字が出ておりますので
そのマックス値ということで
25.5しか出ないようになっておりましたと
改めて設定を変えさせていただいて
この上限っていうのを撤廃させていただいたんで
今後はその数字のように出るようには
設定させていただきましたって言われたんですって
その時にこれはギネス取れるぞって思ったんですね
久保太が認識しないレベルのものになっていると
でこれ
ギネス取れるんじゃうかって
ギネス社に当たったりとかして
その時に大阪維新の先生方に
頼んでとかいう話してました
政治家先生の話とかね
そういう話してました
ギネス記録の取得
そこの話長かったんやけど
僕にはその時からよく分からなかったんですけど
なんかいろいろあったやろうなと思いながら
でギネス記録ってなって
糖度22.2度でっていう形で
22?
ってなってて
ちょっと待って22.2って何ですかって
そのニュース見てた時に22.2度って書いてたんですよ
でうちの父さんに22.2度って出んの?って
僕聞いたりしたんですよその時に
22.2それは高いけど
1個ぐらいあるんちゃうかとか言うんで
僕らもいけんじゃんそれだったらとか言ってたんですけど
いやいやちゃうんやと
ギネス社がねその時に食べ物で項目作るってなった時に
食べられる範囲のものを全部ペースト状にしてやれ
種以外を全部ミキサーにかけて
ペースト状にしたものの平均値で20度超えたら
ギネス項目として新しく作っちゃらよって言われたんや
えーそれどうなんですか?
じゃあそのフルーツセレクターでやったら何度出るんですか?
34よって言われて
うわー
そらしがちゃうなーと
それ和歌山県で30度超える人とかいるんですか?
作ってる人で
そんなおるかよって言われたんですよ
まあその後畑とかも見させてもらって
畑に草全然生えてなかったで冬のシーズンやって
うわーなんかめちゃくちゃ草管理されてるんですねとか僕言ってて
除草剤かけてただけだったんですけど
その時そんな知識もないレベルすっとんきょなこと言ってんすよ
1年やってないからな
まだ通してないからわからんかって
なんやかんやわからんままも頑張れよみたいな感じで話終わっていって
和歌山県に帰ってきたんですよ
午前中に行ったんですけどね
でうちの父親にこういう人やってこういう人やって教えてくれてさーって
一生懸命話して
連絡先とかも教えてくれてって僕言ったら携帯がなくてですね
あれ?忘れたって
携帯電話を僕忘れたんですよMさん家に
そうこやね
あのねMさんの車の中に忘れてた
でも家電でね昼1時ぐらいだったんですけど
すいませんそちらに携帯電話忘れてないでしょうかって言うんで
農業の栽培技術
かけたらまあつながって出てくれて探してくれたんですよ
車の後ろに乗ってたって言うんで
すいませんそれちょっと置いといていただいて
明日にでも取りに行かがうかと思いますんでって僕言ったら
まあ何かの縁を持ってっちゃらって言われて
もうね2時にここに持ってきてくれたんですよ
昼の?
昼のもうその電話した1時間後に持ってきてくれたんですよ
手土産も忘れた
何も分かってないようなこのところに持ってける?
県またいで
そりゃまあそのコウヘイ君が熱かったんじゃないその時
いや僕
まあそもそも半年でいかんで
半年で言われてちくしょうって思わんで
そこは僕たぶんコウヘイ君ちょっと熱いんやろなって
半年でそんなこと言われてもそりゃそうよなって思うだけやん
あーそうなんや
お前どっかあれだなホンマとちゃうやんけみたいなこと言われても別に最初やったら
あーそうなんやろなーってしか思わんくない
プライドもクソもなくないただ一回できてやってるだけやん
農家の世界とちゃうで
あーまあそうか
って僕は思うんやけど
僕はそうやったんすよ
ちょっとそうか熱く映る話かこれ
うん
ような
いや間違いないと思うで
半年はそんな自分で動くっていうのは熱いで
あんた新地収納車並みに動いてるやんって僕には聞くやつ
そうか
ちょっと自慢中かなんか背景とか
あーそうかごめんごめん
実際にやったことない
自慢じゃないで
自慢じゃないよ
いやコウヘイ君はそういう風に
無知やったんよホンマに
ホンマに無知やってね
でうちの父親と話して
まあもうこれわざわざありがとうございますってなって
まあこの災難で私なんかあれですけれども
見させてもらえますかって
Mさんが言ってくれて
うちの畑に行って話見てくれたんですよ
はいはい
でまあこここうやねとか
桃に関する栽培のうちの父親が聞いてるんで
僕は何にも分からんから
で栽培技術のどうのこうのを話ずっとやっていって
今でもうちに父親が言うんですけど
あそこでずっと黙って聞いてたけど
大声出したくなるぐらいびっくりしたって言ってた
今でもあれ超えるんないわって
衝撃がね
衝撃があったんですって
ビーンってなるようなものがあって
でそうやってんねや
そうやったら確かに出る気するわって
父さんも個人売りでこうやってやるんで苦労してたんで
甘くせなあかんって思ってたんですけど
衝撃走ったみたいで
で栽培の樹冠の話とかもしてたんですけれども
岡山県の例やったらこれもっと樹冠広めて
どうやら大きい木作ってやってるわとか
他府県の話をしてくれて
なんかね僕そこ印象的やったのは
岡山県はもう桃の木30年植えると
もたすんやと
桃って20年もたないですよ
岡山県の上行ったら
樹冠狭て
切り詰めるようなことをするから
それやったらものすごい木大きくなりませんか
っていう風にうちの父親が言って
大きいんで向こう12段
12段きゃたつのんねんと
どえらい高いで
3m6㎝やな
ものすごい高いじゃないですか
それ危ないですねってうちの父親が言ったら
せいで毎年倒れて誰か死んでんねん
断じりよな
毎年誰か死んでるっていうあたりがね
怪我に入れるとかね
大阪やなと思って
岸和田やったら諸やからな
そうじゃないですか
断じりと思うんや
大阪らしいような人で話して
教えてくれて帰られて
うちの父親
コストはかかるって話して
どうなんやろって
父親はけどうーんって感じやったんですよ
僕は何にもわかんないんですけど
地域農業の文化
ギネス記録ってこともあるし
携帯を何にも知らん僕に対して
その日に持ってきたっていう
この人の人柄
これは信用に値するはずだと思って
やりたいんだ
やるようになって
時折見に来てくれたり
都度連絡してくれたり
っていうことがね
でもフェイスブックのメッセンジャーとか見たら
その時の連絡
農業の何たるやとか教えてもらったり
天候雨降らんでとか言って
喚いてるようなツイートしたりしたら
天候のこと起こるんは
天井に向けて唾かけてるんじゃないぞ
自分の顔にかかるだけや
そのせいにしてたらあかんとか言う
暑いじゃないですか
暑いな
そういう例えでね
都度何か出すん無理やと思えや
太谷翔平はなとか言うんで
160キロ投げるんや
しかもあいつは打つんやぞ
二刀流でもいけるやないか
160キロはな
調子悪くても150キロや
大雨続いても通ってるぞとかね
そんな感じとか言ったりとかね
暑い人でしたね
覚えてる?
余談やけども
教えてくれたこと
航空会社ピーチあるじゃないですか
LCCの
ピーチが
キャンペーンのセールスで
桃配ると
地元のアピールにもするって言うんで
あらかの桃をピーチが配ってたんですよ
そしたら
お前ら大阪の会社ちゃうんけ
っていうツイート
フェイスブックでダーって書いてて
お前ら大阪の会社桃さんでええんか
お前どこの会社やと思ってんねん
みたいな感じでダーって書いてるんですよ
僕にはないなこの感覚と思って
多分この感覚でずっと戦ってたんやと思うんですよ
自分とこの桃を桃
大阪の桃っていうところね
和歌山にずっとやられ続けてきた
いろんな歴史があるでしょ
近かったらね
和歌山の荒川の方が有名やからね
有名やから
遠方の方だったら感覚分からんやろうけども
すごい熱いメッセージ書いてんなと思ったら
それ熱いって聞いたんやけど
ちゃんと俺政治家先生にも言うてな
とか言うんで
そこまでやってんの
そこ絡めてくる人はね
動く人やよ
動く人やね
動く人やね
何もせんでも
僕もいてるわ
僕の世代の人でもそういう人
政治家先生の話で比べると
選挙戦やった時期あったんですよ夏に
国政選挙あった時期で
うちに来てくれた時に
夏選挙戦の時な
政治家先生の商品売れやなって言われて
普段どんなお客さんなんやと
選挙法とかでそうなってんねや
僕の分からん世界やなとか思いながらも
ハイレベルなことを常に教えてくれました
三ッ星ホテルとの付き合い方とかね
僕が今別に実践してはないんやけど
そういう話してた方で
その時に30度出したら
和歌山で一番なんじゃないかと思ったんですよ
30度出した奴らおるかよって
それをたった一つの根拠で僕は登壇
一応出すことができました
二つだけ
安定的に出せてません
ここ最近出せてません
雨も多いしね
メディアがよく取材に来たんですけど
僕がメディア対応よくやるんですよ
うちの父親がそういうの買おうなるんややから
得意げに栽培技術取得して話した
どうやったんやみたいな感じ見えるじゃないですか
だって怒られたな
お前はまだ栽培技術分かってないやろ
お前の父さんが分かってくれてやってるんやから
気持ちは分かるけれど
そこは謙虚にならなあかんでと
言われましたね
怒られたりもしたけど
iPhoneの受け継ぎ
一個だけちゃんと褒められたことあるんですよ
僕が30度っていうゴール出して
栽培に関してはこうかなと思いながら
自分分かってないけどね
ただ30度出したらお客さんたくさん来るかと思ったら
そんなこともなかったんで
ただ30度もできただけなので
広報とかちゃんとできればいいなと思ったり
広く農業のことを話したりする方がいいかなと
外に向けてのアピールをせなあかんなと思って
僕は全然別方向で
このポッドキャストっていうものをやるきっかけになったんですよ
次の努力でということでこれを始めたっていう
そういう話なんですよ
今やってることはそれに関する第2章をやったんですよ
これもこれで自分でやっていって
これは父親が関係ない
その背景をずっとMさんは見てくれてたんですよ
ちゃんと聞いてくれてたんや
たまに聞いてくださってました
朝日新聞に載った時かな
近畿版で載ったんですよ
あの時めちゃくちゃ褒められましたね電話で
ツイッターかなんか上に載ってるやつやんかな
パソコンの前に座ってるやつや
一番最初に載った時ね
これはすごいこと
この売り方は知らない
こういう客の使い分け方は知らんわ
政治家先生関係ないもんなって言われて
逆にそういうのが複雑でこういうのはどう起きるんだ
みたいなことを話してくださった方でね
まあいいことない話かもしれんけれども
東都で競っていっててっていうんで
別の県で同じような人がいたんですよ
師匠とねライバル関係で仲悪いんですよ
あいつところは畑に里ステビアまいて余してるから
あんな本質やるかとかいうようなことを言っててね
僕はあれ反面共振してるんですよ
この栽培方法がいいやって言うんで
僕はね最終的にお客さんが喜んでくれたらそれでいいんじゃない
別にどの流派でもね結局
栽培技術に対して惚れ込んでいってた感じが見えたんですよ
いらっしゃるじゃないですかたまに
自然能とか
自分のやり方にプライドを持ってる感じですね
それはちょっと僕は反面共振
固まってきたら
僕もなってしまうかもしれへんけども
だから僕ある種ちょっと一個ドライに置いてるんですよ
栽培技術関係のこと
僕ここのラジオで熱銘しないでしょ全然
栽培関係は熱銘してないね
こういうふうに思ってることは熱銘してるけど
これはお世話になった師匠の話でね
だいたい円溜めにしてるよ頑張って
聞けるように頑張ってますよ僕
栽培ではそうかもしれんけど
畑変わったらまた揃いとか見え隠れするって話
ちょっと僕の悪い癖の厚苦しいところあるかもしれんけどね
それに付き合わさせてもらって
そこは良くも悪くもええとこだと思うけどね
最後に話すとするならば
人に優しくしましょうというかね
iPhone届けに行ける?
それもええんやと思ったんじゃない?
何かしら話して感じるもんがあったんじゃん
あの若者には何かしてあげたいと思ったんやろ
あれめちゃくちゃ分岐点やで僕
そりゃあそうやったんちゃう?
僕そんな特にないからね
僕が恩返しってもうちょっと遅いけど
だから今度逆に誰かが門を叩いてきたら受け入れてあげる
誰かがiPhoneを忘れたら
いっぱいそこ並んでるから
あれ今日は3つくらい置いてるわみたいな
やってもらったことを忘れずにね
そこはそうやな
それは受け継いだ物は返してから別の誰かに
まあ伊藤さんもちょっと覚えておいてくださいよ
何を?
優しくしましょうというお話でした
農業の経験
そこは大事やと思うで
商売してたら
商売ってか生きてたらやね
以上
前にも使ったことある話なんですけど
リブートです
非常にお世話になりましたありがとうございました
今があるのは間違いなくMさんのおかげです
じゃん
38:22

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