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2024-01-15 14:13

その471、褒められることの弊害とは?みたいな

#ほめる #褒められて伸びるタイプ #叱られて #心理学 #毎日配信 #関西弁 #叱る #叱る
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2024年1月15日、月曜日毎度、お気にタートルでございます。よろしくお願いいたします。
今日も元気に夜の20時50分、収録していきます。よろしくお願いします。
そう言うてもね、収録時間関係ないですよね、皆さんにしてはね。
もう空いてる時に聞くんじゃ!みたいな感じですからね。
僕は基本的に朝に撮った方がテンションが高く、
一日の疲れのある夜に撮ると、なんかこのトーンも下がり気味みたいな感じで思うので、
できるだけ夜も同じテンションで喋るように、みたいな感じでね、心がけております。
まあ今もそのような感じでございます。
えっとですね、最近ちょっと歌の感じ?歌の感じが4回ぐらい続きましたね。
歌いましたよ、みたいなのとか、スタイフライブしましたよ、とかね、そんな感じで。
だからそのノリでね、なんかちょっとやっぱ、なんか歌いたなってるな、みたいなもあるんですよね。
日常でなんか、ちょっと歌歌いたいな、みたいな、あるんですけど。
歌の人でもなんでもないんですよね。
最近お聞きくださっている?フォローしてくださって、知ってくださった方。
タートル一体何者なんだ?っていうことなんですけどね。
歌の人でもなんでもないんですよね。ただただ歌が好きっていう一般ピーポーでございます。
別に音楽活動してるわけでもなんでもなくですね。
えっと、じゃあ何を話してる人なんかって言ったら、そのテーマ決めてないんですよね。
このタートルのチャンネル名、ご存知でしょうか。
タートルのべしゃりのねるちゃんということで、
タートルがべしゃってるだけ、喋ってるだけということですよね。
なので特にテーマはないんですよね。
でもそのテーマはないんですけれども、一応この始めた仲間うちと言いますか、
そのきっかけとなった人たちっていうのは、
一応これ難しい、人には難しいんですけどね。
web3とかね、言うたりしますけれども、
NFTとかインターネットの新しいテクノロジーが好きで集まった人たちの情報共有みたいなところから始まって、
なので暗号資産系とかですね、ビットコインとかなんかそんなところですよ。
そういう話を深くしてるわけでもないんですよね。
最近なんかそういえばビットコインが上がったり下がったりしてますねと、
価格がね、相場がだいぶ上がったり下がったりすごい差がありますねとか、
もうそのぐらいで難しいテクノロジーの話は深く追求してはしてないんですけれども。
あとはどちらかというと最近答えの出ない話が好きで、
これってどうなんでしょうねみたいな問いを自分で立てて、
答えが出ないまま皆さんどうでしょうかみたいな感じで終わるっていうね、
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ふわっとした曖昧な話をしております。
全問答のようなことをしてますけれども、
今日もね実はちょっと一つそういう感じでテーマがございましてと言いますか、
一つ解を求められたことがあったんですね。
今日言われたことは、
褒めて伸ばす弊害って何でしょうかね、
っていう問いを立てられたんですよ。
褒めて伸ばす弊害。
昨今ね、このビジネス業界においてもまたはその育児ですよね、
子供を育てる環境においても褒めて育てようっていう風習ないでしょうか。
昔一昔前二昔前、
要は我々の若い頃は叱られて育ったみたいなところもありますよね。
それはそれぞれですよ。
そのところから褒めて伸ばそうと育てようとしていらっしゃった方に育てられた方は経験ないかもしれないですけど、
昔に比べて今は褒めて伸ばすっていう教育の方が多いんじゃないかなという風に感じています。
その褒めて伸ばす弊害って何だろうねっていう問いを立てられて、
何か考えられることありますでしょうか。
皆さん今から、
僕は今から20秒喋りません。
倍速で聞いてる人は10秒間無言になるので考えてみてください。
いかがでしょうか。
褒められて育った人。
何か良くないことってあるんでしょうかね。
ひも解いてちょっと考えてみたいと思います。
実はこの問いを立てられた時に僕は何も返答できなかったんですよね。
っていうのは答えが見つからなかったんです。
答えがないわけではないんですよね。
多分そこを考えるほどの頭がなかったっていうだけのことなんですけど、
それをねじっくり考えてみました。
まず褒められることの、伸びることの弊害の前に、
今までというか昔に叱られて伸ばす、叱って伸ばす教育。
その場合の良し悪しのことを考えてみました。
叱られるとか怒られるとか。
その言い方は、
なんでできてへんねんって失責するような言い方もあれば、
悟すように叱るっていう場合もあると思うんですけれども、
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その言い方の部分は一旦置いておいてですね、
褒めるか褒めないかみたいなところだけを見て考えてみました。
叱られて育った人って、
叱られる、まず上からガツンと言われる。
できてへんやろーって。
ちゃんとやれよーって言われた時に、
まず単純にへこむ。
表面的にね、へこみますよね。
ああ、怒られてしまってる自分、あかん、みたいな。
叱られることでまずへこむ。
次になんか、
うまくできひんかったら、また怒られるかもしれんっていう。
達成感もなければ自己肯定感爆下がりみたいな。
やる気がなくなるとか。
なんとなくわかりますよね。
怒られたらやっぱりへこむなっていうのがあるじゃないですか。
その反対側。
叱られてもポジティブ面ってなんかあるのかなと思ったら、
叱られてできてへんやろーと、ちゃんとやれよと、
こうするねん、みたいなことになったら、
次ちゃんとしようって思いますよね。
前に向かう力も、
前に向かう力も出てくると思うんですよ。
それが叱られて伸びるポジティブ面。
次はちゃんとできるようにしようって。
それと同時に、怒られたーってモチベーション下がるわーっていう、
どっちもの感情ってあると思うんですよ、叱られる場合ね。
じゃあ褒められたときですよ。
褒められたら、嬉しい感情になる。
いいやん、いいやん、できたやん、みたいな。
でもここもうちょっと、ほんまはこうしてほしいねんけど、
まあいいでいいで、みたいな。
そしたら、なんかあかんのやろうけど、
でもなんかいいふうに育てられてるっていうかね、
注意されてるなー、みたいな。
このままちょっと、先輩の上司の言うように、
うまいことやってみようかな、みたいなね。
褒められると嬉しいから、
あんまモチベーション下がらへんっていうか、
気力は損なわれないかなと思うんですけど、
その逆ですよ。褒められたときのネガティブ面。
これってあんのかな?
褒められながらも注意されたときって、
これが出てこなかったんですけど、
そのときの感情として出てこないんやなと思ったんですね。
僕が今思いついてるだけのことなんですけど、
その瞬間は何もネガティブ面が出てこなくて、
ただそれをずっと繰り返して褒められて育ってたら、
褒められることに慣れてしまって、
こうしたら褒められるんじゃないかっていう、
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褒められたいがための行動を取ってしまうんじゃないかな、
っていう回を一つ見つけたんですね、僕の中では。
それはちょっと本質とは違ってるかもしれない。
自分が褒められるように行動するわけですから、
それは自分がこうした方がいいっていう、
自分よがりな考えになりがちなのかもしれない。
もしかしたら、
求められてることはこうじゃないかもしれんけど、
褒められたいからこうするっていう、
ちょっと本質とはずれる部分があるかもしれないなっていうことを感じたんですね。
褒められること優先にものを考えてしまうってことなのかな。
だからそれはその時の感情として上がり下がりするんではなくて、
その後の考え方がポジティブ、自己肯定感が上がる、
そういうワードとしてはいいかもしれないけれども、
良くない側面が、
やっぱり何事も表裏一体で、
何かあった物事に関しては必ず良いことと良くないことって存在しますから、
それは考え方ですよ。
考え方が、
そう考えられるか考えられないかだけなことなんですけどね。
さっきみたいに別にこういうこと考えなかったら、
褒めて育ってるとか、
褒められて育つとかっていうのは、
良いことしかないような気がするじゃないですか。
全て前向きにやっていこうぜみたいな。
でもその逆を考えてみたことはあんまりなかったんですけど、
考えないと、
考えて自分の甲斐を一つ見つけないと、
でもこうやしな、みたいな、難しいですね。
例えてみましょうか。
自分で甲斐が思い浮かばなかったら、
やっぱり人の知恵って借りる必要あるなと思うんですよね。
僕今これ全然答え見つけられてないんですけど、
今僕が言ったことで、
それ勉強したことあるよとか、
自分はこう考えてる節があるなっていう方は、
自分なりの回答を持っていらっしゃるんですよね。
そういう人の話を聞くと、
そういう考え方もあんのか、そういう甲斐もあんのかっていう、
自分の学びになるじゃないですか。
それを人の意見を聞かなかったり学ばなかったりしたら、
結局自分の意見でしか判断できないし、
自分の意見っていうのはものすごい狭い範囲でしか、
物事が考えられないなって僕自身は思ってるので、
人様の意見とか知恵っていうのをお借りして、
少しずつ学んでいきたいなと思ってるんですね。
これを例えて言うならば、
好きなの選んで、と。
前にね、自分の前にね、
5個のケーキがあるから、好きなの選んで、って。
なんか言われた時に、
どうしようかな、
これもいいけど、これもいいけど、
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別にそんなめちゃくちゃいいわけじゃないけど、
まあ強いて言ったらこれかな、みたいな。
時に、これかなって自分が決めても、
いやいや、5個からしか選ばへんの?みたいな。
後ろを見てみんや。
10個まだ並んでんで?って。
え?みたいな。
10個、あ、全部で15個あったん?みたいな。
あ、じゃあ選ぶ幅広がるわ、みたいな。
なんかそんな、この例えがあっているのかわかりませんけど、
人に言われて気づくことってあるんですよね。
あるいは人の話を聞いてて気づくこと。
自分に対して言われてるわけじゃなくても、
自分がどっか引っかかって、
その人の言ってはることから、
一つ学びになるってことがあると思うんですよね。
なので、僕、その今日の、
褒められて育つことの弊害について、
自分で意見が全然出せなかったので、
これからちょっと色々調べてみたりとか、
人に同じ問いをしてみてね、
あ、そんな回答があるのかっていうのをね、
勉強していきたいなと思ってるんで、
今日はこういうことを自分の中で考えてましたよ、
っていうようなお話をさせていただきました。
っていうタートルのベシャリのれるちゃんっていうのは、
こんな話をすることもあります。
こういう答えが出ない問い、
宇宙は何なのかとかね、
それに例えは出てきませんけど、
いろいろ、
それは専門的に考えてる学者さんとかは、
自分の回があると思うんですけれども、
こういう話が好きでございます。
延々と飲みながらしたいような話ですね。
以上です。
今日もお聞き下さいましてありがとうございました。
新規フォロワーさんがもう一人いらっしゃいましたね。
キッサジーメンさんという方ありがとうございます。
新規フォローしていただいて、
いいねとかもしてくださってね。
ありがとうございます。
またよろしくお願いいたします。
ではまた明日お話しさせていただきます。
ありがとうございました。
明日も朝は撮れないから、
晩になると思います。
はい。
ありがとうございました。
また明日で。
お気に入りで。
失礼いたします。
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