1. コーヒー沼で泥遊び
  2. 粋なコーヒー道
2023-05-03 15:51

粋なコーヒー道

 
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おはようございます。今日もコーヒー飲んでますか?
こんにちは、こんばんはの時間に聞いてくれているあなたもいかがお過ごしでしょうか。
さて、この番組はコーヒー沼で泥遊びといいまして、ごめん、ちょっとやる気ない感じすごい出ちゃったね、今。
ちゃんとやります。
さて、この番組はコーヒー沼で泥遊びといいまして、コーヒーインフルエンサーこと私、しょーへいがコーヒーは楽しい、そして時には人生の役に立つというテーマのもとをお送りしております、毎日15分くらいのコーヒー雑談バラエティラジオでございます。
皆さんの今日のコーヒーがいつもよりちょっとおいしく感じてもらえたらいいなと思って配信をしております。今日もどうぞよろしくお願いいたします。
なんでこんなにやる気がない感じになっているかというと、あと若干声がかすれているかというと、
昨日一昨日に引き続き喉が痛くてですね、風邪を引いているんですよ。
昨日なんか熱が出まして38度8分まで上がったんですけどね、3時間くらい寝たらすぐ下がったから別にいいんだけど、そういうあまり体調もよろしくない状況の中で、
今日は今日とて娘が熱を出しまして40度まで、熱上がったりとかしてね、看病したりだとかね、病院連れて行ったりとかなんだかんだ色々忙しい日を過ごしたわけで、
夜今犬の散歩をして、犬の散歩はね、車で散歩に行かないと満足しない犬なもんだから、犬を連れて近くの公園まで行ってね、散歩させて帰る前にちょっと収録をしている状況なんですけれども、
さっき20分くらい喋ったんですよ、20分くらい喋って、なんと車の中に搭載されているBluetoothにこのスマホが接続されてしまっていたが故にマイクがそっちに取られていて、
水中で喋ってるくらいボソボソボソボソボソという声しか入ってなくて、あんだけノリノリで喋ったのに、20分あんだけノリノリで車の中で公園の横で人が横を通るのを気にも止めず、何やってんだあいつ車の中でって思われながらでやってた収録が取れてないんだぜ、
あー今からもう一回話すのかーって、同じテンションではそれは喋れないでしょ、しかも喉痛いからもうちょっとさすがに同じ量喋れないわ、20分もさすがに喋れないというか、ちょっと短めに話していきたいかなと思いますけど、
オープニングトーク、今この夜はさ夜でこのまだ機関車の調子がねやっぱり悪いので、せきこむしさ、あんまり長いこと喋らんほうがいいなとは思ってるんだけども、えーオープニングトーク飛ばすわ、もうダメだ、オープニングトーク喋る気にはならん、明日話す、一応ネタはある、
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ということで本編の方に行きたいと思いますけれども、どういう番組なんこれ、いつも通りめちゃくちゃですゴールデンウィーク5月の3日でございますけれども、今日からお休みという方もいらっしゃるんでしょうかね、楽しくゆるくやってまいりましょう、本編の方では今日はね、
生きなコーヒードっていうお話をしていきたいと思います、生きなコーヒード、生きだね、そのコーヒーにおいての生きとは何なのかっていうところをねお話ししていきたいと思います、それでは本編やってまいりましょう、この放送は歴史とか世界遺産とかを語るラジオ友沢さんの提供でお送りします、
生きと言いますと、米編に九十、九を書いて下に十、漢字のね、関数字の九十と書いて、米編に九十で生きと読みますけれども、汽水の水とかね、汽水とか部水とかね、いろいろ言いますよね、
この生きな女子道っていう女性の生き方、九十歳になるまで、九十歳になっても生きな人生を歩んでいこうっていうようなコンセプトで、なんだろう、コミュニティを作っている稲垣沙織さんという方がいらっしゃいまして、この方と昨日、おとといか、昨日か、対談させていただいたんですけれども、
その内容についてはボイシー虎の会で検索していただければ、森川さんのフルフルラジオという番組がありますので、その中にアーカイブ残ってますね。
めちゃくちゃ面白い話になりまして、結構真面目な話になって、俺結構いいこと言ったんじゃないかなって思ってるので、よかったら聞いてみてください。
でね、その中で、生きって何かっていうことを沙織さんはすごく言語化されてるし、体現されてる。僕自身彼女会ったことがあるんですけど実際に、すごく凛とされていて、
生きだなーって。この生きって多分日本人しかわかんない、100%は理解できない感覚なのかなって。海外にも何か似たような言葉が、言葉じゃない、何か概念はあるらしいんですけど、でも生きな人っていうのはおそらく日本の文化背景だったりだとか、
もしくは日本だけじゃなくて、何だろうな、日本人だからこそ日本の生きがわかる。これが例えばイタリア行ったらイタリア人の生きっていうのはこういうもんなんだよみたいなさ。イタリア人にとってはこれが生きなんだよ、これが物語なんだよっていうのはあるかもしれないけど、日本においての、今日話すのは日本においての生きね、の話をしようかなと思うんですけど、生きなコーヒーって何なんだろうと。
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昨日実はコーヒーの話はあまり触れなくて、でもやっぱりせっかくこの生きっていうことについて考えるんだったら生きなコーヒーって何だろうっていうのはちょっと考えたいなと思ってネタとして挙げさせていただいたわけですよ。何だと思います?生きって。やっぱりこう、昔ながらの何かを重んじるとか、あとこの生きはね、ちょっともう忘れちゃったんだけど、ちゃんとね、大きな柱が3つほどあるみたいです。
で、その中の一つが諦め。諦めっていうのは手の届かないものに対しての変な憧れとか、自分の立ち位置をよく理解するとかね、そういうのもなんか、その中で精一杯やるとかいうのも生きなことだし、あとは美意識は大事だっていう話をしててね。美意識で言うとやっぱりね、諸作とか、やっぱりコーヒー入れるときの諸作とかってね、あれ生きがすごくあると思うんですよね。
これ何の器具に対してもそうですよ。ドリップで入れてもそうだし。寝るドリップとか完全に生きですよね。例えば渋谷の茶亭波濤さんとか、生きですよね。寝るで言ったら大棒和司さん。もう生きですよね。かっこいい。そう、なんかああいうのが生きなのかなって。
だからちょっとオールドスタイル。サイフォンもいいよね。サイフォンも生きだよね。この番組でもたびたび出てくださっているサイフォニストの中山さん。中山芳信さんとか、すごく生きですよね。彼自身は日本の文化がすごく好きなので和服を着て、コケとかをめでながら、コケとか盆栽をめでながらコーヒーを入れるっていうのをやってますけどね。生きですよね。
まあなんかそんな感じでコーヒーにおいての生きっていろいろあるなって。ただこの生きっていうのも人によっておそらく違って、なんかそれぞれが思ってる生きっていうものが微妙に違ったりとかずれてたりとかすることがあるんだろうけど、でもそれを指摘するというよりはそれもいいね生きだねって言って。
お兄さん生きだねって言って。言いながらお互いを褒めながら高めながら自分のやってることも生きにしていくっていうのがいいと思うし、指摘する時点でもはや野暮な感じ。
その人が一生懸命頑張ってやってること、誰かを傷つけたりとかね、社会的に反してるとか、秩序を乱すようなことをしてたらそれはそれ自体野暮だから言ってやらなきゃいけない部分もあるかもしれないけど。
生きなのか野暮なのかっていうような判断軸で考えると、人生すごいキラキラするんじゃないかなと思って。実際その生きな女子童をやってる沙織さんはすごいキラキラした人。素敵な凛とした女性だったなと思うわけですよ。背筋がピンとしてて。
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背筋がピンとしてるっていう部分で言ったら、立ち振る舞いとか所作とか外見もそうなんだけれども、やっぱり中から体の中から、心の中から湧き出る自信だったりだとか思いみたいなものもやっぱり息が出てくると思うんですよね。
それで言うとカフェの店員さんとか喫茶店の店員さんみたいなところって、やっぱり生きな店って背筋がピンとしてるんですよ。とか一つ一つの所作。ウェイターさんがカップ置いたりとか。コーヒー入れるだけがやっぱり仕事じゃなくってさ。
メニューとか、お会計とか。その時その時の一つ一つの動き表情だったりだとか、体の手さばき、体さばき、足さばきみたいな部分も息なんですね。すべてに意識をしているということじゃなくて、すべてが流れるように無意識化に綺麗に動いてる。
この生きな女子道っていうのをね、沢井さんはやってるわけなんだけども、丸々道ってつくもの。ただ生きなだけではなくって、やっぱり丸々道っていう風につくことをやってる人たちって生きな人が多いよねって話になって。
例えば華道、茶道、柔道、剣道ね。こういう道がつくものをやってるって、なんか色々お文字ているものがありますよね。歴史をお文字たりとか。神様をお文字たりだとかね。伝統をお文字たりとかね。色々あるじゃないですか。
なんだろうな、変なルールに縛られるとか変な常識に縛られるとかそういうことではなくて、私はこれを石杖にしたいっていう、何かこうドンと真ん中に重しい石みたいなものがあって、それの上に座って自分を磨いていく、自己計算していくみたいなね、姿がまさしく生きだなと思って。
変なルール作ってさ、こうしないとダメ、ああしないとダメみたいなのに縛られているのを嫌々やってるのは決して意気ではなくて、なんだったら野暮で。これ意気か野暮かっていうね、いう話が本当によく昨日はたくさん出てきたんですけれども、野暮な生き方はしたくないですよね。
この生きなコーヒー、生きなコーヒー堂を歩んでいくために大切なことって何だろうって色々考えるわけですよ。考えられること本当にたくさんあって、あれは生きだねえ、いやあれは野暮だよねとか。
ツイッターとかさ、結構野暮な話多いじゃないですか。ツイッターのコーヒー会話はなんであんな野暮な話がちょいちょい出てくるんですか。もういいじゃないですか。生きなコーヒー堂で行こうぜって。誰の何とは言わないけれども。
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まあまあツイッターってそういう場所だからね。むしろ野暮な部分があってもしょうがないというか、それでいいんですよ。今ね、まだ弱い30、40でさ、90になるまでの間に磨かなきゃいけないところなんてたくさんあって、それまでの間に野暮なことたくさんありますよってまだまだポンコツですよということは確かにそう。
確かにそうなんだけれども、野暮だよねっていうふうなことはそれは野暮だよねってちゃんと言った方がいいと思うし、周りもね気づけるよね。俺はそれは違うと思うよっていうのはね。野暮なことに対しては、なんか無理に口出ししなくてもいいけど、野暮だよそれは野暮だよっていうふうに自分でなんか跳ねのけることができるぐらい強い人間になりたいなっていうこともちょっと思った。昨日いろいろ話してて。
ということで皆さんのこの粋なコーヒーとは何たるやっていうのをね、ぜひ教えていただきたいし、なんか一つの軸にして5月ね、1ヶ月頑張ってみてもいいんじゃないかなって思いましたね。僕の中での粋なコーヒーって何なんだろうな。コーヒー自体が美味しいのは本当にそうで。
もともとコーヒーが何で好きかって言ったら、その多様性。いろんなコーヒーがあって深入りも浅入りも、産地特性も好みもいろいろあって、それを全部重要する。で、それの上で人を繋いでいくっていうのがコーヒーだと僕は思ってるからすごく粋な世界だなっていうふうに思ってるんだけど、その粋な世界であるコーヒーがなんか変な野暮なことで崩れてあったりだとかなんか殺伐させてしまうのはあんまり嬉しくないなと。
具体的な話はしたくないので今日はね。だからそこは思いを新たに一回洗い直してですね、今月からも頑張っていきたいなということをそんなことを思った粋なお話でございました。
いまいちまとまんねーな。野暮だな。野暮ってこれを野暮と言っちゃダメなのか。これはただのポンコツですね。粋なのか野暮なのかポンコツなのか。粋を目指してるんだけども全然できてない感じのポンコツな感じのことを粋ポンって言うらしいですね。粋ポンって言った時点で急に粋じゃなくなるけど可愛くないかそれはって。
まあでもそんな感じでね、生きている人たちってすごい楽しそうだなって生き生きとしてるなっていうことでね、皆さんもぜひこの粋なコーヒードを歩んでいただければと思います。はい、てな感じで。もう喉が限界です。
今日はこれで終わりたいと思いますけれども、今日のお話面白かったと思っていただける方はぜひ番組のフォロー拡散よろしくお願いいたします。そして商品のツイッターインスタグラムのフォローなんかもお願いします。ご感想はぜひぜひDMなんかでいただけるととっても嬉しいです。
そしてたまに見かけるんだけども、ツイッター、ツイッターちゃうわ。ツイッターもそうだな。インスタグラムとかで番組を拡散してくれる人めちゃくちゃ嬉しいんですけど、できたらメンションしてほしい。商品をね。
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アットコーヒー沼商品をね。ぜひメンションしていただければと。ちゃんとストーリーズでもリプしますしね。ただただ感謝したいっていうのとそういう風な画面に見えると嬉しいなっていう話が。個人的に嬉しいなって思うので、ぜひともよろしくお願いいたします。はい、そんなこんなで今日のところは終わっていきたいと思います。
皆さんにとって今日という日が素晴らしい日でありますように。そして素敵なコーヒーと出会えますように。お相手はコーヒー沼の翔平でした。次はどの声とつながりますか。
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