若山牧水と「秋草と虫の音」
湧き水のほとり
FM八ヶ岳をお聞きの皆さん、各種インターネットからお聞きの皆さん、
ご機嫌いかがですか。開運小天です。
ここからの15分間は、聞く読書の番組、湧き水のほとりの時間です。
児童文学や昔懐かしい物語、さまざまな文豪の短編などを、少しずつ読ませていただきます。
おいしいお水を召し上がりながら、ひと息ついてくださいね。
今週来週2回に分けて、和歌山牧水の「秋草と虫の音」を読んでいきます。
作者の和歌山牧水は、1885年、明治18年8月24日、現在の宮崎県休賀市で生まれました。
明治から昭和の始めにかけて活躍した歌人で、歌人とは単歌を読む人のことです。
旅と自然をこよなく愛した牧水は、生涯にわたって各地を旅し、その土地の風景やそこで感じた思いを数多くの歌に残しました。
代表的な一首に、「行く山川、越え去りゆかば淋しさの、果てなむ国ぞ、今日も旅ゆく。」という歌があります。
いくつもの山や川を越えて旅を続けたなら、この淋しさが終わるような場所にいつかたどり着けるのだろうか、そんな思いを読んだ歌です。
早稲田大学時代には、後にからたちの花などで知られる北原白州と親交を深め、同じ下宿で暮らした時期もありました。
そんな牧水が、秋の草花や虫の声をどんなふうに見つめ、言葉にしたのでしょうか。
それでは、読んでいきましょう。
秋を知らせる草花
虫の音、秋草の花のうち、もっとも早く咲くは何であろう。はに貴境などであろうか。
貴境も花壇や仏壇で見ては嫌味になりがちである。
野原の青々とした雑草の中に、思いがけない一輪二輪を見出た時が本当の貴境らしい。
その時、汽車が甲州の三浦崎駅を出て、次第に日の春、小淵沢、富士見というふうに、品のよりの高原にかかって行く。
その線路の両側に、汽車の風にあふられながら、この花の咲いているのをよく見かけた。
そして、ああもう秋だなあと思ったことが幾度かある。
あのあたりには撫子子も咲いていた。貴境よりも鮮やかでよく目についたが、この花はむしろ夏の花かもしれない。
葉木も夏葉木などがあって、梅雨上がりの湿った土に咲きしだれているのを見る。
そのせいか、秋という漢字からともすれば薄れがちである。
ただし、この花の丈高く咲き乱れた草むらを押し分けて栗を拾った、ふるさとの浦山の原の思い出のみは、永久に私に秋の思いをそそる。
では、最も早く秋を知らせるのは何であろう。
私はまずお見返しをあげる。
この花ばかりは町中を通る花屋の車の上に乗っていても、いかにも秋らしい。
同じ車の上にあって貴境なども秋を知らせないではないが、どうもそれは概念的でお見返しのように感覚からこない。
ましてこれが野原の道端などに一本二本かすかに風にそよいでいるのを見ると、しみじみそこに新しい秋を感じる。
この花、ただ一本あるもよく、むらがって咲いているのも悪くない。
おとこえし、これは一本二本を見つけてよろこぶ花である。あまり多いとぎこちない。
お見返し、咲き乱れたる延べの端に、
ひとむらしろきおとこえしの花。
お見返し、咲き乱れたる延べの端に、
ひとむらしろきおとこえしの花。
わずかに一本二本と咲きはじめたころに見いでて、
「おお、もうこれが咲くのか。」とおどろかるる花にまんじゅしゃげがある。
わたしの国ではひがんばなというが、そのほうがいい。
これこそほんとうに一本二本のころの花である。
くしゃに咲きだすとまことにいとわしい。
まんじゅしゃげ、いろふかきかもいりえゆく。
これのこぶねのうえよりみれば。
まんじゅしゃげ、いろふかきかもいりえゆく。
これのこぶねのうえよりみれば、
東京の三宅坂から堀越に見る球場の塀のちかくに
ただ一か所だけこの花のむらがって咲くところのあるのを
偶然みつけてまいとしそれを見にいったものだが、
いまでも咲くかどうかとふといまおもいだされた。
東京の近郊にはこの花は少なかった。
相模野には非常に多い。
蝦夷菊とみそはぎの記憶
えぞげく、これは畠の花だが東京近郊にはしきりにつくられる。
いあみの花とみればそれ、それをわすれてぼんやりみておれば
これまた秋のはじめのものである。
てにとってはだめ。
畠のままでみるべきである。
ひしひしとうえつめられしえぞぎくのはなところどころ咲きほころべり。
ひしひしとうえつめられしえぞぎくのところどころ咲きほころべり。
えぞぎくのはな畠のくろにかいかがみ。
うつくしみみればみなゆれておる。
えぞぎくのはな畠のくろにかいかがみ。
うつくしみみればみなゆれておる。
えぞぎくのはなをいやしというもいわぬもめのかぎりなるえぞぎくのはな。
えぞぎくのはなをいやしというもいわぬもめのかぎりなるえぞぎくのはな。
ひがんばなもみずべに多いがみそはぎもまたそうである。
めにつかぬはなで、みておれば、いかにもかれんである。
このあたり、かぜのつめたきやまかげに、さきてあざけきみそはにのはな。
このはなは、おさないころのきおくからか、わたしによくきゅうのおぼんをおもいださせる。
つづいては、ちいさいべにいろをしてそらにうかんでおるしょうりょうとんぼがおもいだされてくる。
みそはぎのはなさくみぞのくさむらに、よせてむかえびたくころのおり。
山国の松虫草と竜胆
えぞぎくははたけのはな、それをのはらにうつしたようなまつむしそうがある。
かんこくのはなとみえ、このきんざいでもみかけるにはみかけるが、しんしゅうあたりののほうがはるかにいろがいい。
むらさきいろのはなである。ききょうもやまぐにのほうがいいようだ。
おなじくやまぐにのはなにりんどうがある。
はるりんどうもあるが、あきがほんとうのりんどうらしくていい。
これはあきもすえ、ふゆのはじめのひなたなどに、おちばにくきをうめられてさいているのがほんとうにいい。
こむらさきにいくらかあいのまじったというようなふかいいろ、
それはどうしてもおちばのはやいやまぐにでなくてはみられない。
つずらおり、はるけきやましのぼるとて、みちにみてゆくりんどうのはな。
つずらおり、はるけきやましのぼるとて、みちにみてゆくりんどうのはな。
ちれるはのもみじのいろはまだあせず、うめてぞおるりんどうのはなを。
ちれるはのもみじのいろはまだあせず、うめてぞおるりんどうのはなを。
さびしさよ、おちばがくれにさきておる、 みやまりんどうのこむらさきのはな。
竜胆の短歌と朗読の続き
つみとりて、みればいよいよむらさきの、 いろのすみたるりんどうのはな。
こゆるひとまれにしあれば、いしいでて、 あらきやまじのりんどうのはな。
ささはらのささのはかげにさきいでて、 いろあわつけきりんどうのはな。
また、わがつまがこのめるはなは、 あきはりんどう、はるはつばきのやぶつばき。
わがつまがこのめるはなは、あきはりんどう、 はるはつばきのやぶつばき。
というところで、おじかんとなりました。
ほんじつは、かじんの、わかやまぼくすいのさくひん、 あきくさとむしのねを、とちゅうまでよんできました。
このあとも、FMやつがたけで、おたのしみください。
ほんじつもいいあんばいにすごせますように。
また、おあいしましょう。