今回は、株式会社Move Forward Marketingの長谷川力氏にお越し頂きました。
副業で始めた輸出入ビジネスが軌道に乗り、ノウハウを教えるスクール事業を確立。ビジネス仲間が経営するスクール事業に参画し、退職後に株式会社Move Forward Marketingを設立。その後、業績を伸ばし続けるお姿から、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。
なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。
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サマリー
株式会社Move Forward Marketingの長谷川力氏が、自身のこれまでのキャリアについて語る。埼玉県三郷市出身で、幼少期は明るい性格だった。中学・高校時代はバレーボールに打ち込み、高校時代にはバンド活動やアルバイトも経験。大学ではバスケットボールサークルに所属し、卒業後は医療関係の商社に就職。2年後に退職し、オーストラリアへワーキングホリデーへ。現地でサーフィンインストラクターの資格を取得し、永住を目指したが、スポンサーとの意見の相違から帰国。帰国後はサーフィンを趣味としつつ、ビジネス経験を活かして日本国内で就職した。
長谷川氏の幼少期から学生時代
社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社Move Forward Marketing代表取締役 長谷川勅様でいらっしゃいます。弊社の広告主でもいらっしゃいます。
まずは経歴の方をご紹介させていただきます。 1974年生まれ、立証大学経済学部卒業後、学生からサーフィンに打ち込まれていらっしゃって、 オーストラリアのワーキングホリダーにおいてサーフィンインスタントの資格を取得。
帰国後、スポーツ用品メーカー兼商社にご入社。 その後、副業で出入ビジネスからスクール事業を確立なさっていらっしゃいます。 そして株式会社Move Forward Marketingを設立し代表取締役に就任なさっていらっしゃいます。
今現在、越境ECの立ち上げ化、収益化、児童化までの指導、サポート、企業のマーケティング、戦略、立案、実行支援、研修事業などを展開している社長様でいらっしゃいます。 長谷川社長様、本日はよろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は埼玉県三里市ということで、小学校時代はどんなお子様でいらっしゃいましたでしょうか。
そうですね、明るかったと思います。表勤だというふうにみんなから、友達から言われてたので、将来はお笑い芸人になりたいとかっていうのを卒業文集で見かけて、そんなことを考えてたんだなっていうのを感じたぐらいなので、明るかったと思いますね。明るく元気な子だったんですね。
なるほど、じゃあ周りを盛り上げ役というか、そんな感じでいらっしゃいました。
盛り上がってくれてたかどうかわかんないんですが、僕の中で盛り上げたいという気持ちはあったと思います。
なるほど、ありがとうございます。中学校時代はどんなことして過ごしたなんて思いでございますでしょうか。
中学時代はもう本当に部活一本ですね。
何の部活をなさっていらっしゃいましたか。
バレーボールをやってたんですけども、朝練から始まって、夜7時、8時ぐらいまでずっと部活だったんで、学校行ってる間も本当にずっと部活ばっかりですね。休みも3日日しかないぐらいの感じで。
なるほど、ポジションはどちらだったんでしょうか。
ポジションはですね、その当時リベローとか、今だったらリベローっていうポジションあるんですけど、その当時はまだそういうルールがなかったんですね。
なのでセッターの対角という形でセッターと同じようなポジションになります。
なるほど、ありがとうございます。高校も埼玉の方の高校でいらっしゃいますでしょうか。
そうですね、埼玉の高校ですね。
高校時代はどんなことして過ごしたなんて思いでございますでしょうか。
高校時代も引き続きバレーボール部に入って、部活を結構必死でやっていたんですけども、そんなに強い学校ではなかったので部活自体が。
中学校はそこそこ強かったんですけど、高校ではそんなに強くなくて。
僕自身も身長もそんなに高くなくて、レギュラーではなかったので、アルバイトとかしながらちょっとバンドやったりとか、部活以外のことも少しずつ覚えていったのが高校時代ですね。
なるほど、じゃあバレーだけじゃなくバンドとかバイトも夢中になったりとか、そんな感じもなさっていらっしゃる感じですか。
そうですね、バイトしたり、友達と遊んだり、本当に高校生らしいというか、そういう生活をしていました。
勉強はほとんどしなかったですけど。
なるほど、ありがとうございます。
大学は立小大学ということで、何か立小大学に行かれた理由なんてございましたでしょうか。
もうたまたま入れたからというところです。
勉強してなかったので本当に高校時代。
立小大学はたぶんゴタンダか何かに。
そうですね、ゴタンダにもありますね。
ゴタンダに通ったという感じで。
はい、そうですね。
立小大学時代はどんなことを過ごしたなんて思いでございますでしょうか。
立小大学時代は部活、立小大学でもやっぱりずっとやっぱり僕はスポーツが好きなので、大学の中でもスポーツのサークルに入っていて、それがなぜかバスケットだったんですね。
バレーボールではなくバスケットのサークルに入って、そのサークルの先輩だったり後輩だったり同期だったりとずっと一緒にいる感じですね。
あとはバイトをしてたりとかっていう感じの学生時代でした。
割と中高大とスポーツして過ごす時間が一番多かったぐらいでした。
はい、もう本当に体を動かすのが好きなのでずっとスポーツやってました。
なるほど、じゃあ運動神経もよろしくというかそんな感じでやってましたね。
良いかどうかわからないですが好きでした。今でも好きですが。
なるほど、ありがとうございます。今でもやられるんですか、スポーツを。
やってますね。今はバレーボールはやってないですが、バスケットはたまにやってますね。
あとは体を鍛えることにちょっと5年前から目覚めてボディメイクをしてます。
なるほど、本当にじゃあ好きでやってたんですね。
オーストラリアでのワーキングホリデーとサーフィン
卒業後ですか、オーストラリアにワーキングホリデーに行かれたのは。
そうですね、大学卒業して商社に勤めてたんですが、2年ぐらいで退職してオーストラリアにワーキングホリデーに行きました。
なるほど、新卒でまずは就職なさったというふうに思ってよろしいですか。
そうです、就職しました。
それはスポーツ用品メーカー兼商社でいらっしゃったんですか。
そちらではなくてですね、医療関係の商社ですね。
なるほど、医療関係の商社で過ごした思い出なんてございますか。
僕が配属されたのが千葉だったんですよね。人数もそんなに大きくない千葉営業所というところに配属されて、年齢も近い1個上の先輩が3人ぐらいいて。
家から通うのにはちょっと遠かったので、会社の営業所の近くに借り上げの車宅があって、そこで1個上の本当に年齢の近い先輩たちと同じ量なので、部屋は別々ですけれども。
本当にそこで学生時代の延長みたいな形でスポーツやってたのが今度はそれが仕事に変わったみたいなイメージで、本当に先輩たちに可愛がっていただいて。
先輩だけじゃないですけど、そこの所長、上司だったり所長もやっぱり若手のメンバーが多かったので、すごく営業の色肌だったりだとか、基本的なところを本当にマンツーマンで研修してくれてですね、教えていただいたので、それはすごく今思うとラッキーなことだったなと思いますね。
なるほど、ありがとうございます。そこは2年ぐらいでらっしゃいますか。
そうなんです。2年ほどで退職しました。
そのワーキングホリデーに行くきっかけなんてございましたでしょうか。
もともとですね、中学の頃からスポーツ以外で言ったら英語を話せるようになりたいっていうのがあったんです。
洋楽が好きで聴いていたので、英語が話せるようになりたいな、歌えるようになりたいなっていうのがあって、独学で英語は続けてたんですが、このまま英語を独学で続けてても話せるようにならないなと思ったので、やっぱりそういう環境に身を投じてしまった方がいいということで、ワーキングホリデーに行きたい。
ワーキングホリデーが、僕の当時は25歳が年齢制限あったんですね。
僕大学一浪してるんで、一浪して大学入ってるので、ちょうどもう2年の時には25歳になる年だったので、じゃあ今行かないとということで、退職してワーキングホリデーでオーストラリアで選びました。
その医療省舎の皆さん方が止められたりしたんじゃないですか。
先輩たちに話した時にはびっくりされて、お前ちょっとよく考えろよということは言っていただいたんですが、もう僕の中でやりたいっていうのがあったら、どうしてもそうと決まったら突っ走っちゃうタイプなので、ごめんなさいということでそれは行かせてもらいました。
オーストラリアでワーキングホリデーでサーフィンスラッターの資格を取得というふうに経歴では教えいただいてるんですが、この時の思い出とかどんなことをして過ごしたなんて覚えてらっしゃいますでしょうか。
もうそうですね、大学入ったタイミングでサーフィンを開始して、大学の後半とか社会人になった時、たまたま千葉の営業所だったんで海も近かったっていうのもあって、本当に社会人の時は休みはもうほぼほぼ海に行ってました。
それがオーストラリアを選んだ理由でもあるんですけれども、他のワーキングホリデーの場所だとカナダとかニュージーランドとかあったんですが、オーストラリアが一番サーフィンしやすいというところでオーストラリアにしたんですよね。
なので当然ですがオーストラリア行った後はサーフィンばっかりしてましたね。1日8時間くらい多分海に入ってました。
プロサーファーを目指してる感じでいらっしゃいますね。
プロサーファーではないんですがサーフィンでご飯を食べていきたいなっていうのはありました。
なるほど。これでサーフィンインストラクターの資格を得たということですね。
サーフィンインストラクターには戻ってからも成ろうなんて教えていこうみたいなそんなことは思っていらっしゃったんでしょうか?
戻ってからというのは日本に帰ってきたんですか?
日本に戻ってきたんですね。
オーストラリアに行ってる時はもうオーストラリアに永住するつもりで行ったんですよ。
ワーキングホリデーからビザ切り替えて永住できたらいいなと思ってたので。
そのためには日本語ができてももちろんオーストラリアに住むので英語ができてサーフィンができればある程度自分のポジションができるだろうと。
そこから何かビジネス派生させていくことができれば生活していけるんじゃないかなっていうのがあったので。
まずはライセンスを取ってその当時日本人でインストラクターっていうのが僕の周りにいなかったのでその第一人者になってやろうということでライセンス取ったんですけれども。
取って初めて気づいたらもう一人いたんですね。
僕より先に取ってる方が一人。
僕は二人目だったんですけど。
戻られたのはどういうきっかけで日本に戻られたんですか。
一応サーフィンスタークターのライセンスを取ってビジネスビザで残る形でスポンサーもついてくれてやっていこうということで進んでいたんですけれども。
ちょっと考え方の違いでスポンサーと意見が食い違う部分があって。
そうなるとビジネスビザが取れないので帰国したという形ですね。
帰国してもう一回サーフィンスタークターとしてどこかの地域で日本なり世界なりでやろうっていうのは模索はなさったんでしょうか。
それはしてないですね。
もう日本に帰ってくるタイミングでサーフィンは趣味で続けていけばいいかと。
それ以外のビジネスの部分っていうのもすごくオーストラリアで色々試行錯誤しながらビジネスは続けてたので個人のビジネスとして生活していくために。
そっちのやり方もマーケティングだとかが好きだったのでその独学でお勉強したりもしてましたから。
それを実際の会社で試してみたいとかっていうのもあったんで日本国内で就職しました。
じゃあすっぱりサーフィンを辞めてスポーツ用品メーカー現職者にご入社なさったと。
サーフィン辞めてはいないですけどね。
インスタラクターは辞めてサーフィンをやるけどもともとこういう感じだったんですね。
番組紹介と今後の案内
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして私どもウィズビズが運営するウェブサイト経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり
皆さんの会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いましてサイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。
また来週。
13:06
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