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2025-03-13 08:01

【しゃべれるだけしゃべる】#0145 フィクション化する現実と荒唐無稽ドラマとドラマにならぬ現実の話 from Radiotalk

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隔日15時配信【しゃべれるだけしゃべる】
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《しゃべれるだけしゃべる》三原則
話をつくらず
なごりを残さず
墓場に持ち込まず

Don't make up stories, don't leave a trace, don't take it to your grave

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サマリー

このエピソードでは、フィクションと現実の関係性や、ドラマの荒唐無稽的な要素について分析しています。特に、現代のドラマが現実の出来事から乖離し、より荒唐無稽化している現象や、それに対する視聴者の受け入れ方の変化について触れています。フィクションが現実のように感じられない昨今、過去のドラマが再放送される中で、リアリティを求める視聴者の心情が語られています。また、「最後から2番目の恋」というドラマを通して、世代間の共感や、日常におけるドラマチックな要素の不足について考察しています。

フィクション化する現実の考察
はい、優雅に始まり、呑気に終わる、しゃべれるだけしゃべる、145個目のエピソードですね。
フィクション化する現実と荒唐無稽ドラマとドラマにならぬ現実の話、というタイトルになっちゃいました。
ちょっとドラマ見てたら荒唐無稽なドラマが最近多いなという感じがして、なんかねえ、何だっけ、犬、
ん?何とか不動、問題物件?とかいうのを見たんですけど、ねえ、相当ドラマが荒唐無稽化してますね。それに限らずね。
昨日、相棒最終回だったんですけど、まあ次のシリーズへの布石だったんでしょうけど、
あれもあれで現実に題材を取ってるにしても、ある程度、荒唐無稽な要素を入れないとドラマにならないっていうことになってきてるのかなとかね。
ちょっと前にあった神様が出てくるやつね。タイトル忘れちゃいましたけど、あれも最初見てたんですけど、途中からもうちょっと見えなくなっちゃった。
最初は結構いい感じだったんですけど、どんどん荒唐無稽化していくので、
なんでこう、ドラマがみんな荒唐無稽になっていくんだろうということをちょっと考えちゃったな。考えちゃったな。そうじゃないと見れないのかな、ドラマにならないのかな、
というね。荒唐無稽さがないとドラマだと感じなくなってるんじゃないかっていうね、なんかそんな気がして。
そんな中で、じゃあ現実ワールドはどうなってるんだろうと思った時に、
あ、今日は2階のバルコニーに寝っ転がって喋ってるんで、ちょっと車が、トラックがね、ダンプだね、
ダンプカーがなぜかエンジンかけたまんま路上駐車してるので非常に迷惑なんですが、
その音も入ってるかもしれません。あとは風の音と、今日風がちょっとあるんですね。あと車が時々通ると車の音がするかもしれませんが、
まあそんな、気温がね、上がってるんですね。札幌ね。北海道札幌10度ですね、今日もね。
なので、お外で今、お昼ご飯食べ終わって、バルコニーでワンコ、ワンコね、
我が家の北海道犬の愛犬と共にバルコニーでくつろぎながら喋り始めたってことですね。
はい、車うるさいですね。フィクション化する現実と荒唐無稽ドラマとドラマにならぬ現実の話というタイトルになったのは、
一つはちょっと昨日見たドラマが、まあ相棒はまあまあいいとして、
なんとなくね、ちょっと最近見るドラマが荒唐無稽なものが多くなってきたなという気がするんですよね。
まあちょっと前にちょっとハマったのがふてほどなんですけど、去年の今頃ですよね。
不適切にもほどがある、ハマったんですが、あれもまあ現実をモチーフにしてるのは間違いないし、
面白い脚本で、もうのめり込んでみて、しばらくふてほど話ばっかりしてたんですけど、
まあでもよく考えると荒唐無稽なドラマですよね。荒唐無稽さを入れないと、
途中ミュージカル入れたりとかね、荒唐無稽さを入れないと、
カラスも来たね、ドラマにならないということなんだけど、なんでそうなってきたんだろうという。
昔のドラマってもうちょっとリアリティがあるドラマが多かったんですけど、
なんかリアリティがあるドラマは受けなくて、荒唐無稽さがないと受けなくなったのは、
現実がフィクション化してるからじゃないかっていうね、気がするんですよね。
つまり現実が面白くなくてつまんなくて退屈で、
フィクション化してるものの方に行くわけですよね。
フィクション化させる方に行くわけね。
脳みその中でどんどんどんどんフィクション化していくっていうね、自分の世界作ってね。
現実感覚って、他人がいてそこでコミュニケーションがあって、
いやそれはあんたの妄想でしょって言われないと、
現実につなぎ止められないんですよね、ホモ・サピエンスの脳みそはね。
ところが他者との関係が希薄化してるから、
もう全てのホモ・サピエンスがそれぞれ個別にフィクションを持っているような時代に入ってきちゃったのかなっていうね。
そういう意味で現実がどんどんどんどんフィクション化してるんじゃないかっていうね、
そんな気がちょっとするなぁと。
ドラマと現実の関係
一方でじゃあその現実はドラマかっていうと、
昔は現実がドラマだったんですよね。
ドラマのような現実があって、
現実は小説よりも奇なりとかね。
ドラマよりドラマチックな現実なんて言ってた時代があったんだけど、
それやっぱり生身のぶつかり合いがあったからドラマチックになってたんで、
感情のぶつかり合いとか生身のぶつかり合いがあったからドラマになったんで、
今はもう感情のぶつかり合いしたらハラスメントになっちゃうし、
肉体のぶつかり合いしたら暴力になっちゃうしね。
ヴァイオレンスになっちゃうし、
だからそういう精神的にも肉体的にもぶつかり合いがなくなっちゃったから、
現実ではドラマが生まれないからみんな脳みその中でフィクションを作って喜んでるみたいなね。
喜んでるみたいなね、話になってるから、
そうすると、そもそもフィクションであるドラマ自体は
荒唐無稽さを入れないと、ドラマにならないというね。
つまり、それぞれの脳みその中にあるフィクションを
フィクション化された現実を超えるようなフィクションを作らないと
ドラマにならない、見てもらえない、視聴率が稼げないっていう。
そんだけの話じゃないかと思って、だんだんだんだん
ドラマが荒唐無稽化して現実離れしていくっていうのは
その辺にあって、なんか現実に繋ぎ止めたような要素が入ると逆に
こう、面白くないっていうかな。例えば昨日の相棒最終回も
いろんな感想あるんでしょうけど、やっぱりこう
現実をある程度ね、意識した脚本になってるわけですよね。
あれが現実に近すぎたらもうみんな見ない。
荒唐無稽な要素を入れるから見れるというね。
だから現実を置いといて現実が知らない人も
荒唐無稽だから見れるという。現実知ってる人はまあまあ
現実に引きつけてみる人もいるんでしょうけども。
そうするとこう、いろんなタイプがいてね、
もっと現実、現実をもうちょっと切り込んでほしいなあと思うタイプ
古いタイプね、もいるとすれば、なんか現実の匂いがすんのが嫌だなあと思う
若い世代もいればね、まあこれ古い若いで分けれるのかどうか知らないけども
まあとにかくそういうことが起きてんじゃないかと。
どういうことだと思うかもしれませんが
えー、現実はますます一人一人の脳内でフィクション化し
ね、他者によってこう、なんだ
チェック入れられるような対象ではなくなって
それぞれが勝手なフィクションを持つことが許される時代に入り
そして、えー、そうやって作られる現実はドラマにならない
それぞれが脳内でフィクションで満足して
それぞれが見るドラマは高等無形さがないと
フィクションと現実の乖離
面白くないみたいなね、誰も見なくなっちゃうみたいな
なんかそんな循環がね、生じてんじゃないかなあ
なんかね、勝手に思ったりしてんですけど
まあ根拠は全く例によってないですけど
カラスが鳴いてますね
だから、なんだろうなあ
ドラマをちょっと見て、ちょっと見てちょっと面白いと思ってもすぐ
その高等無形さについていけなくなる
私還暦過ぎのジジイなんですが
あー面白くないなあと
で、現実くさいドラマもちょっとね、今はないし
あったとしてもなんとなくこう突っ込み
ところが足りないみたいな
まあせいぜいやっぱふてほどですよね
まあ面白く見れたのはね
あとはだから映画の世界に行っちゃいますよね
過去の歴史のドラマですよね
あれはまあフィクションでもあり
歴史でもあるんだけど歴史だから
距離があるから時間的な距離があるから
まあドラマとして楽しめるっていう部分があって
だけど今のリアルタイムでね
コンテンポラリーワールドでね
同時代で同時代でドラマにしてドラマになるようなドラマが
現実から失せちゃってんじゃないかっていうぐらい
肉体とか精神のぶつかり合いがなくなっちゃったからじゃないかとかね
勝手に思ってるというね
まあそんな今日この頃です
ドラマ「最後から2番目の恋」の期待
でそんな中でちょっとね
あの昨日
ネットニュースかなんかで
続々
最後から2番目の恋
11年ぶりのドラマかということで
あれちょっと楽しみにしてるんですよね
あれも口頭向けな部分が含んでるんですけど実はね
だけどリアリティもちょっと含んでて
ぶつかり合えるようでぶつかり合えないような
主人公がダブルキャストね
小泉恭子さんと中井キイチさん
中井キイチさんは僕の2つ上小泉恭子さんは僕の2つ下
ドンピシャな世代なのでついつい見ちゃうわけね
あの感覚ね
心情の霧とか気持ちの動きとかね
現実との関わりとか他人との関わりとかね
素直になれそうでなれない自分とかね
やっぱいろいろ重なる部分があるもんだから
ついつい見ちゃうんだよね
で前回が
最初が2012年で
その次2014年に続
最後から2番目の恋だったんですよね
だからそれも見てたんですけど
タイムでも見たし録画でも何度も見てる
再放送も見てるし
その都度面白いわけですけど
そこに出てくる年下の世代も面白いね
内田幸さんも面白かったし坂口賢治さんも面白かったし
それは結構ね面白かった
見たんですけどあれも実は
何気ない日常を描いてるようでありながら
コート向けな要素も入れながら
でもまだドラマが日常に潜むドラマを描いてた部分があるわけね
だからそこがどこまで今回ね
12年11年か11年の時を経て描かれるのか
でアラカン
コイツミキョコの恋の行方はいかに
しかもアラカンでまだ最後から2番目の恋とか言ってるってことは
7080になってもまだ恋するつもりか
みたいな話で
あれ作った時は40代ぐらいでね
40代じゃないか
2012年だから
50目前の40代ですね
ぐらいで最後から2番目の恋とか言ってた
アラカンになっても最後から2番目の恋だ
我々の世代は何をやっているんだ
とか思ったりしますけどね
それでもまだドラマチックな要素が
あったわけだしあるわけだよね
今の若い世代はあるのかな
ドラマチックな要素どうなんでしょう分かりません
現実にドラマチックな要素がなさすぎて
フィクション化した虚構の
いろんな星を探してみたり
高等無形なドラマで
つかの間楽しんでみたりしてるのかな
ってうがった見方をしてしまうのは
反暦時事の苛みでしょうか
まあそんなことでしゃべれるだけしゃべる
よくわからない話になりましたが
ちょっと4月からのドラマが
ちょっとだけ楽しみかな
他に何かいいドラマありますか最近
現実は現実でドラマチックな展開がないから
面白くない
そんな日々送ってますのんきに終わります
ではまた
08:01

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