機械論的思考とストレスの根源
想像してみてほしいんですけど、目の前に壊れた時計があるとして、
それを細かく分解して、けけた歯車を見つけて修理して、元に戻す。
まあ、完璧に動きますよね。
ええ、動きますね。
私たちって、普段世界をこういう、なんというか機械のように捉えがちじゃないですか。
都市とか、家とか、引いては私たち人間自身のことさえも。
そうですね。私たちは複雑なものを分解して理解しようとする、いわゆるデカルト的な機械論にどっぷり使ってますから。
すべてをパーツに分けて機能ごとに最適化すればいいっていう考え方は、非常にわかりやすいですし。
でも、その人間を単なる機械の部品みたいに扱うアプローチが、
実は私たちが日々感じているストレスの根本原因だとしたらどうでしょう。
前提から間違っているんじゃないかっていう。
なるほど。それは鋭いですね。
今日深掘りしていく資料は、ある読書会のかなり熱を帯びた議論のメモと文字起こしなんですけど、
ここには私たちがなぜこんなに息苦しいのか、そのヒントが隠されていました。
鍵となるのはクリストファー・アレグザンダーの著書、パターン・セオイです。
よし、これを紐解いていきましょう。
生命体としての世界観と全体性
お願いします。
このアレグザンダーの視点ってすごくユニークでして、
彼は世界を冷たい機械ではなくて、息づく生命として捉え直そうとしたんですね。
生命ですか。
はい。
機能と形を切り離す機械論だと、どうしても環境の持つ全体性を見落としてしまうと彼は指摘しているんですよ。
ここがすごく興味深いところで。
全体性というと、資料にあった南イングランドの景観の話ですよね。
あれは驚きました。
数千年かけて人間が作り上げた巨大な人工物なのに、無生物の構造物にも全体としての生命的な秩序があるっていう。
ええ、まさに全体論。ホリスティックな視点ですね。
ただ、ちょっと待ってください。資料を読んでいて、正直すごく疑わしいというか驚いた箇所があって。
建築と人間のストレス軽減:2面採光のメカニズム
どの部分ですか。
どの部屋も2面再構にするっていう建築パターンの話です。
部屋の2方向から光が入るように窓を作るだけで、人間のストレスが激減するなんて本当にあり得るんですか。
いや、それが本当なんですよ。ただの感覚的な話ではなくて、明確なメカニズムがあって。
ちょっと窓が1つしかない部屋を想像してみてください。
はい、よくある四角い会議室みたいな。
そうですそうです。光が一方方向からしか当たらないと、人の顔に濃い影が落ちますよね。
ああ、確かに。コントラストが強くなって、ちょっと不気味な感じになりますね。
そうなんですよ。私たち人間って、進化の過程で相手の微妙な表情とか、非言語のサインを読み取ることで、この人は安全か危険かを瞬時に判断してきたんですね。
なるほど。
なので、顔に影が落ちていると、脳がそのマイクロエクスプレッション、微表情をうまく読み取れなくて、無意識のうちに逃走や逃走のスイッチを入れてしまうんです。
ええ、そんな無意識のレベルで。
じゃあ、二方向から光が当たると。
影が消えて、相手の表情がはっきりとわかりますよね。そうすると、脳がここは安全だと認識して、結果的にストレスホルモンが下がるというわけです。
いやー面白いですね。今これを聞いているあなたも、窓が一つしかない四角い会議室で、妙な息ぐるしさを感じたことがあるかもしれないですけど、それ、あなたのせいじゃなくて、部屋の機械的な構造が神経系を脅かしていたんですね。
存在論的デザイン:環境による人間の変容
まったくその通りです。そしてこれを全体像に結びつけると、もっと大きな真実が見えてきます。私たちを自分たちが建物をデザインしていると思っていますが、実は建物が私たちの神経系や振る舞いをデザインしているということなんです。
逆なんですね。私たちがプログラミングされていると。
はい、これを存在論的デザインと呼びます。人間がAIや都市環境をデザインすると同時に、私たち自身がそれらによって変容させられているんです。
ここからが本当に面白いところなんですが、私たちが環境にデザインされているんだとしたら、トップダウンで作られる中央集権的な都市計画なんて最悪じゃないですか。耳が痛い話かもしれませんね。
資料の読書会でも、そういうツリー構造の都市計画のせいで、かつて街角に自然発生的にあったお年寄りが商業さすようなサードプレイスが消えてしまったと指摘されていましたし。
ツリー構造というのは、住宅街、商業区、オフィス街って要素をきれいに分類して切り離す設計ですからね。
例えるなら、入り口が一つしかない郊外の行き止まりの道みたいなものです。
目的がある人しか入ってこないから、予期せぬ出会いがないと。
そうなんです。機械のパーツみたいに整理されてはいるんですが、そこに生命としての動きがない。
セミラティス構造と有機的なコミュニティ
対照的にアレグザンダーが推奨するのは、重なり合うセミラティス、つまり半格子状の構造です。
重なり合うっていうと具体的にはどういうことですか?
例えば、いろいろな目的を持った人や道が複雑に交差する東京の活気ある路地裏みたいな空間ですね。
カフェがあって立ち話をする人がいて、ただ通り抜ける人もいる。
この有機的な重なりこそが自然なコミュニティを生むんです。
で、これが一体何を意味するのかっていうことなんですが、
プロセスとしての環境デザイン:ビーイングからビカミングへ
つまり私たちの環境とか組織を、完成された固定的な状態、いわゆるビーイングとして捉えちゃダメなんですね。
ええ、そうです。
常に環境と私たちが互いに影響を与え合いながら変化していくプロセス、ビカミングとして捉えないといけないと。
まさにそこが確信です。情報と効率化の波に飲まれる現代だからこそ、
デザインの力を意識的に使って自分たちの振る舞いをよりよく自由にする環境を育てていくシフトが求められているんですね。
最初の方で話した機械の歯車を思い出してほしいんですけど、あなたは修理されるべき生体ロボットではありません。
もし人間が作った空間やテクノロジーが逆に人間自身を形作っているのだとしたら、
今あなたを取り囲んでいるその部屋の構造や、じっと見つめているその画面は、明日からのあなたをどんな人間にデザインしようとしているんでしょうか。