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ささきるの水曜回帰ファイル
おはようございます。
2024.03.27
水曜日、ささきるです。水曜回帰ファイル始めていきたいと思います。
先週水曜日が祝日でですね、私、うっかり普通に休んで、このポッドキャストのことも思い出さずに、
1日過ごしちゃったんですけど、夜になって、あれ、今日なんかポッドキャストしたりないなっていう感覚で気づいて、
それで、今日休みで、それでこう、仕事のルーティーンの中に入り込まなくて、ついやらないでしまったんだなってことを気づいたんですけど、
このポッドキャストしたりないっていう感覚で気づいた自分が、ああ、俺ポッドキャスターだなっていう感じがして、なんか面白かったです。
で、まあ、じゃあ1回休んだから、なんか別にそこですごい語り逃したことがあるかって言われると、そんなないんですけど、
例によって、この水曜日はですね、ニュースを取り上げるっていうコンセプトを持ちながら、ニュースに振り回されてはいかんっていうことも常々こう、私の考えでもって言ってるもんですから、
例えば、水原一平の件が話題になればなるほどですね、何の一時情報を持ってない者が喋ってもしょうがないという気持ちがますます強くないですね。
絶対に取り上げないって気持ちが出てきます。もう1ヶ月もして後でゆっくり調べればいいんです、そんなことはね。
なのでニュースを取り上げるのに取り上げたくないっていうね、そんな番組になっておりますが、ちょうど1ヶ月じゃないや、ちょうど時間が経って喋りたくなってきたトピックスに
鳥山明がございます。前回も喋ったんですけども、前回喋った後にですね、火曜日担当の綾子Pさんがたくさんやられてるポッドキャストのうちの一つに、
アクエストフォーザニューパラダイムっていう番組があるんですけども、その27話の中でサンキュードラゴンボールっていうエピソードがありまして、そこでこう話してるのを私楽しく聞いてたんですけども、
それを聞いているうちにね、あ、これ話したいなって。話したいなっていうか、考えたことなかったから考えてみたいなって思うテーマが出てきたんですね。
それがですね、綾子Pさんがなんか番組の途中で言ってたんですけども、「あられちゃんの主題って何?」みたいなことを言ってたんですね。
どうやら綾子Pさんは、自分の90%がドラゴンボールでできているとか、だから鳥山明が好きだとはいえ、ドクタースナップあられちゃんのことあんまり知らないとか、
それで一方の番組のお相手の方がですね、一方あられちゃんの方は知っててドラゴンボールのはあんまり知らないっていう、まあそういうバランスで会話が進んでたんですけども、
その中で、「え、あられちゃん、ドクタースナップって何が主題なの?」みたいな話が出たんですね。主題、いいですね、主題。
俺も考えたことなかったけど、あ、そう言われてみてふと思ったんですね。
これメディアヌープ本編でも喋ったんですけど、僕、あられちゃんってもうずっと今でも何度引っ越しても持ち歩いているぐらい好きな作品なんですよね。
ただね、そんな読み返すわけじゃない、日常。持って歩いてお守りにしてるだけだって、そんな読み返すわけじゃなくて、今回も読み返す時間なくて読み返してないんですけども、ふとね、あれってどんな話なんだろう
って思ったんですよ。
今日はそんなお話です。
『アラレちゃん』と『ドクタースランプ』の関係
ご承知のようにと言っていいと思うんですけども、あられちゃんっていうのはアンドロイドですよね、ロボット。
『アラレちゃん』の作品世界
で、お話の主人公はドクタースナップだから、のり巻きせんべいですよね。
どっちが主人公かっていうのは、漫画の冒頭はのり巻きせんべい、それがだんだんとあられちゃんの方が主役っぽくて、アニメの方だとそこ中心になるんですけども、作品のタイトルからもわかる通りドクタースナップ、
つまりこれはのり巻きせんべいですね。
その作品なんですけども、これが何なのかっていうと、たぶんね、鉄腕アトムに対するアンサーというかね、バリエーションなんだと思うんですよ。
鉄腕アトムっていうのが天魔博士と天魔博士が作ったアトムですよね。
それはドクタースナップとあられちゃんっていう関係に近しいんだと思うんですけども、どっちも強力なパワーを持ったロボットなんですけども、鉄アトムの方は原子力の、それこそアトムですからね、原子の力で動く強力
なロボットで、
科学が世の中をどんどん良くしていくっていう時代にあって、その風を受けつつも、でもその科学が行き着く先の矛盾みたいなものも同時に描こうとしてるみたいな、そういう作品だと思うんですけども、
同じくすごくパワフルなロボット、ロボットって言っても、あれ何で動いてるんだろう、原子力じゃなくてロボビタンデみたいな、そういう飲み物で動いてるんですけども、あれただの海水だったかな、ただの。それで動
いてるんですけども、
それは別に、科学が行き着く先の社会とか人類とか描いてるわけじゃなくて、この世のどっかにある、あの作品世界のどっかにあるペンギン村の中の出来事に終始するわけですよね。
もちろんアラレちゃんのパワー自体は地球を割っちゃったり、月に物を投げちゃったりみたいな全地球的、全宇宙的なパワーがギャグとして描かれるんですけども、お話自体はペンギン村の中に閉じていると。
なんかすごく対比的だと思うんですよね。80年代、正確には70年代の後半に愛作品が出てきた時に、捉え方によっては自閉的、自分の世界に閉じこもってる内向きな村の中の出来事みたいな、そういうスモールワールド
でハッピーになろうみたいな風にも見える。
そのことが社会にアクチュアルに訴えかけようとする、そうしなきゃいけないんだっていう考え方からすると、すごくせこくて小さくて悪いものを放置しちゃうという意味で、より悪に近いという言い方も最近ではします
けど。
そういうのも見方もできるんだけれども、あれがあの時パッと出てきた時には、社会を変えよう変えなきゃいけないみたいなものが行き詰まっている中に対して、ポッと肩の力を抜いてくれるような、でもその肩の力の抜け
方がどこまでも世の中を開いていくような、そういう明るさポップさを世の中に与えたと思うんですよね。
手塚治虫と宮崎駿の作風の違い
当時自分はそういうことまで考えて読んだわけじゃないというか、最初に触れたものがあられちゃんで、後から哲は後も知るみたいなことだったんで、そういう差みたいなものは後になって思うわけですけど、あられちゃん
ってあの時そういうものだったんだなと思いますよね。
だからあの時のポップカルチャーで例えば村上春樹が受けるみたいなものってやっぱり同時代性があって、すごく小さな世界の中の出来事ですよね、こう社会に動向するみたいな。
富山あきらも大変しているところがあって、生涯自分が生まれた地域に住んで暮らして働いている、どんどん外の世界に出ていくんじゃなくて、自分が住んでいる地域とか一緒に暮らしている人々を、スモールワールドを大
事にして生涯やっている、そういう面がありますよね。
それが作品としてすごく世界の果てまで届いているっていうことがあると思うんで、彼女も閉じこもっているっていう表現は、そういう見方は合わないと思うんですけど、そういうものを描いているんじゃないかと思うん
鳥山明の絵の能力と世界観
ですよね。
一方、手塚治虫と同世代の、ほぼ同世代と言って、年下ですけど、同世代の宮崎駿とかは、ものすごいエネルギーを持ったロボットを描くって言った時に巨神兵とか、あるいはナウシカに出てくる火の七日間みたいな、世界
を滅ぼしちゃうようなロボットを描くわけですよね。
だから手塚治虫の手塚アトムがいた時に、いやもうあんなもんじゃないよって、世界を滅ぼしちゃうんだよって描く人もいれば、もっと世代が違って、なんかもっとポップな新井ちゃんみたいなものを描く人も描くものが現
れてきている。
そういうふうに配置してみると、あ、新井ちゃんが何だったのかなみたいな、それをね、主題とまで言っていいかわかりませんが、主題ないんじゃないかな、なんていうか、飛び抜けてああいう絵を描くことができた。
その絵を描くこと自体に喜びを持てる人が、ああいう作品を描くのにはまったっていうようなことだと思うんで、なんか主題があったもんだとは思わないけれども、まあ世に出た後にその主題をまとうってことはあったん
じゃないかなと思いますよね。
鳥山明を歌唱評価していたな、みたいなこと最近僕よく言うんですけども、それイラストの能力、絵の能力、漫画の能力だけじゃなくて、ああいうスモールワールド、そのポップでハッピーな、なんかそういうもの?
やっぱ自分そういうものでできてるなと思うんですよね。なんか、ぼんち的な世界観というか、あの島宇宙的な世界観というか、いや例えば悟空にしても、悟空ってのはドラゴンボール?
その強さって宇宙とかあの世にまで届くようなパワーを持っているのに、そこを暗くしている世界って、なんか家族?父とご飯とあと孫たちとみたいな、なんかそういうちっちゃな家族ですよね。
あれって鳥山明の世界観、半径3メートルの世界観ってすごく出てると思ってて、僕もね、結局そういう感覚で生きているところがあるんですよね。それは鳥山明のせいだけとは思わない、なんか強くありますよね。
だから僕何をしているときにその充実感を感じるかというと、世界の果てまで旅行をしに行っているときっていうよりかは、犬の散歩をしているときに近所のPTAの役員に会って、この間のあれどうなりました
っていうふうに立ち話で物音を確認するとか、
息子の同級生のお母さんとバッタリすれ違って、お互いの犬の成長の近況を交換したりとか、あとよく出前を頼むお蕎麦屋さんの出前のおじさんがバイクで通り抜かれるときに、「よう!」って挨拶していって、その前歯の
かけた笑顔の素敵な、前歯のない笑顔の素敵なおじさんなんですけど、
その人とね、くったくのないセイハローをかわすときとか、すごく幸せな気分がするんですよね。
あと僕はその住んでいる日小木窪以外に東野にもよく行くんで、そこでお風呂入っているときにバッタリと仕事仲間がいて、アポ取るまでもなく仕事の話の続きができたりとかね。
そういうときにすごく幸せだなって思うんですけど、思うんです。そんなことを思いましたね。
だから俺の中にペンギン村があるっていうかね、ペンギン村の中に俺がいるみたいな世界観があるなと思ってね。
ペンギン村いいよね。本当に適当に言いますけど、ファーストペンギン村じゃなくて、ファーストペンギンってペンちゃんの世界で最初にこうわけのわからないものに飛び込む先導役みたいになりますけど、ペンちゃんがフ
ァーストペンギン村だとしたら、ただのペンギン村。他のものについていくペンギン村。なんかいいよね。いいですよね。
ちょっと今日もわけわかんない話なんですけど、今日もお聴きいただきます。エンディングテーマ、フラクタルワークソングです。
エンディングテーマ、フラクタルワークソングです。
はい、どうだったんでしょうか。ちゃんと論を立てずに思いつきで喋っちゃったんで、なんかわかりませんが。とりあえずトリムアキアの合集でも買ってくるか。はい、それではまた来週お会いしましょう。それでは良い一
日を。