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おはようございます。今日は3月11日、水曜日。 40代からのリスタートチャンネル🐇今日も始めていきたいと思います。この放送は、凡人係長こと私ととっすぃが、司法廷室から抜け出し、未来を変えるため、日々の気づきや学びを毎朝お届けしております。
はい、というわけで今日は3月11日ということで、東日本大震災が起きてからもう15年目になりますね。
あまりその暗い話はしたくはないと思ってはいるんですが、私は当時関東に住んでいる、今と同じ場所に住んでいたわけなんですけども、まさしく今までの人生の中で一番揺れた経験をしたのかなというところで、
その時のお話をするとですね、東北の方たちと比べるとですね、全然大したことない揺れだったと思うんですが、
当時ですね、たまたまですね、その日に年給を取っていまして、
車の確か買い替えをする時期だったんですよね。で、あの中古車を探していて、
ネットでいい中古車が見つかったので、それを購入しに
行ったのが隣の県だったんですよね。隣の県にまで行ってですね、高速道路で行っていたわけなんですよね。
で、古い車をそのお店に置いて、台車を借りて確か帰ってきたんですよね。
多分古い車はそこでですね、廃車にしたのかな。で、台車を借りて、今度通りに行く時に新しい車を乗って帰るっていう、多分工程だったと思うんですけども、
当時はその日はですね、台車と言ってもですね、かなりボロボロの台車で軽自動車だったんですよね。
で、それでちょうど帰ってきた時に、高速道路を降りた瞬間にですね、
地震が起きたわけなんですね。で、当時信号待ちをしていたんですね。高速のインターチェンジを降りた直後の信号待ちをしていた時に、
車がものすごいですね、縦揺れを起こしまして、
で、ボンネットのあたりがガンガンガンガン揺れていたので、あれ、この車オーバーヒートしたのかなっていう形で、
ちょっとやばいなぁ、これどうしようって思ってたんですよね。そしたらですね、よくよくハッと見たら、周りの景色もちょっとおかしなことになっていて、
電線とかがですね、ぐにゃんぐにゃん揺れてるんですよね。 これ地震かなぁと思ってまして、一応車は全然走れたので走ってはいたんですけども、
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やっぱりハンドルがですね、思うようにうまく切れなくて、右左に寄っちゃったりとかしていて、様子がおかしいぞってなった時に、
ロカタに少し一度泊まってですね、 休んでいたら、
まあしばらくしたらですね、やっぱり道路にいろんなその沿線の家の方々がですね、出てきたんですよね。
きっと危険を感じてですね、外に出てきたんだと思うんですけども、一斉にブワーって道路に出てきまして、みんな避難していると。
いやこれは大変だということで、 信号機もですね、走っている時にやっぱり消えちゃってたんですよね。
で、 みんなもうパニックになりやして、車もですね、ちょっと事故にかけたりとかしていたんですけども、
ちょうどですね、私がその時、子供がですね、あの保育園。 子供が長男ですね。長男が今多分その当時だと2歳とか3歳ぐらいだと思うんですけども、
それを保育園にですね、その足で迎えに行こうかなという風な形だったので、 何とかですね、その保育園までたどり着いて、
で、 そしたらですね、園児たちが校庭でですね、全員しゃがんで集合していてですね、先生たちもパニックっていて。
で、多分お迎えとかですね、皆さん呼んでるんですけども、電話とかも繋がらずですね、 きっとなんか、
かといった建物の中も危ないということで、外でですね、みんな園児たちと避難していたわけなんですね。
で、ちょうど私がそのタイミングに良かったんですけども、まああの時は多分、 昼の2時とか3時ぐらいでしたよね。
なのでちょうどお迎えの時期と重なって、 自分の息子をですね、お迎えができたということで、家に着いたわけなんですよ、無事。
で、家に無事着いたのはいいんですけども、 その後やっぱり余震が何回も起きまして、
余震と言っても、あの当時の余震っていうのは本当に本心と同じぐらい大きな地震だったので、もうそれが数回繰り返されててですね、
やっぱり非常にちょっと恐ろしい。子供ほど結構泣いてました。 ただあの、ちょうどですね、自分の家が建て替えたばっかの新築の家であったので、
しかもですね、地震に強い家を運良く建てていたので、家にいればですね、何とか安全だろうということはあったんですよね。
で、私長男とお二人で家にいたんですが、テレビをつけたらですね、やっぱり当時すさまじい、今悲惨な映像がですね、ガンガン流れていたんですよね。
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最もインパクトがあったのはその津波とですね、あと火災ですよね。 それと土砂崩れとかいろんな
各地のですね、映像がやっぱりひっきりなしに流れていまして、 これはですね、ちょっと子供には見せられないなというところで、
テレビはなるべくつけないようにしてですね。 子供に恐怖を与えないような形で過ごしたのを覚えてますね。
で、その後ですね、まあいろいろありまして、
で、まあ職場なんですけども、たまたまその時に職場がですね、本当に古い建物の6階建てのビルで、ちょうど6階の事務室だったんですよね。
で、私休んでいたので、本当に職場の人たちを心配していたんですけども、そのビルって本当に耐震性がないくらいの時代に建てられた古ビルだったので、
これは大丈夫かなという形で思っていたんですよね。 ただちょうどそのビルの中にラジオ局がありまして、
まあ地元のそのラジオ局が入っているビルだったので、当時その車の中でラジオが流れてまして、
で、その地元の局のラジオを聞いた時にですね、 このビル大丈夫だなっていうのをなんか安心した記憶がありますね。
で、しばらくしてですね、その日の夜にですね、やっぱり職場から呼び出しがあって、ちょっと来てくれということで行ったんですけども、
やっぱりビルのですね、壁とかがですね、すごく亀裂が入ってて、 倒壊はしていないんですけども、かなり被害があったという状況になっていました。
で、仕事はですね、その時代はですね、私は水道に携わる仕事をしてたんですよね。
なので、その後の仕事っていうのはですね、やっぱりあの給水活動っていうんですかね。やっぱり水道もいろんな地域で断水になってしまって、水がですね、皆さん汲めなくなってしまったので、
当時、給水車っていう水道水をですね、 詰める車に乗ってですね、各地を回ってですね、
皆さんの給水のお手伝いをせっせと、もう何日間かはしましたね。 それから何日か経って、やっぱ水道水もですね、福島の原発の関係で
放射能がですね、入ってしまうという問題がありまして、水は大丈夫なのかっていう問い合わせの電話をですね、
受けたりですね。 あとはまあ
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その水道を作る際に出る汚泥にですね、やっぱり 放射能が含まれちゃうという問題がありまして、その処理をどうするかっていう問題で
宿泊したっていう記憶があります。 ただですね、その時期ってあの人事異動、今と同じですよね。
人事異動直前の時期だったので、私は3月 まではその職場だったんですけど、また4月1日からですね、全然違う職場に今移動になりまして、
今度はですね、道路事業、道路に携わる 職場だったんですけども、配属された先でもですね、もう
非常にパニックになってまして、土砂崩れですね。 道路が通行止めになっているのをいち早く
復旧するっていう仕事をですね、何日間かずっと 休みなしでですね、やるっていうことをしてましてね、仕事も結構
当時はですね、大変だったかなと。 生活に関してもですね、
いろいろありまして、やっぱり電気が止まっちゃったりとか あったんですよね。
当時は計画停電とかっていうのがありまして、東京電力さんがですね、 何時から何時まではですね、このエリアをですね、停電しますっていうのを事前に
通告して、 サイクルを組んでですね、停電をしていくわけなんですけども、
仕事をしている最中にですね、いきなりバチンと電気が切れてですね、真っ暗になってですね、 その中で仕事をしていくということをですね、何日間かやりましたね。
あとはやっぱりガソリンとか物流っていうのもなかなか止まっていて、 非常に困ったのはやっぱりガソリンですよね。
ガソリンスタンドですね、長蛇の列が並んだりとかですね、
あとやっぱり買えないものをですね、みんな買い占めちゃったりとかしてですね、 まあ食料がですね、
なかなか手に入らなかったりとかっていうパニックも起きていましたね。 まあこの時間の一言で、言い表せない経験をですね、たくさん当時したわけなんですけども、
まあ考えてみるとですね、やっぱり今当たり前のこの生活をしている、 自分が生きているっていうことにですね、本当に感謝をしなければいけないなっていうところですね。
あれ以上の地震を経験したくないっていうのはありますが、 まあ全然これからも可能性はありますし、もしかしたら明日起こる可能性もゼロではないとは思うので、
日々の暮らしを大切にしてですね、 災害の備えもやっぱり改めてですね、認識しながら過ごしていくっていうことを大事にしていきたいなというふうに思った次第でございます。
まあ今日おそらくですね、まあ木島の時間があると思いますので、その時にですね、改めて、 今自分ができることは何なのかっていうのもですね、考えながら祈っていきたいなというふうに思います。
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はい、というわけで今日も最後までお聞きくださりありがとうございました。 この放送がいいねと思った方は是非、コメント、レター等々で応援していただけるとありがたいです。
今日もあなたのリスタートを応援しています。 皆さんにとって幸せな1日になりますように。いってらっしゃい。