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あなたの会社の家賃補助とか、お子さんの学校の内進書、それから空飛ぶスパゲティモンスター、一見何の繋がりもないこれらが、実は一つの強固なルールで結びついています。
今回は、ある大学で行われた日本国憲法の抗議音声とスライド資料を紐解きながら、社会の真相にディープダイブしていきます。
はい、よろしくお願いします。
憲法って聞くと、どうしても遠い世界のお堅いルールブックだと思われがちじゃないですか?
そうですよね。自分には関係ないって思いがちです。
でも実は、いかに私たちの、いわゆる生まれがちゃのような初期設定の不平等を補正して、頭の中の自由を守るための防具になっているか。
これを知ると、明日から社会を見る解像度が劇的に変わるはずです。
リスナーのあなたも、自分が全く偏見のない人間だと言い切れるか、ぜひ一緒に考えながら聞いてみてください。
今回の抗議資料は、第14条の法の下の平等と、第19条20条の精神的自由を扱っているんですが、非常にドラマチックな構成になっていますよね。
本当に面白かったです。
単なる条文の解説ではなくて、そもそもなぜ人間は差別をしてしまうのかという、私たちの打ち舐め深くのメカニズムから議論がスタートしている点が、非常に興味深いです。
そこなんですよね。抗議の入り方がすごくキャッチーというか。
まずアメリカの憲法修正第14条、つまりアメリカで生まれたら誰でも平等に市民権が得られるっていう出生地主義の熱狂を、ネットフリックスのドキュメンタリーを通して紹介していますよね。
はい。自由の国アメリカという作品ですね。
でも直後に抗議は、法律という外のルールだけでは差別は決してなくならないんだと指摘して、全く異なるアプローチを提示してくるんです。SGI会長がハーバード大学で語った仏教の視点ですね。
そうです。ここでシャクソンの、私は人の心に身がたき一本の矢が刺さっているのを見た、という言葉が敷かれます。
一本の矢ですか。
ええ。どの一本の矢というのは、社会の制度とか外部環境のことではなくて、自分自身の内部にある差異へのこだわりのことなんです。
なるほど。自分の中にあるこだわりですか。
はい。人種とか性別といった目に見える違いを問題にしているようでいて、実は自分自身の内側にある違いに対する執着という煩悩こそが、あらゆる差別の根本原因だという非常に鋭い洞察です。
つまり、法律で一生懸命外側のルールを作っても、心にその矢が刺さったままでは本質的な解決にはならないということですね。
まさにその通りです。しかし資料は、その矢が刺さったままの日本の現実として、日本は単一民族国家だという神話を突きつけてきます。
ああ、その神話。無意識に信じている人は現代でも少なくないですよね。
そうなんですよ。しかし資料では、1899年に制定された北海道旧土神保護法が、なんと1997年まで、約100年間も存在していた歴史が語られます。
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いや、1997年ってほんの最近じゃないですか。
驚きますよね。アイヌ民族の刀駄を法律上旧土神と呼んで、道家の対象として扱っていたんです。
それはショッキングですね。
さらに著名なアイヌ学者でさえ、アイヌの人々の写真の掲載許可を得ずに出版してしまって、肖像形侵害で訴えられた裁判の事例も紹介されています。
専門家ですら無自覚に配慮を変えていたという事実に問題の根深さを感じます。
これって、例えるなら多数派に属しているということは、社会という巨大なシステムが自分のハードウェアに完全に最適化されたデフォルトのOSで動いているようなものですよね。
ああ、デフォルトのOSですか。面白い例えですね。
多数派はそのOS上で何の不具合も感じないから、バグなんてないとか、日本に差別はないって思い込んでしまう。
差別が存在しないのではなくて、マジョリティにとって透明化されているだけなんですよね、きっと。
その見たては非常に的確だと思います。システムが自分に合わせて作られている側からは、他者が直面しているエラー画面が見えないんです。
見えないですよね。
だからこそ、多数派の心に刺さった偏見の矢が、無意識のうちに社会のルールやシステムに組み込まれてしまう危険性があるわけです。
なるほど。そして講義は、ここから形式的平等と実質的平等という、さらに複雑なメカニズムの解説に入っていきますね。
はい。日本のジェンダーギャップ指数が148カ国中118位と低迷している現実と、ドップを走り続けるアイスランドの事例の比較が出てきます。
アイスランドはすごいですよね。役員の男女比率4割を法律で義務付けたりとか。
ええ。あとは、男女双方が育休を取得すると、トータルで12ヶ月休めて有利になる制度を作ったりしています。
それが実質的平等ということですか?
そうです。形式的平等というのは、国家が全員を一律に同じように扱うことです。
でも現実には、社会構造や子育ての負担といった、先ほどの言葉を借りればデフォルトOSの偏りがありますよね。
はい、ありますね。
アイスランドの例は、そうした現実の際に配慮して結果を補正する実質的平等の成功例と言えます。
なるほど。つまり、10キロの重りを背負わされている人と何も背負っていない人を並ばせて、
さあ、同時にスタートピストルを鳴らしますから平等ですよ、というのが形式的平等で。
ええ。
実質的平等は、スタートラインに立つ前に、その10キロの重りを国が積極的に外す作業のことなんですね。
まさにその通りです。そして、この重りが見えにくい形で化されているのが間接差別という現象です。
抗議では、2024年のAGC子会社の家賃補助訴訟が取り上げられていました。
あの、ここでちょっと疑問だったんですけど、この裁判の争点になったルールは、総合職のみに家賃補助を出すというものですよね。
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はい、そうです。
総合職っていう言葉自体は、男女を問わないニュートラルな条件に見えるんですが、なぜこれが違法な差別だと認定されたんですか?
その問いこそが、現代の法の下の平等を考える上でもっとも重要なんですよ。
あ、そうなんですか?
確かにルール自体は、男性限定とは一言も言っていません。
しかし、転勤などを伴う総合職には結果的にほぼ男性しかおらず、転勤のない一般職はほぼ女性だったんです。
ああ、なるほど。実態として分かれてしまっていたわけですね。
ええ。つまり、一見中立的な基準に見えても、実社会の構造や役割分担の現実というフィルターを通すと、結果として特定の属性、この場合は女性にのみ不利益を強いることになる、これが間接差別です。
そういうことだったんですね。
裁判所は、合理性のないこの不利益を憲法14条違反と判断しました。
建前上は平等でも、結果としてシステムが誰かを排除しているならアウトだと。
でも、裁判所がこうして助けてくれるケースばかりじゃないですよね。そもそも法律そのものが理不尽な重りを背負わせていることもあるじゃないですか。
おっしゃる通りです。社会や法律が平等を担保できないとき、最後の取り出として最高裁判所がどのように介入してきたか、抗議はそこへ踏み込みます。
ええ。
ここで紹介されるのが、1973年の存続殺10罰規定の違憲判決です。
あの痛ましい事件ですよね。父親から長年にわたり性的虐待を受け、子供まで産ませ得ていた女性が、逃げ場が薄ない父親を殺害してしまったという。
はい。当時の刑法では、存続、つまり自分の親や祖父母を殺した場合、普通の殺人よりも圧倒的に重い死刑か無期懲役しか選べなかったんです。
どんなに地獄のような虐待を受けていた被害者でも、相手が親だというだけで常常釈量による執行猶予が絶対につかなかったんですよね。
そうなんです。
でも、そもそもどうしてそんな理不尽な法律が1973年まで残っていたんですか。やっぱり伝統的な家族感を守るためということだったんでしょうか。
まさにその摩擦です。最高裁が戦後初の意見判決を下すまでこれほど時間がかかったのは、存続だから特別に敬うべきだという古い家族制度的倫理感と、憲法が保障する個人の尊厳が真っ向から対立していたからです。
なるほど。価値観のぶつかり合いがあったんですね。
最終的に最高裁は、親であるというだけの理由でそこまでの重罰を課すことは不合理な差別であり、憲法14条に違反すると宣言しました。
法律そのものが凶器になっていたのを憲法が止めたんですね。
ええ。さらに抗議では国籍法意見判決や婚外児の相続分差別の判例も次々と紹介されます。
未婚のフィリピン人のお母さんと日本人のお父さんの間に生まれた子が両親が結婚していないと日本国籍をもらえないといった問題ですね。
はい。これらに共通しているのは、本人の意思や努力ではどうにもならない事柄によって法的な不利益を与えられていたという点です。
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つまり最高裁は親が結婚しているかどうかとか、誰の子として生まれたかといった本人の努力では絶対に変えられないガチャのような人生の初期設定でペナルティを与えるのは絶対に許さないとそう言っているわけですよね。
まさにそういうことです。
これはすごく重い事実です。リスナーの皆さんも憲法第14条が私たちの外側の属性や生まれに対する強力な防具になっていることがよくわかったと思います。
となると次のテーマはもっと見えにくい戦場ですね。私たちの内側で何が起きているかです。
その通りです。属性という外部の平等について司法がどう戦ってきたかを見た後は、いよいよ人間の内部、つまり思考や価値観という究極の自由へと移行していきます。
憲法第19条思想及び良心の需要ですね。
はい。
ここで素朴な疑問なんですが、なんでわざわざ日本国憲法は頭の中で何を考えてもいいよなんていう当たり前すぎることを独立した条文で書いているんですか。
実は世界的に見てもこれを独立して規定している憲法は珍しいんですよ。
そうなんですか。じゃあなぜ日本には必要なんでしょうか。
それは戦前の歴史に対する猛烈な反省があるからです。戦前の日本では国家が衆心という教育を通じて特定の道徳観を強制していました。
なるほど。天皇が政治的にだけでなく精神的道徳的な絶対的権威として国民の内心まで支配していたんですよね。
ええ。国家が個人の頭の中に踏み込んでくることを何としても防がなきゃいけなかったんです。
抗議資料では現代における国家と個人の価値観の摩擦の例として、賛成党が教育直後の尊重を掲げている現代の動向なんかも客観的な事例として挙げられていますよね。
そうですね。国家が良き国民の道徳的基準を示そうとする力と、内心の自由を絶対とする憲法との間には、今でも強い緊張関係があるんです。
その緊張関係が具体的な摩擦を生んだ事例として、2023年に水田市教育委員会が行った調査が挙げられていましたね。
はい。小中学生に対して黄みがいの歌詞を暗記しているかを問うアンケートを実施したというものです。
これ、歌詞を知っているかどうかを聞くだけに見えて、実は国家をいたわい歌う意思があるかという内心を探り出そうとしているわけですよね。
そう受け取られかねない調査でした。
生徒の頭の中を国家がチェックするってちょっとディストピアSFみたいで怖いじゃないですか。
だからこそ大きな問題になったわけです。
さらに、東京都の日の丸黄みがい起立最小の職務命令をめぐる裁判も紹介されています。
卒業式で立って歌わない教員を処分するのは許されるのかという問題ですね。
ええ。最高裁は起立を命じることは思想良心の自由に対する間接的な制約にはなるものの、学校の起立維持のために貢献であると判断しました。
貢献なんですね。
はい。ですが同時に、だからといって一律に重い処分を下すことには慎重であるべきだという非常にギリギリのバランスを取っています。
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講義では、高地町中学校内進書裁判も扱われていましたね。
学生運動に参加したことが内進書に書かれて、高校事件に落ちてしまった生徒の事件です。
ええ。国家が教育を通して良き市民を育てようとする要請と、個人の頭の中にある考えは不可侵であるという憲法が激しくぶつかり合っているんです。
まさに綱渡りですね。
そして講義は、人間の内面の自由の中で最も個人的で、かつ他者から最も理解されにくい領域へと進みます。
いよいよ第20条、神教の授与ですね。
きましたね。ここで講義資料のど真ん中にいきなり登場するのが目玉が二つ飛び出たスパゲティの塊です。
空飛ぶスパゲティモンスター教、通称パスタファリアンですね。
リスナーの方も驚かれるかもしれませんが、このパロディ宗教が大学の憲法講義で取り上げられるのには極めて論理的な理由があるんですよ。
彼らは宇宙は空飛ぶスパゲティモンスターが作ったと信じていて、祈るときはアーメンではなくラーメンといい、頭にユギリザルをかぶるんですよね。
ええ。そして台湾やオランダなどでは実際に宗教団体として認可までされているんです。
いやちょっと待ってください。つまり国家がこのスパゲティモンスターを宗教として法的に保護するということは、裏を返せば国家は何が神聖で何が単なるジョークなのかを判断する能力を持たないと事故ら宣言しているということですか?
おっしゃる通りです。
それってすごい法的ハックですね。
その見方は非常に鋭いですよ。何が正しい宗教なのかな決めるのは不可能なんです。
もしあなたが特定の信仰を持たない人間だとしたら、海が真っ二つに割れる話や死者が蘇るという伝統的な宗教の神話もスパゲティモンスターの教義と同じように非公理的で理解不能に見えるかもしれない。
あーなるほど。信じていない外部の人から見ればどんなに神聖な儀式も頭にザルをかぶるのと同じくらいキーに移るわけですね。
ええ。だからこそ国家は宗教に一切干渉してはならないんです。
それが聖教分離の原則の本質なんですね。
国家がこれは立派な宗教、これは奇妙なカルトと中身で判断し始めた瞬間、内面の自由は終わります。
そうですよね。
最近の旧統一教会の解散命令請求の問題も、国家の介入は教義そのものではなく、あくまで法令違反という外見的な行為に限定されなければならないという、この信教の自由の限界の文明にあるんです。
憲法は、あなたが頭の中で何を信じていようが、周りからは理解不能なスパゲティモンスターに見えるかもしれないけれど、国家は絶対にそこには立ち入らないし、その権利を守ると宣言しているんですね。
ええ、まさにその通りです。
ここまで見てくると、第14条、19条、20条が、ただの条文の羅列ではないことがよくわかります。
これらはすべて、国家という巨大な権力システムから、個人の尊厳という最もむろいものを守るための、つながった防破手なんです。
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あなたが職場で総合職じゃないからという理由で不当な扱いを受けないための防具。
学校で何を考え、どう振る舞うかを国家から強制されないための防具。
極端な話、頭にザルをかぶって祈る自由すら守ってくれる防具ですね。
はい。
スライドに一瞬だけ出てきた一票の格差、つまり誰かの0.59票に対してあなたの票の価値が0.33票にしかならないという問題も、まさにこの平等の根幹に関わる私たちのリアルな日常の問題なんですよね。
ええ、憲法は私たちが自分らしく生きるためのインフラそのものだと言えます。
さて、ここまで平等と自由のメカニズムについて深掘りしてきましたが、最後にリスナーのあなたに一つ挑発的な思考の種を渡しして終わりたいと思います。
抗議の終盤で一瞬だけ触れられていた、北欧デンマークでの女性の朝平成開始と日本の憲法改正と国防の義務に関する議論ですね。
そうです。もし私たちがアイスランドのように社会のあらゆる面で10キロの重りをなくし、完全な実質的平等を手に入れたとしたら、
ええ。
それは同時に朝平成のような究極の国家への負担までも男女平等に背負うべきだということを意味するのでしょうか。あなたが求める平等は果たしてどこまでの権利とどこからの義務を含んでいるのか。
非常に重い問いですよね。
ええ。あなたの心の中にある一本の矢はこの問いにどう答えるでしょうか。ぜひあなた自身の心に問いかけてみてください。