番組と「秋草の実」の朗読
湧き水のほとり
FM八ヶ岳をお聞きの皆さん、各種インターネットからお聞きの皆さん、
ご機嫌いかがですか。開運小天です。
ここからの15分間は、聞く読書の番組、湧き水のほとりの時間です。
さまざまな文号の短編などを、少しずつ読ませていただきます。
おいしいお水を召し上がりながら、ひと息ついてくださいね。
本日は、笹木俊郎の随筆、「秋草の実」を読んでいきます。
それでは、さっそく読み始めましょう。どうぞ。
笹木俊郎作 秋草の実
沈黙で通じ合う一族
寡黙と消極的な態度とは、私たち一族のものの共通性格といってもいいのだ。
私は豪華に寄生して、二三日の滞在中、ほとんど父母と言葉を交わさずに帰ってくることが少なくなかった。
父もまた田舎からわざわざ私たちに会いに出てきながら、妻の問いに対してほんの二言か三言の答えをするだけで、私とはほとんど口を聞かずに帰っていくことが多い。
別に私たち親子の間の愛情が薄いからというわけではないのだ。
私が父の顔から父の言葉を聞くことができるのと同じように、父もまた私の顔から私の言葉を聞き取ってくれるのだ。
私たちはだからお互いに顔を見合わせればそれでいいのである。
私たちのそういう性格は、だがしばしば他人からの誤解は受けてきた。
他人から物事を頼まれるとそれを断ることのできない性分なので、そういう場合にはいつも善良な人間のように思われるのであるが、消極的な態度がどうかすると傲慢な人間として誤解されることがあるのだ。
しかし私たち一族の者の間ではそれが当然すぎるほど当然の性格とされている。
誰もそれについて疑惑を抱くようなことはないのだ。
いとこ同士が沈黙を挟んで5、6時間も退座することがある。
叔父と老人が同じ家に住んでいながら2週間も3週間も口を聞き合わずに過ごすようなことは決して珍しいことではない。
だがやはり叔父は老人に対して叔父としての極めて普遍的な愛情を抱いているのだ。
自分が読んでみて面白い本であればそれを私の机の上に載せておいてくれた。
古い腕時計が自分には不要なものになってくるとやはりいつの間にか私の机の上に載せておいてくれるのであった。
そして叔父はまたそれだけで別に面白い本だろうとも割合に時間が正確だろうとも聞くわけではない。
私の方からもまたそれに対してありがとうとも面白かったとも言ったことはないのだ。
けれども叔父が病気で入院をすれば私はやはり毎日その病院へ出かけて行った。
しかしどんな具合ですかというようなことも言ったことはなかった。
ただそのベッドの横に座り続けていては帰ってくるだけであった。
叔父もまた私が言ってやらないとひどく寂しがるくせに決してありがとうと言ったこともなければもう帰るのかと言ったこともないのだった。
妻といとこたちをめぐる戸惑い
私たちのこういう性格は私の妻をひどく驚かした。
妻が特別おしゃべりな女だからではない。
新婚当時の私は妻から言葉をかけられると顔を赤くしてどもりどもりそれに応えるような人間であったからだ。
しかしまもなく妻が私の性格になれたことはもちろんである。
妻はけれども私たち一族のこの性格にはその後もしばしば驚かされるのであった。
はなはだしいのは田舎の叔父である。
自分のせがれが田舎の中学を卒業して東京の私立大学へ入ることになったので私の家にせがれを預けたというわけなのだが、
せがれを連れてきて別に置いてもらえるかとか頼むとも言わずに何か口の中で日比谷公園と四十七市の墓とは見ていったらいいだろうかなというようなことをボソボソと言っただけで帰っていった。
もっともその前に私の父から処生代わりにもなるだろうからいとこのたかしを置いてやってはどうかという手紙があったので私たちは歓迎して置いてやる意味の手紙を叔父へ書いたのではあったが、
それにしてもただ頭をさえるだけで一言も挨拶の言葉を口にしない叔父の態度を妻はひどく驚いだらしかった。
田舎から持ってきた土産物なども唸りでもするかのようにこれとかほらというようなことを口の中で言っただけで別段それについて説明などはしなかったものだから妻は全くの推しというわけではないんですものどうして食べるかぐらいちょっと一言教えてくださるといいのにというのであった。
いとこのたかしもまたはなはだしい沈黙化で最初のではどうぞという挨拶さえ言うことができなかったほどだ。
そして朝になると誰へ挨拶するということもなくごそごそとが声でかけていって夕方になるといつのまにか自分の部屋へ帰っているというふうであった。
私とは何時間という間を向き合っていても互いに言葉を掛け合わないのはもちろんであったが私の妻が話しかけることがあると彼は絶当てつびいいえとはいとだけで押し通すのであった。
妻がたかしさんのシャツは真っ黒じゃないのお脱ぎなさいと言っても彼は代わりのシャツがないんですとは言うことができないのだ顔を赤くして学生服のボタンを外したりかけたりしているだけなのだ。
そして妻が私の古いシャツを出してやると初めて裸になるという始末であった。
妻はしばしばあなた方はいとこ同士なら時々は何か言うものよ。
推しだっていとこ同士なら手真似で語り合っているわよというような非難を浴びせるのであった。
私とたかしとがひどく面食らわされたのは妻の名医の貞子であった。
貞子はたかしよりも約半年ほど後から私の家に来てたかしと同じように私の家から女学校へ通うことになったのであるが、
十七というのに私の前へ来ておじさまではどうぞお願いいたしますというのである。
私は別に用意があるわけではなかった。
その咄嗟の間に何か言おうと考えたのであるが喉の奥の方でうんうんああというように結局は喉をならしただけで赤くなってしまった。
ちょうどその時運悪くたかしも私のそばにいたのであったが貞子はたかしの前に手をついてどうぞよろしくお願いいたしますと挨拶をした。
たかしは真っ赤になって何面も頭を下げるようにしながらはいと挨拶を返した。
貞子は急に笑い出してしまってあらはいだっておかしいわねえおじさまというのである。
私とたかしとはこの脳弁化にすっかり弱らされた。
私は妻と貞子との性格の影響でたかしの性格が少しずつ変わっていくに遭いないと思っていた。
貞子は朝の出かけにはきっと行って参りますと手をついて言うのであるし帰ってくるとまたただいま帰りましたというのであるからたかしも今にきっとそんな風になりはしないかと私は内心ひどく恐れていた。
私はまったくその挨拶に対する挨拶に困るのだ。
妻の起点で貞子は私には決して挨拶をしないようにしていたがそれでも妻が外出しているときなどは私はひどく平静を失うのだった。
しかしよく考えてみると私たち一家の者の性格の動向は積極的な妻と貞子との方へ動かずに消極的な私の性格に向けて動いているのであった。
いつまでたっても貞子は依然として挨拶をせずに出かけて行っていつの間にかこっそりと帰ってきては本にかじりついているという具合だった。
そしてどうかすると大変遅くなってから帰ってくるようなことも度々であったが私はもちろんのこと妻までが最近はどこへ行ってきたんですというような質問はしないようになっていた。
妻のそういう態度は貞子に対してまでだんだん私と同じようになってくることが感じられた。
貞子もしばしば遅くなって帰ってくるらしいのに妻は決してどこかへ回ったのというような質問をしないらしかった。
それがたかしの遅いときに限って貞子もまた遅く帰ってくるらしいのに妻は気がついていたのかどうか。
それについては何の一言も聞かずにいるらしかった。
秋草の実が示す二人の帰り道
初秋の晩、私は一人だったので玄関に鍵をかけておいた。
たかしも貞子もまだ帰っては来なかった。
私はそしてたかしと貞子は一体どこを歩いているのだろうというようなことをぼんやりと考えていた。
九時が過ぎてからどちらかが玄関をガチャガチャとゆすぶった。
やがて誰か開けてちょうだいよという貞子の声がしたので私は立って行って扉を開けてやったのであるが
むろんどこを歩いていたんだねなどとは聞かなかった。
ただ私は貞子の靴先を見ただけである。
貞子の靴先は夜露のためしっとりと濡れていた。
そしてその上に細かな褐色の秋草の実がいっぱいについていた。
初秋の高原地帯の草原の中を歩くときっとくっついてくるつぶらである。
私はそしてすぐ自分の所在に帰った。
たかしはそれから一時間ほどして帰ってきた。
これは一晩中夜露に濡れて立っていようと決して誰か開けてくれと声をかけることのできる青年ではない。
ただむやみとガチャガチャさせていた。
しかし貞子はどうしたのか立ってはいかないので私は仕方なくまた立って行ってその扉を開けた。
そして私はすぐにたかしの靴先を見つめていた。
やはり彼の靴先もつゆでしっとり濡れその上に秋草の実がいっぱいについていた。
褐色の楕円形の花のような細かな細かなそのつぶらは貞子の靴先についていたのとまったく同じものであった。
同じ草地からのつぶらであった。
私はひどく明るいほがらかなものを感じさせられた。
そして私は腹の底で貞子も貞子も注意して靴先をぬぐって帰るものだよというようなことを言わずにはいられなかった。
しかしそれは例によって言葉にはならなかった。
ただ一言遅くなりました。
言うことのできないたかしに対して私はもちろんどこを歩きまわっているんだというような質問のできる人間ではない。
私は一緒に歩いていたのなら一緒に帰ってくればいいのにというようなことも体の中のどこかでつぶやきこの二人の上に何かしら微笑を感じながら書斎に戻ったのだった。
朗読の終了
佐々木敏郎作秋草の実でした。
お聞きいただきありがとうございました。
お送りしましたのは開運商店でした。
この後もFM八ヶ岳でお楽しみください。
本日もいい塩梅に過ごせますように。
またお会いしましょう。