1. 唄人羽・安岡信一の遠くへ行った
  2. #70 唄人羽初めてのレコーディ..
2024-04-08 22:21

#70 唄人羽初めてのレコーディングの話。

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安岡信一の遠くへ行った。
今日さ、先ほどデビュー曲を流していただいたので、その時のレコーディング秘話を話してみようかなと。
聞いてみたい。
しんちゃんにとっては、生まれて初めてのレコーディングってことでしょう?
そうなの、レコーディング。
この時、まだ小さな旅人の時はそんなに予算をいただけないんですよ。
だから、いろいろと削減削減の中でやっていかないといけなくて、ちょうどこの時、うちの相方が映画の撮影が入ってたんですよ。
ゆりーかって、カンドで賞を取った役所工事さんと宮崎葵ちゃんとか出てる、その映画にうちの相方本田哲郎は撮影でずっと佐賀に入ってたんで、レコーディング日程が僕しかいけなくて。
だから、僕一人ギターを背負って、東京にレコーディングしに行ったの。
え、それってレコーディングできるの?
だから、ボーカルとコーラスだけは後で撮るって、福岡で。
はぁ、なるほど。
後で撮るから、僕だけ先に来てギターを撮ろうって。
はぁ。
で、東京に行って。
もう、そりゃワクワクと不安とドキドキですよ。
そうですよ。
そして、あの小さな星の小さな旅人をプロデュースしてくださったのが山里郷さんっていう人で、山里郷さんはチャギ&アスカをずっとプロデュースしてた人なんですよ。
はぁ、すごい。
そして、ヤマハのスタジオに行って、東京の目黒、中目黒の近くだったから。
へぇー。
スタジオに行って、それは初めてレコーディングスタジオ、いわゆるレコーディングっていうのをさせてもらったんですよね。
デビューは12月18日ですよね。レコーディングに行ったのはいつぐらいなんですか?
これね、記憶がちょっともう定かではないんですけど、11月とかほんとギリギリで。
秋村。
僕らデビュー記念日が12月18日って言ってるんですけど、12月18日まだ8センチシングルだったんですが、これはほぼ福岡限定で、全国的にも一応CD店で並んだんですけど、まずレコード会社の人が福岡限定ぐらいの感じでCDを貰ったんです。
僕ら条件出されたんですよ。その8センチシングルが福岡で1万枚売れたら東京に連れて行く。
へぇー。
1万枚ですよ。
それは自分たちで売りなさいっていうことなの?
自分たちで、僕らもう路上ミュージシャンをやってたんで、こんな分かんない売り方なんで。
03:06
ただ店頭にも並ぶんで、いろいろインストアライブとかさせていただいたりとかして、ライブをね、やらさせていただいたんですけど。
そのインストアライブをしますっていうのは、自分たちで決めるんですか?
当時福岡の事務所に入ってて、そこがホーライフレコードさんと繋がりがあって。
だからその事務所の流れで、RKBさんの番組もすごくテレビ番組に追っかけられて。
耳たぶーって当時の番組だったんですけど、あれで僕ら追っかけられて、福岡で。
1万枚っていう感覚が、今じゃありえないですよ。
今CDが仮に僕らが1万枚売ったら、これ折り込み1円入るんです。
当時は1万枚ってまだ全然売れる時代だったから、僕らも何が何だかわからない。
スタジオに行って、1人だけブースに入れられるわけじゃないですか。
そういうところで演奏するっていうのも初めてですか?しんちゃんとしては。
初めてですよ、そりゃ。
だから1万枚売らないといけないCDを、俺みたいな素人がギター弾いていいのかっていうところも噛む。
それを1人で行ったんだ。
行った。
弾けなかった。
緊張して?
緊張もそうだし、ブースの中って本当に無音になるんですよ。
よくしんちゃん孤独を感じるって言いますよね。
そう。あれ多分ね、本当に経験した人なら分かると思うんですけど、
まだ二十歳そこの若者が、まだそんなに音楽のことなんか何も知らない状態で、
ブースの中にヘッドホンつけてって言われて、ヘッドホンつけて、ギターチューニングしてって。
チューニングって。
441でチューニングしてって言われて。
441?
どういうこと?
うわー。
そこから。
そっか、それで。
もういきなり過酷ですよ。
441kHzでチューニングしてとか、440kHzでチューニングしてって、もう当時は441なんですよ。
これ、例えばオーケストンになると442になるんですけど、最近で。
いろいろあるのね。
昔は438だったりとか。
結構その時のチューニングの主流があるんですよ。
今はだいたい441ですよ。
当時も441で。
441だってどうすんの?みたいな。
そんな急に言われてもね。
急に。分かんないと思って。
すみません、分かりません。
でもその声は向こうに届いてないんです。
トークバックっていうのを押さないといけない。
そのことすら分からないんですよ。
06:00
もうね。
追い詰められるよね。
追い詰められる。
僕らは1万枚売らないと、東京でデビューができないんだっていう気持ちにもなってたし、
そのCDを俺らが弾かないといけないんだって。
泣きそうになるわけですよ。
そこに相方がいれば。
そうよね、励まし合いながら。
うんってできるんだけど。
俺一人です。
一人だもんね。
たまんなかったっすわ、それは本当に。
そのブースの外にはたくさんスタッフがいるんですか?
山里郷さんとアシスタントの方とか。
5人、6人かな。
予算がもちろんそんなにいただけないから、
今日1日だけで4曲録るよって。
4曲!?
いやー。
いやーよね。
でもそんな音後賞目の前に、
いやちょっとコンディション整ってませんとか、
気持ちがついていかないのでとか言えないわよね。
もうやるしかないから。
そうよね。
弾けない。
チューニングもできない。
弦の巻き方も違う。
弦の巻き方も1から全部教わったんですよ。
そこで教えてくれたんですか?
デビューしたときに教えてもらった。
そのレコーディング、
今日1日で4曲って言われた日、
結局どうなったんですか?
録れなかった。
また後日ってなったんですか?
また後日やりましょうみたいな。
落ち込むよね。
だからその時にスタジオ入社の方とかがやっぱり弾いてくださるんですよ。
上手い人たちがこう弾いてくださるけど、
それもそれでものすごく悔しいんですよ。
そうよね。
もう孤独を味わった上で、
もう挫折にバカーッと叩き込まれる。
挫折感で絶望感と、もうダメだみたいな。
そうなると僕はもう何も言えなかった。スタジオに。
そして1人だったし、何も言えずに。
ただただ皆さんがやる、プロがやる作業をただ見てるだけ。
それも13時間くらいですか?
そんなに長く?
13時間くらいですよ。
12時間回ったんじゃないかな、ロックアウトでスタジオ当時は。
昼の1時からスタートして終わったの夜中の3時とか4時とかそんな感じでしたもんね。
あの時の過酷さっていうか、何もできない自分の悔しさみたいなものは
もういまったに剥ぎしりする思いで思い出す。
でもそれがバネになったのかもしれませんけどね。
だからやっぱり辛かったですよね。
その当時っていうのはやっぱり自分たちの楽曲を自分たちで演奏できなかったり
歌えなかったりする感じがもう本当にこれからどうなるんだろうっていうね。
もう音楽やめようかなっていう。
09:00
デビューの曲を作ってるのに音楽をやめたくなった。
そう。
ひっす。たまらんっす。
でもそこから必死に練習したんですか?
はい。それからデビューで12月18日に福岡で
それこそ1万枚っていうCDを突破することができたんですよ。
だから即その4月、年明けた4月にはもう東京やったんですよ。決まって。
そして以前話したこともあるんですけどもお湯を買わないといけないマンションに。
そうだったね。
そうなんですよ。
だからね、そこから毎日僕らはデビューしてからが修行だったので
365日ある120日、初年度は130本くらいライブをさせられたって言い方するとあるんですけども
でもスケジュールは組まれてたので僕らはさせられた感が強かったですよね。
そしてその年は学祭キングになってても
だからもう自分たちがどうやる間もなく1日取材だけで10本
そしてそれ終わって夜の7時から夜の12時くらいまで5時間のリハーサルスタジオ
ずっと延々と繰り返しちゃって
今日は何月何日だとか今はどこにいるんだろうとか
もう分かんなくなりますよね。
分かんなかったけどただもうやっぱり練習することが
自分たちのそれしないともうダメだみたいな感じで追い込まれてたので
ひたすらとにかくアコースティックギターを丁寧に弾けるように
丁寧に弦を巻くように
とにかく丁寧に何かをすることを覚えたいですよね。
もちろんアコースティックギターは僕よりもプレイリストプレイヤーなんていっぱいもちろんいるんですけど
だからやっと底辺っていうか自分がレコーディングに参加して
自分たちで何かをやっていけるようになるのはデビューから6年経った。
だからこれ不思議なもんで
不思議なもんというか当たり前だったのかな。
デビューしてやっぱり修行の日々が始まって6年後に
自分たちが辿り着いたところでは時には時すでに遅しなのよ。
もう僕らの勢いみたいなものはもう6年後にはもうないのよ。
だから自分たちがこうやっていって辿り着いたところで
振り返るとものすごく情熱とか思い出が上がってきてるんだけど
それと周りの温度っていうのは急激に反比例して下がっていくっていう。
12:03
これがねうちの相方とやっぱりすごく葛藤した部分だったね。
だから6年経った時には初めて自分たちでレコーディングも組めるようになったりしてきてる時に
その時にやっぱり考えたんです。やめるかやめないか。
これがデビューして6年ぐらい経った時だな。
あの時がもう音楽やめようかなと思った時1回目やったんじゃないかな。
そしたらうちの相方言うたっす。僕には黄金の道が見えていますと。
そっから2年。事務所がクビになったっす。8年後。そっから2年後にですね。
哲郎どうする?まだ見えてます。行こうって。
ケツの叩き合いっす。それで今たどり着いたっす。
いやーだからどうだったんだろう。自分の音楽人生を振り返って。
世の中の皆さんから言うとピークがどこだったのかわからないけど
僕らの中でのピークはデビューから6年後だったんですよ。
そこの部分があって今があるから。
そして何だろう。今年で25周年なんですけど。
25年たどり着いた時に振り返った時に
あの時にもし音楽やめてたら今もうたどり着けてないわけじゃないですか。
そこから25年経ってもうフラフラになりながら2人で今音楽をやれているっていうのがね。
果たしてデビューの時にうまくいってたらうちの相方と音楽を続けてたのかな。
そうですね。
たぶんね続けてないんですよ。
僕思うんですけどものすごく仲悪かったんですよ。
これデビューの時。
意外。
逆なんですこれ僕ら。
今から考えられない。
だから節目節目今話した時に
本田哲郎が黄金の道を僕には見えてますっていう言葉にどんどんどんどん2人が僕ら結局
助け合えるのが相方しかいないんです。周りは後からついてきた大人なんですよ。
大人なんか後からついてくるっていう言葉を僕デビュー当時に書いたんですけど
実際本当そうだったなと思って結局
最初やっぱりお互い20歳前後の時っていうのはうちの相方も僕もやっぱり
尖ってるんですよ若いから。
そんな仲良くなかったです本当に。
そうなの?
なんならもう本当に本田哲郎の一言一言にもカチンカチン来てたし。
そうなの?
うちの相方はうちの相方でもう俺の言うことにもカチンカチン来てたし
15:02
タバコ吸ってその煙を俺の顔に吹きかけてたし。
もうそれぐらいでも殴り合うまではなかった。
それがやっぱり節目節目でそうやってお互いなんかこう
ケツを叩き合いながら信頼関係ができて25周年っていうのが
だからどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんミスになっていって
パートナーになっていったっていう感じですかね。
もうだって今は全幅の信頼っていうレベルを超えてるでしょ哲郎さんに対して。
もうあの哲郎の爺ちゃんが亡くなった時に
そのツヤで新族席に座らせられた時に
まあハテナが出たっす。
僕もハテナが出たし来ている人たちもみんなハテナになったけど
哲郎の親父はもうそれぐらいの気持ちがあるみたいな感じだったし
うちの相方も座っとけっていうぐらいの感じだったから
まあ血は繋がってないけどもう家族みたいなもんなんだろうなみたいな。
親父さんよく言ってますよね。通帳だってもう何でもかんでも哲郎さんだったら全て預けられるし
哲郎さんだったらもう何でも言えるし何も隠し分からないって言ってますよね。
哲郎に言ったのよ。だから僕が先に死んだら哲郎俺の通帳とか全部お前に渡すからって
いやっすよって言われた。あれって思って。俺だけこの温度感って思って。
たまに俺の温度感と哲郎の温度感が違うときはあるけど。
いやでもそうやって刻んできたんですね。
しんちゃんがピークはいつなのかって言いましたけど
まあその全ての仕事全ての人生に言えることと思うんですけど
そもそもピークって何なんだろうっていう話にちょっとなる気がする。
俺はねピークは常に今だと思ってます。
そう私もそう思うんですよ。ピークって勝手に自分で作るものでもないし
何を基準にピークというのかっていうのは人それぞれ違うじゃないですか。
だから決して過去うまくいっていたときがピークでは決してないと思う私は。
僕もですよ。僕も今が一番デュオとしてのね。
ピーク更新中ってことですよね。
更新中と絶賛雑誌中がもうずっと。
それを繰り返しながら気づいたら25年。
しんさんは頑張ってます。
でもこの25年の原点にはそんな苦しい苦い思いをしたレコーディングがあったんですね。
先ほど小片康子さんがゲストで来てくださったじゃないですか。
Zoomで出てくださったで。
そこの事務所の社長さんが古川ひろしさんって僕の師匠なんですけど。
あの人はまたね出会ったのが僕がデビューして8年後ぐらいだったの。
ちょうど節目の時に出会った人なんで。
まあもうねもうそれこそもうレコーディングも僕らできますよと。
18:04
もういよいよ脂が乗ってきてる時になってるところであの人はバーンってまた上から叩かれたんですね。
もうレコーディングでは喧嘩喧嘩。
そうなの?
ひろしさんと俺は。
ひろしさんなんすかこれもう全然ダメっす。
違うっす。
ひろしさんも。
俺やんない。俺もうやんない。
なんすかひろしさん。やんないってなんすかって。
もうそれやってくださいよって。
いやもうしんさんそんなのやんないって。
でも本気と本気のぶつかり合いってことよね。
そしてレコーディング終わるとしんちゃんいいのできたねとか言って。
ひろさんできたっすねとか言って。
熱量が高かったのよ。
そうそうそうそう。
同じ方向を向いてたから結果いい形になるってことよね。
恋時間だね。
いやーね。なんかいい出会いもありつつそしてまたねご縁もあってということで続けられてね良かったなと思ってますけど。
春だしね新しいスタートを切ってるっていう方も多いと思いますよ。
いろんな挫折を味わってるという方もいらっしゃるかもしれませんけど。
いや本当だね。でもねなんか今ほらご時世っていうか若い子たちになんかちょっとしたアドバイスとして
あの言いたいのはうち僕は
親父から教わったのは何でも10年しろって。
何でも10年してみて20代の10年なんて30代40代でいくらでも取り返せると。
とにかく10年やってみて10年やった時に考えろって俺は教わったっす。
新世界新社会上を迎える皆さんこれをね10年頑張ってみてください。
そうね。そこに出てくることあるだろうね。
あるっす。
応援しております。
ワッフルーム安岡慎一のトークへ行ったでした。
22:21

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