2022-09-28 15:54

#1 安岡青年がサッカー留学でブラジルへ行った話。

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感想

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安岡信一の遠くへ行った!
全国、つつうらうらライブをしながら回ってますよね。
本当に優しいコーラスと素敵なギターの音色を届けてくれてますけれども、
いつもMCでは毒を吐いて言いたい放題、そんなしんちゃんが思いっきり語っちゃおうというコーナーなんですよね。
いやー、ちょっと僕今日本当、さえちゃんが振ってくれるんで、ものすごく気持ちよくしゃべりすぎてて、
そんなことないですよ。
また俺の話かよ、みたいな感じになってません?これ。
今日は、いろんなところ本当に行ってるでしょ?日本も海外も。
行きました行きました。いろんなとこ行ってます。
でしょ?いろんな人と出会ったり、いろんな経験したり、いろんなもの食べたり、見たりしてると思いますけど、
どうしましょうか?今日1回目ですこのコーナー。
そうですね。僕が生まれて初めて行った海外。
初めて行った海外か。
話をちょっとしようかなと思うんですけど、
僕、ずっと先ほどもちょっとお話したんですけど、ずっとサッカーを小学校1年生からやっていまして、
もうそれはそれは、コース投射スタイルもバチーンなってまして。
今の半分くらいのサイズでね。
そうですよ、中学校もね。笠賀の中学校というところでキャプテンをしましたね。
俺、中3の時に、やっぱり当時三浦和義選手がJリーグがもう立ち上がったくらいの時で、もうスターなわけですよ。
大大大人気でね。
ブラジルから帰ってきて、僕中3の時ですよ。
今ももちろん人気だけれど、
そうなんですよ。
もうやっぱり日本のサッカーって言ったら勝つでしょみたいな時でしたよね。
もう数に憧れて、
で、俺は高校行かずにサッカーで留学するってもう中3の時に決めたんですよ。
中3ってことは何歳?
15歳とか4歳くらいですね。15歳くらい。
で、親父に、もう俺高校行かないからドイツに行かせてくれと。
ブラジルではなくて、なぜかドイツだったんですけど。
親父に言ったら、親父がお前バカなんじゃねえかと。
ふざけんじゃねえって、どうやって行くんだよみたいな感じで、
もう相当怒られん。
でも俺はその時もたかんな時期で、やっぱりもうね、親父にも、
うるせえ!俺サッカー選手になるんやい!
って言うて、言うこと聞かなかったんですけども、
最後親父も折れて、蓄養学園っていう高校、福岡にあるんですけど、
そこの高校から特待のお話を頂きまして、
サッカーで?
そうです。それがもし決まらなければ、俺はもうここ行かない!って言っちゃって。
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うん、よく決まったんですよ。
蓄養学園に入学しまして、高校1年間は蓄養で修行しました。
1年生の終わりに、ひょっと話が出てきたんですよ。
交換留学の話。サッカー留学の話が。
これ運命だなと思って。
行きたい奴いる?って監督が言った時に、俺真っ先に手を挙げて、
行きたいです!ブラジルに!って。
ブラジルのサッカー留学はどう言ってもなかったんですけど。
16の時に?
そうです。僕16の時に初めて。
初めて行った海外が蓄養学園?
ブラジルで。一人で行きました。
誰も?
もう、着きそうにもないです。
一人ですか?
一人です。国家空港から。
それって何?言葉はどうするんですか?
ブラジルはポルトガル語なんですよ。
だから、少し勉強はして行ったんですけど、全く…
いやー、そんなね、挨拶を覚えても、結局会話に行ってなった時、難しいですよね。
全然喋れないですよね。
ブラジルにでも行けるようになって、
1年間高校の…17歳の年ですよね。
94年から95年なんですけど、
僕ブラジル1年間一人で行きます。サッカー留学。
どうやってコミュニケーション取ったんですか?
困ることもいっぱいあったでしょ?
ブラジルっていう国が当時、僕すごい衝撃だったのが、
移民でできてる国なんですよ。
だから、日本人の僕が行っても、別に街には何も…
不自然でも何でもない。
あー、そうなんだ。
日本人の僕に道を尋ねてくる、ブラジル人の方がいるんですよ。
でも、自然と馴染むことができた、そんな感じ?
そうなんですよ。外国の方が日本に行っても道を尋ねたりしないじゃないですか。
日本人の感覚としてですね。
それが全くないです。ブラジルの方が。
移民でできてるから、いろんな人種の方がいるので、
僕に道を結構尋ね…
でもそれだけ、本当に現地に馴染んでいて、
全然オドオドしてなかったってことですよね?
辞書を持ち歩いてましたよ。
ポルトガル語から日本語にする辞書で、
日本語からポルトガル語にする辞書を2つ持って歩いてました。
ガッツあるなぁ。16年一人で行って辞書抱えて…
そうですね。むちゃくちゃ…
サッカーの時は、言葉じゃなくて体でというか、プレーでコミュニケーションを取るわけでしょ?
言葉がやっぱり大事です。
言葉でいろんな指示を受けたりとかするし、
1年間僕サッカーで行ったんですけど、
実はブラジルに行って下手くそになって帰ってきたっていうね。
出れないね、試合にまず。
そうかぁ。壁はやっぱり高いわけですね。
いやぁ、それは言葉がまず通じない選手を使うことなんてまずないし。
必死で終えましたけどね。
貴重な経験を…
いやぁ、経験としては今45歳になった今、
やっぱりブラジルでの経験っていうのがものすごく
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自分の人生に活かされてるとは思ってるんですけど、
当時はもうやっぱり夜な夜な泣きましたよ。
そうですよね。でも、ほら今みたいにちょっとほら、
ネットでね、何かやりたりしたりとか、
電話をこう、掛け放題じゃないけどそんな感じで掛けたりとか、
そんなのできない時代でしょ?
いやぁ、あのー、電話もほんとに月に1回だけコレクトコール。
親に電話しましたけどね。
それもなかなか電話はできないわけでしょ?
もちろんです、もちろんです。ほとんど手紙だったです。
ほぉー、そうかぁ。でもご家族もね、心配されてたでしょうね。
元気でやってるんかなぁとか。
いやぁ、でもそうでしょう。
16歳でやっぱりその…
送り出すってね。
ちょっとなかなか親の立場からすると。
しかもだってフラット行って会える距離じゃないから。
今みたいにビデオ電話ができるわけでもないから。
ない時代だったんですね。
いやぁ、もうほんとブラジルの時は、あのー、なんて言うんですか。
もう寂しくて。
あっ、いける!と思って自分でね。
親にもこんな大見えきってガンガン強気で言ってた自分がやっぱり当時は、
辛かった。もうこんなに辛いのかと。
で、日本人はサッカーする必要ないじゃないかってやっぱりチームメイトから言われるんですよ。
それは?
日本人はお金持ちだから。
あっ、生きるためにプレーするっていうのは訳が違うと。
訳が違うんです。
向こうの日経児の方とかはサッカーあまりしてないんです。
だからこそ日本人で、ブラジルで活躍したカズ選手っていうのは、
いかに…
ほんとに伝説なんですよ。
ハートもそうだし、考え方とかプレーもそうだし、
強かったってことなんですね。
いやぁ、頑張った安岡少年。
いやぁ、僕はだから1年で帰ってこれたので。
あれですけど、カズ選手は8年ぐらい向こうにいてプロにまでなってますから。
それはもうレベルが違うなぁと思ったんですよ。
でもそういう経験を通してよくサッカーが嫌いにならなかったですね。
もうこれは正確な問題なんですかね。
もうほんとに上手くなりたいと思ってましたけど。
ずっと思ってましたけど。
帰ってきて試合に出れない1年間があるブランクがやっぱりどうしても辛いんですよ。
地球ってやっぱりサッカーも強い高校なので、
帰ってきた時の方がまた結構辛くて。
みんなから、ブラジル帰りが帰ってきたぞと。
ブワーッと注目されるわけですよ。
どれだけ強くなって、どれだけ技術を上げて帰ってきたんだみたいな。
もう大ピンチですよ。
試合に出てないんですよ。ほぼ。
実戦感覚も鈍っちゃいますよね。
もうやってないし、練習時間も当時は2時間とかそんな。
その中もただちょろっと走って、ただベンチに座って。
09:04
高学生を見ている状態が1年続いたので。
蓄養に帰ってきて、そのまま通用するわけがないんですよ。
じゃあまたそこから頑張らないといけなかった。
だから僕1学年、もう1回2年生からやったんです。
もう1回やり直そうと。
そうなんです。それくらいサッカーが好きだったので、
もう1回1学年、下の学年からやらせてくださいっていうこと。
負けないって思ったんですね。
ブラジルも入れると4年間行ってるんですけど。
でもそれは本当にかけがえのない経験ですよね。
同級生は僕と一緒の下の年の子たちが多いんですよ。
でも同級生なんですよ。
僕の同じ年の人たちは先に卒業しちゃってるんで、
1学年上になるんですよ。
ちょうど蓄養学園がそこの境目から、学欄からブレザーに変わったんですよ。
僕持ってるのは学欄なんですよ。
買い直したんですか、ブレザーを。
そうなんですよ。ブレザーに買い直したんですけど。
1校への先輩が学欄に来て、ブレザーの中に1人教室にいるっていうのも、
受け入れてくれる後輩も後輩なんですけど。
なんだろうなって思いながら、
しばらく3、4ヶ月それで過ごした記憶がありますね。
たまらなかったですよね。
ブラジルは食とかはあったんですか?
これが一番日本人の方は、フェージョンっていう料理があるんですけど、
ブラジルが朝昼間主食として食べる豆料理なんです。
フェージョンっていう豆があって、煮込んだカレーっぽくしてるんですけど、
全然味はカレーじゃないんですけど、
それをパスパスのご飯にかけて、それをみんな食べるっていう。
それが結構、会わない方が結構日本の方でも多くて、
それが僕、ぴしゃり合ってた。
順応しそうですもんね、どこに行ってもね。
なんとなくね。
これはいいや。
食がだから唯一。
ホームステイですか?
ホームステイ。
ホームステイ?
国家入荷がホームステイだったんですよ。
でも、やっぱりサッカーをやってる選手たちの寮にも泊まりたいから。
泊まりに行ったことがあるんですけど、
想像もできないような汚さです。
よくこんなところで寝泊まり。
それくらいだから僕とのハングリーの精神が。
レベルが違うんですよね。
サッカーは遊びでやってるんじゃないぞと。
生きるためにやってるんだから。
だから生活環境とか、そんなに荷の継ぎなんだと。
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僕に対してはものすごかったですよ。最初は冷たくて。
でも仲良くなったというか、心の友はできたんですか?
大人じゃないとなかなか難しいのかな。
8ヶ月くらいは、やっぱり僕も16歳だっていうので負けん気も強かったので。
たとえ一人でも戦おうっていう気持ちの方が強かったのかな。
だから分かり合える友達っていうのはなかなかできなかったですよね。
辛かったのは辛かったですけど。
ホームステイのご家庭はどうでした?
ものすごい良かったです。
本当に優しく迎え入れてくれてるんですけど。
なかなか友達がいない中での一元っていうのは。
そうですね。特に16歳だしね。
辛いけれど頑張った。
昨日たまたま夜、当時の写真とか日記のカレンダーが出てきて。
カレンダーに丸をつけてるんですよ。
あと250日とか。
帰るまでのカウントダウンミスを入れてる自分の字を見た時に。
ちょっとこんなに辛かったんだと思って。
言って30年以上経ってしまうので忘れてた気持ちでしたけど。
昨日それこそリアルに鮮明に思い出しましたね。
若い時にドカンと挑戦することっていうのは人生の宝になるんでしょうね。
今は本当に行ってよかったなっていうのがありますけど。
そうですか。
初海外がブラジルっていうのはびっくりだな。
ですよね。怖いところがないです。僕だから。
他にもいろいろ行ってるんですよね。
いろいろ行ってもどこにいても一人で行けます。
今も逆に言っちゃえば一番怖いところに行っちゃってるので。
そうですね。それ以上怖いものはないみたいですね。
経験もしてますし。
私たちの想像以上にいろんな経験をしていろんな場所に行ってるということですからね。
今日はブラジルでしたが、来週はどこなのかまた楽しみにしております。
ワンフルーム、安尾嘉心一の遠くへ行った!でした。
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