00:09
こんばんは、生存報告の収録をしたいと思います。
生きてる感じですね。
気づいたらもう、外はすごい暑さですよね。
今、もう外には出てないんですけど、
明らかにもう、東北でもね、猛暑ふるってるなっていうのがわかる。
蒸し暑さ、蒸し暑さっていうか、何だろう、煮えるような暑さですね。
なんかね、いやー、なかなかちょっとね、時間がやっぱりかかっているんですよ。
で、ちょっとね、会社の人と直接は話せてないんですけど、チャットでやりとりした中でね、
なんか自分が、自分でね、ちょっとその相手に打ちながら、
なんか、あー自分ってこんなこと思ってたんだなーってちょっと思ったんですよ。
それが、まあ答えのない問いっちゃ問いなんですけど。
多分ね、自分をこう、苦しめているものですかね。
苦しめる強さ、弱さ。
また動きはあるんですけど、
なんかね、私もしかしたら収録でも、最終的に何をしているかわからないような人。
こうね、ないないさんって、悪さんって、結局何して生活してるんだろう、みたいな人になりたいっていう風に言ったんですけど、
それにしてはね、周りの目とか評価を気にして、
ずーっとね、多分大学ぐらいの時からずーっとうっすら、うっすらだったり強かったり、
まあグラデーションがあるんですけど、ずっとね、前のめりに焦っているような自分がいる気がするんですよね。
相反する気持ちなのか、
一般社会の評価軸から外れて、もう思い切って外れてね、思いのままにいきたいっていう思いと、
やっぱり人並みに認められたいっていう思いがぐちゃぐちゃに混ざり合ってて、
それがずっと自分を苦しめている気がするんですよね。
まあこれは資本主義というかね、評価されて私たちは生きているじゃないですか。
03:04
そうですよ、多分私たちぐらいの年齢の時から、小学校、中学校、義務教育の時にね、
比較せず、いろいろな価値観があるよとかね、競争しない、みんな素晴らしいんだ、みたいな価値観が出てきた世代だとは思うんですけど、
でもじゃあ一歩社会に出たら、私たちはずっと比較され続けるわけじゃないですか。
仕事においてもそうだし、まあそもそも義務教育においてもテストとかね、競争はしてるっちゃしてますしね。
相対的な評価でしか、やっぱ民主主義的な社会では評価できないというかね、
いられない気がするんですよね。大抵の場合、どうしても、もちろん頑張った分だけ評価される、いい意味ではね。
頑張った分だけ評価される社会。頑張って結果を出せばですね、結果を出して評価される社会。
でもそれも歪に歪んでいることもあるし、それが正しい評価なのかっていうところも、いろいろ色目があったりしますよね。
で、そうじゃない、評価されずにいる人たちっていうのは、社会の隅っこで生きているわけじゃないですか。
じゃあ、みんな平等、社会主義みたいにみんな平等にみんな同じ、じゃあお金をね、お金とか物資とか与えられて平等に生きればいいのかって言われると、
それはそれでですよね。そういう社会が成り立ってたことって、今まで一度も世界的に見てはないと思うし、それはもう無理がある。
その発展とかね、そういうものから一切なくなる。
あ、でもそっか、中南米ぐらいに確かなんかあった気がしますね。キューバだっけな?違うな。
ダマイカだったかな?ちょっと忘れちゃったんですけど。
世界主義でそういうもう、何ですかね、もう何だろう、働く必要がないというか、頑張って働く必要がないからみんな緩いみたいな生活をしているわけにも、全くなくはないのか。
でもそれってどうなのっていう気もするし。
06:03
戻ると、まあ日本はね、そういう、何だろうな、評価する社会、評価して認められて対価を得るっていう社会にいるわけで、どうですか?
私は苦しいですね、なんかそういうもの。どっちかっていうと感覚的に生きてるタイプだし、競争もあんまり好きじゃない。
っていうのは、まあ自分自身がそこまで優秀、今まで優秀ではなかったっていうところもあるのかもしれないですけど、
たぶん私、認められてても苦しいっていうか、ずっとその状態を維持し続けなければならないじゃないですか。
評価されたらされたで、いつ自分が評価されなくなるのかっていうことを思って、戦々恐々としていなければならない。
それも苦しいんですよね。だからそういうものから本当に逃げたいっていうね、
気持ちになっちゃう時がありますね。特に今みたいな少しその気分があんまり上向きではない時にそういうことを考えたくなっちゃいますよね。
もう一旦そういうものから外れたいっていうかね。
でもみんなそうな気もしますよね。どうですか?
そういう時ありますよね。
SNSとかからもね、ちょっとしばらく距離を空けてて、スタンドFMとかも一旦聞くのやめてたんですけど、
そういうなんか趣味とか、自分が好きでやってることですら、
比較がある。比較っていうか、何ですかね、みんな平等じゃない。
というか、なんか頑張らなきゃみたいな気持ちが湧いてくるのは、何ですかね、なんかすり込まれてる気がしますよね。
なんか、今までのね、社会からのすり込みっていうか、そうすると社会だけが悪いっていう風になっちゃう気もするし、
でも全くそんな評価軸というか、可視感で生きてない人もいるから、
09:04
私がおそらく自らね、そういう評価軸が強いところに身を置いてきてしまったがゆえのことだと思うんです。
だからどっちかには決められないですね。
たぶんその評価軸から外れることと、人の身に認められたいって思いは、きっとこれからもぐちゃぐちゃになりながら生きていくんだと思うんです。
でも、そんな思いを抱えつつ、
じゃあね、なんだろう、うまく器用に生きられるわけではないからこそ、
じゃあどういう方向でね、向かっていくかっていうことと、力加減に気をつけないと、
やっぱ自分で自分を、やっぱね、自分がやられてきたことがすごい薄り込まれて、それによってその価値観が自分を苦しめるっていうままになっちゃうので、
どっちかっていうと、
いかに快適であるかみたいな、いかに楽しいかとか、快適であるかとか、
そういう方向に舵を取れたらいいですよね。
そんなことができるのかっていう気もするけれど、
バランスって簡単に言いますけど、超難しいですからね。
バランスって何?
難しすぎる、本当に。
そう、私の上司、私の尊敬する上司がいつも言ってるんですけど、
成長っていうのは階段のようなものじゃなくて、一直線のようなものじゃなくて、
螺旋のような形でぐるぐるぐるぐる、さらに振り子のように行ったり戻ってきたりするっていうことをおっしゃってたんですよね。
それは私だけじゃなくて、全員が目に見えない螺旋の中にいるっていう、
そういう評価の中の教育を受けてきて育ってるけれども、
だから社会のせいだっていうわけじゃなくて、
12:01
でも個人の成長が足りないからとか、どっちか極論で答えるんじゃなくて、
ただただそういう世界の中に私たちはいて、
じゃあ自分はどう生きようかっていう話なんですよね。
だからね、教えてほしいですね。
教えてほしいけれど、自分はこうでしたっていうことって、参考にはできてもなんだろうな。
それをじゃあ同じように真似したからって言って、自分がそれに合うかどうかもわかんないですからね。
難しいんですけど、でも私が思っているような悩み、皆さんも感じたことないでしょうか。
もし同じ気持ちの人がいたら、それで少しでも共感してもらえたら私は嬉しいし、力になります。
これはすぐには答えられない。
成功だって言い切ることもできない。
すごく多分悩んでるんだと思います。
でも動き続けなきゃいけないですからね。
生きてる限り、いくら転んでも立ち上がらなきゃいけないですからね。
転んで悩んで嫌で逃げたくても、休んだりしてもね、
立ち止まって休んだりしても、でもまた前を向かわなきゃ生きてるからね。
そんなことを思いました。
取り留めのない話でしたが、ここまで聞いていただいてありがとうございます。
悩みますね。悩みは尽きないです。
一人ですらこんなに考えることがたくさんあるのに、本当に驚きですよね。
風邪を持ってるとか、誰かと一緒に人生を共にしてるってなったら、もっともっと考えるべきことがあると思うのに。
15:04
一人でも大変。一人でも悩みますわ。
一人だから悩むのかしら。
そんなこと言ってるとね、キリがないので、今日は一旦終わりたいと思いますが。
強化っていうものからね、ものが自分を捉えてるというか、誤出させてるなっていうことに自覚した。
今は少しだけそういったものから、距離を置こうかなと思ってます。
ではまた。