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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、私の大変大変大変尊敬している、私の大先輩である湯野川社長様です。
まずは、ご経歴をご紹介いたします。
当初、一部上場企業の新企業担当役員時代に、e-learning教材すららの授業を企画開発。
教育拡大を目指し、ボトムアップ層を対象に授業を展開。
日本とのまらず、スリランカ、インドネシア、インドにも進出していらっしゃいます。
そして、先日12月に上場をされました株式会社すららネット代表取締役社長、湯野川孝彦社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
最初のご質問ですが、ご出身は山口県とのことで、小学校・中学校時代はどんなふうにお過ごしになられましたか?
正確に言うと、生まれたのが高知県で、育ったのが山口県という、キャッチコピーとしては土佐生まれの長州育ちというのがキャッチコピーになっているのですが、あまり関係ないですね。
小学校・中学校は山口県の宇部市というところですが、かなり田舎のほうだったので、小学校・中学校でもほとんど同じメンバーで、3分の1が宇部鉱産で、3分の1が漁業で、3分の1が農業みたいな、何の店も近所にはない、そんなところでかなりのんびりと育ったという感じですね。
なるほど。今の世野川さんからすると、勉強とかはできたんじゃないかなと思うんですが。
勉強できたんですよ。勉強できたんですけど、中学校までは何もしなくても結構トップクラスだったんですけど、この後の話になるかもしれません。高校でつまずいたりとかいうことをしたんですけどね。
高校は山口の高校にお住みになられたんですか?
そうですね。宇部市の宇部高校という、宇部ではトップの新学校に行って、街中に自転車で通うという生活になりました。
高校時代はどんなふうにお過ごしになられたんですか?
そうですね。中高とずっとテニス部だったので、クラブ活動をしながら、普通の何の変哲もない高校生という感じですね。
先ほど挫折という話があられましたけれども、何かここで挫折なんてされたんですか?
そうですね。勉強面でいくと、先ほど申し上げた通り、中、小についてはほぼ何もしなくても大体テストでいい点が取れてというのがあったわけですけど、
高校に行くとやはり市内から優秀な連中が集まってきて、授業も難しくなるので、だんだんわからなくなってきてという。
だんだん3年ぐらいになると、受験前なのにかなり順位が落ちてということで、結構その時は焦りましたね。
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その後大学は関西の方でいらっしゃいましたか?
そうですね。大阪大学。
半大でいらっしゃいました。大阪大学を選ばれた理由は何かありますか?
その頃、私結構本が好きでという話も出てくるかもしれませんけど、SF小説を読んでいまして、その中にわりと科学でいろんな総合的な知識で問題を解決するみたいなある小説があって、結構それにはまりまして、
そうすると理系分野でいろんなことを総合的に学べるのがいいなと思って、そういう学部というか学科が大阪大学にあったので、ここ行きたいなという感じですね。
そうですか。理系でいらっしゃったんですね。
理系ですね。
どんな勉強を大阪の大学ではされましたか?
基礎工学部の生物工学科というところで、もう今はないんですけど、要するに工学で生物を研究したりとか、
あるいはソフトウェアで生物をシミュレーションしたりとか、そういうことをいろいろやってた学科ですね。
勉強ばかりだったんですか?
そのときもあまり勉強せずにアルバイトに精を出してということで、どっちかというとアルバイトをメインの学生生活で、学校にはあまり行かないという感じでしたね。
そうですか。私の父も実は半大の大学院に出ているので、多分理系なんで。
何学部ですか?
多分船の研究をしていましたので。
造船?
造船系なんですけど。
工学部の方なんじゃないかと思うんですが。
その後、半大を出られた後、新卒で日本LCAにご入職になりました。
京都のコンサルティング会社の日本LCAというところ。新卒で入りました。
そちらを選ばれた理由というのは何かあったんですか?
そうですね。たまたまなんですけど、当時の理系がコンサルティング会社に行くというのはほとんどなくてですね。
大学の担当教授からも、何でそんなところに行くのということでかなり言われたんですけど。
これは老いたちにも関係するかもしれませんが、親父がかつて医者をしていましてですね。
で、議会なんですね。
議会というのは当たり前ですけど、人の命を救ったりするんで、めちゃくちゃ人から喜ばれる仕事で、
家にもそういう患者さんが訪ねてきて、どうもうちの主人の命をありがとうみたいなことを横で見てたりしたというのが、
後付けで、後から考えて自分を自己分析してからなんですけど、
何か直接人に喜ばれることがしたいなというのがどこかであってですね。
なので、普通に大学の掲示板に出てたところとか、教授の紹介で、
どこだったかな、トヨタ自動車とかですね、パナソニックとかは面接に行ったりもしたんですけど、
結局は何かコンサルティング会社、この学校では紹介してくれなくて、
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たまたま友達の下宿でゴロゴロしてたらですね、そういうパンフが落ちてたのを見つけてですね、
これ何って、コンサルティング会社というのがあるのかと思いまして、
そこに行くに至ったという感じで、行き当たりばったりですね。はい、そんな感じです。
そうですか。日本LCAは今、当初、二部上場だと思うんですけども、
LCAが多分未上場のときに入られて、その後だんだん大きくなっていくのを立ち上げたと思うんですが、
LCA時代ってどういうふうに過ごされた思い出があられますか。
普通にコンサルティングをしてたんですけど、どちらかというと、
当時のLCAは割とエリア別組織みたいな感じで、
とこそこ地区みたいな、福岡とか、最初福岡して4,5年いたんですね。
そのうち京都に戻ってきてやっているうちに、ある夏の日にですね、
これからフランチャイズのコンサルティングだろうというふうに、
ふと思いつきましてですね。
その月から幹部会議のときには、フランチャイズのコンサルティング特化しますというふうに
一人で行って手を挙げてみたいなことをしてですね。
どうなったかというと、みんなから無視されたんですけど、
当時ベンチャーリンクもフランチャイズに力を入れたこともあって、
割とうまくいきまして、フランチャイズコンサルティングチームから始まって、
翌年は課になって、翌年は部になって、その翌年は事業部というふうに、
そういった部門と一緒に大きくなっていったという感じですね。
そうですか。じゃあ、LCAの中でもフランチャイズは走りと言いますか、
そういうのの立ち上げの責任者で。
そうですね。言い出しっぺですから。
なるほど。
言い出しっぺで責任者という。
なるほど。その後ベンチャーリンクにチームごとですか、ご遺跡をされていらっしゃるんですか。
その辺の経緯というのはどういうふうに映られたのですか。
そうですね。2002年のお正月明けで会社に出てきたら当時の社長から話があると言われまして、
何ですかというと、ベンチャーリンクの方でそういうコンサルティング的な機能が必要とされたので、
行ってみないかという話を突然、晴天の霹靂でいただきまして、
ちょっと一晩考えさせてくださいということを言いまして、
何で悩んだかというと、やったことがないとか、ベンチャーリンクと当時仲良くなかったですよね、会社として。
そこに行くのかというのとか、いろいろあって考えた結果、行きますということで行きました。
というのはやっぱり当時の先ほどの言い出しっぺで自分がフランチャイズのコンサルティング事業を作ったので、
そこで一緒についてきているメンバーもいましたので、
彼らを置いて自分だけ残るとかいうことはあり得ないなということで、
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ベンチャーリンクの方に一歩踏み出してみようという。
なるほど。当時はもう当初一部に上がっていましたかね、ベンチャーリンクは。
あれは上がっていたかな、いつ上がったんでしたっけ。
2002年とかあの辺で上がったじゃないですか。
私が言ったら2002年ですから。
上がる前に来てすぐ上がった。
上がる前か上がった直後か。
なるほど。
余談ですけど、私一番おいしいところはあまり行かなくてですね、
ベンチャーリンクがみんなでハワイに社員旅行とか行ったでしょ。
あの時私いないんですよね。
ラスベガスに。
ラスベガスか。
その時はまだLCAで、LCAで海外に社員旅行に行った時は私はベンチャーリンクというですね、
とても不幸な身の上なんですけど。
損したパターンで。
損したパターンですね。
なるほど。そのベンチャーリンクでお過ごしになったと。
ベンチャーリンク時代の何か思い出とかございますか。
思い出ですか。
思い出はやっぱりそういうベンチャーリンクグループに入ると最初はみんな大人見拝見というところでですね、
ですから私としては本当に一からデッチウォークをしてですね、
みんなに認められなくちゃいけないということで、これはもう必死でしたよね。
数々の事業を立ち上げたと思うんですけども。
そうですね。
牛角さんは前からかかってましたし、銀の皿、最後はカーブスを立ち上げたりということをいろいろしてですね。
その頃に事業開発本部という、要するに新規事業立ち上げ部門の部門長をさせてもらったんですけど、
やっぱりその時の経験がもうめちゃくちゃ生きてますよね。
要するに新規事業立ち上げの千本ノックを受けたような感じですので、
どんなMBAよりもですね、実践で事業立ち上げを、ケーススタディというと失礼ですけど、
非常に数多くやったというのは、これはもう本当に栄え難い財産だったなと。
だから本当に行ってよかったなと思いますね。
牛角、銀の皿がそれぞれ上場してまして、カーブスもヒットですよね。
日本一の知恵になっているまではなってますけども。
3分コンサルティング。
ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングはA社様、おもちゃ製造メーカー140名の事業員、素晴らしいですね。
創業45年のおもちゃ製造メーカーの3代目だそうです。素晴らしいですね。
経営を継いで2年ほどになるのですが、先代が経営に口を出してきて困っております。
私どもは高価格帯のおもちゃを作っているのですが、安い学費に押されて経営が苦しい状態が続いていました。
そこで私はついでから卸を通さない販売物を構築したり、在庫管理を見直したりすることで経営改善いたしました。
しかし半年ほど前から先代が私のやり方に口を出しているようになりました。
今まで付き合いになった卸をないがしろにしてはいけない。在庫がないとリスク発生するからもっと作れなど、私が改革した部分に対していろいろ言ってくるのです。
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先代はフル株の役員にも強い影響力があるので、関係を悪化すれば会社が2つに割れる危険性があります。
先代との関係を悪化させずに、改革を継続するためにはどうすればよいでしょうか。
大変難しい問題で何とも言い難いのですが、まず一つは、フル株の役員の皆さんや幹部の皆さん方は、今の社長の改革について支持をされていらっしゃいますが、支持されていらっしゃいませんでしょうか。
支持されていらっしゃるような雰囲気が感じられますので、支持されているということだったら、まずは社長様とのお話し合い、何度も説得をするということになろうかと思います。
もちろん株を持っている比率によりまして、先代がまだ100%握っているということであれば、説得するしかないでしょうね。何度も話し合うしかないでしょう。
一方で、今の3代目の社長様が100%株を持っていることであれば、話し合い、説得し、関係を悪化させないようにしますが、もし場合によっては、先代にはご引退いただく、すべて取締役も相談役も全部やめていただいて、会社には来ないでいただくということを選択せざるを得ない時もあるんじゃないかと思います。
もちろん、社長様と先代との関係が親子という場合で今お話をしていますが、親子じゃなく親戚であったりとか他人であったりするケースもございますので、それぞれのケースによってやり方が変わってくるので、ちょっとすべてご相談に乗らないと何ともご対応ができない部分もございますが、一番重要なのはやっぱり社員、幹部の皆さん方がどなたを支持しているかなんではないかなと思います。
大塚家具さんのケースなんかを見ますと、どうも大塚家具のお嬢様の方を社員、幹部の皆さんが支持した、ステークホルダーも支持したことによって、親子喧嘩という内憤が起こったようでございます。
そういう意味でいきますと、社員の皆さん方、幹部の皆さん方、役人の皆さん方を社長様がまとめ上げる方が、もしかすると先なのかもしれません。
一方で、私、論語の勉強をしているんですが、論語の世界だと言うと、やっぱり親子関係というのは大変重要で、かつ親を上げなければいけないと言いますか、立てなければいけないと言いますか、そういうことがありますので、
そういう意味では、お父様であるならば、きちっと先代であるお父様と話し合いを何度もしていくしかないのではないかなと思います。
大変難しい問題がございますので、ぜひご相談に乗りたいと思いますので、私どもウィズウィの方にお越しいただければ、無料での経営評価も乗らせていただきます。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。本日のポッドキャストはここまでになります。また来週。お楽しみに。