影のプロデューサーからの提案とサカナクションの音楽
WAKUWAKU RADIO STATION
こんばんは、WAKUWAKU RADIO森口です。 三田村です。 第313回目の配信です。
影のプロデューサーたるうちの奥さんが、どうしてもこれラジオで喋ってって言われたことがあって。
初めてじゃないですか、そんな提案いただいたの。 初めて。それぐらい彼女にとっては衝撃的で、聞いてくださっている皆さんも含めて、
ご意見賜りたいです、みたいなことらしいんですよ。 何でしょうか。
過去に、サカナクションの山口さんがYouTubeやってるんだよみたいな話、チラッとしたと思うんですよ。
で、生配信をよくされてるんですよ。リスナーの方からDMをその生放送中に募って、電話でちょっと話すみたいなことをよくされてるのね。
テレフォンショッキング的なことしてるの? そうそう、まさに。で、ほぼ全員おっしゃるのが、そのサカナクションの音楽に本当に救われてますみたいなね。
いいなあ、そんな言われて。 せやんか。本当にこのサカナクションの音楽があるから生きていられるんですぐらいの人も結構いて、
そんなにこうサカナクションの音楽をいっぱい聞いてきたわけじゃないので、そんなに曲数自体知らないんですけど、
どっちかというとよ、どっちかというとあの抽象的な歌詞のイメージだったんですよ。
それはそうかも。そんななんか生々しく寄り添ってくるみたいなイメージがなくて、聞いてうわー救われるなーみたいなその俺のこと歌ってるなーって感じ、
なんかなーみたいなこと言うて、ちょっと聞かしてみたいになって、何曲か、夜の踊り子とか。 今話題のね。
そうそうそう、有名な怪獣とかね、それこそ。じゃあもう聞いてたら自動的にあの頃の記憶がみたいな私出てくるけどね、みたいなこと言われて。
マジ? で、彼女が言うにはそれはなんか自動的らしいんですよ。別にサカナクションに限らずとも、
日本語の詩の曲を聞くと自分にとってはこの記憶がこの歌詞に当たるなーみたいなのが勝手に引き出し合いちゃうんだって。
歌詞と記憶の引き出し:感受性の違い
えーすごいなーその感受性、ビビッとですね。 で、俺は全くないんですよそれが。逆にどの曲聞いても、
例えばその高校時代のこととか大学時代の頃社会人で仕事であーなってた時のこととかが思い出されて心が動くみたいなことが僕は全くないんですよ。
で、言うことを奥さんに言ったら、え、なんかどういう風に聞いてんの曲をみたいなこと言われて。
彼女にとってはその感受性がもう当たり前だから、聞いても何も出ないみたいなのが意味わからんみたいな。
えーあーそう。 スピッツなんか咲いたるもんらしいんですけど。あー確かにね。特にロビンソンっていう名曲がありますけど、
思い出のレコードと大げさなエピソードを疲れた方にぶら下げてしかめっ面眩しそうにみたいな歌詞じゃないですか。
それで呼び起こされる記憶ってなんなんみたいな。っていうのをその奥さんに言ったんですよ。
あなたはその歌詞の言葉を言葉通りにしか解釈ができなさすぎるみたいな。
美術館行って絵を見た時に、いやこの絵はこういうものが描いてあるっていう感想が人それぞれ違っていいように、
歌詞も字面の意味だけじゃなくて、こういう意味で言ってるんだろうなっていうのは聞いた人が考えていいんだみたいな。
あー俺それ無理ーってなったのよ。 無理っぽい。
モリウスさんはどっちのタイプなのか?
そこまで奥深く考えない人ですね。
俺派閥やんじゃん。
「自分がない」という悲しい話?
けどなんか三田村さんほど白女じゃないね。
いやでもそうやんか、なんか白女な感じするやん。
あなたそれで文系なん?みたいな感じになるじゃないですか。
原曲とかめっちゃ好きやったんですよ。
特に坊仙部の筆者の考えとか気持ちを述べなさいって僕めちゃめちゃ得意なんですよ。
そうなん?それできるのに歌詞は深掘りできへんの?
これが面白い話で、奥さん曰く、俺が歌詞聞いて自分の記憶を呼び出せない、
自分事として捉えられないからそういう筆者の考えを述べようとかが得意なんじゃないって言われて。
どういうことどういうこと?
要は自分がないんでしょうか。
あー、そう。だから呼んだ時に、僕はこう思うなとかがないんでしょう?
悲しい話なの?
そう、悲しい話やで。でもそうかもしれんと思ったんだよね。
物語として泣けるだけで、自分の背負ってきたもので泣いてるわけじゃないってことだもんな。
そう。
背負ってないんじゃない?
いやでもそういうことになってくんねんな。
だから昔のこと覚えてないんでしょうみたいなぐらいまで言われたんですよ。
そういうこと言われてるからなやっぱり。
その何も感じてないんでしょうみたいな。で、それほんまかよみたいな話をしてて。
日常を噛み締めて生きること
例えば、自転車のカゴに空き缶が入ってるという文章だけで、2つ3つ記憶の引き出し開くらしい。
えーすごい。
ちゃんと生きてきたんだね。
ちゃんと生きてきた。
対比にすんなって。
いやなんて言うんでしょう。噛み締めてその一場面一場面をね。
噛み締めて生きていないと、そんな風に車輪のカゴに空き缶入ってただけの一行で呼び起こせませんよ、自分の記憶。
そうやんか。そういう風に歌詞を聞いたこと俺確かにないわってなったんですよ。
僕は癖で多分音を拾うんですよ。
もう音でしかないんですよ。
歌詞も響き重視なんですよ。意味っていうよりは。
あーなるほど。でも俺も似てる聞き方やで。
そうでしょ。三沢さんもそうです。
多分楽器やってる人ってね、そっちの人が多い気がするんで。
あーだからその声も一個の楽器みたいな捉え方で。
文章的に捉えない。
そういうやっぱ感受性を持ってるってすごい羨ましいなって思う反面、
単純に音楽として楽しめないっていうのもすごい気の毒だなぁとも思ったりするよね。
そうやね。ほんまなんか聞き方が全然違うんやと思うな。
失恋の歌と訓練の必要性
その失恋の歌があったとしてもさ、それをなんかこう回り回った言い方とか他のものに例えてとかってかかはるやん。
俺それやられるともうわかんない。あれ別れの歌な?みたいになんのよ。
ちゃんとそういう曲を聴いた時に、これは別れを表現してるなってなるためには何を訓練すればいいのか。
もうちょっとちゃんと生きるんじゃないの?
ちゃんと生きるってこと?
なんていうの、そこにちゃんと心を込めて生きていくんですよ。
じゃないと記憶の引き出しが増えていかないじゃないですか。
ただスーッと過ぎてたら、噛み締めながらちょっと生きていこう、明日から。
そうやね。流し過ぎてるんやと思う。
今日のおかずもめっちゃ上手にできたわって生きていったらいいんじゃない?
あー。
なんでこれは美味しくできたのだろう?
あー、なるほど、こう焼いたからなのだ。
でもそういうことやろ。
そういうことやろ。
そういうことそういうこと。
それが糧になりまた一個一個、一個一個積み上げていくんでしょう。きっと。
そういうことをほんまに一切何にもしてないんやろうな。
滋賀県舞台のアニメ「さよならララ」紹介
でも約6年分ラジオがありますから、奇跡的に6年分くらいは残ってますよ。
前に進んでいってるんですか、そのラジオ。
いえいえ、全然進んでいませんよ。
はい、今週のわくわくラジオ、そろそろお別れの時間が近づいてまいりました。
はい、わくラジネームブックさんからお便りいただきました。ありがとうございます。
こんにちは。初めてお便りをお送りします。
この7月からシガが舞台の素晴らしいアニメが放送され、
未来のレイクサイドFMのわくラジさんにもぜひお伝えせねばと思いメールしました。
さよならララというアニメで、一度は泡になってしまった人魚姫が現代のシガに蘇って、真実の愛を探すという物語。すごいな。
1話放送時からSNSで今期派遣アニメと話題になっています。
大きな美話庫が毎回登場し配信もされているので、ぜひお二人もお時間あるときに見ていただきたいなと思いました。
いただきました。ありがとうございます。
ありがとうございます。シガが舞台、シガを選んだのがすごいなって思うよね。
人魚姫って淡水に行って大丈夫なんて思うけどね。
確かにな。
海のイメージやけど。
SNSを騒がせてるそうじゃないですか。
いや、見ないとなーと思ってます。
シガ県民は見ないとわかんない。
僕は9月にシガに旅行に行く予定ですので。
そうなんです。ララを見て、ララに思いを馳せながら。
実際に森友さんが行く場所がもしかしたら出てきたりするかもしれないしね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。お勧めいただきまして。
お二人でありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い致します。
お願いします。
次回予告とエンディング
それでは次回ですけども、8月の22日土曜日また21時にお目にかかりたいと思います。
それではワクワクラジオ本日も最後までお付き合いありがとうございました。
お会いいただきまして森口と三田村でした。