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八百屋さんが配達中にお届けするラジオでございます。アカペラグループINSPiの北が平日午前中は八百屋さんとしても配達しておりまして、その時間を利用して
お野菜や果物に関する豆知識あるいはコレやをとつとつと語る、そんな番組でございます。
今日は、いつもはこの野菜の話題っていうようなお話でお話ししてたんですが、ちょっと趣向を変えまして、八百屋さんの歴史を振り返ってみたいなと思っております。
僕自身も、八百屋さんになってから八百屋さんのことを調べたみたいなところがありますんで、そんなお話を皆さんと一緒に楽しんでいけたらと思っております。
というわけで今日は八百屋さんの歴史に迫ります。お楽しみください。
八百屋さんの歴史ということでございますが、古くは平安とか室町の時代に遡ります。野菜のことを青物と呼んでおりました。
青い葉っぱとか野菜、緑色のものを青物と呼んでおりましたが、その青物を扱う人たちということで、青物屋とか呼ばれてたそうです。
最初は青物屋が短くなって青屋から八百屋になったという語源的なところがございますが、平安室町の時代はそうやって呼ばれてたんですけれども、その後江戸時期になってくると、八百って八百頃津の神の八百ですね。
江戸時代になってくると、野菜だけではなくて調味料とか甘物とか、いろんなものを八百屋さんが扱うようになったと。
実際、僕、今も甘物扱ったり、野菜以外のものも扱ったりしてるんですが、八百屋さんがそういういろんなものをコンビニエンスに扱うようになったということで、
いろんなものをたくさん扱う人たちということで、八百と書いて、いろいろ扱う人たちということで、八百屋ってなっていったそうでございます。
ちなみになんですけれども、丸々屋っていう言い方は、放送禁止用語になってるっていう背景もございます。
というのも、丸々屋、屋外の奥ですね。
屋号の屋は、非善を稼ぐ人たちみたいな別称を含む意味合いで使われてた時代もあるので、そういうことを別称に当たらないようにということで、放送業界で、ちょっと待ってね。
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放送業界で嫌がる人もいるだろうからということで、1970年代、80年代ごろに使わないように、八百屋さんについては聖火天と言い換えましょうっていう運動がありまして、肉屋さんについては聖肉天とか、そういう言い方に改めて嫌な気持ちになる人がいないようにしましょうっていう運動があったので、
そうやって一応放送禁止っていうか、放送自粛、そういう言葉を使わないようにっていう風潮になっていったんですけれども、実際今でも八百屋さんとか肉屋さんとかお肉屋さんとか花屋さんとか、そういった形で使われて、日常的には使われてる言葉なんで。
たぶん日常でそういう言葉を使う人たちっていうのは、自然を稼ぐ、癒やしい職業みたいな、そういう意味合いでは使わないっていうのは把握してるっていうか、そういうつもりは未尽もないということで使われていることですし、僕らにとっても自分のことを八百屋って言いますから。
配達先に到着したときに、「〇〇製菓」っていう名前で言うこともあるんですけれども、「八百屋でーす!」って言っちゃった方が早かったりするし、自分自身で呼ぶ分には構わないだろうっていうことで。
何にもないですけど、この番組のタイトルにも八百屋さんが配達中にお届けするラジオと入っておりますので、入れておりますのも、特にそういった別称的な意味合いとか文脈ではないということをご理解いただければなと思っております。
テレビ業界、主にテレビで嫌な気持ちになる人がいないようにということで自粛を始めた言葉ですので、成果点と言い換えましょうっていうことにもなっておりますが。
日常的に使う分には問題がないという認識で僕はおります。
っていうか、自分自身がそうですしね。
どこまで話したっけ?
八百という漢字を書いて、八百屋さんと。
3を付けたらいいっていうような論もありますから、相性としてそうやって呼んでる。
八百屋さんとかお肉屋さんとかね、基本的に和語ですよね。
日本の言葉、もともと日本にあった言葉なんで、成果点とか製肉店とかは鮮魚店とかね、そのあたりは音読み、海外の読み方っていうね、中国の読み方ですから。
そうやって、ある意味ぼやかすみたいなことで失礼に当たらないようにしてるということでございますが。
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江戸時代で有名な話で八百屋推しっていうのがあるんですよ。
歌舞伎とか落語とかいろんなところで作品としてなってる有名な話がありまして。
天菜の火事っていうのがね、江戸の時代は火事がすごいたくさんあって。
実はなんですけど、火事があって、その火事にあった八百屋さんの娘さんのお七さんっていうのがね、火事から避難するためにお寺に行ったっていうね。
その避難先のお寺で、お寺の小坊主さんっていうんですかね、お世話するような少年がいるんですけど、その人との恋に落ちちゃって。
結局、火事から復興して元の家に戻った後で、あの人にもう一度会いたいなって、もう会えなくなっちゃったから。
お寺にいたあの人にもう一度会いたい。
あ、そうだ。火事を起こせばもう一度私は寺に行けるんだみたいなことでね、自分で火事を起こしてね、ぼや騒ぎになって、結局自分がその罪で火あぶりになっちゃったっていうね、非憐の話があるんですけど。
そういうのもね、江戸時代の八百屋さんでね、実際にあったお話ということで。
だからその当時の八百屋さんはね、自分の娘とかが十五六になると、自分の娘もそういうことを知り勝つんじゃないかってね、ハラハラしたみたいな記述が残っているということでございますが。
江戸からどんどんね、現代までね、ちょっと遡ってお話ししていこうかなと思うんですけどもね、明治大正の時代になるとですね、
それまで江戸時代はですね、ぼて振りって言ってね、天秤、担いでる絵とかね、なんとなく想像つくと思うんですけど、
カゴをね、長い棒の先っちょに二つバランスとってね、運んでる様子がね、思い浮かぶと思うんですけど。
江戸時代はそうやってね、お店で売るのもそうですし、そうやって荷物を自分で運んで、その運んでる間に売るみたいなね、移動販売ですね、言ったらね。
移動販売の形式だったんですけれども、それがですね、明治大正になってくると運搬技術っていうかね、運搬方法がね、どんどん変わってくるんです。
台八車とかね、リアカーとかがね、発達してくるんでね。
台八車って、僕まだね、実際に見たことないんですけどね、今でもあるのかね。
リアカーはね、ギリギリね、小学校のいろんなとこで見てたみたいなね、業務員さんが使ってたみたいなイメージありますけど。
その、台八車って木製のね、車輪まで木製の荷台がある車っていうんですかね、引っ張って運ぶ車。
リアカーはですね、台八車とちなみに、台八車とリアカーの違いってね、木製か鉄パイプ&ゴムタイヤなのか、みたいなところがね、呼び方の差が大きなところではあるらしいんですけども。
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あとね、台八車は車軸より上に荷台があるということでね、リアカーはね、車軸より下に荷台の底面があるんでね、ちょっと安定するみたいなね、荷物の載せ下ろしもね、ちょっと楽になるみたいなね、特徴がございます。
そうやってね、大量に運べるようになって、でね、当時はね、当時から、それまではね、移動販売あるいは店での販売をしてたんですが、
御用機器って言ってね、注文を事前に取っておいて、それで運んでいくっていうね、まさに僕が今やってることと全く同じなんですけど、そういった形式が発達してきたのが明治から大正期とされております。
それからね、昭和初期に移りますとね、昭和初期。
この時代はですね、戦後っていうんですかね、世界大戦後の闇市からね、どんどん発達してね、八百屋さんももちろんそこで頑張ってね、一般市民に物、物資を届けるライフラインですよね、としての役割を果たしていったみたいな側面がございます。
そういったね、闇市から発展した公設の市場、市場とかね、それから商店街に発展していくわけでございますけれども、その辺りの模様っていうのもね、結構作品とかに残ってたりするんですよ。
小説作品とかね、今でもね、オールウェイズ三丁目の夕日とかね、あの辺の時代の話ですよ。
その時代っていうのは、向田邦子がね、描いてるものに結構載ってたりするんですね。
あの、アウンとかね、あとは思い出トランプとかね、あの辺に結構ね、当時の商店街とか八百屋さんの模様とかね、それこそね、思い出トランプっていうね、短編集にはね、大根の月っていうね、お話、短編が載ってます。
その大根の月っていうのに象徴されるようなね、当時の昭和初期の八百屋さんの様子っていうのがね、そこでね、見て取れたりしますよ。
ぜひね、読んだことない人はね、僕も読んだんですけどね、読みやすいですよ。
読んだことない人はね、ぜひぜひトライしてみてほしいなと思いますが。
その辺りが昭和初期っていうんですかね、戦前戦後。
そっからね、あと昭和30年代になってくるとですね、スーパーマーケットが台頭してくるわけでございます。
それまでは八百屋さんでね、バラ売りとかね、対面販売っていうのがね、商売のメインだったんですけれども、
パック詰めされたものをお客さんが自分でね、カゴに取ってレジまで持っていくっていうね、スタイルのショッピング形態、買い物形態っていうんですかね。
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それがね、かなりのエポックメイキングというかね、衝撃があったシステムの変更みたいなね、とこだったようです。
だから今でもね、あるのかな、うちはもうやってないですけどね。
レジがあるからやってないんですけど、その天井からね、カゴ吊るして現金そこにいっぱい入ってて、全部そこにお買い上げ、代金もお釣りもそこから出すみたいなね。
代金もらってそこに入れて、お釣りもそこから出すみたいなね、八百屋さんのイメージあるかな。
八百屋さんとか魚屋さんとかのイメージあると思いますけれども、それがだんだん、何でも食料品を扱うスーパーマーケットが台頭してきてる。
そういうことでね、平成の時代になってくると八百屋さんも、セレクトショップ化が進むっていうんですかね、やっぱりスーパーマーケットの巨大な大量仕入れ、大量販売のスタイルにね、立ち打ちするにはどうしたらいいかっていうことでね、
セレクトショップ化が進むわけです。
うちの店はこれが売りですよっていうのをね、強く押し出して、八百屋さんとして信頼を獲得して商売するっていうね、いうスタイルになっていくわけでございます。
うちの店なんかはね、全国各地どこからでも仕入れて、そのときにちょうどいいものをお届けするっていうようなスタイルでやってるんですけれども。
そうやってね、今でも残っている八百屋さんっていうのは、あとはね、細々した御用機器的な側面もあるんですね。
僕、うちで運んでるのもね、野菜だけじゃなくて、なんならパンまで運んでますからね、パンとかね、寒物ももちろん運びますし、ヨーグルトとかね、いろんなとこから仕入れてきてね、運びます。
仕入れ先によってはね、パンだけしか注文しないっていうようなとこもあってね、笑い話でね、住居員同士ね、うちは八百屋だぞみたいな話をしたりもしますけどね。
なんでもね、お客さんのご要望に沿ってね、できることはね、なんでもやろうということでね、やっておりますよ。
ということでね、今話してきた内容っていうのは、いわゆる都市部での話ですね。
なんで農村部ではね、いまだに八百屋さんというよりは地元の農協とかいう話があると思いますけど、ずっとね、物々交換とか、お裾分け文化っていうんですかね。
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農村部では、みんながみんな生産者ですから、それぞれがそれぞれでね、いろんな野菜を作ってっていうような形で生活してますんで、たくさんできたものを分け合って、
うちでは大根がいっぱい採れたから、こっちでは白菜を採れたから、じゃあ交換しようかみたいなね、それぞれにそれぞれが野菜を作って交換し合うみたいな文化なんですね。
古くは八百屋さんっていうようなスタイルはなかったそうです。
場所によってはあったのかもしれないですけど、都市部で言われてるような、いわゆる八百屋さんっていうような携帯の商売をやってる人はいなくて、
だから、内陸部のほうは魚屋さんが遠くまで魚を運んで、そこと野菜を交換したみたいなね、そういったような形で商売とか生活物資を手に入れてたっていうような文化が長らく続いておりますし、
今でもね、だって杉ちゃん愛媛にいるけど、愛媛の近所の人からこれ作ったから食べないよみたいな感じで、お裾分け文化があるみたいなことを言ってましたから、野菜を食べるのも地域、時代によっていろいろ違うんだ、届ける方式も違うんだっていうことが未だにあるということでね。
というわけで、そういった形で現代の八百屋さんに繋がっていくわけでございます。
というわけで、今日は八百屋さんの歴史をバーッと振り返ってみるっていうかね、お話ししてきました。
調べてみると面白いね。
自分がやってる仕事とかね、自分がやってることのルーツを探るっていうのはね、気が引き締まるというかね、自分が必要なんだと思えるというかね、単純ですけど、生きていくのにね、そういった自己肯定感みたいなのが大事だと思うんで。
自己肯定感の塊みたいな男でございますから、何があっても自分がいるから世の中回ってるんだぐらいにね、思えるとそんな幸せなことはないですよね。
なので、ルーツを探るっていうのは時に大事な作業っていうかね、大事なことなんじゃないかなと思って、今日は八百屋さんの歴史についてお話ししてきました。
はい、というわけで、歌い手インスピとしてもね、いろんな準備を進めております。
いよいよ夏ツアーが始まるということで、現在ニューアルバムに向けてミックス作業中ということで、いい感じの楽曲がどんどんどんどんとね、仕上がってきております。
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6月28日からね、ツアーが出ますんで、インスピのライブに、夏ツアーにぜひお越しください。
その他にも、ボイス4とかね、ボイス4でもね、新潟、長野とね、いろんなところに行きますんで、お近くの方はぜひお会いしましょう。お待ちしておりますよ。
はい、というわけで、ポッドキャスト界隈でいろんなイベントやってるみたいな情報はね、Xとかで仕入れてるんですけどね、いかんせん忙しくていろんなところに顔出したいなと思いつつね、行けてないのがちょっとね、はがゆいような状況ではありますが、
まあね、ポッドキャストはね、趣味としてのんびりやろうかなと思いますんで、タイミングがあるところがあればね、どしどしこちらも出ていきたいと思っておりますんで。
なんかね、お便りフォームの調子が良くなくてね、一気に3万件ぐらい白紙の回答が来るというような非常事態が起こりまして、お便りフォーム、投稿フォームを一回閉めて作り直しました。
なのでね、投稿URLとかも変わってますんで、それもね、逐一変えていきたいなとは思ってますが、今回出すところは大丈夫じゃないかなと思いますけれども、詳細欄にね、お便り投稿フォームございますんで、ぜひそちらにご意見ご感想、応援明のメールなど何でも待ってますんで、お気軽にご投稿ください。
Xの方でも八百屋さんが配達にお届けするラジオでね、募集しておりますんで、ぜひ読ませていただければなと思っております。
はい、というわけで今日は八百屋さんの歴史についてお話してきました。早口だったね、ちょっとね。もうちょっとゆっくり喋ってもいいんだろうなと思ってるけど。
まあ、熱くて、熱が、熱量がね、バーッと喋るみたいな感じになっておりますが、次回もぜひお楽しみにということで、今日はこの辺でお別れです。また次回お会いしましょう。バイバイ。