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Gemini notebook AIに私を語らせてみたら知らない自分と遭遇出来た|暗室ラジオ033
2026-07-19 37:21

Gemini notebook AIに私を語らせてみたら知らない自分と遭遇出来た|暗室ラジオ033

暗室ラジオ033


Gemini notebookで私をWeb検索してもらい、

そのまとめを音声解説にしてもらいました。

途中気になるところにツッコミを入れたポッドキャストです。

自分でも気づかなかったことが一部可視化されたような心境・・・。


オープニング

本日の企画説明

本編スタート・AI達が話すポッドキャスト

意図しない映り込みに納得のいかない男性ポッドキャスター

感想、写真を取り巻く話など


ルイビル大学論文

UNIVERSITY OF LOISVILLE

ELECTRONIC THESES AND DISSERTATIONS

Kendra Nicole Sheehan, University of Louisville

https://ir.library.louisville.edu/etd/2850/


///


モノクロプリントを焼いていた時代は、

暗室での楽しみはラジオでした。(プリントの次に)

そんなことを思い出し、音声配信やってみました。

暗室作業中のリスニングは基本的にながら聴きです。

なので、何かしながらお聴きくださいませ。

一応、画像を使ったり、合いの手の字幕も入れてますので、

たまに画面も覗いてみてください。


///


著書

堕落部屋(グラフィック社)

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作画資料写真集・女子部屋(玄光社)

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お仕事、撮影依頼

https://is.gd/GfgIjG


instagram

https://www.instagram.com/metahome/


Linkまとめ

https://linktr.ee/shiorikawamoto


使ってるレコーダー

ZOOM H1 essential

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使ってるマイク(在庫切れ)

Hollyland Lark M1

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感想

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サマリー

本放送では、Gemini Notebookを使用して自身のウェブ上の情報をAIにまとめさせ、その結果を音声解説として聞くという企画を実施。AIが生成したポッドキャストを聞きながら、内容にツッコミを入れる形式で進行した。番組では、個人の熱狂が部屋というプライベート空間から公共空間、さらには文化やメディアのあり方までどう影響を与えるかを、写真集や学術論文をソースに深く掘り下げた。特に、生成AIが普及する現代において、予測不可能な現実のノイズや偶然性が持つ価値について考察し、新たな「神聖さ」を見出す視点を提示した。

オープニングと企画説明
暗室ラジオ始まりました? 暗室作業のお供はラジオってことで、本日も何かしながらお聞きください。
はいはい。さて、今日はですね、少しだけいつもと違う感じというか内容で、まあいつも内容固定はされてないんですけど、一応レギュラーメニューみたいなものはあったりするんですが、
今日はまた新たなメニューというか企画を進めていきたいと思います。
先日というか昨日かな? ノートブックLMっていうのが、LM?まあどっちでもいいや。
Googleがやってたのかな?ちょっとそこら辺よくわかってないんですけど、ノートブックLMっていうのが
ジェミニノートブックっていうのに、ジェミニノートブック?もうちょっとイントネーションがわかんない。
ジェミニノートブックっていうものになったっていうニュースを聞きまして、そのノートブックっていうのは何ぞや?みたいなのをちょっと調べたんですよ。
一応ダウンロードとかはしてたんですけどアプリで。 ブラウザー版で今回ちょっとやってみたんですけど、
いろいろ調べると、ソースを自分で集めて、そのソースをそのノートブックにぶっこんで、
そのソースを元にジェミニに、ジェミニというかその内包されているジェミニに相談すると、ノートブックの中にジェミニが実装されているんですよ。
それに相談というかこんなのを作ってみたいなのをやると、それをまとめてくれると。
今回、自分の名前を検索欄に入れて、それをウェブから情報収集してもらって、
エゴサみたいなもんですね。 その情報を元に、俺は一体何者なんだ?みたいな、写真家としてどうなんだ?みたいなのをまとめてもらいました。
で、そのまとめてもらったものを、いろいろと図解だったり、チャートみたいなのだったり、いろいろとやってくれるわけですね、このノートブックさんが。
で、その中に動画解説とか音声解説っていうのがあったりするんですよ。
動画解説っていうのは本当に動画でやってくれたんですけど、音声解説っていうのがすごく面白くて、
ポッドキャストなんですよ、これ。 男の人と女の人が対話をしている、対話形式で、この人がどんなことをやってるのかみたいな、一つの番組を作ってくれるんですよね。
これ、俺が今こうやって喋ってるのよりずいぶん面白かったので、ちょっと皆さんにも聞いていただこうかなと思っています。
でね、その聞きつつなんですけど、ウェブからの情報を元にしているので、正確ではあるんだけれども、正確でもないようなところ、気になるところにあいまいにツッコミを入れていきたいと思います。
はい、そういうような企画でございます。というわけで、本日もよろしくお願いいたします。それではレッツ!
AIが語るポッドキャスト:堕落部屋とファンダムの熱狂
あのー、皆さん少しだけ想像してみてほしいんですが、例えば足の踏み場もないほど散らかったちょっと薄暗い部屋ですね。
壁にはもう隙間がないくらい無数のアニメポスターが貼られていて、ベッドの上には、なんていうか脱ぎ捨てられた服とか、いわゆる推しのグッズが山のように積もれているみたいな。
あー、なるほど。世間一般の基準から見れば、それって間違いなく堕落の象徴みたいな場所に見えますよね。
そうなんですよ。でももしその混沌とした散らかった空間がですね、現代における最も純粋で神聖な声優だとしたら、皆さん信じられますか?
純粋で神聖な声優。声優って何ですかね。ちょっとだけ調べてみたんですけれども、当てはまるような単語とか漢字がちょっと見当たらないんですよね。
これひょっとして聖域ですかね。聖域ならなんとなく当てはまるような気がするんですけど、どうですかね。
そこら辺は自由に想像して次に進みましょう。
いやー普通に考えればただの散らかった部屋というか、生活が破綻している状態にしか見えないかもしれないですよね。
ですよね。
でも私たちが現実と呼んでいるその物理的な空間っていうのは、個人の頭の中にある強烈な情熱、つまり熱狂が外に漏れ出した瞬間ですね。全く違う意味を持ち始めるんですよ。
いやー本当にそうですよね。ということで今回の深掘りのテーマはですね、まさにその個人の熱狂、つまりファンダムが物理的な空間をどう変えていくのか、そして私たちがその現実をどう記録していくのかです。
うちなる熱狂と外の物理的な世界との境界線ですね。これは本当に非常に現代的でかつ人間の根本的な欲望に関わる深いテーマですよね。
はい。あなたと一緒にこの非常にディープで熱いテーマを解き明かしていきたいと思います。
よろしくお願いします。
今回のソースとなる資料のスタックなんですけど、一見するとかなりカオスなんですよ。
確かにバラエティ豊かですよね。
そうなんです。まず写真家の河本しおりさんが女性アイドルたちの資質を撮影した作品集であるだらく部屋の解説ですね。
それからオタク文化と日本の宗教性に関する学術論文、さらに図印の歴史とか現代の生成AIと写真表現の境界線についての議論まであるんです。
なんというか本当に一見バラバラに見えますよね。
でも安心してください。アイドルの散らかった資質から始まって伝統的な神社の境内、そしてAIの創造力に至るまでこれらがどう一本の線でつながるのかしっかりガイドしていきますから。
この点と点が結びついた時ですね、私たちが普段スマートフォンで何気なく撮影している日常の風景の見え方すらガラッと変わってしまうかもしれないですね。
そうなんですよね。さてここから少し解き明かしていきましょうか。
まずはそのファンダムの熱狂が最も純粋な形で現れるプライベートな空間、つまり部屋に焦点を当ててみたいと思います。
はい、だらく部屋ですね。
そうです。先ほど触れた写真家の河本しおりさんが14年前ですかね、発表して、最近またニューヨークタイムズのTマガジンで取り上げられて話題になったシリーズなんですけど。
ここなんですけれども、Tマガジンに取り上げられたのは間違いはないのですが、私個人の作家性というかそういうので取り上げられたというよりも、日本にオタクの部屋っていうのがあるよみたいな。
ファンダム、要するに熱狂的なオタクというか、ファン、支持者みたいなのの特集ですね。
その中で私の写真が使われた、ピックアップされたのかやっぱり。そんな感じで、そんななんだろうな。
掲載されたことは自分でもなかなかやりおるなと思ったんですが、まだ私個人の写真家として取り上げられたわけじゃないので、ちょっとここはツッコミを入れておこうかと思います。
地下アイドルとかアーティストの卵とか50人の女性の部屋を撮影した作品ですよね。
はい。で正直に言うと、私最初これ見たとき、なんかゴミ屋敷のドキュメンタリーか何かだと思っちゃったんですよ。
はい、そういうふうに言いたくなるのはわかるんですけれども、ちょっとやめてもらいたいですね。
まあ視覚的なインパクトだけを捉えれば、そう誤解するのも無理はないですよね。
すごい、ちゃんとフォローが入るんですね。この女の人素敵だな、AIの人。
ですよね。
でもここで非常に興味深いのがですね、日本文化において通常明確に分けられている外と内の境界線なんです。
外と内ですか?
メインストリームや仕事の場としての外、そしてニッチでプライベートな内ですね。
この部屋たちはその境界が見事に崩壊して曖昧になっている空間を提示しているんですよ。
なるほど。そもそもあの堕落っていう言葉自体がすごく強烈じゃないですか。
インパクトがありますよね。
これ深夜まで働く秋葉原のアイドルたちが不規則な生活で荒れ果てた自分の部屋をある種の自虐を込めて堕落部屋って呼んだのが始まりらしいんですけど。
はい。
でも資料をより進めると川本さんはこれを決してネガティブなものとして捉えていないんですよね。
むしろポジティブな堕落だと主張していて。
そうですね。
ここで彼が坂口安吾の堕落論を引用しているのがすごく引っかかったんですよ。
人は一度落ちきることで真に始まるっていう有名なフレーズですけど、戦後の混乱期に書かれた文学論がなぜ現代のアイドルの散らかった部屋と結びつくんですか。
そこで重要になってくるのが社会的な規範からの脱却という共通点なんですよね。
規範からの脱却ですか。
はい。安吾が堕落論で説いたのは既存の道徳とか社会が押し付けてくる枠組みから一度転げ落ちることで初めて人間としての真の姿とかリアルな自我が見えてくるっていう思想ですよね。
はいはい。
これを現代の地下アイドルやオタク女子に当てはめてみてください。
彼女たちは外の世界では社会的なプレッシャーとか厳しい競争に常に晒されているわけです。
確かに。常に誰かから評価されたりきちんとした生活をしなさいっていう同調圧力に晒されているわけですよね。
その通りです。だからこそ彼女たちは自分の部屋という内の空間においてそうした社会の期待から意図的に堕落しているんですよ。
なるほど。意図的に。
ええ。ただ無気力になっているんじゃなくて特定の対象への熱狂、つまりファンダムのグッズをひたすら買い集めて部屋を埋め尽くすという過剰な消費行動を通して魔法した精神を回復させているんです。
ちょっと待ってください。つまり彼女たちは部屋を片付けられないズボラな人たちなんじゃなくて、社会のルールから身を守るために推しのグッズっていう名のレンガを積み上げて自分専用の要塞を作っているってことですか。
ええ。まさにそういうことです。
私なりの言葉で言えば厳しい外界から自分を隔離して純粋な情熱の意図だけで包み上げた魔油、虚空雲みたいなものだと。
ああ素晴らしい費用ですね。まさにその通りです。ファンダムの熱狂がアイデンティティを再構築するための極めて個人的で神聖な空間を物理的に作り出す。それが堕落部屋の本質なんですよ。
いやー面白いですね。皆さんも社会のルールに疲れ果てた夜、自分だけの精液に引きこもって好きなものだけに囲まれてエネルギーをチャージした経験がちっとあるはずですよね。
誰にでもそういうパーソナルな避難場所は必要ですからね。
さて、しかし物語はここでは終わらないんですよね。個人のベッドルームという魔油の中で限界まで高まった熱狂はやがてその部屋の枠に収まりきらなくなって。
はい。
溢れ出した情熱は外へ向かって、なんと日本の伝統的な公共空間も作り変えていくんです。
聖地巡礼と神道の関係性:公共空間の変容
ここでケンドラ・シーハン氏の学術論文へ入っていきます。
はい。この学術論文なんですけど、今回初めてその存在を知りました。
今までもいろいろと見てきてるんですけど、まさかこんな深いところまで探ってくれるとは恐るべしジェメニさんですね。
僕が集めたわけじゃなくてジェメニが集めてきてくれました。
ま、集めてくれた一つなんですけど、これルイービル大学ってアメリカのケンタッキー州にある大学だそうです。
そこの卒業の博士論文になるのかな。
これまた年代は2017年ってほぼ10年前の論文なんですよね。
そんな昔に私の写真集を資料として引用してくださったっていうのはなかなか光栄ですね。
本当にありがとうございますという感じ。
そんな感じで、続きどうぞ。
ええ、ここからは詩的空間から公共空間への変容ですね。
シーハン氏の論文では、オタクたちが日本のアニメや漫画を消費する過程で、神道や仏教といった伝統的な宗教的要素をどのように取り入れているか詳細に分析しています。
ここで出てくる事例が皆さんもよく知っているアニメ巡礼、いわゆる聖地巡礼ですよね。
そうですね、有名な現象です。
例えば、ラキスタのファンがワシムヤ神社に押し寄せたり、ラブライブのファンが神田明神に集まったりする現象ですね。
論文によれば、ファンたちは特定のキャラクターをポップカルチャーの神として扱っていると。
はい、神としてですね。
でも、これちょっと深読みしすぎじゃありませんか。
彼らは本気でアニメの美少女キャラクターを宗教的な意味での神様として崇拝しているわけではないですよね。
まあ、そう見えますよね。
ただ、コスプレをしてアニメの舞台になった神社で限定キーホルダーを買って楽しんでいるだけのイベントの延長のような気がするんですが。
これはですね、ある重要な問いを投げかけているんですよ。
重要な問い?
ええ、西洋的な一神教の視点、つまり絶対的な全能の神を信仰するという厳格な枠組みから見れば、それは単なる熱狂的なファン活動の延長、もっと言えば宗教のパロディーにしか見えないでしょうね。
ですよね。
しぱし、日本の神道の根底にある概念を通してみると解釈が全く変わってくるんです。
神道の概念、つまり神羅万象、山や川、巨石から古い道具に至るまであらゆるものに神が宿るというアニミズム的な考え方ですか?
その通りです。神道の神という概念は非常に柔軟でして、必ずしも絶対的な創造主を意味しないんですよ。
ほう。威風の念を抱かせるものとか、強い愛着を感じるものすべてが神になり得るんです。
なるほど。
論版が指摘しているのは、お宅たちの儀式的な振る舞い、例えば自分の部屋にグッズを祭壇のように飾り付ける行為や、遠く離れた陸地へわざわざ時間とお金をかけて足を運ぶ巡礼行為ですね。
はいはい。
これらが伝統的な神道のシステムに極めて自然にフィットしているという事実なんです。
なるほど。アニメキャラクターを神として受け入れる土壌が、そもそも日本文化には備わっていたってことですね。
そういうことです。でもそれを受け入れる神社柄の態度はどうなんですか?歴史ある自社仏閣が二次元のキャラクターの巨大な看板を立てたりするのって、少し違和感があるんですけど。
そこにはですね、極めて現実的な共生関係があるんですよ。
共生関係。
秩父神社とか大神神宮、領宝寺といった寺院もアニメやポップカルチャーを積極的に受け入れています。
なぜなら、そうすることで若者との関連性を維持して地域社会に新たな参拝者を呼び込めるからです。
はい、これね、僕もね、スピってるからちょっと分かるんですけど、最近神社とか、自社仏閣巡りが昔から趣味なんですよ。
何でしたっけ、衆院を集めたり、ブームになる前からそういうのが好きで、よくそういう場所に行ってたりするんですけど、
最近、アニメっていうか、そういう萌え系というか、キャラクターを前面に出してる神社がめっちゃ増えたと思う。
確かに、そういうことをすることによって、自社仏閣みたいなものに興味がなかった若者が興味を持つきっかけにはなるなとは思いました。
良いことか悪いことかはちょっと分からないんですけど、基本的に良いことだと思います。
ただ、なんだろうな、コスプレイヤーに限定はしないんだけれども、派手な撮影をしたりとかして参拝者の邪魔になるような、そういうことが一部で起こってる感じはあるなというのは、撮影禁止がちょっと増えてきてるんですよ。
マムナーを守ってやってる人たちがほとんどだと思うんですけど、ちょっと占領したりとか、最初無聴になって分からないこともあると思うんですけど、仕方がないですね、そういうのは。
結果として、宗教施設としての経済的基盤を強化できるんですよね。
なるほど。そこで論文が指摘しているクールジャパン戦略の皮肉な構造につながるわけですね。これ読んでいて思わず黒暮らしてしまったんですが。
興味深い視点ですよね。
オタクという存在は長らく日本社会では望ましくないものとか敗者として、それこそ堕落部屋のようにメインストリームから掲示されてきましたよね。
ネガティブなステレオタイプで語られることが多かったそうですよね。
なのに、日本政府が海内に向けて国の魅力をアピールする強力なソフトパワー戦略であるクールジャパンは、彼らが心血を注いできたアニメや漫画の熱狂に完全に依存しているわけですよ。
そうですね。
これって例えるなら、学校でずっとオタクとからかわれてひかげ者扱いされていた生徒の趣味を、学校側が突然、我が校が世界に誇る文化ですってパンフレットに載せて宣伝し始めたようなものですよね。
都合が良すぎませんか?
非常に鋭い、そして皮肉な比喩ですが、まさにその構造なんですよ。
ですよね。
社会のメインストリームが、マイノリティとされてきたサブカルチャーの熱狂を、国力を高めるための文化資本として、事後的に搾取しているとも言えます。
しかし同時に、そうした公共の承認を得ることで、オタクたちの熱狂がよりどもどもと現実の物理空間、神社や街そのものを作り変えていく原動力になっているのも、また事実なんですよ。
いやー、個人の部屋の祭壇から始まって、現実の神社への巡礼、そして国のソフトパワーにまで広がっていく、ファンダムの熱狂が物理的な空間を次々と塗りかれていくプロセスって、本当に圧倒的ですね。
ええ、ものすごいエネルギーですよね。
熱狂の記録:ジンカルチャーと写真表現
では、このようなニッチで強烈な熱狂の痕跡を私たちは一体どうやって記録して手元に残すんでしょうか?神社には絵馬が残りますけど、個人の熱狂はどうでしょう?
そこが次のポイントですね。
ここで、表現やメディアの在り方へと焦点を移したいと思います。
ええ、熱狂をどうパッケージングして他社と共有するか、そこで先ほどの河本しおりさんも関わっているゼインの文化が重要になってくるんです。
そうなんです。実は私、ゼインについて大きな勘違いをしていまして。
ほう、どんな勘違いですか?
ゼインって、1980年代とか90年代のスケートボーダーとかパンクスたちが、自分たちのストリートカルチャーを広めるためにコピー機で作ったのが始まりだと思い込んでいたんですよ。
ああ、実は河本さん自身もラジオ音源の中で、最初はそう誤解していたと語っているんですよね。
あ、そうなんですか?
ええ、でもゼインの真の起源をたどると、全く違う文訳が見えてくるんです。
なんと、1900年代のアメリカのSFファンたちが起源なんですよね。初期のSF雑誌の読者たちが、自分たちの熱狂を語り合うために作ったファンジーンが始まりだという。
そうなんですよ。
つまりジーンの根底には、いつの時代もこのマイナーな世界への愛をどうにかして形にして誰かと共有したいというオタク的な衝動があるわけですよね。
特定の対象への熱狂を自分の手で編集して物理的な束にして世界に発信する。
これは先ほどの堕落部屋の住人が部屋をグッズで埋め尽くす行為と根源的な欲求において非常に似ているんです。
ここからが本当に面白いところなんですが、川本さんが元電波グループ.インクの古川みずりさんのために作成した。
はい、元電波グミインクです。みずりさんではなくて古川みりんさんです。
あなたから見た私というジーンがあるんですよね。
はい、ありますね。
写真集ではなく、あえてジーンという形を取った。
これ、なんでジーンになったかちょっと僕もよくわかってないんですけども、
この企画をした新人マネージャーからジーンを作りますお願いしますみたいな感じで依頼があったのでジーンになりました。
実際写真集とジーンってどういう住み分けなんですかね。
僕もあんまりよくわかってないんですけど、やっぱりハンドメイトかそうじゃないかみたいな感じはあったけど、
最近もう一緒みたいになってきちゃってますよね。
でも気分でいい気がする。知らんけど。
ここで彼は写真表現における束ねることの重要性を語っています。
写真を束ねる、つまり組写真にすることの力ですね。
はい、例えばヒマラヤ山脈の頂上で撮ったような壮大な冒険写真ならたった1枚で見る人圧倒できますよね。
確かに1枚の強さがあります。
でも日常の部屋の中といった身近なものを撮る場合、1枚の強烈な写真で説得力を持たせるのは難しいじゃないですか。
そこで河本さんはこのプロセスを画家がキャンバスに筆でタッチを重ねる作業に例えているんですよ。
画家の筆のタッチですか。
これをより詳しく紐解いてみましょう。
画家が描く一筆一筆の絵の具のタッチ、それ単体を見ても何が描かれているかわからないですよね。
はい、ただの点や線にしか見えません。
しかし、それがキャンバス上に無数に並べられて束ねられた時、初めてモネのスイレンのような全体像と作家のスタイルが浮かび上がってくるわけです。
なるほど。
写真も同じなんですよ。
何気ない日常の断片を何十枚何百枚と束ねることで、初めてその人を取り巻く空気感や熱狂の文脈が可視化されるんです。
つまり、写真家の本間隆さんの東京スナイパーのような作品が評価されるのも、その束ねる編集の妙があるからなんですね。
はいはいはい。
本間さんのこの東京スナイパーが気に入った理由っていうのはですね、非常に少ない枚数の写真で一冊がものすごく洗練された感じでまとまっているんですよ。
何百枚とかじゃなくて、本当数十枚の写真だけなんですけど、なかなかこういったジーンは受け入れにくいと思うんですが、ものすごくしっくりくるというか、今もちょっとそういう少ない枚数で説得力のあるジーンを作るっていうのは私の憧れですね。
いろいろやってるんですけれども、どうしても枚数が増えてしまうっていう、本当に写真を削いでいくっていうのは難しい作業だと思います。
そういうことになります。
でもちょっと納得いかない勃論もあるんですよ。川本さんのそのジーンに収められたある一枚の写真の詳細を聞いたときなんですけど。
どのような写真ですか?
ベッドの上に座る古川さんが振り返り気味に歯ブラシを加えている写真です。
ベッドの上には脱いだ服とかポータブルCDプレイヤーが転がっていて、そこまでは良いんです。リアルな日常だなと。
でも彼女の背後にあるベランダの窓越しに、なんと隣の部屋のおばあちゃんの洗濯物が見切れて干されているのがバッチリ写り込んでいるそうなんですよ。
はい、写っていますね。
これ、プロの写真としては一歩間違えればただの失敗写真じゃないですか。なぜわざわざそんなノイズを残すんですか?
そこがですね、まさに確信なんですよ。
確信。
なぜ隣の洗濯物は排除しなかったのか。それはファンダムや日常のリアリティというものが完璧にコントロールされたスタジオセットの中には存在しないからなんです。
ああ、なるほど。
意図せず入り込んでしまった隣のおばあちゃんの洗濯物。そのコントロール不可能な生々しい現実のノイズこそが、この写真が作り物ではない本物の日常であるという何よりの証明として機能しているんですよ。
これ、めっちゃ面白いことをおっしゃってて、これ実際は本人のリアルな部屋とかではなくて、堕落部屋をシミュレートして作った、セットアップした部屋なんですよね。
ただ、実際に人が住んでいる部屋なので、そういった人の気配っていうのはレンタルスタジオみたいな、ああいう感じじゃなくて、人の気配みたいなのはめちゃめちゃあります。
そして、そのベランダに干してある、謎の隣のおばあちゃんの洗濯物なんですけれども、これ確かに言われてみればそうですよね。
作り物として創作した部屋なのに、そこにリアルがノイズとして映り込んでいる。それがあることによって、変にリアリティが足されているっていうような、そういう印象を受けました。
それが一つの写真の強さみたいなのになっているっていうことはあるかもしれないです。
生々しさの強さというか、そういう感じなんですかね。これはちょっとAIに気づかされた事象です。
そして、そうしたノイズを含む写真を束ねることで、生々しいリアリティが圧倒的な質量を持って見るものに迫ってくるわけです。
なるほど。洗濯物は失敗ではなくて、リアリティを担保するための一筆、つまりタッチだったわけですね。
綺麗に整えられたフェイクではなく、散らかった現実こそが美しいと。
そういう美学ですね。
しかし、この現実のノイズという概念が、今まさに根本から揺るがされる時代に私たちは生きているじゃないですか。
現実を記録することの定義の崩壊:生成AIと写真
最後のテーマ、現実を記録することの定義の崩壊につながっていきますね。
へえ、現代における最大のゲームチェンジャー、生成AIの代表ですね。
これは、私たちが写真とか現実と呼んできたものの存在意義を根底から問い直す現象です。
ここで、メディアンアーティストの墓地愛代石さんのポストから出発されたアファンタジアという現象の話題が出てきます。
皆さんも試してみてください。頭の中で真っ赤なリンゴを思い浮かべようとしてみてください。
はい。
できましたか?
この視覚的なイメージが、頭の中が真っ暗で全く思い浮かべられない現象をアファンタジアと言うんですよね。
そうです。
川本さんもこれに近い感覚を持っているそうで、彼は自分の頭の中にあるイメージを写真にして視覚化することには全く興味がないと断言しているんです。
ええ、彼のスタンスは非常に明確なんですよ。
頭の中にあるイメージをそのまま外に出力したいのであれば、それは絵画の役割。であり、現代においてはプロンプトから画像を生成するAIの仕事だと。
そう、AIに散らかったアイドルの部屋で歯ブラシを加えた女の子って指示を出せば、
隣のおばあちゃんの洗濯物が入っていない完璧な構図の理想の堕落部屋が一瞬で生成されますよね。
簡単に作れてしまいますね。
言ってみれば、AIは光を使わずに言葉だけで写真を作る究極の想像力の出力ツールです。
ではそんな完璧なAIがある時代に、わざわざ重いカメラを持って街を歩き、伝統的な写真を撮る意味はどこにあるんでしょうか。
これをより大きな視点、全体像と結びつけてみるとですね、両者の決定的な違いが見えてくるんです。
はい。
生成AIの世界には、人間の想像力が及ばないエラーとかノイズは原則として存在しないんですよ。
全ては計算された出力ですから。
確かに。
一方で、カメラのレンズを通した伝統的な写真というのは、
人間の想像を遥かに凌駕する物理世界の予測不可能性とかバグ、つまり偶然との出会いを記録する行為なんです。
川本さんが経験したある奇跡的な偶然のエピソードがありますよね。
ええ。
彼がニコンのZ8に重い50mm F1.2のレンズをつけて視力補正眼鏡をかけて街をスナップしていた時のことです。
ひび割れた白い壁の前に青い鉢植えが置かれていました。
そこには枯れた木が上回っていたんですが、レンズ越しに覗くと、
その枯れた木の枝のシルエットと背後の壁のひび割れが見事にシンクロして一体化してしまい、
どちらが枝でどちらが壁のひびかわからない二重の解釈が生まれる写真が撮れたんですよね。
どんなに優れたプロンプトエンジニアでも、壁のひびと枯れ枝が作詞的に一体化する偶然の構造を生成してとは支持しないですよね。
絶対にしないですね。
なぜならそれは人間の頭の中には最初から存在しない発想だからです。
では、これは一体何を意味しているんでしょうか。
私たちが日々スマートフォンのカメラを取り出して日曜を繰り取る時、果たして何を求めているんでしょう。
頭の中にある映える完璧なイメージを出力したいのか、それともレンズ越しに飛び込んでくるコントロール不可能な偶然のノイズに驚きたいのか。
テクノロジーが進化して完璧なイメージが飽和すればするほどですね、私たちが現実と呼ぶものの手触りとか、意図しないバグの価値が逆に高まっていくのかもしれません。
さて、今回の深掘りの旅、皆さんいかがでしたか。
最初は社会から逃避して押し靴の眉にこもるオタク女子の堕落部屋という指摘空間から始まりました。
そこからファンダムの熱狂があふれ出して、アニマキャラクターを新たな神として受け入れる伝統的な神道と神社の共生関係という公共空間の変容へとつながりましたね。
そして、その強烈な愛を束ねて残すためのツインカルチャーの歴史。
最後には思い通りの完璧な世界を描き出す生成AIと、隣の洗濯物や壁のひび割れといった現実世界の偶然のバグを捉える写真表現の違いまで。
一見バラバラだったソースが驚くほど綺麗な一本の線でつながりましたよね。
個人の内なる情熱が物理的社会的な空間をどう形作り、さらに私たちがその現実の断片をテクノロジーの中でどう記録していくのか、非常に視差に富んだ探求でした。
ここで最後に皆さんに一つ新しい視点を投げ投げてみたいと思います。
AIがさらに進化して、私たちの頭の中にある完璧なファンタジーや一切のノイズがない理想の部屋を瞬時にいくらでも生成できる未来がもうそこまで来ていますよね。
でも、だからこそ思うんです。
と言いますと?
写真に見切れてしまった隣のおばあちゃんの洗濯物とか、偶然の一致で生まれた壁のひび割れ、あるいは計算づくのインテリアデザインには絶対に真似できない無秩序で混沌としたリアルな堕落部屋。
そうした人間の意志ではコントロールできない現実のノイズやバグこそが、完璧なデジタル情報であふれかえる未来の私たちにとって、変えがたい新たな神聖なもの、つまり現代における生物になっていくのではないでしょうか。
なるほど。予測不可能な現実のノイズこそが、私たちがここに生きているという物理的な証明になるのかもしれないですね。
その通りです。次にあなたが自分の散らかった部屋を見渡す時、あるいはカメラのシャッターを切る時、そこに映り込む予期せぬノイズや偶然のバグを、今までよりも少しだけ愛惜しく感じるかもしれません。
それでは今回の徹底解説はここまでです。あなたの世界の見え方が今日から少しでも面白くなっていたら嬉しいです。最後まで深く潜っていただきありがとうございました。
感想と今後の展望
はい。というわけで、ちょっと長いこと聞いていただきましたが、どうだったですか?なかなか面白いですよね。
これ、自分でも気づかなかったことが気づかされるというか、AIはマジでバカにできないな。
バカにしたことはないんですけど、客観性すぎるというか、人間の評論とはまた違うアプローチで来るなと思いました。
最後に予測不可能な偶然のバグやノイズってあったんですけど、そのうちAIもそれ見越して予測不可能なバグやノイズを計算して乗っけてくるかもしれないですよね。
そうなってくると、もうなんだろう、どうすりゃいいんだろう。
現実に目の前にあるものを撮る行為と、プロンプトで作られた、計算されて出てきた画像は違うものなので、
新生性は担保されないとはいえ、一応目の前には現実が広がっているわけじゃないですか。
それを写真機で撮るという行為はこれからも変わらないので、そこは発信する人であったり、撮った人がちゃんと記録装置として思っていれば。
いいんじゃないですかね。
報道とかきついよね。
いろいろとこの写真が本物ですよっていう、リアルですよっていう証明の仕方っていうのが出てきてるんですけれども、
ニコンはエラーを出したらしいっていう話を聞いて、今ソニー一択っぽいけど。
あとはローデータを必ず提出するであったりとか、コンテストとか報道とかそういうのはそうなりますよね。
特に写真のコンテストとかは。
CC、コンピューターグラフィックであったりビジュアルアートのコンテストだったら全然問題ないんですけどね。
そこらへんはもうなんだろうな。
この生前説で成り立つというか、もうそういう感じじゃないですか。
というわけで、このジェミニノートブック、今後も活用していこうかなと思います。
たまたま今日は偶然こういう面白い内容のものができちゃったっていう感じなんですけど、
またこういう面白いポッドキャストができたら、このツッコミ入れるポッドキャストやりたいと思います。
今日はちょっと長いんでこれぐらいにしておきます。
それではまた次回。ごきげんよう。
なんか質問とかがあればコメント欄とかに書いてください。よろしくです。
37:21

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