00:00
安岡信一の遠くへ行った?
あ?
信ちゃんのコーナーです。
先ほどもちょろっとオープニングでも言いましたけども、ちょうど春ということで、退任される先生、新任される先生、先生にある話をちょっとしようということで、
僕が小学校5年生の時に担任をしていただいたクワノ先生の話をしようかな。
あのね、今ほど、何て言うんだろう、今ほど、昔は先生もなんかこう窮屈な時代ではなかったじゃないですか。
どっちかっていうとその学校側が強くものが言える時代だったんですよ、僕の小学校時代っていうのは。
今は多分そんなね、もっと窮屈というかもっと固いと思うんですけど、当時はまだ全然先生に原骨されてたし悪いことしたら。
まあ時代ですね。
だってもう、そんな時代だったもん。
今はね、原骨なんかしようもんなら何でも問題になっちゃいますけどね。
それはそれで僕はどうかなって気持ちはちょっとあるっす。
あるんだけど、まだその時代にもかかわらず、その時代でもなおクワノ先生はぶっ飛んでました。
すごい女の先生です。
おいくつくらいの先生だったんですか?
当時ね、だから30歳ぐらいだと思う。
で、1年で入ってきて、1年担任をね。
いきなり途中から学校に来て、まずクラスの担任になるっていうことが珍しいじゃないですか。
でも学期途中でなければあると思いますよ。
あ、そうなんですかね、小学校の時。
1回副担任とかになってからとかっていう、2年目3年目とかに担任になられるのかなとか。
あと5年生じゃなくて、最初1年生とか2年生のところで担任を持たれてっていう。
その先生のそれまでのキャリアだとか、前の学校でどんな学年を担当していたかっていうのもあるとは思いますが、
私はそういう経験をたくさんしましたし、うちの子たちもしてますね。
いや、だからその河野先生が5年生の時に来て、お父さんが画家さんなんですよ。
それを先生が言ってて。
特に絵の授業に関してはものすごく、河野先生はすごく熱心に教えてくださるんですけど、
5年生の1学年を持たれて、すぐ退任。学校側から辞めさせられたんですよ。
1年間で?
1年間だけだったんですよ。
だから記憶に鮮明に僕の中に刻まれてるんですけど。
03:00
それは、もしかしたら、しんちゃんの思い違いで、ご本人が辞めますと言ったってことはないんですか?
いや、違かったんですよ。
まず、当時先生が入ってきて。教団が真ん中にあるじゃないですか。
一番前の黒板の前に?
黒板の前に教団があって、僕らが初めて先生と会うので、座って授業を受けようと思って部屋に入ってきて。
そしたらいきなりその教団がガラガラガラってどかして。
女性の先生ですよ。
まだに覚えてるんですけど、ガラガラガラってどかして。
私は教団に立つような人間ではない。
こんな教団で生徒と先生の釘をつけたくない。
一体、どかせて。
俺は5年生ですよ。
これからあなたたちと1年間向き合っていきます。
こんな教団とか取っ払って、あなたたちと向き合っていきます。
もう覚悟のような言葉をいただいて。
さあ、新しく教科書。皆さん今、新しい5年生の教科書をね。
こうもらうわけですよ。バーっともらって。
全部捨てなさい。
ヤバくないですか。
どうするのよ。
捨てなさいまで言ったから。
私の授業では1年間教科書一切使いません。
だから1年経った後、教科書みんな開いてないから。
綺麗な真っさらなままで残ってるんですよ。
でも義務教育ですから。
その当時やっぱり先生たちは、はぁ?みたいな感じです。
他の先生たちから叩かれるし、
僕らもなんでお前らの授業は教科書使わないんだよ、みたいな感じで。
他のクラスの生徒から羨ましがられもあって、
何それ?みたいな感じでよく言われる。
ちょっと海外の学校の形式のようでもあるし、
もはや大学みたいなのもあるんだけど。
どうやって授業したかっていうと、
その先生が徹夜で毎日手書きで教科書を作ってくるんです。
1学期ごとに。
ザラシで作ってくるんですよ、当時ザラシで。
A4ぐらいの2つ折りにして、それをホッチキスで止めて、
先生が作った教科書を1学期ごとにみんなそれを、
まずそこから授業が始まるんですよ。
教科書作りから始まるんですよ。
面白いですけれど、
すごくない?
ただ、いろんなね、善悪の判断ができる大学生だったらいいけれど、
その先生の思想がバリバリ入るわけでしょ?
入る。だからだから辞めさせられたんだと思うんだけど。
いいこともあるけれども、
先生が絶対ってまだ思う小学生の時に、
難しいね、それを。
いいね。新しいね。
では片付けられないかもしれない。
当時ね、30年以上前の話ですから。
06:00
教え方として教科書にのっとった上で、
先生のやり方で、だったらいいと思うんですけど、
教科書を捨てなさいなんでしょ。
捨てなさいってもう使わないよね。
それはなかなかよね。
だから教科書作りから、まず、
その5年生の時にね、
教科書作りっていうこと自体が、
今まで経験してきていないから、
それが楽しいのよ、まず。
自分で作って、
1学期この教科書で、
このザラシで2つ折りにしたりすると、
ずっとホッチキスで止めて、
それも綺麗に、なんかちょっとこう、
製本みたいにする。
これをそれを持って授業をやります。
それを、5教科全部だよ。
すごいことではあるし、
すごくない?
ちゃんと学ばなければいけないという項目、
例えば漢字だとか、計算だとかって、
絶対その後ほら、
必要になってくる、
基本的な部分あるじゃないですか。
そこは抑えてるんですか?
抑えてるんです。
あ、ならね。
抑えていて、
あと授業も、
分からない子がいたら、
その子が分かるまでみんなで考えるみたいな。
はあ。
有用な授業だったから、
結局それを1年間やると、
うちのクラスだけ、
5年生で修了しないといけない授業が、
だいぶ遅れてたんですけど、
でも結局長尻合わせで、
最後までガーっていったんですけど、
ただ、そのおかげもあって、
うちのそのクラスは、
やっぱり一体感がすごかった。
そしてやっぱり、
5年生の時の勉強が一番楽しかった。
勉強を楽しいと思えることは、
すごく大事なことですよね。
そして、
分からない。
中身を見てないから何とも言えないんだけれども、
先生も対子供としてじゃなくて、
対人間として、
きっと一人一人を見てたんだと思うんですよね。
だからこそ、
できない子が分かるまでっていう、
そういうね、
学習方法もとっていったんだろうし。
何か、
クラスの係りとか、
学級委員も含め、
先生がくじ引きで決めるってことはなかったです。
自分たちで決めさせる。
自分たちで立候補があるまで、
帰れないのだから。
それでもものすごく、
生きる力になると思う。
3時ぐらいに下校時間、
3時半下校時間なのに、
うちのクラスだけ誰も立候補、
学級委員の立候補でなかった。
先生は、
なんか推薦で誰が、
誰々君がいいと思いますみたいなのがあったんだよ。
それも先生嫌だから。
自分で立候補するまで先生は待ちます。
うちのクラスだけ、
30分1時間ぐらいもう、
立候補するまでで、
なかなか。
それすっごく、
これから生きていく上で、
大事なことをいっぱい教えてもらえてると思う。
09:00
で、
そうなのよ。
一人、
もう帰れないから。
一人も、
じゃあ俺、
学級にするわみたいな手を挙げて、
そしたら、
子供って不思議だよね。
当時俺思ったんだけど、
一人で言ったら、
ダダダダダダ。
一瞬で決まるんだよね。
じゃあ、
飼育係する。
ああ、何とか何とか何とか。
一気に。
で、
その時に僕初めて、
誰かクラスから2人、
生徒会に立候補しないといけないっていうことになって、
それもクラスに残って、
せっかくクラスに立候補するまでずっとあれだったんだけど、
じゃあ誰かが、
生徒会場に立候補するわってみんな手を挙げて、
じゃあ俺も役に立候補するわって。
そうやってみんなでこう、
自主性をものすごく重んじる。
それすごくいいですよ。
先生だったの。
それはとても大事なことと思う。
私、
自分が経験してきて、
いろんな先生と出会ってきて、
やっぱり思い出深い先生。
私の人生に大きく影響を与えてくれた先生は、
自分で考えて、
自分でやんなさいっていうのを、
すごく実践をもんじる先生でした。
同じように。
ああ、そういう感じだったんだ。
いくら小学生だから、
大人が決めたことをやればいい。
じゃなかった。
私の大好きな先生も。
でも、
そうね、
それって、
やる方も大変だけどじゃん。
大変だったんだと思うよ。
でもね、
自分の経験からして思うのが、
これ、
本当にこう、
これから人生歩んでいく上で、
大事なんだろうかって、
振り返って思うことありませんか。
例えば、
みんなで声をきれいに合わせて何かを言う。
例えばですけど、
卒業生の皆さん、
皆さんとか言うのも、
よく日本の教育現場で見られますけれど、
そういうのもすごく大事とは思う。
集団行動じゃないけど、
みんなと思いやりを持ってね、
お互い協調性を持って、
共感しながら何かを成し遂げるって、
大事と思うけれど、
個々の能力を生かすとか、
あと、
自分から発言をするとか、
自分の考えを伝えるみたいな力を、
つけさせる場?
というのが、
小学校でもっともっとあったらいいのになって、
今は思う。
振り返った時に。
だからその先生のことをやっぱり鮮明に覚えているのが、
授業もそういった授業だったし、
当時ね、
本当にドラゴンボールが、
この間トレイマーアキラ先生が亡くなられましたけど、
ドラゴンボールがものすごく、
小学生の中では大ブームで、
ドラゴンボールのデザイン、
絵を描いている漫画家さんが、
ドラゴンクエストのキャラクターを作り出した。
ドラゴンクエストなんてもう、
うちの小学校ではもうみんなやっているみたいな、
ロトの紋章がどうだとか、
こうだとかってやっている時代だったのよ。
12:02
その時に、
一大ブームになったのがスライムだった。
モンスターでスライムっていうのが、
今ではスライムってさ、
当たり前のように、
ゲームのものが出てくるモンスターじゃない。
スライムがあの形をして、
あんな可愛いスライムがね、
衝撃だったっていうか、
いまだにスライムだーみたいな、
先生が授業を、
今みんな絵にスライムを描いたりしてるでしょ、
スライム作ろうって。
持ち物、
明日の持ち物とか、
何月何日にスライム作るから。
親にこれとこれを言ったら、
買ってきてもらえるから。
液体糊とかね。
それを買ってきて、
先生と一緒にうちのクラスだけスライム作りしたの。
みんなスライム持ってさ、
うちのクラスの生徒だけみんなスライム持ってるから、
それも大問題になって。
でもそれが問題になるっていうのが、
今から考えたら問題ですけどね。
そこの何が問題なのか、
結局学校のルールだからっていうことで、
問題だって言われるんだったら、
ルールっていうところに何の意味があるんだっていう。
今はね、考えれるじゃん。
当時はね。
当時はみんな昼休みとかスライム持ってて、
遊んでたんだよ。
他のクラスの生徒、なんであのクラスだけスライム作るの?
悪いみたいな感じになって、
大問題になって、
校長先生が来たうちのクラス。
スライム作りとかは授業にないから、
今後このスライムは持って帰って、持ってこないでくれみたいな感じで。
その先生が校長室に毎回呼ばれて。
でもよく考えたら、
今みんながとっても興味があるものを、
科学だとか理科の時間に活かす。
そうすることでみんなもっともっと理科に興味を持つ。
楽しいねってなる。
それ大事なことと思いますけどね。
本当にね、校長先生が何回かうちの5年生の時に来て、
なんで桑野先生教科書使わないんですかみたいな。
そこはね。
結構大人の世界で今考えればあったんだろうなと思って。
ちゃんと抑えるべきところは抑えているのか、
単元がどうなのかとか、
先生個人的な思想が入り込んでいないかとか、
いろいろ問題は確かにあるとは思うけれども、
今の桑野先生の話を聞いていると、
まあしっかり児童と向き合って。
女性の先生だよね。まだ30歳くらいでさ。
学ぶっていうことは楽しいことなんだよっていうのを、
全力で教えてくれた先生だったろうにと思う。
だから時代と本当に合ってなかったんでしょうね。
でも絵の授業なんて、
青と赤と黄色と白しか使わないっつって。
15:02
他の絵のほかは一切使わないでやるよっつって。
いい先生。
水と青だけで空を描くよっつって。
一回しか筆につけちゃダメっつって。上からこうやって塗っていく。
それが乾くまでずっと皆待ってて。
すごいね、絵の教え方とかも。
上手だった。
上手だったっていうか楽しかった。
黒柳哲子さんもね、
教える恩師と出会って変わったっておっしゃってましたけど、
誰と出会うか、
どういう人から教えてもらうかで、
本当に人生って変わりますからね。
考え方だって変わるし。
いい出会いだったと思いますよ。
学期末、3月就業式の日に、
今年でも桑野先生は学校を辞められますみたいな感じで、
やっぱり桑野先生が就業式に出て行くときに、
悔しそうな顔をしながら下を向いて泣いてたんですよ。
俺それ未だにグッと覚えてて。
今どうなさっているんですか?
お父さんはすごく有名な画家さんで、
一回桑野先生のお家に遊びに行かせていただいたことがあったんです。
小学校の時に。
お父さんの絵とかも見させていただいた記憶があるんですけど、
今桑野先生はどうされているのか、
当時は修行式以来、
僕はお見かけすることはなくなっちゃったんですけど、
すごく記憶に残っている先生ですね。
もしラジオをこうやって聞いてくださっていたらね、
メールくれると嬉しいな。
そうですね。
もしどなたか知っているよ、今こうなさっているよっていう情報を知っていたら、
もし知っていらっしゃる方、もしいたら教えてほしい。
本人からじゃなくともね。
いい先生だった、本当に。
本当にいい経験させていただいたなと思いますけども。
ということで、今日は
ワッフルーム、安岡真一のトークへ行った!でした。
×少女隊の春のキーナと、
アオイリルワです。
RKBラジオでお送りしているガールズパンチ×少女隊の×ラジオ隊は
ラジコ、ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
ラジコ、スポーティファイ、アップルポッドキャスト、
アマゾンミュージック、ユーチューブミュージックで×ラジオ隊と検索して
フォローお願いします。